私にはまだ完全に受け入れる事ができない考え方ですが、故・劉暁波氏がお持ちだった考え方のようです。

確かに敵だと認識していなければ、敵ではないため、敵はその人にとっていないという事になります。

時代を先取りした思想だと思いますし、正直頭が良くて人格もいい人なんだろうなとは思います。

ただ、全人類がついてこないとなかなかそうはいかないのでしょう。

ところで、ミサイル・ブラックフォーン氏とデズニー・カードゲーム氏はむしろ敵を作っていくスタイルみたいですね。

この世の中、どうすれば敵がいなくなるか、その方略を考えるべき時なのかもしれません。
誰かからうまい話があると言われたらどうしますか?

まあ、まずうまい話はありませんよね。友達から言われたら、その人を救うべき時でしょう。

友達でもない人から言われたなら、私はこつこつやるのが好きなのとやんわり断れば良いです。

結構マルチとかまだまだ残っていて、友達からすすめられたりするんで、ついズルズル繋がってしまう事があるようなんです。

また、賭け事やらFXにハマって損している人などは、よく「うまい話があるから金をかして」などと言いますね。一度金を渡したら、手切れ金のつもりでもまた来ると思ってください。
渡さないのがベストです。

うまい話では、お金が増える事はまずありません。

うまい話がなぜ存在するのか、誰にとってうまい話なのか、色々疑問に思って考え尽くしてください。

誰がやっているのか?
自分にとってうまい話なら、なぜその人にとってもうまい話たりうるのか?
運営費は?
広告宣伝費も出してなおかつたくさんの出資者に配当を回すだけの運営費も出して、高配当が出せるか?

新聞の広告のチラシが詐欺案件だったなんてことは結構前からあったことですし、うまい話など、どこにもありません。

もし友達がそんなくだらないことのために、金銭感覚や倫理観を崩壊させようとしているとして、その後どう接するかは人の価値観によると思います。

ただ、既に崩壊しかけた倫理観に対して、人間として涙を流して喧嘩する覚悟がないなら、縁を切った方がお互いのためということもあるでしょう。

僕は喧嘩してでもしつこく止めに入りますけどね。

しっかし、今の時代、本当にお金の使われ方や動き方がむなしいなと感じることが時々あります。

賭け事やFX、これは負けている人がいるから成り立つし、なおかつ手数料があるからビジネスでもあるわけで、運営する側は何の損も無いわけですよね。

せこいと思います。

大多数の人に時間的な利潤を産み出すのでもなく、大多数の人に好意的感情を与えるのでもなく、ただ大多数の人間が長い時間拘束されてトータルで何も残らないどころか、時間的にも金銭的にも損をする。
最早うまい話どころではないですよね。

なのに一応刺激的なCMをたくさん打って、楽しそうで儲けそうな雰囲気を演出してきます。
じゃあこれを「うまそうな話」とでもしましょうか。

でも、結局はうまそうな話もうまい話にはなりません。
会場を運営する費用と株主利益と経営陣の金を捻出するんですから、トータルで誰かを勝たすことなんてできるわけありません。当たり前です。

賭け事をする会場までの交通費、その間できない諸々の家事、賭け事をしているトータルの時間では映画館にもいけないし、買い物にも行けません。世の中の店が開いているコアな時間を拘束させるので、あらゆる事ができません。

とてもじゃないが、僕にはやる気が起きません。
なかなかの額が飛んでしまうのに何も残らないなんて悲しすぎます。しかも交通費もかかるなんて。

うまそうな話をうまい話にするなんて無理です。
所詮は何も残らないビジネス、虚無のビジネスなんですから。

じゃあ本当にうまい話って何か?

例えば食事処。そこまで長くない時間で腹が満たされます。
例えばコインランドリー。汚い服がきれいになりますし、家庭ではできない洗濯ができます。

うまい話じゃないですか。千円かそこらで、価値ある仕事をしてもらえます。
気に入らなければ自分でだってできる。それならばその道具を買ってきても良いですよね。
いずれにせよ残るものがあります。

虚無のビジネスよりも、現実のビジネスに僕はお金を払いたいと思います。
世の中、まだまだブラック企業はあります。

さて、どうやって辞めましょうか。

いきなりバックレる、というのを推奨する書き込みもネットの中にはありますが、裁判になることもありますし不利なのでやめておいた方がいいです。

それから、過剰な残業やパワハラセクハラなどの違法行為など、余程の事がなければ、辞めないことをオススメします。

また、辞める決断をしたなら、ある程度不可逆的な地点まで進んだなら、完遂しなければなりません。色々な人が動かなければならなくなるので、飲み屋のキャンセルとはワケが違います。

また、当ブログでは責任はとれませんので悪しからずご了承ください。

で、辞めたい場合ですが、まず、職場にて定義されている、辞めるときのルールを確認します。
もしないなら、法的に問題ない範囲で退職届を書き、最終勤務日の1か月前までに出しましょう。

