今回は派手な戦闘がメインです

でも白熱というよりも蹂躙って感じですね 苦笑

 

 

 

 

第六章 炎の英雄
アクアリア共和国、首都。
総督府の豪華な執務室で、ガルバは苛立っていた。

「あの氷壁を破れないだと?」

「は、はい……我々の装備では、とても……」

報告する将軍も申し訳なさそうだ。
ガルバは机を叩いた。

「あの都市の技術があれば! 
温泉施設、冷凍保存、豊富な食料……
それらを手に入れれば、我々はもっと裕福に、
もっと贅沢に暮らせるのだ!」

もちろん、それを享受できるのは
自分たち権力者だけだ。
下々の者たちには関係ない。

「総督閣下」

側近が進言する。

「一つ、手があります」

「何だ?」

「北の魔族戦線で戦っている、炎の英雄
——クリムゾンを呼び寄せては?」

ガルバの目が輝いた。

「クリムゾン……
確か、一つの街を焼失させた大魔法使いだったな」

「はい。彼ならば、あの氷壁も溶かせるかと」

「よし、すぐに召喚しろ!」

側近が躊躇う。

「しかし、彼を引き上げれば、
魔族戦線が危うく……北部の村々が」

「構わん!」

ガルバは一蹴した。

「村の十や二十、潰されても構わん。
それより、アクアリスの技術だ!」

二ヶ月後。
魔族戦線から呼び寄せられたクリムゾンは、
アクアリスへと向かっていた。
赤い髪、鋭い目つき。
全身から炎のような闘気を発している男。

「フン、氷の壁か」

クリムゾンは鼻で笑った。

「俺の炎で、全て溶かしてやる」

彼の前に立ちはだかるのは、魔の森
——アクアリスへと続く唯一の陸路。

「邪魔だな」

クリムゾンは手を掲げた。
巨大な火球が出現し、森へと放たれる。
轟音とともに、森が燃え上がった。
木々が、動物が、全てが炎に飲まれる。

「これで道は開けた」

焼け焦げた大地を踏みしめながら、
クリムゾンはアクアリスへと進む。

「リオ様! 大変です!」

ダンが駆け込んできた。

「魔の森が……燃えています! 
そして、一人の男がこちらに向かって!」

リオは立ち上がった。

「来たか……」

彼は窓の外を見た。
遠くに、黒煙が上がっている。

(魔の森を……焼いた?)

リオは唇を噛んだ。
あの森には、無数の生命がいた。
魔物も、動物も、植物も。
それを全て——

「許せない」

リオは外套を羽織った。

「私が行く」

氷壁の前で、クリムゾンは笑っていた。

「なるほど、確かに立派な壁だ。だが——」

彼の両手に炎が集まる。

「俺の炎の前には無力だ!」

炎が氷壁に叩きつけられる。
氷が蒸気となって溶けていく。

「やはりな。時間はかかるが、溶かせる」

その時、声が響いた。

「そこまでだ」

クリムゾンは振り返った。
氷壁の門が開き、一人の青年が現れる。

「お前が、この都市の主か?」

「そうだ。私はリオ」

「俺はクリムゾン。
共和国に雇われて、この壁を溶かしに来た」

クリムゾンは不敵に笑う。

「悪く思うな。これも仕事だ」

「仕事……」

リオは静かに言った。

「魔の森を焼き、無数の命を奪うことが、仕事か?」

「そうだ。邪魔だったからな」

「ならば」

リオの目が鋭くなる。

「私も仕事をする。
この都市を、仲間たちを守る仕事を」

戦いは一瞬で始まった。
リオは手を伸ばし、水魔法を発動
——クリムゾンの顔を水で覆った。

溺れさせ、気絶させる。
だが——

「甘い!」

クリムゾンの全身から炎が噴き出し、
水を一瞬で蒸発させた。

「俺を誰だと思っている! 炎の英雄だぞ!」

クリムゾンは無数の火球を生成し、リオへと放った。
リオは冷静に対応する。
空中に水球を作り出し、火球を次々と潰していく。
ジュッ、ジュッと音を立てて、炎が消えていく。

「ほう……やるな」

クリムゾンは本気になった。
両手を掲げ、巨大な火球を作り出す
——直径十メートルはある大火球。

「これを防げるか!」

大火球がリオに向かって飛ぶ。
リオは深呼吸した。

(これは……危険だが、やるしかない)

彼は周囲の空気に働きかけた。
温度を急激に下げる——
大気が凍結し、酸素が液化する。
大火球は、燃焼に必要な酸素を失い——消失した。

「な、何!?」

クリムゾンは驚愕した。
だが、それだけではない。
周囲の酸素濃度が急激に低下している。

「ぐっ……息が……」

クリムゾンは胸を押さえた。
まるで高山に登ったかのような、酸欠状態。
火魔法は酸素を大量に消費する。
それに加えて、リオの凍結魔法——

「くそっ……」

クリムゾンは膝をつきかけた。
その時——

「ぐあああああっ!」

クリムゾンの皮膚が焼けた。
何だ? 何が起きている?

「硫酸だ」

リオは静かに言った。

「周囲の大気から、高濃度の硫酸を生成した。
酸欠で弱った君には、防ぎきれないだろう」

クリムゾンの体のあちこちが、硫酸の飛沫で焼けていく。

「ま、まだだ……まだ……」

彼は炎を放とうとするが——
リオが最後の魔法を発動した。
周囲の空間が、突如として高濃度酸素で満たされる。

「!」

クリムゾンの体が反応する
——急激な酸素増加による酸素中毒。
めまい、吐き気、意識の混濁——

「ば、馬鹿な……俺が……」

クリムゾンは倒れた。
気を失った彼を、リオは水の鎖で拘束する。

戦いを見ていた共和国軍は、戦慄していた。

「炎の英雄が……一瞬で……」

「撤退だ! 撤退しろ!」

艦隊は慌てて退却していく。

リオは倒れたクリムゾンを見下ろした。

「君を殺しはしない」

彼は治癒魔法をかけ、硫酸の傷を癒した。

「だが、二度とこの都市を脅かすな」

クリムゾンを共和国軍の船に送り返し、
リオは氷壁の中へと戻った。

その夜、アクアリスは歓喜に沸いていた。

「リオ様が勝った!」

「私たちは守られた!」

だが、リオ自身は疲れ果てていた。
ミラが部屋に入ってくる。

「リオ、大丈夫?」

「ああ……でも、疲れた」

「当然よ。あんな戦いをしたんだから」

ミラは温かいスープを差し出す。

「でもね、みんな感謝してる。
あなたが守ってくれたって」

リオはスープを飲みながら、窓の外を見た。
遠くに、焼け焦げた魔の森が見える。

「私は守った……でも、森は失われた」

「それは、あなたのせいじゃない」

「分かってる。でも……」

リオは拳を握った。

「いつまで、こんなことが続くんだろう」

「いつまでも、争いが終わらないのだろう」

ミラは何も言わず、リオの肩に手を置いた。
その優しさが、今のリオには何よりも嬉しかった。

(エリナ……)

リオは心の中で呟いた。

(私は戦った。守るために)
(でも、これが正しかったのだろうか)

星のない、暗い夜だった。


翌朝、リオは一人、氷壁の上に立っていた。
眼下には、焼け焦げた魔の森の跡。
かつて緑豊かだった場所が、
今は黒い荒野になっている。

「何故だ……」

リオは呟いた。

「何故、分からないんだ」

彼の脳裏に、千年前の記憶が蘇る。
アクアリア帝国を建国した時、
自分は何を目指したのか。

人々が満足して暮らせる社会。
必要なものが行き渡り、誰もが幸せになれる世界。
それは、決して贅沢を求めたものではなかった。

「足るを知る……」

リオは拳を握った。

「それが、どれほど大切か」

共和国の権力者たちは、
既に十分すぎるほど持っているはずだ。
豪華な邸宅、美味しい食事、快適な生活——
それでも足りない。もっと欲しい。
もっと贅沢に。もっと裕福に。

「そのために、
魔族と戦っていた英雄を呼び寄せ……」

リオは遠くの空を見た。
あの決断により、魔族戦線は崩壊しただろう。
無数の村が蹂躙され、人々が命を落としたはずだ。

「そのために、森を焼き払い……」

無数の動物たち、植物たち、
生態系そのものが失われた。

「そのために、この都市を奪おうとした……」

全ては、過ぎた欲のために。

「千年前と、何も変わっていない」

リオは苦しそうに呟いた。

「いや、もっと悪くなっている」

かつて、自分が倒した横暴な王子
——エリナを殺した男。
あの男も、過ぎた欲に溺れていた。
美しいものを全て自分のものにしたい。
権力で全てを支配したい。
そして、その欲望のために、エリナは死んだ。

「何故……何故、人は学ばないんだ」

リオの声が震える。

「歴史は繰り返すと言うが……
何故、過去から学ばないんだ」

過ぎた欲は、身を滅ぼす。
それは、誰もが知っている真理のはずだ。
古今東西、欲に溺れた権力者たちがどうなったか
——歴史書には、その悲惨な末路が記されている。

「それでも……
それでも、彼らは同じ過ちを繰り返す」

リオは頭を抱えた。

「私が作った教育制度は、どこに消えた?」
「人としての倫理を教える学校は?」
「互いを思いやる心を育む社会は?」

全て、失われていた。
千年の時の中で、少しずつ、確実に——

「私は……何のために生き返ったんだ」

リオの問いに、答える者はいない。
風だけが、冷たく吹き抜けていく。

「もし、もう一度建国したとして……
千年後、また同じことが繰り返されるのか?」

その絶望的な予感が、
リオの心を押し潰しそうになる。

「エリナ……」

彼は空を見上げた。

「教えてくれ……私は、何をすればいいんだ」

だが、空は何も答えない。
ただ、雲が流れていくだけだった。

その時、後ろから足音が聞こえた。

「リオ」

ミラだった。

「一人で考え込んで……また、悩んでるの?」

「ミラ……」

「分かってる。あなたが何を考えているか」

ミラは隣に立った。

「でもね、リオ。一つ、忘れてない?」

「何を?」

「ここには、
あなたの理想を理解している人たちがいる」

ミラは都市を指差した。

「私たちは、あなたが教えてくれたことを、
心に刻んでいる」

「でも、それも時が経てば——」

「忘れないわ」

ミラは強く言った。

「私たちが子供に伝え、
その子供がまた次の世代に伝える」

「過ぎた欲が身を滅ぼすこと」

「互いを思いやることの大切さ」

「足るを知ることの尊さ」

ミラはリオの手を握った。

「確かに、共和国は堕落した。でも、ここは違う」

「ここには、あなたの教えを守る人たちがいる」

リオは、ミラの目を見た。
そこには、強い決意の光があった。

「千年後は分からない。
でも、少なくとも私たちの世代、次の世代では
——絶対に、あなたの理想を守ってみせる」

リオの目に、涙が浮かんだ。

「ミラ……」

「一人で抱え込まないで」

ミラは微笑んだ。

「私たちがいるでしょう?」

リオは、ゆっくりと頷いた。
そうだ。
確かに、共和国は変わってしまった。
確かに、人は過ちを繰り返す。
でも——
ここには、理想を共に守ろうとする仲間がいる。
それは、千年前にはなかったものだ。

「ありがとう、ミラ」

リオは、初めて心から笑った。

「君たちがいてくれて、本当に良かった」

二人は、並んで都市を見下ろした。
氷壁の中の、小さな楽園。
だが、その小さな世界には
——確かな希望があった。
星のない、暗い夜だった。



(続く)

