平等に関する考察です。
巷では、自由と平等が大切であると
無前提に受け入れられている。
特に、格差社会における平等は
無批判に善であると思われている。
しかし、平等の「真なる意味」を理解していないと
嫉妬や憎悪を生み、
暴力を肯定した混乱した社会を生み出しかねません。
マルクスによる共産主義は
嫉妬を肯定し、
搾取階級である裕福層から
富を奪い取り、
平等に分配することが正義であるかの如く
語られているし、
これに同調するマスメディアが大半であり、
大多数の民衆はそう考えていることでしょう。
この考えを全面否定するつもりはありませんが、
この平等を
「機会の平等」と捉えず「結果の平等」に求めると
そこに出現する社会は、
怠け者が多数輩出され、停滞した地獄が展開するはずです。
勤勉に働く者も、怠け者の
結果が同じであれば、
みんな怠け始めるでしょう。
現代のような、身分制社会でない世の中では
裕福な人々は、
知恵を絞り、勤勉い創意工夫を重ねて
富を蓄積してきているはずです。
その富を単に奪い取り
一律に分配することが
正義であり、
神のみ心に叶うことであると考えるのは
明らかな間違いであると思います。
裕福は人々は、
真に有効な富の使い道を知っています。
確かに、貧困に苦しんでいる人への
セイフティネットは
必要だと思いますが、
現在の累進課税制度を
全面的に肯定するつもりはありません。
為政者の経営手腕が貧困であるため
税金の無駄遣いが生じ
現政権の維持を目的に
集票のためのばら撒きになっています。
このようなことは、
過去の人類の歴史の中で
繰り返し起きています。
マルクス・エンゲルスの焼直しに過ぎない
トマ・ピケティの『21世紀の資本』を読むより、
アンドリュー・カーネギーの『富の福音』を読むことを
お勧めします。
人間は、思いと行いによる結果について
公平に評価されるべきだと思います。
真理から見た平等とは、
すべての人間は等しく
神により創られた存在であるということです。
それ故、すべて価値ある存在であるので
お互いの個性を認め尊重し合うことができるのです。
この事実が真に理解されたら
民族による紛争や戦争は起きないと思います。
そうなる世界が到来することを
心から願っています。
真理から見た真の平等の意味について
参考になれば幸いです。