伊藤史子(いとうふみこ)です。

 

自分史。自分史を書き始めた思いと、【子供時代~大学編】【SE(システムエンジニア)時代編】のこれまでの記事はこちらです。

 

矢印自分史 目次

 

 

【出産・子育て・アトピーとの闘い編】

 

⑬妊娠〜阪神大震災~出産。いのち。そして生かしてもらっているということ

 

⑭2人の子供を持つが…壮絶なアトピーとの闘い。でもそれは嵐の前だった

 

⑮地獄のようなアトピー治療の始まり

 

 

あのときのことは思い出せないくらい壮絶だった…

 

 

娘5歳6か月、幼稚園の年中。息子2歳半。私36歳。

アトピーが大噴火しました。

 

 

それまで通っていた食事指導のきびしい病院。

それにも限界を感じ、この先の生きる気力も失いかけていたくらいでした。

 

 

食べる楽しみってね、生きていくうえでの重要ポイントなんです。

 

 

生きるために食べるのですが、やはりおいしいものを食べれる。

たまにはケーキや外食など。

そんな楽しみも全くない生活。

 

 

外食ができないから、いつも食事を作って、アレルギーの少ないものを選んで、と心も疲れ果てていたのです。

 

 

そして、かいてはいけないというのが一般の皮膚科。

かゆいのにかけない、というのもストレス。

かいて傷になると「かいたらダメでしょ?!」と言われ…

 

 

そんなことを続けても一向によくならない。

「上手につきあう」と言う言葉。

 

 

それって?

一生こんな生活を続けるってこと?

 

 

こんな生活はいやだ!

 

 

そしてネットの検索で見つけた、漢方の病院。

そこは、手記がかなりたくさんあり、読んで来るように、と。

 

 

もう、壮絶な手記です。

でも私たちはそこまで悪くない?とか楽観的に考えていたんです。

 

 

そして、そこの病院に行くと、漢方の香り。

でも、先生と話すと「何を食べてもいい。絶対に治るからね」と。

 

 

「何を食べてもいい。絶対に治るからね」という言葉は、これまで誰も言わなかった言葉。

救われましたね。

でも、これとこれをちゃんとして、と。

そして薬の説明を受け、清算すると・・・

 

 

7、8万!?

 

 

ぶっ飛びました…

ほとんどが保険外だったので。

 

 

それでも一生、いろいろなことをガマンしながら暮らすのはもう嫌だ、娘もこのままではいけない、と。

手記で、納得いくものを感じ、覚悟。

 

 

今思えば、かいてもいい、何を食べてもいい、というのは、そのあとの大変な煎じ薬と漢方風呂、そしてかゆい・痛いという地獄の生活なども超えるくらいの生きるパワーなんです。

 

 

そして始まった、アトピーと(というよりはステロイドのリバウンドや自分の免疫)と闘う生活。

 

 

毎日、漢方風呂を30分以上煮出して作り、煎じ薬も作りました。

粉とかではないのです。

毎日お風呂は2時間以上。

そしてその前後の消毒や、その後に薬を塗る作業。

 

 

自分だけでもしんどいのに、子供と2人分。

私はなんとか我慢するけど、子供はなかなか我慢できない。

 

 

そして、漢方を始めてから、全身からリンパ液が噴出。

微熱もあり、顔や足はパンパンで、顔ももちろんリンパ液も。

 

 

誰かわからなくなるくらいでした。

 

 

1日中かゆくて痛くてだるい。

そして、寝れない。

水も空気も風も服も、全てが敵?というくらい、少しでも動くと痛かった。

 

 

夜も怖かった。

寝れない。

ものすごい量の皮が毎晩出て、動くと痛い。

 

 

気が狂いそうでした。

 


それでも1歳半の息子の世話と、娘の治療にもつきあう。

あのときは娘も戦っているんだから、という気持ちがあったから、なんとか前を向いて生きていたように思います。

 

 

でも、あるとき、光が差します。

 

 

息子も鼻炎があったのですが、息子も煎じて出された漢方薬を飲んでいたのです。

で、1ヶ月たたないうちに、するっとよくなったのです。

 

 

アレ?と言う感じでしたね。

 

 

手記にあったとおり、鼻炎はすぐに治るということ。

この先生は信じて大丈夫だ!と。

 

 

そして、娘も1ヶ月は幼稚園も休んだんですが、なんかその後、するっとよくなってきたんです。

それはある日寝る前にいつものように「おかあさん、かゆい。掻いて」と。

 

 

その病院は「掻いてもいい。掻いて皮膚を早く落として入れ替えなさい」という方針。(これはその先生の方針なので、一般の病院で治療している方は、この個所だけを見て、取り入れるということはキケンです。)

 

 

かくとものすごい量の皮が落ちます。

だからいつも新聞をひいてかいてやっていたんです。

その日はいつもよりもスゴイ量。

 

 

これから先どうなるのか?

 

 

自分もですが、娘の将来。そんなことも考え・・・

でも、前を向いて進むしかなかった。

元に戻ることはできない。

 

 

すると、そこからパタッと娘の肌の質が変わったのです。

それは悪い皮が全部そのとき落ちたという感じでした。

 

 

そこから娘がよくなっていくのは早かったです。

治療を開始して半年くらい?

 

 

私は・・・

 

 

一体、いつころからよくなったのでしょうか…

 

 

約半年後の5月の幼稚園での娘の誕生会に参加。

そのときの写真は肌のドス黒さはありますが、家から出れないくらいのひどさではなくなっていました。

 

 

そして、前の記事にも書きましたが、治療開始から約1年半後の、娘が年長の2月には東京に2人で泊りがけで行ってるので、そのころには完治とは言わないまでもかなりよくってたんだな、と今も話しています。

 

 

眠るために睡眠薬も飲んでいましたが、それもいつの間に飲まなくても寝れるようになってました。

 

 

煎じたお風呂も1年くらいは入ってたのですが、終わってました。

治療費はその1年は100万くらいになりました。

 

 

あのときの記憶は鮮明であるところと、忘れてしまいたいからか、思い出せない部分もある。

実はそれくらい壮絶だったのです。

 

 

そして、考え方も、本質もそこでできたように思います。

 

 

今は、そんなひどいアトピーがあったの?と言わるくらいです。

ステロイドは全くぬっていません。

エステさんにも肌がきれい、とほめていただきました。

闘いが終わると、普通の生活に戻れるのです。

 

 

 

つづく!

矢印自分史⑰ヤフオクにハマり、ひとりビジネスの基本を知る 

 

 

今回、病院の名前はこちらでは公表はいたしません。

また、質問等をいただきましてもお答えはできません。

ご了承くださいませ。(聞きたい方はお会いしたときに・・・)

 

また、↑にも書いていますが、この内容の一部の個所だけを見て、取り入れるということはキケンですので、おやめください。