国際連合(UN) 特殊諮問機関:世界連邦(WFM)本部執行理事/国際委員長, 国会委員会事務局次長, 青年会議(Youth-Forum)議長:谷本真邦

海部総理の訃報に続いて、石原慎太郎先生もご逝去されました。

 

石原慎太郎先生は、海部総理とは違って、個人的に仕事でご一緒させていただいたわけではありませんが、もちろんお会いしたことはありますし、実は親族が、ご子息も含めて、選挙スタッフをしていて、お世話になったので、残念です。

 

また私自身が影響を受けさせていただいた笹川良一先生とも、良いご関係があり、話題には良く出てきた方でした。

作家で、映画界・芸能界などにも関与し、政治家としては運輸大臣や東京都知事なども歴任された大物でした。

新党結成や総理就任などは叶わず、それに維新と合流されたりした後に、晩年「もうひと花咲かせていただきたかった」ので残念でした。

 

もし石原新党が出来たら、入れてもらいたかったです。もしかしたら違う人生になっていたかも知れません。

ただ基本的に私は、当初考えた国連入職にも少々失望し、世界政治(NWO構築、今の世界連邦運動)に関心を持ち、日本の政治家になるつもりはありませんでした。もちろん国家主権が社会の最高である現代では、国の政治には、何等かの形で関与しないといけないとは思っていましたが、親戚も、司直の偉いさんも、各宗教界のリーダーの先生方も、もっと言えば海外の大物政治家や学者にも、「日本では」政治家(つまり国会議員や大臣)にはならない方が良いとアドバイスも受けてきました。裏に回ってこそ本当の政治とかを読んだこともありました。

その前から、学生/教師~実業家として、世界政治運動に関与をしたかったのですが、小沢先生らが党をいくつか作ったり改変されたりして、政治改革がごちゃごちゃになっていた時代で、色んな方に政界に誘っていただけることがありました。そのころは、20代後半から30歳前後と若かったということもあり、ちょっと国会議員になることも考えた唯一の時期でした。当時の政党(今もそうかもしれませんが)は、当選回数が序列だったので、出世するなら早くから出た方が良いというのもありました。それに、当時はお金に余裕があり、お金さえあれば当選できる最後の時代でもありました。アメリカのように、何かの専門家が、いきなり一発屋として政治で活躍することが可能なら、それもありかと思います。また世界政治ではなく、日本のため、あるいは地域のため、当選回数を重ねていって、人生を捧げようという人は、政治家も良いと思います。

でも私はちょっと違うタイプですね。「職業のフルコース」を目指し、イロイロやりながら成長したいタイプです。

あらゆる業種を、少しはかじったので、後はどこまで伸びれるかの勝負です。だから(家族が許せば)いつ死んでも良いんです。死ぬとき「ここまでだったな」と思うだけです。ただ、もちろん、出来るだけ長く生きて、出来るだけ成長したい、という欲求は、もの凄いものがあると自負しております。だから年齢という数字は既に捨てて忘れています。またどんなに体調が悪くても怪我をしていても生涯現役で仕事をしていたいんです。他がダメでも何かの仕事はできますが、脳がダメになるとやはり仕事ができないので、認知症にならないように医療技術革新を待ちたいところです。

 

こんなフラフラした人生を送っていますが、実は前科も、破産歴も、現在は反社の付き合いも、何もないので、クリアランスには通ります。

だから、その後も政界に誘われたことも、なくはないですが、公認を出す前に、まずは会社をやめて府連や支援者相手の政治活動に専念してからとか、条件が全然悪いし、本気に出来ないようなお話もあり、やはり、ないな、という感じなので、黒幕として生きたいですね。

(実際尊敬する人も、天皇陛下と、今の身近な方を別にすれば、政治家では伊藤博文・高橋是清のような波乱万丈の革命的官僚政治家か、ジムクラークのような連続企業家、坂本龍馬や笹川良一先生のような黒幕です。国連でも、みんなが尊敬する、連盟を創設したウィルソン大統領や、現代のアナン総長よりも、経歴から尊敬されなくなったワルトハイム氏とかに関心を持ちます。天邪鬼なところもあるのかな。世界連邦の全く正反対で、最も嫌悪するヒトラーとナチについては、かなり詳しいんです。あまりに詳しいのである学者さんから潜在意識では好きなのでは?とか言われたことはありますが、そんなことは絶対なく、ライフワークの世界連邦主義と、国家民族主義ドイツ労働者党の思想とは、正反対なので、やはり嫌悪はしています。以前リッベントロップのことを書いたこともありますが、ゲッペルスの日記やヒムラーの業務日誌なども読み込みました。)

 

慎太郎先生の側近の浜渦さんは(関係ないですが、息子が、東大時代に、私たちが主催した国連欧州本部でのジュネーブダイアログに、参加してくれたこともあります)、先生は結構繊細な方だと仰っておられましたが、私もそう思います。

 

基本的に、慎太郎先生は、私のような若輩の外部の人間には、ガラっぱちながら、優しい方でした。

「先生の生き方に憧れてます、それで一級船舶もとったんです」というと、冗談ですが「俺のクルーをやれ!」と言われたこともあります。ですが、これは麻布自動車の渡辺会長や、色んな人にも、同じことを言われたことがありましたが、一応ガキながら私も船を持っていたので、そんな怖い人の部下になると大変だと思いました。むしろガキながらクルーが欲しかったくらいでした。

 

余談ですが、クルーも大事で、当時の自分の会社の秘書(男性)をクルーにしたんですが、なにせ彼は海に素人なので、あまり頼りになりませんでした。当時は50ft.以下の船ならば、海事免状を持っている船長がいれば、船の操舵を人に任せても良かったのですが、任せていると、一回沿岸部で、海図上の浅瀬に入りこんでしまっていたこともあり、気づいた私は慌てて船をエンジンを止めました。セーリングボート(日本で言うヨット)ではなくエンジンボート(日本でいうクルーザー)だったので、無理に深い外海にでようとすると、もっと浅いところがあれば、砂を噛んで、ペラが傷んだり、エンジンに吸い込んでしまってはいけないので、念のため、潮が満ちるまで、外海に出るのをやめて、ちゃんと浮いていることだけを確認して(浮いていなければ座礁なので本当に事故です。転倒する可能性さえあるので恐ろしいんです)、しばらくアンカーをかけて、乗っている十名ほどの友達には、BBQをして時間をつぶしてもらうことにして、念のため118(船版の119です)に連絡しておきました。浮いていて、これから潮が満ちる時間なので、問題はないのですが、下手をすれば「事故」扱いにされるところでした。

 

慎太郎先生は、若いころには病んで高校を休学されていたこともありましたし(今のニートですね)、ご本人は(元々、石原プロの役員として映画の五社協定を打ち破る奔走をするなど政治家に向いているといわれていたそうですが)海外の窮状などの現実を見て政治家を志したり、お好みの同じお寿司屋さんのものでも少しの味に変化があれば食べないとこだわられるようなところがあったり、裕次郎さんのことを褒める人がいると「俺の方が上だ」とムッとされたりするような、人間的なところも、おありでした。

もちろん裕次郎さんが世に出るきっかけは慎太郎先生ですから。しかも子供の頃までは、お兄さんの方が、ずっとカッコ良かったそうですから、後年日本一カッコイイ男になった弟を持ってしまったお兄さんとしては、嬉しい反面、複雑だったんですかね。

しかも先生の女性の問題(今なら辞任もんですが)のことを聞いた記者に「そんな話はしない!」と堂々というなど、私のような者にはカッコよかったですね。

でも、それだけ迫力もあり、かつ繊細な方なら、身内の人はさぞ怖かったでしょう。

 

ただ、個人的には、政治だけでなく、「若者文化」にも関心を持っている私にとっては、日本の一時代を築いた方なので、本もよく読みました。

先生といえば、いわゆる「太陽族」ですが、これにも、あこがれたものです。

私は、若者文化でもサブカルというより、「メジャー」な文化に関心を持っています。維新の志士の頃から、しばらく若者文化というのは一時期停滞していました。江戸時代からかわらず新橋・柳橋・向島・浅草などや、京の祇園などの花街での遊びがまだ残っていました。しかし大正デモクラシーが開花したころから、モボ・モガの登場、エログロナンセンス、あるいは昔ながらの歌舞伎・浪曲などの伝統芸能とはちがった、欧米流の新興の興行が起こりました。

戦前、立教の学生などを中心に、ハワイアンやジャズバンドの流行です。今で言う帰国子女もいて、こういう音楽を海外から持ち帰りました。新橋フロリダなど有名ダンスホール(今ならクラブですね)も流行ったそうです。ハワイアンやジャズも、今やクラッシックと同類ですが、今のヒップホップよりも斬新な音楽の流入でした。

しかもさすが日本人、古関裕而先生などが、洋楽を日本流にアレンジするという技は、当時からあり「戦前版J-POP」があったわけです。

 

このシンボルが、後の歌手協会会長のディック・ミネ御大です。昔、私が歌手協会さんとお付き合いさせていただくようになったとき、亡くなられた元大御所歌手の方に、ディックミネ先生のお話はよく聞きました。美空ひばりさんなども一緒にスキーに行ったり可愛がっておられたそうです。ディックミネ先生が発声練習をしていたという湘南逗子のトンネルで私も大きい声を出してみたこともあります。ディックミネ先生は「千人斬り」や「モノが大きい」「四度結婚したけど二度目と三度目は姉妹」など、女性や下ネタの伝説ばかり知られてますが、平和主義者で、明るい太陽のような方だったそうです。私が少年時代に亡くなられたので、結局遠目でお顔を見たことしかなく、お付き合いをしたことがないので残念です。

(日本歌手協会さんのステージでスピーチする谷本 本当は大御所歌手のみなさんがいらっしゃるのも気にせず歌ってみたかったなぁ、、)

ディックミネ先生は、学生時代は相撲部だったそうですが実際は喧嘩三昧だったそうです。それでも立教大学を卒業して、逓信省の官僚になって昼は役人生活のかたわら、夜はナイトクラブでジャズバンドのドラムをされていたのですが、ルックスの良さと歌えることを、淡谷のり子先生や古賀政男先生に見いだされて、当時としては遅咲きの二十代後半で、テイチクからデビューし、テイチクが増資して会社を拡大しないといけないほどの大ヒットを飛ばして、戦前最大の流行歌手の一人になられます。

その後はジャズだけではなく、古賀先生の影響もあり演歌などにも挑戦して、活躍の幅を広めます。そして若者文化に影響を与え、「ジャズやハワイアンに詳しいと銀座の女性にモテる」と、学生などに流行したそうです。当時は慶應や立教のハイカラ学生が、銀座のクラブで幅を効かせていました。戦前の学生は、お金持ちですからね。

 

しかし戦時体制になり、外来語風の名前だったので当局から三根耕一と改名させられるなどの事件があり、こういうことに嫌気がさし、当時東洋のパリとか魔都と呼ばれた上海に拠点を移します。

 

上海というのは、もちろん植民地という影の歴史もありますが、高杉晋作・伊藤博文などの維新の志士が影響を受けた近代日本に最も近い西洋であり、戦前ディックミネ先生が移られた頃には、羅教(新興宗教団体)から派生した大ギャング団の「青幇」や、その若きゴッドファーザーの杜月笙が街を牛耳り、戦時体制とは思えない、華やかさを呈していたそうです。シカゴでも20代の若きゴッドファーザー、アルカポネが活躍していたころです。青幇は上海大世界というレジャービルを拠点にしていました。これは横浜中華街の横浜大世界のモデルです。

 

上海では、この頃、児玉誉士夫先生も上海に拠点を作ります。児玉先生は、労働者から日大専門部で学びつつ、赤尾敏先生の建国会や、右翼の祖である頭山満先生のもとなどで、複数の右翼団体で活動をされ、刑務所に入ったり自決未遂をしたり、若くして既に波乱の人生を送られているのですが、笹川良一先生が設立した国粋大衆党(日本版ファシスト党)の東亜部長や陸軍嘱託特務機関もされるようになり、笹川良一先生の斡旋で、海軍の特務機関/物資調達機関である「児玉機関」を作っておられました。

 

児玉機関は、児玉先生が海軍の特攻の父と呼ばれる大西中将などから、直接目をかけてもらっていたこともありますが、児玉先生の弟分や子分だけでなく、児玉先生から見れば先輩格の大物も所属されており、実質上は笹川機関といわれています。

そしてこの児玉機関は歴史に何度も出て来る「ブロードウェイマンション」という高級アパート兼ホテルの一角に事務所を置きました。

私も上海に行くときはこのブロードウェイマンションを定宿にしていました。起業家仲間からは、なんでそんな古いホテルに泊まるの?と言われましたが、私は最新のフランチャイズ系の高級ホテルよりも、こういう歴史的な建物に泊まるのがすきなんです。

そして児玉機関には、野口進(ライオン野口)一家が仕切っていた興行部もありました。野口進さんは、嘉納健治さん(ピス健)という菊正宗で有名な神戸の地方財閥の嘉納家出身(柔道を確立させて、オリンピックでも有名な、嘉納治五郎なども、この家の出身です)の「旦那ヤクザ」とよばれる名家出身のヤクザに任されて、興行も行った超有名な興行師です。上海では、この野口親分の奥さんの里野さんが活躍しました。ディックミネ御大だけでなく、淡谷のり子さんやベティ稲田さんをはじめ、当時の名だたるスターを上海に集められました。

笹川良一先生が社長をされた市川右太衛門プロとともに、この児玉機関系の野口興行部が、日本の芸能プロの元祖といわれています。野口進一家では、のちには息子さんの修さんという超有名格闘技プロモーターも輩出しています。

笹川先生や、赤尾先生も、(あまり知られてないのですが)昭和17年の翼賛選挙で、非翼賛議員として、一度だけ衆議院議員になられております(この選挙では、児玉先生は落選され、内務省嘱託、将軍と同じ格の勅任官待遇、戦後は内閣参与などになられて、自民党の前身の自由党結党に際しては、辻嘉六氏を通じて、児玉機関が集めた資金が提供されております)。これらの肩書きは、ハッタリだと疑う人もいますが、首脳級がなるA級戦犯の容疑をかけられたくらいでしたので、戦時のわずか数年で、相当出世されたことは事実です。

笹川先生はすでにこのころ、議員であるとか関係なく(戦時中の国会議員は全く力がありませんでした)、政財界や軍に影響力がありました。また同時に日本の芸能界のドンにもなり、「作曲家の山田耕作(先生)は虚栄心があるので、長靴を履ける軍嘱託の高官にしてやった」というお話を本人から聞いたことがあります。

 

しかし、その後は、戦争でしばらく若者文化は、戦争一色で、せいぜい慰問文化くらいになります

 

ただ、終戦後には、いきなり若者文化が再隆盛します。元は破たん経済の中で、的屋の親分が頑張って闇市の隆盛、GHQのPXの横流しなど非合法経済の中で起こった、愚連隊の勃興を中心とした、若者文化の隆盛です。

 

神戸では、元々戦前から沖仲士や興行を仕切っていた山口組(初代山口春吉親分が50人の人夫を束ねて大島組傘下で結成、40代で実子の登親分に跡目を譲り二代目は公共事業の市場の利権で大島組から独立しました。二代目親分の弟と同級生という関係で田岡三代目が人夫から盃を貰い組員になりました)は、有名な田岡一雄親分(あまり知られてませんが、二代目親分が吉本興業の用心棒として籠虎組ともめて亡くなり、その後は山口兄弟会として組織は存続したものの、田岡親分は一時期は便宜上婿養子縁組をされていたのかもしれませんが文子姐さんの苗字を名乗って独自の組活動をされていました。ですが結局は兄弟会から押されて)三代目を襲名、国際ギャング団(のちに山口組若頭補佐となる菅谷親分が中心でした)らとも連携して街の治安を守りました。

その後、経済復興とともに、横浜の藤木幸太郎親分らと港湾荷役振興協議会を作ったり、我が家があった鎌倉山を開発された菅原通済先生・緒方貞子さんを国連に引っ張り出したり様々な女性の地位向上に努められた政治運動家で国会議員でもあった市川房枝先生・右翼の大物で建設会社社長の田中清玄先生らと、麻薬追放国土浄化同盟を結成し、麻薬撲滅運動を展開されて、全国的な大物になられました。組を継いだ時は大正時代からある組で、三代目とはいえ、日本全国では江戸時代から続く博徒・的屋組織が多いことを考えると新興勢力でした。しかし数年で全国に名を轟かす大組織に育て上げられました。

もちろん、たまたまヤクザという特殊なカテゴリーに見えますが、元々山口組は港湾荷役=人材派遣・業務請負業・土建業、さらに芸能興行社という、正業の実業家でもあるし、当時は群雄割拠で、こういう組織から政財界の中で堅気として活躍する一般企業に転換していったところも多く、今の暴力団という感覚とは違うでしょう。

 

新興宗教も若者に大流行りでしたが、特に初代・二代目が下獄されていた創価(教育)学会なども、出版業界などで苦心しつつも、愚連隊などとも平気でやりとりをされて(これは池田先生の著書、人間革命に詳しいです)、若者を中心として息を吹き返し、三代目に青年部長だった池田大作先生が就任されてから、一気に巨大化しました。平成期には与党のキャスティングボートを持つドンになられました。

 

戦後の東京では、銀座警察と呼ばれた(ご本人らが言ってたわけではないそうですが)グループや、新宿の愚連隊、そしてなんといってもその中から、元下北沢グループで、新宿へ移り、そこから渋谷に拠点を構え、のちに映画でも活躍される安藤昇先生の東京宣伝社、東興業です。この人たちは高校生や大学生で、本職になるという凄い人たちです。しかもダンスパーティーを開催したり、洋品店やバーを出したりと商売にも熱心でした。私もパーティー屋(イベサー)だったので、憧れました。

 

その後に出てきたのが、太陽族です。

 

慶應などのブルジョワ学生らが(これはディックミネさんも安藤昇さんもやっていた戦前からあった文化なのですが)、「(慎太郎刈りという)ヘアースタイルを決めて、アロハシャツとタボダボのパンツをはいて、外車に乗って、普段は銀座などの繁華街でパーティーなんかをして、夏休みには湘南のおぼっちゃまの親の別荘をたまり場にしてヨットや水上スキーなどのマリンスポーツをしつつ、ナンパをする」という文化を、日本中に「太陽の季節」という小説で表現したのが石原慎太郎先生でした。

しかも当時の石原先生は、まだ一橋大学の学生で、慶應大学にいた弟の裕次郎さんらのライフスタイルをモデルにして書いた小説だったのですが、芥川賞を受賞され、日活で映画化され、これらは大ヒットして、戦後史に残る社会現象になりました。

しかも当時、天下の日活に映画化の交渉をしたのは学生の石原兄弟だったというのが驚きです。お金やキャスティングの話も含めてです。今の学生にそこまで出来ないでしょう。そしてすぐに、この映画のヨットのスタントや学生用語の指導などで引っ張りだされた、弟の裕次郎さんを主演にした「狂った果実」を書きおろして映画にして、これまた大ブームになりました。ちなみに太陽の季節では、長門浩之さんが主演ですが、狂った果実では長門さんの実弟の津川雅彦さんをデビューさせています。両方湘南を舞台に兄弟と女性問題が関わる話で、実際自分と弟裕次郎さんとの兄弟、それに太陽族と呼ばれるようになった慶應の学生たちの湘南の夏休みの生活にヒントを得た話です。

なお狂った果実では、裕次郎さんは元は弟役だったのを(兄は佐藤浩市さんの御父上の三国連太郎さんの予定でした。実際、裕次郎さんは慎太郎先生の弟ですしね)、兄役にしたのがあたりでした。たしかに三国さん男前ですが、この物語の中の兄というのはは豪快な遊び人の役なので、ちょっと生々しくなったと思います。やはり、本物の太陽族だった裕次郎さんがそのままでもカッコいいので、遊び人でも、若々しく輝いていましたね。弟は美少年ながらまだ初心、という設定です。長門さん津川さんは映画界の名門マキノ一族のご出身だけあって津川さんは本当にハマり役でした。

そういう意味でも私は映画では「太陽の季節」より、裕次郎さん主演の「狂った果実」が好きです。

あと、この映画での脇を固められた岡田真澄さんがまたクールなんです。後年映画賞のスポンサーをやった時にお会いしたんですが、パーティーでは新人賞の若い有名女優さんなどより、岡田さんと話したくて、ずっとご一緒させていただきました。

そして狂った果実は、中平康監督も、武満徹先生の音楽も最高で、フランスのヌーベルバーグに影響を与えるなど社会現象から文化史にも影響を与えるようになるのです。

 

こういう経緯で、石原兄弟は「運命の年、昭和31年に、わずか一年で、一般学生から、日本一のスター作家&俳優」に化けるのです。

そのあとの、ご兄弟の政財界や芸能界でのご活躍、怪我病気や金銭問題でのご苦労は、誰もが知るところです。

 

この流れの湘南の学生ライフは、エンタメの世界では、東宝の若大将シリーズに受け継がれます。これは本来、戦前の「大学の若旦那」という映画のオマージュなのですが、実際は太陽族の近代版と言ってもいいでしょう。

ルーカスの出世作アメリカングラフィティーの世代、シナトラやプレスリー映画などの雰囲気も入ってきます。

主演はご存じ加山雄三さんです、加山さんも、裕次郎さんと、同じく湘南で青春を過ごし、慶應の法学部の3年下の後輩です。しかし太陽の季節から数年たってからはじまった若大将シリーズでは、同じような若者文化がテーマですが、明るい。CAなどをしているマドンナ役だけでなく、令嬢やファッションモデルや歌手など、あらゆる女性にモテモテなのは、若大将も太陽族同様なのですが、若大将の方は淫靡というか陰湿ではないんです。

しかも「ボンボン不良のボス」の赤マムシ、準主役の「ブルジョワ学生」の青大将と、役割をわけています。だからパーティーを企画するのも、だいたい赤マムシか青大将です。若大将は勉強もまぁできるし老舗のすき焼き屋の息子というある程度おぼっちゃまだけど、そこにスポットは当てず、スポーツ万能、バンドを組んで歌も歌える、「さわやかな好青年」というのに特化しています。むしろブルジョワ学生などは、バブル期で言う「アッシー君やメッシー君」として使い、結局モテない、という感じで茶化します。

少し時代が豊かになった感じがします。この間、現実社会でも東京オリンピックなども開かれるのですが、街も綺麗になってきたりして、高度経済成長で団塊の世代が高学歴を目指しだしたころです。

映画自体も、ヨットやサーフィンなどをグアムやハワイでしたり、スキーをヨーロッパでしたりと、各国での海外ロケなどを慣行して、国際的な感じで、豪華になってきています。

戦後すぐの、イデオロギーの変化による虚無感などもなく、経済成長の恩恵を受けた華やかさがあります。

 

このころから、ブルジョワではない不良が、カミナリ族と呼ばれる暴走族の元祖も生まれます。

 

また学生(政治)運動が盛んになります。戦前の学生の政治運動は、ほぼ皇道運動で、そこから大陸浪人や国内の右翼・壮士らと結びつきました。これは民族自決・ファシズムなど世界的潮流でした。

 

ところが戦後昭和30年~40年代は大正教養主義の復活とともに左翼運動が盛り上がります。これもやはり世界的潮流でした。アメリカのシカゴセブン、ブラックパンサー党、フランスのカルチェラタン闘争、サルトル主義、中国の毛沢東の文化大革命など、世界的潮流です。

ここにビートルズを筆頭とするポップカルチャーや、ウッドストックなどのフェス文化、ヒッピー文化や東洋哲学まで融合して、若者文化が多いに盛り上がりました。

 

これもあまり知られていませんが、赤坂の有名クラブで、児玉先生とビートルズが飲むと言う計画もありました。実現はしませんでしたが。

 

日本でも同じ動きでした。エンタメでは、昔からの興行師のほか、NHK、大資本系メディア(正力氏の読売日本テレビグループ、前田氏から財界四天王水野氏さらには鹿内氏らが買収したフジ産経グループなど新聞系、東宝は東京宝塚=つまり阪急グループや東映は東横映画=つまり東横急行/今の東急系など電鉄系)のほか、ジャズミュージシャン出身の社長が設立されたナベプロ・ホリプロなど独立系も児玉先生や中曽根先生らの政財界の応援もあり勃興しました。

そしてやはり海外の影響は大きく、若者の間では海外のポップスの日本版が流行ったり、「エレキ」や「GS」がはやりました。

 

政治運動でも、左翼も共産主義の分派をはじめ、ノンセクトラジカル、さらにはそれに対抗するための日本学生同盟や盾の会(三島由紀夫先生の民兵組織)などの右翼運動、

そして広域化していくヤクザと、それをとりこんでまとめようとする運動(児玉誉士夫先生の仲介による東亜同友会構想などです。戦前ヒトラーやレームのナチス突撃隊も、退役軍人と反共ゴロや労働者、それに日本で言う愚連隊ヤクザが、一つになり合同してできたものですが、これを作ろうとしても、日本では地元密着型のため、地域間同士がどうしても結びつかず挫折しました)など、あらゆる動きがありました。

 

しかし、学生運動は、「おとな」である共産同のさらぎ徳二議長を暴行したあげく、関西系学生が独立して赤軍派が誕生しましたが、大菩薩峠で軍事訓練中に大量に逮捕されました。また国際根拠地論から、日本初のハイジャック(よど号事件)を起こしたり、パレスチナにいってPFLPと連携し日本赤軍の最高指導者となった重信房子受刑者の便宜上の夫である奥平剛士らのパレスチナ解放運動で、テルアビブ空港で乱射事件をしてそのまま自決するなどの「中東の自爆テロリズム」の源泉をつくった日本赤軍へと発展したり、

交番や銃砲店を襲って武器を持っていた労働者系の革命左派(京浜安保共闘)と合同して「連合赤軍」を結成し、山岳ベースでの連続リンチ殺人事件を起こし、最後はあさま山荘事件も起こしました。別組織ですが、連続企業爆破事件などもありました。

 

この無意味な暴力に、一般学生は急速に冷めました。

 

ちなみに私は共通の弁護士がいて知り合った、連合赤軍で、あさま山荘直前までいて軽井沢駅で逮捕され、20年以上獄中にいた、いわゆる赤軍兵士のバロンさん(ニックネーム)という人がやっている静岡駅前のスナックに良く行きました。新幹線ですぐですから。政府高官の人を連れて行ったこともあります。話はいかついですが歴史の証人ですからね。笑ってはいけないですが、出所後はじめて(口座を作りに)普通に銀行に入った(それまでは強盗でしか入ったことがなかったという意味・・・)とかおっしゃってました(赤軍というのは資金調達には銀行を襲うそうです。銀行は資本主義の象徴だから襲っても良いというのがスターリンの考えだそうです、ひぇー!!)。

 

また、さらぎ議長を、内ゲバで半殺しにして、独立して赤軍派を作った中心人物の元京大の塩見議長(学生の間では日本のレーニンと言われました)が経産省の前で反原発運動をしておられたので、声をかけたことがあります。「塩見議長ですか?」と聞くと、「なんだお前、俺のことを知ってるのか?」というので「存じ上げませんが、塩見議長は有名じゃないですかぁ、まだ運動をしているんですか?まだ世界革命を目指しているんですかぁ?」というと、「世界革命はないけどなぁ」と言いながら、うれしそうに、そこから一時間も政治演説を始められました。結構楽しかったです。次の予定を飛ばしたくらいですから。でも、その時仰ってて印象的だったのは「もともと毛沢東なんていうのは俺らからしたらオッサンで興味がなかったんだ。本当は(実際に少数ではじめて革命に成功したばかりの)カストロやゲバラにあこがれたんだな。だから(田宮とか)北朝鮮にハイジャックして行った連中も、そこに、とどまろうと思ってなかったんじゃあないかな。俺らは、そこで協力を得て、キューバへ行きたかったんだよ」と言われていたのは、印象的でした。また重信房子受刑者の話題も出して「フー(重信受刑者のこと)は俺に惚れてたんだ」とも言っていらして、重信受刑者は美人闘士でも有名だったので、「本当ですかぁ?」と笑ったこともあります。

 

なお重信房子受刑者のお嬢様で、ジャーナリストの重信メイさん(この人はテロリストではないですよ)が、世界連邦の中東和平プロジェクト(イスラエルとパレスチナの戦争遺児を日本で交流してもらい次の世代には戦争をなくそうという恒例の事業)を、最初にやったときに、奔走していただいたというご縁もあります。塩見議長って、今でも元気なのかなぁ。

 

鳩山由紀夫総理(実は、民主党政権時、総理退任後の一時期、世界連邦日本国会委員会の会長をされたことがありましたが、すぐ政界を引退されたので、今ではほぼなかったことになってますが、、、)のご自宅で、一水会という右翼の木村代表という方とお会いしたのですが、なんと一水会と塩見議長とは交流あるそうです。右翼と左翼ってやはり根は同じなんだなぁと思いました。私は「通州事件(中国の暴徒に日本の民間人が大量殺害された事件)に関するフォーラム」に参加したことがあって、そこには、日学同や盾の会の出身者、さらにはサンケイ新聞や、警察、神道界の方までいらして、バリバリ保守(ぶっちゃけ右翼)の会でしたが、いろいろお話したことがあります。そこの会の方たちによれば、右翼も左翼も、民衆のためのものであって、三島由紀夫先生も「天皇陛下のご存在があるかないかだけの差だけだ」と仰ってたようです。

もちろん三島先生なので、「時間で捉えるのが保守で、空間を大切にするのが左翼」などと哲学的なことを書かれた記事を読んだことがありましたが、原理は同じなんですね。私の解釈では、一君万民か、ただの万民か、だけなんですね。

重信受刑者のお父様も左翼どころか、東大時代に血盟団にいた右翼の大物四元義隆と盟友で、(血盟団事件に関与し、首相の相談役や宮中にも関わった陽明学者の)安岡正篤先生の金鶏学院の門下生であったそうですしね。

 

ただこういう熱い季節はすぎて、70年代、80年代は、完全にノンポリの、硬派か、ナンパ学生、言い換えれば喧嘩上等のバンカラ学生か、ハイカラ学生が主流になりました。少年は暴走族、おぼっちゃまはディスコでパーティーといった感じですね。このまま、タケノコ族や一世風靡などの路上文化も盛んになったりもしました。アイドル歌手も出てきて芸能界と関わりのあるヤクザが暴走族を使って「親衛隊」などを組織します。70年代から80年代半ばまでのアイドル歌手のターゲットは、今の様にヲタ文化ではなく不良少年少女のための文化だったんですよね。

 

このころは私も小学生、中学生となってきており、本当に今では考えられないほど「おませ」だったので、こういうのに参加しはじめます。小学一年でビートルズを知り、金主のおじいいちゃんのお陰で、洋楽のレコード、CD、LDなんかを買いまくり聞きまくりました。今はすっかり忘れましたがあの頃はちょっとしたDJくらいの知識は持ってました。本も読みまくりました。それで若者文化に関心を持ちました。

ただこのころは今より全体的におませで「22歳(になれば少しづつ臆病者になっていくわ♪)」という谷村新司さんの歌がヒットしたり、「20歳をすぎたら、もうおバン(おばさん)」という言葉もあったほどです。今の20歳や22歳なんて、全然若者じゃないですかね?。

しかも私が中学生の頃は、「売春」をするのは中学生であり、90年代ごろからは女子高生が「ウリ」とか言い出し、さらに21世紀になれば援助交際なんて言葉が出てきたり、「枕営業」なんていう業界用語が一般化したり、今では「パパ活」とか「ギャラ飲み」とかいうようになってきましたが、言葉は変われど、要するに売春するかお妾さんになるかだけの違いなので、いつの時代も同じですが。

ただ私の感覚では大きな違いは年齢です。高齢化しているのです。

少年も、暴走族をするのはメインは中学生で、せいぜい高校まで。高校で不良になれば「高校デビュー」と蔑視の対象でした。17、18歳にもなれば不良は引退するか本職になるもんです。

私が高校へ入学したばかりの頃、中卒でヤクザで修業の身に入った近所の奴が、髪を短く刈って、ヒゲはやして、サングラスをかけて、くわえタバコで、声をかけてきました。「谷本っちゃん、ええのう学生は!社会人は辛いで!」と言いだしたので、私は「あほか!俺は学生ちゃうわ、まだ生徒や!しかも、お前、社会人って・・・社会からはみ出しとるやんけ!」と笑った覚えがあります。まだ十五歳の頃です。今の十五歳なんてほんの子供ですからね。

成人式で暴れている不良を見ると「若いなぁ」と思ってしまいます。尾崎豊の歌で「盗んだバイクで走り出す、、、15の夜♪」という歌もありましたが、そんな暴ヤンをするのは中学生のやることでした。

一概には言えないですが、高学歴・晩婚化しているせいか、今の中学生・高校生なんていうのは、ホンの子供で、パパ活とかいうのも、早くて大学生、普通は社会人がやっていることだそうです。

なんか成人年齢が20歳から18歳にさげられてますが、上げた方がいいんじゃないかというくらいです。なんか若者が幼いです。ただ、これも以前にも言ったように、今も、昔も、「おくて」もいれば、「おませ」もいる、だから一概に年齢で法規制するのはどうかとは思っていますが。

かくいう私は、12歳で音楽をはじめて、すぐ上達したので、音楽関係のアルバイトもしだしましたし、高校になったらライブイベントやディスコでパーティーのオーガナイズをしました。

私の頃は、ノバ21グループというのが全盛でした(マハラジャやキングアンドクィーンなどが有名です。立教OBだったグループ代表にも可愛がってもらいロールスロイスに乗せてもらいました。グループは直営ではなく、各地に「〇〇レジャー開発」などという個別の会社を若手社長に作らせて、フランチャイズ料や家賃を取るという商法で広げられました)。

このディスコではもともと銀座のクラブのウェイターのことだった「黒服」というものを流行らせました。入店まもないウェイターはミリタリールックの様な服装をさせられるのですが、少し出世すると黒いタキシードを着れて黒服と呼ばれます。当時、ホストクラブは、今みたいに若者のものではなく、水商売の中高年女性向けでしたから、この黒服がホストみたいな役割でした。昔のホストはダブルのスーツを着ておでこを出さねばなりませんでした。私は酒は飲まなかったのですが(未成年でしたしね)、お水の女性の知り合いが沢山いたので、指名が取れたので頼まれて体験したことはあります。昔はラストソングと言って売上が一番高い人が最後バラードを歌うなどという昭和の香りただようホストクラブがありました。一気飲みコールは大学生のサークルのコンパ(そもそもコンパ、合コンなどと言うにも学生のものでした)ではやってましたがホストクラブでは静かに飲むところでした。今や、全く変わって、キャバクラや、アダルトのV製作、風俗店などを手広く経営している後輩は、ホストクラブも作って、バンバン盛り上げて、給料を再回収したうえに、こういうところにくる子の中には、育ちの中で辛い思いをして、精神を病んでる子も多いらしく、経営者に変わってホストが悩みを聞くので、一石二鳥とか言ってました。

もちろん私は、夜の世界とは違う世界で生きてきましたが、パーティー屋なんかを経験していると、後輩などはそっち(夜の世界)へ行った奴もいます。

基本的には私は後輩たちには、サラリーマンになるのを勧めています。今の日本ではそれが有利だからです。でも、たまに起業家になって、今暗号資産で稼いでいる者もいますし、政治家になった者もいます。でもこうして夜に行くやつもいるのです。私は誰が何が向いているというのを見分けるのは得意なので、スタッフたちの人生は結構私の言った通りになっています。

当然みんなの自由ですが、ヤクザだけは反対しました。

同級生がヤクザになったときは、全力で止めました。

ヤクザは戦後まもない頃は別として、平成以降にもなれば、どうにしてもその道しか生きれない者がやるもので、他でも生きれるならば、絶対なるなと言ってます。おいしい思いが出来るからなる、という者には絶対に反対してます。まぁ同級生も、親分の言っていることは、私の言っているとおりの「ハッタリ」だったと、すぐ気づいて、足をあらい、大学、大学院に進んで、立派な社会人をやっています。

 

当時のワンレンボディコンや当時は流行りの仕事だったレースクィーンのような美人女性は店の入り口に座らせ目立たせ、そうでない女性は奥でボトルを入れさせたりされてました。さらに当時のディスコは食事もできました。ちなみにノバさんは、大衆向けのディスコがオオバコ化するか、小屋はクラブとなを変えて、それも日本では下火になったので、しゃぶしゃぶ屋さんになります。

 

今だからいえますが、イベントでも店側には私の年齢を隠すように言われていましたし、警察も、酒場なんだからガキがあんまり派手にやるなよと言われていました。

すぐに自分でパーティー券(パー券)をさばくより、当時のボンの不良グループに頼むか(関西ではMさんやKさんFさんなど有名なボンもいましたし、Gというベンツとかで走るボンボン暴走族も有名でした)、有名私立や医学部系の学生サークルにさばかせた方が良いとなり、さらには先輩学生を使って企業協賛をつけるほうが良いという風になって、ここからは学生起業家への道をたどります。
 

ただ結局は時代は変われど、音楽、リゾート、スポーツ、パーティー、金もうけ、喧嘩、車、ファッション、学生政治運動など、ベースは戦前から戦後、今も同じです。

 

今は、音楽もニューミュージック的なものが令和の音楽として時代が回転するかボカロを使ったりするかの違いで、単にスマホやSNSが発展してツールが変わっただけでおんなじことです。

政治運動も、グレタさんらのZ世代やα世代の環境運動に変わっただけでおんなじことです。香港とかミャンマーでは、いまだに民主化運動で血は流れていますしね。

 

だから私も、あえて同じ道を進み、学生時代から、音楽、リゾート、スポーツ、パーティー屋からイノベーションの起業家になり、世界連邦運動に身を投じました。車やファッションも大好きです。

まぁ喧嘩だけは、実際は好きでしたが、前に書いたように子供の間は良いのですが、大人になってからは道具を使って命のやり取りになったりお金がからんだりするので非暴力主義者になりました。

 

石原慎太郎先生に話を戻しますが、これらの時代を作家から政治家として長く活躍されました。

裕次郎さんは太く短い人生でしたが、慎太郎先生は太く長く生きられました。

慎太郎先生は運輸大臣の時、暴走族にさえ肯定的でした。若いエネルギーが戦争や闘争に向かないから、危険行為にはしるのは当たり前だといわれてました。

 

ただ東京都知事になって、歌舞伎町浄化などを行った時は、後輩のスカウト軍団(今は迷惑防止条例で出来ませんが昔は合法でした)・ホスト・嬢らは、「都知事は自分は若い頃さんざん遊んで、偉く成ったら、しめつけかぁ、、、」と言っていたのが、おもしろかったです(実際はさんざん遊び回ったのは弟の裕次郎さんであって慎太郎さんは真面目だったそうですが、、、)。

 

都知事としては、ディーゼル排ガス規制、通称石原銀行(これはベンチャー育成という意味では国家的な意義があったのですが、実際には銀行員がベンチャーの見極め能力がなくダメになっちゃいましたが、、、日本の終身雇用制度のもとでは、銀行員は銀行員なので、これは仕方ないです)、そして東京マラソンなども国民の健康とともに防災対策などに使えると、政策はとても面白かったです(私は走りませんでしたが、三枝成彰団長の六本木男性合唱団のファーストテノールをしておりましたので、君が代の斉唱、応援歌の合唱をしています)。

 

石原プロの解散、伸晃さんの落選など、石原軍団時代は終わったのかもしれませんが、私は彼らのような若者文化を研究し、生き方を参考にして、今に至っています。

 

最期に石原先生は尖閣の領有権に大変強い思いがありました。

 

世界連邦としては世界法での世界統治を目指していますが、それが無理な今は、まず領有権があきらかなのであれば、沖縄県石垣市の字登野城尖閣とするならば北京五輪前に「公然と国標を建てる等」の70年代から言われていることをやらないといけないです。さすがに五輪のときは攻撃してこないでしょう。戦争は絶対いけない。尖閣を完全に日本の主権を形として主張するなら、五輪がある今しかないです。

石原先生も、あの世への旅立ちに、安心されるでしょう。

 

石原先生のご冥福をお祈りします。

 

 

バブルの香りがまだ漂っていた「時代を感じる古い写真」を、、、

 

集合写真なのに、やたら斜に構える谷本少年15歳

 

パーティー屋時代(まだ学生時代、横にいるのは今や地方議会で議長にまで出世した仲間です)

 

太陽族?10代の頃谷本

 

やはりパーティー屋時代(まだ学生時代、となりにいる彼も今や大手広告会社幹部兼大プロデューサー。みんな偉くなるなぁ)

 

世界連邦

谷本真邦
 

新年早々悲しいニュースが入りました。世界連邦の日本支部の海部俊樹会長がご逝去されました。なんか役人の方から、噂はきいたのですが、前にも倒れられたこともあり、復活されるだろうと思っていました。しかし会長代行の中野寛成先生(元国務大臣・国家公安委員長)から、直接携帯にお電話をいただき、事実だということを初めて知り、ショックを受けております。

 

とりあえず、ニュースも解禁になったので、世界連邦の国際委員長の私から、世界連邦の世界組織の役員各位に連絡しました。

詳細は以下の通りです(英語ですが)。

 

I have to inform everyone of this sad news that H.E. Mr. Toshiki Kaifu who is the President of our WFM-Japan passed away of old age on January 9th. 2022 at the age of 91. We would like to express our deepest condolences to his family and respectfully pray for the repose of his soul. 

He was born on January 2, 1931. He had been a Japanese Diet Member (Member of Representatives) for approximately 50 years and was the Prime Minister of Japan from 1989 to 1991.

After his appointment as the President of our WFM-Japan, he continued to use his contacts and knowledge, such as acting as a bridge to the Japanese government and making recommendations to the prime ministers and WFM-Japan. 

President Kaifu was elected as an Honorary President of WFM-IGP at the World Congress in the Hague in 2018. His family has already held a private funeral service. There will be no LDP public funeral service or farewell ceremony held due to the ongoing COVID-19 situation. His family declined the offerings such as flowers tributes and condolences with thanks.

We respectfully pray for the repose of his soul.

With many thanks.

