振り返ったときに思った。

彼女と飯を食いに行きたい。多分そこがキューバでなくて日本でも、同じことを思っただろう。

同時に、とても気になることがあった。
でもどうして、しかも多分一人で彼女はキューバに来てるんだろう。
多分、いや間違っても僕みたいに何となく来ているって訳ではないと思うから。

キューバには人を惹きつける魅力が、それだけ多い。
サルサに代表される音楽、カストロやチェによる物語のような革命の歴史、前衛的なアート、社会主義システムなどなど。
個々の事象だけでも、十分に魅力的なのにこの国はその全てを内包している。

ルンバを十分に楽しんだ僕は、余りの暑さと照り返す日差しで喉がカラカラに渇いていた。
思えば、空港を出てから何も食っていない。当然、無茶苦茶腹も減っていた。

僕は飯を食うためそこを離れた。当たり前だけど、その子も誘った。

マレコン通りという、ハバナを代表する海岸線の大通りに面したオープンテラスで僕はビールを頼んだ。
太陽が容赦なく照りつけ、どうしようもなく暑いときに飲むビールはほんとにこの上なく美味い。

僕は旅先で色んな人と話すのが大好きだが、日本人だって例外ではない。お互い言語が同じだから意思疎通はスムーズに行えるし、同じ旅人という視点からその国、今回ならキューバについての想いや楽しさを共有することが出来るから。

話していて驚いたのは、彼女はキューバ2度目で、しかもこの界隈のクラブのその日の出演バンドまで日本で調べてきていたこと。僕が見たルンバも、彼女はチェック済みだったらしく、どうも日曜のみに行われるフリースタイルの有名なライブだったらしい。
筋金入りのサルサ好き、いやキューバ好き。

日本ではめったにこんな女の子にはお目にかかれないので、話しているだけでも無茶苦茶楽しかった。
それは、合コンでの楽しさとはまた全然別物で、多分お互いの趣味趣向について理解しあえる楽しさなんだと思う。

ともあれ、僕らは数時間だべった後店を出て、ふらふらと適当に歩き出した。

裏道を抜け、人の生活臭がぷんぷんする路地を歩き、また裏道へ。そんな時、生のルンバが聞こえてきた。しかも今度は、人の家っぽい所から。
いや、分からない。というのも、キューバでは日本の家ように玄関なんかがあるわけではなく、ドアを開けたらいきなり部屋なのでそれが店か家かの識別が難しいのだ。

僕らはその店か家かよく分からない建物の中を覗き込んだ。
案の定、人の家だった。

日本で言えば、勝手にドアを開けて侵入し、部屋にずかずかと上がりこんだようなものである。

5分後、僕らは家の人たちや家族、親戚なんかとノリノリで踊っていた。
昼からはぶらぶら街を歩いてみることにした。
街を歩くと、それだけで沢山の発見がある。
これもその一つ、何とキューバには広告というものが全くない。

考えてみればまあ当然なのだが、社会主義国であるキューバには広告など必要ないのだ。
そう考えると、広告であったりコマーシャルであったりがいかに人々の購買意欲、かつ企業の売る戦略として根深いかよく分かる。

当面の僕の問題は、広告が全くないため目印が皆無に近く、かつ建物が皆同じような感じなので直ぐに道に迷ってしまうことだが。

取り敢えず、中心街に来ても全く中心街の感じがしないのである。中心街でも、一本道をずれれば、洗濯物を干していたり、子供が野球に興じていたり、大人がドミノを路上で楽しんでいたりと一気に生活臭が漂う。
これが、どの国とも違うキューバの街の個性なのかと思う。

そのときは地図もろくに持っていなかったので、当てもなくふらりふらりと裏道を、気分のままに歩く。

そんなこんなで歩いていると、一際大きなルンバの生演奏が聞こえてきた。
音楽が聞こえる方へ耳を頼りに歩くと、ルンバの生ライブと出くわした。地元の人間もこの狭い裏路地に大勢集まっている。

ライブを見ていると、色んな連中から声をかけられる。
大体胡散臭いヤツばっかりで「オレはロスバンバン(キューバでとてもポピュラーなサルサバンド)の…と友達だ」とか「日本の…と一緒に演奏をしたことがある」とか。
そして、酒をおごってくれとたかる。