第四十二弾の続きです

 

第四章 水の都アクアリス
それから五年の月日が流れた。
かつて荒れ地だった場所は、もはや見る影もなかった。


「リオ様、東の区画の水路工事が完了しました」


ダンが報告に来る。
かつての盗賊少年は、今や立派な技術者になっていた。


「ご苦労様。では、次は温泉施設の拡張だな」


リオは設計図を広げた。
眼下に広がるのは、巨大な水の都——アクアリス。
未開の地に築かれたこの都市は、
今や千人を超える人々が暮らす場所となっていた。
都市の中心には、リオの水魔法で作り出された
巨大な貯水湖がある。
そこから張り巡らされた水路が、
都市全体に清らかな水を供給していた。
だが、それだけではない。

「素晴らしい……」

視察に訪れた新しい住人が、感嘆の声を上げる。
都市の至る所に、美しい噴水が設置されていた。
それは単なる装飾ではない。
リオの水魔法により、
噴水は常に浄化された水を循環させ、
空気を清浄に保っていた。
建物も独特だった。
白い石造りの家々は、水路に沿って配置されている。
屋根には雨水を集める仕組みがあり、
それが地下の貯水槽に蓄えられる。
無駄のない、完璧な水循環システムだった。
そして、都市の北側には——

「リオ、温泉に新しい客が来たよ!」

ミラが嬉しそうに駆けてくる。
彼女は今や、温泉施設の責任者だった。

「そうか。ちゃんともてなしてあげてくれ」

温泉施設。これがアクアリスの最大の特徴だった。
リオは地下深くのマグマ層に水魔法で水を送り込み、
天然の温泉を作り出していた。
その温泉は、都市の各所に配管で引かれ、
公衆浴場として開放されていた。

「気持ちいい……」

「こんな贅沢、共和国でも味わえなかったぞ」

湯に浸かる人々の幸せそうな顔。
そして、温泉の恩恵はそれだけではなかった。

「今年も豊作だ!」

トムが畑から戻ってくる。
籠いっぱいの野菜を抱えて。

「温泉のおかげだな」

リオは微笑んだ。
温泉の熱を利用した温室栽培。
これにより、アクアリスでは一年中、
豊富な野菜を収穫できた。
トマト、キュウリ、ナス、キャベツ
——共和国では高級品だった野菜が、
ここでは誰でも手に入る。

「リオ、こっちも見てくれ」

エマが別の畑を案内する。

「温泉水で育てた薬草だ。
共和国の商人が、高値で買いたいって」

「売ってもいいが、
まずは村人たちに必要な分を確保してからだ」

リオは言った。

「利益より、みんなの健康が優先だ」

これがアクアリスの原則だった。

都市の中央広場では、
子供たちが元気に走り回っている。

「先生! 見て見て!」

小さな子供が、誇らしげに書いた文字を見せてくる。

「上手に書けたね」

リオは頭を撫でた。
教育施設も充実していた。
かつてアクアリア帝国で確立した教育制度を再現し、
全ての子供が無償で読み書きと
算術を学べるようにした。

「リオ様」

年配の男性が近づいてくる。
元は共和国で罪を犯し、ここに流れ着いた男だった。

「何か?」

「私、今日から図書館の管理を任されました。
精一杯務めます」

「ありがとう。あなたの経験が、きっと役に立つよ」

アクアリスには、過去を問う者はいない。
大切なのは、今、そしてこれからだ。

夕暮れ時、リオは都市を見渡せる丘に立っていた。
眼下には、灯りが点り始めた水の都が広がる。
水路に映る灯りが、まるで星のように輝いている。

「美しいな」

隣に立つダンが呟く。

「ああ」

リオは頷いた。

「でも、まだ始まりだ」

都市の南区画には、新しい施設が建設中だった。
冷凍保存庫。
リオの水魔法により、
極低温を維持できる部屋を作っていた。
そこでは、食料を長期間保存できる。
これにより、豊作の時の余剰食料を保存し、
不作の年に備えることができた。

「もう飢える者はいない」

リオは静かに言った。

「もう寒さに震える者もいない。
もう、理不尽に奪われる者もいない」

アクアリスの統治は、シンプルだった。
法律は最小限。基本的な原則は、たった一つ。

「互いを尊重し、助け合うこと」

争いは起きなかった。諍いもなかった。
なぜなら、誰もが満たされていたから。
食べ物があり、住む場所があり、
学ぶ機会があり、働く場所がある。
そして何より——認められる場所があった。

「ここでは、みんなが大切な仲間だ」

リオは集会でよく言った。

「貴族も平民もいない。犯罪者も聖人もいない。
いるのは、共に生きる仲間だけだ」

人々は、できることをした。
農業が得意な者は畑を耕し、
建築が得意な者は家を建て、
料理が得意な者は食事を作り、
教育が得意な者は子供を教えた。
誰かが病気になれば、みんなで看病する。
誰かが困っていれば、みんなで助ける。
それが当たり前の、優しい国。

「リオ様」

ミラが温かいスープを持ってくる。

「働きすぎですよ。少し休んでください」

「ありがとう、ミラ」

リオはスープを受け取った。
湯気の向こうに、都市の灯りが見える。

(エリナ……)

リオは心の中で呟いた。

(見てくれているかな。私は、また作ったよ)

(あなたが望んだ世界を)

夜空に星が瞬く。
水の都アクアリスは、静かに、
しかし確実に、成長を続けていた。
そして、その噂は——やがて、
遠く離れたアクアリア共和国にも届くことになる。

アクアリア共和国、首都。
総督府の執務室で、ガルバは報告書を読んでいた。

「……何だと?」

彼の顔が歪む。
報告書には、信じられない内容が記されていた。
未開の地に追放したはずの罪人たちが、
巨大な都市を築いている。
しかも、その都市は驚くほど豊かで、
人々は幸せに暮らしているという。

「馬鹿な……あんな荒れ地で……」

だが、報告は複数の商人から上がっていた。
皆、口を揃えて言う。

「水の都アクアリスは、楽園だ」と。

ガルバは報告書を握り潰した。

「許さん……あの小僧め……」

彼の目に、暗い光が宿った。



第五章 訪問者たち

「リオ様、街の入口に見慣れない集団が」

見張りをしていたダンが報告に来た。

「武装しているが、敵対的な様子はありません」

リオは窓から外を見た。
五人ほどの一団。武器を持っているが、
確かに攻撃的ではない。
むしろ、興味深そうにアクアリスを眺めている。

「冒険者か……」

リオは呟いた。

「彼らを会議室に案内してくれ。私が直接会おう」

会議室に通された冒険者たちは、
緊張した面持ちだった。
リーダーらしき男が口を開く。

「初めまして。俺たちは、共和国の北部、
リバーサイド村から来た冒険者だ。名前はグレン」

「ようこそ、アクアリスへ。
私はリオ、この都市の代表だ」

リオは穏やかに微笑んだ。

「座ってください。ミラ、お茶を」

ミラが運んできた茶器を見て、
冒険者たちは目を見張った。

「これは……高級な陶器じゃないか」

「ああ、村の職人が作ったものだ」

リオは答えた。

「皆さんは何の用でここに?」

グレンは正直に答えた。

「実は……村長に頼まれて、この都市の調査に来た。
未開の地に突然現れた都市の噂が、
共和国中に広がっていてな」

「なるほど」

「誤解しないでくれ。敵意はない。
ただ、どんな場所なのか知りたいだけだ」

リオは頷いた。

「分かりました。では、案内しましょう。
この都市を、自分の目で見てください」

半日かけて、
リオは冒険者たちにアクアリスを案内した。
水路、温泉施設、温室栽培の畑、冷凍保存庫、
学校、図書館——

「信じられない……」

グレンが呟く。

「こんな場所が、本当に存在するなんて……」

市場では、新鮮な野菜や魚が並び、
人々が笑顔で買い物をしている。
学校では、子供たちが楽しそうに勉強している。
温泉では、老若男女が疲れを癒している。

「ここには……貧困がないのか?」

もう一人の冒険者が尋ねた。

「ない」

リオは断言した。

「誰もが働き、誰もが食べ、誰もが学べる。
それがアクアリスだ」

「どうやって? 共和国でさえできなかったことを」

「簡単なことです」

リオは微笑んだ。

「互いを思いやり、助け合う。それだけです」

グレンは深く息を吐いた。

「……リオさん、一つ忠告させてくれ」

彼の表情が真剣になる。

「この都市の噂は、
もう共和国の上層部にも届いている。
総督ガルバは……恐らく、黙っていない」

「分かっています」

リオは静かに答えた。

「でも、私たちは争いを望みません。
ただ、静かに暮らしたいだけです」

「そうは問屋が卸さないかもしれない」

グレンは苦々しく言った。

「あの男は、
自分の地位を脅かすものを決して許さない」

冒険者たちが去って数ヶ月後。
リオの予感は的中した。

「リオ様!」

ダンが血相を変えて駆け込んできた。

「海の向こうから、大艦隊が近づいています!」

「数は?」

「三十隻以上……完全に侵攻軍です!」

リオは立ち上がった。

「みんなを集めろ。緊急会議だ」

「どうする、リオ?」

トムが不安そうに尋ねる。

「戦うのか?」

「いや」

リオは首を振った。

「私たちは戦わない。争いを避ける」

「でも、相手は軍隊だぞ。降伏するつもりか?」

「降伏もしない」

リオは地図を広げた。

「私たちは、守る」

彼の指が、アクアリスの周囲をなぞる。

「この都市を、何があっても守る」

共和国艦隊が視界に入った時、
リオは海岸に立っていた。

「リオ様、本当にお一人で?」

「大丈夫だ」

リオは目を閉じた。
大地の奥深く、水脈が流れている。
海の底、冷たい海流が渦巻いている。
そして、その全てが、リオの魔力に呼応する。

(これが、私の全力だ)

千年前、
アクアリア帝国を建国した時以来の、全力の魔法。

「応えてくれ……水よ」

リオの両手が光り輝く。
膨大な魔力が放出され、海が反応する。
そして——

「な、何だ、あれは!」

艦隊の兵士たちが叫んだ。
海から、巨大な氷の壁が隆起していく。
轟音とともに、壁はどんどん高くなる。
百メートル、二百メートル、三百メートル——
やがて、アクアリスの周囲を完全に取り囲む、
高さ数百メートルの氷壁が完成した。
それは永久凍土。
リオの魔力により、決して溶けない氷。

「馬鹿な……」

艦隊の指揮官が呆然と呟く。

「あんな魔法……聞いたこともない……」

氷壁は、完璧だった。
登ることも、破壊することも不可能。
アクアリスは、文字通り、難攻不落の要塞となった。

「やった……」

ダンが呟く。

「リオが、守ってくれた……」

だが、リオは膝をついていた。
全身から汗が滴り落ちる。

「リオ様!」

ミラが駆け寄る。

「大丈夫……だ」

リオは立ち上がった。

「これで、少なくとも当面は安全だ」

「でも、この壁で閉じ込められたら、
私たちも外に出られないのでは?」

トムが心配そうに尋ねる。

「いや、問題ない」

リオは氷壁を見上げた。

「この壁には、内側からだけ
開閉できる門を設けてある。それに——」

彼は都市を振り返った。

「私たちには、もう十分なシステムがある」

水路による循環する水。
温泉による暖房と温室栽培。
冷凍保存による食料備蓄。
漁業、農業、畜産——全てが自給自足できる体制。

「アクアリスは、完全に独立した都市だ」

リオは宣言した。

「この壁の中で、私たちは自由に、
幸せに生きていける」

人々の間に、安堵の空気が広がった。
そして同時に、決意も。

「私たちは、ここで生きていくんだ」

「誰にも邪魔されない、自分たちの国で」

その夜、リオは一人、城壁の上に立っていた。
氷壁の向こう、
共和国の艦隊が遠ざかっていくのが見える。

「エリナ……」

リオは夜空を見上げた。

「私は、また守れたよ」

「大切な人たちを」

「あなたのように、理不尽に奪われることはない」

星が瞬く。
まるで、エリナが微笑んでいるかのように。
「でも、これで終わりじゃない」
リオは拳を握った。
「いつか、この壁の向こうの世界も
……変えなければならない」