 

英文に略歴も入れましたが、海部総理は、愛知県のご出身で、二世議員ではありません。代議士秘書から国会議員になられた、典型的な国会の議会人です。少年時代から弁論にたけ、中央大学を経て早稲田の二部に編入され、大隈以来の伝統ある弁論部(雄弁会)で活躍されました(私自身は、慶應・東大・神戸大・外大・学習院などあらゆる大学にフラフラと入学しましたが、実は中央にも早稲田にも行ってなかったので、良くそのお話も自虐的にしていました)。

ちなみに、私も学生時代には、早大雄弁会さんとはお付き合いがあったのですが、しばらく遠縁になっていたところ、海部総理のご縁で復活しました。

 

WFMと雄弁会の合同で、講演会をやってた頃は、海部先生にも直々に来ていただいて、その頃は、なぜか国会近くの事務所にいきなり私をお呼びになられ、人脈をご紹介いただいたり、いろいろな思い出があります。非常に可愛がっていただきました。

 

海部先生は学生時代から演説では「海部の先に海部なし、海部の後に海部なし」といわれた雄弁家です。

大学院に進まれましたがすぐ中退され、河野金昇衆議院議員の秘書になり、河野先生の死去後、中継ぎの奥様が議員を一期されたのち、地盤をついで当時29歳という最年少国会議員として当選されました。

 

当選後は、三木武夫総理の子分になられました。また三木派の番頭には河本敏夫先生という方もおられました。この河本先生は、三光汽船のオーナーで大富豪です。元々三木氏の奥様が森コンツェルンの令嬢ということもあり、三木派は党人派の派閥としては、お金に困ったことがなかったそうです。海部先生いはく「他の政治家は、お金をもらってまわらないといけない。クリーン三木だって、金は配らんといかんかった。」とのことでした。スキャンダルの無い先生ですが「俺はクリーンといわれたけど、それは、派閥に自前のお金があったからだ」ともおっしゃってました。

 

当時の政界は、政財界が連動しているところもあり、お金が飛び交っており、合法献金なのか違法献金なのかよくわからない状態だったそうです。愛人がいるのも、男の甲斐性くらいに思われていた時代でした。

ただ、海部先生は、普通の政治家は、官僚出身なら監督している企業からお金を引き出さねばならんかったし、角さん(田中総理)のように自分や友人の会社で稼いだり、無理して金を集めたりしなければならない。だから「可哀そうだ」ともおっしゃってました。

 

また、現上皇陛下の即位の儀では、特の内閣総理大臣でしたので、万歳三唱を扇動する役でしたが、直接陛下とお話されて、宮内庁の依頼した古式ゆかしい装束ではなく、史上初の洋装(モーニング)での万歳三唱を希望されたりと、身なりには、なかなかこだわりが、おありでした。桐花大綬章の時には「お祝いの会」も、我々がひらかせていただいたのですが、普通はこういう会では勲章をつけるのですが、先生はなんと、せっかくいただいた勲章でしたがつけずに、飾っておく、というスタイルをとられました。

いずれにせよ、先生はお洋服にも、こだわりがあり、(私の子供の頃は、政財界人はダブルの大き目のスーツを作られる方が多かったのですが)、スリムなシングルのスーツをピシッと着られておられてました。

関係ないですが、褒賞の祝賀会では、余興(といっても国宝級です)で、死去直前の中村勘三郎・勘九郎・七之助親子(海部先生が後援会長をされていました)の素晴らしい歌舞伎を近くで見れた「役得」もありました。

また、その褒賞の会の準備をして、エレベーターに乗り込んだら、小走りでエレベーターに飛び乗ってこられ、「ハァハァ」言っておられた高齢の方がいらっしゃいましたが、その方は良く見ると現・セブンアイホールディングのオーナーで、伊藤ヨーカ堂創業者の、伊藤雅敏元会長でした(セブンイレブンの鈴木会長の親分です)。伊藤会長は私に「いやいや、海部先生のお祝いの会に遅れるわけにはいかないよねぇ」と、ハァハァ言いながら笑っておられましたが、秘書さんらも残して、突然の大物の飛び込みでしたので、驚いたことも思い出です。そのずっと前に、日銀出身で私の会社の役員になっていただいた人に、伊藤元会長を紹介していただいたことがあって、広い応接室でお会いしたことがあったのですが、その時の厳格な雰囲気と全く違うので面白かったです(セブン銀行の初代社長が、日銀出身で、その日銀出身役員の、日銀時代の同期という関係で、紹介していただいたのです、ちなみにその日銀出身役員は私の大叔父の部下という関係でもありました)。今後の閣議で、「大勲位」を授与されることが決められるでしょう。

 

そして、海部先生は、なんといってもトレードマークは水玉のネクタイです。数百本あったそうですが、後援会の人も、プレゼントには「水玉のネクタイ」を買ってけば喜んでいただけるので、迷うがないのでよかったと、聞いたことがあります。

 

私自身についても、髪の毛が元々は直毛だったのですが、ある日パーマをかけて「もじゃもじゃ」ヘアーにしたところ(このブログのプロフィール写真でも「もじゃもじゃ」です)、ほかの政財界人からは、この「もじゃもじゃヘアー」の評判はよくなかったのですが、海部先生だけは、「政界などで前へ出ろ」と仰っていただいていたので、「政財人や役人は、遠目で見たら誰かかわらん。谷本だけは遠くからでもすぐわかるようにしろ」ということでした。「雰囲気も出るし、レーニンだってハゲヒゲだからレーニンなんだ。普通の髪型だったら、ただのおっさんだ」とかも仰ってました。

あるとき、ピシッと短髪にしたら、「つまらん髪型にしたなぁ、つまらんやつだ」と叱られたこともありました。

 

文部大臣を二度されて、「文教族」のイメージもありますが、外交通で、早稲田時代から早大総長が世界連邦主義者であったこともあって、ご理解がありました。

また、海外青年協力隊を創設させたり、ODAを増やしたり、湾岸戦争時には多国籍軍には(パパ)ブッシュと話し「貴国(アメリカ)の作った憲法によって自衛隊は出せない」と参加を拒否し、ペルシャ湾の機雷を除去するなどでは自衛隊を海外に出して自衛隊による国際協力を史上初の実行をするという、本当に「平和主義を堅持しつつ現実的外交を」展開されました。

またドン金丸・黒幕小沢先生たちに支えられて、というか、支えさせて、世界では冷戦崩壊、国内では平成天皇即位(現上皇陛下)・政治改革という激動の時代をバランスを取りながら、日米関係、アジア関係、東側の崩壊、、、そしてマルチ外交を展開されました。

当時の各国首脳は、アメリカは(パパ)ブッシュ(ホットライン、通称ブッシュホン=当時はやりだしていたプッシュホンにかけてます)、イギリスはサッチャーさんがまだ強い影響力を持ち、フランスはミッテラン、西ドイツはコール(そして東西統一)、ソ連はゴルバチョフ(そして崩壊)などです。

近年の安部総理時代の首脳陣もつわものたちですが、このころも負けず劣らず凄い首脳陣で、本当に政治的にも外交的にも天才的な手腕をお持ちだったと思います。

 

昔は、世界が(技術的に)広かったので、簡単に首脳や閣僚が会うことはできなかったので、外交使節団(外交官)の役割は大きかったのですが、今や世界は(技術的に)たいへん狭くなり、すぐに会えるので、大使に公電を打つよりも、直接会ってしまえる時代になりました。

しかも最近は、外交官がちゃんと準備をして、首脳は決まったことを確認する、というだけではなく、前のアメリカ大統領のトランプさんの様に、SNSで、「近くにいるから会うか?」とか、半島の北の最高指導者に呼びかけたり、別の機会ではせっかく第三国で会っても、まとまらずに用意された昼食を取らずに帰っちゃうというくらいですから、(本当は内々でも色々調整はあったのですが)これは凄い外交の時代です。首脳も外交技術がないと務まらないですね。

 

ただ海部さんも、安部さんも、外交官経験、外相経験はありません。英語もさほど堪能とは言えないです。

ただヘッド級レベルの外交に、経験はそれほど関係ないのかなとも思っています。大事なのは個性・品性です。

明治以後、日本には伊藤博文初代首相、高橋是清元首相など、外交官ではない首脳外交の天才が多数いました。私は明治天皇だって外交の天才だと思っています。例えば明治のロシアの皇太子(のちの皇帝)が、日本で暗殺未遂(大津事件)にあったとき即陛下自ら駆けつけて見舞われ、皇太子から「日本はうらまない」という文言を引き出した明治陛下は、僭越ながら、大した外交手腕をお持ちだと思います。

 

まして、語学が出来る出来ないなどは関係ありません。河野・茂木・林外相らは、一流の大学や大学院に留学歴もあり、語学には大変堪能で、頭脳的にもとても優秀な方々ですが、外交においては、語学が出来る出来ない、高学歴かどうかというレベルではすみません。一歩間違えたら、戦争や経済破綻になるくらいの、「最重要政治案件」なので、外交の手腕が必要なのです。

実際、天下の外交官と思われている吉田茂首相も、他の外務省出身者の中では、語学下手と言われましたが、外交手腕は天下一品でした。優秀な専門通訳官がいれば良いというだけです。あまりにあざやかなので理想主義的には批判される人も多いですが。

私のような仕事では、日本人どおしでも、英語でやりとりをしたりされるので、英語が世界の共通語・公用語みたいな気になります。でもまだそこまでには至っていないですね。もちろん国連などでは英語が出来なければ文字通り話にならないですし、外交官は第二外国語が専門の方でも皆、英語は堪能です。しかし政務(大臣をはじめ、副大臣・大臣政務官とかですね)の通訳は、専門の通訳官しかやらないことが多いです。それでも大学院で留学した人は、一見英語はペラペラですが、実際には「日本語で言った方が本来の意図が通じる」と言われる人も、結構おられますね。トヨタの社長もアメリカの大学院を出て、英語はペラペラですが、アメリカの議会の公聴会では、失言をしてはいけないと日本語で話して専門の通訳をつけておられたエピソードは有名です。いまでもロシア、中国、中東などの、首脳は、みんな自国語で話してくるので(これらは国連公用語ですしね)、外交と語学を結び付けるならば、相当なポリグロット、オムニリンガルでないと外交はできなくなります。

まぁ、もともと19世紀まではプロトコル上外交用語はフランス語でしたしね。私が関与したモンテネグロなどは、もちろん「モンテネグロ語(ほとんど同じ旧ユーゴスラビアのセルビア語と同じ)」が親語ですが、元々東側の国なので「英語はできないけど、ロシア語は出来る」なんて人も結構いて面白かったです。台湾など日本の植民地だった所の高齢者は「英語は出来ないけど日本語なら話せる」という人もいました。だから結局は、覇権を持つ国の言葉が、広まるのです。そのため世界連邦では世界公用語としてエスペラント語(人工的な国際公用語)が作られたのですが、全く広まらず形骸化しました。結局は今は英語(米語)が世界共通語・公用語となっていく流れです。将来的には世界の覇権をとりたいと考え、人口も多い中国だって、皆英語を学んでますしね。

 

あとこれは、首脳外交の話ではないですが、ナチ嫌いの学者が、ナチの行動で唯一褒めていたのは、外相になるリッベントロップが英国大使だったとき、一切英語を使わず自国のドイツ語で通したことでした。リッベントロップは、職業外交官ではなく元々は(ワインの)貿易商で、少し在外公館に出入りした経験があったため、一気にナチの外交アドバイザーとして外務省嘱託特務機関事務所から、正式な外交ルートの特使・大使などを経て、外相になり、当時の外務省の半数以上を自派の外交経験のない人物に取り換えたという強気の人物でした。第二次世界大戦勃発までは、戦争をせずに第一次世界大戦までの領土を取り戻し、ヒトラーを「外交の天才」とまで言わしめた立役者でした。ヒトラーは戦争や人種差別で多大な犠牲を出し20世紀最悪の人物とも言われています。「権力掌握」といっても暴力的で、ズル賢い戦略が、たまたま成功しただけ、という評価です。「経済政策」でも成功したように見えるものの、これは「小手先の手法」や、既に権力を握っているために、それを過大に宣伝するプロパガンダの成果であると、まったく評価しない人もいます。ただ、戦争前の外交手腕だけは、成果を出したとしている学者も、実はいるのです。もちろん、その後の酷いナチスの行動で現代ではリッベントロップの仕事は全て「悪魔の業績」となっています。ちなみにリッベントロップはワイン商時代、カナダを拠点にしたりしていた関係で、英語・フランス語なども堪能なマルチリンガルでした。でも英国王に信任状を奉呈する際もドイツ語、在英の各国大使館への通達も全てドイツ語でやったため、各国は困惑しつつも、ドイツの地位を押し上げ、英国にアピーズメントポリシーを引き出させ、世界に「ヒトラーは外交の天才」とまでいわしめた成果の下地を作りました。ちなみに日本(特に近衛及び東條首相・松岡外相)をミスリードさせたということで悪名高いドイツ大使の大島浩将軍も、もとはといえば駐在武官時代にリッベントロップと親しくなって情報をつかみ、外交官でもないのに、一気にドイツ大使になりました。

 

もちろん担当者の外交と、首脳外交は別ですが、戦前の吉田総理時代以前は、外国との交渉に慣れていないため、経験も大事でした。ただ今は関係ありません。海部総理は、外国のつわものたちの、心のうちに入りこみ、交渉をしつくしました。

海部総理と、ブッシュ、ゴルバチョフとの話は、大変貴重で、歴史的にも残していかねばならないと思います。

 

むしろ、現在の岸田首相は、外相を長く経験したので、心配しています。閣僚級の外交と、首脳級の外交は全く重みが違います。

また日本の首相は、天皇陛下がいらっしゃっいます。中世以来の宮廷外交文化も残しています。そのため日本の首相は米中露など権威も権力もある名実ともに国家の元首というわけではありません。

さらに議院内閣制で国家の最高機関は国会なので(・・・もちろん外交儀礼上、国家元首は天皇陛下ですが、学者の中には、国家元首は事実上内閣総理大臣であるという人もいれば、国権の最高機関は国会であり優越性をもつ衆院の議長が国家元首だという人までいます)、

そういう意味でも、議員の下にある内閣(総理大臣)が、国を飛び越えることをする外交を処理するというのは、難しいのです。

それを、うまく乗り切られた海部総理には関心しています。

しかも、二つの大国の間にはさまれて、外交をするというのは、本当に難しいのです。

 

岸田首相は「波風を起こさない性格」で、それが支持率を押し上げています。それなのに、決めたことでも、さくっとひっくりかえして、ビシっと収めるのが得意です。これは、既に秘書官などを通じて役所から、首相に報告が上がっていたことでしょうから、一回決まったことを、官僚や担当大臣の「顔」を無視して納めているのですが、国を思って閣僚・官僚各位はむくれず首相を支えて頂ければと思います。

 

ただ、これは外交では通じないでしょう。


外交で日本がリーダーシップをとっていただけるかどうかが勝負なのですから、外務省の方にはぜひ首相を支えていただきたい。

さらに岸田首相は、終身雇用の日本の外務省内に、すでに人脈=しがらみがあります。外務省の皆さんは、わかっておられると思いますが、さきほども、いったように、外相の岸田先生と、首相の岸田先生は、重みが違う立場であり、そこをあらためて再確認し、支えていただければと思います。

 

岸田首相は、基本的に自身や、自身の派閥も含め、さらに派閥内で林外相を登用し、「米中の間で調整できる」と考えられておられます。皆米中に人脈も、人に言えない深い関係もあるからです。しかも米国では政権(バイデン民主党)が弱まっていて(ハリス人気も弱り、引退したバイデンよりは若いヒラリークリントンさんを推そうという声もあるくらいです)、中国に加えて、ロシア(ウクライナ)の問題まで加わり、日本が頼りだろうと考えていたからです。

 

岸田首相は親戚の財務官僚など、まわりに官僚が多く、官僚を「引っ張る」か「引きずられるか」も勝負どころだと思っています。

それと同時に外交で経験を「活かす」か、外交経験に「とらわれるか」も勝負です。

なによりも最重要なのは、アメリカ合衆国と中国の間で「ファシリテーター」になるか、米中「二股外交として同盟国米国の信用をなくすか」のはざまの上に立っています。これは大変難しいことです。

世界連邦主義者としては、前者を応援したいですが、今の段階では現実的には後者の方が無難です。

もし前者をやるなら、マルチ外交を使ってやるべきです。バイ外交で、アメリカにも中国にも、良い顔はできません。

海部総理の時代も難しかったですが、まだあの頃は、ソ連が崩壊した時であり、現在の習氏・プーチン氏はバリバリですから、事情が違います。

 

ようやく、水面下で努力をされて、なんとか今月下旬、北京五輪までに、オンラインで首脳会談をすることになりそうですが、本来日米首脳会談は、もっと早くやるべきで、首相就任後、何か月も会えないというのは異常です。しかも本来は対面でやるべきです。対面で出来ないというのは問題です。スモールトークこそが重要なのです。

スモールトークって、意外に、現実の政策だけでなく、自分が本当に思っている非現実的ても理想の政策へのベクトル(これで理解してもらえることもあります)も話せますし、他の首脳についての噂話もできます。つっこめば、選挙のコツまで話せます。例えばバイデンだと「大統領閣下は、環境環境って仰ってるけど、ロシアがパイプラインのカードを出しても、裏ではうちにはシェールも沢山あるよ、だからいざという時は欧州も平気だし、直前で出せばガソリン価格も下落させて中間選挙を有利にできますよ」とか、公開だと完全に内政干渉で、絶対に言えないような話でも、対面のスモールトークなら、政治家同士なので、「なるほど!」ってなって個人的に仲良くなれるのです。

官僚だって首相に耳打ちするけど、首脳同士でも耳打ちできます。安部さんのゴルフ外交も意味があったんですよ。せめて海部総理の時のように、オンラインでもホットラインを作ればいいんですが、、、。普通のオンライン会議は、必ずハッキングされているので、公開討論と同義です。ならば、むしろオフレコの部分でも、「聞かれている前提」で、はっきりと「日米同盟第一」「FOIP促進」「かの国には問題が存在する」「そしてこういう強硬策も考えている」くらいは言ってしまった方が良いでしょう。例えば安部さんも小泉訪朝時には、控室でも盗聴されている前提で、総理と会話したと聞きます。私が岸田さんなら、強い酒を使って、暗号電話のホットラインを使って、バイデンとオンライン飲み会を二人だけでしますね。

でも、中国も色んな人がいて、良い政治家もいるんです。どんな人でも絶対悪人というのはいないので、トップにも変わって貰えればいいのです。独裁者は、野心家の間は、まだいいのです。ただし支配の類型でいうと、カリスマ支配は、超人でなければ「維持」できないです。そのため独裁者は、刃の上をあるいているようなもので、絶対終身権力を握ったとたん、神格化された超人に見せるために、強引なことをしたり、自分自身も個人として皆猜疑心に悩まされるなか死ぬか、革命で暗殺されるか、幸福な晩年を送れなかった歴史が多いのですから。

 

しかも心配せずとも、経済では、台湾ともアメリカと親密なわけですから、そう簡単に戦争をはじめられないです。中国ビジネスも人民元ではなくまだドル建てです。だから監視もできる一石二鳥の電子マネーに力をいれているわけですが。

 

むしろ、あまり言えないですが、どちらかというとロシアが注目です(ここは、ごくごく弱いものの、プーチンはまだ親日です)。しかし、その影響下にある北朝鮮、それに中国だけによらずに北とも密約するアフリカ諸国、そしてまかり間違って北のミサイルが暴発するのでは?という方が心配です。今のところ実験をしたミサイルが大量にあるので処分をしているみたいなものですが、核や極超音速ミサイルまであるのですから、いつ暴発するかわかりません。ミサイルが、太平洋を越えるのではなく、極地まわりでアメリカへ届くようになれば、日本の先制攻撃が重要で、経済を圧迫する可能性もあります(やり方によれば、日米外交上優位に立ったり、経済が活性化するかもしれませんが、それはあまりに危険な考え方です)。

 

だからそういう観点で、ロシア外交は注目しなければなりません。私は独自の情報ルートを持っていますが、ウクライナでは間違いなく戦争になります。日本はロシアとの経済協力を強固にしているので、二股外交になってしまう可能性があり、役人は業界と、アメリカ&政権与党に、挟まれて大変になるでしょう。隣国のように闇取引をするわけにはいかないです。ロシアは不凍港問題をよくいわれますが、そもそも広すぎて東も西も国境付近が怖いんです。ウクライナがNATOに入ってミサイルを配備するとなれば、めちゃくちゃビビります。ゴルバチョフとブッシュはこれ以上NATOは東へ向かないという約束を、欧米は現在反故にしています(これは世界連邦がない現在の国家主権体制では仕方ないです)。ロシアは、ナポレオンからも、ヒトラーからも、突然攻めこまれれたことがあるので、いつも緊張しているんです。一般の家で例えれば、小さなマンションなら警備は完璧にできても、お堀もなく森に囲まれた大邸宅に住んでいるようなものです。そして、昔も、ちょっと前にも、強盗が隠れていて、突然なだれ込まれてこられたことがある、というようなものです、当然まわりは警備したくなるのです。プーチン自身も、お兄さんがWW2ドイツ侵攻で兵糧攻めをされているなか病気で薬がなくて亡くなり、さらに長じてからは自分がKGBのスパイとして配置されていた東独の崩壊を目の当たりにしました。西から、命をかけてきた国を壊され、食うや食わずでモスクワへ帰ってきて、タクシードライバーなどをしていたのです。まぁ恩師が政界で出世したりもあり、ひょんなことからオーバーナイトセンセーションで大統領になり、現在は大皇帝のように君臨していていますが、その半生はトラウマを抱えた苦難の半生でした。

 

中国はこれに注視するでしょう。ウクライナ同様、同民族が住む台湾でも、アメリカは喧嘩を売ってますが、それを買ったとき、アメリカがどう出るかということをです。おそらく今のアメリカは、喧嘩を売って武器も売っても、他国のために血を流しまくるのはもう疲れています。そのため、日本も台湾もウクライナも、対案を考えておかなければなりません。本当に自国だけで中国から守れるようにするのかです(それには核も必要です)。それは無理でしょう。もちろん、これは同盟国米国を批判したり、中国ロシアを擁護しているのではありません。戦争を防ぎたいだけなのです。唯一、公平公正な国際連合も、こういうことには、どうにもなりません。だから唯一の方法は国際連合を強化して、世界連邦を作らないといけなのです。戦争をすれば犯罪で逮捕して裁判して罰をかけるぞという枠組みが必要です。

 

原則、米中は政治的には対立していますが、経済では深い関係性があります。人民元では世界に通用しないので結局香港やスイスの金融機関でドルに換えています。アメリカ国債だってもっとも買っているのは中国です。近年、日本はこれと同じことをしてきたわけです。与党でも政府に入る主流派は親米反中姿勢を政治的に見せつつ、与党反主流派は非公式に経済界を守るために中国とうまくやってきたわけです。もちろん野党左派の政治的にも親中派もいます。

 

私はよく、世界連邦を明治維新にたとえますが、徳川(覇権を持つ国、これはアメリカです)と、島津(反覇権国で国連を活用して覇権を取ろうとする国)と同じで結構つながっているものです。

 

だから「二股外交」はやめて、バイでは日米同盟最優先、近隣諸国とのファシリテーターとして活躍するためには日本政府は国連などのマルチ外交を強化したり、トラック2外交などを使え、というのを推しているわけです。

これは、あくまでも日本人としての考えですが、世界連邦主義ともつながる考えだと思っています。

 

 

なお話を海部総理に戻しますが、黒幕の笹川・金丸・小沢先生のイメージから「神輿は軽い方が。。。」などといわれたと誤解されていますが、これは中曽根内閣発足時、大派閥の田中派が支えて、中曽根先生をたてて内閣を作ったときの関係者のオフレコの言葉で、元々は海部先生への言葉ではありません(中曽根内閣は、田中派の押しで成立したので、田中曽根内閣などと呼ばれましたね、でも最後は中曽根首相も重鎮になられました)。ご自身も、自分の事だと誤解されたようですが。

体格も大柄ではないため、イメージで軽量級と思われますが、政治手腕ではたいへんな大物でした。

「恫喝」などはしないと報道されてますが、(もちろん若造の私には偉ぶったりはされない先生でしたが)私自身は机をドンとたたいてお怒りの姿を何度も目撃しておりますから、政治には情熱一杯の先生でした。

 

引退後も、世界連邦での首相や外相への提言はもちろん、台湾が東日本大震災にたいへんな尽力をしていただいたのは有名です。台湾の貢献には、震災ののちょうどその日に名誉博士をもらうために台湾に訪問され馬総統とお会いされていた海部先生のお陰も、おおきかったのも知られざる事実です。

 

十数年くらいまえから、学生とも親しくしていただいたことなどから親密になり、式典出席の名代を頼まれるようになり、総理にしか知ることのできない皇室のこと・政府の秘密・アメリカ・ASEAN・ソ連(崩壊時)などの良さと恐ろしさ、そして各国指導者と連絡するルートなどまで「極秘」で教えていただけるようにもなりました。これは側近の方も知らない言えない話ですから、まわりが思っている以上に、かつての私は海部先生には恩義があったのです。

 

後年は、小沢一郎先生とご一緒に新党に関与され、本当に政治改革の混乱の90年代をすごされたこともありました。そのなかで、現代政治の裏表も、こっそり教えていただきました。

さる三大日系ホテルの一つにある、有名な二階のフレンチレストラン(もともと政治家が多いの店です)に、たまにいらっしゃって、偶然お会いする事もありました。


そのころには、将来は「お前は運動をしてるのだから、政治では前へ出た方がいい、向いている」とおっしゃっていただきましたが、結局自分は日本では、いまだに裏方で、前へは出ていないので、先生のご期待に応えられなかったという意味では残念です。
 

亡くなられて数日たって、すでに密葬は既にすまされましたが、コロナ禍なので無理ということなのですが、個人的には総裁経験者・総理経験者に加え、あれだけの方なので、自民党葬・内閣葬・国民葬か何かなどは、していただきたいです。

既に総理時代から、30年の時を経てはいるとはいえ、世界的に歴史の変わり目の時に総理をつとめられたのですから、どこかに「弔意を示すライトアップ」とか、何か追悼の意を示すことができないのか?とは思っています。

 

また50年もの間、国会議員をされた方は、憲政史上6人しかません。私は個人的には、職業は新卒採用・年功序列・終身雇用には反対で、政治家も様々な専門家が年齢は関係なく「一発屋としてやる」というのが望ましいと普段は思っているのですが、ここまでされると異次元ですので尊敬しております。

現職で、このくらい長く政治家をやっておられるのは小沢一郎先生と衛藤征士郎先生(衛藤先生は自治体首長と参議院をたせば50年の政治家歴があります)だけです。

なお最長は、世界連邦初代会長の尾崎行雄先生の、第一回帝国議会から当選25回・62年以上の政治歴という驚異的記録です)

実は、海部先生は国会議員を、50年やったと思っていらしたのですが、政界引退時、実は(衆議院)選挙中は議員歴に入らないので、調べると49年の衆議院歴で、50年に達していなかったのは、残念とおっしゃってました。

「サイフは落としてもカイフは落とすな」と言われ、なんと「16回」連続当選されました。

1回でも当選すれば凄いことで、25年やれば「永年表彰」を受けられます。なのに16回当選・49年の国会議員歴とは、なんとも考えられないです、、、、。

 

そして最後には、「わが政治人生に悔いなし」と仰っておられました。

 

ご冥福をお祈りします。

 

世界連邦会長 海部俊樹総理

谷本真邦

 

(自分の組織の会長と、わざわざ写真をとらないので、二人で写っている写真は、意外にありません。これは10年以上前ですね)

 

令和4年1月9日の正月明けです。長らくブログを書いていなかったのですが、年末から何回かこれを書いてみました。

しかも、世界連邦や仕事の具体的なことは書かず、どちらかというと自分が思いついたことを、適当に書いているので、文章が「とっちらかっている」、「読み手のことを考えず自分のことばかり述べている」というのは、もしも読んでいる人がいれば、すみません。このブログは自分の勝手な記録みたいなものなので、、、。癖になったので、新年もまた書こうと思います。

 

そもそも、谷本って何してる人?と言われています。

 

世界連邦を目指して運動しています。ただ現実的には、世界連邦建設は時期尚早です。そのため国連や各国政府の高官のお手伝いをしたり、日本の政府には沢山あっても立法機関で国権の最高機関の国会に政策立案能力をつけるべく有識者諮問機関などを設立してもらったりしながら「国連改革強化「を中心にしつつ、トラック2~の新外交を目指したり、新興国の外交アドバイザーなどをしながら、「機が熟す」のをまっています

また元々は起業家でしがこれも時期尚早でなかなか理解してもらえませんでした。現在は一旦身を引いています(以前にも書きました)。

 

ただ、やわらかいものでは、音楽・広告エンターテイメントの世界で、数万人を集める国際貢献のためのフェスをプロデュースしました。

それだけではなく、日本のODAで外国の国立劇場なんかを作ってもらうと、そこで国際交流文化際を開催したりもしました、

厳粛なものだと、イスラエル・パレスチナ平和プロジェクトなどもやりましたし、

国連の鐘と連動して。国際平和デー日本委員会を設立し、国連平和を守る会(寄贈者の令嬢が代表)と世界連邦関係にお集りいただき、事務局長・オーガナイザーをしました。何が凄いかというと第一回は国連の鐘と連動するのは当時の日本宗教連盟のトップの戸松先生のお計らいで「関東最大の鐘」のある増上寺でやらせてもらったことです。ここには、ご皇室の御臨席も仰ぎましたが、増上寺は徳川の菩提寺であり、ご皇族が参拝は歴史的なことです。下記URLでもUPされてますね。

国際平和デー / 平和の鐘鐘打式 / 2020年9月21日(全国版)/ 国際平和デー日本委員会 - YouTube
今年はコロナ禍で延期になりましたので、リレーメッセージでした。

国際平和デー/平和を祈る鐘打式 【2021年9月21日】: 国際平和デー日本委員会 - YouTube

何してる人?といわれても、型にはまっていないので、「バタバタ忙しくしているだけの無宿者」、カッコ良く言えば「脱藩浪人の志士」っていうのが、現段階での回答ですかねー。

 

仕事ではそんな事なのですが、学校は、実は親の方針で地元の学校に行かせたいというのがあって(親の家は、後に破たんするのですが、まだ私の子供のころには、家業の会社もあって、裕福だったので)海外の「ボーディングスクール」に行きたいなどと言っていたのですが、、、。親は「何をバカバカしい。お前なんかは、地元の学校に行って、もまれろ!」という感じでした。

でも諦めた、というよりは、「そもそも名門に入るって、意味があることなのかなぁ?」とかを考えはじめてしまいました、、、。

しかも、うちの地元では、勉強が出来ることは今でいう「スクールカースト」の中でが下に位置して、不良が上位で幅を利かせているような世界でした。むしろ真面目で問題のない子は、逆に馬鹿にされたり、先生からも放置されたり、貧乏くじを引いているような場所でした。時代背景もありましたが。ただ、私は、そこで不良になって狭い世界で威張って生きるのも、バカバカしく、子供でしたが、年は関係なく、都会へ出て、勝手に遊びはじめました。そこで中高時代は、学校をさぼりまくって、勉強も全然しませんでした。うちの高校は、私服もOKだったので、入学時に某有名ブランドの服を着て登校して恥をかいたり、音楽をやっていたので深夜のライブあけでメイクを落とし切れずにそのまま登校して恥をかいたりもしました。さぼりまくっていて、たまにいくと恥をかくので、余計、面倒くさくなってしまいました。

 

まぁ、それでも、ちょこっと受験勉強して、一応「どこの大学でも入れる学力」に戻して、大学を転々としていたのですが、そのころには色々な人脈も出来ており、すでに事業もしていたので、好きな時に理系や文系など範囲を超えて、フラフラ学んだので、事実上「独学者」です。

今も、大学の教授もしていますが、客員待遇のため、ちょいちょいコロナでオンラインの特別講義とかをしているだけで、普段は人の研究を手伝ったり、本の山に埋もれて勉強をしているだけです。

 

しかも、音楽とかもやっていたこともあり、昔から色んなメディアの世界とは関係をもってて、さらに世界連邦運動を通じて政治の世界などにも関係を持ったので、「表に出る」ことも誘われてきましたが、同世代の堀江貴文さんなどが、表に出て思いっきり「火だるま」になっているのを見たりしたので、やっぱり少々「狂人」を自称する私としては、目立つと、色々と炎上してしまうような気がして、お断りし続けてきました。

ただ、一つ真面目なことをいうと(冗句ではないですよ)、結構、「未来はこうなっていくだろうな」というのは、結構あたってました(実際に行動を起こしたものの、時期尚早で、盛り上がりはしなかったのですが、、、)。

昔やろうと起業していたようなことが2,30年のときを経て、世界がそのようになりました。


パソコン通信の時代から「これからは情報化社会」とかは言われていたので、SNS、仮想現実、暗号通貨、監視社会の登場は、見越してはいました。ただ「コンピューター」は凄い!と思いつつ、「パソコン好き」だと、オタク(今でこそ市民権を得ましたが、昔はちょっと蔑視の対象でした)みたいに思われるので、あえて関心を持っていることを出しませんでした。

私の小さいころは、ゲーム好きがマイコンと言っていたコンピュータをいじりだしたり、表計算でオフコンを使うという人がいたというくらいでしたが、私は、音楽作りが入口でしたが「これは面白い!世の中は急変するぞ、、、」とは思っていて、実際、そうなりましたね。

 

よく「すぐ行動に移せ!」とか啓発本などに書いてありますが、実際に行動した私は、早すぎてことごとく失敗しました。

それに勉強のほうも、物理とかをかじって「世界(宇宙)の真理を探究したい」なんて思っても結局はわからないことだらけだし、だったらデータを集めて公共政策とかで何かを模索してみるということもやってみましたが、それが本当に社会に貢献するのかどうかが疑問になってきました。

トランスパレンシー(透明性)が正義みたいに言われていますが、行政や組織がデータを、なんでもかんでも出したら、見方によって、見解がいろいろ出ます。コンプレインを呼び込むだけです。何が国民を幸福にさせるのか、何が重要なKPIなのかが、実際には図れないので、意味を見出せずです。

しかも、医療の二元論的なデータ分析とか、初頭教育のデジタル化とか(親戚のおばちゃまが、東大教授で、これの専門家でした)、公共政策が、意外とスノッブなので、ちょっと不安です。

「多様性」って言われている割には、同時に「正義論」も盛り上がり、実は「不寛容」な社会なんですよ。

つまりトランスパレンシーを求め、データを開示させて集めても、監視社会になって、「正当な評価をする」だとか、なんとか言って、正義を振りかざし、人の揚げ足をとる、ということになるだけだなぁ、と思いました。

データサイエンスは、日本では全く遅れていると言われているのですが、これはある意味、世間の風から国民や団体を守っていることにもなるなぁ、と思っています。

まぁどっちにしても、納税者も、株主も、官報とか有報とかの公開情報すら、(仕事で自社に関係する入札情報とか補助金プログラム情報以外などは)あんまり見ていないですしね。

それと、公共政策を作っているような人は、本当の「公共」を知らない人が多いです。

これは、どういうことかというと、公共政策を作っている人は、ちっちゃな頃から、ぬくぬくとエリート育ちをして、真面目な良い子だった人ばかりなので、そりゃ本当の公共の実体は、肌感覚では、わかってないですよ。

だから、自分の経験から、政策立案や判断をされるのは、良くないと思っています。

とくに高級官僚は、自分の真面目だった子供の頃の経験と、現在親になった自分の子供のことを、照らし合わせて考えて、例えば「18歳未満の性行為を犯罪」にしてしまうようなことが起こるわけです。これが犯罪なら、世の中で「彼氏・彼女」とかいってる高校生なんかを見たら、どんだけ犯罪者がいるか、データを取ったら、恐ろしい話です。

もちろん自分自身も、ある種、感覚がおかしな人だと自覚はあるので、なるべく自分の経験値で、公共をはからないように、心がけています。「自分のことを棚にあげて、、、」と言われる場合もありますが、数字だけでなく、俯瞰的に、あらゆる見方から、社会のファクトを見るようにしています。

 

自分の人生は、幸運だったから生きてこれた、というのもありますが、面白かったので、お勧めできる部分もありますけど、、、。

そんなこんなで、結局、理系や、公共政策はやめて、公共哲学の歴史(思想史)なんかを研究するほうが楽しい、ということになりました。

 

あと、私は、研究者というよりも、何でも実際に行動してみることが多いので、どうしてもバタバタと動いています。止まったら死ぬマグロとか言われたこともありました。

人と一緒にいることが多く、TVやネットを見ることが、あまりありません。

また昔から、流行りものには、うといところがあって、「ガンダム世代、ドラクエ世代でしょ?」とか、言われるのですが、これらのことを、まったく知りません。ドラマもリアルタイムでは、ほぼみたことがなかったので世代的に同じでも話題についていけません。

あと趣味は多かったのですが、みんながやってることを、あまりやっていないということもあります(例えば、子供のころは、地元ではみんな野球をしていましたが、私はサッカーやバスケットボールがやりたくて、クラスメートをむりやりひきこんでやったりしました。今の子供はサッカーをするのが普通になりましたがさきがけでした。それに、大きくなってからも、マージャンは出来ませんし、競馬、競輪、パチンコなども、一回もやったことはありません。笹川良一先生を尊敬していましたが競艇の船券を買ったこともありません。

 

でも、このコロナ禍で、サブスクで、少し昔にヒットしたドラマを見て、「面白いもんなんだなぁ、、、」と今更思ったくらいです。

 

幼少時、マンガやアニメ、それに刑事ドラマとかは大好きだったのですが、小2くらいで、はやくも卒業しました。実は、幼児期から、あっという間に漢字が読めるようになったので、既に保育園から推理小説にはまっており、祖父と政治の話をして、小学生に入った頃から洋楽ロックにハマり、父の文学全集とかも読破するぞと試みて色んな純文学を読了しました。要するに単純に「マセガキ」だったのです。

小学校では、一部の友達からは「物知り館」のあだ名をつけてもらったことはあり、クラスメートから「先生の話」が本当かどうか、私に確認に来る、というようなことが、よくあったくらいです。性についても詳しく、「夏にセミがミンミンなくのはセックスさせてくれって言ってるんだよ」と説明して、女子から変態扱いをされたこともあります。

まぁ大多数からは、変わり者の変な奴、と思われていたでしょう。小学校の同級生からは「谷本って変な奴やわ」と思われてましたが、大人になって再会したら、「確かに変わっているけど、案外まともだったのね」と理解してくれたこともありました。

 

でもTVは、「わかりやすい」のが大流行です。でも同じような話題と、地上波はやたら「食」の番組が多いので、どうしても見なくなってしまいますね。性的欲求への刺激に訴える番組は作れないから、大衆の食欲に訴えようとしているのでしょうが、一瞬は人の心を惹きつけることはできるでしょうが、私はどうしても興味がわきません。

「ひな壇芸人」の番組も、もう一つですね。天才のMCさんが、まわしていて、面白いものもありますが、基本的には、この芸人さんたちは、ひな壇でひとこと面白いことを言うよりも、新宿とかの劇場に生で見に行って、漫才やコントなどのネタを見るほうが、はるかに面白いです。

私には「わかりやすい」番組の作り方は逆に苦手で、「わかりにくい」くらい詳しいほうが、色々探求心をついてくるので、興味がわきます。

 

あとネットは、「勝手にAIを活用して、おすすめをだしてくるので、蛸壺的になることが多い」と良く言われますが、それ以上に、あまりにも二次・三次情報が多すぎて、それなら古典の本を読んだほうが、よほど面白いです。

古典というのは古くから残っているというだけでも、値打ちがあるということです。

ネットを見るならば、昔好きだった音楽・映画を見るくらいですね。

昔はスポーツも好きだったのですが、自分がやらなくなったら、観戦もしなくなりました。

しかも私がやっていたのは、(子供の頃は喧嘩が好物だったので)格闘技とか、子供のころに選手だった水泳、すぐにやめることになった陸上競技、少しだけかじったことのあるモータースポーツ、それにシーズンリゾートとしてやっていたマリンスポーツとかスキー/スノボくらいです。だから、もちろん一流の人の観戦も悪くはないのですが、どちらかというと人がやっているのを見るよりも、やる方が面白いんですよね。

 

それから、最近、スピ系の変わった本が多くなっていますね。

まぁ、これは、元はインターネットの影響でしょうね。陰謀論とかと同じです。

対面が減って、同調圧力がないので、私も含めて、みながみな、好き勝手なことを言ってます、

読書好きの私からすると、スピ系の本は、いわゆるニューソートの流れを組んでいるものが多く、いわゆる「引き寄せ」の啓発系や、量子力学の基礎を用いて「パラレルワールド」の話だとか、目新しいもではないのですが、昔に比べて急に浸透してたと思います。

 

とはいえ、私も、世界連邦日本国会委員会というのをやっていますが、世界連邦には日本宗教委員会というのもあって、神道仏教キリスト教イスラム教など超宗派ですが、神道だけをとっても神社本庁から、おおもとさんをはじめ超宗派の宗教指導者の方々と交流があるので、スピ系もアレルギーはなく、結構宗教は好きです。

思想史としての西洋と東洋文化の融合も面白いです。

それに若者文化の歴史なども、好きなので、若者の左右両方の運動、ヒッピー文化とか。特に史上最高のポップスターのビートルズが、リシュケシュへ行って、マハリシに影響をうけ(のちに喧嘩したり、和解したり、、、)したことも良く調べました。超越瞑想、ヒッピートレイル(カトマンズまでの旅)などの本も良く読みました。子供の時、のちに反社会勢力となったオウム神仙の会(真理教)が出てきた時、すぐに連想したのも実はビートルズ(アクロスザユニバースという歌とか、、、。グルを称えるマントラ=ジャイ・グル・デバ、、、オーム、、、=宇宙の根本の波動の音/言葉のフレーズです)です。

世界連邦の先輩が日本にダライラマ猊下を呼ばれた時には、猊下にご挨拶をさせていただきましたが、そのとき「あなた(私)は、すべてうまくいくよ」と言われたときは、とても感動しました。それに私は「宮さん系」の親戚がいたりもするので、神道も子供のころから身近でした。祖母の姉は女性でしたので、神主というより、「カムヌシ」と呼んでいて、サニワさんと「鎮魂帰神」術を駆使する古神道の流れを汲み、この方も、やんどとなき血筋だったのですがですが、女性だったこともあってか、あえて神職のエリートではなく、笠置の山にずっと籠って、山中のほこらで、神を祭り、毎日祈り続けられてました。

占いではないので変な話ですが考えてることから未来の事実までやたら当たるので怖い存在でした、家業も〇年後から先はないと告げられと実際その年に破たんしました、この人は自分自身で、帰天する時期を2年も前から宣言して、そのとおりの日にさよならしました。「〇年度の春の彼岸明けににさよならだね」といっておられ、やはりその時なくなりました。

そんな方が、母に、お見合いで父と一緒になるとき、この人となら「世界をもっていく男の子が一人だけうまれる、二人はないが、良い」といわれたのが、なんとこの僕なんですね、、、。まだ実現してませんが、、、(涙)、これからですよ!。

実際母は、好きでもないお見合い相手と、子供がそんなに出世するならと、結婚したそうですが、長男の私を生んですぐ子宮筋腫で子宮を全摘しているので、予想どおり一人っ子です。
それに、ソクラテス以降の「科学ではわからないことだらけ」ということが、本当にそうだとういうことを、逆に科学的に証明されはじめて、カントの「理性の世界」の範囲も、どこまでか、わからなくなってきています。不可知、つまり、どうせわかんない。でも、だからと言って「外す」のではなく、とりあえず「信じておく」方が、少なくとも幸福だろうと思っています。

 

ただ、こういった本には、なんでも好きなことが書いてありますが、玉石混交ですね。でも物語としてはとても楽しいです。インド哲学やヒンズー教・仏教の影響も交じって、覚醒(さとり)したり、チャクラが開いて、次元上昇(アセンション)し、宇宙との交流しているなどと、私にはまだ、理解できていないものもあったりします。

あと歴史的に、すでに断絶したものも「実は秘密で継承されている」といわれたり、「偽書」と言われている本が、再び脚光をあびたりもしているので、「本当なの?」と思ったりはしています。

個人的には、アセンションよりも、むしろコロナ禍で次元下降するのでは、、、と思っています(どんどんバーチャルになって二次元化していますからね)。実は、情報化社会がすすむから、そうなるのではと、昔から言ってたんですよね。

 

そういう意味でいうと、私はもう少し勉強しないと、まだ理解ができていないものも多いです。

 

ただスピ系は原則的に、「現代文明」「物質文明」を否定しているものが多いです。「何も持たない」のが幸福、とか言う人も増えてきています。

でも、お釈迦様も、スジャータのように供養や喜捨をしてくれる人がいるから、成り立つのであって、世界中全員が釈迦仏陀だったら、この世は逆に「それこそ殺生の弱肉強食」の野生にならざるを得ません。

ビートルズの歌「ザ・コンティニューイング・ストーリー・オブ・バンガロー・ビル」の「矛盾」です。

 

仏がいう、色即是空、無増無減というのはわかります。すべて物質は素粒子の波動だから、世は空であり、変動していくものであるし、増えたり減ったりもしない、、、というのはそのとおりだと思います。そう考えると波動の差はあれども、道元のいう虫けらも落ち葉も、全て仏性というのも腑に落ちます。

 

ただし、生態系がある以上、個の命の取り合いをしないといけないのは、仕方ないのでは?と思っています。そのなかで、長い年月をかけて、飢餓や自然の驚異に苦しんできた人類が、移動をしながら、一生懸命働いて文明を作って、生態系のトップに立って、せっかく豊かにしたのに、これを全否定とは残念です。これは豊かさの裏返しなのかなぁ、、、。

 

ちなみに、SDGsも、合意に達するまで、私も運動に参加していたので、今どんどん流行ってきて嬉しいのですが、「サスティナビリティ」の部分ばかり強調されていますが、あれはあくまでも「ポストMDGs」、つまり「デベロップメント(開発)」の目標なんです。

むりやり「アジェンダ2030」に、リオプロセスの環境問題をゴリ押しで多く入れたので、それが目立ってしまうというのは仕方ないですが、元々は世界が「物質的に豊かになるためのもの」であることを、忘れてはいけません。

世界では、断捨離どころか、まだ食べていけない人も、燃料がなくて凍死する人も沢山います。生まれてすぐ死ぬ子供もまだまだ多いです。

いまだに紛争で殺し合いをしているのですから、世界では「戦後」とはいえないのです。

食べていくことさえできないのだから、ちゃんとした教育や保健にはアクセスもできていません。人権侵害も、まだまだ残っています。

こういう、経済や文化の格差がなくなってはじめて、多様性、寛容性とかの話題ができるのです。

そのうえで、ようやく世界連邦につなげられるのです。SDGsは世界連邦の地ならしだと思っています。

だから、まだしばらくは、無理なのかなぁ。

 

私自身も、まだ物を所有することに執着もあります。

 

というのは、昔はあらゆる物を集めていましたが、鎌倉の家を処分するときに、「断捨離ブーム」に乗っかって、ほとんどの物を捨ててしまいました。だから私は買いたい物をコレクションして物にあふれた生活と、ミニマリスト、両方の体験者ですが、やはりまだ行き来をしていて迷っています。これも程度問題なんでしょうね。

 

商売でうまくいってないとき、(逆に「見えを張って信用を失うな」という考えもありますが、道徳的に見て、人に迷惑をかける可能性もあるので)生活を最小限にしようとしたこともあります。モットーは質素倹約・質実剛健です。それで断捨離をしてみました。

 

まず「物欲」を捨てないといけないので、ブランド好みはもちろん、人と比べてうらやんだりしなければいけないです。、つまり常識も捨てなければなりません。でも「物欲」は意外と簡単に断ち切れるのです。何か欲しいと思った時少し我慢する。そうすると実際その物欲は忘れるんです。そうしていくと実は、ほとんど生活費も、かからないんですよ。

実際は、幸い色々な人が助けてくれたし、やりたいことも多くて多忙になったので、ここまでのことを実行したことはないのですが、どれだけ最低限で生活できるのかをシミュレーションをしたことはあります。

さがせば、東京で働くにしても、ぼろアパートなら月2~3万で雨風をしのげる部屋は借りれます。地下鉄はありとあらゆるところに張り巡らせてあるので安くてどこでも行ける。仕事をするスーツや作業着だって1万円で恥ずかしくないものは揃います。昔は「安かろう、悪かろう」でしたが最近はそうではありません。安くても、まぁまぁ良いんです(※ただ、これは化学製品・大量生産・国別格差による過酷な労働条件、、、などの結果でもあり、フェアトレードなどを真剣に考えると100円のチョコが1000円になる計算ですから、安くて高品質を保つためには、もっとイノベーションが必要です、、、念の為)。スーパーや百均などでは、食材を含め、激安消費材が、まぁ沢山うってますし、ポイントもたまる。あとはスマホと回線契約だけすれば、まず社会人として最低の情報にも困りません。

あと、何と言っても素晴らしいのは図書館です。タダであらゆるコンテンツが見放題。夏は涼しく、冬はあったかい。いくらでも、暇つぶしも、勉強もできる、というものです。

もしも、扶養家族がいなくて、健康であれば、月10万円もあれば生きていける計算でした。月10万円くらいならば何歳でもバイトはあります。

なお、扶養家族がいる人や、病弱な場合は、最低限ではありますが、行政を頼って生きていくこともできます。もちろん不十分なので政治の力で頑張ってもらわないといけないですが。


そして、つとめ人ならば(会社を売却した時の条件で、私もサラリーマン社長を経験したことがありました)、ひたすら仕事をしていると、会社の財産に囲まれて、生きていけるので、ほぼ支出がありません。私などは、旅暮らしの仕事なので、交通費はもちろん、パワーランチなど打ち合わせを入れまくったら食費に至るまでタダです。仕事をしていて文句を言う人はいません。しかもお金も貰える。

 

私は、いろんな仕事をしましたが、どの仕事も大好きです。これは本当に幸福なことだと思います。

 

「ミュージシャンとか、起業家とか、国連を強化する運動だから、やりがいがあって、楽しいんだろ」と思うかも知れませんが、中学生くらいから色々働いてきて、テキヤでかき氷を売ったり、知人の手伝いで季節ものの夜間バイトでクリスマスケーキ製造をしたり、社長になってからも、失敗してからは、ITとかええカッコではなく、社長が率先垂範をして携帯ショップのキャンペーンでは売り場にも立ったりしましたし、金融会社の各地のティッシュ配りの下請けの営業とかもやりましたよ。ティッシュ配りなんて、早番(出勤する方に配る)の準備は朝6時からだし、遅番(帰宅する方に配る)が終わって、回収して倉庫へ運んで、集計していたら午前様です。休みの日はキャンペーンの稼ぎ時です。文字通り寝る間なんてないですわ。

 

でも、どの仕事も全然楽しかったです。

皆が遊んでいる時に、働くのは、「主体・客体」でいうと「主体側」なので、寧ろ嬉しかったのです。

 

ただし私のように自営業の場合は、仕事をすればするほど、お金がかかります。このことは忘れてはいけません。

下りのエレベーターにのっているのと同じで、その速度以上にかけあがる(つまり儲けを出す)ことをしなければ、奈落の底ですから、気をつけてください。

 

それと幸福に生きるには、ある程度健康ならば、パートナー(恋人や配偶者)がいた方がいいですね。最近の若者は草食系だから「色恋沙汰」は、昔と違って激減しているようですが(今の日本の環境では生物学上普通のことのようですね)。ただ、お金などの条件は関係ないです。お金も「一人口は食えないが、二人口は食える」と昔の人は言ったそうですが、実際一緒にいて、助け合えば、なんとかなるもんです。まぁ私は仕事ばっかりして、家族には迷惑しかかけてないので、あんまり偉そうなことは言えませんが。それと、そもそもパートナーが見つけられないという人もいるそうですが、ある程度、清潔にしていて、人見知りさえしなければ、パートナーには困りません。パートナーに困っている人は、人見知りなだけです。まぁ、これを直すのが難しいのだそうですけど。まずは、ちょっといいと思った人に「好き」と告白しまくっていたら、振られることもあるでしょうが、誰かは振り向いてくれますよ。そしてその相手を「自分好みにする」のは、むしろ付き合ってからの自分の器量だと思っています。若いころ、私の一番の自慢は、モテたことや、相手した人数とかではなく、「俺と付き合ったら綺麗になる」ということでした。もともとパートナーは全く違う環境で生きてきた人ですから、お互い相手に合わせていく努力をしないといけないものですからね。恋愛というのは不思議なもので、むかし「貴方(俺のこと)の都合の良い女になるのは嫌!」とか、いっつも言われてました。でも「そんなに俺にとって都合の悪い人になりたいの?都合が悪い人より、都合が良い方が、ええやん!」と思って、そう言えば結構納得してくれました。

でも、そもそも「好き」と告白できない人も多いそうですが、私は「あなたが嫌い」とは言い辛い、というのなら、わかりますが、なぜ「好き」という肯定的なことを言えないのかは、本当に理解できないですわ。昔話ですが、恋愛では告白の直球のみで駆け引きとかはやったことないですが、それでもパートナーに困ったことなんて一度もなかったですよ。

 

それと前にも書きましたが、幸福に生きるには、夢を持つことは大事です。ただし、時間軸を分けた方が良い。短期、中期、長期です。

①まず長期目標、人生目標です(私などは世界を平和にするとかです)。人生をかけた長期の夢。これは漠然としたものです。生きるベクトルです。具体的でなくても良い。具体的に「政治家になる」とかにすると視野が狭くなる。しかも死ぬときに、最終的に実現できていなくても「少しでも、ここまではやった」と実感できれば、満足できます。

②次に中期目標ですね。ここ数年で何かを成し遂げようということです。起業家なら上場をめざすとか、政治運動家ならこういう政策を実現するとか。サラリーマンなら会社の成績をどのくらいまでにするとか。ですね。

③短期目標は、今すぐにやることにつなげるべきです。今年、今月、今日などの直近の目標を決め、そこから逆算して、今から何をするかです。このプロジェクトを成功させるとか、〇Kgダイエットするとか、試験で〇点とるかとかです。

そして優先順位をつけて一つ一つ行動することです。ただ、これは長期目標にベクトルさえ向いていれば、失敗しても、次々ローリングしていけばいいと思っています。

ただ、これに「まず行動」ということが大事なので、できるだけ取り掛かるのにハードルを下げても良いです。モチベーションが高いときはやる気になりますが、低いと出来ないというのでは困ります。歯磨きのように、自動的に習慣化が出来ると良いですね。

私は、シャワーで切り替えました。シャワーを浴びた瞬間、脳内が仕事モードに入るように自動化していました。

起業家時代は、私は深夜0時ごろまで仕事をして、仮眠を取って、朝四時には起きていましたから、かなりの寝不足ですが、とりあえずベッドから這い出してシャワーを浴びて歯を磨くと、目が覚めます。

それと脳への報酬を決めておきます。シャワーを浴びてからでないと、「いくら喉が渇いていてもコーヒーを飲まない」とかですね。
そうすると嫌でもまずシャワーを浴びます。そうしてスッキリすると、いきなり脳が、勝手に仕事モードに切り替わります。そして暗いうちから外へ出て、スケジュール調整や、経営計画に頭が切り替わります。

 

この長期、中期、短期目標というのは、、、、

例えていえば、長期目標が「東京」から「関西へ向かう」という漠然とした目標を決めるのです。短期目標は、とりあえず歩き出すことです。あせらなくてもいい。あるいていれば、途中で自動車に乗せてくれる人がいるかもしれない、でもその自転車が故障するかもしれない。でも自動車が壊れたら、次は駅からもっと速い電車に乗れるかもしれない。・・・でもその電車が反対方向へ走っているかもしれない、でもそれに気づけばは降りて、乗り換えれば良い。ただ西へ向かうという「ベクトル」だけを見失わなければ、「迷い子」に落とし込まれることはない。

長期目標がない人は、自動車が壊れたら、「人生終わりだ」と思ったり、「次はどうすればいいのだ?」と悩むわけです。だけど関西へ行くという漠然とした目標さえあれえば、なんでもいいから西へ向いたら良いだけなんです。

 

失敗しても、転んでも、死刑になるような取返しが着かないことさえしなければ、生きている限りやり直せます。

しかも例えば、関西までつかなくても、名古屋までついて、そこで野垂れ死んでも、「ここまでいけたかぁ」と実感できれば幸せではありませんか。

 

