他跑進教室來了。
(彼は教室に走って入ってきた。)
我想回台灣去。
我想回台灣去。
(わたしは台湾に帰りたい。)
(ただし持ち運びのできる物(本とか携帯とか)が目的語で、動作がすでに完了しているときには“來”も“去”も目的語の前でも後でもどちらでもOK! 他帶回去那本書了。(彼はその本持って帰ったよ。))
なので、普通話の教科書的には「台湾に帰っていく」は“回台湾去”とならなければならない。
しかし台湾では“回去台湾”、フツーに言いますね。というか、大陸でも聞きます、若い人、フツーに言ってます。でも大陸出身の中国語の先生は「それはまちがい」と言うので、日本の「ら抜き言葉」や「さ入れ言葉」みたいなものかも。話はそれるが、わたしくらいの年寄だと「ら抜き言葉」にはほぼ違和感ないが、「さ入れ言葉(がんばらさせていただきます)」にはかなりの違和感がある、そんな感じなんかな。
で、台湾の“回去台湾”の起源は、初期現代漢語の名残である「ルールの緩さ」であるとも言えるが、おそらくは台湾語の影響。
以前も書いたが、台湾語は、方向補語の使い方も中国語とはかなり違っている。(→台湾語の文法 補語) 基本的に、目的語があっても、中国語のように複合方向補語を離して使わない。
≪中国語≫
(ただし持ち運びのできる物(本とか携帯とか)が目的語で、動作がすでに完了しているときには“來”も“去”も目的語の前でも後でもどちらでもOK! 他帶回去那本書了。(彼はその本持って帰ったよ。))
なので、普通話の教科書的には「台湾に帰っていく」は“回台湾去”とならなければならない。
しかし台湾では“回去台湾”、フツーに言いますね。というか、大陸でも聞きます、若い人、フツーに言ってます。でも大陸出身の中国語の先生は「それはまちがい」と言うので、日本の「ら抜き言葉」や「さ入れ言葉」みたいなものかも。話はそれるが、わたしくらいの年寄だと「ら抜き言葉」にはほぼ違和感ないが、「さ入れ言葉(がんばらさせていただきます)」にはかなりの違和感がある、そんな感じなんかな。
で、台湾の“回去台湾”の起源は、初期現代漢語の名残である「ルールの緩さ」であるとも言えるが、おそらくは台湾語の影響。
以前も書いたが、台湾語は、方向補語の使い方も中国語とはかなり違っている。(→台湾語の文法 補語) 基本的に、目的語があっても、中国語のように複合方向補語を離して使わない。
≪中国語≫
他拿出一本書來。
(彼は本を一冊取り出した)
≪台湾語≫ 伊提一本冊出來。( 〃 )
≪中国語≫ 她走進屋裡去。
(彼女は家に入って行った)
≪台湾語≫ 伊行入去厝內。( 〃 )
この台湾語のルールが台湾の華語にも影響して “回去台湾”になっていると思われます。
台湾華語に対する大陸の人の違和感、その逆ももちろん、たくさんある。これまでずっと述べてきた通り、具体例は枚挙にいとまがない。方向補語“去”の使い方の例で先日双方(台湾と大陸)の違いを実感したことがあったのでご紹介。
「この携帯を台湾に持って行く」という表現、台湾朋友Aさんは
我把這個手機拿去台灣。
で、なんの問題もないと言う。でも中国朋友Aさんは、↑の言い方にはやっぱり違和感がある、わたしはこんな風には言わないなあ、と。じゃあどう言えばいいの?ときけばやはり
我把這個手機拿到台灣去。
なのだそう。ま、語感は人によっても違うので二人をもって台湾と中国を代表させるわけにはもちろんいかないが、文法上のこういうスレ違いは本当に多い。わたしは台湾朋友Aさんとも中国朋友Aさんとも頻繁に会うので、スレ違い度の高さをたびたび思い知らされている。