ロシアが続けるウクライナ戦争の映像はヨーロッパ社会と政治を変え、ドナルド・トランプがアメリカ大統領に再びなることへの恐怖が変化を加速します。同様に、もし人民解放軍の台湾進攻や北朝鮮軍の南下、東アジアにおける戦術核兵器の使用があれば、日本も変化を強いられるでしょう。

 

ウクライナ情勢とアメリカ大統領選挙について、私たちも、この数年間で世界がどれほど変化するか、想像力を駆使して議論し始めるときだと思います。

 

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10年、あるいは、20年先に、自分はどのように暮らしているのだろうか。・・・ときどき、そう考えます。おそらく、母のように認知症になり、父のようにガンで死ぬのでしょう。しかし、ただ死ぬために生きればよいのか?

 

バイデン大統領が一般教書演説で、どのくらい言い間違いや老人の弱さを見せるか、と評論家たちが騒ぐことは、老人を不当に貶めるものです。年齢とともに衰えるというだけでなく、若者にはない経験や知識、弱者や不幸に対する同情と労わる気持ちがある、と尊敬される老人もいます。

 

老人が生きるには、老人ホームやホスピス、生活への支援金が必要ですし、たとえば、安楽死を助ける社会制度に関する合意・法整備も必要でしょう。老人は、医療や年金を含む、社会システムの中で生き、その死を迎えます。私たちの社会は、どのような人の死を望むのか、他の問題と切り離さずに、正しく議論すべきだと思います。

 

それは、移民問題や戦争、核兵器と、同じです。

 

フラコはニューヨークの動物園を逃げ出したワシミミズクです。自然に関するエッセイスト、マーガレット・レンクルが、フラコの死について書いていました。

 

彼が、高層ビルの鏡のようなガラス面に映る空と激突して死んだのか、人間の排出したさまざまな化学物質を体内に蓄積するネズミなどを食べたせいで死んだのか、その答えは出ていません。しかし、自然や他の生物種を愛する人から観たら、人間の作る世界は残酷です。

 

ナワリヌイの死は無駄であったのか。イアン・ブレマーは、そうではない、と考えます。ナワリヌイがロシアに帰ることを決断したとき、その後の逮捕、投獄、拷問、毒殺や処刑を予想したはずです。それでも亡命するより帰国することを選んだのは、屈しないという勇気を示し、抵抗運動の勝算に賭ける指導者の強い意志でした。さらにブレマーは、反対派を葬る政治にも必ず終わりが来る、と指摘します。そのとき、ナワリヌイが新しい社会の規範を築く勝者となるのです。

 

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The Economistの記事の中で、プーチンは競争力の劣るロシア社会が戦争を続けるために、一種の革命を起こした、というStephen Covingtonの意見が紹介されています。プーチンの体制は社会・政治秩序の内外における改変、特に、ヨーロッパ安全保障システムの変更をめざします。

 

他の記事は、ドイツ連立政権のBoris Pistorius防衛大臣が国民に強く支持されていることに注目します。ドイツは第2次世界大戦を経て、その軍事力を否定することが政治的な権力の条件でした。しかし、今は違います。ウクライナ支援をアメリカに次ぐ規模に増やし、軍備の改善、兵士の増員をめざし、リトアニアに5000人規模でドイツ軍が駐留する計画を進めています。

 

世界は、若者や老人、富裕な者や貧しい者、思いもよらない幸運、差別、抑圧、抵抗、改革、病気や事故、震災、戦争など、さまざまな不幸の組み合わせでできています。国家・政府がそのマイナス面を抑え、プラス面を促すようなひとびとのつながりを育てるのは、何にもまして重要な歴史の宿題です。

 

しかし核戦争が迫る中では、自分が死ぬとき、子どもや孫たちについて希望を持つこともかないません。核兵器廃止に向けた、米中も参加する安全保障システムの下で、老人も生きます。

 

20年先に、日本の姿はどうなるのか。平和を築く具体的努力を指導者たちは議論するときです。