あと「悩み」も、人間にはつきものですが、これを克服するには「多忙」が一番です。瞑想とかが出来る超人は別ですが、普通は「ぼーっとすると」悩みはじめます。

そのため、もし隙間時間や暇な時があれば「〇〇をする」というのを、あらかじめ決めておくのです。

私などは昔は、「数式を解く」とか「哲学書を読む」とか「事業計画書を書く」とか、わけわからんことでしたが、普通の人でも「好きな音楽をイヤホンで爆音で聞く」英単語を覚える」とかでもいいのです。暇は悩みの始まりですから、これは避けましょう。ただし学生や社会人の場合、とりとめがないと。仕事ができませんから、スケジュールを決めて、切り上げるタイミングも決めておくことも必要です。

 

まぁ私は、仕事が好きだったので、働きまくってますが、必ずしもそれが正解ではありません。

人には向き不向きというのもあって、仕事をしたくないのに無理して働くと心や体を壊します。

その人、その人の、良い具合で、生きていくのが大事なんです。

 

だから、そういう「ハードワーク」が向いていない人には、ホワイトな職場も沢山ありますから、バランスよく働いて暮らすという生き方を、お勧めします。成功者を目指すというわけにはいかないかもしれませんが、質素に暮らせば、そのほうが絶対に幸福です。

 

10代なかばの頃、友人がバイトをしていたガソリンスタンドの夜勤のアルバイトをしたことがあります。この仕事は楽でしたよ。たまにしかお客様の車は来ないし、責任者がいないという理由で、原則その場でのオイル交換やタイヤ交換などややこしい仕事は禁止なんです。たまに来る給油と、せいぜい洗車とふき取りだけ。今は時代が違いますが、なんかそういう楽な仕事も今でもあるでしょう。

 

ただし、仕事が大好きな私はちょっと違ってて、そもそもまだ高校生で、すでにイベントのオーガナイザーなどの仕事もしつつ、さらに夜寝るというのが惜しくて、これをやったんです。しかも本来は何もしなくても良い夜間のアルバイトなのに、本社が売上向上を目指していたので、自分で勝手に、出勤前にそのガソリンスタンドと契約していない周辺の会社を地図で塗りつぶして、訪ね歩き車検・オイル交換・タイヤ交換の法人契約を取りまくり、入店数か月のバイトの分際で、その店はもちろん、エリアNo.1の営業成績になってしまいました。店内に成績を張り出していた棒グラフは今思い出しても嬉しくなります。特に暴排条例前だったので、怖い系の事務所(お酒ではない方のノミ屋さん)では、多くの高級車を抱えており、めっちゃ売上があがりました。

しかも当時、まだオイル交換をしなくても良いタイミングなのに「する時期です」とか言って、ステッカーだけ張り替えて、実際にはオイルは交換していないという「不正」が横行していました。そんな時代でした。でも高校生ながら、一人で本社に乗り込んで、社長に直訴して、こういう悪弊を完全撤廃させました。それが本社から、大口得意先にも伝わり、顧客の信用を得ました。

そんな感じだったので、怖い系の人の車を、別の店員が洗車をしたときに、灰皿を交換をしていなかったというので、いちゃもんをつけていた時も、私が呼び出され、その怖い系の人に会ってなだめました。すると「たにもっちゃん、おらんかったら、あかんのう(笑)」と落ち着いて、かえってくれました。

 

まぁ、これはただの「自慢」に見えるかもしれませんが、こういうタイプなら「起業家」に向いている、ということが良いたいんです。

でも、そういうタイプでないなら、起業家とかはやめておいた方がいいです。普通なら、なるべくホワイトなところで働くのが良いと思っています。これを伝えたかったんです。

 

 

まぁこうして「断捨離」も経験した私ですが、それでも今になって、あれは残しておけば良かったなぁ、、、なんて思うことが、よくあります。

例えば、レコードとか、、、。

使わせてもらっている、ある会員制のサロンに、良いプレイヤーとスピーカーなんかがあったりすると、かけてみたくなります。

でも、全部捨てちゃった。

 

なぜなら、服だって、ドレスコードがあるときのために、一着だけソフトカジュアルタイプの略礼服だけを残して、「モーニング」や「タキシード」などのフォーマルウェアは、みんな捨てちゃったので、たまに「やんごとなき方」らと、正式参拝や晩餐会をするときなどは、レンタルをしないといけない、、、なんてこともありました。昔は自前というと、「若いのに、ちゃんと正装をお持ちでいらっしゃるのね、、、」と褒められたのに、、、。

また、海に行こう!となったときでも、良いサーフボードもあったのに、捨てちゃったので、やっぱりどっかで安物を高い値段でレンタルしないといけなかったり。

長年触ってないので、ギターを演奏してみたいなぁ、と思っても、全部捨てて、ないので弾けないですしね。リッケンバッカ―からビンテージのストラトまでいっぱいもってたのになぁ。

靴や時計を買うたんびに、昔は沢山もってたから、捨てなければよかったと、思ってしまいます。

ただ、当時、ゴミのようなコレクションもたくさんあって、捨てるものと、残すものを、わけようと選んだり、考えだしたら、なにも捨てられなくなるので、何も考えずに、えいやっと、高級品も含めて、全て捨ててしまったのですよね。

ちゃんと選んで「売れば」よかった、、、。

 

もちろん、かくいう私も、シンプルな生き方が幸福ということが、わかないわけではありません。

 

ちょっと話はズレますが、私は昔、チワワを飼っていました。かわいいやつでした。

リビングのとなりにコネクティングしていて、あけっぱなしにできる、このチワワちゃん専用の部屋がありました。それは、このチワワは毛がよく抜けるので、あちこちゴミだらけになるため、部屋から出ないように躾をしていたのですが、私が見ていないときは、その部屋から出て、家じゅうを、うろうろしていたようです。家じゅう、毛だらけになっているので、バレバレです。

でも、私が見ている時は、いい子にしていて、部屋からは出ないようにするという、ズルいところがあって、これもまた可愛いかったですね。

私が、リビングにいたときに、部屋から、遊んでいたボールが出てしまって、「取りに行きたいけど、いけない、、、」とオドオドしていました。かわいそうなので、私がちょっと隠れてあげると、トコトコと平気で部屋から出て、ボールをとりに行きました。

結構、賢いなぁ、と思いました。

 

でも基本は、このチワワちゃんは、起きて、ごはんを食べて、うんこをして、自分の妻だと思っているチワワのぬいぐるみに抱きついて腰をふって、寝る。そして翌朝、また起きて、ごはんを食べて、、、という繰り返しです。

たまにドッグランに行ったり外で遊ぶというのが唯一の楽しみです。

 

人懐っこくて、人気者だったので、旅暮らしの時は、元々預かってくれる人が、とても多かったんです。そうしているうちに家族が出来て、アレルギー体質の子ができました。ちょうど預かって下さった方のなかで、どうしてもこのチワワちゃんを返したくなくて「欲しい欲しい」という方いらっしゃったので養子に出して、十五年ほどの天寿を全うさせて、いただきました。

 

この犬を見ていると、毎日毎日、同じことをしていただけの人生(犬生)でした。

結局は、犬も人間もおんなじ動物なのだから、食べて、寝て、トイレに行って、セックスをして、、たまに遊んで、そして死ぬ。

そんだけのことなんだなぁ、、、と思いました。

 

「人生なんてシンプルなもんだ」と思いました。

 

人間は「万物の霊長」ということで、少し「想像力」が豊かだったため、社会や文化を作ってしまったので、所有欲や義務が増えてしまい、かえって悩みも多くなりました。飢餓がなくなった代わりに、苦労もできちゃったんですね。

 

 

だから、これからは、お金をどかっと使って、プログラムを作り、機械に働かせて、人間が食べていけるようになれば、「シンプルな生き方」も良いのではと思っています。

 

そのために、色々な産業機械システムなどを創造した「支配する側の人」と、それの恩恵を享受して遊んで暮らす「被支配者側の人」、という「二極化」は進むのかもしれません。

 

今は専制主義の国も多いですが、結局のところ世界は民主主義になっていくでしょう。

そして選挙で選ばれた「人気者」が神格化され、政策計画の策定や労働実務は全て「機械」がやって、この神格化された支配者は、少数のスタッフにこの機械の管理をさせているだけでよく、あとのほとんどの大衆は「幸福に好きなことをして暮らす、、、」ということになると思います。

 

こんなことをしていたら大衆は、衰退しそうに見えますが、これは教育や医療・体育などの厚生行政がある程度まともに機能すれば、進化こそすれ、遺伝子的には急に退化はしないでしょうしね。

「支配される」っていっても、労働者階級でも、今や子供が微積や関数まで教えられる時代です。スポーツの記録もどんどん更新されます。

わずか数百年で、遺伝子は変わらずとも、技術だけで、すごい進化をしてますから。だから大衆も好きなことをやっていても進化していくのです。

 

こういう感じが、ポストSDGsの未来像ですね。

こういう感じになったなら、断捨離をしたり、次元上昇したりしても、良いかも知れませんね。

 

ただ、支配者は良い人(哲人王)で一人だったら平和ですが、二人以上になったらスターリン・ヒトラーの戦いみたいに闘争本能が暴走をするような最悪なことになるので、注意しないといけないでしょうが、、、。

 

私個人の考えは、色々言ってはいても、「究極」は、何でもよくて、地球に隕石でも当たったら、自分が人類の歴史に名を残そうが、どんな文明を作ろうが、「一貫の終わり」なわけです。それまでの話です。

 

だから前にも書いたように、人間は宇宙・三千大世界からしたらケシつぶのような存在です。いつ絶滅するかもわかりません。

でも、とりあえず今ここで生きている限り、「自我」は確実にあり、痛みもあり、大切な人を失ったりするととても悲しいという感情が個別にあることは事実です(実際私の昔の師がもうダメ?という噂が入り、夢にも出てきましたが、大丈夫と信じてますが本当なら悲しいです)。スピ系の人がいうように、いくら魂レベルでは宇宙全部繋がっていて「ワンネス」とか言ったって、(素粒子レベルではそれも真理なのでしょうが)現実には、例えば誰かが怪我をしたら痛いのはその人だけで、その他の人は痛くない。「認識しなければ無いのと同じ」という理屈もあるので、これは神経系をはじめ器官が違う生命体と、宇宙全体がワンネスというのは、物理上繋がっていても、「食うものと食われるもの」や「痛み」「幸福」を一致させるのは難しいですね。

 

だから、やっぱり「個」というのも、大きいのです。

 

まぁたしかに、「仏」くらい、無上覚まで悟れたら、痛みなどは、他の苦しみ同様、捨てられるでしょう。

心頭滅却すれば火もまた涼しです。ティッククアンドックって僧侶をしっておられますか。ベトナム戦争前夜、南ベトナムでゴディンジェム政権を批判するためカンボジア大使館前で焼身視察をした事件です。しかし何が凄いって身体が、炎の風で少し前後に身体は揺れたものの、ぼろぼろと肉が焼け落ちるまで、蓮華座(座禅を組んで)じっと瞑想されていたことです。普通の戦場などで皮膚に火がついて、煙(一酸化炭素)以上に、炎を上げて燃え上がると、皮膚のあまりの熱さ(ぜっきょうと、激痛で、七転八倒されます。やはり仏まで行ってなくても修行をつんだ菩薩は、本当に心頭・・・つまり心や神経頭脳を霊魂からきりはなして滅却されていたのでしょう。

悟りの境地・三昧の域に達せられた方は違いますね。

 

 

 

ケシ粒だろうが何だろうが、みんなが痛みがなく、幸福に生きていければいいですね。

 

今は、その過渡期です。さっきの好きなことをやって生きていくのだって、ちょうど、YoutuberやInstagramerのように、「遊んでいる」のを見せたりしているだけで、商売ができるようになりそうなのですが、、、。ただ、やっぱりまだ過渡期なので、本当に遊んで食えている人は、まだほとんどいなくて、メディアや芸能プロのサポートもないし、実際には芸を極めたプロの芸人と同様に大変な仕事だろうと思います。

これは、昔のマルチまがい商法なんかで、「働かなくても儲かるよ!」と、必死で営業トークをしている人みたいです。

「働かなくても、、、」っていいながら「今めっちゃ営業活動してるやん!それならサラリーマンになって営業やったほうが色々守られてええやん!」と思っていましたし、投資家とかも「お金に働かせる」といいながら、一日中変動を気にして画面を見続けている人とかもいて、なかなか遊んで食べてはいけないですね。

 

私は、そんな経験をして、逆にいち早くネットの世界からいなくなりました。

まぁこのブログも、広めようとはしていません。

たまたま団体で作って、放置されていたので、思いついたことを、どっかに書きたくなるため、書きなぐっているという、独りよがりな行為にすぎません。

 

自分の大学の授業でも「これからは、武力の時代、金融の時代を経て、文化の時代になっていく」と講義で言いましたが、、、

これは「ソフトパワーの概念」を説明しただけであって、現実では少しまだの話です。

 

実際には、人類が生きていくための「政治経済」は機械に任せて、文化の世界で「遊んで、好きなことをして、幸福に暮らす」という社会になるには、もうちょっと時間がかかるでしょう。

 

それまでは、ふらふらと世界連邦運動をしていきますわ。

 

 

※ダライラマ法王猊下とご挨拶とお話を賜ったときです。一対一でお話したわけではなく、世界連邦関係者が外部秘で招聘された時で、、

お近くで話せたのは、ほんの少しですが、「あなたは全てうまくいく」と話していただき、感動しました。

※自分で、ご尊顔を写したので、2ショットではありませんが、

 

 

※うちの、今は亡き、チワワ(本名:タニモト・ココ)ちゃん。「人生はシンプルだ」という生き様を教えてくれました。

 

世界連邦

谷本真邦

令和3年12月22日の冬至です。長らくブログを書いていなかったうえに、政局が動き、何回か書いてみました。

しかも世界連邦や仕事の具体的なことは書かず、どちらかというと、思いついたことを日記的に書いていたので、文章がとっちらかっているのはすみません。癖になったので、また書こうと思います。しかも今回は具体的なこともまぜてみます。その第二弾です。

 

私は「ポジティブなホームレス」を売りにしていましたが、

今年もコロナ禍が続いたので、海外出張も減ってほとんど日本、特に関東か関西にいました。こんなに海外に出ない年は少ないです。

また海外からのゲストを迎えることが少なくなりました。コロナ禍前の2019年には、大阪G20、今上天皇陛下の即位の礼などの大きな外交行事、それに最近はWAW!だのTICADだの、いろいろと行事が目白押しであったのに、急にさびしくなりましたね。再来年のG7は対面で行っていただきたいですね。

外務省さんは、法務省さんや厚労省さんと連携して、一部要人に関しては、隔離免除措置もあるのですが、これがなかなか大変で、バブル方式といって、一般の人と接触しない、公共の交通機関を使わない、会食はない、などの制約があります。

米国のように基地があって、専用機を使われるような大国の要人は良いのですが、国連の関係者や、小国の方ではなかなか難しく、大使館が全部手配をされることもあって、日本のホテルや航空会社などの架け橋をお手伝いしたこともありました。

ある国の要人は、航空会社の協力でビジネスクラス全部を貸し切り、ホテルではワンフロアを借り切ってエレベータも専用を使うなど大変協力していただきました。国連では中満次長でさえ隔離されるという事態もありました。オリンピックでは要人接遇の担当をされた方が、現在世界連邦の担当をされているので、少しお話を聞きましたが、さぞ大変だったであろうことが想像できました。

 

その中で、この年末にかけて、非常に印象に残った方が、東ティモールのグスマン初代大統領の来日でした。これは私の上司筋の一人である長谷川祐弘元国連事務総長特別代表が東ティモールの独立以降の民主化など建国や国造りを助けたので、以前からリモートなどで会合に参加していただいたことはありましたが、直接お会いするのは初でした。

このグスマン氏は、現大統領ではないので、国賓・公賓などではないのですが、「独立の父」として、同国では今でも非常に影響力を持っている方です。

東ティモールは、ポルトガル支配から独立闘争に勝利したにも関わらず、インドネシア侵攻と支配があり、この間もグスマン氏は、独立闘争を数十年に渡って継続、二十数年にわたりジャングルに籠ってゲリラ活動をしたのち、インドネシアの軍事作戦に敗北、拘束され終身刑となりました。しかし、この間も同じく終身刑から大統領になったマンデラなどの支援もうけ、刑務所内からも闘争を続けたといいます。

そののち、インドネシア二代大統領で開発独裁のシンボルでもあったスハルト大統領が政変で倒れたのち、国民投票を経て東ティモールは独立。グスマン氏は初代大統領に就任しました。それ以降も、オーストラリア軍の駐留や国境紛争などの困難を越えて政治をされました。

しかもオーストラリアとは諜報活動の問題が発覚し、国際司法裁判所・仲裁委員会など、国際法による国境問題解決に力を尽くしました。

 

こういう人と直に接すると、とてもオーラを感じます。「不屈」というのは、こういう人のことだなぁと思います。

今どき戦国大名のような生き方をしてきた人に会うのはレアです。

もちろん厳しい人なのでしょうが、その波乱の人生に似合わないユーモラスなところもあって、人間力の強さ大きさを感じます。こんな人とご縁を持つと、人間「死ぬまで諦めてはダメだなぁ」と思います。

 

このような方ですので、小生が客員教授をしている大学で、上司の副学長に依頼して、同大学にはこれまでなかった制度である「名誉博士」を、名誉学位規程の原文をあらたに書いて、理事会を通して頂き、授与させていただきました。

 

グスマン大統領はNHKの取材で、「誰(どの国)とも同盟を組まず、誰をも敵とせず、皆が友人である」と、語っておられたのが印象的でした。

 

ただ、武装闘争に生きた人でもありますが、独立後の民主化、国境線を決めるには、国連や、国際法による「法の支配」も重要な役割を果たしたのは事実です。だから世界連邦国会委員会にもおいでいただき、各党の代表とお会いしていただきました。

もちろん我が国とは、前提条件は全然違いますが、近隣諸国と問題が国には、参考になるかなと思いました。

 

 

最近、私も慎重になって、理想を追求せず、出来る範囲で、ものごとをやったり考えたりしてしまう傾向があります。いろいろお話させていただき理想を追い求めるべきだなぁと、本当にエネルギーを貰いました。

 

 

エネルギーを貰った人でいうと、これは外国の人ではないのですが、人材派遣のパソナの南部代表には圧倒されました。

パソナさんは、淡路島に本社を移転されたので、先日ご招待していただきました。役員の方に一日かけて設備を紹介していただき、創業者の南部さんと、その息子さんもご一緒に、お食事をご一緒させていただきました。

国連70周年記念を京都でやった時以来一年ぶりの再会でした。

 

パソナさんは、竹中平蔵先生が会長をされている関係なのか、良く批判されていますね。

でも、とてもすごい会社です。パソナの南部代表は、日本を代表する著名なベンチャー起業家です。

 

それと、竹中先生については、(以前も書きましたが)普通の学界を通ってこなかった方です。

一橋の学部卒で、銀行員から大蔵省研究所で研究したものが認められ、母校ではなく政府に強い影響力を持つ大阪大学の先生に認められ、「乙論」=博士過程ではな「論文」博士号を取得して、学者になられ、さらに、いきなり大臣になられました。

私は優秀な人がこうやって慣例関係なく出世されるのは良いことだと思っています。

小泉政権下で、郵政民営化という巨大郵政利権を持つ方々からは大変な反対にあいつつ、実行されていたので、やたら批判されるようになったのだと思います。私自身は、竹中先生はそんな批判されるようなことはされてないと思います。

 

小泉総理も、冗談がお好きで、基本はなんでも部下に「任せる!」と、仰るタイプでしたが、拉致問題と郵政民政化だけは命がけで断行しようとされてました。それに、中心的に尽くされたのが、拉致問題では安部総理、郵政民営化では竹中先生です。

 

ちなみに、竹中先生といえば、中央区の「ウォーターフロント」の「タワマン」のイメージですね。オリパラもあったので、東京ではウォーターフロントのタワマンが大流行りです。私は中央区や江東区のタワマンに住んだことはないのですが、上京したてのころは、私も赤坂や、竣工直後の六本木ヒルズ、お台場のタワマンに住んだこともありました。

ただ、タワマンだけでなく、一戸建て別邸もあり、使い分けをするのが良い感じでした。私は元々日本では「湘南」などリゾートに別荘が欲しかったのです。湘南なら「披露山」もよかったのですが、ここはビバリーヒルズ・ベルエアー風のところです。それなら本当に海外の別荘の方が価格的にも割安です。そこで日本の別荘なら、昔からある古典的な地区の「葉山」「鎌倉」あたりがいいなぁと思って、「鎌倉山」を選びました。鎌倉山は、庭付一戸建のみで、景観を壊す開発に反対する住民の結束が強く、マンションどころか湘南モノレールの駅も作れなかったほどです。そのためハマると大変居心地よかったです。夜には意味もなく逗子・葉山・横須賀あたりまでドライブして、店歩きをしたり、早朝サーフィンをしてから仕事へ行ったり、休日には船に友人に誘ったりして喜ばれました。

別荘といえば日本でも他にも色々良い所があります。でも「箱根」は温泉なので旅館の方が良い感じでしたし、「軽井沢」などは貸してくれる方もいて手入れ不要な貸別荘で十分でした。会社の仕事で関係したこともあり福利厚生で会員制リゾートも利用しましたがこれはあまり使い勝手がよくなかったですね。また都心郊外の住宅地(田園調布、成城、目黒、落合、、、など)も良いのですが、都心の職場まで車が混むのが難点です。それなら一層リゾート地くらいまで離れる方が良いですね。

関西時代は、神戸の岡本や六甲にも住みました。京都も良いです(御所・新設の京都迎賓館は別格ですが、民間でも戦前の実業家塚本与三次が開発し豪邸造園マニアの山縣有朋についてた天才庭師小川治兵衛造園の南禅寺界隈別荘地も素敵です。曽祖父と縁のあった旧藤田邸や、社長時代に野村證券に招かれた創業者野村徳七邸碧雲荘などの当たりは、良く尋ねた所で、水流と数寄屋造りが良いんです)。でも、やはり関西で阪急沿線阪神間住宅は最高に住み心地が良いです。神戸に隣接する芦屋に六麓荘という地区があり、そこはまだ住んだ事はないのですが何人か友人がいて良く行きました。ここが私の住宅地ランキングでは日本一かなと思います。

あと私自身は、タワマンやホテル系レジデンスなど「デッカイ建物」が好きなのですが、(もちろん性差は色々なので、一概に言えませんが)私の周辺の女性は、タワマンより番町や松濤などの(元々は地主などの豪邸だった所を改装した)、低層階高級アパートを好む人が多く、若いころは選択を迷うことがありました。

家族は定住しますが、私自身は、旅暮らし。転々として暮らすか、世界を飛び回って暮らす放浪するのが好きなので、ほとんど一時的な家かホテル・サービスアパートメントです。

私は、「旅」自体も好きですが、「乗物」と「建物(不動産投資も)」も好きなので、ちょうど良いです。

 

以前、六本木ヒルズが竣工したころは、タワマンに住む人は、ほとんどが元々その辺りの地権者であった高齢者ということで、若者では、外国人と、上場させた起業家などの一部の富裕層だけだったので、まだ珍しく、友人を招いても、びっくりしてくれたので、面白かったです。

まぁ、今は立派なタワマンが、ほんとうに沢山できたので、「ファミリー向けの団地化」してますね。近い将来、「昔の郊外のニュータウン」化するかもしれません(今や廃墟になっているニュータウンも、かつてはサラリーマンファミリーにとって、憧れの生活仕様だったんです)。

しかも、デベが違うので、建物のデザインが統一していないのは仕方ないですが、都市計画もきちんとしていないため、バラバラに地上げをして、場所も飛び飛びで、ドンドン作るので、欧米のよう「数百年続く美しい都市の街並み」には、なっていないのが少し残念です。本来東京は、歴史的に見て、城下町なので整備されて美しい都市になってもおかしくないのですが、地震、大火、空襲など、壊れては新たに作られてきた、民間によるスクラップアンドビルドをしてきた街だから、まぁしようがないです。

 

竹中先生も大臣、つまり公務員でしたので(憲法での公務員とは政治家のことです、、、)、これを批判することは、権力の監視という意味で、言論は自由ですが、私が問題にしたいのは、一次情報に触れていない人が、ネットの情報を切り取って、さも知ったかのように「〇〇氏は〇〇である」とか、書き込む人や、拡散したり、これを書籍化やセミナーをしてビジネスにされる人が多いことです。最近こういう一次情報にふれない根拠のない言論人が多いことが気になります。ネット情報というものは、当たり前ですが、誰でも見られるものです。しかし一次情報に触れていない人も、なぜか「自分だけが知っている情報」のような勘違いをするのでしょうか。これはさらなる情報弱者に対して、ミスリードしてしまいますので、注意したいですね。

 

私は、よく「陰謀論」で話題に出る、国際金融資本の財閥一族の方も、米シンクタンクの幹部も良く知っていますし、「いわゆる」秘密結社と言われている社交クラブも、よく知っています。「表の」王侯貴族にも謁見させていただいたこともあります。

もちろん、政治経済で、競争をしている以上、正直言って、全部が嘘とは言えない部分があるのもあるのも事実ですが、「時代背景」、「見方」、「程度問題」で、良いとも悪いとも、どちらにも言える部分もありますし、相当歪曲されたり誇大化されたりして流されている部分も多いのも事実です。

 

ちなみに私の考えは、企業が暴走しないようにするのを規制するのが「法」で、「法」より「倫理」を上にもってくるべきという考え方が主流になりつつありますが、倫理で人を罰すると、何が善か悪かというのを、恣意的に立ち分けてしまうので、心配しています。善悪は主観によるので、倫理を持ってくると弁護士も、会計士も税理士も、判断が出来ず仕事になりません。

私の母方の祖父は裁判官出身の石油会社社長でもあったため、晩年は経営コンサルタントのはしり的存在から、学者として「経営法学的意識論=LCBA」を確立しました。関西の大学では、経営法学とういう学科を作られるまでになりました。これは哲学的なのですが、こういう学問体系を持ちつつ、倫理道徳だけではなく、ちゃんと立法につなげることが重要だと思っています。

 

さて、そのパソナさんの創業者である南部代表は、「世界連邦の同志」と私が勝手に思っている田中朋清先生と親しくされています。田中朋清先生は、世界連邦日本宗教委員会事務局長であり、私は世界連邦日本国会委員会をしている関係で、いつもお世話になっています。ご皇室とも近いやんごとなき方なのですが、とても気さくに、仲良くしていただいております。ちなみに、ご尊父は世界連邦日本宗教委員会会長で、日本の神社を統括する神社本庁総長の田中恆清先生です。

しかも別のご縁もあって、私の母方の祖父は裁判官から学士応召しビルマで陸軍将校をしていたのですが、田中朋清先生の母方の祖父も大蔵省から学士応召しビルマで陸軍将校をされていたそうで、戦後その私の祖父は高野山で私財を投じてビルマ戦死者のための法塔仏閣を建てたのですが、そこで法要をされていたのが、どうやら田中朋清先生のおじいさまだったようです。あの世から祖父同士が、孫同志に、「平和のに尽くせ」と言っているような気がしております。

 

しかし、パソナさんの「淡路島投資」、これは想像以上のものでした。

実は私は以前「短期派遣を規制」するとき、反対した提言を書いたことがあって、「反派遣主義者」と思われていたことがあります。

でも実際はそうではなく、私の問題意識は「短期派遣規制は、正社員の利権を守るためであって、そもそも労働者の権利を守るものではない。短期派遣は不安定だが、そもそも短期派遣で生計を立てることを想定すること自体がおかしく、人生のなかでそうせざるを得ない時期をなるべく減らすように、社会を改革すべき」であって、「単に短期派遣を禁止すれば、その人たちの人生計画のなかで、一時的な食い扶持がなくなるだけ」、それより「正社員と長期派遣の格差を解消すべき」という論文を書いたので、「反(長期)派遣主義者」のように思われたのです。データ、数式、公文書、判例などを使って、社会科学的に、ちゃんと書いた提言でした。

 

でも、本来は、それだけではなく、「何としてでも終身雇用を守りたいがため雇用の流動化を阻害し、クビにならないため席が空かなくて、一旦はずれたら、横入りできない社会」「出世できない夢のない非正規雇用への批判」、「男女雇用機会均等法によって、女性の正社員雇用を減らし非正規雇用を増やすなど、企業は反作用をするものだということを見据えた政策立案が必要」という提言をしていただけです。

無理やり雇用を守るよりも、クビになっても、リカレント教育でキャリアアップすれば、再就職できればいい、という社会を望んでいます。

 

実際、私自身、この提言をしたときには自社の一部には派遣会社を所有していました。

学生時代には携帯電話にネットが乗るような話が出たとき、いち早く、日雇い派遣の携帯マッチングサービスをシステムを組んだことがありました。これは後に学生企業家の先輩S氏が「F社」のコンサルをして大きくし、ここのオーナーのH氏とわかれて、自身の「S社」を設立し、さらに「Sキャスティングサービス」という会社を子会社で設立され、務めておられた商社を基軸に倉庫会社と組んで英国のフランチャイズや、大手リース会社のビルを使ってレコード会社の出資で、次々とディスコプロデュースをして成功されつつも、外されてモデル事務所を経営されていたのO氏の出資を受け、のちの「G社」が出現しました。

元々は私がプログラムを書いた、携帯アルバイトマッチングサービスが進化して出来た「モ〇イト・ドットコム」は、一世を風靡しました。(G社さんは急成長した凄い会社だったのですが、わずか数年で、店頭公開2部から一部上場、年商千億単位にまで急成長したのですが、現在は派遣と業務請負の法律のはざまで問題化してしまい倒産してしましました)。

 

実は私のところにも、Sキャスティングサービスの出資案内が来てたのですが、起業は元々は社会貢献をするために壮大な名簿ビジネスを自分でやりたかったので、他人の会社の株式を引き受けなかったのですが、ここに出資をしていれば大富豪になっていました(涙)。

まだマザーズとか孫さんがもってきたジャスダックもできていないかったのですが、店頭公開(2部)というベンチャー育成の新たな株式公開基準の方法で、一株5万(50円X1000株)が、当時では離れ業だった2分割と10分割=つまり20分割し、それで一株900万円以上の値がつきました(つまり5万円の株が1億9000万になったわけです)。なので、何千万かつっこんでいたら、売り抜けていれば、ビリオネア(1000億円単位の時価)になったということです。

このSキャスティングサービス社は、大物ディスコプロデューサーが買い取り、同氏は経団連理事や紺綬褒章を受ける大物財界人になりました。

ちょっぴり、悔しかったので、この投資案内企画書を、会社に張り出してたこともありました(まぁ株の売りには慎重な経営陣の方々でしたし、もし最後まで持っていれば、倒産して紙きれになってしまうのですが)。

 

自分自身は単にプログラムを作るのではなく、個人が繋がれるような「実体」を作りたかったのです。

今、ようやく、はやりだしたビジネスモデルを、20年はやく作りたいと思ってしまったのです。

現在は監視社会が問題になるくらい個人情報をつかめるようになりましたが、当時の私は、個人の力を信じていました。「雇用」は厳密な個人の管理が必要です。そして労働力というのは、個人の信用にもなるので、個人を管理することによって、「個人の行動や思考の管理」と、その信用をもとに「労働力ポイント」という、お金の代わりになるような、金融サービスをくっつけて、誰もが「将来の労働力」を担保にして、「不動産などの担保なし」で融通できる金融ビジネスのようにしたいと思っていました。

しかも宇宙ステーションを活用することも、かなり本気で研究しました。今でも半分冗句ですが世界連邦の大統領府は宇宙ステーションにしても良いくらいに思っています。腐敗防止にもなりますしね。

それにインターネットが携帯できるならば、単に顧客囲い込みビジネスモデルというだけではなく、個人の行動や思考の管理を、時空も超え将来の労働力などを信用をポイントにして貨幣にできて融通できるので、国家主権というものを越えて世界が繋がれる社会になれば、世界新秩序を創設できると、壮大な夢を持っていました。

 

これらは、今のSNSや、暗号資産(仮想通貨)で実現してきているモデルです。

個人の将来の労働力を含めた人間力を担保に金融ができるというポイントはまだありませんかね?。中国で生涯ポイント制度が始まりましたが、私の案は「個人の長所」で不動産などの物をもってなくても「与信」をつけるのを目的にしたものなので仕組みは近いですが少し違います。

 

ただ、こういうアイデアは私が天才だったからではなく、職を転々としたのちスタンフォードの教員から連続起業家になったジムクラークなど、先輩のシリコンバレーの先端起業家の人たちは考えていたことでしょう。

ただ、ハードとインフラ、そして何よりも世界の人々の思考が、まだここに追いついておらず、私などは、早すぎました、、、。

 

「影の大統領」とまで言われたピーターティールや、YouTubeを作った連中、イーロンマスクのような、いわゆる「ペイパルマフィア」の人々、それにビルゲイツを継ぐザッカーバーグのようなハーバード系の学生起業家は、逆に「レイトカマー」だったから、成功できたというところもあります。

アマゾンやアップルのようにイーコマースを基軸にサーバーを巨大にしてビジネス化したり、PCや携帯インターネットサービスを徹底的にお洒落にする(スマホのことです)など、「シンプルなビジネスモデル」を追求しまくる、、というのでも、良かったのですが。

 

中央官庁的に言えば画期的だったデジタル庁も、出来るまでは良かったんですが、結局ITに詳しい平井先生が大臣をされると、結局アメリカのクラウドサーバーを取り入れるしかなかったですしね。またせっかく民間トップを事務方トップにしようとして伊藤穣一さん登用されそうになりましたが、身体検査で落ちたりしましたしね。

 

先述のビルゲイツだってMSのOSが、IBMに導入されたところから、成功物語がはじまりました。しかも、そのOSは、ほとんどパクリです。パクリでもなんでも、IBAは「良い」と判断したから採用したのでしょう。そのうえでビルゲイツの「契約方法が良かった」とか色々成功理由を後付けされてますが。でも今の日本では、大企業が、自社の命運をかけるような発注を、大学中退のCEOが個人でやっている会社でも、「良い」から採用する、、という判断能力がないんです。日本なら、彼らは実績がないからダメ、彼らの会社は小さくて信用がおけないからダメ、とか。

だったら、他の大企業や公的機関が使っている製品でやれば、無難で間違いはない、、、ということになるんです。これだと日本にベンチャーが育つわけないですね。

 

これらの事象は、いつも言っているように、選ぶ側が終身雇用の弊害で、本来の実力の判断が出来ず、一般的なブランドがあって欠点がないという信用力だけでしか判断できないのです。

 

それと日本では、90年代に、YouTube的なことをやろうとした奴は「著作権問題」で違法のため「こんなビジネスは無理無理」と扱われましたし、「P to P」も日本発信でしたが、この革命的なモデルも、「犯罪」になって、うまくいかなかったですし、、、。

コロナ禍など危機は本来チャンスです。また金余りと低金利でベンチャー投資は増えてますが実は玉石を判断できず「皆が出すので出す」というだけでバブル期に絵を高額で買っているのと同じです。世界ではリーマンショックという危機後、ウーバーやエアBなどシェアリングが流行りましたが、日本は既得権益が必死で止めました。DXとか言ってますが昔のIT化と何も違いません。日本はアニメ・ゲームもやりつくしました。だから結局今の大機関投資家のベンチャー投資は紙くずになるかもです。たまには日本でも成功する所もあるでしょうが、確率的に、オリンピックの金メダリストくらいの可能性だと思って下さい。銀行や証券マンの融資条件は「社長を見る」という事が良くいわれます。それは失敗してない無難な人を選ぶという意味です。もっと言うとビジネスモデルの成功性を判断できないと言う事でもあります。失敗を許さないという事は、ベンチャーは失敗確率が多いので人生棒に振るから日本ではやめておいた方が良いという事です。戦後は高度経済成長や行政改革などの波に乗って成功できましたが、いやまそれも無理になってきました。だから今、日本では、まだベンチャーは成功しにくいと思います。銀行は、自分が個人で商売をしたことがないくせに、まず商売して貯金してその分くらいなら創業支援金を出すという所が多い。ユニコーン企業が生まれるわけないです。

 

そして自分の失敗は、これに加えて「資本」問題もありました。

 

私は、そのころ、そもそも旧東側諸国の失敗は、マルクス主義の失敗ではなく、資本主義が未成熟な状況で農民革命を起こして、単に名前を変えただけで新王朝を作ったことに原因があると思っていて、むしろこれからは、共産主義の敗北の名のもとに、その思想の影響力が弱まり、資本主義が成熟しすぎて、格差が出来て、次の世代にこそ本来の社会主義的な段階に入ると思っていました。

 

だから私は、世界社会文化に貢献をするために事業をしようと思っていましたので、自分の持ち株の支配権などには全くこだわりませんでした。ただ、これも、早すぎで、まだまだ「資本主義」の「勝ち組」時代が続いたのです。

2010年以降くらいから、やっと「持続可能性」などが、流行りだして、格差もようやく問題になってきました。

当然「格差」なんて昔からあったし、「持続可能性」なんていう言葉も、ローマクラブ発足時から流行っていたのですが、ビジネスの世界では、最近まで出てこない話でした。

 

「所有(資本)と経営の分離」という言葉も流行りそれを実現しようとしましたが、これは国際的な資本家のための言葉であり、世界でも全然進んでおらず、脇が甘すぎました。結局、株を支配していないことで、逆にガバナンスが効かず失敗しました。

 

そのうえ私自身、グローバリストのくせに、株を売った先が、日本の機関投資家だったことも原因で、投資家にやりたいようにやられて(未公開株として転売までされてしまいました。自由に流通できるをを良しと思っていたのも馬鹿ですが)失敗してしまい、一部の会社は後身に譲って辞任したり、一部の会社は大手に売却したりして、連続起業家の道から、一旦引退して、大学に戻りました。

 

しかも、日本では失敗すると再起できません。また機関投資家さんは、プログラムなどビジネスモデルには投資をしてくれません。これもベンキャピさんなどの機関投資家さんがアナリストも含めて、終身雇用の銀行員で、ベンチャーの専門家ではないためです。

 

つまりこれも終身雇用の弊害で、金融マンは金融マンなので、新しいビジネスモデルの評価ができる本当のエンジェルがいないからで、投資分析が、経営者の経歴、他の機関投資家とのバランス、せいぜい利益の実績しか見られず、起業には向いていないことが多いのです。

海外の連続起業家などは何度も倒産している人も多いのですが、、、。

 

日本でも、戦前までの起業家は、ことごとく失敗を経験して、成功した人も多いのです。戦前は終身雇用・年功序列なども、農村以外ではなかったです。だんだん官庁などが取り入れ、戦後高度経済成長とあいまって民間にも浸透していきました。

また起業家には、「借金王」が多いのですが、最後まで資金を回せた人は成功者といわれます。成功者とは、死んだときに、会社が資金を回せられる状態だった人のことです。つまり、死ぬまで資金繰りが回せた人は成功者で、生きている間に詰まった人は失敗者といわれます。

松下幸之助氏だって、戦後すぐは税金の滞納の王者だったうえに住友銀行からの巨額の融資で大きくなりました。バブル崩壊寸前で、亡くなったので、経営の神様といわれています。

でも、そごうの中興の祖の水島さんも、ダイエー創業者の中内さんも、バブル崩壊後も生きておられたために倒産してしまい、最後はペケがつきました。

孫さんも、死ぬまで資金を回せたら、「ベンチャーの旗手」でしょう。でも生きているあいだに資金が詰まったら、ここまで成功しても「失敗者」と言われるでしょう。

 

そんなことで、失敗の可能性は誰にでもあるのですが、今の日本は失敗経験があると、立ち直れません。

 

だから私は、そんな状態の日本のベンチャーへの起業や投資に関与はしていません。

自分が、創業に関与した会社以外では、自分名義では資産がほとんどなく、せいぜい親族が所有する法人が所有している海外の投信や株などしかありません。ただ、これらは、現金化していませんが、ユニコーン企業の株もあり、いずれ「利益」をもたらしてくれるでしょう。

 

今はセミリタイア状態ですが、「世界連邦」を目指すためにも、またコロナ禍が終われば、シリコンバレー・シリコンアレー(懐かしい!)、そしてアジア、ヨーロッパ、アフリカなどの、これからの街に行って、先端のベンチャー企業の経営や投資に関与してみたいと思います。

 

 

話は戻って、このパソナさんは「オリパラ・コロナで大儲け」などとも言われていますが、人材派遣・紹介や請負などは、人が商品にあたるので、本当に募集(普通の会社で言えば仕入)、管理(普通の会社でいえば商品の品質恒常化)が、とても難しい業務なのも知っています。

濡れ手にあわの儲けなどは、できないのです。「社会が困っている時に儲ける」と批判されますが、「社会が困っている時に経済を回す」というのは、本当に難しいことで大事なことなのです。コロナ禍で、いくら政府がお金を使うと言っても、医師会は人手不足で機能せず、医療崩壊しそうになったのが、その証拠です。あの人格者で知られていた尾身先生が理事長を務めるJCHOでも、お金があまっちゃって問題になるくらいです。

 

だから私は、反派遣主義ではなく、どちらかというと反終身雇用・反年功序列・反年齢差別など雇用の固定化と、企業の反作用に注意しようという主義者なのです(もちろん若手にもチャンスを与えるjこともいいのですが、むしろ高齢者差別が多いので、これに反対しています)。いずれにせよ、外国人労働者を少しいれるとか、人手不足のところは給与をアップするという対処療法では解決しません。世界とともに経済成長していくしかないのです。

 

そういう考え方なのと、労働問題では数学を使った研究や提言もしてましたので、パソナさんを、そもそも色眼鏡で見ることはないです。

 

私は色々な大学に行ってますが、そのうち一つは神戸大学だったので、ちょうどそのとき阪神淡路大震災があって、パソナさんにはその時の復興にかなり寄与していただいたので、むしろ尊敬していました。

 

ただ、さすがに地方創生とはいえ、淡路島の上側(淡路は日本地図で下側になるところが発展しています)に移転とは、思い切った決断だなぁとは思いました。しかも、派遣やアウトソーシングでは結局現場が全国各地になるため、ちょっとした代表まわりの管理部門の移転と、ホテルやショッピングモール、研究施設など、よくある大型複合施設を作っただけかと思っていました。

 

しかしお招きいただいてお伺いしたら、全然違いました。まぁ、凄かったです。

 

無農薬農場の真ん中に「農家レストラン」を作られたり(これは農業政策に詳しい人ならわかりますが農業に株式会社が参入して山林を農地にしてそこに商業施設を作るというのは政治的にとても困難です、この壁を突き破られるのは、政治を動かすだけではなく、現地の農家や組合の方々などのご理解など、相当な努力が必要でしょう)、阪神淡路大震災の震源地となって廃校となった小学校をリノベーションしてカピバラやポニーが放牧で闊歩する「牧場兼レストラン兼特産物小売施設」を作られたり、「空中禪道場」とかも建設中でした。しかも島中に日本のソフト産業の雄である「アニメやキャラクターの世界」が、存分にちりばめられています。泊めていただいたところもよくあるリゾートホテルなどではなく、「グランピング」施設で、夜は満天の星が見え、朝は海沿いということで雲海が見えました。しかも、どれも、内装や家具の一つ一つまで、「創業者の南部さんが東南アジアから買い付けてきたもの」というこだわりがあって、驚きました。これは、相当な熱量が必要で、お金があれば出来るというものではありません。

 

創業者の奥様にもお会いしたのですが「70歳になっても、20代の頃と、夢や情熱は全く変わってません」とのことでした。

 

ちょっと空間プロデュースを知る者なら、よくある「外資系のフランチャイズ系の高級ホテル」が、夜景借景と、間接照明で暗くして高級感を「演出」し、「サービスが良い」のではなく「サービスが良いという宣伝戦略」を活用していることがわかり、どこも同じような箱が、ほとんどです。

でも淡路島は全然違いましたね。本当に素晴らしかったです。まぁ海外などでは、海や山などの自然が、そもそも雄大だったり、街が古くて城下町として色合いが揃っているので、綺麗だったりするので、それはそれで悪くはないのですが、日本の地方では、なかなか「良い感じ」を出すのが難しいので余計に、すごさが伝わりました。

 

ただでさえ、地方(田舎)を扱うのは難しいと思います。

 

私自身の経験でも、10代の時、バブルの絶頂で、リゾート全盛でした。関西のバブルのシンボルと言われた安間・堀一族の経営する和歌山の「川久」という会員制高級リゾートホテルの、大阪の出店である心斎橋・日航ホテル内のテナント「マニエル川久」のバーの運営をアルバイトで任せていただいたことがありました。私は10代のころから、音楽の仕事~イベントの仕事~お店の運営請負については詳しかったので楽しかったです。しかも、ここは関西バブル紳士のたまり場で、大金持ちのお客さんから、ご一緒されてこられる芸能界の人から、公職の方まで来られていて、にぎわっていました。お店が終わってからも、飲みにいくのに、同行させていただいたり、とても可愛がっていただきました。しかもこのころは、どんな業種の方でも、リゾートには関心を持っておられました。

でも、私が大学で忙しくやめてから、バブルが崩壊し、川久は倒産しました。ここにお客さんとしていらっしゃっていたバブル紳士たちも、多額の不良債権で新聞をにぎわすことになります。

また東京の知人に、イ・アイ・イの高橋さん(故人)という、バブル海外リゾートの帝王もいらっしゃいましたが、わずか数年で兆単位の資産を形成しましたが、これもメインバンクの長銀とともに、あっという間に潰れました。

私が10代のころ、日航・全日空・帝国ホテル・ワイキキホテル群のオーナーの「戦後最大の政商」と呼ばれた小佐野賢治さんは、知人の不動産業で成功された大実業家の方に、「リゾートは、君にはまだ早い、甘いものではない、厨房の芋の剥き方にも目をくばらんといかん」とおっしゃっていました。そんなものかと思いました。

 

西武の堤さん、国際興業の小佐野さんクラスの「ものごっつい人」でさえ、初代が一生をかけて築いたリゾートや不動産を中心とした財閥も、二代目までは持たず、国際大金融資本の外資系ファンドに一瞬で買収され傘下におさめられてしまいました。

 

地方を開発するというのは、並大抵の気合では出来ないのです。

 

「地方創生」、「地産地消」、「無農薬」、「持続可能性」、「ソフトパワー」、「精神世界」などは、いわゆる今の「流行り」だけれども、実際は合理性から、なかなか出来ないものです。パソナさんは、創業者個人の熱量で、これを実現させておられました。

 

 

例えば、レストランに一本の木でできた数トンもの超大型テーブルを搬入したり、、、捨てられていた小学校のモニュメントを掘り出して修復して展示しなおしたり、、、お客さんに雰囲気を楽しんでもらうため三階にクラッシックカーを搬入したり、、、。これらは、ほんの一例ですが、はっきり言って、やろうと思っても面倒なものばかりです。ちょっと合理的に考えたら、「やめておこう」と思うものばかりです。

 

ぜひパソナさんには、私がやろうと思っていたような、アメリカの西海岸の港町サンフランシスコでスタンフォード大学を中心に首都たる東海岸以上にベンチャーが育つシリコンバレーを形成したように、日本の西海岸の港町である神戸で神戸大学などを中心にして首都圏以上のベンチャー・イノベーションの街を形成していただきたいですね。神戸には、その潜在能力があると思います。

 

でも、淡路島というのも、目のつけどころが良くて、古事記や日本書紀ではイザナギ・イザナミが最初に作った島とされている縁起の良いところですし、実は社員さんたちも、若い人もベテランも関係なく責任ある役職に登用されているし、神戸や大阪から通われている方が多く、決して一部ネットで叩いている人のいう「島流し」などではなく、30分もあれば「都会」という、ちょっと郊外にあるという場所なのです。

空港も一時間圏内に、伊丹空港、神戸空港、関西空港と、「あまり使われていない」と評判の良くない国際空港を再活性するには、ちょうどいい位置にあります。

 

トヨタの都市計画も面白いのですが、こういうところも、ぜひ国際機関の人にも多く見ていただいて、未来型都市の事例として参考にしていただきたいと思いました。

 

 

これらの方々は、本当に志があり、エネルギーを貰いました。

慎重だったり、面倒くさがっていてはダメだなぁと、反省しております。

 

もちろん政財界や文化界には、凄い人が多くて、いつも影響を受けますが、今年末もこれらの方にエネルギーを貰い、「来年も頑張るぞ」と思ったところでした。

 

 

東ティモール 独立の父 グスマン大統領

 

パソナ南部代表と淡路島にて

 

世界連邦

谷本真邦

令和3年12月18日です。長らくブログを書いていなかったうえに、政局が動き、何回か書いてみました。しかも世界連邦や仕事の具体的なことは書かず、どちらかというと、思いついたことを書いていたので、ちらかっているのはすみません。

癖になったので、また書こうと思います。しかも具体的なこともまぜてみます。

 

現在は「世界のために、名も命も求めず、年中無休無給で働く」という笹川良一先生の教え通りに暮らしています。笹川先生はご存じのように現日本財団の創設者で国際的政財界の大立者だった人で、大物宰相の田中角栄先生や戦後最大の政商・小佐野賢治社主などとも仲が良かったそうです。また戦後最大の黒幕・児玉誉士夫先生の上司筋にあたり、山口組三代目親分(※昔は極道の人は表の世界の人とも普通に付き合いできました)と友人だったりもされたので、世間では暴力団の親玉みたいに思われていた部分もありましたが、私がお会いさせて頂いた際は、立派で、かつユーモアのセンスもある魅力的な方でした。

 

かつて創設した会社の株とか現金化できない資産や、親族の支援や、他人の組織の財産に囲まれて、暮らしているだけです。

ただ、現実的には、これでは、自由にお金を支出したり、お世話になっている人に恩返しもできず、家族にも迷惑がかかるので、やはり出世したり、お金儲けをしたりも、必要かと思っているところです。

 

しかし「黒幕」として、戦前の政治運動家の大立者である頭山満先生(もちろん戦前の方なのでお会いしたことはありません。ただ直孫の呉竹会会長・頭山興助先生には、平沼赳夫先生らとされていたご皇室行事の「新嘗祭」を祝う祭事や、無窮会という孫文らの文書などの管理する資料館に関するお手伝いさせていただき、一時私を「懐刀」と呼んでいただいて、感動したこともありました。最近はすっかりご無沙汰しており失礼しておりますが。頭山先生のご縁で、若き日に国連高官などもご紹介いただきました)、

 

そして前述の

「昭和の黒幕」笹川良一会長(日本船舶振興会・現日本財団創設者)、

「平成の黒幕」池田大作会長(創価学会の中興の祖)など、

国家元首クラスが、挨拶にきたり相談をしたりするレベルの黒幕は「令和」では、まだいないですね。

もちろん私の少年時代は、バブルだったので「黒幕的な人」は沢山いらっしゃいました。

私が、関西から上京して、最初に会社の拠点をおいた港区で、あちこちに事務所や社宅を置いたので、麻布の各所をお持ちだった有名な麻布自動車の渡辺さんなどにも、不動産でお世話になりました。

 

また商法違反となってからも、いわゆる総会屋の人々も、たくさん残っておられました。

学生のくせに生意気にも会社社長をしていた時代、本業では野村證券さん、副業やプライベートでは西武(コクド)さんに、お世話になっていたので、その筋では後に名前が出てしまい問題になってしまった方も、いらっしゃいましたね、、、。

このころは、裏社会の方も、表の社会に、バンバンからんでおられました。

竹下総理「ほめ殺し」を覚えているかたもいると思います。この時は竹下・金丸両先生⇒東京佐川の渡辺社長(佐川急便は創業者が、田中総理と同郷で、笹川先生と組んで、運輸省を動かし大きくなられました)⇒稲川会二代目親分(見た目は、非常に柔和なビジネスマンタイプの方でしたが、ご病気をされて亡くなる直前、逆に突然大親分の貫禄が出てこられて、あまりの変貌ぶりに驚きました)⇒皇民党という流れで納めて問題になった事件です。皇民党総裁は、四国の方で一般には無名でしたが、当時の五代目山口組カシラで飛ぶ鳥を落とす勢いだった、ミナミの大親分と、兄弟分だったという超大物です。

でも、だんだん、バブル期くらいから、極道が問題になってからは、裏社会の人が出てこられることはなくなりました。

私がボランティアでお手伝いをしていた政治家のパーティーなどでも、「それ風」の人たちは、パーティー券購入金だけ受付において、名前も名乗らずに帰られるというのを、目撃しました。今は「組を会社ごと堅気にされた会長」以外は、政治家のパーティーでも、一切いらっしゃらないです。

 

もちろん、今は暴対法の制定、そして暴排条例の制定で、表の人は、反社会的勢力と言われるようになった裏社会の人とは、一切付き合ってはいけなくなりました。そこで「半グレ」と呼ばれる不良グループが増えました。ただ、私の少年時代には「半グレ」とは、本職の極道にはなれない「堅気の」不良という意味でした。昔の警察では、「愚連隊」も、博徒、的屋、さらには興行、港湾・炭鉱・土建業の口入れをする正業持ちのヤクザと、同列に扱われていました。有名な安藤昇先生なども(太陽族の登場以前の戦後すぐに、学生パーティー屋をされていた、いわばイベサーの元祖的存在だったので、正直憧れてました)、愚連隊で、渡世違いや稼業違いとはいうものの、ちゃんと(?)ヤクザ・極道として扱われてました。

 

でも、今はヤクザが、法律で闇に潜って以降は、「半グレ」と呼ばれるグループも、「半」ではなく、本物の極道と変わらない反社会的勢力になってしまいました。勢いで人殺しもしますしね。伝統的な賭博などをやっているのかどうかは知りませんが暴力的な行為ではなく、ごんべん(詐欺)や、薬局(違法薬物売買)などを商売にしている不良が多いと聞きました。私が警察の偉いさん(四課経験者)から直接聞いたのですが「極道は懲役へ行っても、組が家族の面倒を見る、留守中に姉さん(奥さん 東京の的屋さんではバシタというらしいです)に手は出させない、懲役を終えたら出世する、親のためなら命さえ惜しまない、命令されなくても動く、こういう体質だから、まずいのだけど、半グレは基本的にお金儲けが目的で懲役を避けるから、まだマシですわ」といっておられました。ただ本職は、足を洗ったり、破門・絶縁・所払いなどで、やめることが出来るし、5年たてば警察的にも堅気の認定をされます。でも半グレは、元々ちゃんとした組織でない「ただの地元の先輩・後輩の友達関係」なので、やめたくてもやめられない、という欠点もあるそうです。そんなもんなのかぁ、、、と思いながら聞きました。

 

しかも、愚連隊も(戦前は大陸浪人となって軍の特務機関として汚れ仕事の下請けをしたり、戦後は国内の三国人を取り込む)、政府転覆をたくらむ極左暴力組織も(直接海外で事件を起こしてました。中東で爆弾や乱射事件を起こすテロリストの元祖はそもそも日本赤軍です)、日本の反社会的勢力というのは基本的に国際的でしたので余計大変だったそうです。

ただ昔は、極道も、任侠右翼など、極左暴力組織と対抗する勢力として、ある種、保守系の人たちから、認められていた部分もありました。

戦前は、議会政治を推し進めた院外団や壮士といわれた、今で言うロビーイストはヤクザでした。しかも政治家になるヤクザもいました。

九州の炭鉱のドン、吉田磯吉親分も、政治家として大成されました。横須賀の小泉又次郎氏(小泉総理の祖父)も、海軍港湾荷役請負のヤクザ親分から政治家になった、通称「いれずみ大臣」でした。戦後でも、ナベツネさんの親分筋の大野伴睦衆議院議長も、「任侠道は日本の心」と言われていたそうです。「政界の暴れん坊」と言われた浜田幸一先生も、元々本職のヤクザで、関東の大親分である稲川会初代から児玉誉士夫先生を紹介され、そのバックアップで政治家になられた方です。浜田先生には、亡くなられる少し前、空港のラウンジで偶然お会いして、ご挨拶したところ、私のまだ小さかった長女を抱いて可愛がってくださいました。生意気に私もファーストクラスだったので、通路を隔ててお隣だったので、機内でも娘を可愛がってくださいました。政治には厳しくても、本当に優しい方でした。今なら元ヤクザが政治家になるのは無理でしょう。ん?いや、立派に副大臣になられた現職の先生も、暴力事件で逮捕歴があったりもするので、更生すれば大丈夫なのかな?

