おはようございます。
Pです。
ううむぅ。
最近お店(スナックの方)ひまっくすです。
困っちゃいますね。
オープンから八ヶ月、ご近所さん方からのご祝儀やご紹介も一巡して、ここから本番という事でしょうか。
それともこれが実力なのでしょうか。
リハで本気だしすぎたのでしょうか。
しかしリハでがんばれないバンドが本番でがんばれるわけない、とも思うのです。
プロのサウンドチェックはまるで力を抜いてやってるかのように見えて、その実、やるべきことしかやらないから、何となくそう見えてしまうだけなのです。
つまりやるべきことが出来てないから、この結果な訳です。
閑散期でもお客さんいっぱい夢いっぱいのお店はありますものね。
これからは反省の毎日ですよ。
飽きっぽいのですぐ忘れてしまうのですが。
私ども、少ないパイを奪い合うのではなく、ポケットの中のビスケットを叩いて増やすような仕事がしたいと考えております。
そりゃ増えるなら叩きますよ。穴が開くほどにな!
しかしあの歌、「もひとつ叩くとビスケットはみっつ」とありますが、ふたつに増えたビスケットを叩くのだから、「よっつ」の間違いではないでしょうか。
それともふしぎなポケットのパークは、倍々でなくワンモアなのでしょうか。
じゃあ最初からビスケットとクッキーを入れて叩いたら、どっちがモアされるのでしょうか。
そもそもビスケットとクッキーは何が違うのでしょうか。
ポケットと焼き菓子のプロからのお答えをお待ちしています。
ところでリハと言えばアーティスト。
最近は音楽家もそのように呼ばれますね。
現代において、日本において、アーティストには、慎みと徳が求められるようです。
禁欲、清貧、良識、そして時には処女性。
アーティストたるもの、ファンの為、愛の為、芸術の為に、身も心も捧げて、禁欲的に滅私奉公するのが良しとされているように感じます。
でも、家族を捨てるのはダメ。それは許されない。
つまり求められているのは自己犠牲であって、究極的には「美しい死」であるのかもしれません。
さういふ物語にこそ、人は芸術に自分以上の価値を認めうるのでしょう。
それは豊かさなのか、あるいは貧しさなのか。
夜のお店なんかだと、有名な○○さんと飲んだ!遊んだ!みたいな話を耳にする事があります。
別にいいですよね。
芸術家は聖職者でも教育者でもないんですし。
遊ぶのは悪、稼ぐのも悪、みたいな風潮は不健康です。
酒を飲むのも不健康ですが、清潔で美しく健やかな毎日を目指すアーティストの作品とかそれってもう工業製品なので、たぶん何の魅力も無いのです。
もしデューク・エリントンがタバコ吸ってなかったら、キャラバンは生まれなかったのかもしれないなどと、何の根拠も無く考えてしまうのです。
怪しさ、歪さ、矛盾、不可解、とっ散らかってて美しい。
それってもう人間そのものなんです。
だからいいでしょ。ちょっとくらい。
うちにも飲みに来てくれても!
ひまっくす!
■シマダカフェ神楽坂
■ライブハウス飯田橋スペースウィズ
■スナック&バー コスモス神楽坂
※2017年3月オープン!スタッフ募集中!