行動派になるには | 国際連合(UN) 特殊諮問機関:世界連邦(WFM)本部執行理事/国際委員長, 国会委員会事務局次長, 青年会議(Youth-Forum)議長:谷本真邦

前回、宗教的なことを、肯定的に書きました。

 

もちろん今話題になっている旧統一教会を肯定しているわけではありません。ただ国会議員事務所などに送ってこられる新聞や本には、人権・平和など、めちゃくちゃ良いことが書いてあります。もし、先代の笹川良一先生が、私が学生時代におっしゃっていたように「言っていることと、やっていることとが違う」ということであれば、やはり道義上の問題はあります。

幹部の方がどういうお考えなのかわかりませんが、被害者が今でもいるならば、末端まで教育してもらわねばいけませんね。

ただ、団体の名前を変更したのは、文化庁が反対したのに、政治の圧力があって通ったかのごとき報道がありますが、これはないと思います。というか、民間宗教団体が、書類上の不備もなく「名称変更させません」という文化庁の方が違法です。

政府が、信教の自由が保証されている宗教のみではなく、あらゆる民間の団体や法人に、政府が恣意的に「おたくは信用がないから、何かをするのはNG」「昔、悪いことをしたことがあるから、何かをするのは、永遠にNG」というのは、そっちのほうが問題です。そういう意味では、(被害者には申し訳ないですが)会長の外国人特派員協会の記者会見は、法治国家の運用に対する話としては、まともなことを言っています。強いていうなら「昔も今も霊感商法はしていません」というのはいいすぎ!ということはあります(当人は信教のなかでの行為なので本人の意識がたりないのかもしれませんが、一般の感覚では、昔はかなり多額・多数の霊感商法をしてましたよね?、今は減ったらしいけど、、。知らんけど)。

だから、もし政治で行政を左右するなら、暴力団のように、むしろ反社会団体として、認定するしかないのです。

それが難しいならば、個人が、冷静に、霊感商法などに騙されないように、自己防衛するしかないです。

 

だいたいは組織的包括連携契約などを結んでいるわけではなく、「問題があったかもしれない団体」の「友好団体」とか、「問題があったかもしれない団体」に関与している「個人」から頼まれ、祝電を送った、イベントに出た、などの理由で、国家の人事に少しでも影響したならば、そちらの方が国家の一大事です。政治と国民の距離もどんどん遠くなります。以前も言ったように、宗教はもちろん、業界団体、文化界など、支持団体は数多くあり、関連団体も含めると、何の団体か、あるいは何処がバックなのか、わからないです。良い理念のイベントなら祝電くらい送ります。いちいち支持者に「俺の応援をしたかったら変な宗教に入っていないことを証明せよ」なんて、身体検査が出来るわけもないです。就職でも思想・信教で差別をしてはいけないんです。共産主義を目指す国や、革命を経ているためか「カルト認定」をすぐにやるフランスでは統制が厳しいんですが、アメリカや日本では自由が重んじられるんです。あと例えば、ある弁護士グループが国会の事務所にチラシをまいたとしても、陳情・提言・議連の誘い等が山ほど来ています。そもそも、そのグループが政府に反対ばかりしているグループだと、与党は流してしまうこともないとは言えません。それとこれは良いことではないかもしれませんが、政治は、実業の世界と違い、公平性が求められて、AとBという考えがあって、片方のグループが「これが正義だ」と言われても、そちらの提言だけをきくことはできないのです。強いて言えば、契約がない分、人情の貸し借りの世界はあるので、普段から親しい人(つまり選挙で力になってくれる人=当選など自分の利益のため、というより、選挙=世論という理屈です)なら、力にならねばと思っても、普段選挙の邪魔をする人が、なんか言ってきても、流してしまうことは、正直あるでしょう。内部の者から言わせると、官報に乗った裁判で刑事犯罪で有罪になったことがある者(つまり前科者かどうか)とか、公安から調査対象にされている団体も含め指定暴力団など反社会団体と認められた者、、、以外はわかりません。逆に信教で、政治に参加することから、排除するほうがヤバい。

