テノチティトランは,アステカ人によってメキシコ高原に建設された,アステカ帝国の都が置かれた都市である。
成立
テノチティトランは,アステカ帝国を築いたアステカ人によって建設された。
アステカ人は,北方の狩猟民族の一派であったと見られるが,14世紀初め頃にメキシコ高原のメキシコ盆地に移動してきて,ここを拠点として国家を形成した。
言い伝えによれば,14世紀前半,彼らは神託を受けてメキシコ盆地に存在したテスココ湖のなかに浮かぶ島を都として定め,その島の上に都市を建設したという。この湖上の島に築かれた都市がテノチティトランである。
繁栄
15世紀からアステカ人は征服活動を展開して16世紀初めまでに全メキシコを制覇して強大な帝国を築いたが,アステカ帝国の発展にともなって首都テノチティトランは大いに繁栄した。
都市の中央部には壮麗な石造の神殿や王宮が立ち並び,周囲には居住区が存在し,多くの広場もあった。人口は最盛期には20万にも及び,商取引が活発に行われ,また帝国各地から貢納物が運ばれてきたという。
崩壊
このようなアステカ帝国とテノチティトランの繁栄は,ヨーロッパ人の到来によって,突然に終焉を迎えることになった。
15世紀末のコロンブスのアメリカ大陸到達以後,スペイン人がアメリカにやってきたが,そのうちの一人であるフェンナンド・コルテスはアステカ帝国の征服を狙い,武器や戦略によってアステカ帝国を追い詰め,1521年にテノチティトランを陥落させて帝国を滅ぼした。この結果,テノチティトランは徹底的に破壊されて,その上に新たにスペイン風の都市が建設されたが,これが現在のメキシコシティである。
こうしてテノチティトランはその姿を消すことになったが,新たに築かれたメキシコシティの下で静かに眠りながら,現在でもメキシコの中心であり続けている。