小説「ワールズエンドアンドガールフレンド」 -9ページ目
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インディゴブルー<1>





 雨の日は決まって図書館にいる。




 大学の図書館は居心地がいい。バッグを置いて、音を立てないように椅子を引いて深く腰を落とす。僕はそこから過去現在未来、世界中、さらには書き手の空想世界にまで旅立つことが出来る。望むのであればどこにでも行ける。

 僕はここで本を読んだり課題をやったり、居眠りをしたりする。一人の時間はどこかの田舎道の脇を流れる、せせらぎのように流れていく。
 日々はそれこそ平和そのものだ。単調な繰り返しがたくさんと、こんぺいとうみたいなちょっとしたいいことがごくたまに。ほとんど何の変化もない繰り返される毎日に対して、僕は少しばかりの退屈とぬるま湯のような安心を感じていた。




 その日はあいにくの雨で、授業の合間にいつも通り図書館に立ち寄った。少し濡れてしまったボトムの裾を気にしながら、適当に空いている席を探して座る。いつもより少し人が多くて空いている席が少なかったものの、窓の方を見て座る一番奥の席が空いていた。
 
 大学へ向かう途中のコンビニで買った雑誌を、長いテーブルの上に広げ、少し体を傾けながらそれを読む。図書館のイスは長い机に3個ずつ並べられ、隣の人との間に仕切りはない。僕は肘が隣の人の邪魔にならないように少しだけ身体を小さくした。
 
 ふと正面の窓に目をやると、憂鬱と混沌を絵筆につけて描いたような景色が見える。曇天と、濡れて黒々としたアスファルト、雨のなか風にたなびく木々。急ぎ足の学生が通りを横切る。あらゆるものが薄暗い影を落としていて、どこか物悲しく見えてしまう。僕は時々鼻をすすって目をしばたかせた。ページを捲る手を替えて首のストレッチをして、また文の先を追う。今日はやけに目が乾く。


 そして雑誌を閉じて手にあごを乗せた僕は、左の方から確かに視線を感じた。理由なんて何一つないけど、そんな気がした。顔をそちらにそれとなく向け、少しだけ視線を返すつもりだった僕は、彼女と逃げようのないほど目を合わせてしまう。肩にかかって胸まで届かないくらいの、緩いウェーヴのかかった髪と澄んだ瞳、頬に添えた右手が白くてとても綺麗だった。
「向こうの窓の外を見ているの。」
 彼女の瞳は間違いなく僕の目を捉えていたけど、それは言い訳ではなくて、かといって僕をからかうニュアンスもなかった。少しだけ微笑んだ口元が僕の動悸を速める。
「きみの名前は?」
 こちらの返答を待つそぶりもなく質問をする彼女。僕が答えると、彼女は少し困ったような顔をして、バックからルーズリーフとボールペンを取り出した。そしてそれを僕にほおってよこす。僕はそのB5のルーズリーフの隅っこに、自分のフルネームを漢字で書いて彼女に返す。それを見た彼女は少し困ったように口を尖らすと、何もなかったように本の世界へと帰っていった。



 彼女が次に口を開くまでの間、僕は雪がしんしんと降り積もる大地に広がった針葉樹の森林について考えていた。全ての木々はまっすぐ天に伸びていて、その先っぽは削りたての鉛筆みたいに鋭いのだ。僕は想像のなかで空高くからその森を眺めている。雪で化粧をした木々は、僕が知る限りの寂寥感を体いっぱいに表しているようだった。
 僕はしばらく多くの木々のうちの一つを眺めていた。そしてそれに飽きると今度はもっと高くから森林全体を見てみる。この森はずっと先まで広がっていて、それは世界の終わりまで続いているようだった。




「カスミ」
 



 本に出てきた登場人物の名前でも気まぐれに読んだだけだと思っていた僕は、それが彼女自身の名前であることに気づくのにしばらくの時間を要した。
「素敵な名前だね。」
 僕は言った。本当に素敵な名前だと思ったし、それ以上になんて言えばいいか分からなかったし、なにより彼女には僕にそう言わせる何かがあったのだ。
「ありがとう。」
 彼女の声は少し低くて優しくて、不思議と響く声をしている。僕は深くて穏やかな海の底を思い描いた。そこではあらゆる海の生き物が平和に暮らしているのだ。僕は声についても褒めようとしたけど、途中で思いとどまってやめた。
 


 そして僕は、彼女が着ていたインディゴブルーのカーディガンがすごく素敵だったことも言わないでおいた。
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