令和3年12月18日です。長らくブログを書いていなかったうえに、政局が動き、何回か書いてみました。しかも世界連邦や仕事の具体的なことは書かず、どちらかというと、思いついたことを書いていたので、ちらかっているのはすみません。
癖になったので、また書こうと思います。しかも具体的なこともまぜてみます。
現在は「世界のために、名も命も求めず、年中無休無給で働く」という笹川良一先生の教え通りに暮らしています。笹川先生はご存じのように現日本財団の創設者で国際的政財界の大立者だった人で、大物宰相の田中角栄先生や戦後最大の政商・小佐野賢治社主などとも仲が良かったそうです。また戦後最大の黒幕・児玉誉士夫先生の上司筋にあたり、山口組三代目親分(※昔は極道の人は表の世界の人とも普通に付き合いできました)と友人だったりもされたので、世間では暴力団の親玉みたいに思われていた部分もありましたが、私がお会いさせて頂いた際は、立派で、かつユーモアのセンスもある魅力的な方でした。
かつて創設した会社の株とか現金化できない資産や、親族の支援や、他人の組織の財産に囲まれて、暮らしているだけです。
ただ、現実的には、これでは、自由にお金を支出したり、お世話になっている人に恩返しもできず、家族にも迷惑がかかるので、やはり出世したり、お金儲けをしたりも、必要かと思っているところです。
しかし「黒幕」として、戦前の政治運動家の大立者である頭山満先生(もちろん戦前の方なのでお会いしたことはありません。
ただ直孫の呉竹会会長・頭山興助先生には、平沼赳夫先生らとされていたご皇室行事の「新嘗祭」を祝う祭事や、無窮会という孫文らの文書などの管理する資料館に関するお手伝いさせていただき、一時私を「懐刀」と呼んでいただいて、感動したこともありました。最近はすっかりご無沙汰しており失礼しておりますが。頭山先生のご縁で、若き日に国連高官などもご紹介いただきました)、
そして前述の
「昭和の黒幕」笹川良一会長(日本船舶振興会・現日本財団創設者)、
「平成の黒幕」池田大作会長(創価学会の中興の祖)など、
国家元首クラスが、挨拶にきたり相談をしたりするレベルの黒幕は「令和」では、まだいないですね。
実は複数の政財界の偉い人には、谷本が令和の黒幕になれと言ってくださいます。特に今は右翼、宗教も良いけど、学生起業や社会運動もした得意の「ネットワークテクノロジー」を活かした世界連邦運動でやればピッタリだとおっしゃっていただきます。しかも世界中の政財界文化界のあらゆる諸アクターと人脈を築いているので、むしろ日本だけの政治家になるより世界規模が、合っていると仰っていただきます。我が意を得たりと嬉しいことです。
ところで私の少年時代は、バブルだったので「黒幕的な人」は沢山いらっしゃいました。
私が、関西から上京して、最初に会社の拠点をおいた港区で、あちこちに事務所や社宅を置いたので、麻布の各所をお持ちだった有名な麻布自動車の渡辺さんなどにも、不動産でお世話になりました。
また商法違反となってからも、いわゆる総会屋の人々も、たくさん残っておられました。
学生のくせに生意気にも会社社長をしていた時代、本業では野村證券さん、副業やプライベートでは西武(コクド)さんに、お世話になっていたので、その筋では後に名前が出てしまい問題になってしまった方も、いらっしゃいましたね、、、。
このころは、裏社会の方も、表の社会に、バンバンからんでおられました。
竹下総理「ほめ殺し」を覚えているかたもいると思います。この時は竹下・金丸両先生⇒東京佐川の渡辺社長(佐川急便は創業者が、田中総理と同郷で、笹川先生と組んで、運輸省を動かし大きくなられました)⇒稲川会二代目親分(見た目は、非常に柔和なビジネスマンタイプの方でしたが、ご病気をされて亡くなる直前、逆に突然大親分の貫禄が出てこられて、あまりの変貌ぶりに驚きました)⇒皇民党という流れで納めて問題になった事件です。皇民党総裁は、四国の方で一般には無名でしたが、当時の五代目山口組カシラで飛ぶ鳥を落とす勢いだった、ミナミの大親分と、兄弟分だったという超大物です。
でも、だんだん、バブル期くらいから、極道が問題になってからは、裏社会の人が出てこられることはなくなりました。
私がボランティアでお手伝いをしていた政治家のパーティーなどでも、「それ風」の人たちは、パーティー券購入金だけ受付において、名前も名乗らずに帰られるというのを、目撃しました。今は「組を会社ごと堅気にされた会長」以外は、政治家のパーティーでも、一切いらっしゃらないです。
もちろん、今は暴対法の制定、そして暴排条例の制定で、表の人は、反社会的勢力と言われるようになった裏社会の人とは、一切付き合ってはいけなくなりました。そこで「半グレ」と呼ばれる不良グループが増えました。ただ、私の少年時代には「半グレ」とは、本職の極道にはなれない「堅気の」不良という意味でした。昔の警察では、「愚連隊」も、博徒、的屋、さらには興行、港湾・炭鉱・土建業の口入れをする正業持ちのヤクザと、同列に扱われていました。有名な安藤昇先生なども(太陽族の登場以前の戦後すぐに、学生パーティー屋をされていた、いわばイベサーの元祖的存在だったので、正直憧れてました)、愚連隊で、渡世違いや稼業違いとはいうものの、ちゃんと(?)ヤクザ・極道として扱われてました。
でも、今はヤクザが、法律で闇に潜って以降は、「半グレ」と呼ばれるグループも、「半」ではなく、本物の極道と変わらない反社会的勢力になってしまいました。勢いで人殺しもしますしね。伝統的な賭博などをやっているのかどうかは知りませんが暴力的な行為ではなく、ごんべん(詐欺)や、薬局(違法薬物売買)などを商売にしている不良が多いと聞きました。私が警察の偉いさん(四課経験者)から直接聞いたのですが「極道は懲役へ行っても、組が家族の面倒を見る、留守中に姉さん(奥さん 東京の的屋さんではバシタというらしいです)に手は出させない、懲役を終えたら出世する、親のためなら命さえ惜しまない、命令されなくても動く、こういう体質だから、まずいのだけど、半グレは基本的にお金儲けが目的で懲役を避けるから、まだマシですわ」といっておられました。ただ本職は、足を洗ったり、破門・絶縁・所払いなどで、やめることが出来るし、5年たてば警察的にも堅気の認定をされます。でも半グレは、元々ちゃんとした組織でない「ただの地元の先輩・後輩の友達関係」なので、やめたくてもやめられない、という欠点もあるそうです。そんなもんなのかぁ、、、と思いながら聞きました。
しかも、愚連隊も(戦前は大陸浪人となって軍の特務機関として汚れ仕事の下請けをしたり、戦後は国内の三国人を取り込む)、政府転覆をたくらむ極左暴力組織も(直接海外で事件を起こしてました。中東で爆弾や乱射事件を起こすテロリストの元祖はそもそも日本赤軍です)、日本の反社会的勢力というのは基本的に国際的でしたので余計大変だったそうです。
ただ昔は、極道も、任侠右翼など、極左暴力組織と対抗する勢力として、ある種、保守系の人たちから、認められていた部分もありました。
戦前は、議会政治を推し進めた院外団や壮士といわれた、今で言うロビーイストはヤクザでした。しかも政治家になるヤクザもいました。
九州の炭鉱のドン、吉田磯吉親分も、政治家として大成されました。横須賀の小泉又次郎氏(小泉総理の祖父)も、海軍港湾荷役請負のヤクザ親分から政治家になった、通称「いれずみ大臣」でした。戦後でも、ナベツネさんの親分筋の大野伴睦衆議院議長も、「任侠道は日本の心」と言われていたそうです。「政界の暴れん坊」と言われた浜田幸一先生も、元々本職のヤクザで、関東の大親分である稲川会初代から児玉誉士夫先生を紹介され、そのバックアップで政治家になられた方です。浜田先生には、亡くなられる少し前、空港のラウンジで偶然お会いして、ご挨拶したところ、私のまだ小さかった長女を抱いて可愛がってくださいました。生意気に私もファーストクラスだったので、通路を隔ててお隣だったので、機内でも娘を可愛がってくださいました。政治には厳しくても、本当に優しい方でした。今なら元ヤクザが政治家になるのは無理でしょう。ん?いや、立派に副大臣になられた現職の先生も、暴力事件で逮捕歴があったりもするので、更生すれば大丈夫なのかな?
