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ににとみるくの日記

コーギーのみるくとパパ(にに)の日常をつれずれなるままに・・・たまにカメラや無線のことも

昨日書いた記事が消えてしまったなぁ。なんでかな???
怒りの記事だったので、削除されてしまったのか???よくわからん.

今日はとってもラーメンの食べたい一日だったけど、昼食が上司と同席になってしまったためにお気に入りのラーメン屋に行けなかった・・・ショック!

それにしても暑い。このままでは体を壊しそうだ。ただでさえ暑さには弱いので、かなり堪える。
大阪で行われる世界陸上で,体調を崩す人が出るのではと心配してしまうが、そんなのは私だけ?

各企業ともISO14001認証を取得し、環境に配慮していることをアピールするために冷房を弱めたり、エレベータの運転を間引いたりしている。時代の流れであり、そうしないことで社会やマスコミからの非難を浴びる現状では、致し方ないところなのだろうと理解している。


私自身、以前より環境関係の役目を会社の中で負わされており、科学者の端くれとしてその研修等を聞く中で数多くの疑問があった。その疑問をぶつけてみると、講師(14001の審査組織の方なのですが?)いわく、「実現可能なことだけでいいのです。経済活動を縮退するようなことはする必要がありません。14001は努力目標であり、環境に配慮するという姿勢と仕組みがあることを重視しています」とのことだった。つまり、実効は伴わなくてもよくて、やろうとする心意気だけあればよいといっているわけです。この人たち、本当に環境を守らないといけないという意味がわかっているのか、疑問がさらに膨らんでしまいました。


私の住む町でも分別回収を行っています。以前、開始前のモデル地区に選定されてしまった際に環境局の方が言った説明で、「プラごみはプラスティックの回収を行うものではなく、容器・包装プラという、業者にお金を出させているものだけ処理系を分けるために分別が必要なのです」という説明がすべてを物語っています。自治体も企業も、プラスティックのリサイクルなんて考えておらず、単にお金のやり取りを説明できる方便を作ろうとしているだけなのです。


さらに、ごみの分別が進んだために、一般ごみに含まれる可燃物、特に高カロリーな物質が少なくなってしまったために、結果として焼却炉の温度が上がらず、燃焼が悪くなるほか、「噂の」ダイオキシンが発生するというころで従来使用しなくても問題なかった重油を投入して炉の温度を上げているとのこと。それならなぜペットボトルを燃料として入れないのか?(最近、少し入れているらしいですが、分別をさせている手前公表したくないらしい)とわけのわからないことばかりです。


環境活動は常に「善」であると疑わない人には、是非この本を一読してもらいたいと思います。書いてあることを信じるか信じないかは読み手次第ですが、少し科学をかじったことのある人ならば納得のいく内容が書かれていると思います。それでも環境活動が善であるというのであれば一向に構わないと思いますが、人に広めるときには盲目的に膳であると広めないでもらいたいものです。


お勧めの1冊です。

いろいろあって、まったく更新しない「放置状態」のブログではありましたが、再開することにしました。

過去の記事を消してしまおうか?とも思いましたが、それはそれとして残すのもいいか?と考え直して、そのままにすることにしました。


休止している間に、さらにカメラは増えたし仕事は変わったしと、いろいろ変化がありました。歴史に対する興味が新たに起こって本を読みまくったし、無線もそこそこに・・・。


ということで、どれだけの読者がつくかはわからないけど、お付き合いのほどを。

ついに買ってしまいました。といっても、D2Xも発売開始された今、何で今更って感じかも知れませんが・・・先立つものがないんです。

ニコンのデジタルSLRで非CPUレンズが使えるのは、いわゆる一桁機しかありません。D30を持っている身としては、275万画素のモデルを買う気にはなれず、D1Xの値下がりをずっと待ってました。

これから使用感や使用上のコツを順次書き込みます。
竹島問題で日韓関係が揺れている。

別にどこかの掲示板にいる「嫌韓厨」ではないのだが、それにしてももっと緊張した関係があっても問題はないのではないかと思う。

どちらの国も自分の領土だと主張している。歴史的根拠をきちんと示しているのは日本側だけだが。さらに、音便に話し合いでもできる環境があれば別だが、国際司法裁判所に韓国はでてこないで、それどころか武力を常駐させ実行支配という手段で既成事実を作ろうとしているのである。島根県議会が危機感を持ったのも当然である。