まぁ、いずれにしても、飯島内閣官房参与(元首相秘書官)いはく、「政治家のクリアランス・身体検査というのは、叩けば埃が出る人かどうかの粗探しをするのではなく、政治になるほどの生き方をしていれば、誰でも一つや二つは、内緒にしたいことはある。だから叩いても埃が出回らないように、洗いざらい聞き出して、問題にならないように、手を打つことが、本当の身体検査だ、俺にやらせれば問題は出ないのに、、、」と仰ってました。内閣の参与というのは、立派な役職ですが、アドバイザーなので、直接的な権力はないので、こうおっしゃっているのでしょう。

これも、なるほどなぁとおもいました。政治家になるような人で、本当に隅から隅まで調べて、何の問題もない人なんて、自ら泥を被らない器の小さい人か、何もしてこなかった人に等しいですから。

 

総会屋も、与党総会屋もいました。いま、総会屋、つまり特殊株主がいなくなって、外資系ファンドが「ものをいう株主として登場しはじめた」などと報じられるようになりましたが、昔から「経営者を批判する野党総会屋」、それを「黙らせる与党総会屋」がいて、バランスを取っていたのです。大阪の一部の地域では、子供が不良グループに入ると、地元の親分に頼んで、部屋住みをして更生をさせてもらう、などという風習もあったくらいです。生まれながらに被差別をされる境遇で、どうしてもその道しか進めない人だけが、正式に盃を貰うというわけです。


今だからいえますが、私も若い頃、クラブのパーティーを仕切っているときなどは、よく「パーティー荒らし」と呼ばれる、のちに「チーマー」とか「ギャング」とかを自称するようになる、「不良少年たち」が暴れていました。暴走族はバイクなどで走るために集まっているのですが、こういう不良少年は、喧嘩上等とか言って暴れるために集まっています。例えば、スタッフが入口で「並んでください」と言うと、「俺は人からの指示は受けない」とか、ワガママばっかりいって、喧嘩を始めるので、困るんです。元々、大阪にも古くから「暴走族」だけではなく、北(梅田)とミナミ(心斎橋)それぞれに、極道の下部組織の、大きな不良グループの流れがありました。また親分の息子たちなどのボンボン不良と呼ばれる連中もいました。大阪で、学生を集めてイベントをするようになって、非常に目立った存在になった私も、当然こういう不良たちが、絡んできます。真面目(?)だった私は、余計気を使わないといけなかったんです。そこで、VIPルームには、必ず、警察の偉いさんと、そっち系の偉いさんのために、席をあけておくというような、多方面外交をしていました。普通学生のパーティーなどではVIPはスタッフルームと化すのですが、うちのVIPルームは、(少し前に「ちょいワルおやじ」というのが流行りましたが)「極ワルおやじ」が、沢山いたのです。でもちょい悪おやじだけでなく、極ワルおやじも、意外に女性にもモテてましたよ。逆に、大阪府警の人は怖かったです。兵庫県系のそっち系の親分と目が合うと、「おい、お前ら、オオサカ(府警)、怖いんかぁ?こらぁぁ!」とか言って、絡んだりしておられましたね。

ここで書いても、面白さは伝わらないのですが、真面目なスタッフが大親分に対して、一般客と同じように入口で「ビンゴゲーム代500円払って下さい」と言って、「俺はそういうのは払わないんだ」というと、スタッフも「払ってもらわないと入れません」と言って咎めて、後で、私を慌てさせたりしたこともありました。また今真面目に外資系大手会計事務所で公認会計士をやっている国立大学の真面目な仲間が、同じスタッフ仲間の女子学生に、大親分と「良い感じ」になって口説かれているのを、(そういう人とは知らず、スケベおやじに絡まれていると勘違いして)強引に割って入って、自分では助けたつもりで連れ出しているのですが、後で、私が話をつけにいくことになったりと、当時のエピソードは一杯あって、私にとっては懐かしく面白い思い出です。

ただ私は黒幕には憧れましたが、やくざは向かないです。私の少年時代、関西では暴対法もなく、やくざが幅を効かせていました。でも子供の喧嘩はアドレナリンが出て楽しいけど、プロの喧嘩は命の取り合いかお金です。しかも喧嘩に勝ったら倍返しされる。素人は負ければそれで終わりでも、本職は負けて大怪我しても「大丈夫?」と言われるのではなく、親や組織が舐められたことになるので、這ってでも返しをしなければならない。それは無理だということを早く知ったのは天運でした。若者グループの長でも「真面目系」を自認し、絡まれたら絶対勝てる相手でも謝るようしました。

 

さて、黒幕と言えば政治家でも、バブル期終盤には、田中角栄総理の派閥を竹下総理とともに丸々奪取した金丸信先生を事実上継ぎ、さらに自民党を割って出た小沢一郎先生のような黒幕政治家もいらっしゃいました。小沢先生は20代で国会議員になって40代で大臣・自民党幹事長とトントン拍子で出世されたのですが、その後宮澤政権を倒して、自民党を割り、細川総理という単なる雑誌の記事から始まった新党をブームにして衆院一期の新人総理誕生という離れ業を実現されました(細川総理は参院と知事経験はありましたが戦後日本社会が安定してからは、衆院で本流派閥で当選回数を重ね有力大臣・党や国会幹部職を経なければ総理になれませんでした)。

自分の党は羽田総理を頭にして自分は裏にまわり、反自民政権をいきなり作られたのみならず、現在の小選挙区比例代表並立という大政治改革を実現させるような当時の日本最強権力者なのに、なぜかご本人は常に総理にならないのです。これはあまり知られていませんでしたが、前原先生と小池先生の、希望の党結成の時にも、実は最初は小沢先生が大きく関わっておられました。

私が上京した際、(私の曽祖父は、明治の内務官僚で、大叔父は財務官僚だったので、警察や財務官僚の親戚や知人は多かったのですが)警察系大物官房副長官(事務)の指示で、官邸官僚の方が、小沢さん用の報告、自民党向け報告、財務省向け報告、国民(メディア)向け報告を、言葉を使い分けておられたことがあって、驚きました。

 

また、現在でも、民間メディアの雄・読売日テレグループ創業者で大興行主の正力松太郎さんの後継者になった記者出身・主筆のナベツネさんや、京都の国連協会会長の千玄室大宗匠など、古くから政財界に影響力ある方々も、まだまだお元気に頑張っていらっしゃいます。

他にも、表には出られてませんが、まさにトラブルの解決などの現場で、ご活躍されている警察出身(政治家の秘書官もされてました)の政界のフィクサー(警察出身なので裏社会の方ではありません)として、知る人ぞ知る人もいらっしゃいます。

 

京都(関西)も独特です。もちろん世界、日本だけでなく、地方には地方の表裏の権力構造の独特のネットワークがあります。特に京都は特別ですね。私は大阪出身で、神戸に住んだりもしましたが、母親の実家が京都で、今も両親は京都で、自分の京都の大学の教授もしたりして、関係のある土地で、面白かったです。

 

ナベツネさんは、あまり知られてませんが非常に哲学者的に勉強されることもあり、さらには創価学会の池田大作名誉会長とも、哲学者同士という形式で、かつてよく食事をともにする仲でした。今だからいえますが、「自公体制」をつくったのは、公明党の市川書記長と仲の良く連立を組んでいた非自民の小沢先生だけでは無理で、当時のドン野中広務先生と小沢先生に握手させるには池田会長と仲良かったナベツネさんが間に入らねばくっつかなかったでしょう。そしてキャスティングボートを握った公明党の支持母体の創価学会を一人で動かせる池田会長は日本の黒幕になられました。

ナベツネさんは、そこまでの日本のドンというわけではありませんが、凄い政治アクターですね。言論人、財界人の枠を超えた「別格の人」とよく言われています。

首相は天皇陛下に国のことを奏上しますが、ナベツネさんは今でも月一回官房長官を呼び上奏させているという噂があります。またナベツネさんは、岸田首相も、多くの財務官僚も、開成高校なので仲が良いそうです。

・・・ちなみに私は開成出身でもありませんし、関西の高校出で、大学も転々としてるので、あまり同窓会とかクラブとかに、直接参加するタイプではありません。でも、まったく関与していない学校の同窓会やクラブも含めて、いろいろな人脈からの「ご縁」が出来て、ご支援をしていただけることもあるので、有難いものです。

 

しかし小沢さんは、常に平成の政界再編の中心におられ、政治が動けば外れてしまわれます。そこで、首相にも、ドンにもならずじまいで、凄い方です。もう一回何か仕掛けていただけることを期待しております。

 

元々「根なし草」を自認している私は、組織に内部からがっつり関与することよりも、外部で少しだけ関わることが面白くて好きなのでちょうどいい感じです。

また、いつの時代でも「地方には地方の社会や文化」がありますが、特に母の実家の京都を筆頭に、自分の出身である大阪、一時住んでいた神戸などの「関西」は、首都圏の「関東」とは違う、独特の人脈が形成され、東京と微妙な関わり合いのなかで機能しており、特にバブル期には、表の方だけでなく、裏の方も表面化してきて、それはそれで、面白い世界でした。

 

まぁ「いかつい」昔話はほどほどにして、、、。

 

 

こうして、今も影響力のある方はいらっしゃるのですが、やはり子供時代にお目にかかった先述の「黒幕」のスケールの大きさは凄かったです。しかも、現在の大臣などのいわゆる表の政治家は、公人も公人なので、簡単にことを運べません。しかもすぐに変ってしまいます。すぐに変わってもすぐに政策を決定できれば問題ないのですが、今の政治はプロセスが多すぎて中々決められません。モンテネグロの外交アドバイザーをやっていたとき中国の使節が官民問わず即決してお金を出すので、海・道路・トンネル・鉄道などみんな取られちゃいました。

 

また、せっかく公選で選ばれた国会議員の先生でも、大臣になる前には特定の分野を専門にして頑張っておられても、「大臣になったから取り組めない」という台詞を何度も聞きました。権力を持つと実際の利害関係者が増えて、各方面に気を配るので、逆に何もできないわけです。これではもったいないですね。こういう社会状況なので、「黒幕=フィクサーやロビーイスト」の役割は大きくなってしまいます。
 

法律というのは作るのが大変です。いくら「閣法」が多いといっても、役所で法案を書いてから、、、有識者の審議会・パブコメ・法制局とのやりとり、永田町へ移ってからも議連や党の部会・政調および政調審議会・総務会を通し党議決定をして、議運(議員運営委員会)にのせる・各党国対にのせる・国会の委員会審議を経るなどをしないといけません。またそのために都度都度、官僚が、政党職員・政治家秘書・時には業界団体ともやりとりをしながら、政治家にレクや振付をしないといけません。そのため法案が成立するまで2年くらいかかります。その間に大臣は変わってしまうこともあります。だから、こういうロビー活動をする人は、とりまとめられる力があるため便利、というか重要なのです。

 

ちなみに、そんななか菅(前)総理は、わずか一年で、携帯料金引き下げ・デジタル庁創設・不妊治療保険適用・クワッドに非公式に英国を巻き込む・そしてなんといっても国民の大半に新型コロナのワクチン接種を成功させる、などなど、あらゆることをやられたので驚きでした。菅総理は久々の大宰相でした。もちろん憲政史上最長記録を塗り替えたやはり大宰相の安部総理に、総務大臣や官房長官として仕えられていたという蓄積が爆発したという面もあるでしょう。

 

昔は、黒幕も凄い人がいましたが、政治家の先生も、すごい人が多かったです。

古かった議員会館時代、長老の先生に何かお願いごとをすると、すぐ役所の幹部にお電話をされて、一発で決めるという、先生も多かったです。今は、良い意味でも悪い意味でも民主主義が成熟してきているので「すばやい決断」というのは難しいです。

 

黒幕の方も、ここに名前を出した方は、変な表現ですが、大物すぎて表に出てきた黒幕で、基本的に黒幕というのは、当然もっと無名で、世に知られていないものです。

 

ただ、無名ゆえに、たまに偽物も出てきます。昔ほどの大物黒幕がいないと言っても今も黒幕はいらっしゃいます。なので今も偽物が登場します。ただ少しカマをかけて質問すれば、すぐ本物か偽物かがわかります。

基本的に、嘘・ハッタリはダメです。人を救うための「方便の嘘」や、売り込みのために「本当の長所」を自慢することは良いと思いますし、こちらから見るかあちらから見るかで善悪の概念も変わるので、「真実は何か?」ということを、ことさら決めつけるのは難しいです。

ただ自分を「盛る」ために、「ハッタリ」をかます人はダメです。一度ハッタリをかまされると、本当のこともふくめて、何を言われても、「本当かよ?」と、何も信用できなくなりますから。まぁ本当に「いかつい人」は、あえて盛るよりも、陽気に(実際に各方面に影響が出ないエピソードなどを)面白可笑しく色々話をしてくれる人です。その中に自分の自慢話もさらっと盛り込まれて、聞く人に凄いなぁと思わせます。しかも腹が立ったら怒るし、機嫌がよいと良く笑うという、人間的なところも見せます。そして誰に対しても偉ぶらず、なんでも相談しやすい雰囲気を醸し出す人です。ただし言ってはいけない肝心なことは絶対話しません。こういう人が、一番いかついですね。典型例は、昔の笹川良一先生です。

今なら安倍総理ですね。この人だから、トランプ、メルケル、習、プーチン各位も、相手ができるのです。

 

小泉総理も、そういう風に見えますが、プライベートでは陽性で「夜の座談」などもとてもお得意なのですが、昼に気合が入ると結構寡黙に豹変して近寄りがたい雰囲気でした。目が座り、「豹変」というか、髪型は「ライオン」で、孤独な「虎」のようになられます。それに仕事が終わると、パッと帰って行かれますしね。政治家は「恫喝」と「優しい人情味」を両面でお持ちの先生は良くいらっしゃいますが、小泉総理ほど、二重人格の人は、そういないです。

 

偽物の見分け方は、細かく言えば色々あるのですが、ざっくりいうと「派手な人」は怪しいです。人は見た目で判断してはいけないといいますが、これは、「地味な人でも、実力者もいる」ということです。見た目は結構重要です。

 

私は、学生起業家時代、派手なブランドの時計を集めるのが趣味でした。見栄だけではなく本当にフォルムが好きで、カタログを眺めるだけでも楽しいくらいの時計マニアでした。でも、さる大富豪に「そんなのつけてると馬鹿にされるよ。本当に腕が良い人は、チャラチャラした時計なんかで飾り立てなくても、良い腕がある」と注意されたことがあります。

その方は世界的大富豪でしたが、日本製の普通のスチールの一万円くらいの時計をつけられていました。それ以降、私はブランド時計をつけるのをやめました。

 

たしかに派手好みなら、黒幕として権力を行使して政策実現を目指すよりも、表に出て良い恰好をしたがるはずですから、派手で、黒幕ぶっている人は、国が貧しかった「昔の話」か、「TVドラマ」の世界だけで、今は偽物が多いですね。

 

あと偽物とまではいかなくでも、胡散臭い人は、「嘘じゃないだろ?」とか、「違うか?」とかが、口癖の人です。こういう人は要注意です。「嘘じゃないだろう」というのは、「こじつけたら嘘にはならないが、本当のこととは距離がある」と言っているのと同意です。「違うか?」というのも、自分の意図に強引に持っていかなければ論理破たんする必要があるからです。

 

それから、一部のビジネスパーソンの中には、「〇〇法で一定のところからは規制されている」ことを、「〇〇法で一定のところまでは許されている」と話をする人も多いので、困りますね、、、。私は主観で変わる倫理道徳よりも法の支配を重んじるので間違ってはいないと思いますが、この説明は法の趣旨から逸脱した脱法行為のため、今の社会では倫理道徳を重んじる風潮なので、気を付けた方が無難です。

 

もう一つ、政治家でも黒幕でも、ドンにまで出世する先生と、そうでない方の、私流の見分け方があります。

昔から、私のような小僧が、誰かに頼まれて、先生を紹介し、依頼を仲介するという場面で、「はい、はい、あの件なっ!谷本君から、いっつも聞かされているよ!」と仰る先生は、必ず出世します。

すでに、用件は本人か秘書などに伝えてあるのに、「えーっと、今日はなんの話かな?」という先生は、出世されませんね。

 

本当は、ある程度力がついてきた先生には、あれやこれやと、ものを頼んでくる人が、絶えません。社会のために良かれと思って意見を言う専門家の人も多いのです。

なので、お忙しく、一つ一つの依頼ごと、陳情、提言などは、忘れてしまうのは仕方ないです。

政治は「何でも屋」なので、そのくらい忙しいものなのです。これは仕方ないです。

 

こちらも、それがわかっているので、話を聞いてもらうためには、まず「玄関組」から「奥座敷組」になることが大事なのです。

つまり「家に呼んでいただけるような関係」になるまでは、第三者に頼みごとを依頼されても、先生にお願いごとをするのは、申し訳なくて出来ませんでした。

 

まぁ最近は、私も厚かましくなったことと、公私が分かれてきてるので、家には行くことが減り、あまり存じ上げない先生や、お忙しい先生にでも、いろいろと頼み事をして、ご迷惑をかけていますが、、、。

 

ちなみに、官僚のなかには大臣などの挨拶・答弁・会見の「直前に耳打ち」をするというテクを持っている方もいらっしゃいます。当然あらゆることを忘れて、今、耳打ちされたことを話します。政策実現のためのマル秘テクです。

 

しかし、それなのに「いっつも、この件を聞かされて、困っているんだよ」と笑っていただけるような先生ならば、どなたにでも、そういう対応をされているでしょうから、依頼者も、紹介者も、それだけ大切に考えていただけているような気になります。これは誰も嫌な気はしません。

 

でも先生にお会いしてて、いきなり「なんの話でしたかな?」と言われると、紹介者の顔はつぶれ、依頼する人も、軽く扱われてるな、と思います。こういうタイプの先生は出世できません。

「もう、いっつも聞かされているんだよ、、、」と言わても「さて何だっけ?」と言われても、どっちにしても依頼者は、何か物事を頼みたいわけだから、先生を前にすれば、あれこれと喋りだします。

そして、結果的に役所などが抵抗して、その依頼が実現しなくても、依頼した人は、紹介者にも、この先生にも、努力していただいたことに、感謝することになり、「借り」ができます。その依頼をした人の組織は、全力でその先生を応援することになります。
 

基本的に、表で活躍される方も、黒幕的に裏で活躍される方も、トップを極めるまで出世される方は、「良い人」が多いです。

「こわもて」や「偉そうな人」が、出世する社会もあると思いますが、民主主義社会では、上から目線の人は、出世できませんね。

 

裏表がなくて、話しかけやすい人に、情報は集まります。

上からは可愛がられて、下からもこの人のために頑張ろうという人が沢山いるという人が、出世します。

 

他にも私流のいろんな目利き法があるのですが、それは横においておいて、、、

 

 

さて、来年もやりたいことが、たくさんあります。もちろん、中心は世界連邦運動です。その中で、いくつかも継続案件があります。

 

まずは世界連邦を公的機関にすることです。

世界連邦日本国会委員会は、戦後すぐ国際的に官民連携で世界連邦運動は始まっていました。

そのなかで英国議会から国権の最高機関で立法機関の国会に委員会を作るように、英国議会の議長から要請をうけ、戦前ノーベル賞候補になった国際的運動家で世界連邦運動の日本の組織である「世界連邦建設同盟(現世界連邦運動協会)」初代会長尾崎行雄先生のもとで初代副会長をされていた賀川豊彦先生が斡旋して、当時の衆議院議員を会長に、首相・最高裁長官・建設同盟初代尾崎会長・二代目東久邇宮元首相を顧問に、設立されました。

 

賀川先生は凄い人で、貧困解消のためスラムに飛び込み研究、のちに海外の組合制度を学び、農協・労組・生協・保険などの設立に関与し、組合の父といわれた大人物です。

現在も賀川豊彦関係団体連絡協議会があり、世界連邦も会員なので、私も担当させていただいてますが、錚々たる方がいらしています。

これは、世界連邦の宗教・文化教育など他の団体でも同じですが、、、。

 

そして国会委員会創立翌日の国会でこれを公的機関にすることが政府委員より確認されたものの、現在まで国会法による常任委員会にはなっていません。また国連創設60年と日本国連加盟60年の記念に、それぞれ衆参両院で「世界連邦への道を探求(究)」するという国会決議が採択され、麻生太郎総理の指示で外務省総合外交政策局に担当を置いていただき、首相・官房長官・外相・財相や国連に提言をしています。しかし公的機関とはなっていないので、世界連邦という名前にはこだわりがあるものの現実的にはグローバルガバナンスに関する機関を設置法を通したいです(もちろん憲法で政府が処理するといわれている外交の一部にもとれますが、国家と国家の外交ではなく、地球規模課題にあるため概念は少し違います)。

 

今急に世界連邦実現が難しいならば機能主義的に国際社会を強化改革していきたいと思っています。既に取り組んでいる、国連議員総会(国会議員100名以上の賛同を取り付けました)、国際司法裁判所・国際刑事裁判所強化、国連常備軍(個人的には国際情報機関が必要と思います)。

 

世界連邦運動は官民諸アクターが取り組んでいますが政財界でのこういう特殊な存在なので、知らない方には、なかなかわかりにくいです。私自身もわかりにくい存在だと思います。世界連邦運動家というよりも、国際ロビーイストとか国連改革運動家という呼び方の方がわかってもらいやすいかもしれません。

 

そのなかでも特に、国際連帯税の実現はしたいです。国際連帯税はフランスなど13か国で国際航空券税が導入されていますが、WHOのアソシエイト組織であるUNITAIDでエイズマラリアなどのワクチンを購入配分する機関です。これは国際航空移動が感染症を運ぶことのリスクがあるので、代わりに税をかけてその資金に使おうというものです。日本では国際連帯税を導入するというところまでは法律に入れ込むことに成功しました。これには、与党税調、外務省・財務省皆様のお世話になってきました。

 

話題は変わりますが、私は、以前から国際連帯税導入を目指しておりましたが、かつて政府の事務方の担当としてお世話になった外務省の当時地球規模課題総括官課長だった飯田慎一さん(現経済局審議官、菊田真紀子参議院議員の夫)が、まだ54歳でお亡くなりになりました。今年、外務省では、他にも、北米一課長や国連政策課時代にお世話になった和田幸浩大臣官房総務課長がまだ52歳で亡くなったり、OBでは国連大使や国連事務次長もされた大島賢三大使が急逝されました。また外務省ではありませんが世界連邦参議院決議採択をはじめ、トラックⅡ外交で、大変お世話になった江田五月元参議院議長が亡くなり、急なことで驚き、そして寂しい話題も多かったです。

飯田審議官は税調でも国際連帯税導入が最も近づいた時の担当課長であり、在外勤務が終わって帰国されたとのことでしたので、久しぶりにお会いしたいと思っていたのに、お会いできないままで、残念でした。和田課長とは、昨年に内輪の少人数の食事で、たまたま私が会計をしようとしていたとき(今の公職の方は割り勘が原則で計算がややこしいのです。昔は、政財界や高官の方などは、一見さんお断りの料亭などでツケがきき、しかも女将に多めに払うなどして適当にどんぶり勘定で会計ができたものですが、今ではきっちりされています)、課長が足が出たら自分が負担するといって残って会計をしていただいて、その後、料理屋さんから、なかなか来ないタクシーを探して、二人で夜道を歩いたのが最後でした。元甲子園球児というスポーツマンでお元気だっただけに、突然のことで驚きました。大島大使は、国連安保理改革の講演や、国会議員に国連関係のレクをしていただいたりと、以前からお世話になっていたのですが、ミャンマー問題にも取り組まれていたので、ちょうど今年の軍部の政変後に、ミャンマー担当の国連事務総長特使が来日され、私は事務総長特使とともに、大島大使とも数日間ご一緒させていただき、特使の帰国の日、総括も含めて、私がホストをしていたリモート会議の最中に、倒れられてそのままお亡くなりになりました。すぐにマイクカメラを切ってご自宅にお電話したりしていました。無理をされたのかなぁと自分の責任も感じたのですが医師曰く死因はちょっとづつ進行していくものでここ数日の動きは関係ないということでしたので救われました。江田先生は政界引退後も、弁護士として災害被災者支援活動など、ご活躍されていると聞いていたので、残念です。

 

また、外交とは関係ないのですが、私が社長をしていた会社の取締役だった映画評論家の水野晴郎(故人)が生前ライフワークにしていたので私もスポンサーをしていたある映画大賞で、ゴールデングローリー賞を贈らせていただいたこともあり、そもそも水野氏がファンとして応援していて何度かお会いしたことがあった人間国宝・二代目中村吉右衛門さんが、年末に亡くなったのも残念でした。ちなみに昨年は、この映画大賞で二度も(黄泉がえりとサイドカーに犬)最優秀主演女優賞を贈らせていただいた竹内結子さんも急に亡くなったのも、とてもショックでした。五輪の仕事で良く行っていた、ある教会のすぐ近くに、結子さんのご自宅があって、ご結婚をされて、お幸せになられたと聞いており喜んでいたので、ショックが大きかったです。

 

各位のご冥福をお祈りします。

 

さて、この国際連帯税、今のようなパンデミックのときこそ、これが必要です。WHOが徹底的にワクチン薬開発分配ファシリティ・医療設備・災害防衛のための常備軍などの創設をして、いざというとき世界中に回せる枠組みを作ることと、その財源としての国際連帯税については、議論は何度もしていたのに、残念です。

国際航空券税は、国土交通省が、航空業界に影響があると反対されてはおりました。ただ観光促進に使うための出国税はとられたので業界について本気で考えているわけではないとは思いますが。それなら国際貢献だけでなく空港での大規模検疫施設を設置しようと厚労・法務省と連携して使うことも提言しました。その中のパンデミック発生です。悔しいです。

 

国会は立法機関です。でも日本はなぜか行政機関(政府=官僚)が法案を作ることが多いです(閣法と言います)。それに国会が賛成か反対かするだけなのです。ただし憲法と予算は違います。

やはり憲法は国権の最高機関の国会が発議し、特別決議を経て、国民投票(直接民主制選挙)を導入する高度な政治案件です。

そしてもう一つ予算は国民の収めた税金なので、国民の代表者である国会で決めるものと決められています。この原則は大事です。財務省は徴収したり分配したりする事務を執りつかさどる役所です。もちろん政府は行政をするのだから必要な予算を要求するのですが、決めるのは国会であるべきなので、事実上、与党の予算案が通るため、実際の予算については与党税調の議題が重要なのですがこの報道が少なく、衆参両院での予算委員会でスキャンダルのやりあいなどを中継をしているのが、子供のころからの国会七不思議のひとつでした。

だから、与党税調はとても権力があるのです。財務省で出世するには分配する「主計」と言われますが、それも正しいのですが、主計でも主税でも、まずは与党税調との関係を強化するのが大事なのですが、あまり知られてませんね。

 

私の親族は、政治家一族ではありませんが、役人・学者・財界人などが多く、むしろ「政治家にはなるな」といわれました。その方々に、いろいろな話、旧制高校や大学、政府の実情などのお話をよく聞かせていただきました。自分も政治に関心はありましたが、世界連邦のようなものがあればいいなと思っていたので、日本の国会議員などになりたいとは思いませんでした。国連にも少し失望していたので、世界に貢献するには実業家になるのが良いと思いました。その後世界政治に関与できたらいいなと思っていました。

母方でいうと、祖父は裁判官から学士予備応召で陸軍将校をなり、戦後は石油会社会長から、経営法学的意識論を確立した経営コンサルタントのはしりの学者で、母方の祖母はお宮さん系でした。

父方の谷本家の方といえば、曽祖父が内務省の役人で北海道に渡り函館で警察を作った人です(だから私も生まれた時の本籍は北海道でした)。その息子である私の祖父は兄弟が多く官僚・日銀マン・石油会社に嫁いだ人・学者などがいましたが(厳密には大叔父大叔母ですが)
おじさん・おばさんと呼び、可愛いがってくれました。祖父は次男で、さる財閥家族の養子に出され、長州の藤田伝三郎・平太郎男爵親子の縁戚で48か村の大庄屋の息子として生まれ英国で関数に関係する数学をきわめて海軍工廠の要職をになっていた(父の母方の)曽祖父と、公家系の曾祖母との間に生まれた祖母と結婚。岳父の関係から機械メーカーの経営者となりました。藤田邸のあった北浜に本社をおきました。私は子供のころ北浜の料亭「かがい楼」さん、自宅応接間で、銀行幹部などに、祖父に会社の跡取り息子として紹介されたりしました。ただ上場していなかった家業の経営が傾き、私自身も独立心旺盛だったので、自分で事業をしたいと思って、基本家業からは離れ、学校へ行きながらITなどで起業をしました。

 

子供のころから、個人的に世界連邦的な考えに関心があったので、国際連合や外務省のやっていることに関心を持ちましたが、大蔵省(現財務省)にも関心を持ちました。やはり戦後の日本は、米国と大蔵省が動かしている印象があったためです。

そのため、長じてからは、世界連邦、特に国会委員会に関与させていただくようになりましたが、外交だけではなく、税調に関心を持ちました。現世界連邦日本国会委員会の衛藤会長も自民党の重鎮として、会長は変われど、副会長をずっとされています。

 

その与党税調会長は、私の祖父と近かった二階堂先生と選挙区が同じ(当時は中選挙区で、ライバルでも、交流はあったようです)山中貞則先生(私がお会いした頃には、すでに杖をついて体がきつそうでした)、私の卒業した高校と大学(のひとつ)の同窓会長をされていた塩川正十郎先生、私を政界へ勧めていただいた相澤英之先生、国際連帯税議連初代会長の津島雄二先生、世界連邦の野田毅先生、やはり世界連邦で税調小委員会委員長の伊吹文明衆院議長など、それぞれお世話になった方が関係されておりました(大蔵省出身が多いですね)。

現在は宮沢洋一先生が会長です。「こわい、こわい」と言われていますが頭の良さに加えて人格者で尊敬しています。これらの方は首相や財務大臣のように、あまり表に出られないので、知らない人も多いかもしれないですが、インナーと呼ばれて、大変な実力者なのです。私は与党税調で勉強させてもらいつつ、三木義一青山学院学長(当時)、元財務省主計官の志賀櫻弁護士(故人)らの有識者による「民間税調」にも参加させてもいただきました(最近は多忙ででられてませんが)。

 

私は国会議員ではありませんが、世界連邦で一応国会関係者ですので、与党税調の「〇×等審議」という外には出ない書類はいただいてます。各々の省庁の案を残すかどうか、どうなるか全部はいっていて、ピンクの表紙の本みたいになっています。

これは①マル政(政治的検討)、②〇(受入)、③△(検討)、④二重△(長期検討)、⑤X(お断り)、⑥法△(法案内容検討)、⑦事△(事務当局で検討し後日報告)、⑧マル済(措置済み)という順番に、わけられています。与党税調では、各省庁の予算について項目にわけて審議するのですが、経産と財務の駆け引きが見えておもしろいです。

 

しかし最近は、ICTや数学が見直されてきまして、これは英語とならんで、ある程度の基礎知識は社会では必須になってきていますね。

役人の方が、自民党で、ドーマー条件(年次国債発行の割合なら対GDP比は一定まで収束し破たんしない定理、米原の「健全化指標」という日本版もあって名目GDP成長率が上昇すれば対GDP比での政府の債務残高は膨張しないという概念。なおボーン条件というのもあって前期財政悪化の場合も今期PBを改善すれば財政運営には問題がおこらないという定理)を出してきて、話をごまかしたのですが、これが間違い説明をしたので、後で謝罪をされることになったということがありました。

私は元々理数系(専門は物理)が好きで、小学校の頃から算数だけではなく数学が好きでしたので、中高は授業をさぼっていても、国立大学には入れました。学位授与機構への学位請求論文は、世界連邦などの国際政治ではなく、労働問題(当時人材ビジネス会社を経営していたためです)を書きましたし、色々な大学へ行ったなかに神戸大学もあって「同じ西にあって、港町で、商業に強い」神戸大学を中心にして、神戸を、どうしたら日本のスタンフォード大学やシリコンバレーにできるのか?などの論文も書きました。

インフラを調べて、ポアソン分布など使って、数学をベースに書きました。それで提言もしました。

これらは社会科学ですが自然科学を応用しないと証明できません。

 

ただ、私が大切にしているのは自分のなかにある理想へのベクトルです。これらは、あくまでも、やりたい政策の言い訳のための後付け理屈です。

政策判断に「絶対」はありません。善・悪や真・偽あるいは正・誤の二元論で考えるのは良くありません。見方(立場)によって違う見え方をします。そして前提条件は何か、それに程度問題、人間の行動心理、自然現象なども考慮にいれなければ、判断できません。

二次元、三次元だけで物事を考えると、だめで、短期・中期・長期、あるいは歴史という時間軸、人間の欲求や想像力など、4次元、5次元以上の、ものの考え方を利用できないと、破たんします。

1+1=2とする前提がないと2+2=4になりません。1と1とを図で重ねると1ですから、1+1=1という前提に立てば、2+2=2です。

こうしてみると前提がずれると、すべての公式は変わるのです。

 

小学生で高校くらいの数学はマスターし、高校生で起業し中高年を雇用し、さらに現在中年になって、子どものころに学んだことをすっかり忘れて再度勉強していて、気分は「まだ中学生(廚二病)」という私は、看護が必要な子どもと、介護が必要な高齢者以外は、皆個人差が大きく「年は関係ない」というのが、私の根本にあります。プロスポーツ選手の様に世界の限界を目指すなら年も関係することもあるかもしれませんが、普通の仕事では、あまり関係ありません。私自身も年齢意識は、ぐちゃぐちゃで、10代から中年になった今まで、年齢で変わったなと思う事は、まったくありません。

 

だから、いわゆる文系の人でも理系の人でも、専門家にならなくてもいいので、何歳からでも数学、情報技術、英語、護身術は、基礎だけでも、やっておいた方が良いと思います。

特にリーダーは、専門家に任すべきですが、何を言っているのか全くわからなければ、ビジョンを示せず、少しわかる部下に、騙されちゃいます。

さて、この税調、当然役人の方も出席されます。もちろん財務省が実力があり、厚労、法務・警察、文科、、、などなど、それぞれの省庁が予算を求めます。

昔は、それぞれの省庁に「族議員」がいて、その省庁を応援(恫喝?)したそうですが、今はその色合いは薄まっています。

そのなかで、特徴的なのは「経産」はどの分野でもビジネスとして関係できるので、できるだけ自分のところにもってくるかが勝負なようです。また外務省は、貴族的なのか、官邸以上に報償費がつくからなのか、あまり強く求めません。

意外なのが防衛省で、政治家の方が予算要求意欲が強く、官僚の方は予算を減らすほうが褒められるという、少し違った役所です(場所も市ヶ谷で、霞が関でもありませんしね)。

 

政治家と官僚との関係が、メディアで話題になることがあります。

ただ現在の日本は議会制民主主義ですので、国民の代表で構成される国会が国権の最高機関とされていて、国会の指名で行政トップが決められるとしています。

だから「政治主導」という言葉がありますが、これは言うまでもない当たり前のことなのです。立法も予算も国会が決めると憲法に書いてあります。つまり頭脳が政治で、手足が官僚です。また民間会社でいうと、株主が国民で、それに選任された役員が政治家で、従業員(社員)が官僚です。

ただし、実態は、政治家だけではなく、官僚が全ての分野の権力行使をしています。会社でも役員だけが仕事をしているのではなく、実際は社員が仕事をするのと同じです。「脱官僚」という言葉が流行ったことがありましたが、民間会社が脱社員と言っているようなものなので、これはおかしいです。ただこう言いたくなるほど、国会がやるべき立法も予算も役所がやっています。これは、これで、おかしくて、本来は国会がしなければなりません。もちろん憲法で決められているので最終的には国会が承認しますし、与党税調や政調、最近できた内閣人事局をはじめ、政治主導も根付いてきてはいますが。

ただ、日本の民主主義は、まだ成熟していなくて、やはり戦前までの帝国主義の名残りがあります。

天皇が任命する内閣、天皇が統帥する軍、これらに付け足して天皇がえらぶ貴族院議員と国民が選ぶ衆議院を作ったので(ちなみに実際は天皇自身が選ぶというよりは元老や内大臣が選んでいますが、、、)、この雰囲気が抜けていないのも現実です。

 

戦前は、官僚(行政)のトップは、国民が選んだ政党政治家がなることもあったのですが、官僚や軍人がそのまま出世して政治家(大臣など)になることも、よくあったわけです。主権の関係で、国民のための官僚ではなく、天皇のための官僚だったわけですしね。

また、最近は官邸がようやく強くなりましたが、財務省が官庁の中の官庁といって力があるのは有名ですね。あと、もう一つ、内閣法制局という、とても権限の強い役所があります。しかも法制局というのは、法案の拒否権をもっているので、これは凄い権力です。ここが理屈をつければ法案は消えてしまうのです。しかも人だけなので特段の予算が不要で財務省も恐れなくて良いのです。

それと検察もとても強いです。裁判所は、検察の証拠で判決を言い渡すので、事実上、検察が司法権を担っているといっても過言ではないでしょう。本当は司法、立法、行政と三権分立なはずで、国会が国権の最高機関なのですが、、。、

(最高機関ということは、衆議院の優越性も入れると、国家元首は衆議院議長になります!もちろん現在の日本では、元首は機能主義的から内閣総理大臣だという学説を述べる一部の学者を除いては、学説的にも、儀礼的にも、元首に相当するのは天皇陛下でしょうが)

野球チームで政権を例えると、当然オーナーは政治家ですが、実質的には各プレイヤーが各省庁の官僚であり、そのプレイヤーを采配する監督が財務省、審判が法制局、ルールに口を出したりルールを破ったものを追放したりするコミッショナー機構が検察といったところでしょうか。どんなに優秀な選手でも監督や審判やコミッショナーには逆らえませんね。

 

ちなみに先述した、報償費というのは、いわゆる機密費です。この報償費について、元官房長官の先生いはく、常に数千万円の現金が金庫にあり、使ったら翌日にはすでに新札が必ず入っていたとのことです。

「外交」は情報収集など機密にしないといけないことがあるので、多くが官邸から外務省に「外交機密費」として支出されます。当然、総理などのための官邸用の官房機密費もあります。ただ当然外交実務担当の外務省に多くが支出されます。

 

まぁ昔と違って、外務省も他省庁も試験が統一されて、さらに他省庁の人も語学が達者になって、例えば「経済外交では経済官庁の人がする」など、外務省だけが外交をするわけではなくなってきておりますので、他省庁にも、外交のための機密費は分配されています。

 

実は、年に数十億円もある外交機密費は、余るので、外務省から官邸に上納還流していたことがバレたことがありました。

これ自体は、そもそも機密ですし、国の金庫から、元の国の金庫に戻すだけなので、理論的には問題はないです。

 

しかし、これを悪用した事件がありました。M室長という(すでに検挙され罪をつぐない懲役刑を終えておられます)、外遊などの要人ロジ担だった人ですが、この、そもそも秘密の報償費を、さらに上納還流するという、「裏の裏」で、闇に消えてしまうお金のため、10億円の単位で私的に流用したのです。競走馬を多数購入したり、複数の愛人とのマンションやプレゼントの貴金属、ゴルフ会員権など、私的に流用したことが明るみになりました。この事件が、発覚する要因になったのは、情報通だったM先生(私自身が、旧ユーゴスラビアのモンテネグロ外交アドバイザリーオフィサーをしていたので、旧ユーゴスラビアの別の国の名誉総領事をされていた元政治家だった人なので。よくお会いしてました。少し前に残念ながらお亡くなりになりました)が、つかんだ情報が発端だったので、詳しくお伺いしたことがあります。

M室長だけでなく、前任室長と部下も逮捕されたほか、多くの意幹部が処分されました。外務省が、こんな大きな事件で摘発されることになったのは、情報源のM先生が外務省に忠告した際、このM先生のことを「元職」だからか、甘く見たのが原因だそうです。M先生は、ご自身のご経歴から、政財界やマスコミにかなりの人脈があり、平川町や一番町のM先生の事務所やご自宅に、色々な人が集まり、情報通で有名でした。M先生は、外務省の人に、適当にあしらわれて気を悪くされ、親しい警察の方に情報を流したと仰ってました。

誰でも、人を「甘く見る」のはやめておいた方が良いですね。私も、M先生から、FBIのフーバー長官のように、あらゆる情報を握っておくというのは、自分がやりたいことを実現するためには、常日頃から収集しておいた方が良いというのも教えていただきました。

さて、このようにして、この事件は東京地検ではなく、警察、しかも国家公安委員会系や警察庁(業界用語ではサッチョーと呼ばれる)ではなく、警視庁(つまり地方)の方が、摘発した事件です。ちなみに地検は、法務省のなかでも強い存在です。法務省では、検察の地位が高く、法務事務次官よりも検事総長が上位、とか言われたりもしています。しかも「赤レンガ組(法務省の旧本館が赤レンガのため)」という、政治家に近い検察官より、現場の地検の検察官の方が、政治家の汚職(業界用語:サンズイ)を摘発するのに優れているともいわれています。

サッチョーは国の機関ですが、警視庁とは国ではなく地方の管轄です。元々は内務省(国)直轄機関で、天皇陛下がいる首都警察のため、名称が違うのですが、現在は「東京都警察本部」のことです。本部長も昔ながらの「警視総監」という仰々しい名前です。警視庁は「霞が関にあるが霞が関にあらず」と自虐される方もいらっしゃるそうです(霞が関にあっても、国の中央省庁ではないためです)。

