職業、肩書、お金、家族あなたは何がほしいのか? -2ページ目

職業、肩書、お金、家族あなたは何がほしいのか?

社会人になってから10年で、上場・未上場企業と企業役員・社長業を経験したが現在無職。
たまには休むことも必要だ。信ずれば、道は拓くはず。いままでの経験を棚卸し、次に進むために、ブログを始める。

謙虚に、自分らしく、自分の生かす場を見つけるために書きます。

住んでいるのは一軒家?マンション?アパート? ブログネタ:住んでいるのは一軒家?マンション?アパート? 参加中

私はマンション 派!

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自分は、東京の西麻布に住んでいる。
自分は、蛍が普通に飛ぶほどの田舎の人間だった。中学生の時に見たトレンディドラマ(再後期)にあこがれはあった。だから、大学も東京に行った。それから世界に出てみたいと思って、アメリカはNYにいった。
しかし、NYにいって思ったのだが、日本はおそらく、世界で一番都市機能が密集した住みやすい街だと思う。
NYに残りたかったのだが、いろんな都合で日本に戻ってきた。

日本に帰ってきたとき、日本はあんまり景気が良くなかった。もちろん今も良くないけど、学生のころに憧れだった青山だとか、銀座だとか、そういう都心のど真ん中での家賃が思ったよりも安かったので、西麻布に住んだ。

西麻布に住んだとは言っても、当時はお金をそんなに持っていなかった。
そんな中で、僕が選んだ選択肢は、広いけどぼろいアパート(僕の場合は築25年。2LDKで約90平米)をルームメイトと一緒に借りることにした。
少し、東京の外に出て8万円をかけてワンルームを借りるのであれば、都心で住んだ方が、飲み会後のタクシー料金や通勤時間のことを考えて、そこに住んだ。二人で18万円だったので、一人9万円。敷金が3ヶ月もあったので、その部分は重たかったけど、まあ戻ってくるお金だ。
初めは2人で住んでいたんだけど、結局僕もルームメイトも彼女ができて、そこには3年ほど住んでいたけど結局4人暮らしになった。
ワンルームのように、プライベートな空間は少なくて、キッチンも、バスルームも一つしかないわけで、その部分は使いにくい部分もあったが、それもこの暮らしの楽しみ方の一つ。場所柄ルームメートが友達と六本木で飲んだくれて、朝起きるとその友達がリビングルームのソファで寝ていることもあった。
こういう生活は、嫌な人は嫌だと思うが、逆に今しかできないことなので、経験しておくことはいいことだと思う。

その後、僕は結婚し、前に暮らしていたところから300メートル離れた場所に引っ越した。
それで今はマンション。
マンションに住むと、マンションの便利さが良くわかる。
宅配便はロッカーに預けてくれるし、生協は宅配してくれるし、クリーニングも取りに来てくれる。
ゴミをだすのもいつでもいいし、ペットも飼える。
それに、意外とマンションの住民と仲良くなれる。
都心だけど、そういうコミュニティはある。それに、マンションが良かったせいもあるが、管理組合の人々もしっかりしているし、変な人が少ない(必ず、少しの人は自分の性格と会わないので、まあ仕方がない。)

若い時は、自らを律するためにもあんまり贅沢してはいけない。犠牲にするべきものも犠牲にして、自分の見聞を磨くためにも、アパートで苦労して、ゴミの分別もしっかりやって、大家さんに頭を下げてなんてことをやりたいと思う。

今は家族がいるので、便利さを求める。
嫁も働いているし、子供もいる。便利さを重視してマンションにいる。
一戸建ては、考えたことがない。けれど、多分、僕は要らない。アウトドアの人間でもないし、BBQするわけでもない。車もここにいる限り要らない。広い家がほしいと思うほど、ものもないし。

マンションが一番便利。家賃も選べる。たとえ買ったとしても、他人に賃貸することもできるし、売却もしやすい。
金融的な側面からしても、資産は交換価値も使用価値も、一戸建てよりも優れているように思う。