まぁ、いずれにしても、飯島内閣官房参与(元首相秘書官)いはく、「政治家のクリアランス・身体検査というのは、叩けば埃が出る人かどうかの粗探しをするのではなく、政治になるほどの生き方をしていれば、誰でも一つや二つは、内緒にしたいことはある。だから叩いても埃が出回らないように、洗いざらい聞き出して、問題にならないように、手を打つことが、本当の身体検査だ、俺にやらせれば問題は出ないのに、、、」と仰ってました。内閣の参与というのは、立派な役職ですが、アドバイザーなので、直接的な権力はないので、こうおっしゃっているのでしょう。
これも、なるほどなぁとおもいました。政治家になるような人で、本当に隅から隅まで調べて、何の問題もない人なんて、自ら泥を被らない器の小さい人か、何もしてこなかった人に等しいですから。
総会屋も、与党総会屋もいました。いま、総会屋、つまり特殊株主がいなくなって、外資系ファンドが「ものをいう株主として登場しはじめた」などと報じられるようになりましたが、昔から「経営者を批判する野党総会屋」、それを「黙らせる与党総会屋」がいて、バランスを取っていたのです。大阪の一部の地域では、子供が不良グループに入ると、地元の親分に頼んで、部屋住みをして更生をさせてもらう、などという風習もあったくらいです。生まれながらに被差別をされる境遇で、どうしてもその道しか進めない人だけが、正式に盃を貰うというわけです。
今だからいえますが、私も若い頃、クラブのパーティーを仕切っているときなどは、よく「パーティー荒らし」と呼ばれる、のちに「チーマー」とか「ギャング」とかを自称するようになる、「不良少年たち」が暴れていました。暴走族はバイクなどで走るために集まっているのですが、こういう不良少年は、喧嘩上等とか言って暴れるために集まっています。例えば、スタッフが入口で「並んでください」と言うと、「俺は人からの指示は受けない」とか、ワガママばっかりいって、喧嘩を始めるので、困るんです。元々、大阪にも古くから「暴走族」だけではなく、北(梅田)とミナミ(心斎橋)それぞれに、極道の下部組織の、大きな不良グループの流れがありました。また親分の息子たちなどのボンボン不良と呼ばれる連中もいました。大阪で、学生を集めてイベントをするようになって、非常に目立った存在になった私も、当然こういう不良たちが、絡んできます。真面目(?)だった私は、余計気を使わないといけなかったんです。そこで、VIPルームには、必ず、警察の偉いさんと、そっち系の偉いさんのために、席をあけておくというような、多方面外交をしていました。普通学生のパーティーなどではVIPはスタッフルームと化すのですが、うちのVIPルームは、(少し前に「ちょいワルおやじ」というのが流行りましたが)「極ワルおやじ」が、沢山いたのです。でもちょい悪おやじだけでなく、極ワルおやじも、意外に女性にもモテてましたよ。逆に、大阪府警の人は怖かったです。兵庫県系のそっち系の親分と目が合うと、「おい、お前ら、オオサカ(府警)、怖いんかぁ?こらぁぁ!」とか言って、絡んだりしておられましたね。
ここで書いても、面白さは伝わらないのですが、真面目なスタッフが大親分に対して、一般客と同じように入口で「ビンゴゲーム代500円払って下さい」と言って、「俺はそういうのは払わないんだ」というと、スタッフも「払ってもらわないと入れません」と言って咎めて、後で、私を慌てさせたりしたこともありました。また今真面目に外資系大手会計事務所で公認会計士をやっている国立大学の真面目な仲間が、同じスタッフ仲間の女子学生に、大親分と「良い感じ」になって口説かれているのを、(そういう人とは知らず、スケベおやじに絡まれていると勘違いして)強引に割って入って、自分では助けたつもりで連れ出しているのですが、後で、私が話をつけにいくことになったりと、当時のエピソードは一杯あって、私にとっては懐かしく面白い思い出です。
ただ私は黒幕には憧れましたが、やくざは向かないです。私の少年時代、関西では暴対法もなく、やくざが幅を効かせていました。でも子供の喧嘩はアドレナリンが出て楽しいけど、プロの喧嘩は命の取り合いかお金です。しかも喧嘩に勝ったら倍返しされる。素人は負ければそれで終わりでも、本職は負けて大怪我しても「大丈夫?」と言われるのではなく、親や組織が舐められたことになるので、這ってでも返しをしなければならない。それは無理だということを早く知ったのは天運でした。若者グループの長でも「真面目系」を自認し、絡まれたら絶対勝てる相手でも謝るようしました。
さて、黒幕と言えば政治家でも、バブル期終盤には、田中角栄総理の派閥を竹下総理とともに丸々奪取した金丸信先生を事実上継ぎ、さらに自民党を割って出た小沢一郎先生のような黒幕政治家もいらっしゃいました。小沢先生は20代で国会議員になって40代で大臣・自民党幹事長とトントン拍子で出世されたのですが、その後宮澤政権を倒して、自民党を割り、細川総理という単なる雑誌の記事から始まった新党をブームにして衆院一期の新人総理誕生という離れ業を実現されました(細川総理は参院と知事経験はありましたが戦後日本社会が安定してからは、衆院で本流派閥で当選回数を重ね有力大臣・党や国会幹部職を経なければ総理になれませんでした)。
自分の党は羽田総理を頭にして自分は裏にまわり、反自民政権をいきなり作られたのみならず、現在の小選挙区比例代表並立という大政治改革を実現させるような当時の日本最強権力者なのに、なぜかご本人は常に総理にならないのです。これはあまり知られていませんでしたが、前原先生と小池先生の、希望の党結成の時にも、実は最初は小沢先生が大きく関わっておられました。
私が上京した際、(私の曽祖父は、明治の内務官僚で、大叔父は財務官僚だったので、警察や財務官僚の親戚や知人は多かったのですが)警察系大物官房副長官(事務)の指示で、官邸官僚の方が、小沢さん用の報告、自民党向け報告、財務省向け報告、国民(メディア)向け報告を、言葉を使い分けておられたことがあって、驚きました。
また、現在でも、民間メディアの雄・読売日テレグループ創業者で大興行主の正力松太郎さんの後継者になった記者出身・主筆のナベツネさんや、京都の国連協会会長の千玄室大宗匠など、古くから政財界に影響力ある方々も、まだまだお元気に頑張っていらっしゃいます。
他にも、表には出られてませんが、まさにトラブルの解決などの現場で、ご活躍されている警察出身(政治家の秘書官もされてました)の政界のフィクサー(警察出身なので裏社会の方ではありません)として、知る人ぞ知る人もいらっしゃいます。
京都(関西)も独特です。もちろん世界、日本だけでなく、地方には地方の表裏の権力構造の独特のネットワークがあります。特に京都は特別ですね。私は大阪出身で、神戸に住んだりもしましたが、母親の実家が京都で、今も両親は京都で、自分の京都の大学の教授もしたりして、関係のある土地で、面白かったです。
ナベツネさんは、あまり知られてませんが非常に哲学者的に勉強されることもあり、さらには創価学会の池田大作名誉会長とも、哲学者同士という形式で、かつてよく食事をともにする仲でした。今だからいえますが、「自公体制」をつくったのは、公明党の市川書記長と仲の良く連立を組んでいた非自民の小沢先生だけでは無理で、当時のドン野中広務先生と小沢先生に握手させるには池田会長と仲良かったナベツネさんが間に入らねばくっつかなかったでしょう。そしてキャスティングボートを握った公明党の支持母体の創価学会を一人で動かせる池田会長は日本の黒幕になられました。
ナベツネさんは、そこまでの日本のドンというわけではありませんが、凄い政治アクターですね。言論人、財界人の枠を超えた「別格の人」とよく言われています。
首相は天皇陛下に国のことを奏上しますが、ナベツネさんは今でも月一回官房長官を呼び上奏させているという噂があります。またナベツネさんは、岸田首相も、多くの財務官僚も、開成高校なので仲が良いそうです。
・・・ちなみに私は開成出身でもありませんし、関西の高校出で、大学も転々としてるので、あまり同窓会とかクラブとかに、直接参加するタイプではありません。でも、まったく関与していない学校の同窓会やクラブも含めて、いろいろな人脈からの「ご縁」が出来て、ご支援をしていただけることもあるので、有難いものです。
しかし小沢さんは、常に平成の政界再編の中心におられ、政治が動けば外れてしまわれます。そこで、首相にも、ドンにもならずじまいで、凄い方です。もう一回何か仕掛けていただけることを期待しております。