 

でも、こういうことを書くと女性の友人などから「貴方は共感力がないわ、、、」とか言われるのですが、私は共感力はある方だと思います、、、。どちらかというと、マスコミ偏向報道に対して、共感していないだけ、と自負しています。ネットの世界では、政財界・文化界についての噂は、一部を除いて、嘘も多いんですが、マスコミはきちんとした人脈や取材力があるので、ぜひちゃんと公平な記事・番組作りをしてくれればうれしいです。

 

 

まぁ個人的な話ですが、わが「世界連邦」は、当然、統一教会とは全く関係がないのですが、名前に「世界」とあるので、間違えられることがあって、困っております。これは迷惑です。


ただ、この世は、宗教も、科学も、正しいかそうでないか、

あるいは、事物が、善なのか、悪なのかは、

本来、ないのです。

ニーチェも「この世には真実は存在しない、存在するのは解釈だ」と述べています。要するに善と悪とを断ち分ける必要が生じます。これが政治(立法)です。

私は実は物理で将来を嘱望されたことがありましたが、どんどん新たな発見で変わっていくので、正直自分はあれもこれも関心があるので、自分には向いていないな、ライフワークではないな、とやめました。

それで、「解釈」問題を、時代背景をベースに好き勝手に語っている、思想史などを、大学を転々として、学んだり、教えたりしつつ、世界連邦運動をすることにしました。子供のころから、今生は、世界を平和にしたい、という目標をもっていたからです。
自然科学をやりたかったのは、その世界の真理を求めてみたかったからです。「人には、宇宙の真理は理解できない」というのは、科学者ならだれでもしっている原理ですが、あらためて学ぶと、それが実感として、よくわかってしまいました。


また、どうせわからないというのなら(不可知)、「カント以前の学問」と言っても良い、宗教も、関心を持ちました。

しかも宗教は、人を幸福にするためなら、存在しても、信じても、良いのでは?と思うようになりました。


少なくとも、大世界(大宇宙)の中で、地球も人間も、ケシ粒のような存在ですが、それでも「自我」は絶対に存在します。

これを書いているのも、私には自我があるからです。これは理論ではなく体験上自身のなかで証明できています。

 

梵我一如が「真理」という考えもありますが、少なくとも、肉体・脳・神経伝達物質がある以上、他人が苦しんでいても、自分は幸福っていうことがあります。

それが観念上、真実かどうかとか、良いか悪いかとかは別にして、自と他が、現実に表れている「実相」として存在していることは、間違いありません。だから、自と他を区別したり、救済したりすることは、必要なんですね。

有機物でも無機物でも、ある刺激を認識(Recognized)すれば活動はします。

ウィルスだって生き残るために環境適合します。下等生物であっても、光合成をしたり、脳が発達していない小型の生物でも、潰そうと思えば、必死で逃げます。

ただ人間など生物が進化していくと、単なる認識にとどまらず意識(Consciousness)を持ち、協働作業をするようになります。

さらに人間は、環境に適合しながら移動しつつ、行き当たりばったりの狩猟採取生活から、農耕や定住建設など計画的生活をするようになり、まだ見ぬ未来を予測したり、脅威でもあった自然を鎮めるために、なんらかの自然を崇拝するというストーリーを作りました。これが宗教の始まりです。人が霊長類といわれる所以です。

また近しい人との別れを悲しむことも理解し、この中で宗教は発展しました。

しかし、この自然の中の崇拝対象というものが、単に人間の妄想なのか、本当に創造主が存在するのか、あるいは本当に3次元物質は創造主が作った仮想現実なのかは、しりません。

いずれにせよ、プリグラムの論文などを読めばわかりますが、その可能性はあり、まだ、わからないのです。

だから、わからない以上、「この世は創造主が作った物だ」、「目に見えるものが全てではない」、そして「神仏がいて守ってくれ天国や極楽浄土もあって救済される」という教えがあった方が、