それに、マンションは土地の有効利用をしているように思う。
一戸建ては土地の割に、住める人の数が限られている。
エコな世の中なので、なるべく高いものを立て、そこに住み、自然と共存できる都市機能を如何に作るか?そんな命題を掲げられる今なのだから、マンションが一番経済合理性も、現代人の生活にも会っているのではないか?と思います。


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環太平洋戦略的経済パートナーシップ協定=TPPに関して、反対派がたくさんいることに僕はとても驚いた。
まだ、そんなこと言ってるんだというのが本音なのだ。
問題になっているのは農業の分野。とある農水の政務官は「日本の農産物は付加価値があるのだ、それがTPPを行ったら日本の農業はめちゃくちゃになって、競争力がなくなる。」。もともと競争力があるんなら、関税をゼロにして外国に売れれば、もっと利益もでるし、日本の農業は発展する。何を言っていいるんだか?と本当に思う。

知り合いに専業農家の人間はいないのだけど、僕の地元の農家の方々はほとんどの方が兼業農家。逆にいえば、ここまで保護しても、補助金をあげても、所得の底上げをしても、農業だけでやっていけないのだ。
日本の食糧という国家安全保障の観点からは、確かに日本の自給率や生産品目に関して統制が必要だが、今の経済は一国内で解決できる問題はなく、貿易立国・技術立国として蓄積した資産を最大活用すべきタイミングは、今を除けばもっともっと厳しいものになる。
だから、今にでも日本の最も得意な分野で力を発揮しやすい経済のルール、環境整備を政治が主導で行わなければいけない。
端的にいって、日本がどんな国でありたいか?
この質問に答えればいいのだ。
もっといえば、日本が縮小していくだけの国でいいのか?これからも世界の中で戦って、日本市場だけでなく世界の中である程度のポジションを保持し、誇りある世界の中のリーダーの国家としてこの国のポジションを維持したいか?のどっちがいいか?の質問に答えるだけなのだ。

しかるに、、、菅首相。「TPPは一つの政党や少数の政治家が決められることではない大きな問題だ。皆さんがそれぞれの立場で国民に説明してほしい。」
お前はあほか?
あなたは首相なんだ。政権与党なのだ。国民はあなたがこの国の閉塞感を打ち破ってくれると思って、民主党が政権をとった。ねじれ国会になったが、それでもあなた方は国民が、この国を良くしてくれるだろうとという期待を持って、民主党を政権与党にしたのだ。
そして、あなたは正式な手続きで首相になった人なのだ。だから、何がこの国にとって良いことなのか?そのビジョンが示せなくて、何が首相だ。
痛みが必要なタイミングなんだ。
今の日本を何とかしようと思うのなら、今は痛みが必要なのだ。
しかし、その痛みはただの弱い者いじめにはならない、必ず国民全体のために良い結果になる。
雇用も生まれる、景気も良くなる。
だから、今この時流の中で日本が流れを逃せば、それこそ没落していく国になる。

国民をみろ、
企業をみろ、
世界をみろ、
なにもしない、決断しないそのリスクは計り知れないものがある。
開国しよう、日本。
なんというか、非常に痛ましい事件だと思った。
自分にも子供がいて、幸いにもいじめとか、そういうことがないので、他人事でしかないのかもしれないけど、もう少し学校側でなんとかできたのではないかと思う。

僕はこの事件のいきさつの報道を見聞きする限り、100%担任の先生は把握していると思う。
いじめがあるとかクラスに問題があるとか、そんなことも分からない学校システムでは100%ない。担任の先生は100%分かっていたはずだ。