つまり地方の刑事さんが、国の官僚、しかも官邸を巻き込んだ事件を、摘発するというのは、圧力にも屈しないガッツある仕事だと思って、尊敬しています。誰がこの仕事をされたのかは存じ上げませんが。しかも、業務上横領(業界用語:ギョウヨコ)や、特別背任(業界用語:セナカ)ではなく、詐欺(業界用語:ゴンベン)で逮捕したのは、うまかったと思います。官邸が、被害届を出さなくても、「虚偽を伝えて金銭を自分のものした」だけで、立件できるからです。実際、私的流用する際には、M室長はホテルのロゴ入りのレターヘッド便箋を持ち帰り、領収書を偽造していたそうです。そして機密費なので、首相外遊などの際などは、いくらでも官邸の官房長官室にあるお金を引き出せたそうです。M室長は、某自民党の大物秘書の方は「とんでもない奴だ」とおっしゃっておられていた方もいらっしゃいましたが、外務省に強い影響力を持っていた国会議員のS先生によると、M室長はとてもまじめな人で、そんなことをする人には到底見えなかったそうです。しかも当時の「外務省のドン」S元駐米大使など、この人の庇護者も多く、ここまでやっていたということには、驚かれたそうです。私自身も、このM室長、すでに噂になっていた時、日本でサミットがあり、大きなイベントで、遠目で見たことがあっただけで、知人ではありませんが、確かにそんな派手なタイプではないように思いました。余談ですが、世界連邦日本国会委員会現会長が、運悪く、この事件発覚時の外務副大臣だったので、まったく関係ないのですが厳重注意処分されてしまいました。当時の政権は報償費上納を認めませんでしたが、鳩山政権時岡田外相が上納を認めました。

 

当時私は神戸大学を休学して、自社本社を溜池に移し全日空ホテル(インターコンチ)に臨時で住みました。ここは(六本木ヒルズが出来る前の)アークヒルズにあったので、交差点の斜め向かいが官邸・国会で、裏に米国大使館、日本財団、通信社があり、ヒルズにGSも入ってました。ここで出来た人脈は面白かった。当時の総理は先述の小沢さんが活躍した細川・羽田政権から、村山総理をかつぎ自民党が政権を奪還、橋本・小渕さんから森総理に変わった頃です。当選が遅かったのに年功序列を突破して出世された京都の野中広務先生が官房長官で、参院では戦前の大新宗教の「大本」を出て作られた「生長の家」が推す村上正邦先生など、ドンといわれた先生がおられました。故羽田総理は六本木男声合唱団でご一緒しました。

もちろん公明党は、支援団体の創価学会池田大作先生がお元気でしたし、国連では今年亡くなられた大島大使、次席大使は現国連学会トップの神余大使が国連改革や日本の常任理事国入り運動で活躍され、緒方貞子さんも難民高等弁務官として著名でした。バブル崩壊後にしては日本も少し元気になっていたところです。

もちろん今でも、ごっつい先生はおられるのですが、当時はもっと凄かった印象です。でも、このころでさえ「政治家が小粒になった」と言われており、その前はもっと凄い剛腕な人がいたのでしょうね。

 

ただ事件ではキャリアは処分だけで逮捕がノンキャリだけだったのが疑問でキャリア制度は問題があると思っています。勿論ノンキャリ上級登用制度や民間からの登用などキャリアでなくても出世(外務省なら大使など)するケースも稀にはありますが差はやはりあります。ノンキャリで有名な人では、今もご一緒に平和構築を学ばせていただいている慶應出身でノンキャリ採用から上級登用され国連でも活躍された元コスタリカ大使の猪又先生を尊敬しています。また井上義行先生という後に参議院議員になった方も有名ですね。この井上先生は高卒で国鉄の機関士になり働きながら通信制大学を卒業し国鉄民営化とともに総理府に異動を願い出たノンキャリ官僚でしたが優秀で世界連邦国会委員会の事務総長をされていた額賀福志郎官房副長官(後の財務大臣)の秘書官から安部晋三官房長官の秘書官(これらは事務取扱秘書=つまり役所から来る秘書で一般職の国家公務員)を経て、安倍総理の首席秘書官(こちらは政務秘書官なので特別職の国家公務員です)にまでなられました。官邸官僚なのに、北の拉致問題で活躍されて、外務省から越権だと批判されたりしましが、押し切って頑張っておられました(今は、外交も政治主導になってきてますが、当時は外交は外務省がまず公式ルートを通じてやるのが原則でした。政治家のなかにも、これをいまだに気にして、外務省外の外交には否定的な方もおられます。実際、私は、昨年に欧州議会や欧州NGOなどの要請もあって、世界連邦の大先輩の塩浜さんと、国連議員外交を、政府にも協力をしてもらってすすめようとして、100名以上の国会議員の賛同署名を集めたのに、君(谷本)は外相の顔を潰すことになるぞ。それに世界連邦の会長にも恥をかかすことになりはしないか?と言われ、立ち消えになったこともありました。別の議員先生は、これだけ賛同署名を集めて決まっていることではないのかと、残念がっておられる方もいらっしゃいましたが、何せこれを言っておられる方が超大物議員だったので、野党も含めて他の会合に出席している議員先生たちは何も言えない感じになりました)。この井上先生は、公益のためには、嫌われる勇気を持っておられるので、見習いたいものです。ちなみに井上先生は、別の総理秘書官から聞いた話で、日銀支店長役宅(=社宅ですね。各地にあったのですが、当時の大阪支店長役宅は松下幸之助邸に隣接する豪華なものでした)にも負けない、豪華な法制局長官公邸を作ったです。見た目は穏やかな方ですが、なかなか豪快な先生です。安倍総理といえば、二次政権の経産から来られた首席秘書官の今井さんや、内閣参与や総理補佐官になられた和泉さんなどが有名ですが(小ネタですが、ある国際会議で総理の「代理」として和泉さんがスピーチする予定が和泉さんも来られなくて、急遽私が「代理の代理」でスピーチしたこともありました)、永田町や霞が関で一次政権の井上先生は、もっと有名でした。

 

秘書や補佐といっても色々で、政務の首席秘書官というのは、事務の秘書と違い、役所との懸け橋だけではなく、政治的ことまで扱うので、普通は親族を含め、国会議員の秘書としてやっていた人が、信頼されて、そのままなることが多いです。総理をはじめ閣僚などの政府高官は、国会議員である場合、議員としても政策・公設・私設などの各種の秘書がいますし、役所として首席秘書になる特別職の政務秘書官と、役所の職員でもある一般職の事務取扱秘書もいて、これらはそれぞれ別です。

総理の秘書官くらいになると、さらにアシスタントのセクレタリー(秘書の秘書)もいます。もちろん公職的には、首席秘書官は、ランクが上ですが、政治家の秘書というのは、公的な序列と関係なく、長年政界にいて大きな人脈や金脈などの力を持つ人もいたり、秘書と名乗っていても実際は大きな組織を背景に国会に来ている「政界の黒幕」などもいらっしゃるので、なめてはいけません。ごく稀ではありますが、特に「ボランティアの私設秘書」のなかには、本来は大権力者だったりする人がいたりもします。たとえば宗教団体の教祖とか、圧力団体のドンとかですね。基本的には組織からは誰かが送り込まれることの方が多いのですが、直接ドン本人が私設秘書になられる場合もあります。普通は、儀礼上、どんなに偉くても議員先生を立てるのですが、議員先生を叱っている秘書をみたことも実際にあります。

また親族など、影響力を持つ人も、私邸・官舎(公邸)や事務所にはいらっしゃいます。

ある政治家の若い秘書さんが、安部総理の応接間で、質素な老婆が、腰も低く、さも留守番を頼まれているような感じで出てこられたので(実際、人手が足りない政治家には、事情は詳しく知人でも信頼できる人なら、留守番を頼むこともあります)、ぞんざいに扱っていて、私があわてて「あの人は、総理のお母さま、つまり安部家のドンの岸総理の娘さんだよ」と注意したこともありました。

有名な首席秘書官としては小泉総理の議員時代から仕えられた飯島氏などもいましたね。飯島氏は現在内閣参与ですが世界連邦文化教育推進協議会役員になっておられます。また昔は首席秘書官には「番記者」を登用することも多かったそうです。そのなか井上先生は優秀な官僚だったため普通は官僚では局長の前ぐらいの階級の人が総理秘書官になるのですが(今の総理秘書官は局長どころか事務次官経験者までいらっしゃいます)、40歳そこそこのノンキャリアでめちゃくちゃ出世されたケースです。これは夢があっていいことです。

 

いずれにせよキャリアとノンキャリアというのは学卒時一生を決める酷い制度です。民間も似たようなところがあります。同じ会社(例えばメガバンクとか)でも学歴やコネで最初の配属から違い一生歩む道が違います。私は18歳で人生が決まる新卒採用・終身雇用・年功序列はダメだと言ってます。

 

日本の初代内閣総理大臣の伊藤博文も、農民出身で、テロもする志士になって、明治維新に関わり、(兵庫県)知事(当時は殿様)、中央政府高官になって教育も工業化も外交もあらゆることに関与して、(今でも破られていない)史上最年少で首相(さらに帝国議会議長・政党結成・枢密院議長など、あらゆることをやっています)に上り詰めた人なので、キャリアとか関係ないです。自分でも、年齢差別のない、起業家、政治運動家、非常勤の大学教授など、色々とやりたいことをやる風来坊的な人生を送って体現してやろうと思って生きてきました。だからサラリーマンをしたことがありません(採用する側として就職活動のアドバイスをしたことがありましたが、自分が就職活動をしたことがありません)。

また音楽をやっていたので芸能界にも関与したことがありましたが、ここは役所・企業・政治(特に自民党の政治家は、閣僚経験などの役職序列ではなく、当選回数という、年功序列です)同様に、年功序列の世界だったので、生意気だった私は外部から関与することにしました。

なんでも継続することが良いという考え方もわかっていますが、私自身は、一発屋の人にあこがれていて、ワンナイトセンセーションというか彗星のごとく突然現れて成功し、アーリーリタイアする、場合によってはまた復活する、、、とような「ローラーコースターライフ」願望があったのです。

例えばビートルズも、(もちろんアマチュア時代や、ハンブルク修行やバックバンドなどの下積みはありましたが)1962年にデビュー、1963年自国の英国で一番になり、翌年アメリカでも一番になり、1年ちょっとでポッブ文化において世界制覇を成し遂げましたが、その翌々年の1966年には人前で演奏することをやめ、さらにマネージャーが亡くなり自社を設立したものの1968年頃には平和運動・インドヨガなど興味が分かれバラバラになってしまい、1970年解散しました。そう考えると、実際に活躍したのは「わずか数年」です。それでポップ文化に史上最大の影響を与えて歴史に名を遺したのです。

幕末の志士などもそうですね。吉田松陰や高杉晋作、坂本龍馬なども業績は短期間です。龍馬は(江戸剣術留学などはしてましたが)土佐勤王党に関与し志士となったのは27歳、翌年脱藩、江戸で勝海舟門下となり、神戸で海軍操練所を作ったもののすぐ閉じられ、長崎で日本初の商社・亀山社中を作り、幕府の長州征伐で薩摩の資金で海運事業で長州側に協力、薩摩・長州を結び、同社を土佐の公的機関である海援隊に改組、土佐藩会計係の岩崎弥太郎に影響を与え、のち海運から三菱財閥創業者となる道筋を作り、明治政策の基礎ともいわれる船中八策を書き、土佐重臣後藤象二郎を通じ藩主山内容堂から提言させ徳川慶喜の大政奉還に繋げ、33歳になった日に死にました。明治維新は一人のカリスマが中心で革命をしたわけでなく多くの人が集団で実現したものです。だから龍馬について、関係者の仕事が自身の評価につながっているとか、薩長同盟や大政奉還など維新にどこまで影響があったかは議論があります。しかし少なくとも「わずか数年」で、日本をひっくり返したと言われるくらい歴史に名を残しました。

「わずか数年」で成功、というのは、とても夢があります。何歳でも、寿命があと数年あれば、歴史に名を残すことが出来るかもしれない、ということです。

こういう事例は普通では極端な話かもしれませんが、私は「パッと花火を上げるような一発屋」にはあこがれます。そのため、「農耕民族的」村社会より「狩猟民族的」な生き方が好きで、そういう意味では米国の方が向いていたかもしれません。

 

年功序列の芸能界の事例では、「芸能界のドン」とも呼ばれた超大物マネージャーを、ベテランの歌手の方がチャン付けで呼んでいるのを見たことがあります。この超大物マネージャーの会長さんが若いころに、この歌手の方の運転手をされていたそうで、一生頭があがらないようでした。この方々は仲が良いので、まぁ良いのですし、例外はあるのでしょうが、いずれにせよ年功序列では天下を取るには何十年もかかるなぁと思い辞めておきました。実際に、私も学生時代に、学術論文を寄稿した時、書籍を書いた時、映画のプロデュースをした時など、全てにおいて、大先輩の勧めで、自分の上の人のお名前を借りてやることにしたことがあります。ゴーストライターやスピーチライターという意味ではなく、有名な人の名前を使えば売れるという理由でもなく、年功序列の世界では学生がこんなことをしていたら「嫉妬ですぐ潰される」という意味です。もちろんサラリーマンではないので騙されたり苦労もしましたが、それなりに面白い半生でした。

 

さぁ、話を戻して、今国会では、外務省から国際連帯税の項目が盛り込まれていませんでした。

国際連帯税は、国際間取引に課税をして、国際機関などで使おうという税金です。

国が国民にかけて国のために使うのが国税、県などの地方自治体が県民などにかえて県民のために使うのが地方税ですが、

世界のための税金はありません。

将来は世界連邦として世界税を導入したいですが、国家が主権を持つ現代では、そういう徴税の権利は、まだ「世界」にはありません。

そこでそれぞれの国が、国際間取引に課税して、国際問題に使うというのが国際連帯税です。

もちろん、これが進めば、国際協力のための国税負担が減るので、実質そちらを減税すればプラマイゼロで増税されるわけではありません。

しかも日本のインフラを使って上がった収益が他国に持っていかれている現状では課税するほうがはっきりして、国益にも寄与します。

 

ただ国際連帯税は、毎年どんどん下がり、昨年は「二重△」、今年はついに項目入りしなかったのです。国際連帯税の議連では議員立法も検討されており、法制局の方たちとのミーティングにも同席させて頂きましたが進みません。ちなみに、予算がつく法案を提出するには、衆議院なら50名、参議院なら30名の賛同が必要です。多数が必要なのは、国益より自分の選挙区への利益誘導優先を避けるためです。

いまODAを維持するのは苦しい。国内も大変です。コロナで予算があっても事業も出来ないです。ただ国際取引、しかも実態経済と違うギャンブル投機取引にかけて国際機関に直接入れる有効に使えます。将来の世界税にするための世界連邦的発想だけではなく、日本は少子高齢化のなか世界に投資をしてればまわりまわって、国益にも資すると思います。コロナのワクチンの国際航空券税も、今の航空業界では全くお話になりません。

でも世界的「金あまり」の状況で、為替商品に対するAIでの高速投機取引での先物取引などの金融派生商品には、安定的な長期的実質経済に影響するので、これにかけたいです。これは河野太郎元大臣が中心に、麻生太郎総理も認めていた案です。もともとトービン税といって投機取引を抑えるための学説があって、これを素直に取り入れたものです。フランスのような国際航空券はさすがに今の航空不況では潰されるでしょうし(本当は、国際航空で移動する人が少し負担するだけで、航空会社が負担するわけではなく、導入国でも航空会社の売上に影響しなかったというデータもあり、心配無用なのですが)、欧州のFTTを参考にする場合がありますが「金融全体」にかけるのは投資離れなど実態経済に影響するので難しいと思います。無理せず為替に専念する方が良いと思います。

 

これは国際機関の拠出金として、国税から出している分が減り、為替高速取引などは中間層や貧困層はしてないので良い徴税だと思います。国際格差解消でも良いと思います。外務省委託で日本総研が世論調査をしたら過半数が賛成です。増税賛成はあまりありません。国会は、国権の最高機関で、唯一の立法機関です。しかも税を扱うのは納税者でもある国民の代表たる国会です。閣法が無理でも、議員立法でもありがたいです。来年は実現を目指したいと思います。

 

先週末、世界連邦日本国会委員会衛藤征士郎会長・自民党外交調査会長・税調副会長、佐藤正久自民党外交部会長らが、首相、官房長官に、外務省予算7700憶円を要求しました。

 

谷本真邦

令和3年11月1日です。Halloweenの選挙がおわりました。投票行かれましたか?

 

選挙は民主主義を体現できる唯一と言っても良い手段です。

「世論」は、メディアの評論や、ネットの拡散などではく、選挙なのです。

 

現在の世界では、「(自由)民主主義」と「専制(絶対王政・独裁など)主義国」が対立軸になっています。「資本主義」と「共産主義」の対立軸がないように見える世界でも違う形で続いてしまいました。

 

私は、民主主義は大切だと思っています。もちろん以前にも書いたように民主主義にも弊害はたくさんあります。大衆迎合で無茶な公約によるポピュリズム・衆愚政治が起こるとか、多数(51%以上)をとったら少数(49%以下)を弾圧できるとかですね。

これから、もっと政治制度は精査していかなければならないとは思います。ですが今のところ民主主義は一番マシかと思っています。

 

ただいずれいせよ、人間は動物なので、自然に「ボス」は生まれると思っています(特に、狩猟採集のみで生きる動物ではなく、農耕が始まって、「社会」が成立すれば、一層必要になると思います)。

狩猟採集生物でも「縄張り」があったり、群れを作るタイプの猿などにはボスがいます。ボス、つまりこれは政治であり、これは生物としての本能なのです。

ただし、このボスを作るために、民意、つまり群れの構成員の意志が反映されるのは大切なことです。ボスに従属させられているだけでは幸福に生きていけないです。ただ、生物の本能では、ボスになるための方法は、喧嘩に勝つことです。つまり武力で制圧してボスになることですが、人間は火と道具を持つようになり、この喧嘩(戦争)が発展しすぎて、子供も含めて皆殺しをするようになってしまい、これは、やってはいけない政治手段になってしまいました。だから次に考えたのは世襲制ですが、これも結局は子孫が適正があるかどうかがわからないため、側近政治や寡頭制になって、権力がどこにあるかわからなくなってしまいました。それで、最終的に、みんなから平和裏に、入れ札で、ボスを選出するという考えが生まれたのですが、これはかなり良い方法ですね。

 

また「議会の議員が各地から選出されるという仕組み」も大切で、放置される地域がなく、このお陰で一部の地域で飢饉などが起こることはありません。

世界に、世界議会や、世界政府、世界裁判所などがないため、放置されて飢餓がまだ残っているのです。これは世界連邦の私の思想の根幹でもあります。

 

さて話題の本筋の今回の選挙ですが、我が世界連邦日本国会委員会の会長は、自治体首長・参議院議員を合わせると50年の政治歴があります。これは現在は野党の小沢一郎先生に継ぐ日本二番目、自民党では最長老です。年功序列の自民党にあって、党最大派閥筆頭の最高顧問、党総裁直轄特別機関で、部会の上にある外交調査会会長、与党税制調査会副会長、という重鎮です。そのため伝統ある世界連邦日本国会委員会会長をお引き受けしていただいております。私は年齢差別や働ける人は働いて欲しいという生涯現役主義者のため、かねてから反対している定年制のため、比例復活ができないという危機的状況の中、元々社会党が強い地元のなかで、相手候補の親分で社会党重鎮が亡くなり「弔い合戦」の様相を呈するなど、党の調査で少し前の圧勝ラインからBマイナスというギリギリラインになって接戦になりましたが、しっかり勝たれたのは、さすがです。本当に嬉しいことでした。外交・安全保障は、地元支援者には「直接的には」受けないことかもしれません。しかし実力のおありになる先生が活躍していただけることは、国や世界のために、ひいては地元の方にも、幸福なことだと思います。

 

総理経験者などは無難に当選しましたし、

かなり長く幹事長をされたので色々言う人もおられますが(本来はとても良い人です)前幹事長の二階先生も、当然当選されました。

少々いろいろあった山口県の林先生も予想通り圧勝されました。林先生とは国際連帯税議連でも、ご一緒しましたが、今後、出世される可能性が高い先生です。

 

世界連邦日本国会委員会事務総長も、閣僚を歴任された立民党の大物(最高顧問)ですが、この方もちゃんと議席を守られました。ありがたいことです。

 

今回の選挙は自民党の圧勝と言っても良いと思います。前回は野党の分裂などで大勝しており、解散時276席もあったので、233席の過半数を目標にし、30∼40議席落とすのではと言われていましたが、20席代程度の減なら勝利、40席以上落としたら執行部は責任を問われるだろうと言われていました。結果的には261席の絶対安全多数を取ったというのは、静かな圧勝でしょう。これは野党共闘という強大な相手の中、選挙区候補者選びがあったからでしょう。

 

ただ、世連でお世話になった重鎮では、世界連邦日本国会委員会では総理や参院議長とともに顧問に就任していただいている大島理森衆議院議長をはじめ、そのほか伊吹文明元衆院議長、井上義久元公明党副代表、塩崎恭久元厚労大臣など、有力議員が次々と引退されました。

そんななか、せっかく出馬された野田毅先生が、落選されたのが残念です(この方は伊吹先生同様、大蔵官僚出身で、40数年国会で活躍され、私が深くお世話になった与党税調でも活躍された長老の先生です)。

 

幹事長も経験され派閥の領袖でもある石原伸晃先生も落選されました。私の身内も関係していた先生ですし、個人的には石原軍団のファンでしたので鉄の結束の軍団の解散とともに、落選されたのは残念です。昔事務所でご挨拶したとき、金宇さんという「黒部の太陽」を撮ったキャメラマン(カメラではなくキャメラといわなければなりません)の偉い人がベテランとして悠然とされていたり、岩崎さん(石原プロで裕次郎さんがご存命の頃から既にいらした方)が厳しく仕切っておられた頃が懐かしいです。選挙区は、住宅街なので、リベラル支持が多いのですがそれだけではなく、大新宗教の本部や多くの寺社仏閣も多いのに、「宗教にはコロナ持続化給付金を出さない」と言い出され(陰謀的に党総務会で言わされるるようにされたのかも知れませんが、、、。政教分離の原則や、宗教法人の免税特権もありますが、今では税務当局も宗教法人の事業活動にとても厳しく、ある意味では納税をしている普通の法人です。そういう理論で言えば、他の法人同様給付金は貰えるはずです)、結局この問題は解決しましたが、これは寺社仏閣の票田に響くミスでしょう。

 

ただ、実はこれらの先生の苦戦は、調査からは予想されていたことでした。マスコミの予想ははずれたと言われてますが、党がやっているような電話回しのような調査では結構はずしてません。一部のメディアではネットを導入したようですが、これは予想を外しますね。しかも出口指差し調査で、言わない人も増えてきています。

 

これらの先生とともに、今回は甘利自民党幹事長が、小選挙区で負けたことが、メディアではフューチャーされてますが、この方は以前から選挙区で負けた経験もあり、ある人が怪文書を流しまくったりもしていて、総裁選で県連に良く思われなかったとか、落選運動をされた方もいて、いろいろと苦戦をされました。ただ比例復活されているわけで、落選した(比例議席を1つ奪ったものの、議席を失った)というわけではなく、本来は幹事長として、党を勝たせたので功労者です。小選挙区でもそんなに差をつけられて負けたわけではありませんので、辞めるほどの責任はないと個人的には思います。でもズルズルいると問題が長引くので、勝った選挙に水をさしてしまうので、こちらも残念です。

「永田町の大物であっても、仕事ができる人も、実は良い人でも、一般の人気や、地元で強いとは限らない」という典型の先生です。

 

こうして世界連邦日本国会委員会メンバーの先生方の中には、ご勇退された方、残念ながら落選された方が、複数いらっしゃるので、また新たな先生方をご紹介していただき参加していただかないといけません。最近は小選挙区制や風が吹いたり、選挙で国会議員の先生の入れ替わりが多いので、困ったことです。

 

幹事長後任は、茂木先生になりそうですが、この方はビジネス界・コンサル出身でありますが、非常に事務方的な仕事の出来る人です。選挙対策についても経験があり、来年参院選のことまで考えると、適任ではあります。

 

来年の参議院選挙は本当に重要です。ここで票がどう動くかで、国政が左右されます。現政権の基盤が強くなるかどうかがきまります。あまり詳しくは述べませんが、日銀人事も関わってくるので、日本経済の動向が動くでしょう。

 

茂木先生にちなんで、また余談ですが、私が少年時代、今ほど「ハーバードのプロスクール」や「戦略コンサル」が、まだ、はやっていないときに、それをしていた方です。まだ、このころは、(もちろん例外はありましたが)何といっても東大がエリート、ハーバードやオックス・ブリッジなどの留学をするということもありましたが、これは学者のすることでしたので、大学院ではアカデミアから見て、MBAなどのようなケースメソッドを使ったプロスクールは少し下に見られ、コンサルや投資銀行家などは、日本向きではない、と言われていた時代でした。

 

ちょうど私が子供のころ、一般的な日本社会では、官僚が一番で、その次に学者・医師・弁護士・会計士などの専門家、その次に一流企業社員が、良いとされていました(芸能人やスポーツ選手のような特殊なスターは例外ですが、、、)。官僚でも、外務省を除いて、在外研修として外国大学院に留学するのは、まだ一部でしたし、バブルがきて以降は大学院プロスクールで在外研修が流行りはじめましたが、実際の勉強はハードなものの、会社側からは「箔をつける」「一時のレジャー」で、帰ってきたら「その学んだ知識を活かせろ」というより、「良い思いをしたのだから次は現場でベタにがんばれ!」みたいな時代でした。

 

私は少年時代は、好奇心旺盛であらゆることに興味をもちました。そのなかで哲学、宗教、物理・化学の他、歴史も好きでしたが、歴史上の人物はもちろん、現代人にも関心があり、多くの人の人生に関心がありました。指導者層だけではなく、一般の人でも、みんな結構波乱の人生なので面白いのです、

だからTVは洋楽ライブ・スポーツ・映画以外、ほとんど見ないのですが、実は「徹子の部屋」が大好きです。人生経験豊富なゲストのお話を徹子さんが面白く引き出されて楽しいです。また同じ感覚で、老人ホームの傾聴ボランティアも、とても楽しいです。大手の高級介護付き住宅会社と関係しているので、著名な方もいらっしゃいますが、社協系や災害仮設などは普通の方です。でも普通の方でも、とても楽しいです。

これは時代背景を知らないとつまらんのですが、時代背景を知ると、本当に面白いのです。

子供たちと遊ぶのも楽しいですが、人生の大先輩に失礼ですが高齢者と交流するのは、別の意味で楽しいです。

高齢者の「昔話」や「自慢話」は嫌い、という若い人も多いそうですが、なぜか私はとても好きでした。

少々「盛られる」人もいますが、嘘は前後関係を聞くと、辻褄があわないので、すぐにわかりますので、やめた方が良いとは思いますが、それはそれで、ご愛敬です。

 

その関心を持った一人に、(エリートですから普通の人ではないですが)ルイスガースナー氏という、有名な経営者がいました。氏は、ハーバードのMBAから、マッキンゼーに入り、その後顧客であったアメックスの経営に関与して自分が経営者になり、その後ナビスコ経営者(そのころに存在を知ったのですが)、さらにIBMの経営者として復活させて、カーライルという国際的投資会社の会長になられた「経営のプロ」です。

日本では三井の社長は三井だけ、三菱の社長は三菱だけという、終身雇用だったので、経営者でも〇社の社長というのが一般的で、社長の専門家としていろいろな会社を渡るという、こういう生き方もあるのだなぁと、興味を持ちました。

また、起業家にしても、政治家にしても、アーティストにしても、日本の常識は世界では違うのだなと思いました。

もちろんアメリカでもジャックウェルチ氏のようなGEにずっと務めて出世し経営者になってからGEの立て直しに成功したというような日本的な方もいましたが。

 

後にジュリアナ(英国企業のフランチャイズのオオバコ=当社は商社の事業でしたが個人でされることになりました)やベルファーレ(エイベックス系のオオバコ)というディスコ経営から、モデル事務所経営を経て、別の軽作業請け負い会社を企画して抜けたられた方が設立した会社の株を買ってグッドウィルグループを成長させた折口さんという方が「経営のプロ」を自称されて、この言葉を広められました。

ただ、この方は、防衛大で学び、商社から独立し、失敗しても、再チャレンジされ、資本主義制度を活かせて株売買で成功される姿は、経営のプロというよりも、堤康次郎さんや今で言えばイーロンマスクのような、資本主義のベンチャー連続起業家の先駆けのような方だなぁと思っておりました。そのため、私的には、経営のプロというと、どちらかというと折口さんタイプよりも、雇われで会社の経営者を渡り歩くガースナーのようなイメージでした。

 

まぁ、そんなこんなで、こどものころから、戦略コンサルタントの存在には興味を持っておりました。そのずっと後に、大前研一さんが、「平成維新の会」を立ち上げられて、戦略コンサルの存在が有名になりましたが(平成維新の会は、細川総理の日本新党ほど成功はしませんでしたが)、この方は早稲田卒、東工大院・修士、MIT院・博士を経て日立から、マッキンゼーに入られ、コンサルタントで出世された、当時としては国際的エリートキャリアで、のちにスタンフォードなどで教え、自身のネット大学を作られたりされていまでも活躍されています。

ただ、その前から堀紘一さんという方がいます。私が起業家時代に。所属して、ファーストテノールを担当していた、音楽家の三枝成彰先生主宰「六本木合唱団」という、プロの著名な音楽家と、政財界の人が一緒に、著名な世界のコンサートホールでクラッシックのコーラスをしたり東京マラソンで君が代を合唱したりするという楽しいサークルがあって、ここでご一緒した方です。この方は、中曽根大勲位と近い、駐伊大使の父を持ち、東大卒後、新聞(読売)、商社(三菱商事)勤務から、ハーバード院でMBAを経て、ボストンコンサルティングで活躍されのちにベンチャーキャピタル・インキュベーターとなられました(岸田さんが総裁になられた時に、秘書官に経産事務次官クラスがなると書きましたが、実際に嶋田さんという経産事務次官から、この堀さんが創業されたドリームインキュベーターという会社に入っておられた方が、総理秘書官として官邸入りされました)。

この方や、デジタル監の石倉洋子さんなどもそうですが、これらの方が「今はやりのビジネスエリートのキャリア」の元祖的存在の方です。

今は、こういうキャリアの人が、増えてメジャーになったので、外資系のコンサルや機関投資家は、エリートサラリーマンの典型化してきましたね。

 

そして、肝心の茂木先生なんですが、ちょうど堀さんから十年ほど後輩で、東大卒後、商社(丸紅)、新聞(読売)、ハーバード院(こちらはケネディースクール)を経て、マッキンゼーでコンサルタントで活躍され、これは堀さんとそっくりのキャリアだなぁと思いました。ケネディースクールなので公共政策に関心があるのかなぁとは思っていましたが、茂木先生はマッキンゼーの先輩の大前さんの平成維新の会の事務局長になられ、政治家になられました。茂木先生は、あの人は優しいという人と、不愛想な(こわい)人だという両方の評判がある方ですが、写真的暗記力があり、ふりつけた文書を一瞬で覚えるという特技があります。

 

いわゆる官僚出身・大実業家出身・議員秘書出身・地方議員から、二世の世襲議員が大流行りの時代でしたし、まれに松下政経塾出身者、言論人なども出てたりもしていましたが、一部では旬をすぎた(失礼!)芸能人・スポーツマンなども政界に出る時代で、「政治家になってもおいしくない」という風潮があるなか、(私も世界連邦主義者の学生起業家でしたが、この雰囲気が影響して、国会議員を目指すキャリアを歩む気がなくなったということもあります)、「こういう方も、政治家になるんだ、、、これは良い!!」と、少年ながら思った人でした。

とんとんと出世、選対や党政調会長などや経済閣僚も複数経験、今や経政会の流れを組む平成研という派閥を率い、外務大臣に就任されるなど、大物議員になられました。

 

ただ個人的な話として自分の会社でも、外資系の戦略コンサルタント(戦コン)を使ったことはあるのですが、億単位のお金がかかりました。相当な分析資料をいただきましたが、売上や資本増強には効果はなかったので、余裕のある大手企業が勉強のために使うのは良いと思いますが、ベンチャーには、戦コンは身の丈に合ってなく、国際(渉外)弁護士や、ITコンサルの方は、実務的で良かったです。それでもコストは結構かかりましたが、、、。彼らは「経営を上向ける」よりも、経営の教師として「お金を取るプロ」として、本当に一流です。

・・・結局自分で勉強して、率先垂範して、やることにしました。

 

しかも、起業家で、上手くいったものもありましたが、少し失敗もしたので、その会社を大手に売却してから、国際的なお金をテクニカルに活用して、会社売買を本職にしてからは、前に出なくなりました。私は根は、資本主義者ではなく、どちらかというと社会主義者に近いのですが、当時(今も)の世界の経済を動かしていたのは資本主義なので、まずは資本家になるのが王道だと思い、連続的に起業に投資をして、会社売買をするようになったのです。

会社は「将来利益」も価格に出来るので一番儲かる「商品」です。また買収は長年の経験が詰まっていて多くの人々の人生をかけた結晶を買うことと同じなので、表現は悪いですが「時間と、思い」を買ったと思えば、大金を払っても十分価値があります。

ただ、原資は、貯金をしてからでは、人生が終わってしまうので、やはり他人のお金でやらねばいけません。逆にいえば、これが株式会社の原点です。そのため、自分はあまりお金を取らないようにしました。それで仕事ばかりして、組織の財産に囲まれてくらしています。

 

たまに「自分で稼いだ金をどうしようが勝手だ」という人がいますが、それは間違っていて、稼げたのは、努力などは当然の話で、それ以外に、たまたまそのステージに乗れたという「運」が最も大きいし、なんといっても多くの人々の支え、先人が築いたインフラがあって、初めて稼げるのですから、そこは謙虚にならねばなりません。

 

ただ、今は世界連邦運動家になったので、自分個人のお金は儲けていないです。自分はそれでよくても、問題は世界社会のために「年中無休無給で働く」という状況になってしまったので、親族には良い思いをさせれてないので、叱られてます。

それから自分の後輩の会社が、一部は幸いうまくいっておりますが、一部はうまくいかなくなっているので、株主であり創業者である私が責任を取るべき、という人もいます。

それに「プロ」として、ちゃんと自分を高く売りなさいと言う諸先生方もいます。それも一理あります。

 

お金を稼ぐという事自体は、お金は経済の血液ですから、私は悪いと思いません。むしろ質素が生む「貧困」は悪です。

また私は自分でも商才があると思っていて、実際必要な時は、もちろん合法取引に限定しても「〇〇という報酬をいただくのが条件です」と言えばいいだけなので、そんなに難しいことではないのですが、社会運動家は、なんとなくそれが言いにくいという潜在意識があり、これを直さないといけないですね。

 

起業家時代の方が、会社(株主=実際は自分が大株主なので自分)の利益のためにやってると堂々と言えたので、お金を儲け、贅沢もしましたが、金融(金融は凄い儲けている人がいますが批判の対象ですね)や、社会運動家では公的な理念なので、お金儲けが、よいこととされていません。しかもMDGs、SDGsの時代になってからは、「お金持ち」というのは流行らないですしね。

そのあたりで、「質素」から、「富裕」に、いつかシフトチェンジするかどうかを、悩んでます。

 

 

さて、今回の選挙では、立民と共産が野党共闘したことが、マイナスになったといわれますが、そうではないと思います。やはり一騎打ちになったのは、小選挙区では有利に働いたのではないかと思います。実際、自民党は接戦になって負けた人も出たわけですから。

 

ただ立民と共産の共闘というのは、思想的には、やはり問題はあると言わざるを得ないかと思います。閣外協力というのは、民主主義・議院内閣制の理念に反する、ある種のディープステート思想と思われかねません。そこに比例の少々減った理由があったのだと思います。まぁ議席が減ったので、いろいろな意見のある立民党では枝野代表は辞任せざるをえないでしょう。ちなみに小話では枝野代表はヘビースモーカーで国会外での会合の時には、念のため喫煙所の同線確認を警察としないといけないですね。

 

小選挙区は中選挙区に比べ、死に票が増えたり、一位が議席をとるので風が吹けば大きく議席がブレるので、なかなか難しい制度です。メリットは「選挙に金がかからない」というのと、「二大政党制にして政権選択を国民が出来ること」なのですが(実際に権力の絶頂にあった小沢一郎先生がいろいろな政党を連立させて成功させました)。ちなみに落ちた人が比例復活するのはどうなの?という意見がいますが、これだと単に凄い少数でも1位だけが議席をとれるので、2位でもまぁまぁ票を取れた人も議席を与えないと「死に票」が増えます。だからこの制度は小選挙区制にはあった方が良いのです。比例の制度自体の問題は別にあるとは思いますが(昔ブログに書きました)。

 

ただ共産主義の日本共産党さんだけは、天皇制度で資本主義の日本とは根本的に思想が違うので、これは混ぜられないのです。比例で立憲の議席が減ったのはやはりこれだと思います。

そもそも共産主義とは、「資本主義が成熟して、社会主義を経て、共産主義を目指す」ものなので、いきなり共産主義になるわけではわりません。共産主義というのは、段階があるのです。第一段階、第二段階、、、と。ソ連も中共も共産主義国家を実現できていません。その過程で名前こそ同志、書記長などにしてますが、事実上、絶対王政国家や全体主義独裁国家でした。

日本共産党も、現実路線に寄せてはいても、段階を経て「共産主義を目指す」ということは変わらないので、この最終段階は、今の日本の体制の考え方とは違うわけです。

もちろん、時代とともに、共産主義の定義やあり方も、いろいろあるし、変わりもします。だから良い、悪いは別です。

そのため「思想の存在」を否定しているわけではありません。しかも共産主義は「平等なパラダイスを作ろう」という思想なわけですから、理想的ともいえます。資本主義が成熟して、、、ということですから、「終わった思想」ではなく、「これからの世界思想」なのかも知れません。

ただ「今の日本」の政体と、「これまでの共産主義を目指した国」の実績が違うだけです。

 

そのため日本共産党は、その名と、完全に解散して新党を作られるならば別ですが、日本共産党は、あくまでも共産主義の共産党なので、中道の今の政党と相容れるのは厳しいのではないでしょうか。

私は、武力が大きくなりすぎた現代では当然暴力革命はダメだと思いますが、、、それはそれとして、「理想」は貫いていただいて、そういう時代がくるかもしれません。それまでは、おもねないでいいただきたいくらいです。

 

維新は伸びました。自民党も立民党も、人もふくめて、源流は古い歴史がある政党ですが、維新は新人も多く「新党」に近いです。大阪発なので、特に大阪の反自民の保守層を大きくからめとった感じですね。連邦国家でもないのに、こういう地方政党が、のびてきたのは、凄いなぁと思います。しかも橋下さん以降、吉村さんなど、顔を作るのもうまい。政策がうまくいかなくても、それを補って余りあるくらい、メディアへの対抗策も、喧嘩も、とても上手なので、やり方次第では、国政でも、とても伸びるかもしれません。

ただ、ネックは自民党と違い権力に対する執着が弱いことかと思います。「与党に是々非々」と、政党の本来目的である、自分自身で「政権を獲得する」ということが、大阪以外では見えないので、地方政党というイメージがぬぐえない原因ですね。

これから国対の野党連合から出た国民民主らと、キャスティングボートを握るようになるのかは、見ものです。

 

でも、政治全体は、我々のような少し関与しているものは別として、ネット検索などを見ていると、衆議院解散時も、サッカーワールドカップだとか、最近だと小室さん夫妻のことだとか、他の話題が多く、やはり関心は薄いのだなぁと思います。もちろん国家が安定しているから(官僚への信頼??)、任せておけばいいという面があるのかも知れません。

 

古代から、王政が僭主政に、貴族政が寡頭政に、民主政に衆愚政になるということを言った人もいましたが、民主主義はチャーチルのいうように「マシ」ではありますが、「最良ではない」です。衆愚だけでなく、多数派絶対(多数派が少数派を弾圧できる)、いろんな意見があってすぐに決められないなど、問題がいろいろあります。

でも、国民の意志を反映させなければ、国民の生活はよくならないので、理想的な「哲人王」がいない以上、民主主義は大切な制度です。だから投票率は上げたいとは思います。

ただし、「なんでもいいから投票所へ」というのにはちょっと、、、と思うところもあって、これらの危険があることは忘れず、主権者として、ちゃんと考えて、投票しなくてはいけないです。

 

最後に、世界連邦運動家として、、、。やはり世界議会が欲しいです。そうすると世界中に光があたります。もし国会がなければ、為政者は困窮する地方があっても、放置しても、構わないっちゃぁ、構わないのです。

国際連合は、あくまでも主権が加盟国なので、全然違います。だから今困窮する国があっても放置しても構わないのです。

 

このところ、選挙があったので、日本の政治や社会のことを書いていましたが、私は「郷土愛」という意味で(つまり、日本という、比較的良い国に生まれ、守られながら、育ってきたので、、、)愛国者ではありますが、日本の政治に取り組んでいる政治運動家ではありません。

私は世界に関心があります。だから脱藩浪人の志士になったつもりでいます。

また、世界を良くすることは、まわりまわって日本も良くなることだと信じていますしね。

 

ただ、もちろん物騒な話をしても仕方ないです。明治維新の時代や、かつての世界大戦、各国の革命・クーデター・国家独立紛争などの季節と違い、もう暴力や大規模デモでは、犠牲が出るだけで、ちっとも世界は変わりません。むしろ、そういう暴力が一部の国では、まだやっているので、世界から、なくしていかねばならないです。

喧嘩や騒動が大好物な私でさえ、意味がないうえに、関係ない人が犠牲になるような、暴力や政治は全く嫌いです。

暴力的な行動は、国家の持つ軍事力が強大なのと、監視社会なので、簡単に、拘束されるか、命を取られて、終わりです。

世界に関心があっても、今は「国家主権」なので、便宜上、現在ある枠組みで、自国(日本人なら日本)の法のもとで、合法的に仕事をしないと、何もできません。

だから、自由な身分でいながら、トラックⅡの「外交」の範囲で、勉強したり、起業したり、ロビー活動をしているわけです。

例えば、国際条約の刑事責任を含む国際司法裁判所や国際刑事裁判所の権限強化や、国際連帯税を導入して財源確保をしたり、国際連合を強化するなど、機能的な方法を模索するしかありません。

これらの運動は、夢物語のようで、あまり実効性が乏しく効果的ではありませんが、「機が塾するのを待つ」しかなく、その間は、これしかありません。

坂本龍馬も、大政奉還・無血開城からの国家統一・議会制民主主義を実現させるに至るまでには「腫物は、ふくらむのを待たなければ、針をさして、膿も出すことはできない」という言葉を残しております。時期を待たなければ世界の問題は解決しないということです。しかし龍馬の死後、廃藩置県・憲法制定などを経て、これらは実現しました。

夢は、「現実的でない、意味はないから、考えない」のではなく、持ち続ける、機が熟するのを待つことも大事です。

 

でも、もしいつか「世界国」の世界民の代表たる「世界立法府」や、そこから作られた「世界政府」が建設できれば、(世界の隅々からも議員がでてきますから)世界中放置できなくなるというわけです。こういう日を夢見て、活動をしていきます。

 

 

世界連邦

谷本真邦

 

令和3年10月20日です。選挙期間でもあり、色々な連絡や相談があって、多忙な時間を過ごしています。ただそのなかで、多くの諸先輩から言われることがあります。これは今に始まったことではなく昔からのことですが、ここ最近特に多くなってきました。

 

それは何かというと、「君は(政治的に)色々やりたいことがあるようだけど、何故自分でやらないのだ?」と言われることです。

実際、ロビーイストやフィクサーみたいになりたかったので、表に出ずに裏でやってきました。

 

この文も、思いつくまま、書き綴っていますが、日記(遺言?)替わりに書いているので、特に読者を広げようとする努力はしてないです。

マスメディア出演どころか、書籍にしたり、SNSでの発信などもしていません。事務書類は山ほどつくりましたがね。


でも「自分で何もしなければ(裏の存在では)、人は相手にしないよ、馬鹿にされるよ」と、叱っていただく方も多く、これはありがたいことです。しかも、そんなことを言っていただけるのは、尊敬すべき人格者や、位人臣を極めた方ばかりです。

 

最近は、世界連邦運動関係では、WFM(国際事務局)で、(多忙のためエグゼクティブコミッティーメンバーになることは辞退しましたが)アドバイザリーカウンシルメンバーにはなり、国会で複数の有識者諮問機関の事務局長として世界の国連・外交高官・専門家の方々を組織させていただいたり、国連関係を勉強し、大学客員教授や大学付置機関局長をしたり、ロビー活動や、好きな音楽やスポーツのフェスなどの催事のオーガナイズなど、様々なことに参画させていただいています。ただ、常勤もしくは専任の役職は既に辞しており、無報酬も含む非常勤で、「アーリーリタイア」しているような状態です。

 

 

そこで、もっと「自分が前に立ってやりなさい」、つまり自身の論文や本を書いたり、メディアに露出したり、さらにはもっと「高位」に就いたり、「名誉ある賞」などを貰えるような挑戦をしなさい、という言われることが多いのです。

表面的なことだけでも、催事などで、バックベンチ(議員の先生の後ろで事務方が座る席)に座ってないで、前へ出て仕切りなさい、という方も多いです(ただし私は選挙を経た国会議員ではないため、それを良く思わない人もいるでしょう)。

 

しかも最近は、「本気に出来るようなお話」が少なくなってきました。かつては、少年時代から、10年くらい前くらいまでは、分野や違えど、少年時代はスポーツや音楽の世界でも目をかけてくださる方もいらっしゃいましたし、成人後に経営者として定着してきたころからは応援していただける財界の方も多かったですし、政治家になる(選挙に出馬する)ことや、様々なポストのヘッドハンティング、大手プロダクションのマネジメントでメディアに出演することなど、よくお話をいただきました。

 

「谷本を前へ出したい」と、いわゆる「政財界の大物」の方に、思っていただけることも多かったです。

うがった見方をすると、「神輿は軽い方が良い」からかもしれません。

 

昔のお話ですが、以前私は、かなり長い間、もじゃもじゃのロン毛のヘアスタイルを通していました。j実は私は本来はド直毛です。これは海部総理が、革新的な世界連邦を目指す運動家なら、トレードマークを作って、一目見て谷本とわかるようにしないといけない。普通の格好では、普通の役人や政治家と見分けがつかないから、シンボルになれない、ということで勧められました。実際、その海部総理もご自身のトレードマークとして大きな水玉のネクタイというのが有名でした。(例えが良いのかどうかわかりませんが)レーニンだって「ハゲ・ヒゲ」だからわかるのでそれがなければ誰が誰だか、わからんよと言われました。たしかにあの悪名高いヒトラーだって、政権獲得までの有名になる過程において、ちょび髭がなければ、だれだか見分けがつかない、ただのおっさんです。

さっぱりとショートカットにすると叱られたものでした。まぁ別の人などからは、サッパリと髪を切ると「おっ、ついに選挙に出る腹づもりができたか?」という秘書の人もいらっしゃいました。もちろん「ないない」と答えておりますが。ただ、残念なのは、海部総理もご高齢で、このお話を先日したら、既に忘れておられました。

 

学生時代に、経営していた会社を常務に任せて、NYに短期留学をしたのですが、その時に知り合った方の紹介で、国連で無償でお手伝いをしてみました。でも挨拶で、国連批判をしまくって、(まだ世界連邦運動には従事しておりませんでしたが、世界連邦的な思想を持ってましたので)、これほどまでに国連は加盟国中心だとは思わず、世界で最もナショナリズムが集まった結晶だ!とかなんとか言った気がします。)、すると、〇〇マフィア(マフィアと言ってもギャングではなくその人のまわりの結束の固いグループのことです)と言う派閥があるくらい、人気のあった国連の高官の方(この方は一般の人には無名ですが国連では今でも有名な人です)に、特別枠もあるから国連へ来いと、いってもいただきました。

ただ、そのNY短期留学は、結局仕事があったので中断して帰国、日本の国立大学に復学して、会社経営に戻りました。

 

そこで、国連のことも、忘れてはいなかったし、国連高官の方々から、何故か非常に可愛がってもらえ、当時あまり普及すらしていなかったメールを使って、関係が続いており、「次こそは」と、会社を退任売却し、当時在籍していた大学(まだ学部でしたが、、、)の指導教授の推薦をもらって、指定大学だったケンブリッジのキーズ(Gonville and Caius College)に派遣留学をするお話が出ました。勉強の中身も、「長年研究しても新発見でころころ変わっていた」理論物理よりも、経済学や社会学で数理モデルで社会実験手法を確立したりするのが面白いなぁと思って、変えてきていました。その後は政治学、経済学、公共哲学、社会思想史など、社会科学全般が好きになりました。

そして、内心では、そのまま転籍し、あちらでPh.Dをとって(日本のような、学者が論文で請求する乙博士がない分、場合によっては日本よりも早く課程学位がとれるという制度もありました)、その後国連職員として入れていただこうなかなと思いました。もしその〇〇氏が雇ってくれなくても、あるいは最初は下位のP2レベルからでも、コネもありましたし、何とかなるだろうと。

 

また、国連でなくても、前にも書いたように、親戚の官僚のコネで日銀などに入り、将来は世銀・IMFなどにいれてもらうとか、あるいは外務公務員1種試験(=外交官上級試験=昔は国家公務員試験とは別にありました)とか、父方の曽祖父が内務省の役人で明治期に函館で警察を作ったような人だったし、母方の祖母はお宮さん系だったのですが、祖父の方は固い仕事で大卒後は大阪地裁の裁判官だったりもしたので(後、教育行政にも関与し、陸軍将校、石油会社経営者、法律家で経営者だったこともあり経営コンサルタントのはしりとなり、学問行脚をし、「経営法学的意識論(LCBA)」という米国の学問を持ってきた学者、なんと最後は水墨画家になった多才な人でした。)、国家公務員1種(今は総合職というのかな?)をうけて旧内務系の警察官僚になろうかな?とかも考えました。

