ちょっとやり過ぎではあったのですが、

ようやく、自分の乱行、乱心、放蕩のツケがどんなものか?
身に沁みたようです。


とにかく、食べていけなくなったんですから・・・

電気、ガス、水道、みな止められて、
ニッチもサッチもいかなくなったんですよ。

私だって決死の覚悟ですからね。

世に「乾坤一擲」とか「大死一番」とかいう、
そのモノでした。



子供のときから病弱で、過保護に育ってきた彼が、
深い悲しみを負って青年期を過ごしてきたコトは
わたしも了解していました。

一方、私はといえば、食べていくための艱難辛苦を
乗り越えてきた百戦錬磨の闘士です。


どんなに悩み、苦しみが深くとも、
人は、個人の問題にかかわれるほどの
知力も財力も持ち合わせてはいないのです。


身ぐるみ剥がれて、ボンがこの世の経済的現実を
見つめざるを得ないようにするのが私の目的でした。

死ぬめにあわないと、本当のところ、人はヒトにはなり得ない。
地獄を見なければ、生きる意味を見出せない。

ちょっと悲しい現実です。



しかし、食べていけなければ、何も解決しないのです。

坊主の説教も、人のいだく理想も、自分の力で食べていけなければ、
「絵に描いた餅」でしかないのです。


彼は本気になったんです。

私との死闘によって・・・
そこで、私が取った方法。

彼を「一文無しにしちまおう」でした。

「身ぐるみ剥いじまおう」という戦略でした。



仲間たちは、喜び勇んで賛同してくれました。
身のほどもわきまえずに・・・



わたしは、彼の「信仰」を確かめたかったのです。
いま思うと、ちょっとやりすぎたかな、と反省していますけど、
そのトキの感情としては、止むに止まれざる一手だったのです。



初めて相見したトキ、そのやつれた彼のスガタとは別に、
彼の「信仰心」を、わたしはみとめたのです。

これなら、やれるかもしれない。

「信仰」に生きるコトができるかもしれない、と。



ちょっとおこがましいけど、
「名伯楽」のような気分になったんです。



みごと裏切られました。



結局、彼は、初対面のときに、すでに入門してたんです。

ただ、「信仰心」が、正しい「信仰」にまで成長しきれてなかったんですね。
彼の体力が回復してから、
先のような事情も考慮して、
入門の拒否を告げました。

彼は何も言わず、うなずくだけでした。

互いに一礼してから、
わたしたちはそれぞれの道を歩むコトになったのです。





その後、三年の歳月、彼は、彼なりのくらしを、
私は、わたしなりの修行の日々を送っていました。

その間、彼にたいして、何もしていなかったわけではなく、
直接にではなく、わたしの旧友や、次代を担うであろう有意の青年やを
彼のモトに送って、入門に耐えうるかどうか試してきたのです。


ただ一点。

「愛の厳しさ」に耐えうるかどうか?

ず~っと彼の行状をはかっていたのです。

確信が持てるまで・・・



しかし、彼は、わたしの期待を裏切ったのです。

三年ものあいだ、放蕩三昧。

仏典にいうところの「三昧」とは、月とスッポンなんです。



初対面に感じた不安、「ボンボンだったわけですよ、彼は」