そういう状況を思うと、自殺された子供も大変にかわいそうだが、このクラスの担任の先生もとてもかわいそうだと思う。人が死んで平然としていられる人はいない。ましてそれが教え子であり、毎日顔を見ていた子供なら、なおさらだろう。
その担任の先生はおそらく、クラスのマネジメントができていなかったのではないかと思う。コントロールできていれば、こんな事件は起こらなかった。そんな先生が悪いとか責任追及するつもりは全くない。逆に、担任の先生の立場になると、本当にかわいそうに思う。おそらく相談しても、だれも助けてくれず、もしくは相談できるような雰囲気でもなかったのだろうじゃなきゃ、それを放置することは、先生という仕事をやっている以上僕ならできない。
でも、相談してもどう解決したらよいかわからないことはだれにでもある。

小さな話であるが、僕の同僚だったやつ当時24歳が、下手な口約束をしてしまったために、取引先から損害賠償を受けちまった。損害額は200万円という金額がったが、彼はそれを上司に報告した。しかし、上司はYESでもNOでも、要領を得ない返事をする。しかし、彼のところには取引先の担当者から執拗に返済を求める電話がかかってくる。
彼には決裁権などない、しかし、彼はその矢面に立つしかない。
それで彼は、泣き崩れるまで追い詰められた。
そんな記憶と、この担任の先生が重なった。
基本的にどんな組織でもそうだが、権限を持っている人間にしか、責任は取れないのだ。
学校の組織がどうなっているかは分からないが校長他の管理職=権限を持っている人間=責任を負うべき人間が「いじめは把握していない」とかばかなこと言うなよ。
担任の先生は、知っていた、それを知らないことにしようとするそんな組織は、ろくな組織じゃない。

この組織を変えないと、同じことはおこる。いじめは発生しうる。しかし、自殺は防ぐべきだと思う。
誰にでも、失敗はある。しかし、個人の失敗を補うために、組織は存在している。しかし、それはトップの有用で変わるのだ。このような事件が2度と起きないようなルール作りを望む。
「事業仕分け」は有効?パフォーマンス? ブログネタ:「事業仕分け」は有効?パフォーマンス? 参加中

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事業仕分けが盛りあがっています。
僕は、基本的にこれは賛成の立場。理由はというと、公開の場所でどんなことが行政の事業として行われているかが、国民の目の前で明らかにされるから。何をしているかわからないことも多かったし、縦割りの重複などが見つかるのは非常にまっとうに見える。
逆にいうと、これまで政治家の実績などあんまり見えなかったのだが、過去の行政や政権与党がどんなことをしてきたのかがはっきりとわかるので、これはこれで意味のあることだと思う。

しかし、これは基本的には第一歩ではないかと思っています。
つまり、ここででてきた問題をどう解決し、どういう風に国民生活に響いてくるのかを行政は明らかにしなければいけないし、実際にどんな手をいつまでに、いくらの予算を掛け、これだけの効果を見越して行うんだということが、白日のもとに、さらされるのは非常にいいことでしょう。
これは、あくまで政治の透明性という観点からすれば、大一歩。政治にしてもビジネスにしても無謬性は担保できないので、これらは当然にやってしかるべきことでしょう。

以上が、事業仕分けが有効であることの理由であるが、当然政治パフォーマンスの様相を示している。
民主党の中では、前原大臣が個人的に一番好きいなのだが、古い時代の政治家も非常に多いなという点においては、がっかりする。
国会での質問と変わんないじゃないかと思う瞬間を事業仕分けでも垣間見ることもあるので、それに関しては非常にがっかり。他人をけなして自分の地位を向上させる戦術とか、本当にくだらないなと皆さんも思ってらっしゃると思うけど、それを政対官に置き換えたものも非常に多いと思うので、それは見ていて見苦しい。

当然、蓮舫氏とか枝野氏とか、まともな質問をしていると思うときもあるが、「無駄な事業」とか「効果がどれだけあるの?」とかはまともな質問なんだが、「やる意味があるんですか?」「どんな目的のためにやっているんですか?」とかそれを官僚にいっても仕方がない質問が多くて本当にうんざりする。
なぜかというと、事業仕分けの対象は、官僚が裁量でできることも当然にあるだろうが、どんな国家像を描き事業をするかは法律によって規定される仕組みに日本はなっているからだ。
事業目的が現代社会の実態に会わなければ、廃案を国会で提案すればいいのであるし、やる意味は政治家の中にしか基本的にはないはずだ。
もちろん、官僚から上がってきた法案もあるが、それを決裁して国会に賭けたのは時の内閣であり、それを官僚のせいにするのは筋違いだろう。
むしろ、政治家の思いつきや、地元への配慮からしてしまった事業の方が多いのだろう。