元々「根なし草」を自認している私は、組織に内部からがっつり関与することよりも、外部で少しだけ関わることが面白くて好きなのでちょうどいい感じです。
また、いつの時代でも「地方には地方の社会や文化」がありますが、特に母の実家の京都を筆頭に、自分の出身である大阪、一時住んでいた神戸などの「関西」は、首都圏の「関東」とは違う、独特の人脈が形成され、東京と微妙な関わり合いのなかで機能しており、特にバブル期には、表の方だけでなく、裏の方も表面化してきて、それはそれで、面白い世界でした。
まぁ「いかつい」昔話はほどほどにして、、、。
こうして、今も影響力のある方はいらっしゃるのですが、やはり子供時代にお目にかかった先述の「黒幕」のスケールの大きさは凄かったです。しかも、現在の大臣などのいわゆる表の政治家は、公人も公人なので、簡単にことを運べません。しかもすぐに変ってしまいます。すぐに変わってもすぐに政策を決定できれば問題ないのですが、今の政治はプロセスが多すぎて中々決められません。モンテネグロの外交アドバイザーをやっていたとき中国の使節が官民問わず即決してお金を出すので、海・道路・トンネル・鉄道などみんな取られちゃいました。
また、せっかく公選で選ばれた国会議員の先生でも、大臣になる前には特定の分野を専門にして頑張っておられても、「大臣になったから取り組めない」という台詞を何度も聞きました。権力を持つと実際の利害関係者が増えて、各方面に気を配るので、逆に何もできないわけです。これではもったいないですね。こういう社会状況なので、「黒幕=フィクサーやロビーイスト」の役割は大きくなってしまいます。
法律というのは作るのが大変です。いくら「閣法」が多いといっても、役所で法案を書いてから、、、有識者の審議会・パブコメ・法制局とのやりとり、永田町へ移ってからも議連や党の部会・政調および政調審議会・総務会を通し党議決定をして、議運(議員運営委員会)にのせる・各党国対にのせる・国会の委員会審議を経るなどをしないといけません。またそのために都度都度、官僚が、政党職員・政治家秘書・時には業界団体ともやりとりをしながら、政治家にレクや振付をしないといけません。そのため法案が成立するまで2年くらいかかります。その間に大臣は変わってしまうこともあります。だから、こういうロビー活動をする人は、とりまとめられる力があるため便利、というか重要なのです。
ちなみに、そんななか菅(前)総理は、わずか一年で、携帯料金引き下げ・デジタル庁創設・不妊治療保険適用・クワッドに非公式に英国を巻き込む・そしてなんといっても国民の大半に新型コロナのワクチン接種を成功させる、などなど、あらゆることをやられたので驚きでした。菅総理は久々の大宰相でした。もちろん憲政史上最長記録を塗り替えたやはり大宰相の安部総理に、総務大臣や官房長官として仕えられていたという蓄積が爆発したという面もあるでしょう。
昔は、黒幕も凄い人がいましたが、政治家の先生も、すごい人が多かったです。
古かった議員会館時代、長老の先生に何かお願いごとをすると、すぐ役所の幹部にお電話をされて、一発で決めるという、先生も多かったです。今は、良い意味でも悪い意味でも民主主義が成熟してきているので「すばやい決断」というのは難しいです。
黒幕の方も、ここに名前を出した方は、変な表現ですが、大物すぎて表に出てきた黒幕で、基本的に黒幕というのは、当然もっと無名で、世に知られていないものです。
ただ、無名ゆえに、たまに偽物も出てきます。昔ほどの大物黒幕がいないと言っても今も黒幕はいらっしゃいます。なので今も偽物が登場します。ただ少しカマをかけて質問すれば、すぐ本物か偽物かがわかります。
基本的に、嘘・ハッタリはダメです。人を救うための「方便の嘘」や、売り込みのために「本当の長所」を自慢することは良いと思いますし、こちらから見るかあちらから見るかで善悪の概念も変わるので、「真実は何か?」ということを、ことさら決めつけるのは難しいです。
ただ自分を「盛る」ために、「ハッタリ」をかます人はダメです。一度ハッタリをかまされると、本当のこともふくめて、何を言われても、「本当かよ?」と、何も信用できなくなりますから。まぁ本当に「いかつい人」は、あえて盛るよりも、陽気に(実際に各方面に影響が出ないエピソードなどを)面白可笑しく色々話をしてくれる人です。その中に自分の自慢話もさらっと盛り込まれて、聞く人に凄いなぁと思わせます。しかも腹が立ったら怒るし、機嫌がよいと良く笑うという、人間的なところも見せます。そして誰に対しても偉ぶらず、なんでも相談しやすい雰囲気を醸し出す人です。ただし言ってはいけない肝心なことは絶対話しません。こういう人が、一番いかついですね。典型例は、昔の笹川良一先生です。
今なら安倍総理ですね。この人だから、トランプ、メルケル、習、プーチン各位も、相手ができるのです。
小泉総理も、そういう風に見えますが、プライベートでは陽性で「夜の座談」などもとてもお得意なのですが、昼に気合が入ると結構寡黙に豹変して近寄りがたい雰囲気でした。目が座り、「豹変」というか、髪型は「ライオン」で、孤独な「虎」のようになられます。それに仕事が終わると、パッと帰って行かれますしね。政治家は「恫喝」と「優しい人情味」を両面でお持ちの先生は良くいらっしゃいますが、小泉総理ほど、二重人格の人は、そういないです。
偽物の見分け方は、細かく言えば色々あるのですが、ざっくりいうと「派手な人」は怪しいです。人は見た目で判断してはいけないといいますが、これは、「地味な人でも、実力者もいる」ということです。見た目は結構重要です。
私は、学生起業家時代、派手なブランドの時計を集めるのが趣味でした。見栄だけではなく本当にフォルムが好きで、カタログを眺めるだけでも楽しいくらいの時計マニアでした。でも、さる大富豪に「そんなのつけてると馬鹿にされるよ。本当に腕が良い人は、チャラチャラした時計なんかで飾り立てなくても、良い腕がある」と注意されたことがあります。
その方は世界的大富豪でしたが、日本製の普通のスチールの一万円くらいの時計をつけられていました。それ以降、私はブランド時計をつけるのをやめました。
たしかに派手好みなら、黒幕として権力を行使して政策実現を目指すよりも、表に出て良い恰好をしたがるはずですから、派手で、黒幕ぶっている人は、国が貧しかった「昔の話」か、「TVドラマ」の世界だけで、今は偽物が多いですね。
あと偽物とまではいかなくでも、胡散臭い人は、「嘘じゃないだろ?」とか、「違うか?」とかが、口癖の人です。こういう人は要注意です。「嘘じゃないだろう」というのは、「こじつけたら嘘にはならないが、本当のこととは距離がある」と言っているのと同意です。「違うか?」というのも、自分の意図に強引に持っていかなければ論理破たんする必要があるからです。
それから、一部のビジネスパーソンの中には、「〇〇法で一定のところからは規制されている」ことを、「〇〇法で一定のところまでは許されている」と話をする人も多いので、困りますね、、、。私は主観で変わる倫理道徳よりも法の支配を重んじるので間違ってはいないと思いますが、この説明は法の趣旨から逸脱した脱法行為のため、今の社会では倫理道徳を重んじる風潮なので、気を付けた方が無難です。
もう一つ、政治家でも黒幕でも、ドンにまで出世する先生と、そうでない方の、私流の見分け方があります。
昔から、私のような小僧が、誰かに頼まれて、先生を紹介し、依頼を仲介するという場面で、「はい、はい、あの件なっ!谷本君から、いっつも聞かされているよ!」と仰る先生は、必ず出世します。
すでに、用件は本人か秘書などに伝えてあるのに、「えーっと、今日はなんの話かな?」という先生は、出世されませんね。
本当は、ある程度力がついてきた先生には、あれやこれやと、ものを頼んでくる人が、絶えません。社会のために良かれと思って意見を言う専門家の人も多いのです。
なので、お忙しく、一つ一つの依頼ごと、陳情、提言などは、忘れてしまうのは仕方ないです。
政治は「何でも屋」なので、そのくらい忙しいものなのです。これは仕方ないです。
こちらも、それがわかっているので、話を聞いてもらうためには、まず「玄関組」から「奥座敷組」になることが大事なのです。
つまり「家に呼んでいただけるような関係」になるまでは、第三者に頼みごとを依頼されても、先生にお願いごとをするのは、申し訳なくて出来ませんでした。
