Wotans Auge -134ページ目

カント

高校一年の頃

進学後の専門が全く決まっていなかった。

しかし、倫理社会の授業を聞いてから

ちょっと自分の学びたかった事に気づかされた。

釈迦・イエス・モハメッド・タレス・ゼノン・ソクラテス・プラトン・アリストテレス・

ベーコン・ロック・デカルト・カント・ヒューム・フィヒテ・

シェリング・ヘーゲル・フォイエルバッハ・マルクスを

授業で習った。

この中でもっとも印象深かったのが

カントであった。

今にして思えば何故カントなのかよくわからない。

但しカントであってよかったとは思う。

なぜならカントこそ

西洋哲学の

丁度真ん中の哲学者であったからだ。

カントから遡るのも

時代を下るのも自在である。

そして、私はカント船に乗り、

ショーペンハウエル河を

渡り、ニーチェ港にたどり着いた。

時々ハイデッガー港で積荷を積んでは

ワグナーの音楽を聴きながら

ヒトラーへの影響を眺めては

ザラトゥストラというペルシアの拝火教の酒飲みと遊んでみた。

そうすると

ツァラトゥストラがよく見えたりする。

そうこうしているうちに

ぼんやりとした森の中で

イエスさんとあったりもするのだ。

ハイデガーの

哲学はニーチェ研究から

ニーチェ批判を通して、

存在の本質への問いを

始め、それだけで十分な面白さがあるのだが、

ハイデガーの戦いがまさに

西洋哲学全てとの闘いであり、

カントすら指でポンと弾いているように見えてしまう。

そんな哲学の

仁義なき闘いが

我々に過酷に見えようと

客観ではなく

主観に取り込んだときに

この大きな兇器は全てを破壊し

人格も破壊してしまう。

そうすると我々は

行き所がなくなってしまい

拠り所がなくなってしまう。

もはやニヒリズムの行き着くところは

世界を滅ぼすか

再生するかいずれにせよ

峻厳として現前に屹立する

冷たい崖として

我々を孤独で

いとも簡単に押し潰してしまう。

こんな時に

我々はカントに感謝するのである。

カントに戻れという言葉があるように

いきつきた時には

まずカントに戻れ。

そうすれば、意外にも

この最初の不敬な

神の存在を疑ったこの道徳心に溢れた男が

もっとも神に近いところにいたことに気づかされるのである。

彼の道徳律は結局キリスト教を

否定するものではないから

もう一度論理的に一歩一歩

我々の歩行を補助してくれる。

ゼロではなく、

一度否定した後にまたカントを認めるという

弁証法が我々の救済に繋がるのだ。

なんと厳格で退屈な哲学なのだろう。

カントの批判哲学は

全く血も涙もない。

だからこそ神がもっとも近くにいるのだ。

人間は弱いものだ。

ハイデガーやニーチェに疲れ

傷ついたら

カントの大樹によって休むのだ。

次の闘いに出るために。

そして、今度こそ巨大な龍を一撃でしとめるために…

純粋理性批判 上 岩波文庫 青 625-3/カント
¥798
Amazon.co.jp


純粋理性批判 中 岩波文庫 青 625-4/カント
¥798
Amazon.co.jp


純粋理性批判 下  岩波文庫 青 625-5/カント
¥903
Amazon.co.jp


純粋理性批判 (上) (平凡社ライブラリー (527))/イマヌエル・カント
¥1,890
Amazon.co.jp


純粋理性批判〈中〉 (平凡社ライブラリー)/イマヌエル カント
¥1,890
Amazon.co.jp


純粋理性批判〈下〉 (平凡社ライブラリー)/イマヌエル カント
¥1,575
Amazon.co.jp


純粋理性批判 上/イマヌエル カント
¥8,925
Amazon.co.jp


純粋理性批判 下/イマヌエル カント
¥8,925
Amazon.co.jp


純粋理性批判 (上) (名著/古典籍文庫―岩波文庫復刻版)/カント
¥6,090
Amazon.co.jp


純粋理性批判 (中) (名著/古典籍文庫―岩波文庫復刻版)/カント
¥5,565
Amazon.co.jp


UFO

ドイツ科学が19世紀、20世紀