自分は官僚ではないが、彼らの話をきけば非常にまともな人も多いし、あたまも切れる人がいる。見聞も広く情報に関しては、多分政治家よりも多く持っている。その中で、彼らを罵倒するのが自分の上司だと思ったら、力等発揮しない。もちろん、怒るべきところや、改めるべきところはアクションを起こす必要があると思う。しかし、自らの責任を棚上げして、他人を罵倒できる、ディベートで強いパフォーマンス政治家であるよりは、政治家の仕事をまずやってそれで、国家の利益にならないことを戒めていくこういう姿勢でやってもらわなければ、官僚の公開処刑をやっているのとあまり変わらない。
申しわけないが、自分がどんなに優秀でも、あんな態度でしか事業仕分けできない人たちと働くのは僕はNOだ。

事業仕分けには意味がある。それをしっかりとトラックして、。どう変わり、そう国民生活に役に立ったかを見れる日が来ることを、それを自分のオーナーシップとしてやりきる政治家を待ちたい。

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野球とサッカーなら、どちらを観る? ブログネタ:野球とサッカーなら、どちらを観る? 参加中

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経営とスポーツとは、非常に似ていると僕は思う。ただ、ビジネスの世界においては、個人競技の要素もあるが、どちらかというと、チームスポーツの方がビジネスには役に立つ。また、体育会的な先輩・後輩ノリも必要なのが実社会なので、やっぱりチームスポーツをやってきたやつは、チームで動くときにはやりやすい。それに同一のコミュニケーションの言語や共通体験もあるので、分かりやすい。

今回の表題は、野球 OR サッカーなのだが、僕は断然にサッカー。
なぜかというと、野球は攻撃と守備とが分かれるが、サッカーにはそれがないということ。野球はそれぞれに守備範囲があるが、サッカーには厳格なルールはない。
フォーメーションにしても、いろんなシステムがサッカーにはあるが、野球にはほとんどない。
唯一ゴールキーパーだけが、特殊なポジションにいるが、彼らが得点を取ることも可能なので、だれにでもチャンスがある。加えて、そのチャンスは野球の打席のように、平等にはめぐってこない。相手チームがいる中で戦局をにらみながらチャンスをつかみ、活躍の場を見出すという点で、戦略の幅は広く、戦術に関しても多様な働きをサッカー選手はしなければいけないという点で今の混沌とした社会においては、サッカーをやっておくといいよと僕はお勧めしたい。

野球はやっぱりアメリカ的だなと非常に思います。
何しろ分かりやすい。誰がどんな役割をしていて、何を期待されているか?まるで、採用時のジョブ・ディスクリプションのようなもの。選手はモジュール化している。
また、イチローなどの一流のサッカー選手は、おそらくどのチームにいっても活躍できるだろうが、サッカーに関しては、どんなに能力があってもチームとの相性、チーム作り戦略、ゲーム展開の戦術によっては、能力があっても要らない存在になる。というわけで、サッカーの方は個々の選手の能力の足し算=チームの強さではない部分におもしろさを感じる(もちろん、野球もそうではない要素はあると認識はしてますが、、、、)

自分がビジネスの世界にいるので、そういう相手によって市場動向が変わる部分、スター営業マン等いなくても戦略や戦術で、他社を上回れること、、そんなことを考えながら、サッカーを見てしまいます。