まぁ最近は、私も厚かましくなったことと、公私が分かれてきてるので、家には行くことが減り、あまり存じ上げない先生や、お忙しい先生にでも、いろいろと頼み事をして、ご迷惑をかけていますが、、、。
ちなみに、官僚のなかには大臣などの挨拶・答弁・会見の「直前に耳打ち」をするというテクを持っている方もいらっしゃいます。当然あらゆることを忘れて、今、耳打ちされたことを話します。政策実現のためのマル秘テクです。
しかし、それなのに「いっつも、この件を聞かされて、困っているんだよ」と笑っていただけるような先生ならば、どなたにでも、そういう対応をされているでしょうから、依頼者も、紹介者も、それだけ大切に考えていただけているような気になります。これは誰も嫌な気はしません。
でも先生にお会いしてて、いきなり「なんの話でしたかな?」と言われると、紹介者の顔はつぶれ、依頼する人も、軽く扱われてるな、と思います。こういうタイプの先生は出世できません。
「もう、いっつも聞かされているんだよ、、、」と言わても「さて何だっけ?」と言われても、どっちにしても依頼者は、何か物事を頼みたいわけだから、先生を前にすれば、あれこれと喋りだします。
そして、結果的に役所などが抵抗して、その依頼が実現しなくても、依頼した人は、紹介者にも、この先生にも、努力していただいたことに、感謝することになり、「借り」ができます。その依頼をした人の組織は、全力でその先生を応援することになります。
基本的に、表で活躍される方も、黒幕的に裏で活躍される方も、トップを極めるまで出世される方は、「良い人」が多いです。
「こわもて」や「偉そうな人」が、出世する社会もあると思いますが、民主主義社会では、上から目線の人は、出世できませんね。
裏表がなくて、話しかけやすい人に、情報は集まります。
上からは可愛がられて、下からもこの人のために頑張ろうという人が沢山いるという人が、出世します。
他にも私流のいろんな目利き法があるのですが、それは横においておいて、、、
さて、来年もやりたいことが、たくさんあります。もちろん、中心は世界連邦運動です。その中で、いくつかも継続案件があります。
まずは世界連邦を公的機関にすることです。
世界連邦日本国会委員会は、戦後すぐ国際的に官民連携で世界連邦運動は始まっていました。
そのなかで英国議会から国権の最高機関で立法機関の国会に委員会を作るように、英国議会の議長から要請をうけ、戦前ノーベル賞候補になった国際的運動家で世界連邦運動の日本の組織である「世界連邦建設同盟(現世界連邦運動協会)」初代会長尾崎行雄先生のもとで初代副会長をされていた賀川豊彦先生が斡旋して、当時の衆議院議員を会長に、首相・最高裁長官・建設同盟初代尾崎会長・二代目東久邇宮元首相を顧問に、設立されました。
賀川先生は凄い人で、貧困解消のためスラムに飛び込み研究、のちに海外の組合制度を学び、農協・労組・生協・保険などの設立に関与し、組合の父といわれた大人物です。
現在も賀川豊彦関係団体連絡協議会があり、世界連邦も会員なので、私も担当させていただいてますが、錚々たる方がいらしています。
これは、世界連邦の宗教・文化教育など他の団体でも同じですが、、、。
そして国会委員会創立翌日の国会でこれを公的機関にすることが政府委員より確認されたものの、現在まで国会法による常任委員会にはなっていません。また国連創設60年と日本国連加盟60年の記念に、それぞれ衆参両院で「世界連邦への道を探求(究)」するという国会決議が採択され、麻生太郎総理の指示で外務省総合外交政策局に担当を置いていただき、首相・官房長官・外相・財相や国連に提言をしています。しかし公的機関とはなっていないので、世界連邦という名前にはこだわりがあるものの現実的にはグローバルガバナンスに関する機関を設置法を通したいです(もちろん憲法で政府が処理するといわれている外交の一部にもとれますが、国家と国家の外交ではなく、地球規模課題にあるため概念は少し違います)。
今急に世界連邦実現が難しいならば機能主義的に国際社会を強化改革していきたいと思っています。既に取り組んでいる、国連議員総会(国会議員100名以上の賛同を取り付けました)、国際司法裁判所・国際刑事裁判所強化、国連常備軍(個人的には国際情報機関が必要と思います)。
世界連邦運動は官民諸アクターが取り組んでいますが政財界でのこういう特殊な存在なので、知らない方には、なかなかわかりにくいです。私自身もわかりにくい存在だと思います。世界連邦運動家というよりも、国際ロビーイストとか国連改革運動家という呼び方の方がわかってもらいやすいかもしれません。
そのなかでも特に、国際連帯税の実現はしたいです。国際連帯税はフランスなど13か国で国際航空券税が導入されていますが、WHOのアソシエイト組織であるUNITAIDでエイズマラリアなどのワクチンを購入配分する機関です。これは国際航空移動が感染症を運ぶことのリスクがあるので、代わりに税をかけてその資金に使おうというものです。日本では国際連帯税を導入するというところまでは法律に入れ込むことに成功しました。これには、与党税調、外務省・財務省皆様のお世話になってきました。
話題は変わりますが、私は、以前から国際連帯税導入を目指しておりましたが、かつて政府の事務方の担当としてお世話になった外務省の当時地球規模課題総括官課長だった飯田慎一さん(現経済局審議官、菊田真紀子参議院議員の夫)が、まだ54歳でお亡くなりになりました。今年、外務省では、他にも、北米一課長や国連政策課時代にお世話になった和田幸浩大臣官房総務課長がまだ52歳で亡くなったり、OBでは国連大使や国連事務次長もされた大島賢三大使が急逝されました。また外務省ではありませんが世界連邦参議院決議採択をはじめ、トラックⅡ外交で、大変お世話になった江田五月元参議院議長が亡くなり、急なことで驚き、そして寂しい話題も多かったです。
飯田審議官は税調でも国際連帯税導入が最も近づいた時の担当課長であり、在外勤務が終わって帰国されたとのことでしたので、久しぶりにお会いしたいと思っていたのに、お会いできないままで、残念でした。和田課長とは、昨年に内輪の少人数の食事で、たまたま私が会計をしようとしていたとき(今の公職の方は割り勘が原則で計算がややこしいのです。昔は、政財界や高官の方などは、一見さんお断りの料亭などでツケがきき、しかも女将に多めに払うなどして適当にどんぶり勘定で会計ができたものですが、今ではきっちりされています)、課長が足が出たら自分が負担するといって残って会計をしていただいて、その後、料理屋さんから、なかなか来ないタクシーを探して、二人で夜道を歩いたのが最後でした。元甲子園球児というスポーツマンでお元気だっただけに、突然のことで驚きました。大島大使は、国連安保理改革の講演や、国会議員に国連関係のレクをしていただいたりと、以前からお世話になっていたのですが、ミャンマー問題にも取り組まれていたので、ちょうど今年の軍部の政変後に、ミャンマー担当の国連事務総長特使が来日され、私は事務総長特使とともに、大島大使とも数日間ご一緒させていただき、特使の帰国の日、総括も含めて、私がホストをしていたリモート会議の最中に、倒れられてそのままお亡くなりになりました。すぐにマイクカメラを切ってご自宅にお電話したりしていました。無理をされたのかなぁと自分の責任も感じたのですが医師曰く死因はちょっとづつ進行していくものでここ数日の動きは関係ないということでしたので救われました。江田先生は政界引退後も、弁護士として災害被災者支援活動など、ご活躍されていると聞いていたので、残念です。
また、外交とは関係ないのですが、私が社長をしていた会社の取締役だった映画評論家の水野晴郎(故人)が生前ライフワークにしていたので私もスポンサーをしていたある映画大賞で、ゴールデングローリー賞を贈らせていただいたこともあり、そもそも水野氏がファンとして応援していて何度かお会いしたことがあった人間国宝・二代目中村吉右衛門さんが、年末に亡くなったのも残念でした。ちなみに昨年は、この映画大賞で二度も(黄泉がえりとサイドカーに犬)最優秀主演女優賞を贈らせていただいた竹内結子さんも急に亡くなったのも、とてもショックでした。五輪の仕事で良く行っていた、ある教会のすぐ近くに、結子さんのご自宅があって、ご結婚をされて、お幸せになられたと聞いており喜んでいたので、ショックが大きかったです。
