このシリーズは喜怒哀楽について色々と。

今回は喜。

人間は、どうしても何らかの期待値を持っています。ただ、それは主観的なものです。

この期待値の実現度は、知識や経験が少ないほど振れ幅が大きく、知識や経験が豊富なほど振れ幅は小さくなります。

基本的に実現すればポジティブな感情が発生し、実現しないか逆に失敗したらマイナスの感情が発生します。

過度な期待は、マイナスな感情を多くしてしまう結果となりますので、気を付けなければなりません。
今回の記事は、wertectの経験から申し上げます。

僕は、一度本気で死のうとしたことがあります。

子どもの頃でした。僕は学校でひどい目に遭っていたのです。

ある日、学校で殴る、蹴るなどされて帰って来た日、自分の部屋に戻るや、僕は自分の手首にカッターを突き立てていました。

死んだら楽になるんじゃないかと。

そんなことを考えていたら、親にご飯だと言われました。

でも、空想癖のある僕は、死んだらどうなるかをどんどん考えました。色々な想定が頭のなかをよぎりました。

死んだら、おいしいものがずっと永遠に食べられない。食いしん坊の僕には痛い話でした。

死んだら、楽しいことがなくなる。新しい映画も観れないかも。好きな映画はスターウォーズでした。

死んだら、海外旅行もできない。当時お金持ちの同級生連中は夏休みにハワイやグアムに行っていました。

当時の僕は、とりあえず生きることに決めました。

自分の部屋に戻った僕は、カッターを腕に峰打ちし、そのときの気持ちを忘れないことにしました。

ひどい目に遭ってきた僕は「奴ら」よりも幸せに生きることで復讐することにしました。

長いもんで、小学校から高校までひどい状況でしたが、僕はそれだけ綿密に計画をたてる事ができました。

大学は、まあそこそこの大学に行けました。

大学ではまだ僕はトゲのある人間不信の人でしたが、まわりの友人は僕に優しくしてくれました。

それまで自分のために生きてきた僕は、はじめて大学で、「自分のためにも誰かのためにも生きる」ということを学びました。今でも感謝しています。

生きていても何も良いことはないと思えることもあるかもしれませんが、逆に、死んでも「良いこと」はありません。

生きることを決意するとき、「生きていれば、いつか良いことがあるかもしれない」と思いました。

そして今、実感しているのは、本当に死ななくてよかったなということです。

簡単に死んではいけません。もし死にたいという方、あなたが死んだら、あなたの「過ごしてきた時間」が一気に喪失し、あなたの周囲の人の時間もまた歪曲します。

自分が生きていて楽しくなるようにするために、何をするべきか。
自分がたくさんの人に感謝されながら最期を迎えるために何をするべきかを考え、逆算して今どう無理なく生きるか考えれば、自ずと答えが出てくると思います。答えがでないなら、信頼できる複数の誰かに相談してみましょう。

うまい方なら、あなたの言葉の中から答えを拾い出してくれると思います。

ぜひ、生きていただきたいと僕は強く思うところです。
このシリーズでは喜怒哀楽について色々と。

今回は哀。

世の中、普通に働いているだけでも、また、学校にいくだけでも、何かしらの集団にいてもいなくても、時に「死んだ方がまだましだ」と思えるほどの目に遭う事があると思います。

それは永遠に続くように思えることもあれば、一瞬だったりもしますが、悲哀とは中々に心に深く突き刺さるものですね。

実に悲しく、苦しく、喉奥に弱い毒が詰まって取れないかのようで、まるで水面の見えない深海にいるようだと感じるかもしれません。

ただ、それはあらゆる方法で乗り越えることができます。

・逃げる
本当に狂った状況にいるなら、逃げなければなりません。愛する人に継続的に理不尽な暴力を振るわれるとか、そういった状況にいるなら、信頼できる親類や友人のところに逃げてもいいのです。警察も最近は割と話を聞いてくれます。


・戦って勝つ
合法的な方法で勝つことが後々の事を考えてベストです。
学校や職場でイジメられている場合などは、証拠の保全がまずベストで、その上で、信頼できる冷静な人に相談すべきです。

関係者が問題から目を背けていることもあるため、まず全関係者が問題の根底を見つめることをしなければなりません。


・耐え抜く
これはオススメしません。人間の忍耐には限界があります。肉体か身体のどちらかが先に崩壊してしまいます。


【解決する】
人間関係は、ギアというより小さなトゲのついたゴムローラーの噛み合わせという感じです。
ガッチリ噛み合わないから別れるなんてそんなことやっていたら、誰とも付き合えないですし、丸くなりすぎたなら、突き刺されてばかり。
中々に難しいものです。