「全ての人が、幸せに暮らせる世界に」

水の都アクアリス。
氷壁に守られた楽園。
だが、リオの夢は、まだ終わっていなかった。
むしろ、これからが本当の始まりだった。

(続く)

最初に作った水魔王のお話の続編です

流行りの転生モノ ファンタジーになりました 苦笑

 

 

# 水の帝国、千年の約束

## 第一章 終焉と始まり

白い寝台の上で、レンは静かに微笑んでいた。

「師よ、お苦しくはありませんか」

枕元に控える弟子たちの声が遠く聞こえる。
レンは首を横に振った。苦しくはない。
むしろ、穏やかだった。

アクアリア帝国初代皇帝レン。
水を操る大魔法使いとして知られた彼は、
かつて混乱の時代にこの国を建国した。
人々が飢えず、争わず、
笑顔で暮らせる国を——それが彼の願いだった。

「皆、よくやってくれた」

掠れた声で、レンは言った。

「この国を……頼んだぞ」

優秀な弟子たちが既に国の要職に就いている。
教育制度も、福祉制度も、全て整えた。
もう自分がいなくても、この国は大丈夫だ。

レンの瞼が重くなる。走馬灯のように、記憶が蘇る。

強盗に両親を殺された幼い日。
泣き崩れる自分を抱きしめてくれた、
近所のお姉さん——エリナ。
優しく、美しく、太陽のように暖かかった彼女。
彼女がいなければ、自分は生きていけなかった。

だが、エリナも今はいない。

横暴な王子に目をつけられ、理不尽に命を奪われた。
あの日、レンの中で何かが決壊した。
魔法の才能が開花したのは、その直後だった。

復讐のためではない。
エリナのような人が、
二度と理不尽に死なない世界を作るために
——レンは力を振るった。

「エリナ……」

最後に彼女の名を呟いて、レンは目を閉じた。

そして——

***

泣き声が聞こえた。

自分の泣き声だと気づくのに、少し時間がかかった。

(……なぜ、私は泣いている?)

体が動かない。
目を開けようとしても、光がまぶしい。
誰かに抱き上げられている感触。

「おや、こんなところに赤ん坊が」

低く優しい男の声がした。

「可哀想に。また捨て子か……」

捨て子?

レンの——いや、赤ん坊となったレンの意識は混乱した。
死んだはずではなかったか。なぜ自分は生きている?

「大丈夫ですよ。私たちが育てましょう」

男の声が続く。

「この子もきっと、神の導きでここに来たのです」

抱き上げられた赤ん坊は、ようやく目を開けた。

そこは石造りの建物の前。
質素だが清潔な僧服を着た男が、
自分を優しく抱いていた。

(寺院……?)

レンの記憶では、
アクアリア帝国に捨て子などいなかった。
孤児院制度を整え、
全ての子供が教育と
食事を受けられるようにしたはずだ。

だが、その疑問を確かめる術は、
今の彼にはなかった。

***

それから十年の月日が流れた。

レンは「リオ」という名で、
光明寺の僧侶たちに育てられた。
前世の記憶を持ちながら、
彼は新しい人生を歩んでいた。

そして、衝撃的な真実を知った。

ここは確かにアクアリア
——だが、帝国ではなく「共和国」だった。

しかも、自分が建国してから千年も経っているという。

「リオ、あまり外には出ないでおくれ」

ある日、養父である僧侶が心配そうに言った。

「最近、この辺りも物騒でね。
子供が襲われる事件が増えているんだ」

リオ——レンは頷いたが、心は騒いでいた。

物騒?子供が襲われる?

それはあり得ない。
自分が築いたアクアリア帝国では、
そんなことは——

だが、窓の外を見れば、現実は残酷だった。

路地裏には痩せ細った孤児たちが身を寄せ合い、
通りには浮浪者が倒れている。
商店の前では、
強盗まがいの恐喝が白昼堂々と行われていた。

「どうして……」

リオは呟いた。

「どうして、こんなことに……」

光明寺の図書室で、
リオは必死に歴史書を読み漁った。

そこには、アクアリア帝国の栄光と、
その後の衰退が記されていた。

初代皇帝レン——自分の名が、そこにあった。
「人民の父」「慈悲の大魔法使い」と称えられている。

だが、レンの死後、帝国は徐々に変質していった。
権力闘争、汚職、格差の拡大。
そして三百年前、革命が起こり、
帝国は倒され共和国が成立した。

しかし、その共和国は理想とは程遠かった。

腐敗した官僚、機能不全の福祉制度、広がる貧困——

「こんなはずじゃ……なかった」

リオは拳を握りしめた。

自分が命をかけて築いた国が、
こんな姿になっているなんて。

人々の笑顔を守るために作った制度が、
全て崩れ去っている。

(エリナ……)

脳裏に、あの優しい笑顔が浮かぶ。

「レン君、いつか大きくなったら、
みんなが幸せになれる世界を作ってね」

幼い日、エリナが言った言葉。

その約束を、自分は果たしたはずだった。

だが——

「もう一度だ」

リオは立ち上がった。

十歳の少年の体に、千年を生きた魂が宿る。

「もう一度、私は……この国を、
エリナが望んだ世界にする」

窓の外では、夕陽が街を照らしていた。

荒んだ共和国の空の下で、
誰もが疲れた顔で歩いている。

だが、リオの瞳には決意の光が宿っていた。

かつて一度、世界を変えた男。

その男が、再び歩き始める。

千年の時を超えて、約束を果たすために——

***

## 第二章 仲間たちとの出会い

リオが十二歳になった頃、
彼の周りには自然と仲間が集まり始めていた。

最初は、路地裏で強盗に襲われていた
孤児を助けたことがきっかけだった。
リオは前世の記憶から、基礎的な水魔法を使えた。
強盗たちを水流で弾き飛ばし、子供たちを救った。

「あ、ありがとう……」

震える声でお礼を言ったのは、
七歳ほどの少女だった。
頬はこけ、服はボロボロ。

「君の名前は?」

「ミラ……」

「ミラ、お腹空いてるだろう。
一緒に寺に来るか?」

それが始まりだった。

ミラの後には、
同じように路地裏で暮らしていた孤児たちが
次々とリオを頼ってきた。
元盗賊の少年ダン、
病気の妹を抱えた青年トム、
商家から逃げ出した少女エマ——

光明寺だけでは彼らを養いきれなかった。
リオは考えた末、
街の一角にある廃墟を拠点にすることにした。

「みんな、ここを私たちの家にしよう」

リオは水魔法で井戸を掘り、清潔な水を確保した。
仲間たちと協力して廃墟を修復し、
小さな共同体を作り上げた。

そして、リオは彼らに読み書きを教え始めた。
前世で確立した教育制度を思い出しながら、
基礎的な知識と、人として大切なことを伝えた。

「人は、誰もが幸せになる権利がある」

リオは言った。

「生まれがどうであれ、過去がどうであれ、
これからどう生きるかが大切なんだ」

仲間たちの目に、希望の光が灯り始めた。

***

だが、リオたちの活動は、
次第に街の統治者の目に留まるようになった。

「総督閣下、最近、下町で妙な動きがあります」

側近が報告する。

「孤児たちが組織化され、
犯罪が減少しているとか……」

「何?」

総督ガルバは眉をひそめた。

「犯罪が減るのは良いことではないか」

「しかし、その中心にいる少年が、
魔法を使うとの噂です。
しかも、かなりの実力者だと」

ガルバの表情が変わった。

魔法使い——それも民衆に慕われる魔法使いは、
自分の地位にとって脅威だった。

「調べろ。徹底的にな」

***

リオたちの共同体は順調に育っていた。

メンバーは五十人を超え、
皆が役割を持って働いていた。
ミラは料理を担当し、
ダンは警備を、
エマは子供たちの世話を——

「リオ、見て! 読めるようになったよ!」

幼い子供たちが、嬉しそうに本を見せてくる。

リオは微笑んだ。

(ああ、これだ。これこそが、
私が作りたかった世界だ)

だが、その幸せは長くは続かなかった。

ある日の早朝、
突然、兵士たちが共同体を取り囲んだ。

「総督命令だ! 貴様ら全員、拘束する!」

「何の罪でだ!」

リオが前に出る。

「窃盗、恐喝、不法占拠、魔法の無許可使用
——罪状は山ほどある!」

隊長が冷笑した。

「特に貴様、リオ。
無許可で魔法を使用し、民衆を扇動した罪は重い」

「そんな馬鹿な! 私たちは何も——」

「黙れ!」

リオは悟った。これは濡れ衣だ。
総督が、自分たちの存在を疎ましく思ったのだ。

抵抗すれば、仲間たちが傷つく。

「……分かった」

リオは手を上げた。

「私たちは従う。
だから、子供たちには手を出さないでくれ」

***

裁判は茶番だった。

証拠もなく、弁明の機会も与えられず、
リオたちは全員有罪となった。

「被告人リオ及びその仲間たち五十三名」

裁判長が宣告する。

「お前たちを、大陸の果て、未開の地へ永久追放する」

法廷がざわめいた。

未開の地
——それは、誰も生きて帰ったことのない場所だった。
凶暴な魔物が跋扈し、人食い植物が生い茂る森。
水もなく、作物も育たない荒れ地。

つまり、死刑と同じだった。

「リオ……」

ミラが泣きながらリオの手を握る。

「大丈夫だ」

リオは静かに言った。

「私たちは、生き延びる」

## 第三章 新天地

三週間の過酷な船旅の後、リオたちは見捨てられた。

「ここがお前たちの新しい住処だ」

兵士たちは嘲笑しながら、
最低限の道具だけを放り投げて去っていった。

目の前に広がるのは、絶望的な光景だった。

海沿いの荒れ地。岩だらけで植物も生えていない。
内陸には鬱蒼とした森が広がり、
その奥からは魔物の咆哮が聞こえてくる。

「ここで……生きていけるのか?」

トムが呻いた。

「生きていくんだ」

リオは言った。

「いや、生きていくだけじゃない。
ここに、新しい村を作る」

仲間たちは驚いてリオを見た。

「リオ、無理だよ。水もないし、土地も——」

「水なら、私が出す」

リオは地面に手を置いた。

前世の記憶が蘇る。水脈を探る感覚。
大地の奥深く、確かに水が流れている。

「集まれ! みんなの力が必要だ!」

リオは仲間たちに指示を出した。

「ダン、トム、他の男たちは石を集めてくれ。
ミラ、エマ、子供たちの世話を頼む」

そして、リオは魔法を発動した。

膨大な魔力が地中に注ぎ込まれる。
地下深くの水脈が反応し、
地表へと湧き上がってくる——

「出た! 水だ!」

仲間たちが歓声を上げた。

清らかな水が地面から噴き出し、小さな泉を作る。

「これで、第一段階はクリアだ」

リオは息を整えながら言った。

「次は、土を作る」

荒れた岩地を、肥沃な農地に変える。
それは気の遠くなるような作業だった。

だが、リオには前世の知識があった。
水魔法で土地を潤し、海藻を集めて堆肥を作り、
少しずつ土を改良していく。

一方で、森の魔物への対策も必要だった。

最初に現れたのは、
三メートルを超える巨大な狼だった。
鋭い牙を剥き出しにして襲いかかってくる——

「下がれ!」

リオは水の盾を展開し、狼の攻撃を防ぐ。
そして、水流で押し返す。

だが、殺さなかった。

「待て……お前も、この森で生きるのに必死なんだな」

狼の目を見て、リオは気づいた。

この狼は、傷ついていた。
より強力な魔物に追われて、ここまで逃げてきたのだ。

「分かった。お前も、仲間にしてやる」

リオは治癒の水魔法で狼の傷を癒した。

狼は驚いたように動きを止め、
やがてリオの手を舐めた。

それが、動物たちとの共生の始まりだった。

魔物に追われた草食動物たち
——鹿、猪、野生の鶏——を保護し、飼育することにした。
最初は警戒していた動物たちも、
リオの魔法で水と餌を与えられると、
次第に人間に慣れていった。