各位のご冥福をお祈りします。
さて、この国際連帯税、今のようなパンデミックのときこそ、これが必要です。WHOが徹底的にワクチン薬開発分配ファシリティ・医療設備・災害防衛のための常備軍などの創設をして、いざというとき世界中に回せる枠組みを作ることと、その財源としての国際連帯税については、議論は何度もしていたのに、残念です。
国際航空券税は、国土交通省が、航空業界に影響があると反対されてはおりました。ただ観光促進に使うための出国税はとられたので業界について本気で考えているわけではないとは思いますが。それなら国際貢献だけでなく空港での大規模検疫施設を設置しようと厚労・法務省と連携して使うことも提言しました。その中のパンデミック発生です。悔しいです。
国会は立法機関です。でも日本はなぜか行政機関(政府=官僚)が法案を作ることが多いです(閣法と言います)。それに国会が賛成か反対かするだけなのです。ただし憲法と予算は違います。
やはり憲法は国権の最高機関の国会が発議し、特別決議を経て、国民投票(直接民主制選挙)を導入する高度な政治案件です。
そしてもう一つ予算は国民の収めた税金なので、国民の代表者である国会で決めるものと決められています。この原則は大事です。財務省は徴収したり分配したりする事務を執りつかさどる役所です。もちろん政府は行政をするのだから必要な予算を要求するのですが、決めるのは国会であるべきなので、事実上、与党の予算案が通るため、実際の予算については与党税調の議題が重要なのですがこの報道が少なく、衆参両院での予算委員会でスキャンダルのやりあいなどを中継をしているのが、子供のころからの国会七不思議のひとつでした。
だから、与党税調はとても権力があるのです。財務省で出世するには分配する「主計」と言われますが、それも正しいのですが、主計でも主税でも、まずは与党税調との関係を強化するのが大事なのですが、あまり知られてませんね。
私の親族は、政治家一族ではありませんが、役人・学者・財界人などが多く、むしろ「政治家にはなるな」といわれました。その方々に、いろいろな話、旧制高校や大学、政府の実情などのお話をよく聞かせていただきました。自分も政治に関心はありましたが、世界連邦のようなものがあればいいなと思っていたので、日本の国会議員などになりたいとは思いませんでした。国連にも少し失望していたので、世界に貢献するには実業家になるのが良いと思いました。その後世界政治に関与できたらいいなと思っていました。
母方でいうと、祖父は裁判官から学士予備応召で陸軍将校をなり、戦後は石油会社会長から、経営法学的意識論を確立した経営コンサルタントのはしりの学者で、母方の祖母はお宮さん系でした。
父方の谷本家の方といえば、曽祖父が内務省の役人で北海道に渡り函館で警察を作った人です(だから私も生まれた時の本籍は北海道でした)。その息子である私の祖父は兄弟が多く官僚・日銀マン・石油会社に嫁いだ人・学者などがいましたが(厳密には大叔父大叔母ですが) おじさん・おばさんと呼び、可愛いがってくれました。祖父は次男で、さる財閥家族の養子に出され、長州の藤田伝三郎・平太郎男爵親子の縁戚で48か村の大庄屋の息子として生まれ英国で関数に関係する数学をきわめて海軍工廠の要職をになっていた(父の母方の)曽祖父と、公家系の曾祖母との間に生まれた祖母と結婚。岳父の関係から機械メーカーの経営者となりました。藤田邸のあった北浜に本社をおきました。私は子供のころ北浜の料亭「かがい楼」さん、自宅応接間で、銀行幹部などに、祖父に会社の跡取り息子として紹介されたりしました。ただ上場していなかった家業の経営が傾き、私自身も独立心旺盛だったので、自分で事業をしたいと思って、基本家業からは離れ、学校へ行きながらITなどで起業をしました。
子供のころから、個人的に世界連邦的な考えに関心があったので、国際連合や外務省のやっていることに関心を持ちましたが、大蔵省(現財務省)にも関心を持ちました。やはり戦後の日本は、米国と大蔵省が動かしている印象があったためです。
そのため、長じてからは、世界連邦、特に国会委員会に関与させていただくようになりましたが、外交だけではなく、税調に関心を持ちました。現世界連邦日本国会委員会の衛藤会長も自民党の重鎮として、会長は変われど、副会長をずっとされています。
その与党税調会長は、私の祖父と近かった二階堂先生と選挙区が同じ(当時は中選挙区で、ライバルでも、交流はあったようです)山中貞則先生(私がお会いした頃には、すでに杖をついて体がきつそうでした)、私の卒業した高校と大学(のひとつ)の同窓会長をされていた塩川正十郎先生、私を政界へ勧めていただいた相澤英之先生、国際連帯税議連初代会長の津島雄二先生、世界連邦の野田毅先生、やはり世界連邦で税調小委員会委員長の伊吹文明衆院議長など、それぞれお世話になった方が関係されておりました(大蔵省出身が多いですね)。
現在は宮沢洋一先生が会長です。「こわい、こわい」と言われていますが頭の良さに加えて人格者で尊敬しています。これらの方は首相や財務大臣のように、あまり表に出られないので、知らない人も多いかもしれないですが、インナーと呼ばれて、大変な実力者なのです。私は与党税調で勉強させてもらいつつ、三木義一青山学院学長(当時)、元財務省主計官の志賀櫻弁護士(故人)らの有識者による「民間税調」にも参加させてもいただきました(最近は多忙ででられてませんが)。
私は国会議員ではありませんが、世界連邦で一応国会関係者ですので、与党税調の「〇×等審議」という外には出ない書類はいただいてます。各々の省庁の案を残すかどうか、どうなるか全部はいっていて、ピンクの表紙の本みたいになっています。
これは①マル政(政治的検討)、②〇(受入)、③△(検討)、④二重△(長期検討)、⑤X(お断り)、⑥法△(法案内容検討)、⑦事△(事務当局で検討し後日報告)、⑧マル済(措置済み)という順番に、わけられています。与党税調では、各省庁の予算について項目にわけて審議するのですが、経産と財務の駆け引きが見えておもしろいです。
しかし最近は、ICTや数学が見直されてきまして、これは英語とならんで、ある程度の基礎知識は社会では必須になってきていますね。
役人の方が、自民党で、ドーマー条件(年次国債発行の割合なら対GDP比は一定まで収束し破たんしない定理、米原の「健全化指標」という日本版もあって名目GDP成長率が上昇すれば対GDP比での政府の債務残高は膨張しないという概念。なおボーン条件というのもあって前期財政悪化の場合も今期PBを改善すれば財政運営には問題がおこらないという定理)を出してきて、話をごまかしたのですが、これが間違い説明をしたので、後で謝罪をされることになったということがありました。
私は元々理数系(専門は物理)が好きで、小学校の頃から算数だけではなく数学が好きでしたので、中高は授業をさぼっていても、国立大学には入れました。学位授与機構への学位請求論文は、世界連邦などの国際政治ではなく、労働問題(当時人材ビジネス会社を経営していたためです)を書きましたし、色々な大学へ行ったなかに神戸大学もあって「同じ西にあって、港町で、商業に強い」神戸大学を中心にして、神戸を、どうしたら日本のスタンフォード大学やシリコンバレーにできるのか?などの論文も書きました。
インフラを調べて、ポアソン分布など使って、数学をベースに書きました。それで提言もしました。
これらは社会科学ですが自然科学を応用しないと証明できません。
ただ、私が大切にしているのは自分のなかにある理想へのベクトルです。これらは、あくまでも、やりたい政策の言い訳のための後付け理屈です。
政策判断に「絶対」はありません。善・悪や真・偽あるいは正・誤の二元論で考えるのは良くありません。見方(立場)によって違う見え方をします。そして前提条件は何か、それに程度問題、人間の行動心理、自然現象なども考慮にいれなければ、判断できません。
二次元、三次元だけで物事を考えると、だめで、短期・中期・長期、あるいは歴史という時間軸、人間の欲求や想像力など、4次元、5次元以上の、ものの考え方を利用できないと、破たんします。
1+1=2とする前提がないと2+2=4になりません。1と1とを図で重ねると1ですから、1+1=1という前提に立てば、2+2=2です。
こうしてみると前提がずれると、すべての公式は変わるのです。