 

私が、事務局長をしているGPAJでも講師になっていただきお世話になった、カンボジアPKO警察隊長の山崎裕人さんのような方に自分もなりたいな、、、とかを考えておりました。私も一時は、シビル・サーバントになることも、考えました。

 

でも、責任があるので、自分の会社からどうしても経営をやめることはできませんでした。社員はやめられますが、実は社長はなかなか辞めにくいものです。しかも、これと同時期、自社を全国展開しはじめていて、これを機に本社を東京に移転して、株式上場をしないか?と証券会社に誘われました。たしかにアメリカではITバブルがはじまり、日本でも店頭公開が改革されたり、孫さんがNasdaqを持ってくるという情報をつかんでいたため、私も今やっている実業もうまくいっていましたし(人材コミュニティ・イベント・プロダクション・携帯電話セールスプロモーション事業)、ここにIT技術を連携してPCだけでなく携帯がインターネットに載るようになる話されていたので、これを盛り込みたい、これは一気に広まると思っていた私としては、これは財を成すチャンスだと、こちらを選んでしまいました。イノベーションはもちろん、会社売買というのも良い商売ですしね。もちろん金は必要でした。消費者視線でのお金は、少しお金を持てば、シェアサービスなども発展しているので、ある程度の金額で十分優雅に暮らせます。これだって十分贅沢な話ではありますが。ただ事業には莫大な資金がかかります。そこで学校は働きながらぼちぼち通っておき、ある程度成功してから戻ればいいと。

 

まぁ実際は携帯にインターネットが乗るということでビジネスチャンスを見込んでいましたが、実際はメールや写メ程度で、意外に携帯ネット文化は、ずっと後のスマホの時代がくるまで、「テキスト」と「しょぼい写真」だけしか使用できず、あまりツールとしては、もりあがらず、ITバブルも崩壊したので、勝手に計画していたように「サクッと成功させて、大学へ戻ること」はできず、結局会社は上場せずに上場企業に売却しそのまま雇われ社長を務め、そしてズルズルと大学を変えながら学びつつ、事業をやり続けざるを得なくなるのですが。

 

そこで、学校を転々としつつ、連続起業家や各種事業に関与するプロデューサーとなったり、世界連邦など政治運動や客員などで大学教授をするという、色々転々掛持ちの人とは違う生き方を選択しました。

 

こちらは、昔から考えていた生き方ですですから、一見、右往左往しているように見えなくもない生き方ですが、実は計画通り、夢が叶ったのです。

 

でも、先述したように、外国へ留学したり、国連職員や官僚、あるいはちゃんとした学者として生きていたら、元々の夢とは違う人生になったかもしれませんね。ただ神戸大の先輩の出光石油創業者の「辞令一本で自分の仕事や場所を決められるより小さくても良いから自分自身の人生をいきたい」という言葉も引っ掛かりました。もちろん辞令があるということは次があることが保障されているわけで辞令の無い私は次は自分でさがさないといけないので茨の道を歩んでいるのですが。

でも私は、旅好きだし、一生同じ仕事を続けられるタイプではないし、結局生まれ変わっても、安定した「まとも」な人生は送らず、今と同じことをやっているかなぁと、思います。

 

政界進出や、芸能プロダクションさんからのお話しは、起業家時代にはよくありました。特にメディアにまったく出なかったので、「出るよう」に芸能プロダクションやTV局さんなどから、強くお誘いをうけました。そこで「成功すれば政界でも経済界でもなんでも、、、」と。

 

ほどなく私と同性代の起業家の堀江貴文さん、弁護士の橋下徹さんなどが、メディアにどんどん露出され、本業と相乗効果を生み、堀江さんはIT起業家として六本木ヒルズ族の象徴的な社会現象になりましたし、特に橋下さんは大阪政界で大きな爪あとを残されましたね。

 

ただ当たり前ですが、最初から条件の良いお話はそれほどありませんでした、それならば、きっちり起業家や、裏の運動家として生きている方が「やりたいことを実現できる」と思いました。

一回お断りすると、他のお話も受けられず、「そんな良いお話を、、、」と思えるようなことですら、「お断り」「お断り」の連続でした。

 

そして結局、役人や研究者などで役職を全うすることも、選挙に出馬して国会議員になることも、コメンテーターとしてメディアに出ることもなく、現在まで「何者でもありません」。

 

そのかわり挑戦するときは、ある程度無謀でも、起業に挑戦したりはしたのです。

 

むしろ、昔は「この人のお話は、かなりチャレンジ(危ない)かな?」と思うようなビジネスの話に、危ないもの見たさや、たまたま出来た人間関係の情に流されて、参画し、、、案の定、失敗したりもしました。

 


これは、もう昔の話なので、書いても良いとおもいますが、偉い人の名前で、自分が原稿を書いたりはしたことはありました。ゴーストライターみたいですが、そういうわけでもありません。昔の書籍の出版って、著者と、中身は企画の段階でだいたい決めてあって、それを埋めていくだけというやり方もありました。そこで自分の考えを書き込む、というやり方です。

また私は、(この文章を見てもらえばわかりますが)思いつくまま書くと、内容が「とっちらかる」ので、自社内のライター(会社内に出版社の下請けの編集プロダクション部門がありました)や、校正・校閲部員の方々とともに、「シンプルにする」という作業をかなりしないと、読めるものにならなかったことが、かなり多かった思い出があります。

 


その後、色々やってきて、今の自分は、裏方とはいえ、それなりに就いていた役職を辞して、アーリー・リタイアしたような身です。

今は、立派な人に会って、自分が良いと思ったことだけ、お手伝いをしているだけです。

一銭もいただかずに、仕事をすることが、ほとんどです。ただし、無償だろうがなんだろうが、大変多忙にはなりますが。

そういう意味で、「働き者」ではありましたが、運動家としては怠惰なのかも知れませんね。
 

 

でも、まだまだ私は若いですし(少なくとも精神年齢はw)、最初に書いたようにお叱りをうけながら、これからも、もっと学んで、社会の「表」に立っていかなければと、思い始めています。

 

特に「生涯現役が良い」と考えている自分自身が、裏方ではいけないと思っている部分もあります。

これだけ、いろいろな方々に支援をしていただいていているのに、表に立たないと、恩返しもできませんし。

 

もちろん生涯現役で、年は関係なく、豊かな人生を送るためにも、表にでたり裏にまわったり、学んだり働いたり遊んだり休んだり、を繰り返すことを望んでいるので、ちょうど良いのです。

 

もちろん、無償で裏方として働いていても、悩みはあります。

でも少年時代から、本で読む歴史上の人物以外にも、直接お会いして影響を受けた人が笹川良一先生や国際資本家など、いわゆる「黒幕」と呼ばれるような方だった、というのもあります。

国際資本家などというと、世界の「悪の権化」の様に聞こえますが、普通では出来ないことを成し遂げる、立派な方も多いです。

子供のころから、不良番長でも、優等生の生徒会長でもなく、「裏番」が良いと思っていたふしがあります。

 

 

またそれ以上に、世界連邦のような「現在ない仕組み」を目指しているから、ということもあります。

日本は好きですが、「日本の国のためにのみ頑張る」というのが、本職ではないためです。

 

とはいえ、世界連邦運動などを、「直球」で突っ走ると、今の現実社会に与しないので、世の中は何も動かず、「河原で天下を語る人」と、思われます。そこで今は便宜上、国家という社会基盤の中で世界連邦運動をしています。

 

もういまや、「あいつは政治家にならないから信用できる」といった時代ではなくなりました。もちろん世界連邦運動家なので、日本のポストを希望しているわけではありませんが、ある程度はなんらかの高位のポストがないと、知人には相手にされても、知らない人は相手にしないだろうなと思います。

 

次に、表に出ない理由は、実は私はかなりネガティブ思考だったということもあります。これからはポジティブ思考に変わります。

ポジティブ思考の、ニューソートは、大流行りですが、これは正しいと思います。

 

私の実父は、とても優しい、良い人柄で、尊敬してますが、かなりネガティブ思考で、何かといえば「そんなことすれば絶対に失敗する、全部パーになる」というのが、私の幼いころから言われ続けてきた父の口癖でしたので、私の深層心理には、ベッタリそれが張り付いているのもわかります。私は、なぜか「喧嘩」や「騒動」が大好物で、一見わがままな突進型で生きてきたので、昔は気づきませんでした。でも今では、だんだんわかってきました。

 

それを押してでも、改革をするには、表に立たねばならず、また表に立つならば、今の批判にさらされる社会にあっても、必死で「出まくる努力」をしないといけないとは思っております。中途半端な出かたならば、よっぽど「裏方」の方が影響力を出せることも知っています。

 

しかも出るならば、「思いっきり出る努力をしてキャラを確立しなければならない」、そして「ちょっと悪人ぐらいのイメージが良い」と思っています。これは以前に書きましたが、良い人のイメージなら、表に出やすいですが、ちょっとした悪評で、キャリアが全て終わるからです。

 

私はどちらかというと乱世の英雄に近い性格です。ビジネスでも、炎上している所に入って、仲裁して当事者利益も自己利益も獲得するのが、昔から大得意です。

ただ悪人のイメージでは社会が安定している時(今)は、表には出にくいですね。

 

 

これまでは、毛沢東語録にあるように、世界は自分に都合よく回ってはいない、と思っていました。

そして、社会では、長年にわたって大きなものに巻かれて上手に泳ぎ切らないと、世界どころか一国一城も動かせない、と思っていました。

 

ですが、だからと言って、それを嘆いても、時期が成熟するのを待っているだけでも、どうしようもないこともわかっています。

 

それで「今できることをやるだけだ」みたいなスタンスでいましたのですが、それはリアリストになるということでもあるのですが、一旦理想からはなれて、現実の世の中に合わせるということでもありますから、「妥協」、「日和見的」かなと思うことも、多々あります。

最近も、理想が無理だから、「谷本は、セカンドベストを模索しているね」と、国連の偉い人にいわれました。それはそんなことはないのですが。理想は、ちゃんとベクトルを向けたまま、その途上として、現実を考えているわけですから。

 

これからは、できないことでも、果敢に挑戦するという風に変えないといけないと、思いはじめました。

また、自分に都合よく回ってくれないと思うのは、自分を支援してくださる皆様に、失礼かなとも思い始めました。

 

長いものに巻かれながらでも長年耐えて自己実現をされる方も、少数派でも信念で政界や言論界へ挑戦されている方も、思想は違えど、尊敬できる人は多いです。

 

やはり、誰でも、何かしたければ、自分が前面に立って何かしないといけないのでしょうか。

我武者羅に動いている、この選挙期間中に、ふと思ったことです。

 

裏方といっても、国連関連のフェスで、自らMCをしてしまう、、、

(スターの方は演奏で楽しませていただかないといけないので、

自分が話さないと世界のことは話せないですしね、、、、。

ちなみにボランティアスタッフもステージに出てみんなで歌いました)

 

世界連邦

谷本真邦

 


 

 

さて、このブログでは何度も書いていることですが、今一度書きたいと思います。

 

日本は高度経済成長期がおわり、新卒採用・年功序列・終身雇用(+定年制)が機能しにくくなり、実力主義になりはじめました。この制度は、農耕民族の村社会ということもあるのでしょうが、明治以降、工業化とともに欧米流の実力主義になったことが始まりです。

 

「学問のすすめ」の世界ですね。これは、天は人の上に人をつくらず人の下に人をつくらずと云えり、、、で有名ですが。この「云えり」が、大事です。つまり、これは福沢先生の名言ではなく、「そう言われいるが、、、そうではない」という意味です。つまり「学問をやるかやらないかで、富貴な人になったり、貧しくなったりするのだよ」というのが述べられています。つまり天は人の上に人をつくらずなんてことはなく、「学問(慶應義塾!?)は、人の上に人をつくるんだよ」という意味です。まぁこれによって(+脱亜論も)、思想家としての福沢先生を批判するインフルエンサー(学者ではわかっているのであまりいません)がおられますが、これは本格的な啓蒙思想の学術書ではなく、当時の一般大衆向けリーフレットと思って下さい。実際国民の10分の1ほど売れたベストセラーです。それに、何でも時代背景が違えば常識も違いますから、その時代の書物や人物を批判するのは、あまり建設的ではありません。

 

さて、明治以降、大正デモクラシーだとか、いろいろな変遷をたどって、軍国主義になり、先の大戦で焼け野原からの戦後復興ということになりました。そこで官が先導をして、民が村社会的な産業を作りました。いわゆる下請(バリューチェーン)の系列化や、株式持ち合いという、日本独特の資本主義体制をとって、安定的な成長を国家が主導して戦後復興を成し遂げました。この中で保険や貯蓄制度も充実しお金持ち国家にもなりました。戦後は明治以上に、農業国から工業国へと変わりました。それまで大半を占めていた農民が、サラリーマンになりました。

 

ちなみに大正デモクラシー時代には、軍人があまり尊敬されませんていませんでした。特に厳格なイメージの陸軍では制服で歩くとモテないと言われていたそうです。その反逆で青年将校たちは、いろんな派閥(実際に「会」が沢山ありました、飲み会サークルみたいなものでしたが)を作り、軍国主義を主導してきたのでは?とも思っています。「良いおもいをしているのは、本当に国のために命を懸けている俺たちではなく、政党、財閥、文官や海軍系の重臣ではないか!!」、、、というわけです。だから本当に国のために頑張っておられる軍人(日本では自衛隊の皆さん)を尊敬しないといけませんね。

 

そうして戦後は、共産主義からアメリカ親分に守ってもらいつつ、アメリカに頭をさげつつ大口顧客にして家電や車を売りまくって、高度経済成長期に突入しました。そこでは製造業などで、中卒の若者は金の卵といわれ、引っ張りだこで、地方から都市へ就職しました。

むしろ大卒の学士様は、頭でっかちで使いにくいから就職しにくいとまでいわれたほどです。私の世代でさえ、「女子学生は、四大、つまり学部をでたら、本当に就職がなくなるので、せめて短大にしなさい」と言われたのです。今でいう博士課程修了をしたような人の扱いです。

 

でも結果的には、団塊の世代以降、大卒者が、出世をしました。この歴史の経験もあって、私は今の学生には「大卒で就職するのが有利」だと言われても、将来はグローバルスタンダードになるから奨学金を使ってもなんでもいいから、大学院、、、しかも修士ではなく博士へ進んだほうが良い、とアドバイスしています。

 

その中で、日本独特の制度が出来上がったのですが、これは高度経済成長だったから成立した制度です。

前にも書きましたが、年功序列などは、最初に10人入社したとして、10年後には100人の新入社員ができて、発展しているから、その最初の10人は10人の部下を採用できる課長になれるという単純な発想です。

少子高齢化でその逆転現象がおこれば、ずっとそこにいても出世できるはずがありません。小学生でもわかることです。

実際、少年時代にバブル崩壊を経験した私は、もうこの制度はダメだと思って、グローバルスタンダードで、イノベーションを含む実力主義でやっていかなければならないと思いました。

そこで学校を転々とし、そのなかで(米国ではGAFAMでもそうですが、在学中に起業する人が多く、これが出来る人が、最も優秀だと言われていたので)私も起業家、そして世界連邦という社会運動家、大学教員になりました。

 

ところが、日本はやはり過渡期が長く続きすぎています。80年代~90年代のバブル崩壊後、リストラという名のクビ切りと、規制改革のなかで既得権益を守ろうとする人たちが、なかなか制度を変えないので、中途半端な状態が続いています。年功序列・終身雇用もあぶないけど、村社会もある程度の残っているので、完全な実力主義でもない。

 

これはあらゆる業界で起こっています。海外(特に西側欧米のことです)は、クビになる確率が日本より高いです。でも人事は流動してるので、チャンスもある。でも日本は、正規雇用として村社会で守られている人が残っている一方で、高度経済成長の非正規雇用や外注の個人事業主という形で、欧米型実力主義を、緩衝材として取り入れています。当然ここに変な格差が生まれてくるのです。

 

業界だけではありません。大学もそうです。昔から「頭脳流出」は問題にはなっていましたが、これが解消されていません。

私自身は、いくつもの大学を転々として、学ぶ楽しさを覚えました。その代わり、特定の学問研究一筋ではないため、学界独特の徒弟制度の村社会の中に組み込まれていないので、いわゆる日本の学界で本流の学者にはまだなれておりません。

大学改革もよくいわますが、グローバルスタンダードにせざるを得ない状況なのですから、もうそろそろ本気で変わった方がいいですね。

しかも日本の大学は、過渡期の中で、国立大学独立行政法人化し、大学院の重点化、プロスクール設置(MBAとか、ロースクールとか、行政スクールとかですね)、産学公連携社会実装などをはじめて、さほど成功していません。

 

アカデミアでも、課程博士を取るまで勉強したら、就職先がない、ポスドクでは食べていけない、助教・准教授・教授の講座がない、などの現象が起こっています。ある程度うまくいっているのは名門大学での寄付講座くらいでしょうか。

 

でも、これは新卒採用・終身雇用・年功序列という制度が残っているからですね。

 

だれかがクビになるか引退するまではイスが空かないのは当然です。研究者は大学だけでなく研究所やシンクタンクといった官民の研究機関での仕事もあるはずですが日本では大企業や官庁の傘下なのでポストは天下りや出向者で上位ポストは占められてしまって、「横入り」ができません。

 

次にベンチャー起業・イノベーションの問題です。まず日本人はイノベーション能力がないわけではありません。特に「発明」は弱くても、それを改良する能力は非常に長けていました。車・家電・AV機器など、全てそうでした。近代化の黎明期や、戦後の混乱期には、既得権益者がいなかったので、これが実現できました。

 

例えば、日本の文化の象徴みたいになっているアニメも、元々はディズニーなど外来のものでした。「白雪姫」のアニメなどに感動した手塚治虫先生らが、日本版アニメを作られて以降、いまや日本が世界に誇る文化にしました。

 

実は、今のGAFAMと比較しても、同じようなビジネスモデルは、日本でもたくさんありました。90年代からアマゾン的な会社はイーコマース(なんか懐かしい響きになりました)は、いくつもありました。FBなどよりずっと早くSNSもありました。当時はコミュニティーサイトといって、沢山できました。You Tubeなどよりも前から、動画共有サイトもたくさんありました。ダイヤルQ2世代という私よりかなり上の世代の、当時で言う「ヤンエグ・青年実業家」らも、インターネット事業に参入してこられてましたし、私も後輩ながら、学生時代にコミュニティーサイトを作り(当時は個人情報保護法もなく名簿ビジネスなどと呼んでいました)、求人広告・人材紹介事業、イベント・ツアー、物販・金融(金融は大手電鉄が規制緩和で参入したので組みました)事業をやりました。そのために、政治家の先生に依頼をして、旧大蔵省や旧労働省から、高官に役員として天下りで来ていただいたりもしました。

少し後のことですが、NTTドコモがi-modeと言って初めて携帯電話がネットにつながるようになるということで、いち早くこれに対応したサービスを作りました。ネット求人広告システムを日本で最初に作ったのは、実は私です。当時は、一千万円の資本金がないと株式会社も設立できませんでしたが、音楽をやっていてイベントをオーガナイズして稼いだり、一部の応援団の大手金融機関が投資をしてくださったので、一応企業として成立はしましたが。

でも、90年代なかばの普通の金融機関のほとんどの人はコネは通じても、「アメリカのクリントン政権の政策を見てくれと言っても、MSのブラウザーが発展してきたので、絶対にインターネットが大きなビジネスになる」と言っても、内容はわかっていただけませんでしたね。

少し偉そうな人が、この人たちが、どのくらいインターネットがわかっているのかを試すために、私自身も何もしらないふりをして、ちょっと「検索」をしてもらったり、アメリカのサービスを使ってもらったりすることを、試してみたことが何度もありましたが、実際にそれが活用出来る人は、ほとんどいませんでした。

 

まだ、そんな社会情勢でしたので、私の会社も、結局は利益を上げるためには、イベントの企画制作や、業務請負などの実業で、売上を上げるしか、持続可能ではありませんでした。この時代くらいから、大赤字でも必死で投資家からお金を集めて耐えてきたのが今の時価総額世界最大企業の一つのアマゾンです。グーグルは後発でしたが、はじめヤフーに乗っかって、最後は凌駕しちゃったので、うまくやったなぁという感じでした。FBなんて影も形もないころです。

 

ところが、「起業家」として銀行に行っても、何も理解されなかった私のような者でも、大手広告会社の子会社社長として銀行に行ったら、何の話をもっていっても豪華な応接室へ通され「これは、これは、素晴らしいビジネスモデルですね!早速、特定目的会社を組織してシステム会社をM&Aをしましょう」などと言われるようになったので、本当に「日本は看板社会・コネ社会」だなぁと思いました。

 

90年代には、私の友人にも、米国帰りで、有名な企業人の影響を受けて、ネットTVた動画共有サイトなどを始めた者もいましたね。

でも、こういうビジネスチャンスは、たしかにインフラ整備に対して、ビジネスモデルが大衆に広がるには早すぎた、ということもありましたが、規制・既得権益と社会全体の仕組みが問題で、こういう会社のほとんどの会社はダメになりました。

わかりやすい例で言えば、彼の会社も、大手広告会社の役員の方から若手の友人などまで、コンテンツビジネスは権利関係などの問題で、「絶対に日の目を見ない」と、相手にしてもらえませんでした。動画サイトを作った彼は「そんなの関係ない、いずれ権利者がおれてくる、あるいは全ての人が著作者になる」と言ってましたが、そいつの方が、正しかったですね。ピアトゥピアは、実現しませんでしたが、これは権利関係というよりも、ウィルスをまき散らす「ユーザーの悪意」に勝てなかっただけで、権利関係ではありません。

 

私より遅い世代では、孫さんがアメリカからNasdaqを持ってきて日本版を作るとか、それに対抗して東証がマザーズという新興企業向けの市場が店頭公開以上にゆるくなったためミレニアム期に楽天、サイバーエージェントが上場し、さらに2000年代になると、アメリカのITバブルの崩壊や、日本での光通信の暴落による影響などがあって一時「IT産業」がガタガタになったものの、ライブドア・ヒルズ族などが流行ってまた新興企業の株価が上がって息を吹き返し、ミクシィ、ドワンゴなどが上場し、良いサービスがうまれ続けました。

 

あまりに早すぎた私がうまくいかなかったのは仕方ないですが、でもその後に出てきた良いサービスですら、今やアメリカの会社が、これらの事業を全て凌駕して独占しております。

かろうじて、これらの会社は、金融の新しい仕組みを活かしたことと、ゲーム、アニメとかメディアミックス商法の繁栄もあって、生き残りましたが、ほぼ元のサービスはアメリカの企業に駆逐されてしまっていることは惜しいことです。

 

日本には、これだけ能力があるのに、アメリカにやられるのは、簡単な原因があります。既得権益の問題もありますが、もう一つ「失敗を許さない文化」です。

これは良く言われますが、単純に解決できるものではなく、実はこれも新卒採用・終身雇用・年功序列の仕組みに問題があるのです。これは、まずベンチャーキャピタルなどの投資家が、商業銀行や証券会社の傘下であり、専門家がいないので、判断が過去経歴などそのイノベーション技術と関係ないところでしかシード期に投資判断できないという問題があります。

シリコンバレーなどには、まぁ、NASAにいた数学の天才から、自分が起業家だった人までいます。

またルーツもインド人、中国人、ロシア人と、ありとあらゆる人がいます。

こうした専門家たちが、世界中から投資家になってきています。

そしてNYやワシントン、ロンドンなどのグローバル金融業界とも、うまく付き合っています。

日本は、銀行・証券会社などの、大手同士で、決まった規制の枠組みの中で、業務をしてきた方が、出向して出来ている機関投資家が多いので、「このイノベーション事業は、いけるのかどうか」の判断が、出来ないのです。

判断の方法は、その経営者に個人連帯保証を求めて、これまでの取引実績が良好かどうかとか、さらには過去に借金を踏み倒してないかとか(つまり挑戦をして失敗した経験があるとアウトです)、その経営者が価格が明確な不動産などの資産を所有しているかどうかも大きいです。あとは、他にどの金融機関が、どれだけの配分で投資をしているのか、というのも判断材料です。

その方々は、銀行家であっても、その業界の専門家ではないので、このビジネスに将来性があるかどうかの判断がつかないのは、仕方ありません。しかも、その投資家の方自身も、失敗をすれば、出世にひびくので、思い切った挑戦ができません。終身雇用でなければ、雇用は流動するので、失敗してクビになっても、別のところでクビになってイスが空くので、また挑戦できるため再度トライができるのです。

 

ただ注意しないといけないのは、中途半端に改革をして、これに手を入れると、「企業は反作用」をします。

 

例えば「男女雇用機会均等法」が出来ると、女性社員は(たとえ「お茶くみコピー取り」だったとしても)正規雇用であったのが、総合職と一般職にわけられたり、非正規雇用(つまりいつでも雇どめができる外部からの派遣)にされたりとかです。

仮に社会の要請で、女性のシンボル的にスターを一人だけ作ったとしても、多くの女性は待遇は低いまま据え置かれるとかもあります。

 

また起業家にしても、失敗を恐れずに立ち直れるようにするため「個人連帯保証を求めない」ように規制すれば、金融機関は未上場や公的な事業以外に融資をしなくなる、みたいな反作用です。

 

根本的に、セーフティーネットや、再チャレンジを認めるならば、社会全員が非正規雇用になるくらいのことを受け入れて不安定さも認めなければ、これは実現しません。でも実際に、高度成長がおわり、少子高齢化した現在は、この新卒採用・年功序列・終身雇用(+定年制)は無理があります。外国人に頼らなければ生きていけません。だから世界連邦なのです。

 

ただ誤解をされないように付け加えれば、私は単なるグローバリストではなく、愛国者でもあります。日本の伝統を守るとかは大切です。でも、これは文化の領域です。政治経済の領域では、これだけ分業がすすめば、一国だけでは生きていけませんから、伝統とは別です。

 

ただ、既に現代では、世界中の人々が洋服を着て、洋式のビルの中で、洋食を食べています。地球ではこういうグローバルスタンダードが一般化するでしょう。これにはまらない伝統原理主義の人たちは貧困になってしまっています。

 

だから、逆説に言えば、そのなかで民族衣装など、伝統を守っていくことは、歴史的なアイデンティティーの問題として別途やらねばならないこととして、同時に大切にしていかなければなと思っています。

 

村社会的な産業構造も、ある種の、日本の伝統でもあるので、急にできないのもわかっています。一例を出すと、かつて「TPP」参加が、議論になったとき、私は短期的反対、長期的賛成という変わった論者でした。

 

政治経済などの社会は、時間的にも、量的にも、「程度問題」です。「なんでもあり」というわけではありませんし、良いか悪いかの二元論では語れないところがあります。

これはなんでもそうだと思います。


 

これは、今までもずっと主張してきたことですが、いまだにこれが問題になっているので、再び書いてみました。

 

 

私は、新卒採用・終身雇用・年功序列には反対で、自分で実践してきました。

学校を転々としつつ、起業家(実業家)、世界政治運動家、大学教授など転々としてきましたが、

実は最初(10代半ばまで)は、ミュージシャンでした(写真は中学生くらいかな?)

イロイロしながら成長するのが楽しいですね


世界連邦

谷本真邦

令和3年10月10日です。

今日は、前回岸田新総裁の記事を書いた直後に、私にとっては、少し不可解な記事が出回っているので、急遽再度ブログを書いてみます。矢野康治財務事務次官という、大変優秀な方がいらっしゃるのですが、端的に言うと「財政は危機で、政治がばらまき合戦をしたら、大変なことになる」という、私の理解とは違う記事を、文藝春秋に寄稿され、話題になっております。

 

この説は、次官は元々言われていましたし、財務省さんだけではなく、多くの言論人なども語っていたことなので、目新しいものではない、ともいえます。ただすでに、これは違うのでは?という説も、一般的になってきているなか、財務事務次官という特別な方の過激な論が「雑誌」で出たので、余計話題になるでしょう。

 

私の考えは、そもそも、これが、正しいか、間違っているかということではないと思っています。はっきり言って「経済(財政も含む)」は、「程度問題」です。長期的に見るか短期的に見るかでも違います。需要と供給のバランスもあります。だから二元論では語れないと思います。詳しくは後述するとして、、、。

この方は、菅(前)総理が官房長官だったときの秘書官としても著名でした。エリートっぽくない、ざっくばらんな感じの方ということでも知られています。またこの次官、自民党税制調査会(税調)とつながりが深っかったこともあり、大変力のある方です(この自民党税調、もともと大変権力のある会でした。もちろん権力というのは磁場が変わることもあるのですが、基本的にインナーと呼ばれた政界の長老である大物の先生方が、主たるメンバーになります。私の高校の同窓会長だった故塩川先生や、親しくしていただいた故相沢先生、国際連帯税推進をご一緒した津島先生らが、会長を務められてきました。現在、私世界連邦日本国会委員会の会長は自民党の最大派閥清和研最高顧問という重鎮ですから、外交調査会長でもありますが、自民党税調でも、会長は変わっても、ずっと副会長を務めております。直近では、甘利自民党新幹事長が会長でしたが、後任は宮沢洋一さんという財務省出身の総理の親戚が就任されました。財務省主導の税調というよりも、良い意味で財務省を率いていただければ嬉しいですね。そして今回話題の財務事務次官は、主計局長を経て次官になられていますが、その前は主税畑におられたので、税調とはつながりが深いということです)。

 

そして財務省(旧大蔵省)で、初の一橋大学出身の事務次官です。よく知られているように、財務省はほとんど東大(法)出身です。同期には東大(法)首席をあらそった可部さん(実は岸田さんの義弟です。この夏、国税庁長官を最後に退官されたので、もしや官邸高官ポストか?と思ったりもしていました)と、おなじく同期の秀才の岡部さんを追い抜いて、官邸主導で次官になられました。これは慣例などは関係なく、いいことだと思いました。

 

 

余談ですが、一般教養として、もともと東大は事実上伊藤博文が音頭を取って、(昌平黌学問所、開成学校、大学南校、東京英語学校などといろいろ名前をかえていた)高等教育機関を整備して官僚養成を目的に「帝国大学」を設立します。私が通った大学の中のうち、「慶應義塾」では、創立者の福沢諭吉先生は教祖のようになっておられますが、「東大」では創立した伊藤公との関係性は、ほぼ残っておりません。実は、明治の学制の整備の中で、「博士号」以上の「大博士」という学位があり、この二人の「官立」と「私立」の最高学府の創立者が候補になりましが、授与されず、現在までこれを授与された方がいないまま制度もなくなりました。その後、官僚養成の帝国大学に対して、自由な学風を目指して京都でも帝国大学ができ、そのため「東京帝国大学」「京都帝国大学」になり、全国各地に帝国大学が広まり、現在は「帝国」の文字をとって、東京大学、京都大学、東北大学、九州大学、、、となっています。

ちょっと前まで、日本では大学院には行かない文化でしたので、かつて、文系の最も優秀な者は、東大(法)へ行き、そのなかでも、もっとも優秀な方は、即、助手(今の助教)として大学に残り、3年で助教授(今の准教授)、そして10年そこそこの30代で教授になれました。ベストは東大教授ですが、空き講座がなければ、植民地と呼ばれた他大学などでポストを得ます。その次に優秀な人や最優秀でも実社会で働きたい人は官僚を目指します。特に優秀な人は、官僚の中でも省庁の頂点の大蔵省に入ります。だいたいこういう人は在学中に司法試験も合格しておきます(まだ日本でロースクールが入ってこなかったころですね)。最近はグローバルスタンダートに合わせようと、在外研修期間などに、ハーバード等の大学院(例えばケネディスクール=行政のプロスクールなど)で修士を取られる方も増えつつあります。そして官僚になれなかった人が民間企業へいきます。例外は、もちろんありますが、成績順に、普通はこんな感じでした。もちろん理系では、医学部や理学部から、医師や研究者になったり、教養学部へ残り外交官を目指すなど、他にもいろいろですが。

 

また戦前には旧制高等学校というものがあり、これは文字通り「高等教育」の場なので、今の中等教育の高等学校ではなく、大学の教養課程にあたります。で、旧制高等学校には第一高等学校(一高)、二高、三高と、、、ナンバースクールと呼ばれる旧制高校が全国に拡大していきました。全寮制の青春ということで、私の祖父など、大学同様、これに思い出がある方は多かったですね。今はこれがないのが残念です。「鉄緑会」さんの思い出とか、どうなんでしょう(私は、中高時代は学校もろくに行ってなかったので、当然塾や予備校にはいかず、全くの独学で大学受験をしましたから、わかりませんけど)。私は東大では法でも理系でもなく駒場(教養学部~総合文化研究科)に在籍しましたが、ここは旧一高なのでそれはそれで良い、みたいなことを言われたこともありました。

またそれとは別にプロスクールがつくられました。例えば古くは商法講習所から旧制東京高等商業学校(現一橋大学)・神戸高等商業学校(現神戸大学)、旧東京高等師範学校(後東京教育大学から現筑波大学)、旧制東京高等工業学校(現東京工業大学)等々が発展していきました。

慶早や宗教系・法律系等専門学校も私立大学となり、軍の将校養成の士官学校/兵学校/機関学校(今の防衛大学校に近いところ)なども、この範疇です。なお軍では将校に任官後に陸軍大学・海軍大学(今でいう防衛大学校大学院や、幹部学校ですね)というのもあり、そこに進む人もいました。

 

(またまた余談ですが)私は大学を転々としましたが、最も長く在籍したのは神戸大学でした。関西で神戸(芦屋・西宮も含む)は、「港町」ということと、小林一三らが田園都市構想をいち早く作って高級住宅のイメージがあり、お嬢様女子大学が多くて女性雑誌でもとりあげられまくる「おしゃれ」なイメージで、一度住んでみたかったのです。それと肝心の中身ですが、私は物理を基軸に広く学際的に学びたいということで、神戸大学ではこれにいち早くとりくんでいるように見えて、看板の経営学ではなく、自然環境論をやりました。

これは商業の神戸ということでは傍流ではありますが、今ではKOでも看板の経済だけではなく、SFCなどで、環境情報とか総合政策とか、学際的にやるのが、大はやりになってますよね。また私は、学生起業家でもあったので、阪神淡路大震災からの復興とともに、西の港町商業都市ということで、日本の「シリコンバレー」みたいにしたかったのです。そのころのNYは「シリコンアレー」と呼ばれましたね。そのために何があればイノベーションの街として繁栄するのかをポアソン回帰モデルを使って、比較研究をしたこともありました。ざっくりいうと「ビットバレー」と名付け日本のシリコンバレーにしようと頑張った「渋谷」には、ネット環境はもとより、若者が集まる要素であるカフェやファッション関係などのお店や、コンテンツ供給のためのエンタメ施設などは、多いのですが重要な「海」、つまり景観や地価の要素もありますが、貿易拠点がなく外国人との交流が少ないので、それなら兵庫(神戸)や神奈川の方が良い、という結論でした。神戸大学も日本のスタンフォードみたいになればなぁと思っていました。壮大な構想でしたが、日本は、なんでもかんでも東京です。仮説ですが、北京と上海・新せんなどが分散している中国とか、ワシントンとNY・ボストン・LA・サンフランシスコなどが分散している米国とかと違って、首都への反骨精神がない日本ではこうはいかなかったので、結局上京し、飛行機で大学に通ったりしないといけなくなりました。

 

一橋大学や神戸大学は、元々商業学校であり商社や銀行など経済界へ行く方が多いです。でも一橋大学・神戸大学には「領事科」という、卒業後に、外交官養成の研究生制度みたいなものがありました(今のフレッチャースクールのようなようなところです)。

ほかにも皇族華族の子弟が通った宮内省所管時代の、旧学習院では、一時大学科がありました(貴族院議長もつとめた近衛篤麿公爵が、院長時代に、皇族華族は外交官になるべし、そしてそのための教育を学習院でするという方針をたてましたが、院長がほどなくなくなって、いったん廃止されてしまいました、もちろん今の学習院大学とは別のものです)。そのため学習院や一橋なども著名な外交官を輩出してきた経緯があります。吉田茂も学習院大学科に通った経験のある珍しい有名外交官の一人です。もっとも在学中に廃止され東大へ行きなおして卒業、外務省に入省したのですが。彼は、竹内綱という土佐出身の実業家・政治家の息子として生まれ実業家の吉田健三の養子になって、その遺産を使って、神奈川の耕余義塾を卒業後、今の一橋大、東京理科大、正則尋常中学校、日本中学、慶応義塾などなどを転々とした「ダッチロール的学歴」で、既に中学卒業資格はあったにも関わらず、学習院中等科をうけ、ここは気に入ったのか長く在籍して高等科・大学科から、先述のように東大に進みました。吉田茂氏は、東大(法)卒・外務省入省、、、というと簡単ですが、それまで、こういう学歴遍歴があります。作家などには、こういうように転々としてる人は多いですね。外国人っぽくていいなぁと思い、私にも似たような経歴を歩みました。

私は、大学を転々として、サイエンスだけではなく、宗教的なことも学び、古今の文理両系を学んで、言えることは、ある種の限界と期待を含め、もう文系理系などという、ざっくりした分け方はよくないです。「学問」と、「職業訓練」の差も、取っ払った方が良いです。トランスディシプリナリの概念も、情報機器など機械の発展も進んでいますしね。

 

 

ただ一橋は、経済の大学なのに、財務省で次官まで出世される方はいなかったようです(勿論、東大が多すぎるので、必然的に出世する人も減ってるだけです。総理にまで上り詰められた大平さんは一橋卒・大蔵官僚出身です。ちなみに岸田さんの派閥宏池会の創始者である池田隼人総理も東大ではなく第五高校・京大卒で大蔵省へ入り、一度病気で退官されて、再び中途採用扱いで再入省されるなど、本流ではなく苦労もされましたが、それでも次官・大臣・総理まで出世されました。よく言われる一高・東大(法)卒にあらずんば人にあらず、ということではありません。ただ圧倒的に東大(法)が、多いというだけです。とはいえ今の次官が一橋大卒では初のようです。だから歴史の流れで一時的に安定していたときなどは「(昔は、一高~)東大(法)卒・大蔵省一筋で主計局長を経て最終目的は次官、、」などという単純なイメージがありますが、実際は、かならずしもそうではないのです。

 

 

さて、その矢野次官、もちろんお目にかかったことはありますが、親類縁者でもなく、親しくお付き合いをしたことはありません。菅官房長官秘書官時代も、(当時外遊で総理がとれなかった際)官房長官に、ある「元総理経験者の方が関係する団体からの提言」を依頼されたので、お願いしたことがありますが、秘書官としても、慎重かつご丁寧にご対応いただいた思い出があります。

 

そこで、次官、今回の文藝春秋の記事は、どういうことでしょう??この方は、むかしから「待ったなしの日本財政危機、子供の未来のために」という本をだされるほどの財政再建論者です。ただ、私はまだ日本の経済は底力はあると思っています。各国が経済成長をしているなか横這いの日本は、遠い将来のことはわかりませんが。「待ったなし」という、危機感をあおるほどではないと思います。実態を、よくわかっていらっしゃる財務官僚の事務方トップが、なぜこういうものをかかれるのかは、わかりません。ポジショントークだったとしても、財務事務次官が、こんな初歩的なことは言われないはずだと思いますので、まだ理解ができていないので、一度お会いして勉強させていただきたいです。一橋大は公認会計士をバンバンだしてきた商業系の大学でもあります。財務諸表を見ないわけはありません。

この方の論には、「ワニの(の口のような)図」、といって「収入」は増えないが、「支出」がふえていっていて、過去から未来へ向けての、時間軸で損益計算書(P/L)の座標グラフで'「 < 」こういう形に開いていく図表をだされます。ただ財政というものは、収入と支出を見るだけでは、わかりません。

 

私は学生時代から、起業家で、オーナー企業の時もありましたが、企業売買や、上場企業の連結社長も経験しましたから、金融機関・公認会計士・弁護士と、つめにつめてきた経験があります。瑕疵を見分けるために、買収先の会社のデューデリにも関与していたので裏の目で見ることもしました。組織は、そんな単純なものではないのを知っています。もちろん競争相手が、法律の違う外国である公的な政府、国内に競合がありかつお金を勝手にふやせない私的な企業とは組織の性格は違います。ただ財(富)がどこくらいあるかどうかは、原則的には同じです。会社は税務上の決算と会計上の決算と分けなければならないので民間の方が面倒なくらいです。これは、税務上の決算では法人税のために記載される利益を多く見せなければならず、会計上の決算では投資家保護のために利益を少なく見せる必要があるため、仕方ないのですが。

 

会計では、わかりやすく例えば、借金はあるけど、当然それで買った在庫や債券・不動産はあります。また今は入ってこないけど年度明けに入ってくるお金があったり、お金にはまだ交換していないけど売ればすぐお金に変えられる資産があるとか、逆にもらえるはずのものがはいらない可能性(貸し倒れ)もあるということで、そのために引き当金を計上しておいたり、保険をかけてして、それにそなえたり、などなど複雑なのです。

 

そしてなによりも、政府でも会社でも組織がある程度大きくなると、ポスト作りなど色々な理由があり、子会社のような関係団体がたくさんできます。国家でも、今は独立行政法人などにわかれていますし、特殊法人など、いわゆる「子会社」をたくさんもって、事業をし、利益も出しています。これらが特別会計というものですが、これが大きいのです。これら全部を合わせて、貸借対照表で見ないと、お金がどうなっているのか、わかりません。「本社」の一時的な収入と支出の数字だけ見ても、財政はわからないということです。石原慎太郎さんが役所も複式簿記でやれって言ってたのを覚えておられる人もいるでしょう。

 

 

ある程度の規模以上の会社は、有報(有価証券報告書)というものを、財務省の自治体の関連組織である地域(東京なら関東)財務局に提出するのですが、昔はこれを良いように書くことが大変多くて、これがもとで大手の山一証券が倒産したりして、最近は割と厳しくなってきました(山一は、負債を海外の子会社にとばして見えないようにしていました)。山一は「社員は悪くないですから、、、」と社長が泣いて会見したことは有名ですが、正直立派な社員の方も、もちろん多かったですが、ずるいことを考える社員も多かったですよ。あと検察が、企業人を取り締まる時には、これの虚偽記載でやることもあります。ライブドアの堀江さんも、西武の堤さんも、そうでした。

 

昔は、数字というものは、組織をいくつも作って取引をしたり、国をまたいだり、締めの年次をまたいだ発生にしたりすることによって、修正するのです。発生をまたぐというのは、ある事業があったとして、その発生を、これを企画した時にするか、材料を購入した時にするか、実現し終わった時にするかを、「ズラす」テクニックを利用して、利益が多い時は利益を減らして、あまり利益がない時にその儲けを映して、会計帳簿を綺麗に見せるなどの行為です。

 

もちろん、これらの行為は、全て合法です。

 

タックスヘイブンも、今でこそ「〇〇文書」などや、タックスジャスティスという考え方で、ようやく悪いことになってきましたが、昔は国際的なビジネスマンは利用しまくっており、利用しなければ馬鹿なんじゃないかという雰囲気もありました。「国際的な商道徳に反する」といった感じは、ありませんでした。

 

 

そのときのエピソードですが、私がまだ30歳くらいのとき、ある国際金融資本の投資家の方から依頼されて、国際衛星放送関連企業の、日本の支社の社長就任を依頼され、多忙だったことと荷が重そうだったので断ったことがありました(まぁ外部プロデューサーとして契約して日本企業との橋渡し役などはしたのですが)。で、、この企業、登記上の本社は英領バージン諸島、本社機能はイスラエル、実際の事業はNY、ロンドン、パリ、ミラノなどで、おこなわれていました。またこの会社の筆頭株主はスイスにある資産管理会社でしたが、事実上の支配者の住所はモナコで、しかも本当に住んでいるのは「船上(ギリシャ船籍だったかと記憶しております)」という、まぁ普通の人が聞いたら、びっくりされるような多国籍企業でした。日本支社設立に関しても、大手商社やメディアなどが関与しておりましたが、社名にJapanとついていて、本社機能は青山に置いて、実際の事業も衛星放送権利を持っている汐留の大手企業との占有契約だったため、そこに置いてあるというのに、その株主であるオーナー会社の登記は「香港、、、」という、複雑なものでした。

でも当時は「ウィンブルドン現象」と言って、例えて言えばテニスの試合で、外国人が活躍しても、「英国でやること」に意義があるという考え方があって、それはそれで豊かになるので良い、という風潮でした。いくら豊かになっても、安全保障の観点もあり、今は外資が来るだけで「嫌」とか「危険」という攘夷思想みたいな感じにもどりましたけど。

 

まぁ「企業」って、そんなもんです。税金を払う国民の利益のために働く公務員と同じで、株を買っている株主の利益ために働くのが資本主義ビジネスマンですから、「悪」ではありません。合法の範囲でこれを追求するのが使命なのです。

そこで当然、当局も規制をするのですが、企業はそれを合法的に避けるように、いたちごっこをしています。だから法人税を上げないと言っている与党の考えは、財界のご機嫌取りなどではなく、本当に企業が海外に逃げないようにするためであり、国益に反映するものではあるのです。難しいもんです。

 

さらに大きな問題を言うと、企業を外に出すと、手綱がないので、規制がとどかなくなります。

もっと言うと、シェルカンパニーの資産管理会社や、複数のファンドなどを通じて、さらに小国・途上国などを利用すれば、なんでもできます。電子通貨~仮想通貨~暗号資産時代にはなおさらです。これは怪しい会社の話だけではなく、大手金融機関が、その関連企業を通じて、普通に行っていることなのです。

場合によっては、元々の出身国では非合法の取引でも、仮想空間や小国では合法で、できるようになります。

また、これを第三者から持ちかけられることもあるので危険です。

 

よくない事をした国に対して、国際社会が経済制裁をすることがあります。その場合、そこの国民が困るだけで、指導者にとっては抜け穴がいくらでもあり、ヤクザ国家が出来、その国内外の「ある種の人々」にとっては、ビジネスチャンスになってしまうことです。

昔から、国家自体が、薬物、武器、偽造の通貨の事業を、あらゆる組織(軍とか宗教など)の「特務機関」を使ってやってきたのです。

究極は、マネロンやタックスヘイブンどころか、デザイナーズベイビーなどを作るDNAヘイブンなどの生命倫理に触れる問題、核ヘイブンやAI兵器ヘイブンなど安全保障に触れる問題にビジネス界が入ってしまうことです。

 

これらを防ぐには世界連邦運動家的には、国際機関が、きちんとインテリジェンス機能を持つ必要があると考えています。

健全な経済を守るだけではなく、世界を平和にするためにもです。平和を守るには、(先制攻撃や大反撃能力など)武力による抑止力という考え方がメジャーです。これに各国が個別にやっているのですが、日本もこれに乗っかっていては、金がかかって仕方がありません。

武力よりも情報収集能力を強化するほうが、よほど平和的に戦争を防ぐことができると思います。もちろんシギント(電子信号を使う情報収取)も大事ですがそれでは遅い場合もあり、指導者がどう考えているかや、その配下がどんな活動をしているかを読み取るのが大事で、これはヒューミント(人間の情報収集)が一番です。結局人間の行動を先読みしないといけないので、これは人間が聞き出すのが一番です。これは、武力よりもよほど安上がりです。甘いと思われるかもしれませんが、今攻撃が始まれば対応できず大変なことに変わりありません。

これは、それぞれの国家が自国のためにやっていますが、公平公正な国際機関がやらねば、かえって戦争を誘発しかねないです。国際機関や独立の機関は、正面玄関から堂々と入っていって、調査をしていますが、それではバレたくないものは、闇に消えるだけです。

 

 

さて、財政について、私は会計だけでなく、事業としてマーケティングもしていましたので、計上されるあらゆる「数字」というものは、書き方によって、どうにでもなるものだということを知っております。

経済人(大企業経営者)は、マクロ経済はわからないと言われることもありますが、大手のサラリーマンから出世された社長・会長さんのことは、わかりませんが、起業家はそんなことはないと思いますよ。マクロをわかってないと、波に乗れないですから。

 

 

ただ民間企業には、規制が多いんですが、規制する側の政府は、そんな必要はないんですよね。

 

 

今、個人(特に比較的若年層の)経済はとても苦しいです。一部のお年寄りは、驚くような金額を貯め込んでおられる方もいるようですが、相続で、次の世代のところに来るのは、その人も高齢になってからです。だから、お金持ちは、高齢なのです。

私、大手企業が参入している「高級介護付住宅」事業のことを、少し知っているのですが、転売もできない「入居金」に、億単位のお金を支払う人が、いくらでもいるので、驚いています。しかもそういうお年寄りは、土地建物を所有しておられて、自分がそういう高級介護付住宅に入って、家が空くと、マンションにしたりして、だまっていても家賃収入があるのです。

 

ところが、社会で頑張っている肝心の労働者や、子育て世代は、貧困世帯が増加しており、さらにコロナ禍が追い打ちをかけています。やはり、ここは大胆に財政出動をしていただきたいと思います。

そこから、初めて、トリクルダウンができるように、分配方法をレギュレーションで、新しい資本主義というものを考えていただければ、いまはやりの「人(類)新世」が、初めて見えてくるのだと思います。

 