「これで、食料も確保できる」

ダンが感心したように言った。

「リオ、お前はすごいな。本当に村ができそうだ」

「いや、私一人の力じゃない」

リオは仲間たちを見渡した。

「みんながいるから、できるんだ」

***

一年が経った。

荒れ地だった場所に、小さいながらも畑ができ、
家が建ち、村らしい形が整ってきた。

そして、新しい住人も増えていた。

「助けてくれ……」

ある日、浜辺に遭難者が流れ着いた。
船が難破し、ここに流されたという。

「ここは……人が住んでいるのか?」

遭難者は驚愕した。

「ああ、歓迎する」

リオは微笑んだ。

「ここは、新しい始まりの場所だ」

また別の日には、放逐された元犯罪者たちが現れた。

「俺たちも、ここに送られてきた……」

彼らは警戒心を露わにしていた。

「ここでは、過去は問わない」

リオは言った。

「大切なのは、これからどう生きるかだ。
ここで一緒に働く気があるなら、仲間として迎える」

最初は疑っていた者たちも、
村の様子を見て考えを変えた。

清潔な水、耕された畑、協力し合う人々
——ここには、共和国にはなかった「希望」があった。

「俺も……仲間に入れてくれるか?」

「もちろんだ」

こうして、村人は百人、二百人と増えていった。

そして、リオは全ての新しい村人に、
基礎的な教育を施した。

読み書き、計算、農業の知識、
そして最も大切なこと——

「ここでは、誰もが平等だ。
互いを尊重し、助け合うこと。
それが、私たちの唯一のルールだ」

荒野に追放された犯罪者と孤児たち。

だが、彼らの手によって、
新しい社会が生まれようとしていた。

リオは海を見つめながら思った。

(エリナ、見ているか)

(私はまた、始めるよ)

(あなたが望んだ世界を、もう一度——)

夕陽が海を染める。

未開の地に、希望の灯が灯り始めていた。

(続く)

 

第四十弾の次のお話で

第三十九弾の前のお話です

ナターシャが

軍人になる切っ掛けを書きました

 

AIが考えてくれたタイトル

「透明な壁」はあまり気に入ってないので

何か良さそうなタイトルを思いついたら

変更する予定です

 

# 透明な壁

## 1

ヤール邸の広大な応接間は、いつも静まり返っていた。

ナターシャ・ヤールは三階の自室の窓から、
整然と刈り込まれた庭園を見下ろしていた。
十七歳の少女の瞳には、手入れの行き届いた緑も、
噴水の優雅な水音も、何の意味も持たなかった。

「お嬢様、お茶の時間ですよ」

家政婦のエマが控えめにドアをノックする。
ナターシャは返事をしなかった。
エマはため息をつき、静かに立ち去った。

十年前、
父ジャン・ラッセン・ヤールは
ヴァージン・エレクトロニクス研究所の
爆発事故で命を落とした。
父は同研究所の所長として、
最先端の電子工学研究を指揮していた。
母ディアナ・ヤールは国会議員として
多忙を極め、家にいることは月に数日もなかった。

父親っ子だったナターシャにとって、
父の死は世界の終わりだった。

携帯電話が震える。アランからのメッセージだ。

『今から行く。例のやつ、やるぞ』

ナターシャは初めてその日、
かすかに笑みを浮かべた。

## 2

夕暮れの公園に、
アラン・ドールとその仲間たちが集まっていた。

痩せ型で神経質そうなアラン、
がっしりした体格のマルコ、
いつもヘッドフォンをつけているリック。
全員がこの地区では名の知れた不良少年たちだった。

「で、今日のターゲットは?」
アランがナターシャに尋ねる。

「高級車に乗ってる連中。
適当に絡んで、金を巻き上げる」

ナターシャは淡々と答えた。
彼女の目には感情の光がなかった。

そのとき、黒塗りの高級車が公園の前に停まった。

降りてきたのは三十代半ばと思しき男だった。
仕立ての良いスーツを着て、知的な面立ちをしている。
男は真っすぐナターシャたちに向かって歩いてきた。

「ナターシャ・ヤール嬢ですね」

男は穏やかに微笑んだ。

「誰だお前」

アランが前に出た。

「フレデリック・マクミランと申します。
ディアナ議員の知人である
ネイサン・カシミール次期大統領候補の友人です。
ナターシャさん、少しお話を」

「帰れ」

ナターシャは冷たく言い放った。

「母さんの使いなら用はない。
どうせまた『心配してる』とか
『カウンセリングを受けろ』とか、
そういう話だろ」

「いいえ、違います。
あなたのお父様について、お話ししたいのです」

フレデリックの言葉に、ナターシャの表情が変わった。

「親父のことを、お前が何を知ってる」

「それは直接お話しした方が」

「うるせえ!」

アランが叫び、フレデリックの胸倉を掴もうとした。

## 3

次の瞬間、アランの体が宙を舞った。

フレデリックは微動だにしていなかった。
ただ、軽く手を払っただけだった。

「てめえ!」

マルコとリックが同時に襲いかかる。
フレデリックは優雅なステップで二人の攻撃をかわし、
手刀で二人の首筋を打った。
マルコとリックは地面に崩れ落ちた。

「な、何だこいつ…」

アランが震える声で言った。

ナターシャは鞄から何かを取り出した。

黒光りする拳銃だった。

「動くな」

ナターシャの声は冷たく、手は驚くほど安定していた。

「ナターシャさん、それは」

「黙れ。お前みたいな大人は信用できない。
みんな嘘つきだ。
親父が死んでから、
母さんの周りに群がってきた連中は
みんな、何か裏があった」

ナターシャは引き金を引いた。

銃声が公園に響き渡る。

だが、弾丸はフレデリックに届かなかった。

彼の手前、約一メートルの空中で、
弾丸は透明な何かに阻まれ、
力を失って地面に落ちた。

「何…?」

ナターシャの目が見開かれた。
アラン、マルコ、リックも、
目の前で起きた現象に呆然としていた。

フレデリックは静かに言った。

「ナターシャさん。
あなたのお父様の死には、
表沙汰にできない事情があります。
それについて、お話ししたかったのです」

「今の…今のは一体…」

「それも含めて、全てお話しします。
ただし、これからお話しすることは、
絶対に秘密にしていただかなければなりません」

フレデリックの表情は真剣だった。

ナターシャは
地面に崩れ落ちそうになるのを、必死に堪えた。
世界の常識が、音を立てて崩れていくのを感じた。

## 4

三週間後。

国立軍事訓練校の校庭に、新入生たちが整列していた。

その中に、
ナターシャとアラン、マルコ、リックの姿があった。

「性根を叩き直す、か」

ナターシャは苦々しく呟いた。

母ディアナとネイサン・カシミール、
そしてフレデリック・マクミランの話し合いの結果、
ナターシャたちは全員、
この訓練校に入れられることになったのだ。

「拳銃不法所持、暴行傷害、恐喝未遂…
普通なら少年院行きだぞ、お前ら」

鬼教官として名高い
サージェント・ブラックが怒鳴る。

「だが、特別な配慮でな、
ここで更生のチャンスをもらえたってわけだ。
感謝しろ!」

「感謝なんか、するか」

ナターシャは小声で言った。

だが、心の奥底で、
何かが変わり始めていることを感じていた。

父の死の真相。
あの日公園で見た、常識では説明できない現象。
そして、フレデリックが語った、
自分が知らなかった世界の秘密。

あれから、彼は何度も
「このことは誰にも話してはいけない」
と念を押した。
アランたちも、あまりの出来事に恐れをなし、
固く口を閉ざすことを誓っていた。

訓練校の門の外に、フレデリックの姿が見えた。
彼はナターシャに向かって、静かに頷いた。

ナターシャは目を逸らした。

でも、不思議と、その視線が温かく感じられた。

父親が遺したもの。
ヴァージン・エレクトロニクスで
父が本当に研究していたこと。
それを知る旅が、今始まろうとしていた。

(完)

第三十九弾より昔のお話で

第三十九弾に繋がるお話を作りました

 

ジョージの話は他にも作りたいと思ってます

一応 ジョージの経歴は既に作ってあるので・・・

アルヴェルトとラーナの経歴も作ってあります

実はこの3人ではアルヴェルトが

いろんな意味で一番凄い人という設定です

 

# 探偵ジョージ・リチャードソン ―消えた科学者―

秋の午後、
探偵ジョージ・リチャードソンの
事務所のドアが控えめにノックされた。
「どうぞ」
と声をかけると、

ドアが開き、小さな影が現れた。

七歳の少女だった。
ブロンドの髪を三つ編みにし、
紺色のワンピースを着た彼女は、
その幼い顔に似合わぬ真剣な表情を浮かべていた。

「探偵さん、ですか?」
少女は緊張した声で尋ねた。

「ああ、そうだよ。
ジョージ・リチャードソンだ。君は?」

「ナターシャ・ヤールです。
お父さんを探してほしいんです」

ジョージは椅子から立ち上がり、
少女を応接ソファに案内した。
助手のアルヴェルト・ドライゼが
コーヒーを淹れる音が奥から聞こえる。

「お父さんの名前は?」

「ジャン・ラッセン・ヤール。
ヴァージン・エレクトロニクスの所長です」
ナターシャは小さな手で涙を拭った。
「三日前から帰ってこないんです。
お母さんは議員の仕事で忙しくて
……だから私が来ました」

「お母さんは?」

「ディアナ・ヤール。
プレスコット共和国の国会議員です」

ジョージは眉をひそめた。
プレスコット共和国――この国の政治の中枢。
そして大手電子機器メーカーの所長が失踪。
これは単純な事件ではないかもしれない。

「わかった。引き受けよう」
ジョージはナターシャの頭に優しく手を置いた。
「必ず見つけ出すから」

---

調査は翌朝から始まった。
アルヴェルトと、もう一人の助手
ラーナ・ラヴロフスキーと共に、
ジョージはまず
ヴァージン・エレクトロニクス本社を訪れた。

受付で面会を申し込むと、
副所長のジョーダン・オニールが対応に出た。
三十代半ばの女性で、
知的な眼鏡の奥の目は冷たく光っていた。

「ジャン所長ですか?ええ、心配しています。
警察にも届けを出しましたが……」
オニールは事務的に答えた。
「最後に見たのは三日前の夕方。
研究所に向かうと言っていました」