国際関係、特に近隣諸国との関係は国境問題を避けて通ることはできない。日本は玉また海で隔てられているためあまりシビアな思いをしていないが、世界的には隣国とは緊張関係にあるのはある種常識である。だからこそ、仲良くやれども常に緊張し、主張するところは主張し、自国の国土を守るのである。小泉さんの言う、「友好が基本ですから・・・」などというのは、戯言である。もし隣の家がいつの間にか自分の家にゴミ箱をおいてきて、あげく「仲良くしないのなら、ゴミをぶちまけるぞ」と言われても、笑って仲良くできる人がいるだろうか?

国土の保全は国を存続させる根幹の問題である。今度の日本政府の出方を見守りたい。対応次第では日本を見捨てることになろう。
忙しかった。本当に忙しかった。

たぶん今だって状況は変わっていない・・・でも、人の結果を待つ間の一時の真空地帯ができた。

忙しいと物を買いたくなる。おかげでデジカメが増えた。これについてはいずれここに書こう。
今年の風邪はなかなかしつこい。かれこれもうすぐ1ヶ月になるが、まだ咳が抜けない。しかも、抗生剤をたんまり飲んだ副作用で、カンジダ菌とやらにやられて、ちょっと人には説明しにくい病気にまでなってしまった。

と、ここまでは普通に病気。実はそれ以上にやっかいなのが私の精神。どうも今年に入ってから前向きな考え方ができない。将来は不安になるし、自分に対する自信は壊滅。風邪もひどかったし、喘息気味になるしと気弱になる要素はあったけど、ちょっと異常。やっぱそろそろ精神科にかかるべきか?などと考えることしきり。

徐々に復活できるように何とかしよう・・・と思うが、できるか??

次回は「今年の抱負」かな?
「また別の機会に」と昨日は書いた。でも、南野法務大臣が寝ぼけたことを言ってくれたので、あえて書いてみたい。

警察庁長官が性犯罪者のデータを公開することに前向きな発言をした。そのとたんに法務大臣の否定発言である。私はがっかりした。

日本では犯罪が行われた場合に、犯罪者の人権は尊重され、実名報道の自粛、矯正の実施、果ては死刑の延期まで、いろいろと優遇される。ところが、被害者の方はほとんどの場合実名で報道され、どこからも守られない。

犯罪者は何の罪もない人の人権を蹂躙し、殺人事件の場合はその人が「生きる」という基本的人権よりもさらに基本的な権利をも奪い取ったのである。性犯罪にしても犯人は被害者に恐怖という傷を与え、さらにレイプされたものというレッテルを貼り付けてしまったという、健康に生活するという基本的人権を崩壊させたのである。
確かに憲法ではすべての人に基本的人権の保障をしている。それはそれでよいのだが、では被害者よりも加害者の方が遙かに多くの人権という権利を温存されるという現実はおかしいのではないか?

今回、しかも犯罪者がいるという事実さえもプライバシーという一言で隠蔽し、一般市民が健全に生活するという、やはり基本的人権を制限せざるを得ないことを法務大臣自らが平気で発言したのである。犯罪者はぬくぬくと社会生活を行い、一般市民は隣の人は元犯罪者ではないか?と疑心暗鬼で過ごすことを余儀なくされ、犯罪被害者はその上に心の傷、体の傷を負い、肩身の狭い思いをしながら生きていくのである。これはおかしい。小学生だって理解できることである。

この世の中はやったもん勝ちである。レイプだってやったやつは相手の人権なんて考えちゃいないし、レイプにより性的な快楽を得た、つまりプラスなのである。
本来はこの裏に処罰という大きなマイナスがあるはずなのであるが、法務大臣も言うように、加害者を保護するために処罰の事実は世間に対し隠蔽され、本人は何の不自由なく生活できるのである。勝ち組なのである。

人権屋の方に聞きたい。本当にこれでいいのか?正直者が馬鹿を見る、このような世界が本当に平等な世界なのか?私には信じられない。
本当はデジカメの続きを書きたかったんだけど、会社の帰り道に聞いてたラジオであまりにも考えさせられる話をしていたので、ちょっと脱線。

奈良で女の子が殺された。犯人はいわゆるロリコンであることはすでに報道の通り。事件を許すことはできないというのは誰しも同じであろう。

最近性犯罪が取りざたされることが多い。マスコミではこれをいろいろ分析しようとしているようである。しかし、なぜかそのコメントには腰が引けているところがあるように感じる。なぜだろうか?