圧倒的に世界の国々の科学を

凌駕していたのは

疑いの余地がない。

国家社会主義の指導の下

科学は国家社会主義独特の科学として

発達した。

例えば生体実験。

ユダヤ人やポーランド人、ロシア人に対して

実施してきたがその結果は

のちに米国とソビエト連邦に

この実験に携った医師が連れさらわれ実験結果が

持ち込まれた。

その結果戦後の医学の中心は

米国とソ連になった。

大陸間弾道ミサイルの発想。

これも国家社会主義で

現実化しようとしていた。

V1号、V2号ミサイルである。

さて、世界大戦中もっとも

驚くべき発明は

UFOであった。

V1号、V2号ミサイルの実験に並んで

UFO実験もなされていた。

当時の写真や設計図の青写真などが

戦後残っているし、

また、目撃者の証言もあった。

UFOは宇宙から来たなんて

誰も信じないが

第三帝国で作っていたというのなら

実に信憑性がある。

円盤とは言え、

完全な円形ではなく

やや三角形の船体は

丁度ウルトラセブンのウルトラ警備隊が

乗っていたウルトラ3号のような形である。

とまれ、この時代にこんなプロペラもなく

高速で飛行できる乗り物に乗車するってのは

非常に勇気が要ることだ。

安全性のほうは何も保証されていなかっただろう。

ゲルマン人というのは

日本人に比べたら

アドレナリンの出方が違うというのを

テレビで見たことがある。

怖さに対する閾値が異なるのだ。

でなかったら、こんな怖ろしい乗り物に乗るなんて

誰も厭だって言って逃げまくるだろうから。

科学力と民族。

このふたつが噛みあわなければ偉大な発明は出来ないだろう。

米国も向こう見ずが多いが

かなりゲルマンの血が流れているからだろう。

冒険だとか発明だとかが

成果を上げることが出来るのは

恐らく、アルフレート・ローゼンベルクが

20世紀の神話で述べたように

ゲルマン人というかアーリア人だけなのだろう。

ホルモンの量が全く違うのだから。

人種学を簡単に否定してしまう

今の平等主義は

もしかしたら大切な事柄を見落としているのかもしれない。

ナチスとNASAの超科学 (5次元文庫)/ジム キース
¥680
Amazon.co.jp

ヒトラーとオカルト伝説/ケン アンダーソン
¥3,360
Amazon.co.jp

第二外国語軽視

私が大学生の頃

独逸語というのは

第二外国語での雄であった。

しかし、今や中国語や韓国語よりも

下の存在になってしまっている。

このような事態というのは

学問より経済が優先している

日本の没落を意味しているように思う。

 

日本人というのは

アジアから学ぼうという気持ちなんて

何もない。

にもかかわらず、

第二外国語での順位が

逆転したのは

経済優先以外の何物でもない。

 

論理学を学ぼうというものは

少なくともアジアではなく

ギリシア哲学を始めとしヨーロッパの

学問からしか学べるはずがない。

論理学自体

アジアの学問ではないのだから。

 

しかし、学問の基礎はまさに

論理学である。

この論理学を学ばずして

何事も成就するはずがない。

なぜなら、学問の獲得・習得は

論理学に基づかなければならないからだ。

 

だが、実は中国語や韓国語が

逆転したからといって

それが第二外国語熱が

上がってきているというわけでもない。

むしろ勉強というものが嫌われているのが

今の時代なのだ。

ゆとり教育の最大のゆがみがここにある。

 

唯一存在する語学学習熱。

これが英語だ。

英語でもって

世界を征服しようという

観念は根強く

様々な資格試験・認定試験の制度を

作り日本人を英語を使用する民族に

堕させようとしているのである。

 

書店に行っても

膨大な数の英語の参考書の山である。

うんざりするほどたくさんの

英語関連の書籍である。

 

なんでこんなに英語ばかり勉強しているのだろう。

どれだけの人々が

英語を操っているのであろう。

 

もう辞めてしまえ。

どうせやってもムダなんだから。

 

もっとしっかり日本語をやれ!!