 

「死んだら無になる」というより、生きている人の苦しみや悲しみは減ることだけは事実です。

天国に行く、極楽浄土に行く、輪廻転生をするなど、死後どうなるのかは、誰にもわかりません。

少なくとも、死んだら全て「無」、とか、地獄へ落ちる、などは、考えるだけでもしんどいので、信じないようにしています。

わからないなら、悪くなるより、良くなると考えておいた方が良いからですね。

 

私は、魂は永遠だと信じています。

さて、国家なども宗教なども、歴史をたどれば、ホモサピエンスは先述したように、元々一つですが、定住をするようになり、民族や文明が生まれ、そこから国家や宗教が生まれました。宗教はそのなかのフィクションかもしれませんが、私は素粒子の波動への感度の高い人が霊力が高い人だと思っていて、アセンデッドマスター・教祖として、誕生したと思っています。

そして、このなかの人類史のなか、ある一定期間に営まれたものの結晶が、伝統文化なのです。

日本もそうです。記紀をもとにして、2700年弱前からの歴史を大事にしているという解釈です。5万年前からの伝統を大事にしようとすると、日本の概念が崩れます。でもそれでも良いです。

例えば私の谷本家だって、昔のことは知りません。「数世代前までの」ご先祖を敬っているだけです。5万年前の先祖のことなどわかりません。だから愛国心は、郷土愛として、今の人間の自我に訴えかけるものなので、大切にしたいわけです。

極論を言えば、大世界(大宇宙)にとって、地球が持続可能かどうかとか、平和になるかどうかなど、大きな意味はないかもしれません。

地球に世界連邦を作ろうがどうしようが本来無意味です。

また「歴史に名を残しても」隕石でも当たって、人類がいなくなれば、アレキサンダー大王も、カエサル皇帝も、秦の始皇帝も、チンギスハンも、ナポレオンも、家康も、ワシントンも、ガンジーも、ぜーんぶ消えてなくなります。

 

ただ、今生きている自我がある人間、そしてその人間が大切に思う国や郷土文化を、簡単に殺し、破壊し、苦しみ・悲しみを生む、戦争・紛争をやめさせるために、「善悪の無い世界」に、世界法を作り「善と悪とを建て分ける」ことは、やはり欲しいのです。これを命題に生ようと思ったのです。だから世界連邦建設を目指しています。

 


そういう考えから、私は、大学を転々として、会社を作ったり売ったりしながら、(あるいは一旦引退して)仕事を非常勤のみにし、世界連邦運動なんかをしています。

もちろん世界連邦建設という「直球」が、本当の目標ですが、国家主権社会が当然となっている現代では、なかなか理解されないため、国会・政府などの国家機関、国連などの国際機関などに関わって強化改革することが、とりあえずの目的です。
 

だから脱藩浪士の心意気です。

 

学問でも、原則私は独学者を自負しています。自分で稼いだお金と、仕事の時間を削ってでも、大学を転々としたのは、たまたま、大学に行くと、専門家や資料も多く、勉強しやすいので、東大や慶應や神戸大や外大に行ったり、芸大で教えたりしているだけです。(さすがに留学はまだ短期しかしていませんが、これは仕事が多忙であったためで、これからは、ちょっと長く留学もしたいと思っています。)

当然、年も関係ないです。いつでも学び、教え、働き、遊ぶというのが、私のモットーであり、実践しています。

看護が必要な子供と、介護が必要な老人までは、全て個人差だと思っています。

〇歳という単なる「数字」の概念も、あきらかな年齢差別であり、反対です。脳の一部がきちんと機能している限り、何歳からでも社会に貢献できる仕事はあるはずです。
だから社会を固定化するのは新卒採用・終身雇用・年功序列という18歳人生決定論が大嫌いです。これは、いつもここで書いていることです。