今日聴いていたラジオで、「性犯罪の再犯を防止するにはどうしたらよいか?」という話題でリスナーからコメントを求めていた。結果はかなりの数が厳罰を求めるものだったようである。しかし、当然ではあるが、そのような厳罰化をすることで犯人を追いつめ、新たな犯罪を導くのでは?という意見や、更正教育を徹底すれば良くなるという、非常に前向きな意見を紹介していた。

人間というものを性善説にたって考えれば、そのような前向きな意見はもっともなものである。しかし、性犯罪はそのような理性の制御の及ぶような類の犯罪なのであるのか?と考えてみたい。

人間にはいくつかの基本的欲求がある。それは動物として生命の維持や種の保存を行うためにあらかじめ焼き付けられたものである。代表的なものは食欲であり、あるいは性欲なのである。

人は教育すれば、飢餓状態にあっても目の前の食べ物を食べないでいられるのであろうか?食べなければ自分は死ぬのである。私はこの答えはNoであると考えている。もしそのようなことが起こるとすれば・・・それは自らの分身である自分の子供を生かすために自分は食べないで子供に食べさせるときだけであろう。子孫を残すための遺伝子の知恵なのである。
では、性欲はどうであろう?生殖行為に飢えているものの前に生殖対象があれば・・・それは食べられるのである。それは子孫を残そうとする遺伝子のなせる技であり、理性というものでは押さえられない、別の次元の欲求なのである。いくら理性的なことを教育しても結局押さえることはできない。食欲を解消して、盗み食いを防止するには、それは食料を与えるのが一番である。同様に考えると、性犯罪を押さえるには、性的な欲求を満たす場所、それはつまり売春のようなものかも知れないし、別のものかも知れない。

誤解をしてもらいたくないのは、私は決して売春を肯定するものではない。ただ、現代社会において、性的な関係、あるいは性的な嗜好についてあまりにもネガティブにとらえられ、否定することこそが正義のように語られていることに問題を感じているのである。人間も所詮は動物であり、動物の生存の大きな目的は生殖にあるということである。そのことに目をつぶることが決していいことだとは思わない。

もし、そのような欲求を解消できる場がないのだとしたら、犯罪者を再犯させないようにするためには、おそらく閉じこめるか、生殖不能なように物理的に処置するしかないであろう。人権的な問題があろうことは承知の上である。犯罪者の人権については言いたいことがたくさんあるが、今回は割愛するが、こと性犯罪に関しては問題解決の根は深いのである。

人権や性善説を唱え、善人ぶるのもいいが、人の実像を正面から正直にとらえ、きれい事でない本音の議論が必要なときではないかと思う。マスコミやコメンテーターももう少し本音で語って議論をしてもらいたいものである。
私が今使っているデジカメは、キャノンEOS-D30という。340万画素のカメラだ。600万クラスが当たり前の現在の一眼デジカメの中にあっては、やや色あせた感のあるものであるが、画質はそれなりに満足できるものである。

今、マウントの関係でニコンの一眼デジカメが欲しいと思っている。D1とかD1Hとかの270万画素のものの評判がいい。もちろんD1Xのように、高画素なものはそれはそれでよいのだが、D1Hがすこぶる評判いいのである。

一般に画素数が多いほど情報が多くて高画質になりそうな気がする。しかし、考えてみれば、画素数が多いと言うことは、それだけ一つ一つのがその大きさは小さくなるわけで、受光量も小さいし、ノイズ耐性だって難が生じるはずである。

今のところ私のところでわかっているのは、カメラ内部のJPEG生成エンジンは画質に大きな影響を与えると言うことである。いままで低圧縮にしてJPEG記録をしていたが、ある日RAWで記録したものを見て、その画質の高さに以後JPEGの使用をやめてしまったのである。JPEG化したければ、PCの中ですればいいのである。

銀塩のカメラとは異なり、デジカメはユーザサイドでもまだまだ研究の余地のあるものであるのと同時に、最適化できる使い方を修得するまでの道のりは険しいことを悟った最近であった。