ただ、自分は中田英寿と同い年、中村俊輔選手は一つ年下なのだが、僕らの時代は終わった、、、、とこの前の日韓戦を見て、思い知らされた。。。
自分も若くはない、違うステージで頑張らなければというこんなメッセージまでもらっているサッカー。勉強になります。
野球の工藤や山本昌投手を見ると、おれもまだまだやれると勇気づけられもしますが、、、
野球とサッカーなら、どちらを観る?
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よく使うのは、ボールペン?シャーペン?サインペン?万年筆? ブログネタ:よく使うのは、ボールペン?シャーペン?サインペン?万年筆? 参加中

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自分が使うのが多いのは、圧倒的にボールペン。ボールペン定義もまちまちなのだが、僕はゲルインキ・細字、ポケットクリップ・ノック式、しかも黒以外の色を圧倒的に使います。

理由1
書き直しができない。
それなりに仕事をこなす必要があるのだが、何回も書き直すような余裕を自分に与えないために、一発で書かなきゃいけないというプレッシャーを自分に与えています。
そのため、書き直しができないボールペンを使います。
だから、フリクションボールつきで「消えるボールペン」がありますが、これは嫌いです。

理由2
ゲルインキ
書き味は全く違う。普通の油性インクのボールペンは滑らかさに欠けるし、スピードが違う。それから自分が字が下手なだけかもしれないけど、油性インクだと文字の濃さ・太さが圧力によって変わるので、どうしてもへたくそに見えます。
ゲルインキだと、へたくそな字ですが、きれいに見える。細かい指示や気付きを書き込むので、細字でないと紙が足りなくなっちゃう。

理由3
ポケットにはさめるクリップ&ノック式
ペンは常に身につけてます。そのため、体にくっついている方がいいので、クリップは必需品。
また、キャップだと時間がかかる&キャップをなくしたら使い物にならない、キャップは外れる恐れがあるので、鞄の中や、洋服にインクが付くことも。(もちろん、ノック式でもペン先出しっぱなしにして、ポケットに差すこともあるので、洋服は汚れることもあるけど、、、、、、、)
いつも筆箱とか持ち歩く人いるのかな?

理由4
黒いがい。。。。
クロは、すべての印刷物の色が、黒で印字されるのがほとんど、そこに書き込みをするときには、違う色でないといろんな意味で、自分のメモを探す時に、一覧性が違う。
また、何人かとMTGしながら書き込みをするケースがあるけど、自分のコメントは常に色つきなので、だれのコメントかもわかる。
もちろん、色がついていれば上記役割は果たすのだけど、赤はどぎつい。オレンジだと、黄緑とかもマーカーにはなるが、文字を書くにはあんまり。なので、自分はいつもブルーブラック。

上記すべてを満たすボールペンはシグノ。
という訳で、シグノは常に持っている僕のボールペン。

よく使うのは、ボールペン?シャーペン?サインペン?万年筆?
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  • サインペン
  • 万年筆
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COP10が名古屋で行われていて、そのなかで生物資源の活用に関する部分において、なかなか先進国と発展途上国との間の溝が埋まらないということを言われている。

生物多様性条約の骨子は、(1)生物多様性の保全、(2)生物多様性の持続可能な方式による活用。(3)その活用によって生じる利益の公平公正な配分という、3項目だそうだが、何となく僕はこの(3)には納得いかない自分がいます。

製薬会社等は法外な利益を得ているとか、なんとなく攻撃目標を作って、中国みたいに先進国たたきを煽ることはできるけども、これは公平な分配なのか?とも思う。
特に、石油資源や鉱物資源は実際にそこで採掘作業が行われ、その国でとれるので分配などはしやすいし、純粋に持ち出しなどに対しても通関などで規制を掛ける。同じように、生物資源などに対しても同様に規制を掛けることはできるのだが、それは知的財産などの整備と取り換えで行われるべきだろうと思う。
アイデアの模倣のようなものはどんな業種にもあり、中国の偽ディズニーみたいなものや、日本の料理屋さんやアパレルみたいなものもパクられまくっている。ここら辺を厳格に適用できるような、法的な枠組みを各国が行うことを条件に、生物資源から得た利益をよこせという権利が発生するような仕組みにするべきだと思う。