「研究所?」

「郊外にある我が社の研究施設です。
機密性の高いプロジェクトを扱っていますので、
詳細はお話しできませんが」

ジョージは違和感を覚えた。
この女性の態度には、
上司を心配している様子がまったく感じられない。

---

その夜、三人は郊外の研究所に向かった。
人気のない工業地帯を車で走っていると、
突然、後方から黒いSUVが猛スピードで迫ってきた。

「ジョージ、まずいぞ!」
アルヴェルトが叫んだ。

銃声が響いた。
後部座席のラーナが素早く身を伏せる。

「軍用車両だ!」
ラーナが叫んだ。
「プレスコット共和国軍のマーキングがある!」

なぜ軍が関与している?
ジョージは激しくハンドルを切り、
追跡を振り切ろうとしたが、
前方にも軍用車両が現れた。完全に挟まれた。

「降りろ!戦うしかない!」

三人は車から飛び出した。
SUVから降りてきたのは、
完全武装した兵士たち――六人。

ジョージはコートの内側から愛用の拳銃を抜いた。
一発、二発。
正確な射撃が兵士の武器を弾き飛ばす。

アルヴェルトが腰のホルスターから光剣を引き抜いた。
青白い光の刃が闇を裂く。
「久しぶりだな、この感覚!」
彼は笑みを浮かべながら、
襲いかかる兵士たちに斬りかかった。
光剣が銃弾を弾き、兵士の防弾ベストを焼き切る。

「右!」
ラーナが叫んだ。

別の兵士が彼女に襲いかかったが、
ラーナの姿が残像を残して消えた。
人間離れした速度だ。
兵士の銃口がラーナを追うが、
彼女はすでにそこにはいない。

銃弾が空を切る。
ラーナは兵士たちの攻撃を、
まるで舞うように全てかわしていく。
ナイフの一閃――残像。
銃撃の嵐――残像。
彼女の動きはあまりに速く、
兵士たちの目には
複数のラーナが同時に存在しているように見える。

そして次の瞬間、
鋭い回し蹴りが兵士の顎に叩き込まれた。
続けざまに肘打ち、膝蹴り。
サンボとキックボクシングを融合させた
彼女の格闘技は、その超人的な速度と相まって、
重装備の兵士たちを次々と無力化していく。
攻撃は全て空を切り、
ラーナの反撃だけが正確に命中する。

「後ろだ、ジョージ!」

ジョージは振り返りざま発砲。
弾丸は兵士の肩を掠め、武器を落とさせた。
その兵士にラーナが飛びかかり、
関節技で地面に叩きつける。

アルヴェルトの光剣が唸りを上げて回転し、
三人の兵士を同時に薙ぎ払った。
「数が多いぞ!」

「増援が来る前に逃げるぞ!」
ジョージが叫んだ。

最後の一人を蹴り倒したラーナが頷く。
三人は工業地帯の迷路のような路地に走り込んだ。
背後でサイレンが響き、
さらなる増援が到着する音が聞こえる。

曲がり角を曲がるたび、
ジョージは後方に威嚇射撃を放った。
アルヴェルトは光剣で追跡車両のタイヤを切り裂き、
ラーナは廃材を蹴り飛ばして道を塞ぐ。

どうにか追跡を振り切り、
廃工場の影に身を隠した三人は、
息を切らせながら顔を見合わせた。

「一体何が起きてるんだ?」
アルヴェルトが呟いた。

「わからない。
だが、ジャン・ヤールは
何か非常にまずいものに関わっていたようだ」
ジョージは拳銃に弾を込め直しながら答えた。
「そして誰かが、それを隠蔽しようとしている」

---

翌日、
より慎重に接近した三人は、
ついに研究所への侵入に成功した。
薄暗い廊下を進むと、
奥の実験室から微かな光が漏れていた。

ドアを開けると、そこには――。

ジャン・ラッセン・ヤールが実験台の前で倒れていた。
すでに息はなかった。
机の上には研究資料が散乱している。

「これは……」
ラーナが資料に目を通す。
「コンピューターウイルス?
しかもこの設計は
……あらゆる防御システムを突破できる。
画期的すぎる」

アルヴェルトが別の資料を手に取った。
「軍事ネットワークへの侵入を想定している。
これが完成すれば、
一国の防衛システムさえ無力化できるぞ」

その時、警報が鳴り響いた。

「罠だ!逃げるぞ!」

三人は走った。

背後で爆発音が響き、炎が廊下を駆け上がってくる。
研究所全体が爆破されようとしている。
証拠隠滅だ。

間一髪、非常口から飛び出した瞬間、
背後で研究所が巨大な火柱を上げた。

---

一週間後、
ジャン・ラッセン・ヤールの葬儀が執り行われた。

黒い服を着たナターシャは、
父の棺の前で声を上げて泣いていた。
母親のディアナが娘を抱きしめている。

ジョージたち三人は
静かにナターシャの方へ歩いて行った。

その光景を、
葬儀の参列者の中から眺めている女性がいた。

ジョーダン・オニール。
ヴァージン・エレクトロニクスの副所長。

彼女の唇が、わずかに歪んだ。
不敵な笑みだった。

その目は、
次の計画をすでに見据えているかのようだった。

軍との取引は続く。
研究は別の場所で継続される。
そして彼女は――所長の座を手に入れた。

すべては計画通りに。

ジョージはふと視線を感じて振り返ったが、
オニールはすでに群衆の中に消えていた。

事件は終わった。
だが、真実はまだ闇の中にある。

それを知るジョージの胸に、重い予感が残った。

**(完)**

これは昔 ダイ・ハードや沈黙の艦隊のようなお話を

と思って作ったものです

その時はナターシャの亡き父も悪人

として後の勝利を確信して自殺した

という流れだったのですが・・・

当時は「サイレント・フリート」という

そのものズバリのようなタイトルを付けていたので

今回はAIの考えてくれた

「裏切りの艦隊」に変えました 苦笑

 

 

 

 

 

# 裏切りの艦隊

## 第一章:演習の朝

艦隊演習の朝は、

いつもと変わらぬ静けさで始まった。

プレスコット共和国とシュトゥットガルト共和国。
二つの大国は五年に及ぶ戦争の末、
ようやく停戦にこぎつけていた。
だが、その平和は脆く、不安定なものだった。

「ナターシャ、ちょっといいか」

特殊作戦部隊「赤い狐」の隊員ナターシャ・ヤールは、
艦内通信機から聞こえてきた声に顔を上げた。
幼馴染のアラン・ドール
――特務艦「ロイホック」の艦長だ。

「アラン?どうしたの」

「少し話がある。艦長室まで来てくれないか」

声のトーンは穏やかだったが、どこか緊張を孕んでいた。

ナターシャは首をかしげながらも、
隊長のダグラス・ライトニングに一声かけて
艦長室へと向かった。

廊下を歩きながら、
彼女は今回の演習について考えていた。
副大統領ジョーダン・オニールの強い提案で
実現したこの大規模演習。
停戦派のネイサン・カシミール大統領は渋っていたが、
最終的には軍の士気維持という名目で承認された。

何かが、おかしい。

ナターシャの直感がそう囁いていた。

アランの艦長室に到着し、ドアチャイムを鳴らす。
しかし応答はなかった。
もう一度鳴らしても、反応はない。

「アラン?」

不審に思い、通信を試みる。だが繋がらない。

その時だった。

艦内に警報が鳴り響いた。

「全艦に告ぐ。
これより艦隊は特別作戦行動に移行する」

メインスピーカーから流れてきたのは、聞き慣れた声
――ダグラス・ライトニングの声だった。

「我々はシュトゥットガルト共和国領への
先制攻撃を開始する。各員は配置につけ」

ナターシャの血の気が引いた。

何を言っている。停戦中だ。

これは演習のはずだ。

彼女は走り出した。
ブリッジへ。指揮系統を確認しなければ。

しかし、廊下で彼女を待ち受けていたのは、
「赤い狐」の同僚たちだった。銃を構えて。

「悪いな、ナターシャ」

分隊長のマーカスが申し訳なさそうに言った。

「お前は巻き込めない。ライトニング隊長の命令だ」

「待って!何をするつもりなの!?戦争を再開させる気!?」

「俺たちは命令に従うだけだ。
オニール副大統領とライトニング隊長の計画を、な」

ナターシャは愕然とした。
オニール副大統領――戦争継続派の中心人物。
彼がこの演習を企画した
真の目的は、これだったのか。

艦隊を掌握し、
停戦中のシュトゥットガルト領を奇襲する。
開戦の既成事実を作り、
カシミール大統領の和平政策を破綻させる。

「アランは!?アランはどこ!?」

「艦長なら、もちろん作戦に協力してるさ。
彼も戦争継続派だからな」

その言葉が、ナターシャの心を刺した。

アラン。幼い頃から共に過ごした幼馴染。
戦争が始まる前、二人で星空を見上げながら
平和について語り合った相手。

その彼が――

「お前だけは別室に確保する。
作戦が終わるまで、大人しくしててくれ」

「させない」

ナターシャは低く呟いた。

「私は、この戦争を止める」

彼女は素早く動いた。
マーカスの銃を払い除け、廊下を駆け抜ける。
背後から銃声が響いたが、彼女を撃つ気はないらしい。
弾は足元をかすめるだけだった。

通信室。そこに行けば本国に連絡できる。
カシミール大統領に、この狂気の計画を伝えられる。

だが、通信室は既に封鎖されていた。

ナターシャは歯噛みした。
艦隊全体が掌握されている。
「赤い狐」の隊員たちは
全員、ライトニングに従っている。
彼女一人では――

「ナターシャ」

振り返ると、そこにアランが立っていた。

艦長服に身を包んだ彼は、
どこか疲れたような表情を浮かべていた。

「アラン……本当なの?あなたも、この作戦に?」

「ああ」

彼は静かに頷いた。

「五年間の戦争で、俺たちは多くを失った。
仲間を、家族を、未来を。
そしてこの停戦で、俺たちは何を得た?
不安定な平和か?敵への恐怖を抱えたまま眠る夜か?」

「でも――」

「終わらせるんだ、ナターシャ。
この戦争を、俺たちの手で。勝利という形で」

「それは終わりじゃない」
ナターシャは叫んだ。
「新たな憎しみの始まりよ!」

アランは目を伏せた。

「艦長室に呼んだのは、
お前を巻き込みたくなかったからだ。
お前だけは、平和を信じていてほしかった」

「じゃあ、一緒に止めて。今ならまだ――」

「遅い」

アランは腕のコンソールを操作した。
艦隊の進路が表示される。

すでにシュトゥットガルト共和国の国境まで、
あと二時間を切っていた。

「ナターシャ・ヤール。君を艦長権限により拘束する」

「アラン!」

彼女の叫びも虚しく、
周囲を武装した兵士たちが取り囲んだ。

## 第二章:独房の中で

独房に閉じ込められたナターシャは、
壁に背を預けて座り込んだ。

まだ終わっていない。諦めるわけにはいかない。

彼女は制服のポケットに忍ばせていた
小型の携帯端末を取り出した。
通信機能は封じられているが、
データ解析機能は生きている。

艦隊の制御システムに侵入できれば――

指を走らせながら、ナターシャは奇妙なことに気づいた。

艦隊の統制システムに、見覚えのあるコードの痕跡がある。

このアルゴリズムは――

心臓が激しく打った。

これは父の、コードだ。

ジャン・ラッセン・ヤール。
十年前に他界した、
天才的なシステムエンジニアだった父。
軍の研究機関で働いていた彼は、
生前、高度なサイバー兵器の開発に携わっていた。

まさか、これは父が開発したウイルスなのか?

