生きることも死ぬことも辛い理由②
親自身の主張として
慣れない子育てをがんばっているし、食べるものは与え、住む環境を与えているのに何の文句があるのか。
その発想になるのは
生存のための物理的条件さえ与えていれば、親の義務を果たしたことになる。
ましてやいい学校に通わせ、競わせ、厳しめの学歴ノルマを課すことによって
子どもを鍛え、精神の成長を促すくらいに考えている。
そういった可視化できる表面的な存在環境を与えていれば立派な親であると考えているからだ。
子供のやりたいことや
子供の好きな食べ物や
子供の好きなことや
子供のやりたくないことや
子供の嫌いな食べ物や
子供がやられたら嫌なことを全く把握せず
子供が自力で解決できず、どんなに悩み苦しんでいることを打ち明けても理解しようとしないなら
子供はその親から存在の承認や愛を与えられてると感じることは難しい。
子供は親から「過度な期待と成果」を搾取されていると感じるのが自然なことだと思う。
当然、子は「自分には生きる価値がある」と思えるはずもなく
生まれてきたことが最大の失敗で
生きていくのは罰ゲームでしかないと感じるようになる。
そのままの感覚で大人になると
「常に何かの価値を与えないと
自分は生きていてはいけない」
そんな猛烈な焦燥感や強迫観念を起爆剤にして、場所や相手を変えながら
いずれ心身が壊れるほど
努力して生きることになる。