ミケーネ(ミュケナイ)<ミケーネ文明>の地図と歴史 | 大学受験の世界史のフォーラム ― 東大・一橋・外語大・早慶など大学入試の世界史のために ―

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ミケーネ(ミュケナイ) 地図

ミケーネミュケナイ)は,ギリシア本土のペロポネソス半島東北部に存在した,ミケーネ文明時代のミケーネ王国の都である。

ミケーネ文明

ギリシアでは,紀元前1600年頃から,ミケーネティリンスピュロスなど本土の各地で小王国が成立し,これらを核としたミケーネ文明と呼ばれる青銅器文明が形成された。

このミケーネ文明は,城壁の存在,副葬品中の武器,土器に描かれた戦士の絵などから,クレタ文明とは異なって,戦闘的な文明であったと推定されている。また,イギリス人のマイケル・ヴェントリスによって解読された線文字Bの文書からは,王が役人を使用して貢納や分配を管理する体制が敷かれていたことがわかり,専制的王権が成立していたと考えられている。

ミケーネ

ミケーネ文明を代表する王国が,その文明の名の由来にもなったミケーネである。

1870年代,ホメロスの詩を歴史的事実と信じたドイツ人のハインリヒ・シュリーマンは,トロイアに続いてミケーネの地の発掘に取り組み,ここで墓と黄金製の装飾品などの豪華な副葬品を発見し,これによってミケーネ文明の実在が明らかになった。

ミケーネ文明の盛衰

ミケーネをはじめとする王国は,それぞれ独立した小王国であり,互いに抗争しつつ海上交易を基盤として発展し,前14世紀頃に全盛期を迎えた。ミケーネ文明の人々は,ギリシア本土やエーゲ海の諸島はもちろん,さらにはエジプト・イタリア・スペインにいたるまで,地中海全域にわたって活躍したと考えられている。

しかし,前1200年頃,ミケーネなどの宮殿は破壊され,王国は崩壊した。王国崩壊の原因は,ドーリア人や「海の民」などの外敵の侵入によるものか,あるいは国内の問題や気候の変動などによるものか,いまだ判明していない。いずれにしても,この頃にミケーネ文明は崩壊し,それとともに線文字Bも忘れられ,ギリシアはいわゆる暗黒時代へと入っていくことになる。

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