世界中には、
ギリシャ神話、北欧神話、日本神話など
それぞれの民族に神話があります。

神話とは何か。
先人たちから受け継ぎ
未来へ引き継いでいく
その民族のアイデンティティであると思います。

歴史学者のアーノルド・J・トインビーは
自国の歴史を忘れた民族は滅びる
と言っているように、
自国の歴史や神話は
とても大切なものであると
自覚する必要があります。

イスラエルなどは、
学校及び家庭で
ユダヤの神話をしっかり教えており
これが、国力を高めている原動力になっていることを
日本人はもっと知るべきだと思います。

国際化が推奨されている我が国だからこそ
祖国の神話をしっかり学び
自国の文化と歴史に自信を持つことが
真の国際人の条件であると考えます。

英語を学習することは
コミュニケーションツールとして

大切だと思いますが、
世界へ発信する内容を伴うことが
もっと重要であることを自覚して
軽薄な書籍を読むより
「古事記」を読むことをお勧めします。
我が国の主宰神 天照大神様の「機織り神話」

仁徳天皇の「民のかまど」

このような神話は日本人の精神的支柱となっており

「勤労の美徳」や「皇室の徳に対する尊崇の念」として

我々のアイデンティティを形成しています。

 

西洋の労働に対する価値観は、

エデンの園から追放され、

その罪として労働が苦役として与えられるとする

価値観とは真逆であり、

戦後の荒廃から復興してきた先人たちの努力に

敬意を払うべきと思っています。

 

また、昭和天皇がGHQへ

自分の命より国民への支援を求めたことも

その後の全国ご巡幸に対して

国民からの尊敬を得たのでしょう。

これから学校でも、
小・中・高を通して
古事記の内容を子供たちに
教えてもらいたいと
切に願っています。

平等に関する考察です。

巷では、自由と平等が大切であると
無前提に受け入れられている。

特に、格差社会における平等は
無批判に善であると思われている。

しかし、平等の「真なる意味」を理解していないと
嫉妬や憎悪を生み、
暴力を肯定した混乱した社会を生み出しかねません。
マルクスによる共産主義は
嫉妬を肯定し、
搾取階級である裕福層から
富を奪い取り、
平等に分配することが正義であるかの如く
語られているし、
これに同調するマスメディアが大半であり、
大多数の民衆はそう考えていることでしょう。

この考えを全面否定するつもりはありませんが、
この平等を
「機会の平等」と捉えず「結果の平等」に求めると
そこに出現する社会は、
怠け者が多数輩出され、停滞した地獄が展開するはずです。
勤勉に働く者も、怠け者の
結果が同じであれば、
みんな怠け始めるでしょう。

現代のような、身分制社会でない世の中では
裕福な人々は、
知恵を絞り、勤勉い創意工夫を重ねて
富を蓄積してきているはずです。
その富を単に奪い取り
一律に分配することが
正義であり、
神のみ心に叶うことであると考えるのは
明らかな間違いであると思います。

裕福は人々は、
真に有効な富の使い道を知っています。
確かに、貧困に苦しんでいる人への
セイフティネットは
必要だと思いますが、
現在の累進課税制度を
全面的に肯定するつもりはありません。

為政者の経営手腕が貧困であるため
税金の無駄遣いが生じ
現政権の維持を目的に
集票のためのばら撒きになっています。

このようなことは、
過去の人類の歴史の中で
繰り返し起きています。
マルクス・エンゲルスの焼直しに過ぎない
トマ・ピケティの『21世紀の資本』を読むより、
アンドリュー・カーネギーの『富の福音』を読むことを
お勧めします。

人間は、思いと行いによる結果について

公平に評価されるべきだと思います。


真理から見た平等とは、

すべての人間は等しく

神により創られた存在であるということです。

それ故、すべて価値ある存在であるので

お互いの個性を認め尊重し合うことができるのです。

 

この事実が真に理解されたら

民族による紛争や戦争は起きないと思います。

そうなる世界が到来することを

心から願っています。


真理から見た真の平等の意味について
参考になれば幸いです。

真理は汝を自由たらしめん。
と言われています。

なぜ、真理を知ることで自由になるのか。
少し考察してみたいと思います。

自由の反対は、束縛でしょう。
真理を知らないことでどのような束縛を受けるのか?
『開かれた社会とその敵』カール・ライムント・ポパー著
この書籍で、ポパーは
プラトンの『国家』を批判し、
近代まで、魔術的、部族的、集団主義的なものとして
宗教が「閉じた世界」に我々を縛ってきたと主張している。

