神社へ行くときに
最近、神社のことを書いてる。神社は常にフルオープンで迎え入れてくれて神道の姿勢そのもの。でも、だからといって安易に観光気分で行っていいのか?と思う。聖地でもあるしエネルギー場でもあるし自分と向き合う場でもあるから。これを見てそれを実感した。聖地なのだから、キャーキャー言いながら行くところでない、と。特に、パルテノン神殿🏛️はアテナの領域。アテナは神話を読むとわかるがアテナをアテナとして扱わないとキレる。「私を軽んじるな」「アテナをアテナとして扱え」というのが強い人。お馴染みギリシアの「フィロティモ」がいまだ息づいてる人。だから、ポセイドンがあんなメッセージをよこしたんだと思う。アテナがそうなのだから国や時代が変わってもフィロティモのようなものがあるのではないか?つまり、日本の神社仏閣に対してもそうではないか…?時には観光で行くのも良い。ただ、それだけで終わらせてはいけないのだろう。バリで寺院🛕巡りした時もそうだった。聖なる場所ゆえ、バリヒンドゥーの神々に敬意を示した。パルテノン神殿はもう廃墟であそこでは儀式はしてないが、バリの寺院では今にある。今も儀式をしている。ならば、うわついた気持ちで足を向けるのはよくない。京都のあるお寺で御朱印をいただく時やはり観光気分でお参りしお寺に敬意を示さずスタンプラリーのように御朱印をいただく観光客を苦々しく感じてると私にボソッとこぼしていたお坊さんが印象に残っている。