伊藤史子(いとうふみこ)です。
これまで書かなったこと【番外編】義理の母が亡くなりました
私、実は2021年夏、突然身体を壊しました。
ある日を境に、数ヶ月で20キロ痩せました。
そんな前記事はこちら。
上の記事たちを書いてた先日。
オヤジ(=主人)の母(=義理の母)が亡くなったとの知らせが。
彦根でのお通夜、葬儀。
先週は、身体的にもメンタル的にも、バタバタでした・・・。
偶然にも、私の母と同じ名前。
まさか命日がこんなに近くなるとは・・・。
義理の母は、昭和一桁生まれの90歳超え。
私とオヤジが結婚する前に義理の父が他界し、長らく、一人暮らしでした。
昔ながらの駄菓子屋兼パン屋を営んでいました。
私が初めて挨拶に行ったのが、結婚する前のお正月。
ドキドキの私を温かく迎えてもらったこと、忘れられないです。
結婚してからは、年末年始、GW、盆と、年に3回は泊りがけで帰ってました。
そのときは、いろいろなごはんを作って待っててくれ、孫ができてからは面倒もよく見てくれましたね。
結婚記念日には、「これで何か食べてき」とお金を渡してくれたり。
店はバンバン人がくる感じではないけど、皆、やさしい人柄に癒されに来てました。
とはいえ、都会育ちで、年末年始はスキーに行ったりなど、独身生活を楽しんでいた私は、少ししんどいところもありましたが…。
そんな義理の母が最初に倒れたのが2001年。
手術、退院。そして、店を閉めることに。
その後、冬にトイレで倒れ、彦根の寒い3日をトイレで遭難(?!)
便座が温かくて、手洗いの水で助かった!
目、耳も不自由になり、3年前からは介護施設のお世話に。
コロナでなかなか面会にもいけず、寂しい思いをさせてしまったなあ…という気持ちもあります。
何度か「危ないかも」という連絡を受け、持ちこたえ、先日もそんな連絡を受け、面会に行ってきました。
で、持ちこたえたのですが…
とうとう…
すうっと義理のお父さんのもとへ。
家族に見守れながら…。
私は体調が回復し、また皆がなんとなく「ここだけは避けてほしい」という日を避けてくれたのかな、という日を選んでくれました。
これで、私、主人の両親とも、お空へ帰っていきました。
なんか、ぽっかり穴があいたというか空虚な気持ちです。
つづきます。