だから、私は肩書などは、元来全く求めていません。所詮ケシ粒以下の人間が作った社会制度のランクなど魅力はありませんし、興味もありません。


ただ、この現代社会の中で、生きていき、人と交わるためには、嫌でも社会に飛び込まねばなりません。

だから起業をして「お金」を稼いだり、政治の周辺や大学教授などの「肩書」をいただいたりして、何者なのかを名乗れるほうが、勉強したり、仕事をしたりして、権限を持っているほうが、社会に貢献するには便利です。

こうして、社会組織の一員として、混ぜてもらっている所以です。

だから、組織の専任の仕事はこばんできました。自主・独立か、組織に所属するなら非常勤・兼任が可能な契約のみです。

ただ、そんな人生を送っている私でも、実は良く働きました。
 

一時は、睡眠2時間しかとれなかった事もあります。

 

起業し、学校へ行き、遊び、社会活動をし、、、などです。

趣味(一部プロもしましたが)も、音楽、パーティー企画、スポーツ、乗物、女性とデートすること(昔の事です・・・)など、いっぱいやりました。

 

もちろん、これらが出来たのは、様々なまわりの助けと、ラッキーだったことが、もっとも大きな要因です。

これには、本当に感謝しています。

 

ただ、こんなによく働くことができたのは、私のなかにも理由があります。

 

一つは、この世は仮想現実であれば、全ては神から遣わされて、地上に遊びに来たと思うようにしています。

仕事はもちろん真剣でしたから、ただその分、めちゃくちゃ疲れるし、失敗したらどうしようと不安に陥ったり、色々ありました。でも、そのなかで、人生は、遊び、ゲーム、だと気付きました。「これは遊びだ。これは仮想現実だ。クレームを入れて来るお客さんもゲームのキャラクターだ。」と思うようになりました。

ふざけているわけではありません。ゲームでも、適当にやらないですよね。オリンピック等のアマチュアスポーツの選手も、わざわざ、やらなくても良い苦しいことでも、限界に挑戦して真剣ですよね。それと同じです。

次には、目標を細かく分けたことです。これは経営学の講義でいうような、計画を逆算で立てろ、というようなことではありません。

ケシ粒以下の人間なんて、そんな大層な意味を求めると、しんどいです。どうせ遊びなのだから、今現世の目的を、世界平和を目指すゲームにしようと設定をしました。もちろん世界平和の達成や、世界連邦の建設は、今の社会の常識とは違うので、簡単ではありません。でもロールプレイイングゲームは、難しい方が面白いし、ゴールまで攻略できなくても、ある程度進めば、それはそれでよし、とすることにしました。


それと将来目標だけでなく「今、すること」です。

「只、即今当処自己」「Be Here Now」です。
 

ゴールに向かう方法は、わかりません。でもなんでもやってみて、だめなら軌道修正します。

 

以前にも書きましたが、東京から大阪へ向かうのに、歩けばいいのか、自転車にのれば良いのか、車に乗ればいいのか、電車にのればいいのか、飛行機にのれば良いのか、わかりません。歩いていたら全然進まないなら自転車にのれば良いのです。また仮に飛行機のチケットをとれて一気に行けると思っても天候が悪く欠航になったら全くすすみません。では新幹線に乗るかと、変えれば良いんです。
ただ目標地点がなければ、どうすればよいかわからなくなって道に迷います。目標地点があれば、早かろうが、遅かろうが、近づきます。

到着しなくても、名古屋まで来れた!「これが私の人生だった」とある程度「納得」できるのです。この納得が、善の解釈につながり、結果、幸福な人生となるわけです。

 

あと、私は基本的に怠け者です。しかも、ほおっておけば、すぐ、よいっぱりになって、夜更かしします。これは保育園児時代からそうでしたから体質です。

仕事が多忙な時は「朝は早く起きて働くべき」と、無理して睡眠時間を削って働きました。夜、遊んでも帰宅せず、オフィスにもどりました。仮眠して早朝からはたらきました。しんどかったですが、それはそれで、体力があったので、耐えました。

