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それでは今日は、

シャトー・ペトリュスの4回目!

最終回です!!

意外と長編に!長かったですね~w

 

 

 

Petrus 1973 / ペトリュス 1973

 

 

前回までの記事はこちらです↓

 

 

 

 

 

それでは今日は遂に、

ペトリュスが躍進に向かって

動き出した時のお話し。

 

前回ご紹介した肝っ玉かあちゃん

”マダム・エドモンド・ルバ”は、

 

シャトー・ペトリュスを押し上げる為に

一体どんなことをしたのでしょうか?

 

いつの時代でも、

1つの偉業を成し遂げる人は凄いですね!

 

 

 

  ペトリュス躍進の裏側 ~マダム・エドモンド・ルバが最初に行ったこと~

終戦の年の1945年。

 

マダム・エドモンド・ルバは

シャトー・ペトリュスの

完全な所有者となりました。

 

 

先ず彼女が最初に着手したのは

自身のワインを売り出すことではなく、

 

「ポムロール」という

”産地自体”を有名にする事でした!

 

 

この時はお隣サンテミリオンの

シャトーカノン当主

マダム・アンドレ・フルニエと協力して、

 

それでは知名度の低かった

「ポムロール」「サンテミリオン」

の名声を上げるために奮闘していきます。

 

↑引用元;エルエルワイン

 

 

そしてもちろん、

この当時はまだ無名だった

マダム所有のシャトー・ペトリュス。

 

ですがマダムは、

 

「自分のペトリュスの畑は

 秀逸なワインを生み出すし、

 このワインは絶対世界最高!」

 

当初からそう信じ、

確信を持って行動していきます。

 

 

Château Pétrus 1950 /シャトー・ペトリュス 1950

 

 

そこでマダムが狙いを定めたのが

フランスの上流階級の人々。

 

ペトリュスをきちんと

”高値”で販売し流行らせる為に、

 

「自分のワインは

 絶対に安売りしない!」

 

そう決めました。

 

 

当時は無名なワインですから、

そんな態度のマダムに

周囲はとても冷ややかでした。

 

軽蔑や中傷にもあった様ですが、

マダムは少しもめげず

その態度を押し通しました。

 

 

晩年になると、

格付け1級のラフィットやラトゥールに

匹敵する価格でないと

売らなかったそうです。

 

普通は資金回収を

急ぎたくなるものですが、

 

やっぱり一流のワインを

後世に遺した方の行動力は凄いですね!

 

 

 

  マダムの最大の偉業!~絶対に樹を抜かない~

そんな中で彼女が遺してくれた

最も偉大な功績は、

”1956年”の決断と行動です。

 

その年ボルドーは

世紀の大冷害に襲われ、

 

厳冬となったボルドー全土の

多くのブドウの樹は枯れてしまいました。

 

 

ほとんどのワイナリーでは

根こそぎブドウ樹を引き抜き、

新しい樹へ植え替えました。

 

 

みなさん!何となーく!

 

若い樹のブドウから作ったワインより、

樹齢が高いブドウから作ったワインの方が、

 

高品質で味わい深い、

と聞いたことはありませんか??

もちろん全てのワインが当てはまるわけではありませんが。

 

 

だからどのワイナリーも

質が落ちると解っているからこそ、

本当は樹を抜きたくなかったんです。

 

ですがこの時ばかりは

抜かざる負えなかった様ですね、、、

正に苦渋の決断です。

 

 

 

しかしそんな中でも

マダムだけは、

 

「何とか樹を抜かずに

 済む方法はないか?」と模索し始めます。

 

 

畑に植わったブドウ樹を調べ上げ、

なんとか生き延びてそうな樹を見つけると、

 

”樹を引き抜かずに根を残し、

若木を接木する”

 

という決断をします。

※接木とは、元々違うブドウの樹同士を繋げ合わせること。

 

 

これを見た地元の醸造監督局は、

「この方法だとこのブドウ樹は

 あと10年ももたないよ」

 

と勧告したようですが、、、?

 

 

 

大冷害の影響で

ほとんどのワイナリーでは

ブドウ樹の植え替えを余儀なくされたので、

 

この時代ボルドー地方のブドウの平均樹齢は

一気に若くなってしまいます。

 

そして実際に

この年代のボルドーワインの評価は

大きく低迷したんですね。

 

 

では植え替えを選択しなかったマダムのブドウは

どうなったかと言うと、、、?

 

なんとマダムの決断は功を奏し、

見事な果実を実らせました!!

 

 

ですからこんな時代渦でさえ

ペトリュスの評価は低迷せず、

高評価を獲得しているんです!!

 

 

その背景には、

マダムのこの時の決断と行動が

大きく寄与していたのですね。

 

 

 

 

 

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いかがだったでしょうか?

 

今回はあまり表に出てこない

シャトー・ペトリュスの立役者、

 

”マダム・エドモンド・ルバ”

の人生をご紹介しました。

 

 

『どんな状況にあっても

 諦めずに信じ続けること』

 

これはほんとーに!本当に!!

難しい事ですよね。

 

ありきたり言葉かもしれませんが

改めて”諦めない”ことって大切。

 

成功へ続く唯一の方法かも。

 

 

私もフォロワーさんが

少ないからって簡単に諦めずに、

ブログ更新続けないとですねw

 

 

みなさんの中に何か少しでも、

マダムの人生から響くものがあったのなら

嬉しく思います。

 

 

それではまたね~

 

 

 
 
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