発展途上国にどんなに有効な成分を分泌する植物やら虫やらがいたとしても、それを培養し、治験し、薬にするためには、その国にはない技術が必要になるからだ。同じように、メーカーとしても技術のただ乗り等は、大きく権利侵害をすることになるけど、そこまでの意識があるのであれば、これらも同様にしてもいいのだと僕は思う。

しかし、いろいろ議論を聞いていると、昔の欧州の植民地政策を持ちだす国もあるようなので、どこまで理性的な議論なのかということも思う。やっぱりこれは政治問題なのだと思う。

最近のこの手の話をよくきく。別段何とも思わない。
たとえば、北海道のニセコでコンドミニアムの販売が盛んにおこなわれているとか、銀座のビルが狙われているだのいろいろといわれているし、実際に購入している事実も知っている。
その中で、たとえば水資源だとか、温泉がアンリミテッドにでてくるから、買うんだとか、山林を買って山林資源を買うんだ等という話しがあるが、それは日本の本来のものだから、売るなどけしからん等という論調を最近よく見かける。

しかし、良く考えたらいいと思う。もしも本当に水資源で儲かるならば、もっと早く日本の企業が目をつけてミネラルウォーターを売っているよ。
山林に関しても木材がそんな値段で取引されるなら、住友林業はもっと儲かってる。
だから心配することはないんじゃないかと思う。

日本の資源は価値がある。その価値が高く売れることはこの日本にとっていいことなのだ。
そして、今は景気が悪い日本であるが、景気が良くなる時もある。もしも本当に価値のあるものだと再認識したら買い戻したらいいだけだ。今は不景気なのでなおさら、この状態でしか売れないものもあるのだ。逆に今保持し続けることにコストを費やすより、新たなチャレンジのために必要な資金回収をしたらいいのだ。

中国は香港を99年という間イギリスに賃貸した。彼らの時間の中で99年とは長かったのだろうか?王朝が数百年も続いた国とって99年は分かる範囲なのだ。
それくらい日本も大きく国家戦略を構えながら、どう国際社会のなかでのポジションをとりにいくかを練るような時期なのだと思う。
事業仕分けがついに特別会計に踏み込むとして、特集を見ていた。その中で違和感を覚えたので、個々に記録しておきたいと思う。
僕は、事業仕分けが何のために行われているのか?という根本的なことをあまり気付かずに漫然と情報をインプットしていたが、やっぱりここに踏み込まなければいけないし、それをもっと国民にアピールしなければいけないような気がした。

戦いの構図として、「官僚の怠慢を政治が切る」みたいな、構図になっているが、それはちょっと違うだろうと思う。官僚を切ることで、政治自身が本当に仕事をしなければいけないことになる。そのための事実状態を明らかにするための儀式がこの事業仕訳であり、その事実を前に政治がどう判断し、何を目標として有限な資源を振り分けるかを明らかにして、必要があれば立法し、執行する。そのための第一歩として事業仕訳があるのであり、官僚や担当者をこき下ろすためにあるわけではない。単純に考えれば、官僚には決定権は基本的にないのだ。にもかかわらず、事業の是非を問われたり、効果があるの?と聞かれても、効果があるとあなたたち国会議員がきめてスタートしたことですよね?と官僚は聞き返すしかない。
官僚のいい方は、いわば独特のものがあるのかもしれないが、事実をねつ造しているケースは少ないと思う。そこまで良心や常識のない人は、おそらく官僚になっていない。しかし、事実の解釈の幅に関しては、普通の人よりも多くの選択肢をもち、表現の仕方に関しても賢い人たちなので、あたかも成果が大きくあったように受け止めることができる表現になることもあるとは思う。