それが終わったら

独逸語だ。

 

英語なんて

いくらやっても

日本語が美しくならない。

英語が堪能で

日本語がダメな奴は腐るほどいる。

 

英語はおそらく

日本の文化を破壊する。

日本の風土には合わないのだ。

やはり日本のように長い歴史を持つ国は

ヨーロッパの言語を学ぶべきだ。

少なくとも英吉利の英語にしなさい。

そうすればもう少し日本語を大切にするだろう。

 

第二外国語の選択で

軽い気持ちで米国の英語を取るという

事態が日本との破壊に繋がるのだ。

米語が格好いいなんて思ってはいけない。

アメリカには伝統と歴史というものが存在しない。

だから、本当の保守というものも存在しないのだ。

 

ドイチェ・ヴェレ

中学・高校の頃

この時代というのはBCL:Broadcasting Listeningというのが流行った。

PANASONIC RF-2200 (クーガ2200)が私の愛機であった。

 

この機器を用いて世界中の放送を傍受しようと画策したのだ。

非常にアナログチックでであるが、

ダブルチェックマーカーにより

正確なチューニングが可能であった。

 

モスクワ放送、北京放送、Voice of Americaなど

日本から近くにある放送局のものは

国内の放送を聴くのと全く同じ感覚で

聞く事が出来たが、

問題は独逸の放送であった。

 

DWすなわち、Deutsche Welleは

当時何度も傍受にトライした

放送局でこれだけトライした放送局も少ない。

 

何とかかすかに聴こえるのだが、

なかなかはっきりと聴こえない。

全く聴こえない日も多く

延々と時間がただむなしく過ぎていった。

まるで、片想いだが

その思いはずっと続いていた。

 

今やインターネットで

世界中が繋がってしまうと

インターネットラジオで

鮮明な音声で

ドイチェ・ヴェレが聴こえるのだが

当時は大学生になっても、そして

機器が壊れるまではずっと

試み続けていた。

 

ホームセンターで昨日2,000円位で

短波ラジオが購入できる事を知った。

また、ヤフオクでも多少値は張るが

当時のラジオが入手できる。

インターネットではなく

直に今度はアンテナなどの環境もより完璧な状態で

試みてみたい気になっている。

 

あのころは短波って雑誌だったと思う。

それからちょっともう名前は忘れてしまったが

やはりラジオ関係の雑誌があり

時々講読していたが

懐かしいなと思っている。

 

ベリカードというのも流行った。

このベリカードというのは

ラジオ局に

放送を傍受しましたという

報告書を送ると

受信証明書を貰う事が出来るのだ。

 

北京放送局なんてのは

親切でカレンダーを年末にくれたっけ。

 

老後はこんな事をしてみたいなと

切に思う次第だ。

中学・高校の頃に比べたら

今のほうが語学も出来るようになったのだから。

 

 

 

 

血液型

国家社会主義国家において

O型はユダヤ人に多い血型ということで

出世できなかった。

B型も理由はよくわからなかいが

同様の扱いを受けた。

A型の人間だけが

要人として

登用されてきた。

もちろんヒトラーもA型であった。

 

というわけで、血液型占いのルーツは

国家社会主義の

人種学にあった。

ビーアは大嫌い

まだまだ暑い日が続くが、

ビールが旨いなんてまったく思わない。

アルコールは全て嫌いだ。

酒を飲めない人間を差別するのも

酒飲みだ。

タバコを吸えない人間を差別する

タバコ吸いはいないが

下戸に対して

優越感を感じている

酒飲みは多い。

 

アルコールは

脳を萎縮させる。

アルコールは

有機溶剤とおなじだから、

脳のような有機物は

溶かしてしまう。

だから、酒を飲む人間を

俺は信じない。

 

脳の溶ける行為を

容認するその神経がわからない。

恐らくそういう神経はアルコールで

麻痺しているんだろう。

 

アルコールを飲んだ人間の口は

強烈に臭い。

 

汗も臭い。

トイレも臭い。

わかってんだろうか?