まあこういうのも楽しみの一つなので、僕は彼ら彼女らとダベりながら軽く踊り、ルンバを見ていた。
周りのキューバ人ももうノリノリ。皆楽しそうに音楽に乗って腰を動かしている。そして皆一様に上手い。
彼らのダンスの上手さはきっと先天的なものだと思う。

僕もルンバに夢中になり踊っていた。そんな時、後ろから声がした。

「日本人の方ですか??」

振り返ると日本人の女の子がいた。
キューバで日本人に会うことにも驚いたが、それ以上に僕と同い年くらいの女の子だったことに驚いた。
俄然テンションが上がった。
しばらく放置していたので続きを。

僕は海に向かった。
と書くと、まるでものすごい遠いところに行くようだが何のことはない、五分も歩けばもう海岸線に到着した。

海は信じられないくらいキレイだった。
正確に言うと、海そのものというより、防波堤から見える景色一面がとんでもなく綺麗なのだ。勿論、海自体もとても綺麗だ。
緩やかなカーブを描き、遠く続く海岸線。クラシックカーが通り抜ける大通り。遠く先にはかつての要塞が見える。

防波堤にすわり、30分ほどぼけっとした。
特に何をするわけでもない。ただぼけっと座り込み、瞬間的に思いつくことを色々考えてみた。大体こういうときに頭に浮かぶことなど大したことはないので、往々にして浮かんではすぐに消える。

うだうだしていたら日射病になりそうなくらい頭が暑くなってきたので、僕はそこを離れることにした。

そう、大事なことをこのとき思い出した。
両替をしないと、今日の飯すらままならないのだ。
多少のキューバ・ペソはあるが、ほんとに微々たる額。
以外かもしれないが、キューバは物価が決して安くはない。寧ろ、高い。これはこの国の複雑な状況に起因している。

両替できるところを探しに、あらゆるホテル、両替所、色んなところを探し回った。
しかし丁度日曜日。しかもドルやユーロではなく円での両替ということもあり、ことごとく出来ないと言われ続けた。
仕方なく、かろうじて手元にあった50ドルを両替した。
その後も探し回ったが、どこも受け付けてはくれなかった。
まさかキューバで、しかも今回はいつもの旅行と違い沢山お金を持ってきたのにお金に難儀することになるとは…。
僕は円を持ってきたことを後悔した。
そして、思った。「円よ、もっと強くなれ」
タクシーはありえない速度で、だだっ広いだけの道を疾走している。

運ちゃんはしきりにスペイン語でオレに話しかけてくる。
が、オレは何を言っているのか1%も理解できない。
それでも尚、話し続ける。

景色は田舎から、少しづつ建物がある感じへと変わってきている。

タクシーに乗ること30分、目的地に到着。
眼下に広がる大きな通りと、その先にある海。
日曜の朝ということもあり、街は人通りもまばらで、静かだ。

取り敢えず、今夜の寝床を探さないといけない。
まあ周りには沢山ホテルなんかはあるんだけれど、僕のスタイルとホテルってのはどうにも相性が悪い。

大体こういう場合、でかいバックパックを担いでいる僕に、カサを知っている人が声をかけてくるもんだ。

カサとは…って思った人も多いと思うから少し説明すると。
スペ語で「部屋」と訳される。まあ民宿みたいなもの。個人の部屋を一室借りたりして泊まる。ホームステイな感じなカサもあれば、ただ貸してるだけといった感じまで様々。

案の定、早速声がかかってきた。
「どこに泊まるんだ」と
僕は答える「決めてない、いいカサを知らないか??このあたりで」
こんなやり取りで、近くのカサに連れてきてもらった。
一晩30ドル。ちょっと高いが、お湯も出るし、部屋も広い。何よりカサのオーナーがとても親切そうなおばあちゃん。
僕はここに決めた。料金の後払いもOKとのことだし。

キューバコーヒーを飲みくつろぐ。

ここのオーナー、マリアばあちゃんもタクシーの運ちゃんと同様、ひたすら話しかけて来るのだが、悲しきかな全く理解できない。旅の指差しスペイン語帳がここでようやく役に立つ。