ナターシャは端末を操作し続けた。
コードを追跡し、その本質を探る。
そして彼女は震えた。

これは艦隊制御システムを
完全に乗っ取るために設計された、
極めて高度なウイルスだった。
正規の認証を迂回し、指揮系統を書き換え、
全ての艦を単一の制御下に置く。

父は、なぜこんなものを――

そして、もう一つの疑問が浮かんだ。

このウイルスを、誰が起動させたのか。

父の死後、
そのデータは全て軍の機密保管庫に封印されたはずだ。
アクセスできる人物は限られている。

オニール副大統領。

彼女の脳裏に、ある記憶が蘇った。

父の葬儀に、オニールが来ていた。
当時はまだ若手の国防次官だった彼は、
遺族であるナターシャと母に、深い哀悼の意を表した。

そして――母の様子が、少しおかしかった。

オニールを見た母は、
顔を強張らせ、目を逸らしていた。
まるで、何か隠しているかのように。

まさか。

ナターシャの脳裏に、恐ろしい推測が浮かんだ。

オニールと父は、ただの上司と部下の関係ではなかった。彼らは――

独房のドアが開いた。

「お嬢さん」

そこに立っていたのは、老いた技術士官だった。

「私は、あなたの父上と共に働いていた者です」

彼は周囲を確認してから、小声で続けた。

「お嬢さんに、真実を伝えなければならない」

## 第三章:隠された真実

老技術士官の名はトマス・グレイソン。
父の研究チームに所属していた人物だった。

「ジャン・ラッセンは、優れた科学者でした」
グレイソンは静かに語った。
「しかし彼は、自分の研究が兵器として
使われることに苦悩していた」

「父が……」

「彼は、オニール次官
――当時の彼女と、関係を持っていました」

ナターシャは息を呑んだ。

「ジョーダン・オニールは、
あなたの父を利用したのです。
彼女の野心のために。
そして、あのウイルスを完成させた直後
――ジャンは死んだ」

「事故だったはずよ。研究所の爆発事故で――」

「事故ではありません」

グレイソンは首を振った。

「ジャンは、自分の開発したウイルスの危険性に気づき、

それを破棄しようとしました。
しかしオニールは、それを許さなかった」

ナターシャの拳が震えた。

「そして今、彼女はそのウイルスを使って
艦隊を乗っ取り、戦争を再開させようとしている」

「なぜ、今になって私に?」

「アラン・ドール艦長のことです」
グレイソンは深刻な表情で言った。
「彼もまた、この陰謀の犠牲者なのです」

「アランが?」

「彼は――」
グレイソンは言葉に詰まった。
「彼は、あなたの父のクローンなのです」

世界が音を立てて崩れ落ちる気がした。

「何を……言って……」

「十五年前、軍の極秘プロジェクトで、
優れた人材の遺伝子を保存し、
クローンを作成する計画がありました。
ジャン・ラッセンもその対象でした。
そして生まれたのが、アラン・ドールです」

アラン。幼馴染だと思っていた彼。

共に育ち、共に笑い、共に夢を語った彼。

その彼が、父の――

「彼は自分の出自を知っています。
オニールが教えました。
そして、自分が生まれた目的
――戦争に勝利するために作られた存在であることを、
受け入れたのです」

ナターシャは壁に手をついた。
立っているのがやっとだった。

「お嬢さん、
ウイルスを止める方法は一つしかありません」

グレイソンは小型のデータチップを差し出した。

「これはジャンが遺した、緊急停止コードです。
しかし、それを実行するには、
中央制御室に直接アクセスする必要がある。
そして――」

彼は言葉を切った。

「制御室には、アラン艦長がいます」

## 第四章:決断

グレイソンの協力で独房を脱出したナターシャは、
艦の奥深くへと潜入した。

時間がない。国境まで、あと一時間を切っている。

中央制御室への道は、驚くほど警備が薄かった。
アランが、彼女の来訪を予期しているのだ。

扉を開けると、そこにアランがいた。

無数のモニターに囲まれた部屋の中央で、
彼は一人、コンソールに向かっていた。

「来ると思っていたよ、ナターシャ」

振り返った彼の顔には、穏やかな笑みがあった。

「アラン……」

「グレイソンから聞いたんだろう。俺の正体を」

ナターシャは頷いた。

「なぜ」
彼女は震える声で尋ねた。
「なぜこんなことを」

「俺は――」
アランは言葉を選ぶように、ゆっくりと話した。
「俺は、ジャン・ラッセン・ヤールとして生まれた。
彼の遺伝子を持ち、彼の才能を受け継ぎ、
彼の目的を果たすために作られた」

「父はこんなこと、望んでいなかった!」

「知っている」
アランは静かに言った。
「ジャンは平和を望んでいた。
だから俺も、子供の頃はそう思っていた。
お前と一緒に星を見ながら、
戦争のない世界を夢見ていた」

彼は画面に映る艦隊を見つめた。

「でも成長するにつれて、理解したんだ。
俺は彼じゃない。
俺はアラン・ドール。戦争のために生まれた存在だ。
ならば、その目的を果たすべきだと」

「それは洗脳よ!オニールが、あなたに――」

「違う」
アランは首を振った。
「これは俺自身の選択だ。
ジャンのように苦悩しながら生きるより、
自分の存在意義を受け入れて生きる方が、
俺には合っている」

ナターシャは銃を抜いた。

「止めて、アラン。今すぐウイルスを停止させて」

「できない」

「撃つわよ」

「撃てばいい」
アランは振り返り、まっすぐに彼女を見つめた。
「でも、それでもウイルスは止まらない。
プログラムは既に自律稼働している」

「嘘よ!」
ナターシャはデータチップを掲げた。
「父の緊急停止コードがある!」

アランの目が、わずかに揺れた。

「ジャンの……」

「これを実行させて。お願い」

長い沈黙が流れた。

モニターには、刻一刻と国境に近づく
艦隊の姿が映っていた。

「ナターシャ」
アランは静かに言った。
「俺に近づいてくれ」

彼女は警戒しながら、ゆっくりとアランに近づいた。

そして――

アランの手が、コンソールに伸びた。

ナターシャは反射的に叫んだ。

「やめて!」

彼女の指が、引き金を引いた。

銃声が、制御室に響き渡った。

アランの体が、床に崩れ落ちる。

「アラン!」

ナターシャは駆け寄った。彼の胸から血が流れている。

「どうして……どうして動いたの……」

「ごめん……」
アランは苦しそうに笑った。
「最後まで……お前を困らせて……」

彼の手が、ナターシャの頬に触れた。

「本当は……お前と一緒に……
平和な世界を……見たかった……」

「アラン……」

涙が溢れ出た。

「俺は……ジャンにはなれなかった……でも……」

彼の瞳が、ゆっくりと閉じていく。

「お前に会えて……よかった……ナターシャ……」

アランの手が、力なく落ちた。

ナターシャは声を上げて泣いた。
幼馴染の、

いや、もう一人の父の腕の中で。

しかし、時間は待ってくれない。

彼女は涙を拭い、立ち上がった。

データチップをコンソールに挿入し、
緊急停止コードを実行する。

画面にエラーメッセージが表示された。

『認証が必要です。
ジャン・ラッセン・ヤールの遺伝子情報を
確認してください』

ナターシャは凍りついた。

遺伝子認証。
父本人か、その直系の――

彼女はアランを見た。

血だまりの中に横たわる彼の手から、
わずかな血液を採取する。
震える手で、それを認証装置にかざした。

『認証完了。
ジャン・ラッセン・ヤールの遺伝子を確認しました』

画面が切り替わり、停止プログラムが起動した。

艦隊の全システムが、次々と正常な制御下に戻っていく。

モニターを見つめるナターシャの前で、
艦隊は国境のわずか手前で停止した。

戦争は、回避された。

しかし、その代償は――

ナターシャは床に膝をついた。
アランの傍らで、彼女は静かに嗚咽した。

## エピローグ

三日後、ナターシャはカシミール大統領の執務室にいた。

オニール副大統領は逮捕され、
ダグラス・ライトニングと
「赤い狐」の隊員たちも拘束されていた。
陰謀は明るみに出て、
プレスコット共和国は大きく揺れた。

「君の勇気が、戦争を止めてくれた」
大統領は静かに言った。
「国民を代表して、感謝する」

「私は……」
ナターシャは俯いた。
「私は、ただ……」

彼女の言葉は、涙に遮られた。

大統領は何も言わず、ただ静かに待った。

「アラン・ドール艦長には、国葬を行う」
しばらくして、大統領が言った。
「彼もまた、この狂気の犠牲者だ」

「ありがとうございます」

執務室を出て、ナターシャは屋上へと向かった。

そこから見える空は、驚くほど青く澄んでいた。

父の作ったウイルス。
父の愛人だったオニール。
父のクローンだったアラン。

全てが繋がり、全てが彼女を苦しめた。

しかし――

「お父さん」

ナターシャは空に向かって呟いた。

「あなたが遺してくれた停止コードが、戦争を止めたわ。

あなたは最後まで、平和を信じていたのね」

風が吹き、彼女の髪を揺らした。

「アランも……
最後は、あなたと同じ心を持っていたと思う」

涙が頬を伝った。

でもそれは、悲しみだけの涙ではなかった。

戦争は止まった。

犠牲は大きかったが、より大きな惨禍は避けられた。

これから先、長い道のりが待っている。
シュトゥットガルト共和国との真の和解。
傷ついた人々の心の回復。
そして、二度とこのような陰謀が起きないような、
新しい社会の構築。

ナターシャ・ヤールは、拳を握りしめた。

父の遺志を。

アランの最後の願いを。

彼女は、これから先も戦い続ける。

平和のために。

空を見上げた彼女の目に、
かつてアランと一緒に見た星空が浮かんだ。

「また会おうね、アラン」

風が、彼女の言葉を運んでいった。

青い空の彼方へ。

**【完】**

第三十七弾が片想いのお話だったので

その真逆の話と思って作りました

 

 

 

# 祭りのあと

## 一

結婚して三年。

私の生活は順風満帆だった。

夫の健太は真面目で安定した収入がある。
文句のつけようがない相手だ。
だが、それだけだった。

刺激がない。
ときめきがない。
だから私は、結婚後も仕事を続けた。
そして、密かに楽しみを見つけた。

営業部の斎藤さんは十歳年上で、
口が上手く、余裕がある。
既婚者だが、それが逆に都合が良かった。
お互いに深入りしない関係。
会社の飲み会の後、
さりげなく抜け出してホテルへ向かう。
そんな時間が、私に生きている実感をくれた。

そして半年前、
新入社員の優太が入社してきた。
爽やかで素直な笑顔。
私に懐いてくる様子が可愛くて、
つい手を出してしまった。
彼は私を慕い、時には重い愛情を見せたが、
それもまた刺激的だった。

週末は友人たちと飲み歩く。
バーやクラブで声をかけられることも多い。
一夜限りの恋。
それは私にとって、日常のスパイスだった。

夫は何も知らない。知ろうともしない。
それでいい。私は自由だった。

## 二

転機が訪れたのは、ある秋の日だった。

「実は、妻と別れることにしたんだ」

斎藤さんがそう告げたのは、
いつものホテルのベッドの上だった。
私は驚いて彼を見つめた。

「どうして急に」

「もう限界だったんだよ。君と一緒にいたい」

彼の真剣な眼差しに、私の心が高鳴った。
斎藤さんは既婚者だからこそ良かったのに。
でも、彼が私を選んでくれるなら、
それも悪くない。

そして一週間後、
さらに驚くべき知らせが飛び込んできた。
斎藤さんの部長昇進が内定したのだ。

「これで君を幸せにできる。
俺についてきてくれるか」

計算が始まった。
部長の妻。

安定した生活。
今の夫よりも確実に上のステージ。

でも問題があった。
離婚には理由が必要だ。慰謝料も欲しい。

そこで、私はある計画を思いついた。

## 三

受付の美咲ちゃんは、地味で目立たない存在だった。
いつも控えめで、華やかな場所では隅にいるような子。
化粧も薄く、地味な服装で、
男性社員から注目されることもない。