私の秘書は体調を崩して、本人は「なんとか谷本社長について行かせてください」と言ってくれましたが、親御さんからの反対で辞職しました。

かくいう私も、2か月に一度くらいは、39度の熱が出てぶっ倒れてました。でも、それでも「気合じゃー」とか言って、休まず働きました。「寝込んでいたらますます熱は上がる、働いていたら熱も下がる」とかうそぶいていました。まぁそんなことをしていたら悪寒で本当にぶっ倒れて病院送りになってしまったりもしましたが。
(しかし不思議なのは、コロナ禍になって以降、この二年半、ワクチンの副反応以外では、一度も熱をだしていません。出したら働けないからです。でも、ちょいちょい検査を受けていますがいつも陰性です。やっぱり病は気から、ってあるのだなぁと思います)。

でも「朝は早く起きて働くべき」と考えてた私は、アポイントが無い時など、ときおり寝坊をしてしまいました(と言っても、夜中の三時くらいまで仕事をして、九時くらいまで、寝てしまう、というような感じです)。
その時、昔は「こんな寝坊をしてはいけない、俺はなんて怠け者なんだぁぁぁ、、、」と、ずっと自己嫌悪に陥っていましたが、そんなことで悩むのは、やめました。

三島由紀夫先生だって、夜中執筆して、昼はずっと寝ているということを知っていたので、「人をすっぽかしたわけではいんだから、なんでもいいや」と自己肯定することにしました。

また、疲れてやる気が出ない時には、なんでも「少しづつ」を心がけていました。

 

精神的に参っている時に、何か別の仕事をやらねばならない、ってことが入ってきても、当たり前ですが、やる気が起きません。
私は携帯電話やSNS、メールなどが苦手です。

発売当初自分だけが持っていた時は、得意になっていたり、携帯にメールが乗ったときビジネスに使うために、コードを書いたりしたくらい大好きでしたが、、、。


それは、会社経営時、電話が鳴ったり、メールを開くと、ほぼ間違いなくトラブルでした。出ないと仕方ないので対応していましたが、、、。これがいまだにトラウマになっています。

たしかに社員では対応できない難題もありました。
「○○で損失が出たから、〇日までに資金を用意してください」とか、世に言う「怖い人への対応」など、大きな問題もあり、それはそれでヘビーでしたが、意味不明なクレーマーが「社長を出せ」と怒鳴っている、など総務部マターの問題まで、ひたすらトラブルでしか電話がかかってきませんでした。


もちろん会社では、良い話も一杯ありましたが、これはせいぜい支店長、課長、部長、本部長止まりで、社長にあがってくることは、ほとんどありません。後日書類で上がってくるだけです。


だから携帯とかメールなどは、一種の恐怖症になったんです。

でも社会で活動する以上、今でも、どうしても対応しなければなりません。
でも、それに対応するには、やはりやり方があります。これは、他の怠け心にも使えるテクニックです。
 

それは、やはり細かく分けることです。


まずは

①デスクに座ってみよう、、、。と思います。
座ったら

②スマホやパソコンを開いてみよう、、、。とやってみます。
そして

③メールを見てみよう、、、。と開くのです。

こうして、一つ一つやっていくと、だんだん心理的に興奮作用が働いてくるので、、、

気が付けばメールに返信し、さらに書類を作成し、アポイントを入れて人に会って、、、

 

と、気がつけば問題は解決したり、人生の扉が開いたりしていきます。

 

「メールを見てみる」など、一見日常の小さな話ですが、この中から、やりたいことが見いだされ、勉強をして、いわゆる偉い人に厚かましくつきまとってでも協力を依頼し、ひとつひとつ実現していきました。

また同時に「こいつ使えるかな?」と思われれば、政財界文化界の方からも、あらゆるお誘いが来るようになります。

 

