悟りについての一考察です。

 

悟りというと仏教的な響きがあります。

 

事実、

釈尊は出家して、

5年近く悟りを求めて修行していました。

 

釈尊が求めていた悟りとは、

生・老・病・死に対する回答であると

仏典には説かれています。

 

人間は、なぜこの世に生まれてくるのか。

なぜ年を取って、病にかかるのか。

死んだあとはどのようになるのか。

これらの疑問に対する答えを探求していました。

 

その探求の結果得た回答は、

この世に生まれてくるのは、

自分の魂のトレーニングとして

知識や経験を積むためであり、

年を取り、病気になるのは、

この不安定な三次元世界に執着しすぎることなく

あの世へと安らかに旅立てるためであり、

死後は、生前の思いと行いに応じた世界へと

戻っていく。

このような真理を得たといわれています。

 

この真理から説かれた教えに

諸行無常・諸法無我・涅槃寂静の三宝印や

縁起の理法として

現代まで残っています。

 

釈尊が大悟して

45年もの歳月を通して

我々に残してくれた教えを

今一度、深く考えて、

自己の認識を変えることが

我々凡夫の悟りだと思っています。

即ち、

自己認識の変容が

悟りの正体であり、

その教えを実践する方法として

八正道などの徳目があるのでしょう。

 

その意味では、

イエス様の教えである

汝の神を愛し、

汝の隣人を愛せよ

という教えも

イエス様の悟りを示しており、

我々に自己変容を与えてくるものです。

 

神仏への無限の向上を目指して

悟りを深めていきたいものです。