でも、私から見れば世間知らずのお嬢さんだった。
いつもニコニコして、誰にでも親切で、純粋すぎる。
社会の厳しさを何も知らない。
こんな地味で目立たない子なら、
利用するのは簡単だった。

「美咲ちゃん、ちょっと相談があるんだけど」

私は彼女をランチに誘った。

「実は、夫が最近冷たくて。
もしかしたら、
他に女性がいるんじゃないかって不安なの」

美咲ちゃんは心配そうに頷く。
まるで子犬のような瞳。

本当にちょろい。

「だから、確かめたいの。
美咲ちゃん、私の夫と少し親しくなってもらえない? 
もし彼が浮気するような男なら、早めに知りたいから」

「でも、それって……」

「お願い。本当に困ってるの。
美咲ちゃんなら信頼できる」

涙まで浮かべて頼み込むと、
彼女は困った顔をしながらも、最終的に頷いてくれた。

(馬鹿ね。これだから世間知らずは)

私は美咲ちゃんに夫の連絡先を教え、
偶然を装って接近するよう仕向けた。
夫は誠実だが、美人に優しくされれば心が揺れるはずだ。
証拠さえ掴めば、私から離婚を切り出し、
慰謝料をたっぷりもらえる。

完璧な計画だった。

## 四

しかし、世の中はそう甘くなかった。

まず、斎藤さんの離婚話が暗礁に乗り上げた。
奥さんが不倫を疑い始め、探偵まで雇ったらしい。
斎藤さんは焦り、私との連絡を絶った。

そして、優太との関係も破綻した。

「先輩、本気で好きなんです。結婚してください」

彼の告白を軽くあしらったところ、
逆上した彼が社内で私たちの関係を漏らしてしまった。
しかも、優太は重役の息子だった。

人事部から呼び出され、厳重注意を受けた。
社内不倫。しかも複数。

噂はあっという間に広がった。

そして、決定的な事態が起きた。

夫が私を呼び出した。

「君が美咲さんを使って、
俺を試そうとしたこと、全部聞いた」

夫の冷たい声。

「美咲さんは正直に全て話してくれた。
そして、君の不倫のことも調べた」

夫の手には、探偵の調査報告書があった。
斎藤さんとの密会。優太との関係。週末の男遊び。
全てが記録されていた。

「離婚する。慰謝料も請求させてもらう」

私は何も言えなかった。

斎藤さんも終わっていた。
不倫が完全にバレて、
離婚調停中に多額の慰謝料を請求され、
昇進も取り消された。
彼は私を恨むようになり、連絡は途絶えた。

## 五

離婚が成立し、会社も退職した。
慰謝料の支払いで貯金はほとんど消えた。

社内不倫の噂が業界に広まり、
再就職活動をしても、どこも採用してくれない。
面接すらまともに受けられない日々が続いた。

ある日、偶然元同僚に会った。

「ねえ、知ってる? 
受付の美咲ちゃん、実は社長令嬢だったんだって」

その言葉に、私は凍りついた。

「え……」

「だから、誰も知らなかったけど、
本当はお嬢様だったのよ。
で、最近ね、
あなたの元旦那さんと付き合ってるらしいわよ」

頭が真っ白になった。

美咲は社長の娘。
世間知らずだと思っていた彼女は、
実は私の立場など一瞬で崩せる存在だった。
そして、私が利用しようとした彼女が、
今、私の元夫と……。

## 六

秋の夕暮れ。
また面接に落ちた帰り道。
疲れ果てて駅前を歩いていると、
見覚えのある二人の姿が目に入った。

健太と美咲さん。

二人は楽しそうに笑いながら、
高級レストランに入っていく。
美咲さんの左手の薬指が、夕日を浴びて輝いていた。

私は立ち止まり、遠くからその光景を見つめた。

あの世間知らずだと思っていた受付嬢は、社長令嬢。
私が馬鹿にしていた彼女が、
今、私の元夫と幸せそうに歩いている。

胸が締め付けられる。
悔しい。情けない。
でも、それ以上に、
自分がどれだけ愚かだったのか、ようやく理解した。

私は彼女を利用しようとした。
でも、利用されていたのは
私の方だったのかもしれない。
いや、違う。彼女は何も企んでいなかった。
ただ、私が勝手に自滅しただけだ。

全ては、私が選んだ道だった。

二人の姿が店の中に消えると、
私は力なく歩き出した。
誰もいない夜の街へ。ひとりで。

**終**

 

片想いのお話を作りました

自分自身 学生時代に約10年ほど

1人の女性に片想いをしていたので

片想いの話はいくつも考えてしまいますね

でもその人は転校生ではありませんでした 苦笑

 

 

 

# ガラス越しの再会

## 一

転校生が来た日のことを、
僕は今でも鮮明に覚えている。

小学三年生の春。
担任の先生に連れられて教室に入ってきた彼女は、
眼鏡をかけた普通の女の子だった。
美人というわけでもなく、
成績が特別良いわけでもない。
運動が得意なわけでもない。
クラスの誰もが「ふーん」という反応だった。

でも、僕の心臓は初めて会った瞬間から、
バクバクと音を立てていた。

彼女が自己紹介で小さな声で
「よろしくお願いします」と言った時、
僕は自分の席で固まっていた。
彼女の名前は佐藤美咲。
隣の県から引っ越してきたという。

それから僕の片想いが始まった。

僕自身はといえば、
絵を描くのが好きだけど上手くはない。
運動音痴で、成績は中の下。
自慢できることなんて何一つない、
暗くてネガティブな少年だった。
クラスでも目立たない存在で、
休み時間は一人で絵を描いているか、
図書室に籠っているかだった。

そんな僕が美咲さんに話しかけられるはずもなく、
ただ遠くから彼女を見ているだけの日々が続いた。

中学に上がっても、高校に進んでも、
その気持ちは変わらなかった。
いや、むしろ強くなっていった。
告白しようと思ったことは何度もあった。
でも、いつも一歩が踏み出せなかった。
僕みたいな奴が彼女に釣り合うわけがない。
そう思うと、言葉が喉の奥で固まってしまうのだ。

## 二

高校三年生の冬。僕は大学受験に失敗した。

美咲さんは地元の国立大学に合格した。
僕は浪人する気力もなく、適当なアルバイトを始めた。
コンビニ、引っ越し業者、居酒屋。
職を転々としながら、気づけば二十歳を過ぎていた。

美咲さんが大学の先輩と付き合い始めた
という噂を聞いたのは、そんな頃だった。
高校時代の友人から聞いた話だ。
胸が締め付けられるような痛みを感じたけれど、
不思議と彼女への想いは消えなかった。

「お前、まだ佐藤のこと好きなのか?」

友人に呆れられたけれど、
僕はただ笑って誤魔化すしかなかった。

二十五歳の春。僕は建設現場で働いていた。
その日は朝から雨が降っていて、
足場が滑りやすくなっていた。

「おい、気をつけろよ!」

先輩の声を聞いた直後だった。
足を滑らせた僕は、二階から転落した。

## 三

病院のベッドで目を覚ました時、
全身が痛かった。骨折と内臓損傷。
医者からは「命があっただけでも奇跡」と言われた。

入院中、高校時代の親友が見舞いに来てくれた。
彼は僕の無茶な頼みを聞いてくれた。

「美咲さんの結婚式の写真、見せてくれないか」

親友は困った顔をしたけれど、
数日後にスマホの画面を見せてくれた。

真っ白なウェディングドレスを着た美咲さんは、
本当に幸せそうだった。
隣には誠実そうな男性が立っていた。
ああ、良かった。彼女は幸せになったんだ。

「ありがとう」

僕はそう言って、スマホを親友に返した。

その夜、僕は痛み止めを飲んで眠りについた。
もう何も思い残すことはない。
彼女の幸せを見届けることができた。
これで僕の役目は終わった。

モニターの音が、遠くで規則正しく響いていた。

病室の窓から見える夜空は、やけに綺麗だった。

ああ、これで良かったんだ。

意識が、ゆっくりと深い闇の中に沈んでいった。

## 四

目を覚ました。

白い天井。消毒液の匂い。
まだ病院だった。生きている。

医者は「奇跡的だ」と言った。
一時は危篤状態だったらしい。
でも、僕は生き延びた。

あれから十年が経った。

僕は何とか回復し、タクシー運転手になった。
建設現場には戻れなかったけれど、
この仕事は一人で黙々とできるから性に合っていた。
相変わらず平凡で、これといった取り柄もない人生。

それでも、僕の心の中には、変わらず美咲さんがいた。

結婚したと知っても、その想いは消えなかった。
むしろ、彼女の幸せを願う気持ちが、
僕の片想いをより純粋なものにしていった。
誰にも言えない、誰にも理解されない、
ただ一人の女性を想い続ける人生。
それが僕の生きる理由になっていた。

初夏の午後。
駅前のタクシー乗り場で客待ちをしていると、
後部座席のドアが開いた。

「○○町までお願いします」

その声を聞いた瞬間、僕の手がハンドルの上で震えた。

バックミラーに映ったのは、間違いなく彼女だった。
眼鏡は変わっていたけれど、
その横顔は二十年前と変わらない。
でも、どこか疲れた様子で、
隣には小学校低学年くらいの女の子が座っていた。

「ママ、疲れた」

「もうすぐ着くからね」

美咲さんの優しい声が車内に響く。

僕は何も言えなかった。
ただ、アクセルを踏んで車を発進させた。

信号待ちの間、バックミラーで彼女を見た。
左手の薬指には指輪がなかった。
娘さんと二人きり。もしかして。

目的地に着いた。

「ありがとうございました」

美咲さんは料金を払い、娘さんの手を引いて降りていく。

僕は何も言えなかった。

言葉が喉の奥で固まってしまう。

小学三年生の時と同じだ。

バックミラー越しに、彼女の後ろ姿を目で追った。
古いアパートの階段を、一段一段上っていく。
娘さんが何か話しかけると、美咲さんが優しく答える。
その横顔を、僕はじっと見つめていた。

階段の踊り場まで来た時、美咲さんがふと振り返った。

そして、タクシーの中の僕と目が合った。

彼女の目が、ゆっくりと大きく見開かれる。
眼鏡の奥の瞳が、驚きと、
そして何か別の感情を映していた。

口元が小さく動く。何か言いかけたようだった。

でも、僕は視線を逸らして、アクセルを踏んだ。

二十年間。ずっと片想いだった。

そして今も、この想いは何一つ変わっていない。

彼女が結婚していても、離婚していても、
僕の気持ちは同じだ。
ただ彼女が幸せであればいい。
そう思いながら、
それでも彼女を想わずにはいられない。

告白なんて、今更できるわけがない。

タクシーは静かに走り出した。
バックミラーを見ると、
美咲さんが階段の踊り場に立ったまま、
こちらを見ていた。

風がフロントガラスを撫でていった。

僕の片想いは、これからも続いていく。

 

 

 

ブータン王国の近代化や

実在のザンスカール旅行ガイド

(YouTubeちゃんねる

「セリフと演出から読み解く機動戦士ガンダム解説」)