 

独逸は好きだが

アルコールは全く理解できない。

 

アウトバーンを

走るにもビールは飲んでいても

構わないという。

 

独逸といえば

ビーアというイメージもなくはない。

ヴァインにしろビーアにしろ

体は痒くなるし

息も尿も汗も臭くていただけない。

 

せめて日本からタバコではなく

酒を締め出してくれ!!

酒談議なんて全く興味がない。

 

酒を飲まなきゃ

何もできねぇインポ野郎は収容所へ。

 

酒は受精卵が分裂している最中に

暴露すると

奇形が起こったり

先天性異常が出現する危険性が非常に高い。

 

女に酒をすすめるジジイども、

てめえらみんな強制収容所に行きやがれ!!

ジュセリーノ

「史上最強の予言者ジュセリーノ 未来を変える5つの警告」という番組が

2008年2月12日(火)夜7時に放送された。

この番組の中で9月13日アジアで

巨大地震が起こるというわけのわからない事を

ジュセリーノとかいう男が述べた。

 

さらに5月15日には別のメディアで

その詳報を発表している。

さて、もうすぐ9月13日も終わろうとしている。

どこで大地震が起こったのだろうか。

 

第二次世界大戦中

いわゆるオカルティストは

独逸では軒並み逮捕であった。

なんで70年ほど前のナチス独逸で

このような預言者を

排除できたのに

当時以上の科学の発達した今でも

こんな不謹慎な「預言者」と呼ばれる人間が

のさばっていられるのだろう。

メディアもメディアである。

 

「ジュセリーノ予言の真実」 というBlogでは

完全に彼のインチキを見破っていた。

メディアはウソを報道してはいけないのだ。

動乱罪。詐欺罪。妄言を流布してはいけない。

警察や国家権力はこういうメディアを

徹底的に弾圧すべきだ。

 

こんなものを流布するメディアがあるから

日本人は莫迦になってしまうのだ。

なぜ「ジュセリーノ予言の真実」というBlogは

メディアに取り上げられず

嘘つきに加担するのだろう。

どう考えても

一流大学を卒業した

頭のいいおっちゃんたちが

沢山勤めている会社だろう??テレビ局や出版社ってのは???

共犯だぞ。

 

憲兵隊が復活しないと

日本は本当にダメになっちまうよ。

 

ところで預言者は

昔っから一度でも間違った事を

予言した場合には

死ななければならなかった。

 

 

やはり、彼の場合何度も予言が外れていても

平気でまた夢の話をしているらしいから

預言者ではなく、単なるおっさんなのだろう。

 

 

 

亀甲文字

ヒトラーが行なった事柄で

現代人のお気に召すことはどのようなものがあるだろうか。

 

まずは有名なAutobahnアウトバーン建設である。

速度制限なしの高速道路で独逸の幹線道路である。

飛行機の離着陸が出来るような設計でもある。

あの広大な国土を移動する時間を

縮めたのだ。

 

そして、このアウトバーン建設は経済効果も

生み出している。

失業者の救済である。

当時ベルサイユ条約により

天文学的借金を抱えていた独逸の失業率は深刻であった。

パンを買うのもトランクひとつ、あるいはリヤカー一台の札束が

必要とされるくらいのインフレーションは独逸庶民の生活を

どん底に陥れた。

一説にはこのベルサイユ条約がなければ

国家社会主義独逸労働者党(NSDAP)が台頭する事はなかったのではとも

言われている。

そんな失業者たちを救済したのがNSDAPの公共事業であった。

 

禁煙運動なんてのもある。

ヒトラーは若かった頃

肺を病んだことがあり

タバコを嫌うようになった。

ヒトラーの周りではみなタバコを吸うのをやめていた。

 

緑化運動もある。

自然を愛し、緑を守ろうとした。

環境を保護するための

あらゆる方策を講じた。

 