安全保障を含む政治と経済は一体です。これは見逃せないところです。一つの要点は、政権の維持と、雇用統計とは、相関関係にあります。だから政治家には「雇用問題」を大切に、、と進言させていただいております。私は「雇用」の流動化のための、人材関連にITを導入させた会社を、次々と起こしたためでもありますがこのことについては少し詳しいです。独立行政法人(国の機関)の学位授与機構から学位を得た時の論文は、もともとやっていた物理でも、本来の関心のある国際政治でもなく、雇用問題(分類は社会科学)でした。これは法はもちろん、産業構造、人間行動心理学、統計など、あらゆる要素があって、学問としても面白いです。

雇用を増やすには、需要を喚起しなければいけません。公共投資も方法の一つです。そうすれば「自然と人手不足」になり、自然と労働賃金は上がり、女性の社会進出も可能になります。

これを労務関連にだけ規制をかけて無理にすれば、企業は反作用で、正社員や女性を雇わなくなり、「外注」ですませたりします。

戦前のファシズムでは、徴兵や、女性を家庭に帰して専業主婦をふやすことで、失業率を減らしたりもしましたが、そんなことをしなくても雇用創出はできます。

ただ日本はこれを見逃しています。どちらかというと官主導によって成功してきた体験にとらわれているので、いまだに規制が多く、良かれと思って、すぐ手をいれようとします。そうすると、大手の系列・正規/非正規など、変なところでしわ寄せができています。

めちゃくちゃ働いて専門知識もあるのに、なかなかもうからない子会社・下請・労働者・個人事業主がいたりする反面、特に現場知識もなく口を出すだけでそんなに働いてない親会社の偉いさんが高い給料を得ていたりもします。

 

高度経済成長が終わって、残っているものを見たら、官~金融~メーカー~商社、そして下請の系列のヒエラルキーが硬直化しています。大学や医療なども植民地大学などと呼ばれる系列ヒエラルキーが硬直化しています。これでは国力は低下するのは当然です。

 

しかも、日本は、海外にくらべ「失業の影響」は大きいです。つまり失業したり、やっている事業が倒産すると、再チャレンジしにくい社会だからです。海外では、仮に少々失業率が高くでも、みんなが何歳でも再就職活動をしたりしてますし、会社がつぶれても、また良い商品を開発すれば再チャレンジできます。これがない日本は、一度レールからはずれると、本当に苦しいんです。新卒採用・年功序列・終身雇用(+定年制)の弊害です。

 

 

話を、一度横道にそらしますが、一例としてあげたいのは、数日前に真鍋先生がノーベル物理学賞を受賞したことにまつわる話です。※まずは遅れましたが「おめでとうございます」。まさに気候~地球環境問題という研究の先駆けですから(基礎研を、かつて成功した功労者に対する文化勲章的なイメージのノーベル物理学賞ですが、それっぽくはないように思うかもしれませんが、もともとは戦争で医療などすぐ使える研究成果を、発見したばかりの若手研究者も受賞されていました)、こういう現代社会に直接影響する「実学」でも「権威」として認められることに、喜びを感じます。

 

でも真鍋先生は、日本出身ですがアメリカ人(市民権=国籍は米国です)です。私自身も子供のころは異常に利発だったので、学者だった祖父は、日本では将来基礎研究ができないから、(当時の流行語である)「真邦(私)は、頭脳流出」するしかないなw と言っておりました。まさに真鍋先生は頭脳流出の方です。日本人は喜んでいられないのです。

 

私は世界連邦主義者で、愛国者でもありますが、超党派であります。そんな私の「敵」は、共産主義者でも新自由主義者でもありません。どちらかといえば両方並立できて流動できればもっと良いと思っています。私の唯一の敵は「深く考えていない功利主義者」です。「それって、もうかるの?」という意識だけでは、説明がつかないものが人間社会です。しかも、まわりまわって儲かるものでも、功利主義の人は、短期的な損得で語られますから、困ります。私も経営者でしたから、よく「うちのメリットは?」などと、すぐ聞いてこられましたが、「いろいろ将来的なメリットは生じるかと思いますが、お宅様が考えるような、すぐに手に入るメリットはありません。ご不満なら、やめましょう」って、言うことも多々ありました。そんなこと言ってしまえば、天皇、王様、国連の権威も、神仏のご加護も崇敬心も何もなくなります。人間が素晴らしいのは、利益追求能力ではなく、想像力だからです。人間の本質である「想像力」がなくなれば、人間よりライオンの方が強いじゃん、イルカのほうがソナー力があってメリットあるじゃんと、なります。「ロボットの方が人間より使える」となるのが豊かな社会でしょうかね。

たまに、昭和的な人は「うちは慈善事業じゃないんで・・・」と、荒っぽいことをいう企業の人もいますが、そういう人には「少しは慈善事業もしてください!」とこたえています。

 

「宇宙的に考えれば、地球上の社会なんて小さいもので、人生に意味なんてない。自分が得をすれば、なんでも良いじゃん!」という考えも、理解できるのですが、人間には「自我」があるので、やはり「持続可能」な「社会」を作る必要はあると思ってます。またこれを作るためには、短期的「損得」だけでは語れません。

 

まぁ日本は企業の応用研究が盛んであったので、軍事研究費を使いたくないアカデミアの世界にとっては純粋科学の基礎研究を対象とするノーベル賞を取るのは、元々難しいのですが。ただ、企業の応用研究も低迷している中、教育や基礎研究などや、少子高齢化のなか将来外国に支えてもらわなければならないための投資という意味での政府開発援助など、未来への投資は、ドンと国債を発行していただきたい。それと、この財源に、税金を使うという発想はやめていただきださいです。

我々の様な、経営者出身者としては、未来のための設備投資をしたければ、銀行からの間接金融か、増資などの直接金融でやるものです。投資をしたいからと言って、商品を「値上げ」して、売り上げを増やそうなどという発想は、論外です。倒産します。


また、この真鍋先生のノーベル賞がらみで、もうひとつ特筆すべきなのは、90歳で「上席研究員」でいらっしゃることです。これはアメリカっぽくて良いですね。日本風だと名誉教授(エミリタス)になられ、引退されてもう研究されていない人の印象があります。「生涯現役」を推している私は、この名称には希望を見出しました。その分、若いうちでも休める(キャリアアップや、転職活動、育休などもふくめて)など、流動的な生き方が良いですね。

 

基本的に、実力主義的な狩猟民族ではない、農耕民族的な、新卒採用・年功序列・終身雇用・定年制は、良い部分もありますが、こういう社会は「村はちぶ」になると生きていけないです。実力主義であっても良いのですが、運などでうまくいかないこともあります。でも、いつでも階級間移動が容易な社会、そして出自やジェンダーのダイバーシティーがある社会であることは当然として、そこに生涯現役・年齢差別がない社会を目指しています。「生涯現役」主義であれば、途中でキャリアを離れたり、変えたりできると、豊かな人生を送れます。いつでも、どこでも、どうにでもなる人生が送れる社会を目指し、自分自身で体現しています。これはここのブログでもずっと書いていることです。

 

先日、人事院の総裁に川本裕子さんや、新設のデジタル庁の事務方トップのデジタル監に石倉洋子さんなど、国際的な感覚で、民間企業やアカデミアを転々とされた方が、就かれているのは、面白い人事です。もともとは有能なIT起業家で研究者の伊藤穣一さんが「良くない人間関係」でダメになったのは残念でした。アマゾン創業者などとも創業時から親しく、本質的にはとても国益になるのに。

ただアカデミアと違って政治や役所は、合理性や正義論の戦いではない部分があります。嫉妬と権力闘争に巻き込まれるので。前に書いた竹中先生や猪口先生の様に一本釣りされると、嫉妬されるのです。せっかく民間や国際的なご経験を、良い意味で役所の方と化学反応を起こしていただけるので、とても良いと思います。

もちろん、これらの方々は、政府の委員などを務められてもおられるので、既に良く理解されているのかもしれませんが、政府の有識者諮問機関は、既に政府で決まったことをなぞるのが仕事になりがちです。

 

そのため私は、政府のみではなく、国権の最高機関である立法府の国会において、本来の提言型の有識者諮問機関(グローバルガバナンス推進委員会および各種分科会・審議会)が必要と思い、世界連邦日本国会委員会のメンバーの超党派の国会議員の先生方の決議で、当機関の設置を決めていただき、私自身が事務局長をさせていただいております。もちろんこういう性格の会ですから、各分野の権威の先生に純学問的に議論をしていただき、あるべき姿を模索することですが、これは逆に言えば提言がただちに政策に反映できるものではないのですが。いずれにせよ、こういった形で、行政府に加え、立法府、さらには学界、民間、国際機関などが連携できれば、良いものが作れると思っております。

 

なお私は、色々転々とする人生を選びましたが、実は少年時代、ある身内の役人から、「旧帝レベルの大学を、上位三分の一くらいまでの成績で卒業しろ、そうしたら〇〇(いわゆる公的な大組織)に入れてやる。一生くいっぱぐれはない。総裁などにならなくても、定年後は、色々民間組織や特殊法人の役員を渡り歩けて十億円くらいになるぞ」といわれたことがあります。

でも、こういう日本的な大組織的な生き方よりも、「大学を転々としながら、起業家や芸術家になって、その後は社会活動をする」というアメリカ的な人生が良いと思っていました。

でも、結局は日本人なので、そういう日本的な生き方は選ばなかったために、結構苦労をしてしまいました。

 

学生時代に、起業したりすると、まだ別に有名でもないのに、証券会社などの金融機関に「怪文書」を流されたこともありました。何か成功すると、嫉妬されるのか、引きづり降ろうとする人がいるんです。逆に少しでも失敗すればボロクソに言われます。まぁ当時はネット黎明期でもありリテラシーがなく何でも本気にする人がいたりするので事務的に困ったりもしましたが、気にしだすときりがないので、平気になってきましたが。社会的に活躍するために、権力やお金を持ちたいならば「絶対に目立たないことだ」と教えていただいたこともあります。逆に、少年時代に日本財団の創始者の笹川良一先生から直接教わったことでは「小枝には風が吹いても当たらないが、大木は風当りが強い、君もそう成れよ」と言われました。「悪名は無名に勝る」と言います。世の中で、華やかに活躍したいと思う人、もしくは目立つことによって成功をつかみたい人は、基本的に批判されることに「平気になる」しかないですね。それと、もともと「良い人のイメージ」にならないことも大事ですね。一見「良いのイメージ」は、成功するには近道ですが、一旦悪く言われると「ギャップ」で、急激にどん底に突き落とされます。私はやっていることは良い事と信念をもっていても、イメージは常に「悪い人」を目指して生きてきました。人間、生きていると、いろんな事があります。恥ずかしいこともあります。また見方によって、良い風にも、悪い風にも、言えることばかりです。「善」か「悪」かなんて、本来大宇宙(神)にとっては、関係ないんですから。まぁ、平和で良い社会になってきたからがゆえの問題でもあるのかもしれませんが、「小ネタ」でも「大変だ!大変だ!」ということになるのですが、もう少し「おおらか」でもいいのでは?とは思いますけどね。


ただ、私はとても幸運に恵まれていて、脱藩浪人のように好き勝手に生きている割には、国内外の官民の色々な大きなフォロワー(組織)が味方についていただいたのと、諸先輩方から滅茶苦茶お世話になったお陰で、なんとかやって来れました。

これは本当に、皆様と神仏のお陰様であり、感謝しかありません。

 

 

さて、財政に、話は戻しますが、確かに超長期的に見れば、借金をし続けることは不可能です。これは当たり前の話です。「フリーランチ」といわれます。

では、仮に本当に昼食(ランチ)に、ざっくり例えると、供給力を持つ政府はそのレストランのマネージャーなので、自分の財布の中身と関係なくご飯を食べられます。財布の中身を見なければならない、お客さん(民間)とは違います。

ただキッチンの供給力は決まっているし、胃袋も限りられていますから、カレーライス1000杯出せといっても、それは物理的に不可能です。マネージャーだからといってジャンジャン注文しても良いわけではありません。しかも、お客さんは店のオーナー(主権者)でもあるわけです。今、災難に合って、昼食代を支払うことができないオーナーを見たとしたならば、マネージャーは「今日はどうぞタダで食べてください」と言うくらいは問題ないだろう、ということです。でも、店が成長していないので、オーナーだからと言って、ずっとタダで食べられると、お店つぶれちゃいますよー、、、とマネージャーが言うのも、わからなくもないです。

これが、私の言う「程度問題」なのです。

 

FRBのイエレンが使い有名になったウォーリックの高圧経済理論(需要が供給を上回り投資等が活発化すれば、さらに需要圧力が高まる)でも言われるように、需要の喚起が大事です。これがなければ、供給だけに力をいれても余り無駄になるだけです。いかに需要を喚起させるかで、設備投資・求人から何から、変わります。日銀では「金融危機のような大規模な負の総需要ショックが研究開発投資や人的資本投資等の減少を通じて総供給面にも長期的な悪影響を及ぼす『履歴効果』に着目し総需要の弱さと潜在成長率(自然利子率)の低下が併存する形で長期停滞を解釈する議論もみられている」としています。でもこれは仕方なくて、現在の日本では、まだインフレ局面に入っていませんし(一部の商品価格は上がっていますが、全体の消費者物価指数はその局面ではありません)、少子高齢化、経済の安定成長時代に入ってからは、需要が必要なのです。そのためには賃金上昇や消費喚起、経済・国家及び人間の安全保障に取り組む必要はあるし、テクノロジーなどのイノベーションも必要で、それがないと成長はなく、下降局面に入るでしょう。ただし、先述しているように、生涯現役社会は必要で、将来は一国で完結するのではなく「世界で経済を支える仕組み」があれば需要の喚起はまだまだできます。実際まだ世界人口は増えていますしね。もちろん将来ユニバーサル25実験で見られたように、最終的には世界も下がるかも知れませんが、いまのところは世界は上昇局面です。

これらの理由もあって、世界連邦運動をしているのです。

恒久平和のもとは経済です。

 

ただ何度も言うように、日本だけを見ても、「まだしばらく」は大丈夫でしょう。ところが日本の財務の事務方のトップが「日本の財政が、破たんする!破たんする!」と言っていれば、教育・研究開発どころか、経済活動にも何も投資できなくなるではありませか。もちろんこれではノーベル賞どころではありません。国際競争に勝つどころか、国際的信用も低下します。

会社で、社長や財務部長の重役が「全然大丈夫ですから、お金を出します」といっているのに、財務副部長が外部の取引先や従業員に「本当は破たん寸前です」と言っているようなものです。信用がなくなって、本当にあぶなくなってしまいます。そりゃ株価も円も下がります。

 

世界は今、円で換算すれば「京」の単位のお金が回っています。この世界で信用が高いというのは本当に重要なことです。これが相対的に落ちているのは寂しい限りです。ただ世界連邦主義者としては、この京単位のお金と、増えている人口で、将来世界全体が発展して、日本もそこに立派に立ち続けて行って欲しいと思うわけです。だから今日本は世界での信用を失いたくないわけです。まわりまわって日本の国益にあなります。もちろん漠然と世界に期待するのではなく、今の国際社会では、お花畑思想ではだめで、ちゃんと戦略をもったルール形成をリードしていかなければならないのです。

 

なお、個人金融資産も、2000兆円近くにふくれあがっています。個人金融資産は、もちろん民間国民のお金で、政府のお金ではありませんが、国民経済は、政府に事実上コントールされているわけですから、実際は政府の手にあります。世界的に見ると、評価・信用が高いです。

 

 

国家でも民間でも、社会や実業において、年度内の売上の損益だけで計算するのは非常識です。しかも、それを根拠にケチったら、成長するはずがありません。単純に考えても、財源は、税(=収入)だけではなく、国債(=投融資のための借金)です。まさに「未来」に償還されることを期待したものです。政府の貸借対照表(B/S)は貸方1500兆円の資産と借方国債1000兆円(500兆円の引き受け手は、実質上は政府の子会社と言っても過言ではない日本銀行です。日本銀行は国債を買ってチケット=お札を刷るところなので、償還時期がきたら国債で借り換えをするので、その時は同じです。問題は多額の利払いなのですが、日銀納付金というのがあるので、トントンです。当然日銀以外の国債利払いも大きいですが、金融資産を500兆円以上あるのでこの利息で、やはりトントンです)、さらに政府は(形式負債=無利子・無償還)で500兆円を保有してあります。貸方借方は1500兆円でバランスをとって、500兆円の超過資産もあるということです。金利変動があっても、貸方借方両方、金融資産なので同じです。物価だけ少し調整すれば何も問題ありません。まぁ財務省さん自身でも、外国格付け会社宛意見書の見解として「日米など先進国の自国通貨建て国債のデフォルトは考えられない、、、」と言われていますし。最終的には、オフバランスで、徴税も予定しておりますしね。企業では売掛金という未来に入ってくるお金を資産に入れないわけにはいきません。これを資産に入れないと、そりゃ債務超過になります。

安部政権のリフレ政策は、たしかに不十分(特に三番目の矢の成長戦略)でした。出だしから消費税を引き上げて(当時の財務事務次官は木下さんでした)景気の底上げが出来なくなってデフレ脱却にてこずったりもしました。でも「全倒れ」はしておりません。あとはこの成長戦略(最先端のイノベーションと、グローバルスタンダードに乗ることが必要です)と、「トリクルダウン」の実現が出来れば目標の達成です。

岸田総理は、この記事を「良く読みます」と静観しておられます。ただ自民党で、詳しい人なら、このB/Sの存在は常識なので、聞く耳を持つ総理なのでバタバタが終われば意見は傾聴されるとは思いますが、判断は変えられないとはおもいます。

ただ私のような世界連邦運動家からすると、所信表明演説でも、規制改革を言われず、おおっ!という目玉政策がないので、市場にとっては面白くないのと、役所としてはピリッとするところがないのが、気になりましたが。
さきほど破たんにそなえて保険をかけるとはいいました。このためにリスクを統計上計算しています。破たんリスクは統計で計算できます。もちろん職種など、それぞれでバラバラなのですが、理系の高校数学レベルで計算できます。この算出レートをもとに保険料金を決めます。これには公開されている「CDS」という指標があるのですが、日本が破綻する確率のレートは0.2パー以下ですから、「ほぼリスクなし」です。だから「今」破たんすることはないはずです、、、。これで財政出動を、存分にしても行きわたらせて、問題を何とかしてもらわないといけないのに、そもそもお金が出なければ、将来の発展どころか、今日食べられない人がでます。

あと財務省設置法第三条に「財政は健全にすべし」とかいてあったり、石原(周夫)大蔵事務次官が作った財政法にもいろいろかいてありますが、まず、おさえておきたいのは「憲法」に書いてあるように、国の予算は国会で決めるものです。国会は立法府ですが予算を決めるのも国会です。税金を納めているのは国民なので国民の代表者がこの使い方を決めるのは法律というより自然の原理です。

それと官僚トップが、選挙前に、こんなことを述べるのは、いかがなものでしょうか。国民をこんがらがらせるような気がします。税金の使い方に関して「私の分際で、~すべきとお答えできません」的なことをいった財務省高官は、謙虚な姿勢であるということではなく、また政治家に忖度してるというわけでもなく、憲法上、そう決まっているからなのです。もちろん知識と経験が豊富で、優秀な行政の方に、何が必要かの意見を出してもらうことは必要ですが、決定権者は国会です。実際には、国会の予算委員会は何の質問をしても良い委員会であるため悪口大会の場になっているので、政府税調と同様、ないしはそれ以上に、前述の与党税調が大事になるわけです。

 

財務省(大蔵省)は前に書いたように、戦後の吉田、池田路線では、必ずしも緊縮財政ではありません。政権は大蔵省を率い、日銀と連携し、経産省とともに、思い切った経済成長政策をしています。

岸田総理も池田総理の作った派閥の宏池会本流の領袖ですから、財務省を引っ張られるのではなく、率いていただきたいと前にも書きました。

 

なおその池田派の大番頭が、今もカリスマの田中角栄総理です。田中角栄総理は、みなさんも良くごぞんじなように小卒のたたき上げで総理になった人です(ただ実際は、上京後、働きながら、中央工学校をはじめ、複数の学校に学び、建築家として独立、奥さんの実家の建設会社を継いで、理研という財閥の下請けになって大建設会社社長や理研子会社社長になり、若くして議員になり、すぐに吉田学校入りして、そこからは保守本流を歩んだ人ではあります)。ただ総理にさえならなければ、池田時代の蔵相として、その後の佐藤時代の幹事長として、永田町で語り継がれる優秀な人になったと思います。しかし、ちょうど金権や愛人問題などが、世の中でうるさくなりだした時代に総理になり、さらに前政権から引き継いだ対中政策やエネルギー政策を、せっかちな性格が禍いして強行に推し進めたこと、そして列島改造論という利益誘導の経済的に非合理的なことをやってしまったために、汚点を作ってしまったのですが。

これはアメリカ親分にも良く思われなかったです。そのために日本の経済は一瞬傾きかけました。その後なんとか強引に日米貿易をやっていった結果、これを是正するということでバブル(実際は円高・株土地高・製造業衰退・格差拡大)に至って、その後は低成長・デフレが何十年も続くのです。

それで角栄総理個人も、スポンサーの一人だった国際興業の小佐野賢治社主とは「刎頸の友」といわれ(年配の親類いわく、そこまでの関係ではなかったそうです)、戦後最大の政財界の黒幕と言われた児玉誉士夫氏にいたってはほぼ交流がなかったにも関わらず(児玉先生は、小佐野さんとは親しかったそうですが、角栄総理は児玉氏よりその親分筋の笹川(良一)会長とご縁の方があったようです、児玉先生は鳩山(一郎)総理や岸総理の派閥と親しかったそうで吉田学校出身者とは折り合いがあわなかったようです)、ロッキード事件以降は政界の「裏・表」と言われるようになってしまったそうです。

私自身の笹川良一先生とは学生時代にお会いしておりますが、児玉先生のことは存じ上げません。ただ児玉先生の「黒幕の先輩」三浦義一先生に親しかった親類によると、笹川先生は本当の大物だそうですが、児玉先生は世の中で言われているほど巨悪の人ではなく、どちらかというと(今でいう)自己プロデュース能力に長けている人なだけで、良い意味でも悪い意味でも「大雑把でお金にも無頓着」な方だそうで、清濁併せのむ性格から、政財界(マスコミ・芸能界・ヤクザの世界にまで、、、)に豊富な人脈があり、様々な依頼が来て、がっつりお金が入ってくることもあったのですが、つい贅沢もするし、そのせいで肝心の運動に必要な資金を回すのにバタバタされていたようです。

それらがこういう事件に至たり、政財界の悪いイメージに発展したということのようです。

 

 

予算委員会で、予算の話をせずに悪口大会になるのはこどもの頃からの疑問でもありましたが、会期末まで引き延ばして審議せず廃案に持ち込むという高等戦術もあります。国会が年中やらない利点はここにあります。強引に決めれば強行採決とか言われて批判されるのでよほど意思がないと、多数派の与党もできません。以前、外国人に「ん?日本は民主主義なんだから時間切れになれば多数決で決めるのは当たり前で、何が悪いの?」と単純に聞かれたことはあります。合理的ではありますが、法案に反対する少数派の野党の意見も尊重するという文化なのです。数にものを言わせて少数派を抑え込むと批判されるというのは日本の国会の智慧なのです。だから国会会期というのは重要です。歳費はずっと払っているのに会期があって休みが多いなどというセコい批判もありますが、会期というのは国会の重要な機能なのです。でないと、民主主義は、本来の問題として多数決で、なんでもありにできます。

そして可決できずに一度廃案に持ち込むと議院運営委員会で審議に挙げにくくなります。もちろん廃案になっても再び挙げることもできますす。日本はディシジョンメイキングプロセスは相当時間がかかるのです。法律ならなおさらです。

たしかに民主主義でも代議員が多数決で決めてしまえば早いですし、もっというなら独裁者であれば瞬間的に良いと思ったことをすぐ法律にできます。話し合いを重視する日本はなかなか難しいのです。

また法案も、本来立法府の国会(国会議員)が作るものですが、日本ではほとんどが、(内)閣法と言って(行)政府が法案を作り、国会が賛成するだけのものです。議院立法は自分自身の関係や地元に有利な法律を作ることができないように予算もつく法律では衆院で50人、参院で30人以上集まらなければ作れないためなかなか成立しません。

本当は海外の様に、国会に立法の担当秘書がたくさんいたり、政党がシンクタンクをもっていたり、立法が出来きて、行政府はそれを執行するのがシンプルですが、日本は違います。ある意味社会主義に近いです。官僚の皆様も、別に抵抗する必要はなく、国会に異動してきて、遺憾なくその力量を使ってもらえばいいだけの話です。

つまり日本は、司法・立法・行政のかなりの部分を行政府が全部担当しています。米国の影響で昨今はシンクタンクも盛んになってきましたが、事実上は入札を経て調査を依頼される政府の下請け機関です。

また法律を作るには、まずシンクタンクのかわりに審議会(有識者委員の意見を聞く場)というものがあって、ここで政府案の裏付けを経て、パブコメを集めたりもしたのちに、与党の部会や政調で説明したり総務会という最高意思決定機関を通して要路を抑えておいて、ようやく法案になり、それを議院運営委員会で、委員会に乗せるかどうかを決め、時間切れにならないうちに通して、本会議で可決するということです。まぁこれは2,3年かかるのですが、1年で携帯料金から、不妊治療保険適用、デジタル庁設立、ワクチンなどあまりにもたくさん仕事をされた菅総理は物凄い仕事をした方です。これが伝わらないことが残念でした。、

 

 

国会の予算委員会の外の廊下話ですが(普通の方は、見学などで入れるのかどうかわわかりませんが)、衆院予算委員会が行われている第一委員室の近くのトイレは面白いです。残念ながら女性議員は入れないのでジェンダー平等の観点では問題ありですが、ここでは野党の先生が「さっきは、いいすぎました」とあやまっていたり、すこし「貸し、借り」の話が出てたり、、、。昔は、ここで、ゆっくり用を足すのが良いかも、、、と思っていました。ただ最近は、なんでもかんでも、慎重になったので、「だまって用を足す人」も多くなってきましたが。

 

 

財務事務次官は、事務方としては、エリート中のエリートです。そりゃ、国税庁を傘下に持ち(税金はサラリーマンにとっては源泉徴収なのであまりわからないですが、政治家や経済人にとっては解釈の違いで合法なのか違法=脱税なのか紙一重で、役所が特定の意図を持って判断できるものもあり、この情報を持っているということは、大変なパワーなのです。今のうるさい日本では、「ちょっと怪しい」というだけで人生葬りさられることもあるわけで、、、これは手放せないです。昔社保庁と一緒にして歳入庁を作って内閣に移すという案もありましたが一瞬でつぶれました。こんなのはある種の革命的なことでも起きない限り難しいでしょうね)、加えて予算配分をする主計を持ち、もちろん組織として植民地をたくさんもっています。この植民地には金融庁(昔は内部組織でした)なんかもあり、金融機関を全部仕切ってるわけですから。これらは凄い権力です。だから他省庁の隅々まで財務省は情報を持っておられます。

ただ、幸いなことに財務をはじめ官僚の方個人は、戦前のような革新官僚の方は少ないものの、現在はとても真面目で誠実な方が多い、というのは日本の幸運です。もちろん、たまに羽目をはずして、スキャンダルになったこともあるでしょうが、こんなの日本人のちょっとした成功者の人ならたまにはあることで、外国のように個人が地位を利用して公権力をまるまる私物化するとか、都合が悪いからといって武力行使をしてしまえというような人はいません。それがありがたいです。

また、財務省(大蔵省)の官僚には子供時代から親類知人が何人かいて、そのすごさをしっています。こういう人は、必死で勉強して東大や財務省入ったガリ勉タイプというイメージがありますが、そうではなくクラブ活動もしっかりやり、友達も多いのに、東大の進振りでは、どこでもいけるという最高点をはじき出す。それに学部生なのに教授と共同研究するとか、司法試験でトップとか、何か国語も話せてすぐにハーバードとかのアイビーリーグで賞をとってくるとか。さらに勉強だけでなく、寝なくても平気とか、酒も強いとか、なんか普通ではない秀才が、財務省のキャリア官僚の方々です。昔は、今ほど「倫理」もうるさくなかったころ、少し時間があると、「祇園」にいっっちゃったりするのですが、9時頃にはお開きにして、時間があるうちに東京に戻って、まだ仕事をされたりしていました。こういう人は寝ずに仕事をしても、朝にはテニスで汗を流したりしているんです。しかも、その移動中に、専門書や論文を何冊も持ち込み、速読し全部頭にに入られれます。それでいて「パッと見は」普通のおっちゃんです。

(そんな私の自慢は、子供の頃から、こういう秀才の方々から、「マサクニちゃんは秀才型というより天才型だから世界を持っていく大物になるぞ」と言ってもらったことです。でも未だに、花が開くどころか卵の段階ですから、頑張らないといけませんねw)


軍もなくなり、内務省が解体された現代は、こういう風にお金を握る財務省が、官庁の中の官庁といわれています。

もちろん、ここ最近は(昔からある程度はそうでしたが)経産省さんは活躍されました。エネルギーを牛耳っているわけですから。さらに、なぜか武器管理権を持ったりするように、各省庁から権力を奪い取れる特権があるのが、経産省さんです。やはり商売の力は大きいです。

それに、旧内務省系の、「こわもて」警察庁・ネットワークの総務省・今話題の厚労省や国交省も利権があり強いです。

それに法務省(というかその傘下の検察庁が強いです・・・司法府である裁判所も戦前までは行政府でしたのでその名残りもあるのでしょうか、検察は便宜主義というのがあって起訴するかどうかを決める権限をもっていて、されに起訴したものの99パーセントは検察の意見書が判決に反映しますから事実上検察が司法を握っているというっても良いでしょう、一時検察ファッショなんて言葉もできましたね)、閣法の法案拒否権(可・否権)を持つ内閣法制局も強いです。ここが他の法律と相反すると結論づけたら、法律にならないのですから。

そういう風に、他省庁や役所も、大きな仕事はたくさんされて、権力もお持ちではありますが、、、。

 

でも大蔵官僚の親戚も、権力とは別の意味で、「外務省さんにだけには、かなわない」というところは、あったようですね。

私が子供ころのネタ話ですが、親戚が在外公館へ出向するとき、外務省の方があまりにお洒落なので、良質のスーツとカラーシャツと明るい色のネクタイを実家の援助で新調したというエピソードも聞いたことがあります。その人の冗談ですが、大蔵省ではワイシャツ、外務省ではカラーシャツだ。つまり外務省はハイカラ。大蔵省は一高のバンカラ・ストーム(旧制高校の夜中の大騒ぎ)の役所だからなぁ、と仰ってました。なお昔は、外務省だけ試験も違い、閨閥も華やかで、女性からもモテるそうで、「恋愛話」もよくききました。

これは私が経営者時代にある大物政治家から紹介されて役員になっていただいた大蔵省OBの方も言っていました。

 

まぁとはいえ、今は政高党低(政府が高く、党=政治家は低い)から政低党高になってきています。これは民主主義・議院内閣制・政党政治なのですから当たり前のことですが、政治家の勢いが再浮上してきた感じです。

また官僚の方でも、もともとは次官会議を仕切られていた内閣官房副長官(事務)や、総理や内閣官房長官のまわりの人たち、つまり補佐官や秘書官。それに内調、NSSなどの情報機関系の人などなど、官邸の官僚の方が強いです。

内閣(官房)参与は、名誉職に近いですが、総理の諮問に直接答えられるので、出そうと思えばお力も出せるでしょう。ただ、なかなか権力を行使することには制限があるのでしょう。世界連邦にも参加していただいた、ある長く国会議員秘書を務められたのち、元総理の秘書官を経て、この仕事に就いていた方は、「もっと俺に権限をくれれば、これ、これ、こうと、もっとちゃんとやるのになぁ」と私に話された方もいらっしゃいましたしね。

 

とはいえ財務次官から言われたら政治家は考えてしまいますよね。そんな「エリート中のエリート」の方が、なんで、一般雑誌にこんな寄稿をされたのは、まじで一度お伺いしてみたいと思います。今回の意見は、これはこれで完全に嘘を言っているわけではないところもあります。先述したように、ひたすら借金を続けていたら、超長期的に見たら破たんに向かうのというのも事実です。それで、私は世界連邦主義でもあるのですが。そのため、昔から言われているので単純な自説ということもあるのかもしれませんが。「要路」を抑えて大臣許可もとっておられるでしょうし、次官が無知なわけないし、単なるポジショントークでこんなことを言うわけはないと思うのですが。ポジショントークであっても間違いだと言われれば恥をかきますから。また菅総理も認め、麻生総理も重用された方なのですから、真摯な方であることは、容易に想像できます。

なにか、私の知らないことが、あるのだと思います。

 

総理官邸(裏口)

 

世界連邦

谷本真邦

現在令和3年9月29日です。岸田先生が自由民主党の新総裁に選ばれました。普段は、ここでは具体的な仕事や政治のことは書かないのですが、久しぶりに書いてみます。まずは岸田先生おめでとうございます。また河野先生、高市先生、野田先生ご健闘お疲れさまでした。

私は、世界連邦運動家として国会に関与しており、政界で働くため重鎮議員の秘書などや有識者諮問機関を渡りあるかせていただいております。ただ本来世界連邦は超党派ですので、特定の政治的なことは書けません。とはいえ、私も日本人の一人であります。総裁は、すぐに記念すべき第100代内閣総理大臣に就任され、その後衆議院総選挙がありますので、今回の新総裁と、今後有力な地位につかれるであろう、他の候補者について、私の書ける範囲で書いてみようと思います。

 

岸田新総裁は、わが世界連邦日本国会委員会の顧問です。総理になられても、世界連邦の日本国会委員会に、ご参加ください!!日本の世界連邦運動の勃興には総裁の地元、広島が大きくかかわっているのですから。。。

 

国会には「ひしょひしょ(秘書秘書)話(ひそひそ話にかけています)」と言って、わりと秘密の話が回ります。しかし昔と違って料亭政治ではなく、コロナ禍での電話か議員宿舎(議員会館ではなく家のほう)で話し合いが行われるので、かつてと違って情報戦が曖昧です。

で、元々はオリパラ以降に解散して、その後に総裁選が行われると、今年の前半までは言われていました。ただ夏以降から、菅総理は総裁選に出ない?二階先生と刺し違える?という話が出だしたのですが、やはり解散情報が報道で流れるなど、デマなのか?アドバルーンなのか?・・・と思っていたら、本当に出られないということになりました。

 

菅総裁は、官房長官時代を経て総理として、9年も官邸で、なかなか難しい役所&既得権益をお持ちの方々の考えや、職域支部(=支持母体)などの壁に取り組まれ、驚異的な体力で、365日24時間体制で働かれ、しかも政治主導をすすめられたので、本当にお疲れ様です、と申し上げたいです。

親中派のイメージと、幹事長の座に長くおられすぎたため、刺し違えられることになった二階先生は「ザ・日本の党人政治家」です。世界連邦でいつもお世話になっていた伊吹文明先生が衆議院議長になられたために、伊吹派を継いで派閥の領袖となり、幹事長に就任されました。80代で、歩くのもきつくなられても、世の中のために奉仕されているというのは、生涯現役主義者の私には、尊敬すべきところだと思っています。礼節に厳しい方ではありましたが、菅総理と同じく、国会議員秘書からたたき上げの方で、懐も広い方です。お人柄のエピソードとしては、(これは政財界でしか知られてない話ですが)東日本大震災の時、政権幹部の多くの人がうろたえていたなか、二階先生は野党であったのですが「大変悲しい事だが、多くの方が亡くなられた。せめてきちんと埋葬しなければ」と、経済界に乗り込んで、立派な棺桶を調達すると仰って奔走されておられました。この様なタイプの政治家です。当時の政府にも、私にも、このような発想はありませんでした。

これらの方は、本当は威厳もおありで、凄い人です。しかし国民的な人気はなかったですね、仕事を見ずに「話し方」などばかりを、見るのはおそろしいことです。

菅総理は、クワッドでもリーダーシップを発揮され、サミットでも英国との経済・安全保障連携交渉もうまくやられたのに(安部政権が仕込んで、外交当局の方々の成果である、というのはもちろん前提ではありますが)、なんか「ひとりぼっちで相手にされてない」的な報道をされたり、、、。

重要土地利用法を成立され、従軍慰安婦の要綱が不適切と閣議決定され、外交安全保障では、なかなかできなかったことを、きちっと完遂させました。これは凄いですね。保守的にいうと、放置されていた学術会議に一石を投じ、天皇の男系男子による万世一系を守るために旧宮家皇室復帰の現実的可能性の道を作りました。まさに安部政権の積み残しを実現させちゃったのです。あとは憲法改正くらいです。

そして「携帯料金引き下げ」「デジタル庁創設」「不妊治療保険適応」「電波の帯域の再編」「環境問題」など、なかなか難しい民間との連携、縦割りの伝統を、「ぶちやぶる」無謀ともいえる公約をきっちり守られました。これらは、はっきり言って20年、30年前から課題にしていたのに、やれなかったIT化・少子化対策などを一気にやって頂けた感があります。

IT化は、電波・電線利権から始まって、家電や半導体に至るまで、あらゆるイノベーションに関して、日本は落ちました。ようやく取り戻す機会を作ってくださいました。・・・ただもう間に合わないので、早々に諦めて世界の投資銀行に化けるというのも手です。

少子化は、ハッキリ言って「産めよ増やせよ」の様な戦時政策のトラウマがあって、良い悪いは別として、家庭に政府が入り込めないです。これを内閣府担当大臣にだけ押し付けても、厚労省が「それってうちの仕事?」と言っている状況では無理でした。ただ少なくとも子供を持ちたい人の経済的応援はすべきでした。これがようやく一歩前進しました。加えるなら国内の行政の政策で出来るのは、養子制度をあまり制限をつけずにもっと楽に出来る様にし中絶を減らすとか、終身雇用を改革し育休&職業復帰を容易にするとか、一生「一夫一婦制」を貫くという前提というの結婚制度を窮屈に感じる層が多いことを打破することです(つまり、もっとフリー恋愛・結婚制度ができれば良いのです。恋愛ならば気軽に付き合って別れるとか出来ますが、結婚となると・・・もうそこからは急に自由恋愛禁止で、離婚も簡単に出来ない、となります。離婚は、財産分与は細かいですし、片方の要望だけでは離婚できないとかもあります。もっと楽にできれば、簡単に若くして結婚するでしょう)。ただ、これは村社会・家制度・子供の発達環境など、文化的背景や生理的背景があり一筋縄ではいかないのもわかります。やはりこちらも、早々に諦めて人口が増えている外国人を、国境を超えて頼るのも手だと思います。既に年金や健康保険などをはじめ国内保険制度だけでは社会福祉は賄えなくなってきているのですから。

(ただし、これらは、法の支配を受けない外国が関与するので、今時点で外国を全面的に信用して期待するのは危険です。だから国際連合を強化して世界連邦なんです)

これら、恩恵を受けている国民がたくさんいるのに、全くしられてないです。

マスコミでは、コロナ対策で医療体制を充実させるなど医師会会員など民間クリニックなどに多く医師がいる状況で政府ではどうすることもできないことばかり報道されていましたが、これは別として、特に後述しますがワクチンなど政府ができることは全てやられました。

総理はわずか一年で色々頑張られた凄い人です。そして最後の最後には辞め方もあざやかでした。

 

でもこういう仕事が出来る人は、なぜか評価されないです。だから数では全く違う党員票と、議員票が同じなのです。議員が特権的に票の重みを増しているということは不公平と疑問に思う方も多いですが議員が「偉い人」だからではありません。一党員はその人となりがわかりません。これこそが党の智慧なのです。派閥論理やドロドロの情報戦、そして仮に金が飛び交ったとしても他国の様に兵隊さんを使って政権を取るために殺し合うよりましです。

 

いつも言ってますが、私は近代で尊敬する人は、明治天皇を別格とすれば、伊藤博文公です。公は初代内閣総理大臣ですが、幕末から明治の大きな歴史的な事件には必ず出て来る出づっぱりの人生でした。あとは、庶子として生まれ、奴隷に売られてから首相にまでなって2.26で暗殺されるという波乱の人生を送った高橋是清です。この人は幕末にアメリカで奴隷として売られ明治維新時に幸運にも帰国出来、英語学校教師・芸者の箱持・相場師・官僚・国内外鉱山牧場開発の実業家など職を転々としてことごとく失敗。何度も再起してチャレンジし、日銀の工事監督から正行員になり横浜正金銀幹部や日銀幹部となり外債募集で日露戦争に貢献。爵位も得て、日銀総裁から蔵相になり、原敬暗殺時に首相就任。爵位(貴族院議員)を投げ打ち政党政治家として何度も蔵相となり積極財政+財政健全化のバランスを取り恐慌を止めることに尽力しました。部下の蔵相が体調を崩し80代(当時の80代は今より相当高齢です)で固辞していた蔵相再任され暗殺されました。東北救済に大きく貢献したのに東北等の困窮を救うべく立ち上がった青年将校に殺されるという皮肉な最期になりましたが、凄い波乱の人です。これらの人は幕末~明治の近代化の全てに関わり成功させるほど凄い仕事が出来る人ですが、明治維新では西郷・高杉・木戸、龍馬など運動家に比べ人気は低いです。明治でも板垣・大隈・福沢・渋沢など在野の人も人気があります。それに比べ公は初代総理で憲法作りに関わったくらいしか知られていません (もちろん知る人からの評価は高い巨人です)。

でも逆に言えば民主主義というのは、国民の人気投票で、国民はリーダーシップを求めるので、プロパガンダがうまい人が強力というのが現実です。政治は伝えて勝たなねば意味がないのですが、見えない本質も見てもらいたいです。

 

コロナ対策では、飲食店への集中攻撃だとバッシングもされましたが、この中には世界最大の問題の一つ「酒対策」もおりまぜられています。酒は権力(組織)が関与しているので、絶対にこの意図は公式に言えません。

酒は人間の人格を変えるかなりのハードドラッグです。(コカインとかヘロインの様なケシ系の麻薬や覚せい剤は、離脱の苦しみとか依存など、大変危険なので絶対ダメですが)大麻などの弱い麻薬で暴れる人を海外でもみたことがないです。ところが酒で暴れている人は国内外であふれかえっています。ちなみに世界連邦は、国際司法のメッカであるオランダのデン・ハーグなどにも本部を置いているので、私も行きますが、オランダでは普通におばさんや真面目そうな若者がコーヒーショップで明るくニコニコ落ち着いて大麻を楽しんでおられます。当然日本人の私は「海外でも違法」なのでしませんが。これはブログだから言っているわけではなく本当です。私は子供のころロックファンでポールマッカートニーが日本で逮捕されたり、また私水泳選手もしてましたがロス五輪で日本の先輩選手の一部が大麻を吸って(海外のことで所持の現行犯ではないので刑事事件にはなりませんでしたが)選手登録も記録も全部抹消され水泳界に居なかった事にされてしまったり、こんなに騒ぎになるほどやばいことだという印象が強く記憶にあるからです。だからオランダだろうがアメリカだろうが誰に勧められても絶対やりません。ただ欧米人はアジア圏と違って「俺の酒(大麻)が飲めないのか!」的文化はなく、不良の中にいても、みんながやっていても、いらない、やらないと言えばいいだけなので大丈夫です。ただ大麻が酒に比べてそんなに悪いものではないとして「解禁」を求める人もいますが、日本では可能性は薄いでしょう。大麻をやるとハードドラッグに入っていくということも証明されていますし(もちろん、これは「違法でもやるという精神を持つ者が手を染める」という現実があり、解禁すれば別の反応も出るでしょうが)。

日本の刑法は厳しくなっても緩くなることはありません。これはアメリカなどとは違うところですね。アメリカは民主主義が良い意味でも悪い意味でも徹底しているので刑法に限らずあらゆる法がその時の国民の考えでコロコロかわります。憲法だってコロコロかわります。でも日本はそんなことはありません。刑法は戦後がっつり緩くなってその後は良い意味でも悪い意味でも厳しくなる一方で、人権派などがいくら抵抗しても緩くはならないです。

死刑も廃止されません。犯罪被害者の「加害者に生きていてほしくない」という気持ちは容易に理解できます。ただ少なくとも死刑は、これによって刑に服したら免罪になるので、加害者視点からすれば長い懲役に比べ楽な法です。だから死刑になるほどの違法行為をする人間にとって死刑が抑止になるかは疑問です。また懲役がないため拘置している間「タダ飯を食わせる」という意味で負担も大きいです。それに何よりも死刑になるとその事件は終了するだけではなく、実際に政府の恣意的もしくは過失による無実の人を罰してしまっても取り返しはつきません。ネルソンマンデラ(終身刑)や金大中(死刑判決だが執行されず)は、あやうく死刑になるところでしたが社会の考えが変われば国家元首になれました。政府が恣意的ならば気に入らない者を「犯罪者」に仕立て上げることも可能です。死刑だけではなく世の中、高齢化とともに人の精神的成長が後ろに倒れどんどん幼くなるにも関わらず、少年法も厳しくなっています。精神的に未成熟な状態でも日本のメディアは推定無罪ではなく逮捕された時点で推定有罪扱いなので実名報道が始まるとデジタルタトゥーが一生残ります。微罪のこともありますが、未成年でも許されない本当の凶悪犯罪者もいるので、本当にどっちが良い悪いではないのですが。交通事故に関しても厳しくなっていますね。これは良い悪いは別にして緩くならないのは感覚として理解していただけるでしょう。

その中「酒」は合法ですが、人格崩壊、健康被害、依存、蔓延などを考えると本当にひどいです。かくいう私、酒自体が嫌いなわけではありません。基本は飲まないのでアルコールに強いわけではありませんが、ワイン、上等のウィスキーやブランデー、日本酒などは「香り」も含めておいしいとは思います。お付き合いで仕方なく毎日酒場にいかなくてはいけない時もありました。ほぼ飲まないので正気をなくすようなことはありませんし、若い頃からリーダー的存在や社長だったので、先輩らから「飲め、飲め」と言われることもありませんでした。車の運転が好きで飲まない言い訳も出来ました。酒がないと世の中の犯罪がどれだけ減るかということはわかっています。でも酒は財務省系国税許認可、企業売上・広告をはじめ、本当にいろんな利権があり、何と言ってもみんな大好きで、太古の昔から世界中で広まりすぎて、どうしても禁止にできません。禁酒法時代のアメリカではマフィアが跋扈して一夜にしてアルカポネが台頭したことも有名ですが、かのソ連でさえ禁止にしたら「サマゴン」という家庭密造酒が蔓延し禁酒法は形骸化しました。個人差はあるでしょうが、日本はお酒を飲むことに関して寛容で「お酒が好き」「お酒が飲める」ことにポジティブです。逆にロシアなどではいつもウォッカを飲んでいるイメージですが、皆が飲むため「お酒好き」はネガティブで、「お酒を飲まない」というだけで、東欧で女性にモテた経験があります。これは日本では知られていないですね。

コロナ禍を利用して「酒を飲むと病気がうつる」と言って国民の飲酒習慣を減らす努力をされました。「飲むなら家で大人しく」と。基本的に酒対策はやりたくても出来ないのでここでこれを打ったことは凄いです。酒豪の岸田新総裁は飲食業の規制を緩和をしていくのでしょうね。

 

(ちょっと話題がはずれたので)コロナ対策に戻ると、ワクチン接種に関しては、国産がなく、日本でも治験が必要であるという厚労省の医系技官の慎重なお考えもあり、出遅れましたが、一気にすすめられ、成功しました。春の段階ではアメリカが十分足りるとわかって交渉がおわり、菅総理がファイザーと差しで確認して決めています。去年に1300憶円の、ロジを想定して補正予算も組んでおられました。にもかかわらず、そのあと報道で「日本は総理の怠慢でワクチンが遅れている」といわれていたのは、ちょっとヘビーでした。しかも結果的には、アジア諸国にもまわせて、中華人民共和国よりも、ワクチン外交にも勝って感謝されています。しかも「天安門事件の日」に台湾にワクチンを送っている・・・。喧嘩しないために報道しなかったのでしょうが、、、。これは想像ですが、めちゃくちゃ頑張る菅総理のことですから、きっとワクチン担当大臣の河野先生などは、夜中でも、あれはどうなってるんだ?これはどうなってるんだ?と、携帯で何度も叩き起こされたでしょう。

 

医療崩壊の問題については、なかなか難しい問題がありました。総理の仕事というよりは自治体や民間の仕事ということでもありますが、政権幹部の方に聞くと、それよりも日本は、医師会に所属する開業医や大学病院など、悪い意味で、病院や病床が階層も数も多すぎるとのことです。さらにここに保健所の仕組みや感染研など色々なアクターが入っており、その割に指定感染症への体制はととのっておらず、補助金をつけると言ったところで、あちこちの病院やクリニックにちらばっていれば当然医師が別々で一斉に働いたり休んだりするので、人手の連携がとれないわけです。世界連邦日本国会委員会にも参加していただいている日本のコロナの顔、元WHOの尾身分科会会長が理事長をしているJCHOへの300億円もの補助金を使いきれない状態でした。もし官主導で合併でもできれば医師や看護師のシフトも組めるでしょうがそれができず、また医療従事者と言っても、色々な専門の方がいるので、専門外の方は「勘弁してくれ」となり出来ないのです。救急搬送のたらいまわしは、コロナではじまったことではなく、あらゆる専門の医療で起こっていた元々存在していた問題です。