人間関係に問題のある空間では、たいてい言葉が少ないです。あまりにも言葉が少ないために思ってもいないような拡大解釈をお互いにしてしまうようになります。
そのうち、かつて友と思っていた者にも疑心暗鬼になり、新たにトゲを作り出して突き放してしまいます。

そこまでこじれる前に、リーダーはとにかくたくさんの言葉で誤解されないように話すことも大事です。また、他の人もきちんと雰囲気よく言葉を交わしましょう。これは一人ひとりの責任でもあります。

ただ、世の中にはトゲだらけの人はいます。これまで人生で恐ろしく深い闇にとらわれてしまった人ならば、トゲを持つことで人を遠ざけ、人を信じないことでしか自分を守れないという人もいるでしょう。

自分にとってどうしても合わない人はいますし、自分がどうしても好きになれない人はいると思います。それは気にしなくてもいいことです。

お互いに、削れる範囲でトゲを削り、トータルでまがりなりにそこそこ回れば、それでいいと思います。

一人ひとり多少なりとも少しずつ向き合えれば、カナシミが社会から少しずつ、少しずつ薄れていくのではないかと思うのです。
ここでは、僕の価値観いかんに関係なく、まわりの人から学んだことなどを中心に名前をふせ、僕なりの解釈で書いていきます。


さて今回は怒。

怒れることがあるとします。

真っ当なことでは怒っていないとき、冷静になると、自分の中にわずかばかり未熟な部分を見つけるきっかけだったりもします。

喧嘩の時は、まあたいていはお互い様。ただ、どちらかがクズというようなカテゴリーに入るような人の場合は、何かしらの対策が必要でしょうね。

いずれにせよ、まず究極的に冷静になることが必要。冷徹になるということではなく、冷静に。

優しさと厳しさを同時にもって向き合えば、たいていの人間とは付き合えます。

もちろん、自分にとって完全に相容れないというか、こっちに向き合う気がない人とは無理して付き合う必要はないです。

もちろん振り向かせて健全な付き合いをさせる道もあります。かなり強い人でないと耐えられないだけです。

wertectは強くないので、友達はそんなに多くありません(笑)。でも一人の人間が抱えきれる人間関係なんてそんなに多くないと思うし、深く狭くでいいと思うの。

私はね、タイトルの言葉、作ったわけです。こういうの、けっこうやります。

くっさいブログです。くせーなと思ったらそっと閉じてね。お目汚しごめんなさいね。

 

さて。タイトルの読みは「れいのうくしん」と読みます。辞典に載っていないと思う。

 

意味は二つ重ね合わせているわけですが、「励まし、悩み、苦しむことで親しみを深める」という意味です。そして、裏の意味としては、「違った人間どうしで、理解しあうために必要なこと」という意味も持ち合わせています。

 

人生を歩んでいると、必ず絶壁に何度もぶつかります。これは、乗り越えたならあとで酒の肴にでもなるのでしょうが、やはり近くに誰かがいないと乗り越えられないような壁もありますよね。

 

たとえば、親しく信頼関係のある人が壁にぶつかっているならば、自分がやれる程度で構いません、言い方は無責任かもしれませんが、あなたを含む周囲が少しずつ力や知恵を出せば解決できることも多いです。特に過去のとらえ方などは。

 

 私はね、こう思うの。その誰かにとって解決できないようなことでも、自分にできる程度で、まず励まし、共に悩み、共に苦しめば何かしらの答えが出ると。さすれば親しみは深まると。もちろん無理しない程度でね。こっちが無理しちゃうと苦しみのスパイラルに落ちて行っちゃうから。

 

 そのようにして親友と呼べる者が少しでもいる方がね、人生楽しいと思うの。

 そういう意味ではね、現実の人のつながりってとっても大切だと思う。

 

 それで、今回の四字熟語は人が立ち直るためのステップを表現しようとしているの。

 逆の立場から言っても同じかもしれない。

 「励まされ、悩み、苦しみ、親しみを深める。」

 もちろん、いろんな意見があると思う。でもね、苦しんでいる人を目の前にして何もできずに死なせてしまったとしたら、私は後悔する。だから、指をくわえて見ているだけなんてできないわけ。

 

 もちろん、自分の物差しだけで考えて悩んで苦しんでもいい答えは出ない。

 

 だから、あらゆる価値観を積極的に学ぼうとする謙虚さも大事かも。もしその人の特性をつかむこともできず、自分の物差しだけで考えてしまうのなら、それは独りよがりと言われてしまうかもしれないから。

 

私も気を付けなければならないです。

自戒も込めて。