本当はデジカメの続きを書きたかったんだけど、会社の帰り道に聞いてたラジオであまりにも考えさせられる話をしていたので、ちょっと脱線。
奈良で女の子が殺された。犯人はいわゆるロリコンであることはすでに報道の通り。事件を許すことはできないというのは誰しも同じであろう。
最近性犯罪が取りざたされることが多い。マスコミではこれをいろいろ分析しようとしているようである。しかし、なぜかそのコメントには腰が引けているところがあるように感じる。なぜだろうか?
今日聴いていたラジオで、「性犯罪の再犯を防止するにはどうしたらよいか?」という話題でリスナーからコメントを求めていた。結果はかなりの数が厳罰を求めるものだったようである。しかし、当然ではあるが、そのような厳罰化をすることで犯人を追いつめ、新たな犯罪を導くのでは?という意見や、更正教育を徹底すれば良くなるという、非常に前向きな意見を紹介していた。
人間というものを性善説にたって考えれば、そのような前向きな意見はもっともなものである。しかし、性犯罪はそのような理性の制御の及ぶような類の犯罪なのであるのか?と考えてみたい。
人間にはいくつかの基本的欲求がある。それは動物として生命の維持や種の保存を行うためにあらかじめ焼き付けられたものである。代表的なものは食欲であり、あるいは性欲なのである。
人は教育すれば、飢餓状態にあっても目の前の食べ物を食べないでいられるのであろうか?食べなければ自分は死ぬのである。私はこの答えはNoであると考えている。もしそのようなことが起こるとすれば・・・それは自らの分身である自分の子供を生かすために自分は食べないで子供に食べさせるときだけであろう。子孫を残すための遺伝子の知恵なのである。
では、性欲はどうであろう?生殖行為に飢えているものの前に生殖対象があれば・・・それは食べられるのである。それは子孫を残そうとする遺伝子のなせる技であり、理性というものでは押さえられない、別の次元の欲求なのである。いくら理性的なことを教育しても結局押さえることはできない。食欲を解消して、盗み食いを防止するには、それは食料を与えるのが一番である。同様に考えると、性犯罪を押さえるには、性的な欲求を満たす場所、それはつまり売春のようなものかも知れないし、別のものかも知れない。
誤解をしてもらいたくないのは、私は決して売春を肯定するものではない。ただ、現代社会において、性的な関係、あるいは性的な嗜好についてあまりにもネガティブにとらえられ、否定することこそが正義のように語られていることに問題を感じているのである。人間も所詮は動物であり、動物の生存の大きな目的は生殖にあるということである。そのことに目をつぶることが決していいことだとは思わない。
もし、そのような欲求を解消できる場がないのだとしたら、犯罪者を再犯させないようにするためには、おそらく閉じこめるか、生殖不能なように物理的に処置するしかないであろう。人権的な問題があろうことは承知の上である。犯罪者の人権については言いたいことがたくさんあるが、今回は割愛するが、こと性犯罪に関しては問題解決の根は深いのである。
人権や性善説を唱え、善人ぶるのもいいが、人の実像を正面から正直にとらえ、きれい事でない本音の議論が必要なときではないかと思う。マスコミやコメンテーターももう少し本音で語って議論をしてもらいたいものである。