wiggin's truth -42ページ目

いし


変わってゆくのは
いつも風景。

俺は目ん玉の付いた石ころ。

だから
変わりゆく風景を眺めながら
ここに留まり続ける。

何も変わらない
というのは嘘ではない。





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無問題

さて、またネタが漏れた様だが、想定内だ。
大事な情報はあんなトコにはねぇし。
無問題(´∀`)




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Even


「言い分」ってのはそれぞれにある。
当事者の数だけ存在する。

だからそこに
// 正当性 //や// 遵守すべき共通ルール //なんてものは一切無い。
義務も、何らかの裁きを受ける謂れも無い。
誰もが「責任無く」持つことが出来る。

しかしながら、
言い分の「通し方」となると、そうはいかない。
正当性も、守らねばならないルールも、義務もある。
ヘタを打てば、裁きや応報もある。

考えや言い分を持つことは勝手である。
だが、それを通すとなると勝手では済まない。

前者には責任なんぞ無いが、
後者には責任が発生する。

責任が発生する物事は、共通のルールに縛られねば収拾がつかない。

国際法ってのが正にそれに相当する。
国家にはそれぞれの思惑があり、紛争に及ぶ場合もそれぞれの言い分がある。
当事国以外の国々は、それらの「言い分」については、裁くどころか正当性の是非を問うことさえ出来ないのだ。
何故ならば、動機や目的ってヤツはコンセンサスなんて取りようが無いのだから。

しかし、その言い分の通し方には「共通のルール」を設けるべきだ。
捕虜を殺さない、民間人を殺さない、大量破壊兵器を使用しない、等々。
騎士道でも、武士道でも構わない。
要は「道」に関するコンセンサスだ。

言い分を通すための方法を云々することには意味はあるが、
間違った行為に対して言い分を云々する、なんてのはクズだ。

大義や正義なんてものも、結局は「言い分」に過ぎない。
通し方を間違えば、糞以下のシロモノだ。

だから俺は、
結果こそ大事だと言いたい。
「どんな通し方をしたのかが大事」だと。

言い分なんてどうでもいい。
そこにはハッキリとした結果が横たわっているのだから

それを直視しさえすればよい。





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ヒドいもんだ

 




昨日も今日も仕事してた。

足腰痛い。

さて、どうしたモンか。。。



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FOCUS

 
急げ

時間がない

急げ急げ!



打ち合わせの段取りつけねば。。。





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