しかし、宗教が我々を
閉じられて社会に本当に呪縛してきたのだろうか。

仏教の開祖釈尊、キリスト教のイエス
イスラム教のムハンマド
これら世界宗教の偉大な開祖の方々は、
あの世の世界の実在を実体験したうえで
教えを説いています。
神仏の実在を実感して
我々に真実の生き方を
教えています。

神仏の存在を信じ、
あの世の実在を信じ、
神仏に見られて恥ずかしくない生き方
謙虚で、勤勉な生き方をすること。
これが、
心の欲する所に従えども
矩を踰えない
真の自由な生き方なのです。

この世限りの限らせた世界が全て
という唯物史観と
この世を包含してあの世が実在することを
教えてくれる世界観。

この考えのどちらが
「開かれた世界」に我々を誘ってくれるかは、
明白だと思います。

真理に基づいた

正しい智慧が

我々を自由してくれるということが
本当の神意であると信じています。

悟りについての一考察です。

 

悟りというと仏教的な響きがあります。

 

事実、

釈尊は出家して、

5年近く悟りを求めて修行していました。

 

釈尊が求めていた悟りとは、

生・老・病・死に対する回答であると

仏典には説かれています。

 

人間は、なぜこの世に生まれてくるのか。

なぜ年を取って、病にかかるのか。

死んだあとはどのようになるのか。

これらの疑問に対する答えを探求していました。

 

その探求の結果得た回答は、

この世に生まれてくるのは、

自分の魂のトレーニングとして

知識や経験を積むためであり、

年を取り、病気になるのは、

この不安定な三次元世界に執着しすぎることなく

あの世へと安らかに旅立てるためであり、

死後は、生前の思いと行いに応じた世界へと

戻っていく。

このような真理を得たといわれています。

 

この真理から説かれた教えに

諸行無常・諸法無我・涅槃寂静の三宝印や

縁起の理法として

現代まで残っています。

 

釈尊が大悟して

45年もの歳月を通して

我々に残してくれた教えを

今一度、深く考えて、

自己の認識を変えることが

我々凡夫の悟りだと思っています。

即ち、

自己認識の変容が

悟りの正体であり、

その教えを実践する方法として

八正道などの徳目があるのでしょう。

 

その意味では、

イエス様の教えである

汝の神を愛し、

汝の隣人を愛せよ

という教えも

イエス様の悟りを示しており、

我々に自己変容を与えてくるものです。

 

神仏への無限の向上を目指して

悟りを深めていきたいものです。

 

 

愛について考えてみたいと思います。

 

日本では愛というと男女の愛や家族愛などとして

取り扱われることがほとんどです。

特に、ドラマなどで扱われる愛は

いかに相手から愛されるかを競うような

内容になっていると思いますが、

もう少し掘り下げて考えてみたい。

 

愛というとキリスト教的な響きが強いと思います。

イエス様の言葉にあるように

「汝の主なる神を愛すること。

汝の隣人を愛すること。

この二つがとても大事な教えである」と

聖書に記述されています。

 

神を愛するとは、

神を信仰することと理解してよいでしょう。

アメリカの独立宣言文にある

All men are created equal.

ですが、

創られた以上、創った方が必ずおられるはずで、

その存在は「神」以外におりません。

 

故に、神への信仰と感謝が

我々が人間であるための最低条件となります。

科学万能主義の現在、神への信仰が薄らぎつつありますが、

それは、傲慢であり

天変地異や武漢ウイルスは神からの警告と考えるべきです。

 

汝の隣人を愛するとは、

「あなたが人生途上で出会う人々を

深く理解するように努めなさい」と

イエス様は教えたかったのだと思います。

人生途上で出会う人々は、

自分にとっていい人ばかりではないでしょう。

学校でのいじめ、

職場で上司から嫌がらせを受けることもあるでしょう。

このような時に、

単に反発したり、恨んだりせず

相手を理解することが

相手を愛することになるのです。

「7の70たび許せ」とも、

イエス様は言われております。

嫌いな相手、憎い相手を

理解したり許したりすることは容易ではありません。

しかし、相手を理解しようと努めるなかに

自分の人格を向上させ、器を広げ

神への道を歩む自分が見いだされるでしょう。

 

この地上の人生は、

わずか3万日足らずです。

この世に生まれることは、

貴重な人生経験の機会です。

人生途上で出会う人々を

深く理解できるように努力していきたいと思っています。