高校時代のわたしは


エレキギターが
悲鳴をあげるようなチョーキングや
掻きむしるような激しいリフを聴くと 

「あ〜良い〜♡最高♡♡」って感じる
ロック大好き少女でした。



 


 




(ちなみにわたしがロックを好きだった理由は、ロック大好きだった母の影響が強くあったからだなと今ではわかります。わたしの母は厳格な教育を受けたお嬢様育ちで何気にクラシックにも詳しく、ロック好きはそれに対する反抗精神が培ってきたものだということもわかっております)



ですが

今のわたしが
低音の烈しいリフや
チョーキングを聴くと

「うるさい」とか
「だから何」とか

感じます。



  


大昔のわたしには

一日中動画を観ても全く飽きないほど
大好きなロックアーティストがおりましたが




今のわたしが

当時大好きだったそのアーティストのライブ動画をみてみたら


「かわいそう」とか
「おぞましい」とか
「こうなりたくない」とか

そんな気持ちが出てきました。





そのアーティスト自体に対する感想ではなく

そのアーティストが背負わされていた運命のようなものに対する感想です。






あと当時はわかりませんでしたが


「この人は性エネルギーが弱すぎるから敢えて強く見せる曲をつくっている」とか 

「神の愛は受け入れていても人の愛を信じていないから牙を立てるような波動の声になるのだな」とか

「ギターソロを弾く時に無になりすぎて歌う時に素(人間意識)に返るからそのギャップで声が出なくなっている」とか

「ギターを手放した時の右手(男性性、決断する力や切り開いていく力)のエネルギーがピュアすぎて行き場を失っている」とか

色々と新しい気づきもありました。








公衆の面前でステージに立ち、歌う

ということは



わたしのようなスピリチュアリスト達から

360度「みられる」ということです。







そう考えると

姿を隠してネット上だけで歌を配信したり
オンラインライブが好意的に捉えられる昨今は



生身のエネルギー 」を隠したまま
音楽アーティストになれるという

優しい時代なのだなと感じます。






それが良いのか悪いのかはおいといて。
 










最近よく思うことは

 
「結局 自分自身の肉体が 楽器として一番素晴らしい」です。






音楽に限ったことではありませんが


「自分以外のもの」を

「自分の代わり」にすると

色々なことを見失いやすくなるからです。







ずっと歌うことにしか興味がなく

今まで何度バンドをしても
ボーカル以外やらなかったわたしが


最近は

(天から「作曲できるようになるために楽器をやれ」と言われたので)

楽器の演奏を学び始めましたが


(ピアノだけは幼少期に学びましたが、それも5年で辞めて、今は弾き方を忘れております)



「楽器は自分自身を隠せるのだなあ」と

感じております。






この記事にも書きましたが






歌は 

自分の心がそのまま音として
波動にあらわれます。




楽器もまあ
そうなのですけれど

歌ほどではないというか



自分の心の中身がどうであろうと

楽器を弾けば
綺麗な音色を奏でられるから


楽器を弾くと
自分を勘違いしてしまうというか

現実逃避しちゃいがちだなあと



自分の体験を通して

思いました。








歌は  

自分の肉体をそのままつかうから

嘘がつけないのですよね。




まあ嘘をつこうと思えばつけますが

フィードバックがダイレクトすぎるというか

「あー、これは嘘の声だ!」って

自分がわかりやすいという感じです。






歌だと

「何もかもが嫌だ」みたいな状態の時は

「何もかもが嫌!!」って感じの音(声)が出ますが



ピアノとかギターとかは

そうはなりにくいなあと感じます。




心がどんな状態であれ

弾けば(ある程度)綺麗な音色は出ますから。






まあだからこそ逆に

楽器の音をつかうことで
心がチューニングできるという側面もありますし



楽器を使えば

嘘をついたままでも
歌えるものだなあと

しみじみ実感します。







だからこそ




わたしは

「楽器を主役にする人生」は無いな

と思います。


 

主役は人間。


楽器は伴奏。





その感覚が無い方とは


恐らく音楽の価値観が合わない気がします。









まあだから



楽器(伴奏)をつかわずにアカペラで

仲間とステージに立たず一人きりで

メガネやサングラスや長い前髪で両方の瞳を隠すこともせず
客席を真っ直ぐ見て
(≒ エネルギーレスポンスをきちんと受け取り)

バーチャルな存在もつかわずに
「生身」でステージに堂々と立ち

自分で紡いだ言葉
(自分が書いた歌詞)を

口パクではなくリアルタイムで
自分自身の生身をつかって

歌える方は
 


凄いなあと素直に思います。









あとやっぱり

わたしは

「人間の意図」が全く入らず
「神の波動」が入った音の方が

心地よいのですよね。





どれだけ素晴らしいとされる
演奏家の楽器の音を聴くよりも


波動の良い土地の
木々の音とか川のせせらぎとかを
聴く方が

今のわたしは心地よくなります。





天から「音楽をつくれ」

と言われたから
 

今のわたしは

音楽を学ぶために
色々な音楽を聴いたりもしますが



「音楽を聴くと疲れる」と

正直感じることは多いです。





音楽をつくらないのであれば

今のわたしは
音楽を聴きたいと思えません。

 


ほんとうは

何か音楽を聴くくらいなら

神がつくりだした静寂の中にある
美しい環境音を聴いていたいのです。







まあ

でも


それじゃだめだよって

天から言われています。




「ちゃんと人間の肉体をつかう音楽をやりなさい」


天からは言われます。












 



すごく正直にいうと



スピリチュアルを究める前の
「何もわからなかったわたし」の時に  


もっときちんと
音楽を勉強しておきたかった

と思います。




(わたしの今までの人生における音楽はずっと「お遊び」で、真剣に歌を学んだことはありません。音楽の授業は昔から大嫌いでしたし、バンドをやっていた時代も わたしは「歌うだけ」「人を集めるだけ」「場所を準備するだけ」で、演奏(音楽)自体に関与した事はありません。音楽理論や歌唱法の知識は皆無です。)






今から基礎をやるのは辛いですね、色々な意味で。



常に「ヒーラーとしての自分」が

「音楽をやるわたし」を視ているからです。




Lv.100のリーディング力をもつ
「スピリチュアリストのわたし」が

Lv.1の歌唱力と作曲力と音楽知識をもつ
「作曲して歌いたいわたし」を

あらゆる角度から視ているからです。





少しでもそこに
嘘やごまかしがまじると

ヒーラーとしてのわたしが「気づく」からです。







いや、

嘘をつく音楽をやりたくはないので

それで良いはずなのですが





じゃあ「嘘が全くないわたしの歌」を


今の「一人のわたし」ができるのか?


という話です。




 














まあ一人でやるけどね。












わたしにもう相方はいないから。
























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