<内戦に参加するメキシコの人々>
<自由派の代表ベニト・フアレス>
「レフォルマ戦争」(メキシコ内戦/メキシコ内乱)は,1857年から,メキシコで,改革(レフォルマ)をめぐる対立を背景に,自由派と保守派の間で繰り広げられた内戦である。
自由派政権と「レフォルマ」
1821年にスペインからの独立を果たしたメキシコでは,アグスティン・デ・イトゥルビデを皇帝とする帝政を経て共和政に移行し,1830年前半からはアントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナが保守派と結託して独裁を続けたが,1854年にはベニト・フアレスら自由派の勢力がサンタ・アナの政権を打倒して権力を掌握した。
政権についたフアレスたちは自由主義改革を矢継ぎ早に実行していき,教会から世俗の権限や財産の没収などを定める法律を制定し,また1857年には新憲法を成立させた。このような自由派によって行われた一連の改革は,「レフォルマ」(「改革」の意)と呼ばれる。
「レフォルマ戦争」
このような自由派によるレフォルマに強く反発した保守派の勢力は,1857年末に蜂起を開始し,自由派政権を崩壊させて権力を掌握し,1857年憲法も廃止した。しかし,最高裁判所長官の地位にあったフアレスはメキシコ湾沿岸のベラクルスに逃れ,自身が大統領に就任することを宣言して抗戦を行った。
この結果,メキシコでは,首都メキシコシティを中心に内陸部をおさえた保守派と,ベラクルスを中心に沿岸地帯をおさえた自由派の間で,内戦が繰り広げられることになった。この戦いは,「レフォルマ戦争」(メキシコ内戦/メキシコ内乱)と呼ばれる。
戦闘は序盤は保守派の優位のもとに進んだが,まもなく自由派が反撃に転じ,1861年には首都も奪回した。しかし,保守派による抵抗はなおも続き,さらにフランスを中心とする外国の干渉が開始されて,メキシコは引き続き戦火に包まれることになった。