「年はいくつだ??」とか、「キューバはとても暑い、日本は??」とか「結婚はしてるか??」とか。
他愛もない会話だけど、結構楽しい。

コーヒーを飲み、一息ついたところで僕は外へ出ることにした。

海が見たかった。

そう、暫く考えた。

まあ選択肢は2つしかない。朝になるまで空港で寝て待つか、それともこのまま街へ出るか。

取り敢えず、空港で寝て、翌朝から動き出すことにした。
決定的要因は、金がなかったこと。僕は殆ど日本円でお金を持っていたのだが、空港で両替が出来なかった。よって、その場凌ぎの金しか持っていなかった。
よくよく考えると、宿代を前払いで払える可能性がゼロに近かったのである。

深夜の空港、適当なベンチを探し、横になる。
もうこれは発展途上国の性なのかもしれないが、やたら冷房が効いて寒い。
この国はアジア人がとにかく珍しいので、やたら見られる。

まあ、体は疲れていたのか横になるとすぐ眠りについた。


翌朝五時、体の震えで目が覚めた。
過度に効いた冷房に完全にやられてしまったようだ。

仕方がないので空港を出て目の前の道路で寝た。
まだ眠かったし、空港内は余りに寒すぎたから。

7時半過ぎ、タクの運ちゃんに起こされた。
「どこへ行く」

僕は答えた「ハバナ新市街、ベタド地区まで」

それから少しの料金交渉を行い、タクシーは街中へ向け走り出した。

テンションが少しずつ、上がってきた。
何故キューバにしたのかと、今自問自答しても中々答えは見つからない。

どういうわけだか、僕の中ではずっと憧れの国だったし、どこか素敵なイメージがある、そして特別な国だった。

それは「社会主義」であったり「キューバ革命」であったり「サルサ」であったり「フィデル・カストロ」であったり。

「陽気な人々、熱い陽射し」そんなイメージも僕の気持ちを助長した。

上手く説明するのは難しいけど、今行かないといけない気がしていた。

「フィデルが死んだら、国が変わるかもしれない」今しかない。

衝動で決めた旅行だった。

さて、日常に追われ、その衝撃や感動、楽しかった思い出を少しでも形に残すべく、今回の旅行を振り返ってみようと思う。

コンチネンタル航空06便は、予定時間通りに轟音を立てヒューストンへ向かった。
僕はいつもギリギリにチェックインするのだが、何と今回は最後の一人だったようだ。そうカウンターのお姉さんが教えててくれた。

成田からヒューストン、ヒューストンからカンクン、カンクンからハバナに乗り換えるにつれ、日本人は減っていった。日本人というより、人が減っていった。

今回使ったコンチネンタル航空の飯はまずかった。
今まで使ったどの航空会社の機内食よりも。
いかにもアメリカの航空会社という感じだった。
アルコールを頼むのに、6ドル払わないといけないことには驚いた。

ヒューストンまでおよそ12時間、トランジットで2時間、ヒューストンからカンクンまでまた2時間、そしてトランジットを挟みハバナまで2時間。

行くだけで18時間もかかっていることに気付き、遠いところまで来たという実感が湧いた。そう、日本はもう翌日の朝なのだ。

キューバの首都、ハバナに着いたのは夜だった。
むせ返る匂い、イメージする南国の甘くてどろりよしたような。
税関や入国審査は、思っていたほど厳しくなく、あっさりしたものだった。

いよいよキューバ入国の一歩を踏みしめる。
思えば、いつもこの瞬間から、旅行が始まったという高揚を感じる。そう、ついに。

入国審査を終えると、カンクンーハバナ間の同じ便に乗っていた人は、次々と出迎えやタクの運ちゃんに連れられ、いなくなっていった。

時間は大体夜11:30。さて、どうしようか。

僕は暫く考えた。
キューバは楽しかった。

本当に、ただただ楽しくて仕方なかった。

人は皆、一様に陽気で、そしてダンスが上手かった。

アジア人に対しても、とても親切だった。

笑顔が素敵な国だった。

どこかの国の報道で言われているような危険な国では全くなかった。

時間がもっとあればいいのにと、心から思った。

一日はゆっくりと過ぎ去り、あっという間に旅は終わった。

また行きたいと思う。

それまで今暫く、この想いは眠らせておく。

決して忘れることなく。