台湾映画と台湾語 2)50年代台湾語映画ブームと李行 | 台湾華語と台湾語、 ときどき台湾ひとり旅

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そう、確かに龍虎さんがおっしゃっていたように、台湾映画についての評論や歴史の説明などは80年代ニューウェーブ以降のものが中心。それ以前(特に50年代)の状況について日本語で書かれたものは本当に少ない。わたしも前回の記事(台湾映画と台湾語 1)台湾の歴史ざっくり)で龍虎さんのご指摘を受け、ちょっとネットで確認して実感した次第。ウィキペディアも見てみたが、まあ実にさらっとしたものである。50年代の台湾語映画ブームのことには一言も触れていない。(↓コピーしてきました!)

 国共内戦の終結に伴い中国国民党を支持する中国大陸の映画製作者が台湾へと渡ってきたことで、1949年以降台湾映画は再び発展し始める。この時期に製作された映画は政府によって公認された「国語」(北京官話)によるものだった。政府は、国語を推進することで国家の統一を図ろうとし、方言は制限されたため、台湾語などによる映画は徐々に減少していった。(ウィキペディアより)

てなもんである。うっそー!って感じ。

10年前、台湾映画のDVDをチマチマ買い集め始めたころ、わたしも実は何も知らなかった。ただ台湾における「ことば」を、「ことば」の歴史をとことん知りたくて、いろんな年代の映画を見ようとしただけであった。

で、かなりテキトウに買ってきた50年代から70年代のDVDたちが次。【 】の中が監督名である。

 1958 王哥柳哥遊台灣(上。下) 』【李行

 1962舊情綿綿』【邵羅輝

 1961新娘與我』【白景瑞

 1961兩相好』【李行

 1965啞女情深』【李行

 1968寂寞的十七歲』【白景瑞

 1970愛情一二三』【李行

 1971秋決』【李行

 1973地天的愛』【劉家昌

 1974海鷗飛處』【李行

 1977汪洋中的一條船』【李行

 1979早安台北』【李行 [演員]林鳳嬌、歐弟、郎雄

 1980原鄉人』【李行[秦漢、林鳳嬌]

、気づきました!李行という監督の作品の多さ!誰なんだ、この人は。ということでちょっと調べてみたわけである。

彼の処女作が『王哥柳哥遊台灣(上。下) 』。彼自身は1949年に国民党とともに台湾に渡ってきた外省人であるが、この映画は全編セリフが台湾語の映画。娯楽性の高いコメディだったこともあって、当時大人気を博したらしい。Yellowさんによると、昔の映画の代名詞としてこの映画のタイトルが使われていたくらいだったという。

ちなみにかの侯孝賢も、監督として世に出る以前には、李行の助監督を務めたこともある。

1961年の『兩相好』も面白かった。戦後すぐの台湾。大陸から渡ってきて「国語」しか話せない家族と、もともと台湾にいた「台湾語」しか話せない家族が隣同士に住んでいて、互いに仲良くしたいものの言葉の壁がさまざまな問題を引き起こす・・・といった内容。基本楽しいコメディであるが、当時の台湾社会でも同じような状況が見られたであろうことは想像に難くない。そして実際にはコメディでは済まされない葛藤や矛盾が多く存在してであろうことも。


いずれにせよ、李行の『王哥柳哥遊臺灣』をはじめとした台湾語の映画が大量に作られ人気を博したのが50年代である。藍正龍主演の映画『阿嬤的夢中情人』を見ると、そのころの台湾映画界の活気がびんびん伝わってくるのであった・・・。つづく♪