ヒジャーズ鉄道 | 大学受験の世界史のフォーラム ― 東大・一橋・外語大・早慶など大学入試の世界史のために ―

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新課程の世界史(世界史探究)の教科書・用語集で新たに採用された語句を順に紹介していきます。


今回は,20世紀初めのオスマン帝国で建設された「ヒジャーズ鉄道」を紹介します。


ヒジャーズ鉄道 地図

ヒジャーズ鉄道は,20世紀初めにオスマン帝国によってシリアからアラビア半島のヒジャーズ地方にかけて建設された鉄道である。


背景


19世紀のオスマン帝国は帝国領内の民族運動とヨーロッパ列強の干渉によって動揺していたが,こうしたなかで1876年に即位したスルタン・アブデュルハミト2世は,制定されたばかりの憲法を停止して専制政治を行い,スルタンの権力を強化しつつ帝国を再建することをはかった。


そのような政策の一環として,アブデュルハミト2世は,ムスリムの支持を得るとともにアラブ地域の支配を強化することを意図して,イスラームの聖地メッカおよびメディナの位置するアラビア半島西部のヒジャーズ地方へとつながる鉄道の建設を計画した。


建設


1900年,アブデュルハミト2世は,聖地への巡礼を助け促進することを唱えて,ヒジャーズ鉄道の建設を決定した。


建設の費用はオスマン帝国の国庫から支出するほかに世界中のムスリムへと寄付を呼びかけて集め,ドイツの技術や資本の支援も受けて急ペースで工事を実施し,1908年にメディナまでのルートが開通した。


この鉄道は,総延長約1300kmで,シリアのダマスクスからアラビア半島・ヒジャーズ地方のメディナまでを結んでおり,さらにこの後にメディナからメッカへ延長することが予定されていた。


ヒジャーズ鉄道は聖地へと向かう多くのイスラームの巡礼者を乗せて運行するようになり,このため巡礼鉄道とも呼ばれている。


その後


ヒジャーズ鉄道は,さらにメッカまで延伸される予定で,オスマン帝国とスルタンの権力に寄与することが期待されていたが,しかし,それらはオスマン帝国の内外の情勢のために実現しなかった。


ちょうどメディナまでのルートが開通した1908年に,オスマン帝国では青年トルコ革命が起こり,翌年にはアブデュルハミト2世が廃位され,このために鉄道の延長は停止することになった。


そして,1914年から第一次世界大戦が勃発すると,アラブ人のオスマン帝国に対する反乱を支援したことで知られる,「アラビアのロレンス」ことイギリス人将校のトマス・エドワード・ロレンスの提案によって,鉄道はアラブ軍によって破壊されてしまった。


第一次世界大戦以降にオスマン帝国からアラブ諸国が独立していった結果,ヒジャーズ鉄道の路線はシリア・ヨルダン・サウジアラビアの国境によって分割され,それぞれの国の管理下に置かれることになった。


その後,ヒジャーズ鉄道を再建する計画も持ち上がったが中東戦争などの現地の情勢のために立ち消えになり,現在は一部の区間で路線が利用されているものの多くはいまだ放棄されたままになっている。