小学生で高校くらいの数学はマスターし、高校生で起業し中高年を雇用し、さらに現在中年になって、子どものころに学んだことをすっかり忘れて再度勉強していて、気分は「まだ中学生(廚二病)」という私は、看護が必要な子どもと、介護が必要な高齢者以外は、皆個人差が大きく「年は関係ない」というのが、私の根本にあります。プロスポーツ選手の様に世界の限界を目指すなら年も関係することもあるかもしれませんが、普通の仕事では、あまり関係ありません。私自身も年齢意識は、ぐちゃぐちゃで、10代から中年になった今まで、年齢で変わったなと思う事は、まったくありません。
だから、いわゆる文系の人でも理系の人でも、専門家にならなくてもいいので、何歳からでも数学、情報技術、英語、護身術は、基礎だけでも、やっておいた方が良いと思います。
特にリーダーは、専門家に任すべきですが、何を言っているのか全くわからなければ、ビジョンを示せず、少しわかる部下に、騙されちゃいます。
さて、この税調、当然役人の方も出席されます。もちろん財務省が実力があり、厚労、法務・警察、文科、、、などなど、それぞれの省庁が予算を求めます。
昔は、それぞれの省庁に「族議員」がいて、その省庁を応援(恫喝?)したそうですが、今はその色合いは薄まっています。
そのなかで、特徴的なのは「経産」はどの分野でもビジネスとして関係できるので、できるだけ自分のところにもってくるかが勝負なようです。また外務省は、貴族的なのか、官邸以上に報償費がつくからなのか、あまり強く求めません。
意外なのが防衛省で、政治家の方が予算要求意欲が強く、官僚の方は予算を減らすほうが褒められるという、少し違った役所です(場所も市ヶ谷で、霞が関でもありませんしね)。
政治家と官僚との関係が、メディアで話題になることがあります。
ただ現在の日本は議会制民主主義ですので、国民の代表で構成される国会が国権の最高機関とされていて、国会の指名で行政トップが決められるとしています。
だから「政治主導」という言葉がありますが、これは言うまでもない当たり前のことなのです。立法も予算も国会が決めると憲法に書いてあります。つまり頭脳が政治で、手足が官僚です。また民間会社でいうと、株主が国民で、それに選任された役員が政治家で、従業員(社員)が官僚です。
ただし、実態は、政治家だけではなく、官僚が全ての分野の権力行使をしています。会社でも役員だけが仕事をしているのではなく、実際は社員が仕事をするのと同じです。「脱官僚」という言葉が流行ったことがありましたが、民間会社が脱社員と言っているようなものなので、これはおかしいです。ただこう言いたくなるほど、国会がやるべき立法も予算も役所がやっています。これは、これで、おかしくて、本来は国会がしなければなりません。もちろん憲法で決められているので最終的には国会が承認しますし、与党税調や政調、最近できた内閣人事局をはじめ、政治主導も根付いてきてはいますが。
ただ、日本の民主主義は、まだ成熟していなくて、やはり戦前までの帝国主義の名残りがあります。
天皇が任命する内閣、天皇が統帥する軍、これらに付け足して天皇がえらぶ貴族院議員と国民が選ぶ衆議院を作ったので(ちなみに実際は天皇自身が選ぶというよりは元老や内大臣が選んでいますが、、、)、この雰囲気が抜けていないのも現実です。
戦前は、官僚(行政)のトップは、国民が選んだ政党政治家がなることもあったのですが、官僚や軍人がそのまま出世して政治家(大臣など)になることも、よくあったわけです。主権の関係で、国民のための官僚ではなく、天皇のための官僚だったわけですしね。
また、最近は官邸がようやく強くなりましたが、財務省が官庁の中の官庁といって力があるのは有名ですね。あと、もう一つ、内閣法制局という、とても権限の強い役所があります。しかも法制局というのは、法案の拒否権をもっているので、これは凄い権力です。ここが理屈をつければ法案は消えてしまうのです。しかも人だけなので特段の予算が不要で財務省も恐れなくて良いのです。
それと検察もとても強いです。裁判所は、検察の証拠で判決を言い渡すので、事実上、検察が司法権を担っているといっても過言ではないでしょう。本当は司法、立法、行政と三権分立なはずで、国会が国権の最高機関なのですが、、。、
(最高機関ということは、衆議院の優越性も入れると、国家元首は衆議院議長になります!もちろん現在の日本では、元首は機能主義的から内閣総理大臣だという学説を述べる一部の学者を除いては、学説的にも、儀礼的にも、元首に相当するのは天皇陛下でしょうが)
野球チームで政権を例えると、当然オーナーは政治家ですが、実質的には各プレイヤーが各省庁の官僚であり、そのプレイヤーを采配する監督が財務省、審判が法制局、ルールに口を出したりルールを破ったものを追放したりするコミッショナー機構が検察といったところでしょうか。どんなに優秀な選手でも監督や審判やコミッショナーには逆らえませんね。
ちなみに先述した、報償費というのは、いわゆる機密費です。この報償費について、元官房長官の先生いはく、常に数千万円の現金が金庫にあり、使ったら翌日にはすでに新札が必ず入っていたとのことです。
「外交」は情報収集など機密にしないといけないことがあるので、多くが官邸から外務省に「外交機密費」として支出されます。当然、総理などのための官邸用の官房機密費もあります。ただ当然外交実務担当の外務省に多くが支出されます。
まぁ昔と違って、外務省も他省庁も試験が統一されて、さらに他省庁の人も語学が達者になって、例えば「経済外交では経済官庁の人がする」など、外務省だけが外交をするわけではなくなってきておりますので、他省庁にも、外交のための機密費は分配されています。
実は、年に数十億円もある外交機密費は、余るので、外務省から官邸に上納還流していたことがバレたことがありました。
これ自体は、そもそも機密ですし、国の金庫から、元の国の金庫に戻すだけなので、理論的には問題はないです。
しかし、これを悪用した事件がありました。M室長という(すでに検挙され罪をつぐない懲役刑を終えておられます)、外遊などの要人ロジ担だった人ですが、この、そもそも秘密の報償費を、さらに上納還流するという、「裏の裏」で、闇に消えてしまうお金のため、10億円の単位で私的に流用したのです。競走馬を多数購入したり、複数の愛人とのマンションやプレゼントの貴金属、ゴルフ会員権など、私的に流用したことが明るみになりました。この事件が、発覚する要因になったのは、情報通だったM先生(私自身が、旧ユーゴスラビアのモンテネグロ外交アドバイザリーオフィサーをしていたので、旧ユーゴスラビアの別の国の名誉総領事をされていた元政治家だった人なので。よくお会いしてました。少し前に残念ながらお亡くなりになりました)が、つかんだ情報が発端だったので、詳しくお伺いしたことがあります。
M室長だけでなく、前任室長と部下も逮捕されたほか、多くの意幹部が処分されました。外務省が、こんな大きな事件で摘発されることになったのは、情報源のM先生が外務省に忠告した際、このM先生のことを「元職」だからか、甘く見たのが原因だそうです。M先生は、ご自身のご経歴から、政財界やマスコミにかなりの人脈があり、平川町や一番町のM先生の事務所やご自宅に、色々な人が集まり、情報通で有名でした。M先生は、外務省の人に、適当にあしらわれて気を悪くされ、親しい警察の方に情報を流したと仰ってました。
誰でも、人を「甘く見る」のはやめておいた方が良いですね。私も、M先生から、FBIのフーバー長官のように、あらゆる情報を握っておくというのは、自分がやりたいことを実現するためには、常日頃から収集しておいた方が良いというのも教えていただきました。
さて、このようにして、この事件は東京地検ではなく、警察、しかも国家公安委員会系や警察庁(業界用語ではサッチョーと呼ばれる)ではなく、警視庁(つまり地方)の方が、摘発した事件です。ちなみに地検は、法務省のなかでも強い存在です。法務省では、検察の地位が高く、法務事務次官よりも検事総長が上位、とか言われたりもしています。しかも「赤レンガ組(法務省の旧本館が赤レンガのため)」という、政治家に近い検察官より、現場の地検の検察官の方が、政治家の汚職(業界用語:サンズイ)を摘発するのに優れているともいわれています。