失業者の救済は

失業者に職を与えただけではない。

食も与えるための施設を作り、

将来の労働力を保護してきた。

 

学校教育も

門戸を開き多くの人々が

勉強できる環境を作った。

 

運動にも力をいれ、特にボクシングや

モータースポーツの振興に

尽力もしている。

 

そうそう、忘れてはいけない。

独逸の独特の文字。

亀甲文字の廃止をし、

ラテン文字を刊行物に使用するようにした。

ゲルマン民族の文化を大事にする政策のわりには

意外にもラテン文字を使用することで

外国の書物の文字と同じものにしたのだ。

この功績は大きく、諸外国の学者や学生たちも含め

独逸の書籍の流布に一役買ったのである。

 

様々な科学の振興に努め

また、一方で占星術やその他の占いを禁じる政策を取ってきた。

 

さて、ヒトラーに対する認識は少し変わったのではないだろうか。

 

 

 

東独逸

東独逸にはシュタージ(Stasi:Ministerium für Staatssicherheit)という

諜報機関があった。数千人の諜報部員が冷戦時代に暗躍したといわれるが、

この共産国は北朝鮮とは大違いであった。

もっとも東ともっとも西に存在したふたつの共産国は

全く似ても似つかぬものである。

 

とにもかくにも東独逸は共産圏の中でも経済面でもっとも

優秀な国家であった。一方の北朝鮮は報道の伝えるとおりである。

 

北朝鮮では通常西側諸国の放送の傍受は禁止されているし

また、チューナーの箱は封印がなされている。

チューナーのチャンネルは西側諸国の放送を一切傍受できないように

固定されている。

この封印をはがしてしまうと政治犯として

投獄されてしまう。

 

一方うまい具合に

西側に併合された東独逸は

分断されていた頃、西独逸の放送を人々は

傍受できる状況であった。

そのため、彼らは西側の繁栄を

ベルリーンの壁崩壊よりずっと前より

自由主義国の文化に触れる事が出来、

また、経済成長ぶりを眺める事が可能であった。

これが歴史の運命であった。

こういう状況であるから民衆の力は

権力に勝つ事が出来たのであろう。

結果として国体は滅んだが

国家としての繁栄は保証されたのだ。

北朝鮮ではいまだに独裁政権による共産体制を敷いたままである。

 

今から20年前に文通をしていた

東ドイツ人女性は

小学校の教師であった。

この人が子供の頃にTVで観たものは

鉄腕アトムであり

ジャングル大帝で、

それは私が45年くらい前に観たものと

全く同じである。

 

子供の頃同じものを観ていたというのは

とても親近感が湧くものだ。

遥か彼方の赤い旗の国の人も

自分と同じような子供時代を過ごしたのだな~と思うと

非常に嬉しくもあった。

 

むしろ20年くらい前にこの相手は

A~HAを聴き、私はパンクロックを聴いていたのだから

比較的新しい時代において

全く違うものを聴いているという

丁度日本人同士での

趣味の相違と同じだな~と思うのである。

 

現在の趣味が合うのも

人と仲良くなれるきっかけになりうるが

逆に子供時代の共通点というものは

アイデンティティの確立における

最初の土台のところが

同質であるという事を意味するからやはり仲良くなれる動機になりうる。

 

そんな事で

政治形態や思想が全く異なる

国家の人と仲良くなれたのだなと思う。

今頃何をしているのかわからない。

調べようと思えば調べられると思うのだが

なんとももはや面倒になってしまい

コンタクトは取っていない。

50歳になったら連絡をいれてみようかな・・・

 

 

 

独逸のテレビ視聴

大学一年のときの独逸語文法教師が

独逸に留学した時には

独逸人はテレビを見るときに

電気を消して見るのだと

講義の時に話していた。

 

当時は暗いところでそんな明るいものを見たら

目が疲れて仕方ないじゃないかと

思っていたが

実際にやってみると全く疲れないことを知ってしまった。

むしろ映画を見るときなどは映像に集中でき

いいじゃないかってさえ思う。

合理的な民族だ。