【論点】第4回十字軍の背景・展開・結果(東大2024年第2問⑵⒝・京大2018年Ⅲほか) | 大学受験の世界史のフォーラム ― 東大・一橋・外語大・早慶など大学入試の世界史のために ―

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論点・テーマのポイント


1202年から西欧のキリスト教勢力によって実施された第4回十字軍は,「方向転換十字軍」とも呼ばれるように,十字軍の本来の目的からも目的地からも逸脱したことで知られる。


また,十字軍の全体で見ても,第4回十字軍は十字軍の目的や目的地が変化し始める転換点になった。


このような意味で,第4回十字軍は,「逸脱」や「転換」が特徴であると言える。


大学受験における論点としては,「どのような背景・契機で開始されたのか」,「なぜ本来の目的および目的地から逸脱したのか」,「どこに向かってどのような行動をとったのか」,「どのような結果をもたらしたのか」といった点が重要である。


解説


背景・契機


十字軍は,西ヨーロッパのキリスト教勢力により,聖地イェルサレムをイスラームから奪回することを主な目的として,1096年から開始された。


キリスト教勢力は第1回十字軍で聖地イェルサレムを占領したものの,12世紀後半にアイユーブ朝のサラディンサラーフ・アッディーン)に奪回され,それに対抗して派遣された第3回十字軍もイェルサレムを奪い返すことはできなかった。


こうしたなか,教皇権の絶頂期を築いたことで知られる教皇インノケンティウス3世によって1198年に聖地奪還の呼びかけが発せられたことを受けて,1202年から第4回十字軍が実施されることになった。


問題


この第4回十字軍は,主にフランスなどの西欧諸国の諸侯・騎士を担い手として実施された。

目的地については,今回はイェルサレムを直接狙うのではなく,イェルサレムを支配下に置くアイユーブ朝の首都カイロの方を攻めることに決め,海上輸送は北イタリアの都市ヴェネツィアが請け負うことになった。


ところが,指定の期限になっても集合場所であるヴェネツィアには予定の3分の1程度の人数しか集まらず,輸送のための費用が不足し,ヴェネツィアへの支払いが困難になった。


転換


こうして第4回十字軍が費用をめぐって中止の危機に陥るなか,報酬の確保にくわえて東地中海での商業権益の拡大を目論むヴェネツィアの意向も絡んで,十字軍の目的は逸脱していく。


第4回十字軍 ルート

<第4回十字軍のルート>


まず,ヴェネツィアは,支払いの延期の代償として,ヴェネツィアと対立していたアドリア海沿岸の都市ザラ(ザダル)を攻めることを提案し,十字軍はこれに応じて1202年にザラを攻めて陥落させた。

(※高校世界史では,ザラの征服はレベルを超えるので,書かなくてよいでしょう。)


そして,ちょうどその頃,十字軍のもとに,ビザンツ帝国の先代の皇帝の王子であるアレクシオス4世からの援助の要請が届いた。

当時のビザンツ帝国では皇帝の一族の間で帝位をめぐる内紛が起こっており,先代の皇帝がクーデタで廃位されていたが,その廃位された皇帝と王子が十字軍に救援を求めてきたという経緯である。

ここで,十字軍とヴェネツィアは,アレクシオス4世を支援して得た報酬を費用に充てることを意図し,ビザンツ帝国の都コンスタンティノープルを攻めることを決定する。


1203年,十字軍とヴェネツィア海軍はコンスタンティノープルを攻撃して勝利し,狙い通りにアレクシオス4世をビザンツ帝国の皇帝にすることに成功した。

ところが,当時財政難に陥っていたビザンツ帝国は十字軍に約束の報酬を支払うことができず,このため十字軍とビザンツ帝国の関係は悪化していく。

そして,結局は両者の関係は決裂し,1204年に十字軍はビザンツ帝国を征服することに踏み切り,包囲戦を経てコンスタンティノープルを陥落させることになった。


第4回十字軍によるコンスタンティノープルの征服

<第4回十字軍によるコンスタンティノープルの征服>


(※高校世界史の説明でしばしば聞かれる「ヴェネツィアが商業のライバルであるビザンツ帝国のコンスタンティノープルの占領を要求した」という説明は厳密にはやや語弊があり,実際にはこのように報酬を求めて介入した後のなりゆきで征服するかたちになったという面が大きいとされます。ただ,受験の論述問題では深入りする必要はないでしょう。)


結果


こうして1204年にビザンツ帝国はいったん滅亡し,それを滅ぼした十字軍勢力はラテン帝国という国家を樹立し,フランドル伯ボードゥワンがその皇帝の地位についた。

ラテン帝国はさらにビザンツ帝国領の征服を進めていき,その領土の多くは十字軍に参加した諸侯・騎士やヴェネツィアによって分割された。


なお,教皇インノケンティウス3世は,一時は十字軍の逸脱に怒って破門までしたが,まもなく破門を解き,さらにコンスタンティノープル征服の知らせを聞くとキリスト教の東西教会の統一の打算からこれを容認した。

そして,ラテン帝国では,ローマ・カトリック教会によってギリシア正教会を統合する動きが進められた。


意義


このように,第4回十字軍は,聖地奪還の目的から逸脱して,領土の征服や商業の権益を目的とするものに変化し,宗派が異なるとはいえ同じキリスト教国であるビザンツ帝国を征服する結果になった。


また,目的地についても,もとからイェルサレムではなくエジプトを目指していたという点でそれまでの十字軍とは異なっていたが,さらに方向転換してコンスタンティノープルへと向かうことになった。


このように,第4回十字軍は逸脱や転換が特徴であり,11世紀末から13世紀末にかけて実施された十字軍の性格が大きく変化する転換点になったと言える。


このテーマと関連する大学入試過去問

東大

  • 2024年第2問⑵⒝ 「ラテン帝国の成立の経緯」 <論述>

京大

  • 2018年 Ⅲ 「十字軍の性格の変化と影響」 <論述>
  • 1998年 Ⅳ A 問⑼ 「第4回十字軍の遠征の経過と背景」 <論述>

早稲田

  • 文学部 2024年 Ⅲ 設問4「第4回十字軍」 <選択>