サッチョーは国の機関ですが、警視庁とは国ではなく地方の管轄です。元々は内務省(国)直轄機関で、天皇陛下がいる首都警察のため、名称が違うのですが、現在は「東京都警察本部」のことです。本部長も昔ながらの「警視総監」という仰々しい名前です。警視庁は「霞が関にあるが霞が関にあらず」と自虐される方もいらっしゃるそうです(霞が関にあっても、国の中央省庁ではないためです)。
つまり地方の刑事さんが、国の官僚、しかも官邸を巻き込んだ事件を、摘発するというのは、圧力にも屈しないガッツある仕事だと思って、尊敬しています。誰がこの仕事をされたのかは存じ上げませんが。しかも、業務上横領(業界用語:ギョウヨコ)や、特別背任(業界用語:セナカ)ではなく、詐欺(業界用語:ゴンベン)で逮捕したのは、うまかったと思います。官邸が、被害届を出さなくても、「虚偽を伝えて金銭を自分のものした」だけで、立件できるからです。実際、私的流用する際には、M室長はホテルのロゴ入りのレターヘッド便箋を持ち帰り、領収書を偽造していたそうです。そして機密費なので、首相外遊などの際などは、いくらでも官邸の官房長官室にあるお金を引き出せたそうです。M室長は、某自民党の大物秘書の方は「とんでもない奴だ」とおっしゃっておられていた方もいらっしゃいましたが、外務省に強い影響力を持っていた国会議員のS先生によると、M室長はとてもまじめな人で、そんなことをする人には到底見えなかったそうです。しかも当時の「外務省のドン」S元駐米大使など、この人の庇護者も多く、ここまでやっていたということには、驚かれたそうです。私自身も、このM室長、すでに噂になっていた時、日本でサミットがあり、大きなイベントで、遠目で見たことがあっただけで、知人ではありませんが、確かにそんな派手なタイプではないように思いました。余談ですが、世界連邦日本国会委員会現会長が、運悪く、この事件発覚時の外務副大臣だったので、まったく関係ないのですが厳重注意処分されてしまいました。当時の政権は報償費上納を認めませんでしたが、鳩山政権時岡田外相が上納を認めました。
当時私は神戸大学を休学して、自社本社を溜池に移し全日空ホテル(インターコンチ)に臨時で住みました。ここは(六本木ヒルズが出来る前の)アークヒルズにあったので、交差点の斜め向かいが官邸・国会で、裏に米国大使館、日本財団、通信社があり、ヒルズにGSも入ってました。ここで出来た人脈は面白かった。当時の総理は先述の小沢さんが活躍した細川・羽田政権から、村山総理をかつぎ自民党が政権を奪還、橋本・小渕さんから森総理に変わった頃です。当選が遅かったのに年功序列を突破して出世された京都の野中広務先生が官房長官で、参院では戦前の大新宗教の「大本」を出て作られた「生長の家」が推す村上正邦先生など、ドンといわれた先生がおられました。故羽田総理は六本木男声合唱団でご一緒しました。
もちろん公明党は、支援団体の創価学会池田大作先生がお元気でしたし、国連では今年亡くなられた大島大使、次席大使は現国連学会トップの神余大使が国連改革や日本の常任理事国入り運動で活躍され、緒方貞子さんも難民高等弁務官として著名でした。バブル崩壊後にしては日本も少し元気になっていたところです。
もちろん今でも、ごっつい先生はおられるのですが、当時はもっと凄かった印象です。でも、このころでさえ「政治家が小粒になった」と言われており、その前はもっと凄い剛腕な人がいたのでしょうね。
ただ事件ではキャリアは処分だけで逮捕がノンキャリだけだったのが疑問でキャリア制度は問題があると思っています。勿論ノンキャリ上級登用制度や民間からの登用などキャリアでなくても出世(外務省なら大使など)するケースも稀にはありますが差はやはりあります。ノンキャリで有名な人では、今もご一緒に平和構築を学ばせていただいている慶應出身でノンキャリ採用から上級登用され国連でも活躍された元コスタリカ大使の猪又先生を尊敬しています。また井上義行先生という後に参議院議員になった方も有名ですね。この井上先生は高卒で国鉄の機関士になり働きながら通信制大学を卒業し国鉄民営化とともに総理府に異動を願い出たノンキャリ官僚でしたが優秀で世界連邦国会委員会の事務総長をされていた額賀福志郎官房副長官(後の財務大臣)の秘書官から安部晋三官房長官の秘書官(これらは事務取扱秘書=つまり役所から来る秘書で一般職の国家公務員)を経て、安倍総理の首席秘書官(こちらは政務秘書官なので特別職の国家公務員です)にまでなられました。官邸官僚なのに、北の拉致問題で活躍されて、外務省から越権だと批判されたりしましが、押し切って頑張っておられました(今は、外交も政治主導になってきてますが、当時は外交は外務省がまず公式ルートを通じてやるのが原則でした。政治家のなかにも、これをいまだに気にして、外務省外の外交には否定的な方もおられます。実際、私は、昨年に欧州議会や欧州NGOなどの要請もあって、世界連邦の大先輩の塩浜さんと、国連議員外交を、政府にも協力をしてもらってすすめようとして、100名以上の国会議員の賛同署名を集めたのに、君(谷本)は外相の顔を潰すことになるぞ。それに世界連邦の会長にも恥をかかすことになりはしないか?と言われ、立ち消えになったこともありました。別の議員先生は、これだけ賛同署名を集めて決まっていることではないのかと、残念がっておられる方もいらっしゃいましたが、何せこれを言っておられる方が超大物議員だったので、野党も含めて他の会合に出席している議員先生たちは何も言えない感じになりました)。この井上先生は、公益のためには、嫌われる勇気を持っておられるので、見習いたいものです。ちなみに井上先生は、別の総理秘書官から聞いた話で、日銀支店長役宅(=社宅ですね。各地にあったのですが、当時の大阪支店長役宅は松下幸之助邸に隣接する豪華なものでした)にも負けない、豪華な法制局長官公邸を作ったです。見た目は穏やかな方ですが、なかなか豪快な先生です。安倍総理といえば、二次政権の経産から来られた首席秘書官の今井さんや、内閣参与や総理補佐官になられた和泉さんなどが有名ですが(小ネタですが、ある国際会議で総理の「代理」として和泉さんがスピーチする予定が和泉さんも来られなくて、急遽私が「代理の代理」でスピーチしたこともありました)、永田町や霞が関で一次政権の井上先生は、もっと有名でした。
秘書や補佐といっても色々で、政務の首席秘書官というのは、事務の秘書と違い、役所との懸け橋だけではなく、政治的ことまで扱うので、普通は親族を含め、国会議員の秘書としてやっていた人が、信頼されて、そのままなることが多いです。総理をはじめ閣僚などの政府高官は、国会議員である場合、議員としても政策・公設・私設などの各種の秘書がいますし、役所として首席秘書になる特別職の政務秘書官と、役所の職員でもある一般職の事務取扱秘書もいて、これらはそれぞれ別です。
総理の秘書官くらいになると、さらにアシスタントのセクレタリー(秘書の秘書)もいます。もちろん公職的には、首席秘書官は、ランクが上ですが、政治家の秘書というのは、公的な序列と関係なく、長年政界にいて大きな人脈や金脈などの力を持つ人もいたり、秘書と名乗っていても実際は大きな組織を背景に国会に来ている「政界の黒幕」などもいらっしゃるので、なめてはいけません。ごく稀ではありますが、特に「ボランティアの私設秘書」のなかには、本来は大権力者だったりする人がいたりもします。たとえば宗教団体の教祖とか、圧力団体のドンとかですね。基本的には組織からは誰かが送り込まれることの方が多いのですが、直接ドン本人が私設秘書になられる場合もあります。普通は、儀礼上、どんなに偉くても議員先生を立てるのですが、議員先生を叱っている秘書をみたことも実際にあります。
また親族など、影響力を持つ人も、私邸・官舎(公邸)や事務所にはいらっしゃいます。
ある政治家の若い秘書さんが、安部総理の応接間で、質素な老婆が、腰も低く、さも留守番を頼まれているような感じで出てこられたので(実際、人手が足りない政治家には、事情は詳しく知人でも信頼できる人なら、留守番を頼むこともあります)、ぞんざいに扱っていて、私があわてて「あの人は、総理のお母さま、つまり安部家のドンの岸総理の娘さんだよ」と注意したこともありました。
有名な首席秘書官としては小泉総理の議員時代から仕えられた飯島氏などもいましたね。飯島氏は現在内閣参与ですが世界連邦文化教育推進協議会役員になっておられます。また昔は首席秘書官には「番記者」を登用することも多かったそうです。そのなか井上先生は優秀な官僚だったため普通は官僚では局長の前ぐらいの階級の人が総理秘書官になるのですが(今の総理秘書官は局長どころか事務次官経験者までいらっしゃいます)、40歳そこそこのノンキャリアでめちゃくちゃ出世されたケースです。これは夢があっていいことです。
