モスグリーン<2>
僕はお気に入りのブランケットに包まってホットチョコレートを片手にリビングのソファに身体を預けた。
ブランケットは濃いグリーンでどことなく褪せた色をしていて、ソファはそのブランケットよりもさらに褪せたグリーンだ。苔のような色をしている。
僕はいつも、夕方のこのくらいの時間をリビングで過ごす。夕暮れ時から夜にかけて空が見せる映画のような世界が、いつも決まって僕の胸を打つからだ。燃えるような赤と、優しくて、それでいて少し憂いを帯びた藍色の感動的な出会いを見るたびに涙が出そうになるからだ。
僕はホットチョコレートを飲んだあともしばらくそうしていた。
僕は自分の宿命や運命といった風に呼ばれるものについて考えていた。自分がどこから来てどこに行くのかといったことや自分がいったいぜんたい何者なのかといった、おおよそ答えの出そうにないことについて考えをめぐらせていた。僕は世界を知らない。
僕は庭の外の世界を知らないのだ。
広がる空がどこまでも続くであろうことは知っているのに、僕は自分の家とその庭までしか世界を知らないのだ。正確に言うと、僕は庭のすぐ外に広がる世界について何一つ知らない。高い塀があるわけでも鉄格子がはめられているわけでも何者かに強制されたり脅迫されているわけでもないけど、僕は一歩として外に出た試しがないのだ。
それは今までずっとそうしてきていることであり、出ようと思ったことは何回かあるけど、いつも結局外に踏み出す一歩が出せない。
それは勇気がないとか僕が臆病者だとかそういった類の問題ではなくて、もっと複雑で入り組んでいて、実体の掴めない概念みたいなものがそこには存在しているのだ。
この事実は深く僕を考えさせるものの一つだ。ただ、この由々しき問題が僕の生きていく上では何の問題にもなっていなかったことも事実だ。
僕は家の中と庭といった限定された世界でも僕は充分満足していたし、食料品や生活用品など必要なものは全部リリが持ってきてくれるからだ。
リリはいつも決まって一日置いた次の日の夕方にふらりと顔を見せる。頼みさえすればリリは食べ物以外にも様々なものを持ってきてくれる。遠い国の写真やそれを飾るための写真立て、綺麗な色のビードロやブリキのおもちゃ、優しい香りのするろうそくやありとあらゆる本、素敵な色で描かれた絵本なんかも、欲しいものは全部、僕のためだけに用意してくれるのだ。
そして僕はそのお返しにリリに色んな話をする。そのほとんどが僕の空想の話だけど、リリは帰らずにその話を聞くのだ。怒りっぽいオーブントースターの話、枯れないイチジクの花の話、小人の話、空の神様と海の神様が子供のころにしたケンカの話、自分の命を投げ打って旅人を助けた椎の木の話。
その横顔からは表情は読み取れないけど、一度として話している僕を置いて帰ったりはしなかった。
そんなリリを横目に僕は時々悲しい気持ちでいっぱいになるのだった。僕と庭の外の世界を繋ぐ唯一の存在であるリリは、極端に無口で必要な言葉以外はほとんど口にしなかった。リリはいつも決まって一日置きの夕方に姿を見せ、僕の欲しいものを欲しいだけ与えて去っていくのだ。
僕が本当に欲しいものなんて露知らず、はなからまるでそこには何にもなかったかのように。何かがあるけどそれが何かわからないのと、何もないのとでは違うと僕は思う。
僕はそこに何があるのかわからなかったけど、何かがあることを感じていた。きっとそれが僕を悲しくさせているということも知っていた。
そんな気が狂いそうになるほど平穏な毎日のあくる日、いつも通りの夕暮れ時、来るはずのリリは姿を見せなかった。
今までたったの一度としてこんなことはなかったのに。