ただ、この中で人脈を築く際、ギブ&テイクとか、お互いのメリット、云々は考えませんでした。もちろん、はじめは、単に名刺交換しても仕方ない、、、相手はどう思うか?とか、相手にメリットがなければ相手にされない?、、、とかは考えましたよ。

でも、そんなこと考えても、相手が政財界の大物の場合、若造が、かなうわけがありません。だから考えるのはやめました。

 

そのため、基本ギブ&ギブだったりします。

だけどそうこうしているうちに、テイク&テイクだったりするようになったりもしました。

もちろん仕事である以上リスクは考えますが、やらねばならぬ、と思うとそれも関係ありません。そのため、世界連邦運動に専念するために、会社から引退するのに、資産や権利関係を整理するのに何年もかかったり、大変だったこともあります。

だから、また会社を起業して、活動資金を稼ごうとも思っています。

ただ、一つだけ言えることは、リスクとか、メリットとか、つまり自分が得するように考えるとか、相手が得するために無理に相手の要望に合わせる、ということは考慮することがなく、「世界社会文化に貢献することだから実現したい」という想いだけで、行動しました。

得をしても損をしても一喜一憂はしません。7転び8起きしながら、生長すればいいと思っています。

 

結果、私は、10代から、音楽家になったり、プロデューサーになったり、大学を転々としたり、起業家になったり、会社売買をしたり、世界政治運動家になったり、大学教授になったり、、、と色々な事が出来ました。会社といってもサークルの延長のようなものから、天下りを受け入れ、ほとんどの部下は年上、全国展開・海外進出もし、登録アルバイトも含めて2万人の会社になりました。

 

現代は(私が起業家をしていた20世紀~21世紀でさえ、ドッグイヤー=犬の一生のように早く進むこと、とか言われ)時代のスピードが速いです。オーバーナイトセンセーションだって可能です。

 

その早い時代のなかで、私はあらゆる仕事を掛け持ちしてきたので、例えて言えば、人込みの中を、最新の注意を払って、高速で車を運転しているような感覚で生きてきました。

 

だから一日が長い長い。一年も長い。「もう今年も夏だ、、、早いねー」とか言う人がいますが、私は「まだ夏??お正月なんて前世のように昔のこと」に思います。



でも、はじめから、頭の中で、あれもやらねば、これもやらねば、、、と考えるだだと、頭がパンクしてしまいます。

暇にしていると、悩みが反芻されるだけです。

行動力の無い人を見るとこのタイプがとても多い。

それもあって、私は、スマホでも手帳でも、なんでも良いから「書くこと」で、一旦頭から抜きます。

反芻を繰り返して悩まないということに加え、無駄なことをすっかり忘れて新しい知識を入れることができ、便利です。

まぁ、語学の単語を忘れるのだけは、ちょっと痛いですけどね。第二外語のフランス語や、モンテネグロ政府の外交アドバイザーの仕事をしていた時に覚えたモンテネグロ語なんて、全く忘れてしまいました(基本、元々東側だったモンテネグロでは、外交官を除いて、英語を話す人も、少数だったので、通訳官がいたのですが)。

日本語(たとえば固有名詞)や、英語だって、使わねば忘れます。英語で会話が弾んでいるときは英語で話せますが、同時通訳の訓練をうけていないので、パッと「これってどういう意味?」、なんてと言われると、「うっっ!?」となります。

前記の理由で、私は基本的に携帯電話には出ませんし、メールの返信も遅いです。これは先ほど書いたように、一旦手帳などに予定を移してしまっているので、相手がかけてくる用事も、あえて頭から外しているため、(相手からすれば、自分の専業なので、わかってて同然という用事なんでしょうが)こちらは、いくつもパラレルで仕事をしているので、相手が何かを話しだしても、こちらは何の話なのかよくわからず、即答できないことが多い、というのも理由の一つです。