いずれにせよキャリアとノンキャリアというのは学卒時一生を決める酷い制度です。民間も似たようなところがあります。同じ会社(例えばメガバンクとか)でも学歴やコネで最初の配属から違い一生歩む道が違います。私は18歳で人生が決まる新卒採用・終身雇用・年功序列はダメだと言ってます。
日本の初代内閣総理大臣の伊藤博文も、農民出身で、テロもする志士になって、明治維新に関わり、(兵庫県)知事(当時は殿様)、中央政府高官になって教育も工業化も外交もあらゆることに関与して、(今でも破られていない)史上最年少で首相(さらに帝国議会議長・政党結成・枢密院議長など、あらゆることをやっています)に上り詰めた人なので、キャリアとか関係ないです。自分でも、年齢差別のない、起業家、政治運動家、非常勤の大学教授など、色々とやりたいことをやる風来坊的な人生を送って体現してやろうと思って生きてきました。だからサラリーマンをしたことがありません(採用する側として就職活動のアドバイスをしたことがありましたが、自分が就職活動をしたことがありません)。
また音楽をやっていたので芸能界にも関与したことがありましたが、ここは役所・企業・政治(特に自民党の政治家は、閣僚経験などの役職序列ではなく、当選回数という、年功序列です)同様に、年功序列の世界だったので、生意気だった私は外部から関与することにしました。
なんでも継続することが良いという考え方もわかっていますが、私自身は、一発屋の人にあこがれていて、ワンナイトセンセーションというか彗星のごとく突然現れて成功し、アーリーリタイアする、場合によってはまた復活する、、、とような「ローラーコースターライフ」願望があったのです。
例えばビートルズも、(もちろんアマチュア時代や、ハンブルク修行やバックバンドなどの下積みはありましたが)1962年にデビュー、1963年自国の英国で一番になり、翌年アメリカでも一番になり、1年ちょっとでポッブ文化において世界制覇を成し遂げましたが、その翌々年の1966年には人前で演奏することをやめ、さらにマネージャーが亡くなり自社を設立したものの1968年頃には平和運動・インドヨガなど興味が分かれバラバラになってしまい、1970年解散しました。そう考えると、実際に活躍したのは「わずか数年」です。それでポップ文化に史上最大の影響を与えて歴史に名を遺したのです。
幕末の志士などもそうですね。吉田松陰や高杉晋作、坂本龍馬なども業績は短期間です。龍馬は(江戸剣術留学などはしてましたが)土佐勤王党に関与し志士となったのは27歳、翌年脱藩、江戸で勝海舟門下となり、神戸で海軍操練所を作ったもののすぐ閉じられ、長崎で日本初の商社・亀山社中を作り、幕府の長州征伐で薩摩の資金で海運事業で長州側に協力、薩摩・長州を結び、同社を土佐の公的機関である海援隊に改組、土佐藩会計係の岩崎弥太郎に影響を与え、のち海運から三菱財閥創業者となる道筋を作り、明治政策の基礎ともいわれる船中八策を書き、土佐重臣後藤象二郎を通じ藩主山内容堂から提言させ徳川慶喜の大政奉還に繋げ、33歳になった日に死にました。明治維新は一人のカリスマが中心で革命をしたわけでなく多くの人が集団で実現したものです。だから龍馬について、関係者の仕事が自身の評価につながっているとか、薩長同盟や大政奉還など維新にどこまで影響があったかは議論があります。しかし少なくとも「わずか数年」で、日本をひっくり返したと言われるくらい歴史に名を残しました。
「わずか数年」で成功、というのは、とても夢があります。何歳でも、寿命があと数年あれば、歴史に名を残すことが出来るかもしれない、ということです。
こういう事例は普通では極端な話かもしれませんが、私は「パッと花火を上げるような一発屋」にはあこがれます。そのため、「農耕民族的」村社会より「狩猟民族的」な生き方が好きで、そういう意味では米国の方が向いていたかもしれません。
年功序列の芸能界の事例では、「芸能界のドン」とも呼ばれた超大物マネージャーを、ベテランの歌手の方がチャン付けで呼んでいるのを見たことがあります。この超大物マネージャーの会長さんが若いころに、この歌手の方の運転手をされていたそうで、一生頭があがらないようでした。この方々は仲が良いので、まぁ良いのですし、例外はあるのでしょうが、いずれにせよ年功序列では天下を取るには何十年もかかるなぁと思い辞めておきました。実際に、私も学生時代に、学術論文を寄稿した時、書籍を書いた時、映画のプロデュースをした時など、全てにおいて、大先輩の勧めで、自分の上の人のお名前を借りてやることにしたことがあります。ゴーストライターやスピーチライターという意味ではなく、有名な人の名前を使えば売れるという理由でもなく、年功序列の世界では学生がこんなことをしていたら「嫉妬ですぐ潰される」という意味です。もちろんサラリーマンではないので騙されたり苦労もしましたが、それなりに面白い半生でした。
さぁ、話を戻して、今国会では、外務省から国際連帯税の項目が盛り込まれていませんでした。
国際連帯税は、国際間取引に課税をして、国際機関などで使おうという税金です。
国が国民にかけて国のために使うのが国税、県などの地方自治体が県民などにかえて県民のために使うのが地方税ですが、
世界のための税金はありません。
将来は世界連邦として世界税を導入したいですが、国家が主権を持つ現代では、そういう徴税の権利は、まだ「世界」にはありません。
そこでそれぞれの国が、国際間取引に課税して、国際問題に使うというのが国際連帯税です。
もちろん、これが進めば、国際協力のための国税負担が減るので、実質そちらを減税すればプラマイゼロで増税されるわけではありません。
しかも日本のインフラを使って上がった収益が他国に持っていかれている現状では課税するほうがはっきりして、国益にも寄与します。
ただ国際連帯税は、毎年どんどん下がり、昨年は「二重△」、今年はついに項目入りしなかったのです。国際連帯税の議連では議員立法も検討されており、法制局の方たちとのミーティングにも同席させて頂きましたが進みません。ちなみに、予算がつく法案を提出するには、衆議院なら50名、参議院なら30名の賛同が必要です。多数が必要なのは、国益より自分の選挙区への利益誘導優先を避けるためです。
いまODAを維持するのは苦しい。国内も大変です。コロナで予算があっても事業も出来ないです。ただ国際取引、しかも実態経済と違うギャンブル投機取引にかけて国際機関に直接入れる有効に使えます。将来の世界税にするための世界連邦的発想だけではなく、日本は少子高齢化のなか世界に投資をしてればまわりまわって、国益にも資すると思います。コロナのワクチンの国際航空券税も、今の航空業界では全くお話になりません。
でも世界的「金あまり」の状況で、為替商品に対するAIでの高速投機取引での先物取引などの金融派生商品には、安定的な長期的実質経済に影響するので、これにかけたいです。これは河野太郎元大臣が中心に、麻生太郎総理も認めていた案です。もともとトービン税といって投機取引を抑えるための学説があって、これを素直に取り入れたものです。フランスのような国際航空券はさすがに今の航空不況では潰されるでしょうし(本当は、国際航空で移動する人が少し負担するだけで、航空会社が負担するわけではなく、導入国でも航空会社の売上に影響しなかったというデータもあり、心配無用なのですが)、欧州のFTTを参考にする場合がありますが「金融全体」にかけるのは投資離れなど実態経済に影響するので難しいと思います。無理せず為替に専念する方が良いと思います。
これは国際機関の拠出金として、国税から出している分が減り、為替高速取引などは中間層や貧困層はしてないので良い徴税だと思います。国際格差解消でも良いと思います。外務省委託で日本総研が世論調査をしたら過半数が賛成です。増税賛成はあまりありません。国会は、国権の最高機関で、唯一の立法機関です。しかも税を扱うのは納税者でもある国民の代表たる国会です。閣法が無理でも、議員立法でもありがたいです。来年は実現を目指したいと思います。
先週末、世界連邦日本国会委員会衛藤征士郎会長・自民党外交調査会長・税調副会長、佐藤正久自民党外交部会長らが、首相、官房長官に、外務省予算7700憶円を要求しました。
谷本真邦