2022年9月22日,財務省と日本銀行によって,円安の進行に対する為替介入を実施することが発表されました。
日本の政府・中央銀行による為替介入は約10年ぶりで,円安に対する介入としては24年ぶりとなります。
今回は過去に行われた為替介入のうち,最も有名な為替介入であるプラザ合意を取り上げます。
プラザ合意は,1985年にニューヨークのプラザホテルで先進5カ国によって決定された,ドル高是正のために為替介入を行うことを決めた合意である。
背景
アメリカ合衆国の経済は1970年代から不振になっていたが,1980年代になると財政収支と貿易収支の両方が赤字となる「双子の赤字」の状態に陥り,世界最大の債務国に転落した。
当時は,アメリカの産業が低迷する一方で日本や西欧諸国の輸出が伸びており,しかもアメリカからの輸出にとって不利なドル高の状態が続いたため,アメリカの貿易赤字が拡大を続けていた。
このように貿易赤字に苦しんでいたアメリカは,1980年代半ば頃になると,貿易収支を改善するためにドル高の是正を求めるようになった。
経緯
1985年9月,アメリカ・ニューヨークのプラザホテルで,G5と呼ばれる米・英・仏・西独・日の先進5カ国の蔵相・中央銀行総裁会議が開催され,この為替をめぐる問題について議論が行われた。
この会議では,貿易の不均衡の是正のために為替を調整する必要があり,そのために各国が協調するということについて合意がなされた。
そしてこの合意を受けて,ドル高を是正するために5カ国が協調してドル安に誘導するための為替介入を実施することが決まった。
結果
プラザ合意の結果として,円などの通貨に対して急速なドル安が進行することになった。ドル/円レートについてみると,プラザ合意直前には1ドル約240円であったのが,2年あまりたった1987年末までには約120円に到達するなど急激な円高ドル安が進んだ。
この結果,アメリカはドル安のために貿易収支の面で有利になって1988年頃から貿易赤字が減少に向かったが,それでも依然として双子の赤字の状況は続いた。
一方,日本は急激な円高のために一時的に円高不況に陥ったが,円高を利用して欧米や東南アジアなどへの海外投資を拡大していった。
このプラザ合意は,為替相場の急激な変動による弊害ももたらしたが,各国の協調のもとに為替を調整しようとする初の試みであり,為替政策のうえで画期的な出来事となった。