それと、私は仕事もふくめ、いつでも瞑想状態で生きるようにしています。三昧(サマディ)の世界です。

だから、一個の仕事をしている時や、他人と会合をしている時など、その時間を切り裂いてくる携帯電話には出ないことにしています。


問題を、なんとか解決しようと集中している時に、まったく関係のない用事が割り込んでくると、解決するものもできないようになってしまいますので、あえて出ないようにしています。


もちろん、緊急時なら、何度もかかってきたり、ショートメールなどをいれてくれるので、わかります。
でも会社社長でなくなった今、だいたいは、後で確認しても大丈夫な用か、(ちょくちょくコミュニケーションを取らないタイプでギリギリまで成果物をださない私のせいなのですが)心配症の人が確認をしてくることが、ほとんどです(だいたいは確認されずともやってはいますが、まれに本当に失念していることもあるのでそれはそれでありがたいです)。

昔は、秘書たちが、対応してくれていたのですが、今はずっと私に付いている人がいないので仕方ありません。
これらは、決していい加減な気持ちで、後回しにしたり、優先順位をさげているわけではありません。
これは、これもあれもやってしまう、私の性分のなかで、精神衛生を保つためなのです。


書き物を頼まれることもありますが、どんな記事でも、本でも、校正が入ります。

私の会社は、以前編集プロダクション部門もあり、私も有名人のライターをしていたことがあったので、知っていますが、締め切りが遠ければ遠いほど、何度もやり直しをします。でも間に合わなければ、校正の数は減ります。

そのため私は原稿は〆切ギリギリに出します。なんでも早い方が、他人がチェックがじっくりできるので、クォリティーの高い物が出来るということは、わかっていますが、私は、とりあえず仕事量が多いので、やむを得ず、ひとつひとつ仕事をこなさせていただくので、何度も修正をするということは、二度手間、三度手間になるので、申し訳ないのですが、〆切ギリギリに納品しています。

 

あと、自分が出来なければ、優秀な人が手伝ってくれるということも知りました。起業家時代、プログラミングなどは、学生風情の自分などよりも、優秀な人がいくらでもいます。

 

起業をしたとき、ある程度は、理念はもちろん、経営計画策定・財務・人事・営業・技術・現場運営など、基本的には、なんでも出来たのですが、例えば、まったくコンピューターに無知なふりをすれば、自分より優秀な人が、自分の考えたビジョンに向けて、どんどん仕事をしてくれます。社長の自分が下手に、しゃしゃり出るより、よほど良かったです。しかも技術は、どんどん発展します。その時々の最先端の人にやっていただく方が、その方のやりがいにもなります。

逆に、ビジョンをきめることに加えて、運と直感の良い利点を活かして入札見積もりの策定、人脈の活用など私の個人的信用でしか出来ないこと、などを中心に、仕事をしました。あとは制作などは任せました。

こうやって、仕事を分担すれば、逆に、自分も、振った人の仕事の承認・確認などをしなければいけなくなります。

もちろん他の人がそうであるのと同じく、仕事を振った自分も、確認をしたくなるものです。

また人脈を活用するならば、相手がいることなので、外的要因によって強制的に、怠けていられなくなるわけです。

 

怠け者でもそうしていると、仕事も嫌でもやらないといけない。

また嫌でも、、、という考えはやめて、どうせ遊びなので、「楽しい」「面白い」と嘘でも考えるようにしています。すると本当に楽しくなるものです。

「仕事が好き」というのは、本当に幸福なことです。

遊んでいて批判されることはあっても、仕事をしていることを批判する人は少ないです。

特に社長や政治運動などのリーダーは労働基準法にひっかからないので便利です。

 

私のかつての会社の理念の一つに「まず行動、、、」という文言がありました。

結果的に、当初「仕事が遅い」と言われることもある私は、結果「人の何倍もの仕事量」をこなせていますし、世界に多くの人脈も増え続けています。

 

つまり、人の何倍も多くの人生経験をさせてもらってます。いやぁ幸福です。

これは、使えるビジネスにも有効なテクニックです。

世界連邦
谷本真邦

 

 

 

 

先述したように、私は魂は永遠だと信じています。尊敬する安倍(元)総理の御霊にたいし哀悼のまことを捧げます。

とても重い持病を抱えながら、国家のため、世界のため、常に頑張っておられた総理におかれましては、これからは辛い肉体的制約から解放され、ゆっくり日本や世界の平和を見守っていただければと思います。本当にお疲れ様でした。RIP.