を見て思いついたお話です

 

 

# 谷底の村

山間の交通の便の悪い谷底にその村はあった。

生活は自給自足が基本で、
三ヶ月に一度、行商人が来る程度。
村への訪問者は殆どおらず、
ごくたまに遭難した登山家が訪れるくらいだった。

村は小さく、誰もが顔見知りだった。
朝、畑仕事に向かう老人に若者が声をかけ、
重い農具を代わりに運ぶ。
病気で寝込んだ家があれば、
近所の者たちが野菜や煮物を届け、
「無理しないでね」と労わり合う。
収穫の時期には村総出で助け合い、
夜には誰かの家に集まって
素朴な料理を囲んで笑い合った。

川辺では子供たちが石を投げたり、
木の枝で作った船を浮かべたりして遊んでいた。
手作りの人形やお手玉、缶蹴り。
何もないようでいて、
子供たちの笑い声は谷間に響き渡り、
それを聞く大人たちも自然と笑顔になった。

平和で争い事も殆どなく、村人は皆幸せを感じていた。

---

ある時、行商人がいつもより多くの品物を持ってきた。

今までは持って来なかった便利な日用品や娯楽品。
珍しい子供の玩具や大人の趣味性の強い品々。
多くの村人がそれらに興味を持ち、
一部の者は手に入れて周りの者に自慢した。

それにより多くの者がそれらを欲しがるようになった。

一部の村の若者は、それらを手に入れるために
遠くの街へ出稼ぎに行った。
出稼ぎに行った者が帰った時に持ち帰った品や
土産話は、さらに村人の興味を引いた。
村の生活に満足できなくなった者たちが
次々と村を出るようになった。

---

村人の減少を危惧した村長は、
村をもっと都会的にしようとして行商人に交渉し、
村に来る回数を増やしてもらった。

それにより村人の欲は高まり、
中には今まではいなかった
強盗までする村人も現れた。

人々は互いを警戒し始めた。
隣人の新しい品物を見ては「どこでそんな金を」
と疑いの目を向ける。
かつて助け合っていた畑仕事も、
「自分の収穫を盗まれるのでは」
と誰も手を貸さなくなった。
病気の家に食べ物を届ける者もいなくなり、
「あの家はいいものを隠し持っている」
という噂が広まった。
村人同士の会話は減り、すれ違っても目を合わせず、
互いを憎む言葉だけが陰で囁かれるようになった。

川辺で遊ぶ子供たちの姿も変わった。
手作りの玩具は誰も見向きもせず、
誰が新しいゲーム機を持っているか、
誰がより高価な玩具を持っているかで優劣が決まった。
持っていない子は仲間外れにされ、
一人ぼっちで川を見つめていた。
ゲーム機を持つ子供たちは暴力的な遊びに夢中になり、
弱い者をからかい、いじめることを面白がった。
かつて谷間に響いていた朗らかな笑い声は消え、
泣き声と罵声だけが聞こえるようになった。

人々の欲の高まりにより、
人の優しさや思いやりは完全に消えていった。
疑心暗鬼が高まり、村の平和は崩れ去った。

---

村長は村役場の窓から、
かつて笑顔で助け合っていた村人たちが、
互いに目を逸らしながら
すれ違う光景を見つめていた。

「私は、何を守ろうとしたのだろうか」

谷底に沈む夕陽は、
いつもと変わらぬ美しさで村を照らしていた。
しかし、その光を見上げる者はもういなかった。
誰もが下を向き、
自分の手の中にあるものだけを見つめていた。
 

こういうみんなの為に働いている人が

評価されなかったり、蔑ろにされたり

いいように使われたりするのをよく見たので

そういう人のお話を作ってみました

 

# 見えなかった歯車

最後の段ボール箱を抱えて、
美咲は会社のエントランスを出た。
十月の夕暮れが、ビルの谷間に沈んでいく。

「お疲れ様でした」

受付の女性が小さく頭を下げた。
彼女の目には同情と安堵が混ざっていた。
解雇された人間を見送る時の、あの独特の表情。
美咲は慣れたように笑顔で応じた。

*また、ここまでか。*

箱の中には私物がほとんど入っていない。
観葉植物のサボテン、マグカップ、
それから子供の頃に書いた物語のコンテストの賞状。
大学時代の教員免許証も、
どこかに紛れ込んでいるはずだ。
使わなかった未来の残骸たち。

***

五年前、このゲーム会社にスカウトされた時、
美咲は信じられなかった。

ニート生活の中で、暇つぶしに作っていたミニゲーム。
プログラムは独学、イラストも通信講座で学んだ程度。
それが目に留まるなんて。

「君の作品、面白いよ。
ゲームデザインのセンスもいいし、
プログラムも綺麗だ。
それに、あのストーリーテリング。文学部出身?」

面接で開発部長がそう言った。

「いえ、教育学部です。
でも、子供の頃から物語を書くのが好きで」

「なるほど。それで教師にならなかったのは?」

美咲は言葉に詰まった。
前職の営業会社での日々が、
フラッシュバックのように蘇る。
最初は順調だった。成績も悪くなかった。
でも、いつの間にか標的にされていた。
小さな嫌がらせから始まって、
無視、そして露骨な妨害。

「...別の道に進みたかったんです」

嘘ではない。ただ、真実の半分だけ。

***

入社後、美咲は期待された開発職ではなく、
部門間の調整役として配属された。

「君、コミュニケーション能力高いから」

人事部長はそう言ったが、美咲には分かっていた。
器用貧乏。

何でもそこそこできるけれど、突出したものがない。
だから、どこにでも入れられる。

でも、悪くなかった。

プログラマーが納期に追われてパニックになれば、
美咲がコードを見て問題箇所を特定した。
デザイナーが企画の意図を理解できなければ、
美咲が物語の構造を図解して説明した。
営業が無理な要求を持ち込めば、
美咲が現実的な代替案を考えた。

「本当に助かるよ」

みんなそう言ってくれた。
でも、人事評価には反映されなかった。

「君の仕事は目に見えないからね」

上司はそう言った。目に見えない仕事。
それは、評価されない仕事の婉曲表現だった。

***

解雇通告は、突然だった。

「業績不振のため、
人員整理を行うことになりました」

美咲は三番目だった。
最初の二人は、本当に仕事のできない人たちだった。
三番目の自分も、きっと同類なのだろう。

*やっぱり、私は所詮、器用貧乏だ。*

誰かに必要とされているような気がしていたのは、
錯覚だったのだ。

段ボール箱を抱えて家に帰る電車の中、
美咲は窓に映る自分の顔を見た。
三十二歳。
これから、どうしよう。
また、ニートに戻るのだろうか。

でも、不思議と涙は出なかった。
ただ、空っぽの感覚だけがあった。

***

それから三ヶ月後。

美咲は小さなカフェで、
ノートパソコンに向かっていた。
フリーランスのプログラマーとして、
細々と仕事を受けている。
食べていくのに困らない程度。
それで十分だと思っていた。

スマートフォンが震えた。

ニュース通知だった。

『業界大手○○ゲームズ、
主力タイトル発売延期を発表』

前の会社だ。別に驚くことでもない。
ゲーム業界では珍しくないニュースだ。

でも、それは始まりに過ぎなかった。

***

一週間後。

『○○ゲームズ、バグだらけのゲームを発売 
ユーザーから批判殺到』

SNSが炎上していた。
美咲も思わず動画を見てしまう。
キャラクターが壁にめり込む。
セーブデータが消える。
ストーリーが途中で破綻する。

*これ、テストプレイしてないのか...?*

二週間後。

『○○ゲームズ、
大型プロジェクト三本が同時に開発中止』

記事には内部告発が掲載されていた。
「開発チームとシナリオチームが
三ヶ月も口を利いていない」
「プログラマーが仕様書を理解できず、
企画に確認しようとしたら『忙しい』と門前払い」
「営業が勝手に発表した機能が、
技術的に実装不可能」

一ヶ月後。

『○○ゲームズ、
主力クリエイター十名が一斉退職』

退職理由は「職場環境の悪化」。
ある有名デザイナーは
匿名インタビューでこう語っていた。

「以前は、部門間の風通しが良かった。
困ったことがあれば、誰かが必ず助けてくれた。
でも、ある時期から急に歯車が噛み合わなくなった。
みんなが自分の仕事だけに閉じこもって、
誰も全体を見ようとしない」

二ヶ月後。

『○○ゲームズ、
下請け企業五社と契約トラブル 訴訟の可能性』

発注内容と契約書の齟齬。支払いの遅延。
コミュニケーション不全による作り直しの連続。
下請け企業の社長が記者会見で泣いていた。

三ヶ月後。

『○○ゲームズ、
株価が上場来安値を更新 経営陣の責任問題へ』

四ヶ月後。

『○○ゲームズ、
人員の三分の一を解雇へ リストラ策を発表』

五ヶ月後。

『○○ゲームズ、
複数の金融機関が融資停止を通告』

そして、半年後。

『業界の雄、
○○ゲームズが倒産申請 負債総額200億円』

美咲はカフェで、その記事を読んでいた。

コメント欄には元社員たちの
悲痛な叫びがあふれていた。

「誰か一人がいなくなっただけで、
こんなことになるなんて」

「あの人がいた時は、
こんな問題起きなかったのに」

「器用貧乏って馬鹿にしてた。
でも、あれは器用万能だったんだ」

スマートフォンが鳴った。

前の同僚だった。

「美咲...見たか?」

「うん」

「俺さ、お前がいた時のこと、ずっと思い出してるんだ。
お前が『このままじゃプログラムが間に合わないから、
仕様を少し変えませんか』

って営業に掛け合ってくれたこと。
お前が『このキャラクターの動機が弱いから、
こういうエピソード入れたら』
ってシナリオ会議で提案してくれたこと。
お前が深夜まで残って、
みんなのコードのバグを潰してくれたこと」

「...それ、私の仕事じゃなかったのにね」

「そうだよ。だから、誰も評価しなかった。
人事考課にも書けない仕事だった。
でも、それが全部だったんだ。
会社を回してたのは、お前だった」

電話の向こうで、嗚咽が聞こえた。

「社長が最後に言ったんだ。
『あの女性を解雇したのは、
私の最大の過ちだった』って。
でも、もう遅い。何もかも、手遅れなんだ」

美咲は何も言えなかった。

「会社、来週で完全に終わる。
みんな路頭に迷うよ。お前のせいじゃない。
お前を評価できなかった、俺たちのせいだ」

電話が切れた。

***

美咲はカフェの窓から外を眺めた。

秋の光が、街路樹を照らしている。

自分は器用貧乏だと思っていた。
何一つ、誇れるものはないと。

でも、もしかしたら。

物語を紡ぐこと。プログラムを書くこと。
絵を描くこと。人と人を繋ぐこと。

それらは全部、ばらばらの才能じゃなかった。
全部、繋がっていたのかもしれない。

一つ一つの歯車は小さくても、
その歯車がなければ、機械は止まる。

美咲は、初めて分かった。

自分はずっと、自分を見誤っていたのだと。

そして会社も、同じように見誤っていた。
失ってから初めて分かる価値。
でも、それを知った時には、もう手遅れ。

ノートパソコンを閉じて、美咲は立ち上がった。

これからどうするかは、まだ分からない。

でも一つだけ、確かなことがある。

もう二度と、
自分を「所詮」という言葉で片付けはしない。

カフェを出ると、秋の風が頬を撫でた。
少しだけ、冷たくて、でも心地よかった。