 

(また話題を横にそらせますが)喧嘩をしないための報道という意味で、高市先生の仰っている靖国参拝問題もそうです。基本的には民族・国会・宗教は違えど、故人の慰霊をするのは、世界共通の当たり前のことです。私は原爆の日には慰霊式典に参加させていただいておりますし、海外へ行っても基本的には戦没者や訪問相手のお墓に参りたいと言ってなるべくお参りをさせていただきます。8.15には靖国神社にも毎年正式参拝をさせてもらってます。閣僚らも参拝されますが、マスコミが騒ぐから喧嘩になるのです。外交問題にしないようにするには、理念的には「我が国に命をささげた英霊に参拝することに対して干渉するな」というのが筋ですが、実際には外交問題になると貿易をしている人や居留邦人が困るのは事実です。でも外交問題にしない方法があります。「毎日通えば8.15に参拝したこともおかしくない」といった方もいますが、多忙でそうもいかないとするなら、方法は簡単です。マスコミがさわがなければ良いだけです。そうすれば外国と喧嘩にはなりません。一度、裏側から正式参拝をする人のための建物があるのですが、その入り口へ行く通り道に、メディアの取材陣が陣取っていておられます。私は、一度「皆さんが騒ぐから、外交問題になるんで、取材はやめていただけませんか?」といったことがあります。当然「会社の仕事で来てるんで、、、すみません」と、当たり障りない回答でしたが、まぁ「こいつ(私のこと)は面倒な奴だ」くらいに思われただけかもしれません。でも高市さんも「外交問題にしない!」と言っておられますが、本当に政治家が大々的なパフォーマンスをする目的がなく、英霊に崇敬の念だけで参拝したいというお気持ちだけなら、支援団体にだけにはこっそり伝えて、正式参拝する私的で神聖なエリアへの入り口には、メディアが入れないようにすれば良いだけです。メディアの皆さんも、政府が言論を統制していけないのですから、国や国民を思うなら、ぜひ、自らご協力いただきたいと考えています。

 

あと、昭和天皇も(いわゆる)A級戦犯合祀で(…いわゆる、というのは、中国の通州事件や、原爆を含め空爆をして、非戦闘員の市民を虐殺し、同じように戦争犯罪も平気で犯している勝者が敗者を裁いたという「不公平な裁判」というだけではなく、そもそも国際法違反のBC級は別としても、戦争はやり方に決まりがあるもの=つまり合法だったもので、「平和に対する罪」などというものは、元々はなかったわけですから、犯罪人として有罪にしてはいけない人もいますし、しかも死刑になった人は既に刑を終えていますので犯罪人扱いしてはいけないし、服役されていた方も講和独立後に国会決議で名誉回復されております。だから本来は戦犯と呼んではいけません)、行かなくなった的な側近メモを某新聞がスッパ抜いて以降、そんなイメージがついていますが、私は違う解釈です。この合祀、その前の宮司さんまでは非常に慎重に検討されていたのですが、宮司さんが変わった時にバッと合祀されてしまったのです。昭和天皇は合祀された方の中には、実際にソ連と組もうとされたりして嫌悪感を持っておられた方もいたこともあるかとは思いますが、この「合祀のやり方、またはこれをされた宮司さん」に不快感を示されて参拝されなくなったと解釈しております。昭和天皇に近い方に聞いているので、合っていると思います。昭和天皇は、いわゆるA級戦犯と呼ばれている人たちについては、ほぼ全員に対して大変ご心痛されていたので、「戦犯合祀で参拝されなくなったわけではない」と思っております。ただ一回辞めると、宮中では前例を変えるのには大変な労力が必要です。もちろん時代に合わせて変えられてはきたものの、宮中では基本的には前と違うことをするには伝統を守らないといことで禁忌だからです。しかも外交問題になってしまった現在は、行きたくても行けないでしょう。違う考えの人もいるかと思いますが、天皇陛下が行かないから、などというのは政治利用そのものです。英霊・神となると信じて国に命を捧げられたご先祖様や、それを拠り所にされているお身内だったらどう思われるでしょうか?自由に故人を慰霊されることを批判されるのは、さすがに、、、。これだけでも、戦争を知らないこどもたちの、そのまたこどもたちである、私の世代の反省ですから、一つのブログテーマにできそうですから、将来別途書いてもいいです。

 

再度話しを戻します。そんなことで、菅総理は、活躍の割には国民からの支持を失っておられました。発信力問題がありましたが、真面目な菅総理は見た目のプロパガンダには関心を示されませんでした。そのせいでマンデーモーニングクォーターバックが世に跳梁跋扈します。そういう意味では総理向きではなかったのかもしれません。しかし選挙を前に権力の磁場をさらっと移しました。二階先生と刺し違えて辞めることによって自民党の支持率を上げさせ総裁選を盛り上げて日本を自民党総裁選一色にするという、まさに党にすれば自己犠牲のメシアです。すごい政治手腕です。本来、人間はしょせんサルですからボス争いは本能です。そこで権力闘争というものは兵隊さんや報道機関を使って、命がけで殺し合いで奪うものですから、日本はなんていい国なのでしょうか。これを体現しているのが菅総裁だと思いました。

 

・・・ということで、岸田先生本命、河野先生大穴ということになります。

 

高市先生は、菅総裁を派閥の論理で、一気に当選させるのではなく、ちゃんと戦って勝って、総選挙に向かうという、当て馬(失礼!)かな?と言っていた人がいました(たしか、菅総裁が出ないと表明されるまでは、ご本人も、おっしゃっていたような記憶もあります)。でも菅総裁が出ないとされたあと「安倍前総裁が出ないなら、私が出てやろう」みたいなことで、本気になられました。しかも経済政策も安部路線を引きつぐということですが安部さんと急にすり寄ったわけではなく、同期当選以降、ずっと安部総理を支えてきた方です。さすがに総理・総裁にはなれないとしても、保守系の存在感を出すために、同じ国家観の皆さんからの協力なサポートもあり、ぐいぐい伸びました。ここまで来られるとは正直意外でした。高市先生は真の愛国者です。いわゆる「右翼」にもファンが多いです。しかも穏やかな語りですが、バイクとヘビメタドラムが趣味というカッコイイ女性です。また私は関西人ですが、関西では高市先生は、議員になる前から、議員になるためによくTVに出られていておられて有名でした。当時は「元・米国連邦議会立法調査官」と名乗られていたのですが、松下政経塾の恒例の海外研修で外国の議員のボランティア・スタッフをしたときのことを、翻訳された方が大げさに訳されたので、最近は言い方をかえられてます、、、。当時子供だった私はその役職が日本にないので、なんだろう?と思っていました。衆院法制局の人みないな感じなのかな?日本国籍でなれるのかなと思っていました。まぁ、それでも保守の人というよりも、凄い国際的なエリートのイメージで、TVに出られておられました。当時クリントン政権の解説、さらにはクリントンのオックスフォード留学をした時に使ったローズ奨学金のことまでも細かく紹介されていたのを記憶しております。また政治家として最初無所属として出馬されたときは、TVに出てたのでタレント議員で当選したらどこかに入るのかなかなぁと思っていましたが、やはり、とてもやり手で、当時の新党ブームの時代のなかで、一旦新党を渡り歩いたのち、「与党でないと、、、」と正直におっしゃって、本命の自民党清和会に入られました。そして首相の自称「勝手補佐官」を名乗りはじめられました。結構面白い方なのです。でも総裁選で派閥の長である町村候補と、安部総裁候補にわかれたときに、安部総裁を推すために、清和会を脱退されています。だから、一見「うろうろ」しているように見えますが、実際は全くぶれておられません。国のことを考えるあまり地元の地盤がうすいので(それはそれで間違ってないとは思いますが、、、)落選されたり、働き者なので離婚してしまうなど、苦労もされていますが、安部政権下では、かつて沖縄北方領土担当内閣特命大臣、第二次以降の安部政権下では、女性初の党政調会長や総務大臣として長期にわたって活躍されました。だから今は清和会(現・清和研)ではないですが、支持者も多いのです。また、同じようにTVキャスターから新党へ誘われ自民党清和会に行った小池先生は知名度は全国的で、高市先生の一歩前を走られていましたが、自民党と対抗して都政に行き今は国政の本流からは一旦はずれておられます(ただ政治的天才なので国政に戻られる期待はありますが)。長く飼っておられたペットが亡くなって、お元気がありません。働きすぎなので(マジで)体調を心配してます。後から国会に来られた稲田先生は自民党にしては早く出世され、防衛大臣として高市先生を政治的に追い抜いていかれたように見られるくらいでしたが、当時防衛省があまりうまくいかなかったため、野党に責められたうえ、保守系とは少し違う夫婦別姓やダイバーシティー政策を打ち出された為に、ゴリゴリの「右」の方からは女性初の総理は高市さんしかない!という感じになりました。

 

本命、岸田さんの得票は、ほぼ予想通り。自民党の既に支持率も上がり、変化を求めない雰囲気になり、顔にしたい河野先生が票を失った分むしろ少し増えました。ここは、さすが自民党。固いです。

 

岸田先生は、一般の方には、「春風接人」「話を聞く」というキャラで、おとなしく地味に映っていますが、地元広島では全然違います。発信力もあります。世界には、ただの聞き上手のリーダーが、声の大きい部下に引きずられて、戦争や亡国になってしまったという歴史が沢山あります。でも岸田先生は、いっつも街へ出て演説をしておられて、スーパースターです。大きな政治力をお持ちです。国会議員は、金帰火来(きんきからい)と言って、週末は地元に帰られるのですが、外国と交渉をする外交のトップである外務大臣の時でさえちょくちょく地元に帰り、支持者を大切にされております。またすごいのは、親の秘書から地盤をつぎ、結婚式の仲人は親戚の宮沢総理という、華麗な世襲議員ですが、それだけではなく、たくさん「後援会」を作られて、「会長」をたくさん作っておられます。要するに地元の業界のドンみたいな人が「会長」というわけではなく、多くの市井の人が、「後援会長」として「岸田を支えているのは私!」という意識をもっておられます。これは凄い戦略です。永田町でも若手の優秀なブレーンをたくさん従えておられます。酒豪なのは有名ですが、それよりも岸田さんは宮沢元首相の親戚で官僚出身の政治家一家なので進学校の開成高校から「官僚一家なら入って当たり前の」東大にどうしても入れず、浪人(しかも多浪)を経て、結局早稲田に入って、勉強よりも大学時代は飲み会の帝王みたいな人だったそうです。座談もうまい。歌も歌う。酒を酌み交わしながら、まじめに、かつ相手に合わせた話をされると、みんなファンになります。そのうえ4年以上も外務大臣時代をつとめ、広島にケリー国務長官(米が衆国の外相の役割)、さらにはオバマ大統領も呼びました。ついに原爆を落とした国の大統領を、広島に呼んで、献花させましたのです。これはなんでもないことの様に思われますが、広島の方がずっと願っておられて、実現しなかったもので、凄いことです。さらにクワッドや、親米ではない国との交流も含めて、安部外交を支えられました。しかも自らはあまり出しゃばらずにです。こういうことから、敵を作らない人でもあります。宏池会が分裂したいわゆる「加藤の乱」の時も、おとがめなしで、今は宏池会の会長です。また外務大臣、政調会長をやめられて、菅内閣で権力がなくなった時期でも、何の文句もなく、地元はもちろん、職域支部(経済団体や、医師会さんと看護協会さんとか、農協さんとかのことを言います)を回って政策を説得されたり、ちゃくちゃくと仕事をされていました。本当に仕事が出来る人だなぁ、という感じです。

 

河野先生については、まず議員票予想がだいぶ違っていました。でも、それは先述したように高市先生の議員票予想が大きく伸びたからですね。しかも野田先生も伸びました。野田さんの役割も大きく、この人がいなかったら、党員などの票と議員票で、もしかしたら河野先生が過半数を超えてしまうのではないかという話があったのですが、河野先生の票を割ることが予想され、結果的に岸田さんを有利にしました。河野先生から岸田先生に乗り換えた人もいるでしょう。本来、国民的な人気のある河野先生は一回目でもっと票をとるはずでした。一回目で過半数を取ったら決まりですし、そうならなくても、決戦で多くの党員票を国会議員票でひっくり返すことには、抵抗があった人もいたはずです。でもドント方式でも、小石河連合でも、あまり伸びませんでした。世論はメディアではなく選挙ですから、、、。メディアの持ち上げように比して、そんなに差はなかったとも言えます。そして河野先生と岸田先生が党員票で差がなかっただけでなく、一回目の国会議員票を入れると、(岸田陣営は、河野先生に過半数を取らせずに、二位を死守する!だから二回目は岸田先生に!と永田町では言われていたのに)、もともと一位になりました。そこで無難に派閥の重鎮の言う通り、安心して岸田先生に投票できたというわけです。しかもよりによって河野先生は「消費税と年金についての発言」など、あっまずいこと言われました。これには裏もあるのですが、かなり悪影響でしたね。


前にも言ってますが、基本的に年金・健保・介護保険などの福祉は、原則的には今働いている世代が払っているお金の運用で成り立っています。貯蓄ではありません。それであれば、大きなインフレ・デフレがあると、それこそ破たんします。もちろん大きく税で賄ったり、石油などの収益を使って、福祉大国になっている国もありますが、これらはほぼ小国家です。よくSDGsなどの成功例として言われるスウェーデンなども、基本的に自由主義です。大手企業もダメなら容赦なく潰します。でも家具でもファッションでも上がっている会社には手厚く応援します。これは成長戦略と分配をうまくやっている事例でしょう。第二次世界大戦後、欧州のなかでは被害の少なかった、かの国は、経済発展をします。ただそれによって皆が多忙となり家庭の維持ができなくなってしまいます。そのため国家が一つの家庭となって高福祉国家となりました。ただし大きな国でこれを真似るのは相当努力が必要でした。これからはIT技術の進展で大国でも模範にすることはできるでしょう。ただし所得の7割がたを国家に収めるという相当税負担を求められます。多くの先進国ではそうではありません。日本は資産課税負担(相続税なども含め)は、元々大きくどちらかというとスウェーデンに近い方です。

 

さらに、お金の価値は変動を考えないといけません。外国に比べて深刻なのは、やはり日本には成長がないことです。1960年と1990年のインフレは凄かったでしょう。1960年頃の大卒初任給1万何千円です。でも1990年には約20万円くらいになっています。でもそこから2020年まで大卒初任給はだいたい同じです。お蕎麦一杯の料金も変わってません。ただ少子高齢化の場合、経済成長の限界を迎えたら、いずれの制度でも破たんします。要するに年金が破綻しないためには、その時に経済が成り立っていればいいわけです。

生涯現役の社会を作ることと、イノベーションと、外国人に食べさせてもらうしかありません。国連では「日本はもっと環境や人権など持続可能に目を向けるべきでイノベーションに溺れるな」ということも言われますが、イノベーションなくてして、持続可能性なしです。

 

だから「世界連邦で」ということはいつも言ってることであります。途上国を支援して発展してもらい、将来には負担をしていただくために、国債を世界債に変えるしかないと思っています。

 

さて、次に河野先生ですが、この先生はとても行動派です。外務大臣時代、結構英語が出来る外務省の政務三役の先生でも、通訳官をつけるのですが、河野先生は自分で英語で話します。国連安保理議長席(当時日本は安保理非常任理事国でその月たまたま議長月でした)に、どかっと座られるなど、存在感は大きかったですね。河野先生は学生時代に、慶応高校からエスカレーターで上がった慶応大学を中退し(というかほとんど通わずに)、ジョージタウンに留学(ここはワシントンDCにある有名大学で、クリントン大統領も、学部はここでした)。オルブライト(後の国務長官)のゼミで学び、それにとどまらずシェルビー連邦議会議員の選挙インターンとして敵対候補者の弱みを調査する役割をあたえられたり(これは親が大物というだけではない相当な事務能力が必要で日本人学生としては優秀ですね)、さらにジョージタウンからの交換留学で当時共産圏のポーランド中央計画統計大学で学びに行き、連帯のワレサ議長と会談して逮捕されるなど、めちゃくちゃ国際的にアグレッシブです。ちなみにワレサ議長と会った時は盗聴されている前提で、口頭ではあたりさわりない話をし、実際は筆談し、書いた紙を燃やしながら話たそうです。岸田先生が飲み会をしている学生時代に(これも将来の政治に役立ってますね!)、ここまで最前線で活動されていたのです。

 

ちなみに河野先生の親分の麻生総理は消えかけた世界連邦の日本政府窓口を改めて設置していただいた方ですが、実は部下や後輩に優しい人です。河野政権は無理と思いつつ「やりたいなら頑張りなさい」と言われたと思います。でも麻生総理は派閥を率いて応援することはなく側近はついて来なかったのです。

 

しかも河野家は、祖父河野一郎氏は、児玉誉士夫氏らの仲介で、岸首相から安保改正賛成を取り付けるかわりに大野伴睦・河野一郎と首相を禅譲するという署名捺印付きの約束をとりつけながら(これを暴いたのは大野番記者ナベツネさんです)、約束は守られず池田内閣が発足し病死。父河野洋平先生は自民党結党以来初の野党総裁(細川・羽田首相時代)・与党非首相総裁(村山首相時代)で、ギリギリで総理にはなれない家系といわれています。

 

首相というのは「運」というのも大事なんですよね。

 

私個人は、誰になっていただきたいという想いはありますが、ひととおり応援したい要素はあります。

岸田先生は、先述の様に世界連邦国会委員会顧問。河野先生は、国際連帯税推進派。高市先生は保守色が明確であるだけでなく私が最も長く在籍した大学である神戸大学の先輩でもあり凌霜という同窓会組織が応援していることもあります(私も在学中の起業家時代にはこの組織の金融機関の皆さんに応援していただきました=神戸大同窓会には商社・金融機関の方が多いのです、神戸大学から首相になった人は今まで短命だった宇野総理だけです・しかも旧制時代で応召で中退です)。野田先生は郵政民営化反対で親族に熱心な支持者がおられます。岸田先生が総裁に選ばれましたが、その他の皆さんにも別の立場で頑張っていただきたいというのも本音です。

 

もう一つ大事なことがあります。それは官僚高位の皆様から「しょせん党内の社長争いだから誰が選ばれても同じ」「政策に大きな違いはないから単なる権力闘争」という声もごく小さくは聞こえてはきますが、そういう感覚ではなく議院内閣制という民主主義国家ですから民主的プロセスを経た公務員(国会議員)で構成される「国権の最高機関」の国会から指名され、国民統合の象徴天皇陛下から任命された内閣総理大臣が政府を作り、税金を納めた国民の代表たる国会議員が予算を決めるという建前ですから、「政治主導」というのは言葉にする以前に当たり前のことなので、これを踏まえ新しい政権の内閣に仕えていただきたい。もちろん政権の仕事の9割は官僚の皆様が支えておられるのは誰もがわかってます。ただ民主主義なのですから、政権のビジョンを通していただければ幸いです。民間会社では仕事の9割は社員がやっていますが、株主から選ばれた社長が代表し、そのビジョンを作り責任を負います。これと同じです。昔与謝野薫先生がおっしゃった「政治家は官僚を恫喝するな、官僚は政治家を馬鹿にするな」とおっしゃったことがありましたが同感です。官僚主導という言葉は会社で従業員主導といっているようなもので民主主義・議院内閣制の我が国では変な言葉です。

 

それに「総理の発信力」ということについても言いましたが、自民党は本当に仕事が出来る人や、人望のある人が総裁になり、発信力は関係なく、サプライズはありません。議員の公認・役職、閣僚・大使選びなどで、総理総裁は人事を一任する制度があるのでサプライズ人事も稀にありますが、結局日本はこれに不満を唱える人は党内でも業界でも多いです。丁寧に長期間政策に取り組んできた人に対して、秩序を乱すとか、嫉妬とか、色々ありますから。そのため最終権限を持つ総裁はサプライズはありません。下野する可能性があっても、ポピュリズムに陥りません。自分の成果を高らかに宣伝する目立つ人はかえって嫌われます。基本的に自民党は日本社会を反映していて新卒採用・終身雇用・年功序列です。比例では定年制まで導入する始末です。生涯現役派の私は大反対です。マハティールみたいに90代でも優秀なら活躍してもらうべきです。世襲も多いです。信用第一です。優秀な人材を「登用」するためには、内輪の信用にとらわれているのは、どうかとは思いますが、、、。

 

なんでも米国が良いとは言いませんが、民主主義に関しては、前にも書いたことがありますが、連邦議員一期で大統領になった若い初のアフリカ系のオバマ氏、破産経験し借金を背負いつつセレブ実業家として有名になった上に初の公職が大統領というトランプ氏、その次は数十年間連邦議員をして8年間副大統領をやった「ワシントンの主(ぬし)」の80歳に近いバイデンが大統領になるという、、、こちらがダメならアチラでという民主主義のダイナミズムがあります。

さらに米国では政権が変われば上級官僚もガラッとかわると言われています。ただ日本では官僚を簡単にクビにはできません。争議権がないかわりに(実際には組合はあります。ただ火事になったときに消防士さんがストライキを起こされたら大変ですからこれは仕方ありません)不利益処分はしないという特権があります。日本の公務員は犯罪行為に近い不祥事でも起こさない限り業績が悪くてもクビはもちろん降格処分も原則的にされません。でもこれは単なる制度ではなく、私が批判している新卒採用・年功序列・終身雇用(+定年)という年齢輪切り型の社会を反映しているためです。

米国では政治家、役人、シンクタンク、企業幹部、大学教授など、「回転ドア」といって実力があればどんどん雇用が流動していけるので、それが可能なのです。そのかわりイスの数は限りがあるのですから当然実力がなければクビになります。ただし実力をつければまたイスにすわれます。日本ではいったん組織にはいればずっとそこにいられる。そのかわり外部からは簡単には入れないという文化があります。またレールからはずれると戻りにくいです。これは役所も民間も同じです。

私は、これは経済成長期に起こったことで、戦前ではそんなことはありませんでしたし、低成長時代の今、この仕組みは破綻しています。

これには、実力を、いつからでもつけられるという上下移動が簡単に出来るという、年齢差別、過去経験差別をなくす、もう一つの流動性がないとダメです。そして「これまで何をやってきたか」という実績ばかり見るより、これから「何をやるか」にポイントを置くことが、大切です。過去実績は組織の看板でやってきただけでその人の能力かどうかはわかりません。さらに過去にこだわると失敗を恐れて何もしない人が一番出世するというおかしなことが起こります。もちろん雇用側は見る目がないとだめですが、当たりくじを引ける可能性もあります。また本人の人生も豊かなものになります。

だから、いつでもチャレンジができ、失敗してもそこからまた学び、いつでもキャリアアップでき、いつでも休める、そして生涯現役というのが社会のダイナミズムとしても、個人の人生キャリアとしても夢がありベストだと思っています。

自民党の政治家も日本社会を反映して年功序列ですが、これは高度経済成長以降にできた仕組みです。

戦前は、藩閥、公家の後は、政党が一瞬力を持ったり、官僚や軍が力をもったりと、色々です。戦後も、はじめは、ほぼ官僚出身者が、総理になりました。これは戦前は、群雄割拠で、起業、買収合戦だった経済界が、高度成長期には生え抜き社員が出世して社長に収まるという感じと似ています。ところが安定してきたころから年功序列になり重要ポストは無難な「たすき掛け」の持ち回りになりました(しかも年功序列だとどうしても若くして議員に当選する必要があり世襲が有利なのでその時代が来ました)。しかも官僚は官僚で年功序列。政治家は政治家で年功序列と、本来社長と社員の関係であるべき両者が乖離しはじめました。でもこれは普遍的なものではないのです。
 

近現代の日本でも、例をあげると、戦後最大の総理の一人、吉田茂は、元々は一般には全く無名で60代後半で突如政界に入り、外相、そしてすぐ総理になりました(それまで外交官だったので必ずしも何の経験もない人というわけではありませんでしたが、政治家ではなく、退官してだいぶ時間がたっていましたし、さらに終戦工作をし投獄までされています。そんな人が終戦で占領され要人の公職追放があるという歴史の転換点で政界に入りました)。また彼が登用したのは国民大衆には無名でも政策通の優秀な人を選びました。これは吉田学校と言われます。一般に官僚出身者で構成されていると思われていますが必ずしもそうではありません。後の首相、石橋湛山蔵相は経済ジャーナリスト。商工・大蔵・運輸相を歴任した大屋晋三は帝人社長。厚生相は河合良成という官僚経験はあっても職を転々として小松の社長になった人です。緒方竹虎などの朝日新聞主筆だった人や、林譲二など親戚の党人も含め、本当に幅広く色々な人を登用されました。やはり後の首相、田中角栄も、正式な学制上は小学校卒で、働きながら専門学校などを転々として学び、建設会社社長から、政界入りした叩き上げですが、吉田門下の本流です。でも今こういう人事はありません。もちろん安定したという時代もありますが、これからの日本は決して安定してはいないと思っています。

 

自分が「世界連邦運動家」だから言うわけではないですが、あきらかに日本は世界の中で立って生きています。私自身も、いつも言ってますが、日本人だから愛国者ですが、同時に世界人です。愛国者なのは故郷を愛しているということであって、世界を分断しても良いということではありません。でも残念ながら、今は世界連邦はなく、国家しかありません(国連はあっても、これは国家の会議体です)。まずは国家が世界的視野を持って頑張っていただきたいです。そのためには、人事を中心に、内向きのやり方ではやはりだめで、グローバルスタンダードは避けては通れません。明治維新は「朝廷復古」でありながら「グローバル化」を避けて通れないということで両方同時に遂行したというのが成功理由です。アラブなどでイスラム原理主義と西洋式の近代化が「対立軸」になって(パーレビ国王などはホメイニ師に倒されました)、調和と進歩が難しいのです。もともと人類は移動の歴史で、大航海時代も経て、グローバル化は、今にはじまったことではありません。ただし今の世界が昔と違うのは、時代の流れも、物理的移動時間も、急速に進むことと、国家が介在(国際化)しなくても個人が交流したり情報を入手したりできる時代になりました。そのため大きく地球が狭くなっていますからもっと大胆にやらなければならないです。19世紀、20世紀前半までは、今と違って世界中で本当に凄い改革をやっています。が、技術、革新、革命、独立、建国などです。戦争や虐殺などもありましたが。21世紀は世界連邦建設で世界平和が達成するか?もちろん私は目指してはいますが、こればっかりは「時代の流れ」がないと実現できません。

今は、国内の政権一つで、一つの公企業を民営化するだけでも、大きな歴史的成果になっているくらいですから、固定しすぎです。だから他の国が成長しているなか日本はずっと動きません。

このことも、ふまえつつ、新総裁は、これから国会議員のみならず、官民上下のあらゆる人から猟官運動があると思いますが、本当に優秀な人を登用していただければと思います。

 

まぁ党の人事は(違ってたらごめんなさい、、、)、幹事長は支援していただいた志公会(麻生派)重鎮の甘利先生。金銭問題があったので重要閣僚よりこちらでしょう。志公会のボス麻生総理は無役でも影響力は保てると良いと思いますが、なまじ長く「副総理兼財務大臣」をされたので何もなしというのもどうかということで副総裁(政府の副総理ではなく党副総裁です)になられます。

私達関係者は、内閣総理大臣、衆参の国会議長、最高裁長官という三権の長を経験された方と、国家元首の代理である大使の経験者は、辞められた後でも、「元」とはいわず、総理、議長、大使などと呼び続けます。例えば安部先生なども「(安部)総理!総理!」と呼びます。例えば面白いのは、森先生、小泉先生、福田先生、安部先生など清和会の大物が何人かいらっしゃって、後ろから「総理!」とお声をかけると、全員振りかえられます。麻生先生にかぎっては「総理!」と呼ぶべきですが、実際現職の「副総理」なので「総理」と呼ぶと違和感があるので難しいです。。。

財務大臣は鈴木俊一先生が後任が有力です。性格的に財務大臣というのは固辞されるかもですが(どうしたら断れるかなということを言われているという噂も、、、)。この方は知らない方も多いかもしれませんが鈴木善幸総理のご子息で、麻生総理の義理の弟でもあり大物です。ということは皇室、大久保利通、吉田茂らと縁戚です(なら私も親戚ですかね?)。気さくな方で、会合で私がご一緒した時、先生から肩を組んでこられ、SPに引き離された経験があるくらいです。高市先生は政調会長再登板でしょう。このポストはご本人は向いていると思います。最後は岸田候補に協力され、要職ですが、ご本人はすでにされたこの役よりも国家のために働きたい方ですから重要閣僚として閣内に入るのが本意でしょう。あるいは幹事長になられても良いです。「政高党低」と呼ばれた時代よりは党の政策決定権は強くなっていて、結局国家の礎は与党が作るということですし、推した方も実際にはご満足いただけるのではないでしょうか。一応対立候補なので、仕方ないですね。防衛大臣などになられると色々法制の壁があり、歯がゆい思いをされると思います。また若手登用をうたってますから福田達夫先生を総務会長に据えられます(日本内閣制度唯一の親子総理を経験された家の孫・息子という超プリンスですがまだ三期目なので自民党の三役としては異例の出世でこれはサプライズです。安部総理も三期目で幹事長になったのと同様特別待遇です。たださすがにこれはまだ早いと重鎮の先生が反対していたのでないかなと思いましたが決まりそうということを聞いた時はびっくりでした)。党総務会長って一般の人には大臣ではなくなんともおもわれないかもしれませんが、党運営や国会重要事項を決定する要職です。手続きが煩雑にならないように形式上は総裁一任という形をとっても、自民党は総裁・幹事長独裁ではなく、一人一人地元や職域を背負って、皆一国一城の主なので、この政務調査会や総務会など党の役職は重要です。福田先生は総務会のお歴々を従えるために最重鎮の先生に相談もされており会長代行に大物を据えるそうなので皆さんで支えられると良いですね。メディアは、おもしろおかしく特定の人を「ドン」とかと書いたり、「清和会vs宏池会」などとかきますが、自民党に限って言えばそんな単純な政党ではないのですが、、、。とはいえバランスも必要で官房長官は清和会から出ます。萩生田大臣という報道もありますが松野博一先生と聞いています。萩生田先生は横滑りでどこかの大臣になられるでしょう。総理秘書官も大物になるでしょう。官邸官僚の重要度が高まり、議員秘書からも官邸入りされますが、官房副長官人事、財務から主計筆頭次長クラスのエースが来るので経産から事務次官経験者など大物を送り込まれます。

閣僚は来週確定するでしょうが、まずは選挙です。G20~COPがあるので選挙は遅くという報道もありますが逆です。国会召集即解散です。第100代は超短命内閣です。COPはリモートNGなので、その前の選挙なら本当に招集即解散しかないでしょう。報道は適当ですね。本当に優秀なジャーナリストの方は限られており、あとは上辺の取材しかされません。組閣も、選挙前で「そのまま」で、と言われていますが、これも逆です。選挙前なので、外相・防衛相のみ、外交の継続性を鑑みて、留任されるでしょうが、それ以外は初入閣もふくめて、ガラッと変わるでしょう。「大臣なら選挙に当選し易い」ですからね。G20はオンラインでも、せめてリモートNGのCOPには出て下さい。そういう声もあります。会議だけでなくスモールトークで信頼関係を作ることが、宮廷外交同様、首脳外交では重要です。

それと、やはり全面的に支えた宏池会から多く出す必要があると思います。宏池会は外交に強いイメージがありますが池田隼人総理=元大蔵事務次官が作った派閥で、池田総理が蔵相時代に秘書官の宮沢総理(岸田総理の親戚)、大平総理ら、大蔵官僚が多いイメージの派閥です。もちろん違う人も多くいますが財務省出身者も多いです。これは選挙後に補正予算を遅らせるには良いででしょう。

ただ岸田新総裁のことですから、選挙、予算、年功バランスを取った「That's Very LDP(自民党) 内閣」になるでしょう。これは間違いないです。派閥もありますが、それだけではなく、こういうことを配慮した内閣になるとは思います。 同時に秘書官などスタッフが決まると「総理指示」書表が出ます。組閣後すぐ会見がありので、総理になる人の公約はどうか、かつての政府方針とずれてないか、などを調べつつ、組閣人事と同時に官邸官僚は徹夜で作られます。これが各省庁が欲しがる注目書類です。

 

河野先生は残念ながら、外相・防衛相を務めた大物ですが、事実上降格になると思います。選挙なので、広報などのようです。ポスターを作ったりするもセンスが必要ですから。河野先生はこれは適任ですね。安部さんが「どアップ」で、少し上をむいて「日本を取り戻す」というコピーのついたポスターを作ったのが広報担当の高市さんだったんですよねー。河野先生の降格は、対立候補だっただけに、これは仕方ないうえ、この悔しさを謙虚さに振り替えていただければますます人気がでると思います。選挙に向け、発信力もおありになるし、党内の色々な先生と会うことが出来ます。またこのところ外相、防衛相、コロナ対策(ワクチン担当)という重要閣僚をずっとされてきたのですが、、一旦メインからはなれるのが、良いでしょう、岸田さんも前の総裁選後、安倍総理から禅譲されず、総裁選敗北後は、無役になりながらも、力を充電されて勝ちましたしね。父、祖父と違って首相になられるなら、一時的には悪くないポストだと思います。

 

歴史上、トップになるまでは無難でも、権力を握ったら一気に大活躍をしたという人も沢山います。逆もあって元々は凄い人だったのにトップに立った途端トーンダウンした人も沢山います。ほとんどのここ最近は、小泉総理、安部総理を除いて、多くの総理は一年で倒れてます。昔竹下総理は「歌手一年、総理二年の使い捨て」という言葉を残しましたが、今や総理は二年もちません。衆院選は大丈夫としても、次の参院選次第で、長期政権になるかどうかがきまるでしょう。

 

それよりも、エピソードとして、実は官僚の方々のことは、子供のころから良く知っております。父親は民間企業をしていましたが、本家筋や母方など、もともとの親戚は、伝統的な家と、役人、研究者が多い、堅い家です。その父の会社も元はといえば長州系+海軍工廠から始まっている技術系の会社です。叔父は日銀でしたし。実際母方の祖父は最後は学者でしたが元々は戦前に裁判官から最終的に学者になった人ですし。母には小さいころからおじいちゃんの顔を汚すなと教育されました。それなのに、どこでどうまちがえたか、私だけは、「学生でも連続企業家になる!」とか、「世界連邦を実現する!」とか、ぶっとんでますが。そのためだけではありませんが、官僚の方とのお付き合いは今でも多いです。「世界連邦運動」をしているので、外務省や国際連合の人と近いと思われており、当然たいへんお世話になっていますが、個人的にはむしろ違う省庁の人が近いです。だから岸田新総裁の身内には、財務官僚がいっぱいいるのをよく知っております。こういう財務官僚さんたちを、良い意味で、ぐいぐい引っ張って、頑張っていただきたいと思います。

 

私は仕事に関わる政策なことは詳しくは書けませんし、主張もメディアでもよく流れているので、ここでは細かく書きません。ただ目玉の「新しい資本主義」は、アメリカ人の偉い人から、「なんだそれは?」と直接聞かれもしましたが、まぁ私もよくわからないので、ある種の財政出動をして、資本主義を活性化するものの、それに加えてちょっと規制をして、統制経済を混ぜこむということですかね?と答えるしかありませんでした。財政出動については、財務省の皆様も増税だけではなく、出すほうで経済活性をして、結果的に増収を見込んでいただければと思います。加えて、資本主義が成熟して社会主義・共産主義(これは言い過ぎですが)に移行するといった、本来のマルクスの時代がようやく来たのでは?とも言ってます。ソ連がはじめた「古い共産主義」は、成熟していないうえに、資本家・労働者間の階級闘争の革命ではなく、単なる大規模農民一揆にその理論を乗せて利用した暴力による権力簒奪で、生産手段を奪い取って(名前を、同志だとか、人民の共和国だとか言いつつ)事実上「新王朝」を作っただけだったので、失敗したのだと思います。まだ成熟していないのですから、これでは食べていくことができず、早かったですね。「だから、資本主義が成熟していないならば、資本主義を潰すのは良くない」です。

もっとわかりやすく言うと、主(王様)も官民も、みんなが「金持ち」になるなのがベストです。公平公正に邁進するあまり「金持ち」を潰して、みんなが「貧乏」になったら元も子もありません。これはサッチャーが言ってた言葉ですが、誰でも少し考えればわかることです。かつての共産主義の失敗はここにあります。いまの中国は「みんなで富裕になる」といってますが、さて、できるのでしょうか?できれば大したものですね。

 

仮に「格差」があっても、それが「大金持ち」と「小金持ち」の「格差」ならば、そんなに悪いことではありません。「格差」や「富裕層の存在」自体が悪いのではなく「貧困」がいけないのです。日本にも今日の食事にもありつけない人たちは実際に存在しています。ただちょっと正確に言いたいのですが、実は海外に比べると国際指標のジニ係数などで見ると日本は格差は少ない国です。しかも小泉構造改革以降「格差が広がった」という書かれ方をしているのを何度もみましたが、「体感」としては、私が子供だった80年代、円高になり中小製造業が倒産し、労働者は一生かけても家は持てないと言われ、西成暴動(本当に街中で放火・略奪・暴行)が起こるほどだった反面、大企業・ヤクザ総会屋が一緒になって株・不動産で借金をし消費が活発だったバブルの時の方が、もっと格差感がありました。ジニ係数で見ると、実際バブル崩壊のあたりから90年代にかけてひどくなっています。小泉政権後にはじまったというのは新自由主義に反対する人のステレオタイプです。ブッシュ大統領との関係強化や郵政民営化で、そういうイメージがついたのと、郵政農業改革反対派の人たちの意見が、ネットでコピーを繰り返し、定着したのでしょう。小泉政権の閣僚だった竹中平蔵先生は、和歌山の普通の家のご出身で、学部卒の銀行員から、大蔵省の研究所に出向され、サントリー学芸賞を取り(母校の一橋ではなく)当時政府によくも呼ばれていた著名な阪大の先生の門下で論文博士をとり学者になられ、さらにいきなり大臣になられ、普通でない出世街道を歩まれ、本当に凄いなぁと憧れたものですが、案の定日本では学界からも政界からも嫉妬されまくり、小泉政権と格差社会の象徴にされています。これは以前書いた猪口邦子先生も同じです。親類に抵抗勢力がいたので私個人の意見ですが、小泉政権で特定郵便局長という国家公務員の世襲制など、ちょっとおかしな構造の規制改革をされました(西武グループの事実上の創業者、堤康次郎「大将」は、この制度を利用し、学生時代に株で儲けて権利を買い郵便局長になっています。私も子供の時に伝記本で読み、うんっ?郵便局長のポストって買えるの?と不思議に思いました)。ですが竹中先生は自由主義経済学の一丁目一番地の方で、特段に格差社会増大をさせるようなことはされてません。人材派遣会社であるパソナさんの会長に招かれたので、このイメージを追い打ちした原因ですね。明石康先生などがパソナさんの淡路島プロジェクトによばれられているので最近パソナさんのことが話題になるのですが、かつて私も人材の会社をやっており、雇用に関するの社会科学の論文を書いたこともあって、この問題は少し詳しいのですが、竹中先生は経済財政担当大臣や総務大臣をされましたが厚労系の非正規雇用政策に直接は触っておられません。パソナ会長といっても、一億円以上上場企業役員報酬者には出てきませんし、持ち株の時価も8千万円程です。数千万円といえば大金に思う人もいますが現金ではなく株です。よく資産ランキングで「ビリオネア」が話題になりますがこれも資産の時価です。創業者は持ち株比率が多く資産価格が多くなるのは当然ですが現金持ちではありません。換金したら株は暴落します。また別の味方をすれば4、5千万の自宅(資産)を持っている労働者の方も山ほどいるので竹中先生はベンチャー上場企業の会長にしては驚くほど少ないです。政権が変わってからは政界に残られず、(今だからいえますが)世銀のゼーリック総裁に気に入られ要職に政府も推す?という話も聞きましたが、これは実現せず普通に慶應に戻られました。国際社会へ出られなかったのは政府の意向なのかご本人の御意向なのかはわかりません。陰謀論の馬鹿話は事実ではありません。実は陰謀はもっと別にありますよ。

日本は格差がないから国際人の中には本当の途上国の様に即「死に直結する」ほどの飢餓状態、貧困ではないので「日本はまだマシ論」もあります。これも事実ですので、強い人は日本に生まれた幸福を享受し国際競争社会で勝ってほしいところです。

ただ日本だけで見ると、私はこれも少し違うと思っています。日本は成長していないので、「過去の栄光」と、「将来悲観」という、「内向きメンタル要素も加わった貧困」が凄いのです。ミクロでは「失敗を許さない文化」があり、マクロでも「昔の様な貧しくても明日は希望があり、頑張るゾ!」という感じがなく、暗いのです。世界一幸福な国でおなじみの某国は、実は貧困があるのですが、そう思わせてないのです。

 

日本が、一億総中流だったのは戦前戦後を通じてほんの一時期です。アメリカの子分のような顔をして、親分のアメリカを客にし車・家電・AV機器をうって金持ち国家になりました。そういう道筋を作ったのは吉田茂総理です。まぁアメリカの子分になったということで左派や陰謀論者を中心に嫌いな人もいるようですが私はやはり戦後最大の総理だと今でも思っています。そして、その流れをくんだ池田隼人総理もすごかったようですね。同期の山際さんや、優秀な民間人の慶應・三菱出身の宇佐美さんを、日銀総裁にして、政府と日銀の連携に成功。五高の後輩の森永さんが、日銀の法王と呼ばれ蔵相にもなった一万田さんをうちまかすのをバックアップして、森永さんが大蔵一家という退官後、東証理事長や日銀総裁に天下るポストを切り開ひらかせたり、完全に戦後の大蔵省を掌握して、日銀以下各銀行を率い、経済成長に貢献した総理でした。経産の今井(善衛)次官(経団連の今井敬会長の兄で、安部政権で有名になった今井秘書官/補佐官の叔父)とも強調して、積極財政を断行しました。決して通産の積極・緊縮の大蔵というわけではなかったのです。

そのなかで発展したのが、ソニー・パナソニックやトヨタ・ホンダなどのベンチャー企業です。また西武・東急なども再建し、国際興業などのような、旧財閥系ではない会社も発展させました。今はそのなごりでまだ日本には資産があります。これをきちんと分配してくれるとありがたいですが。

 

そんな日本ですが、島国で資源が乏しいと言われてきました。古来常に飢餓や貧困と隣り合わせの歴史を繰り返してきたのを忘れてはいけません。金持ちを潰しても貧乏がなくならないなら、何が大事かといえば、やはり「成長」です。少子高齢化で、経済の成長が難しいのはわかりますが、いつもいうように生涯現役と世界連邦主義で、海外ときちんと外交で連携し、テクノロジーで克服するなど、構造改革をすればできます。「硬直化」が一番よくないです。硬直化するから職業も固定化し、既得権益者も必死で改革を拒むのです。「流動化」が最も求められる政策です。

 

新政権も、「新しい資本主義」といわれるならば、そのあたりを十分に考えて「統制」をしていただければいいと思います。金融課税なども、ブレブレだと批判されても、経済に悪影響が出たら、柔軟にやめてください。もともと日本は資産課税が重いのですから。

私は、国際連帯税を推進しており、実態経済に悪影響を与える国際的な投機的高速為替取引に課税をし、国際機関で使うのを求めています。ただし国内の実態経済に影響をする株取引などに課税をするのには賛成しておりません。
もともとの資本主義は、株などを投資して生産資源を私有し配当を得るために労働者を雇用するという制度です。その私有財産の取り合いが、原則ですが、それだけだと当然運のいい人が一人勝ちして、しかも労働したものではなくて所有している者が儲かるという制度です。しかも大きな格差が生まれるので、優秀な労働者には、コントロールしながら、労働の競争や成長を促す程度の格差にしていき、さらには困窮している人にも助けを出すという政策だろう、と言いました。理想的ですがうまく行くといいですね。

いずれにせよ総理が変わるので、初の「所信表明演説」が楽しみです。ちなみに毎年の常会の「施政方針演説」は、財政・経済・外交の三演説とともに行うのもで、役所の「短冊」という「一行ずつ」要望を盛り込んだ原稿をふりつけたものを話されますが、所信表明演説は総理の想いを一番出せるものです。文化人に依頼し、名言やことわざを引用したりもします。政策への想いも語られます。例えば「デジタル・AIや、バイオ・環境投資で成長戦略をやる」とか、こういう「規制改革をやる」とか、、、です。これは役所や経済界にも影響を与えるので、注視しておきましょう。そして支援者の団体の保護だけではなく、個人の保護にしていただくのが良いです。政治家は国と国民を良くするための仕事です。だから特定の支持基盤のためにのみ働いておられるわけではありません。ここが商売人と政治家の違いです。商売人は、株主や取引先のために仕事をするのが仕事です。ただ政治家は契約書もないどころか、自分に歯向かってくる人も含めて保護しないといけないのです。だから天皇が首相を任命するのです。首相は、国会が指名して、天皇が任命する、というのは良くわかりません。ただ唯一解釈できるとすれば、国民統合の象徴である天皇が首相を任命した時点で、政府側も国民側も、敵・味方関係なしにしろ、ということでしょう。国の公務員は全て国民に奉仕せよ、国民はこの行政執行を認めなさい、という意味なのでしょう。

 

さてさて、ここまでは報道も自民党のなかでの政策論争に注目があたっておりましたが、野党内でも、ここまで政策論争を見せて欲しいです。世界連邦はそもそも「超党派」です(超党派、超宗派どころか、超国家ですしね)。

私は出身は関西人ですし、本家(本籍)は北海道です(父方の祖父が警察官僚として移住したためです)。そして住所は神奈川県民ですし、仕事では東京にいます。国籍は日本人ですから、それぞれが好きです。でも海外出張も多く旅暮らしなので、加えて、世界人でもありたいです。これは先述したとおりです。

そこで世界の中で立っている日本は孤立して生きていけません。だからガラパゴスでは生きていけません。その中で、自民党は、日本社会を反映している新卒採用・年功序列・終身雇用(その反動で定年があって生涯現役ではない)など「年次輪切り社会」の仕組みです。伝統文化保存は大切ですが、日本の文化には(もちろん日本発というのもありますがほとんど)世界の文化を取り入れて昇華していくのがうまい、というものです。そのため保守は大切ですが、家制度、国籍、年齢、性別などは自由なダイバーシティー社会に意欲的に取り組んでいただきたいですね。

そういう意味では自民党だけでなく野党の力も必要です。本来、小選挙区制にした目的は、(対国民には「中選挙区制は金がかかるから汚職が起こる」などと色々言ってますが)本来は野党がまとまり二大政党制にして、米国でいう大統領予備選みたいに、党内政策論争で勝ち上がってきた「有力野党代表」と、「与党自民党総裁」が、選挙でガチンコで、国民が首相を選ぶというのが目的です。

年功序列などに縛られるのではなく、優秀な人を彗星のごとく「バーン」と指導者に持ってこられるのも良いです。ワンナイトセンセーションは野党ならできます。今は不安定な世の中ですから尖っていても良いし、改革のための「しがらみ」もないです。

小沢一郎先生などが黒幕となり何度もそういう雰囲気を作ろうとされましたが成功できず、今はまた自民党しか注目を浴びておりません。今の野党は経済政策は自民党とさほど変わらず、安全保障や憲法問題で違いはあるものの、現実的に危なくないか?という考えです。「経験と準備不足」だから政権運営はなりたたないのでは?というイメージになっています。もちろん国会にいる者は、野党も色々努力されておられるのは知っていますが、国民には見えていないと思います。政党である以上、政権獲得を目指すのは当たり前ですが、実際は政権獲得はあきらめて野党としての批判的な部分に存在意義を見出されているようにしか見えません。

それは奇しくも野党のトップが言われていた「自民党は変わらない、変われない」との批判がありますが、日本人は変わるのを望まないのです。残念なことですが事実です。だからといって「ミニ自民党」では野党の意味がないです。自民党にも幅広い思想の方が、元々いらっしゃいます。あまりに離れた思想の方は別ですが、ミニ自民党では連立に入って支えた方がいいくらいです。中位投票者定理といって広く票をとるために左右上下に寄らず思想は真ん中にいきます。そこで自身の出世や政局のために自民党から抜けた、というだけでは意味がありません。そのため、こういう雰囲気のなかであっても、国民を啓発し、本当の革新を目指し、政策の差を見せつけていただきたい。別に革命を起こさなくても、世界では実績のある大企業を、一気に、あるいは、じわじわと、イノベーションベンチャー企業が凌駕していくことも多いです。ですので新たな人材や政策を持って、チャレンジしていただきたいです。でも今の野党は、まだ「化けるユニコーン企業」っぽさが見えてきていないのが、残念です。また党内で、個人の出世や野心は捨て、チーム作りで勝つ姿勢も、もっと見せて、闘っていただきたい。小選挙区制は、死に票が増えるし、有力党に議席が偏ります。ここは何とか民主主義の健全化のためにも、野党も頑張っていただきたいところです。

与党総裁は内閣総理大臣になります。岸田さんは安部菅さんとは違い公邸に⁻9年ぶりに住まれる意向です。夢が叶いました。あとは仕事で国会に貢献してください。

 

世界連邦             

 谷本真邦