 

 

 

※追記。

ちなみに安倍総理の国葬について一部弁護士先生も含め市民団体などが反対し法的な措置をしています。戦後、法律からはずされたためだ、ということです。もちろん、反対することは自由です、、、。

ただ私個人は市民団体とは親和性があるのですが、ことこのことについて私個人の意見はどうかというと、、、。

 

①まず法律について、弁護士先生だからわかってやっているのかどうか、、、。内閣府設置法に内閣がつかさどる事務として儀式があり、国葬はこれに含まれると解釈できるので、閣議決定をしているならば、合法です。吉田茂総理の前例もあります。国家神道による葬儀であれば、憲法に抵触する可能性がありますが、葬儀はすでに増上寺で仏式で安倍家がおこなっており、この国葬儀は、宗教的葬儀ではなく、外交儀礼も含めた「儀式」です。

 

②税金が(警備も入れると)莫大にかかるといいますが、国葬であれば、世界中に首脳・国家元首クラスを招待しやすくなる(逆に各国首脳側も行きやすくなる)ので、国際社会の中において、これほど他国からも追悼されている総理のために、世界中から要人が集まってくれるということは、日本の国益に大いに貢献することであります。

不謹慎ですが、もっと率直に言えば、外交で成り立っている我が国において、これほど大きな外交的行事はあまりなく、経済的効果は、とてつもなく大きいのです。支出に対する、経済効果ははかり知れないくらい大きいです。また警備の費用が莫大という報道も見ましたが、これは警察ですから、元々給料を払っているので、こちらで使わなくても、各県警で訓練をしているなど何かで動いている組織なので、特にあらためて国民の財産を余分に使ってしまうというわけではありません。

 

③政策的には、安倍総理に反対だった人もいるでしょう。超党派の世界連邦の活動をしている私には、それはよーくわかります。ただ反対の人にまで「喪に服せ」などと、国家は強制していません。共産主義の多くの国家では、思想統制があって、こういう場合「喪に服せ」と強制されるかもしれません。反対派がこれに影響されているのかどうかは知りませんが、我が国は、信教も、思想も、政治的信条も、心の中は自由です。喪に服したくない人は、国葬儀という儀式を無視すれば良いんです。

 

④憲政史上最長の総理です。総理の重責はものすごいものです。これだけでも国葬をする意味があります。大勲位の時のように、岸田総理もこの一点に絞っても良かったと思います。もちろん安倍総理の考えに近い人には、総理の業績は偉業で、それを称えたいという気持ちもあるのでしょうが、反対派もいるので、これを言うと、議論になってしまいます。最長というだけでその間にあらゆる業績があったことは後付けでわかります。

 

⑤選挙中の殺害というのは特殊です。これは皆言ってるのですが、現実的に響いていない人が多いと思います。民主主義は、いかに国民との距離を近づけるかどうかが重要です。はっきり言って警備には「結果責任」はあると思います(特にあの映像だけをみれば)。ただ選挙というのは、国民の中に入って行って、自説を訴えて選んでもらうものです。だから「隙」は、いくらでも出来ます。選挙中は、いつでも大物政治家に近づけるんです。その中で凶弾に倒れたというのは、通常の執務中に襲われた以上に、「民主主義への脅威」として、大きな意味があるのです。安倍総理殺害は、国葬をしても良いくらいの、民主主義国家の根底を揺るがす出来事でした。

 

以上にあげたことだけでも、国葬に反対するべきではないと思っております。