<朱熹>
<陸九淵>
鵝湖の会(がこのかい)は,中国・南宋の時代の1175年,江西省の鵝湖寺で,思想家の朱熹と陸九淵によって行われた討論会である。
朱熹と陸九淵
朱熹は南宋の時代の儒学者で,北宋の周敦頤や程顥・程頤の学問を受け継ぎ発展させて宋学(朱子学)を大成した人物である。彼は,世界は「理」と「気」によって成り立っているとする理気二元論を前提に,人間の心を本性である「性」とそれが動いた「情」に分けたうえで,「性」こそが「理」であるとする「性即理」の考えを唱え,人格の修養や学問の研究を通じて「理」に到達すべきことを説いた。
一方,陸九淵は同時代の儒学者で,北宋の程顥の影響などを受けつつ主観的唯心論を提唱した人物である。彼は,「理」は人間や万物と一体であるという一元論を前提に,人間の心を「性」と「情」というように分けることなく渾然一体のものとしてとらえ,「心」がそのまま「理」であるとする「心即理」の考えを唱え,人間の心を重視して「理」に至ることを説いた。
この二人の哲学は,宇宙・人間の本質を追求することや体系的・思索的であることなど多くの共通点を有していたが,同時に,「理」と宇宙・人間との関係について根本的な相違が存在し,それを背景に人間の心に対する見方や「理」へと至るための方法について大きな隔たりが生じてくることになった。
鵝湖の会
朱熹と陸九淵は,互いに学者として認め合っていたものの,思想の内容については鋭く対立した。このような二人の思想的対立を前に,彼らの共通の友人であった学者の呂祖謙は仲介に乗り出し,これによって両者の会見の場が用意されることになった。
1175年,江西省の鵝湖寺において朱熹と陸九淵は対面し,弟子や学者たちが見守るなかで討論を行った。二人はそれぞれ自説を展開したが,世界観についても方法論においても意見は真向から衝突し,陸九淵が朱熹を支離滅裂と批判すれば朱熹は陸九淵を空虚と返すといった有り様だった。議論は三日にわたって繰り広げられたが,結局,意見の一致点は見出だせなかった。
こうして,朱熹と陸九淵の討論はもの別れに終わった。しかし,このように当代最高の学者同士が顔を合わせて論戦を行ったのは稀有のことであったし,二人の論争は宋代から明代にかけて思想界を二分する理学と心学の対抗関係を象徴する事件にもなった。これにより,この鵝湖の会は,中国思想上において空前の意義をもつ出来事となった。