しかし、官僚が悪者になる前に、政治家のミスジャッジや怠慢をあぶり出すために事業仕訳をやると宣言する方が、よっぽど正しいと僕は思う。当時の与党が判断した時は、賛成多数だったのだ。またそれからも予算は承認してきたわけだし、予算を与える=事業を行う妥当性があったという判断なのだ。政治家や大臣の顔ぶれは変わっても官僚は変わっていない。だから、首謀者は官僚だこんなロジックはないだろう?
逆にトップがコロコロと変わる各省庁の中で、何をよりどころにといえば基本的には成立した法律だけだろう。
それにしたがって、執行し、事業遂行している役人に対して、それが大きな間違いだというのはいかがなものだろうと思う。
まるで、事業再生に入り、今まで会社を悪くしてきたのはお前らだと従業員に怒鳴りつけるようなものだ。
そんなトップを抱えた企業が再生するだろうか?僕はあり得ないと思う。
また、テレビネタ。
テレビ東京で、国連の話をしていた。明石康氏のの話がとっても響いた。彼は、カンボジア和平に貢献した人物だったようだ。僕は、明石氏の名前を知ってはいたが、何をしたのかは良くわかっていなかったので、非常に新鮮であった。

カンボジアの平和、平和といってもピンとこない。日本は平和なのだと思うのだが、どういう状態が平和なのか多分、人それぞれに答えがあるんだと思う。カンボジアにおいてはカンボジア人にとっての平和の形、国の形がそこにはあるんだと思う。しかし、そのカンボジア人の中でも意見の対立なり、文化的・宗教的をふくめた対立やコンフリクトがあったからこそ、紛争や内戦があり、それがゆえにカンボジアという国に不幸な歴史があったのではないかと想像する。
そんななか、国連という組織において、カンボジアの暫定統治機構のトップを務めた。

このポジションは、僕にとっては、企業再生のトップに似たものを感じた。もちろん、一営利団体である企業と国家とは規模も複雑さも求めるものも格段に違うだろうが、僕は企業というのは単なる営利団体以上のものがそこにはあると思っている。そこには従業員の生活があり、取引先、仕入先の人間がいる。国の統治者とは似ても似つかない部分があるとは思うが、国家の最大かつ絶対的な使命は国民の生命と財産を守ることだ。
一企業の統治者としてのトップも、従業員の生活を守ることも一つの使命であるとおもう。←まあ、カッコよすぎるけれど。。。。。。

さて、そんな大役を引き受けた明石氏であるが、彼のアプローチは非常に参考になった。
彼は、平和の意味を選挙に求めた。国民による、国民のための、国民の選挙をそこに行った。もちろん、選挙がおこなわれることによってその国がすぐに良くなることはない。けれど、国民が自らの意思で、ジャッジを下した。自分たちが被害者で、耐えることを強いてきた人々が自らの意思で、自分たちの国を作っていく、そんな一歩をカンボジアが踏み出すために、彼は尽力をした。日本では選挙に行く人が少ない。前回60%を切っていたような気がするが、カンボジアでは90%を超えた投票率を獲得した。武装勢力もいる中、中には脅しに選挙にいくのが命にかかわるような人がいる中で、90%もの投票率を得た。
日本の戦後は、米国に憲法も国政のあり方についても、箸の上げ下げまで強制されたという人もいるが、民主主や自由だったり、その国のあり方だったりはその国民が決めることが最大の正当化だと彼は思っているのだろうと思った。
彼にとってはカンボジアは、他人の国だと思う。でも、自分の国と同じくらい愛していたと僕は感じた。

自分も企業再生の人間として、その会社におりたったことがあるが、いつでもつぶせるんだぞと高圧的にいって成功した事例は一つもない。本当に会社にとっていいことは何なのかを貫くことで成功の確率は高くなる。
どの状況であろうとも、自分ではなくその対象にとってのベスト、ベストがなくてもベターなチョイスをどこまでも追及していけるかを軸をブラさずに貫けることができる人間性が、物事の成功を左右すると確信を深めた。

でも、世界を舞台に仕事を行っている人はやっぱり凄いなと思った。