新課程の世界史(世界史探究)の教科書・用語集で新たに採用された語句を順に紹介していきます。
今回は,近代の東南アジア史のフィリピンのところで追加された「マニラ麻」を紹介します。
マニラ麻は,フィリピン原産の多年草の植物で,主にフィリピンで生産されている商品作物である。
特徴
マニラ麻は,フィリピンではアバカと言い,フィリピン諸島を原産とする多年草の植物である。
名称の「マニラ」はフィリピンの首都マニラに由来し,主にフィリピンで生産されたことからこのように呼ばれるようになった。
繊維が取れることから「麻」という名もついているが,実際には麻とは全く異なる植物で,バナナなどと同じバショウ科の植物であり,見た目もバナナと似ている。
葉鞘が重なりあって茎のような見た目をした偽茎をつくるが,その葉鞘の部分から繊維が取ることができる。
こうして取れたマニラ麻の繊維は強靭で軽く,また耐水性もあるため,天然繊維として有益で,特に,船のロープとして利用され,そのほか漁網や紙などとしても使用される。
前近代
マニラ麻は,ルソン島などフィリピン諸島に古くから生育しており,フィリピンの先住民によって衣服や織物などの繊維製品として利用されていた。
16世紀にスペインの支援で航海を行ったマゼランがフィリピンに到達した後,フィリピンはスペインによって植民地化されたが,これ以降スペイン人も先住民が栽培して利用しているマニラ麻に出会い,知るようになった。
19~20世紀半ば
19世紀になると,スペインがマニラを開港したことによって外国との貿易が発展し,フィリピンでは輸出するための商品作物の生産が促進されたが,このような輸出用作物の必要性を背景にマニラ麻の栽培は発展する。
マニラ麻は外国に輸出するための商品作物として生産・輸出が急速に拡大することになり,砂糖・タバコと並んでフィリピンの三大輸出商品の一つとなった。
19世紀末には米西戦争(アメリカ・スペイン戦争)の結果として,フィリピンはスペイン領からアメリカ領へと移行する。
これ以降,マニラ麻はアメリカへの輸出がさらに増加し,アメリカ植民地時代において砂糖とともにフィリピンの最大の輸出商品となり,フィリピンの経済を支えるとともに,海外で活用された。
20世紀後半から現在
20世紀半ば以降は,病害による打撃や人口繊維の普及もあって,マニラ麻の重要性は下がり,生産はどんどん減少していった。
しかし,1970年代の石油危機によって人口繊維のコストが上がったこともあり,マニラ麻は天然繊維の素材として改めて見直されるようになり,生産はやや回復していった。
現在でも,マニラ麻は主にフィリピンで生産されており,世界全体の生産のうちフィリピンだけで約9割と圧倒的大部分を占めている。
そして,その繊維はロープなどの素材として使用されているほか,また織物・衣服・紙など広い用途で利用されている。