おめめぱっちり
寝ようと思ってた矢先、
なみなみとコーヒーが入ったカップを床に落とす。
眠気は霧散し、
真夜中に真剣なお掃除がスタート。
カップが無事であったのは僥倖だ。
そのことに幸せを感じてもいい。
頬を張られはしたが
大事なものはちゃんと手の中に残っている。
4月は本当にヤバかったが
何とか復調しつつある。
そんな訳で5月だ。
15年間の空白を埋めるべく
眼を見開くとしよう。
いざ。
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静観
「不可能を可能にする」なんてのは大それていてアレだが、
「可能を不可能にする」のを観ていると、
「なんだかなぁ…」って思う。
答えを眼に止めている筈なのに、
まったく関係の無いものをつまみあげる。
可能なものの芽を片っ端から摘み取り、立ち枯れさせる。
まぁいいか。
ちなみに俺は、
傍観と静観の違いを知っているよ(´∀`)
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人道主義
「人道主義」なんてモンを唱える者ほど
実際のトコロ、私生活において暴力的傾向をあらわにすることが多いのは何故だ?
そもそも、人道ってのは「主義」じゃなかろうが?
「人の道」であるならば、主義主張なんぞではなく誰もが理解し、無条件に遵守すべきもの。
なのに、それを主義と称して敢えてシェアしなきゃならんことに、恥を感じぬのか。
何かと云えば「人道、人道」と、
意味も解らぬのに鬼の首を取ったかのように得意満面で叫んで、
恥ずかしくないのか。
俺には、「質の悪い酔っぱらい」程度にしか見えぬぞ。
理解せぬから、「叫ぶ」という示威行為に訴える。
「腑に落ちた事」ってのは、
言葉通り己の内部に定着した物事であって、
猿の様にキーキーと喚き叫ぶようなシロモノでは無いのだ。
黙って、
理解したことを実践せよ。
他人の同意なんかどうでもいいじゃないか。
// それが本当に道である //と理解したならば、
他の誰が何と言おうと、それを成せ。
人道主義だけの話では無い。
「博愛主義」も全く同様。
// 愛を口にする暴力者共 //を
俺は数限りなく見てきたさ(´∀`)
頼む。
頼むよ。
もうちょっと、自分の頭で考えてくれ。
空虚な言葉を容易く吐くモンじゃない。
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