アメリカ合衆国の重要な州の4つ目として,今回はヴァージニア(バージニア)州を取り上げます。
アメリカ全体の地方と州については,「アメリカ合衆国の地方と州」の記事をご覧ください。
総論
<アメリカ合衆国におけるヴァージニア州の位置>
ヴァージニアは,アメリカ合衆国の南部の大西洋岸に位置する州である。
北米でイギリスによってつくられた最初の植民地であり,アメリカ合衆国の独立時の13州のひとつで,植民地時代から独立後のアメリカをリードした。
南北戦争後には合衆国における地位を落としていたが,20世紀半ば以降に再び発展し,現在ではアメリカ50州のなかで,人口12位,GDP13位と比較的上位の州となっている。
都市・地名
<ヴァージニア州 拡大図>
ヴァージニア州の主な都市・地名としては,イギリス植民地時代に建設された拠点,独立戦争の戦場,南北戦争時の南軍の首都などがある。
ジェームズタウン
ヴァージニア州東部,ジェームズ川の河口付近の島に建設された都市で,イギリスからの植民者が最初に開発した植民地。当時のイギリス王であったステュアート朝の初代王ジェームズ1世の名前に由来する。
ヴァージニア植民地で最初に建設され,この植民地の政治的・経済的な中心として発展したが,相次ぐ火災や疫病のために17世紀末に州都が別の都市に移され,以後は衰退していった。
現在では都市や町は存在せず,歴史的建造物や記念公園のみが存在する。
ヨークタウン
アメリカ独立戦争におけるヨークタウンの戦いの舞台となったヴァージニア州東部沿岸の地。
独立戦争末期の1781年,アメリカとフランスの連合軍がこの地でイギリス軍を迎え撃ち,これが独立戦争におけるアメリカの勝利を決定づけた。
リッチモンド
ヴァージニア州東部の都市で,現在のヴァージニア州の州都。
早くからタバコなどの交易によって栄え,1779年からはヴァージニア州の州都となった。
アメリカ南北戦争期には,南部(アメリカ連合国)の首都が置かれ,戦争末期に激戦が行われたことでも知られる。
歴史
ヴァージニアは,北米でイギリスが初めて建設した植民地で,アメリカ合衆国のもとになった独立13州のなかでも最も早く成立した植民地である。
1607年,イギリスの植民会社によって,現在のヴァージニア州の大西洋岸,ジェームズ川の河口付近にジェームズタウンが建設され,この植民地は「ヴァージン・クイーン(処女王)」と呼ばれたイギリスのエリザベス女王にちなんでヴァージニアと名づけられた。これは,北米におけるイギリスの最初の植民地となった。
当初は植民地の開発にひどく苦戦したが,しだいにタバコなどの農作物の生産が軌道に乗って成長していき,プランテーションのための労働力として黒人奴隷が多数導入された。
また,ヴァージニアでは,1619年に北米植民地で初となる植民地議会が開かれるなど,早くから政治的な自由が重視されていた。
18世紀後半のアメリカ独立戦争の時期には,ヴァージニアは自由を強く求めて本国イギリスに立ち向かい,13州のなかの中心的な州の一つとなった。
ヴァージニアの議員であったパトリック・ヘンリは,イギリスの課税などの干渉に対する抗議運動を主導し,独立戦争の開始直前に「我々に自由を,さもなくば死を」の言葉で知られる演説を行ってイギリスとの対決を唱えた。
そして,独立戦争の終盤の1781年,州東部のヨークタウンで行われたヨークタウンの戦いでは,アメリカとフランスの連合軍がイギリス軍を破り,独立戦争の勝利を決定づけた。
独立達成後の初期のアメリカ合衆国においても,ヴァージニアは国家において主要な位置にあり,政治を主導した。
ヴァージニアは,初代大統領ワシントン,第3代のジェファソン,第5代のモンローなど,初期の合衆国の多くの大統領を輩出し,そのため「大統領の母」という異名ももっている。
1860年代のアメリカ南北戦争の時期には,ヴァージニアは南部における中心的存在となったが,そのために州の分裂や南北間の戦闘に直面することにもなった。
1861年,奴隷制を支持する南部11州がアメリカ合衆国を離脱してアメリカ連合国の結成を宣言するなか,ヴァージニアはこの南部によるアメリカ連合国に参加したが,ヴァージニア州の西部は奴隷制に反対して分離し,ウェストヴァージニア州としてアメリカ合衆国の方に参加した。こうして,ヴァージニア州は,東のヴァージニア州と西のウェストヴァージニア州の二つに分裂することになった。
アメリカ連合国に参加したヴァージニアは南部の中心的な州となり,州の東部に位置するリッチモンドには連合国の首都が置かれた。しかし,それが故に北部からの最大の攻撃目標となり,1865年には北部のグラント将軍と南部のリー将軍との間で最後の決戦が行われ,この戦いで南部が敗れてリッチモンドは陥落し,南北戦争は南部の敗北に終わった。
南北戦争の敗北はヴァージニアに深刻な影響を与え,戦闘による被害にくわえて奴隷制廃止にともなう農業の混乱によって打撃を受け,また合衆国における政治的地位も大きく低下し,国の中心的な州としての地位をすっかり喪失した。
しかし,20世紀半ばの第二次世界大戦頃から,従来からの農業にくわえて,軍需産業などの工業が発展していき,近年はIT産業なども伸びてきている。
こうして,現在のヴァージニア州は,再び経済的に活性化しつつあり,アメリカ合衆国での地位もまた回復してきている。