ラーマ5世(チュラロンコン) | 大学受験の世界史のフォーラム ― 東大・一橋・外語大・早慶など大学入試の世界史のために ―

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ラーマ5世

<ラーマ5世>


ラーマ5世チュラロンコン)(1853~1910年)は,タイのラタナコーシン朝の第5代国王である。


ラーマ5世は,幼名はチュラロンコンといい,1853年にタイのラタナコーシン朝チャクリ朝)の第4代国王ラーマ4世の皇子として生まれた。西欧の学問に精通した父の意向により,宮廷においてヨーロッパ人の教師たちから西欧式の近代的教育を受けさせられ,豊かな教養と進歩的な知識を身につけながら育った。

1868年,父ラーマ4世とチュラロンコンは日食の観測のためにマレー半島への旅を行ったが,この際に父子とともにマラリアにかかり,このために父はまもなく死去し,チュラロンコンも重体に陥ったがかろうじて命をとりとめた。こうしてラーマ4世が死去したことを受けて,チュラロンコンは15歳の若さで新王として即位し,ラーマ5世と名乗ることになった。


国王となったラーマ5世は,国内では政治の面でも社会の面でも古い体制が続き,対外的には列強による進出が行われるという危機的な状況のなかで,王室と国家を守るために自身の主導によって精力的に近代化や外交を進めていった。

国王は,西欧をモデルとして国家の本格的な近代化に取り組んだ。まず,中央集権体制の確立に取り組み,中央および地方の行政機構の再編を断行し,徴税制度の整備も行った。また,裁判制度を整備するなど司法の改革を実施し,徴兵制を導入するなど軍の改革も実行した。そのほか,学校の設立や奴隷制度の漸次廃止など社会面でも重要な改革を実現している。このような国王の指導のもとで行われた改革はチャクリ改革と呼ばれている。

一方,対外的には,イギリスとフランスの両国によるタイへの進出が激化しており,国王はそれに対する対応に迫られて,国王は外国人の顧問らの助言も得ながら困難な交渉を行った。その結果,多くの領域について宗主権の放棄や領土の割譲を認めるなど苦しい譲歩を強いられたが,それでも治外法権の一部撤廃に合意し,また国土の中核部分を守って,国家の独立を維持することに成功した。


このように40年以上に及ぶ在位期間にわたって近代化と外交に力を尽くした後,1910年,ラーマ5世は病気のために57歳で死去した。

ラーマ5世は,多くの改革を実現して近代的国家体制を築き,また巧みな外交によって領土と主権を守って東南アジアのなかで唯一独立を維持した。こうしてラーマ5世は近代のタイの基礎を築き,タイ史上の最高の名君として現在にいたるまで国民から敬愛されている。