有給休暇があるなら、それを消化するのも考えて、勤務の残日数を1か月は確保してあげるのがベターです。
人事部が新たに誰か入れなければならなくなるわけですし。

そして、上司に計画を通告し、この日に最終勤務となる。と告げましょう。人事部にも必ず計画を伝えた方が良いです。

これは、受け入れないと言われても受け入れてもらうしかないので、受け入れないと言われたら、適当に「実は辞めるに当たって知り合いの弁護士と相談している」とか言っておけば大抵の上司は「ヤベッ」となって黙るでしょう。

ベストなのが、次の仕事(限りなくホワイトな企業)を決めておくこと。もし無理なら、一旦実家に帰ってゆっくり地元の仕事を決めても良いでしょうね。
田舎は求人多数ですし、都会ほどギスギスしていません。職場のおばちゃんたちも優しい人が多いです(地域にもよるでしょうけど)。

円満退社すれば、退職金が出る会社なら、条件を満たしていれば退職金が入る場合もあるし、雇用保険も使えるでしょう。何も焦る必要はありません。ブラック企業で死ぬよりかは、田舎でゆっくり気楽に働いた方がまだましです。

また、円満退社すれば、かつての人脈を使える場合があります。とんでもない辞め方をしたら、かつての人脈から噂が広がり、再就職しても仕事がとれなくなる場合もありえます。

僕も取引先さんと話していると、前職場の名前が出てきて、改めて円満退社で良かったと思いました。

辞める時は多少波風が立つものですし、いちいち気にしないことです。ただ、相手方が明らかに非人道的で違法な事をして来たら、我慢できなくなった時点で然るべき所に相談すれば良いでしょう。

もちろん、絶対にこっちは法にふれてはいけません。辞めるとなったなら、頑張ってすべての手続きを自分で調べて完遂しましょう。辞めるんですから多少の覚悟は必要です。

もちろん、多少のすれ違いや多少の仲違いで辞めるのはもったいないです。ただ、理不尽な目に遭い、死にたいとか思ってしまっているなら辞めた方が良いです。
ブラックレベルの低いところで僕は以前働いていましたが、やはり80時間の残業が続いたりするとなかなか疲れたものでした。

よく知った人から聞くひどい会社では、最早社員は奴隷扱いです。今回はそこの話をします。

最低賃金すら守られず、わけあって残業代は固定。粉塵が舞い、分煙なし、休憩時間は30分以下。

労働開始が9時で、終了が25時~30時というものです。

続くわけもないのですが、辞めても他ではなかなか雇われない男性を中心に意図的に集めているようで、辞める人はいるものの、多くはないそうです。

しかも、社長はかなりの悪徳で、社長だけ給料をガッポリとっているのだそうです。もちろん、車も住まいも贅沢にやっているようです。

さらに、労基署の仕組みを悪用し、「あえて固定の残業代を支払っている」のだそうです。

どういうことかというと、基本的に労基署では、社員本人が駆け込まないとなかなか捜査できず、しかも給与所得の内訳がわかる証拠を持っていかないと、「最低賃金法違反か残業代の不払いかがわからず、対処しかねる」のだそうです。つまり、労基署に対処を依頼しなければならないのに、状況的に難しいわけです。

奴隷労働を強いることで、その時間分寝た方がましとすらも思わせているわけです。


ここまで理解した上で、気力も時間も奪い、奴隷労働させ、贅沢三昧している人間が、世の中にはいるのです。これが社会的に許されることでしょうか?

僕はそうは思いません。

そんな企業が、北海道に存在することを、とても恥ずかしく思います。
このブログは、至極適当な書き物として、コミュ主が生放送できない間埋めるためのものです。

独り言を呟く程度のものです。

また、ライターがコミュニティ内の誰かは明かしません。こういう画像を持った人が色々いるんだととらえてください。
賭け事やっている人がよく口にする言葉です。

ここから先は賭け事をやめさせたい人が身近にいる方向けの記事です。

彼らは、ハッキリ言ってトータルで負けていることが多いのですが、彼らの感覚では勝っているわけで、それは事実としてまず認めてあげなければなりません。

では、彼らはどういう認識なのでしょうか。

詰まるところ、彼らは賭け事の尺度のみで考えています。感覚的なもので、確かにトータルで勝っている人もいるでしょう。しかし、その「勝ち」は、トータルでかけた時間からみると、とてつもなく僅かなものです。

では、なぜ勝ちなのでしょうか。
それは、尺度を「賭け事のみ」で考えているからです。

普通、まともな生活をしようとしたなら、家事をキッチリやって、食事も自分で作り、必要な道具類も自分で購入・維持・メンテナンスします。

ところが、賭け事にのめり込んでいる人はそれをしません。

ご飯も買って済ませてしまう事が多く、仕事だけでなく広く知識を身に付ける時間は少なく、ほかの人よりも能力のバリエーションが少なくなってしまっています。

つまり、賭け事がトータルで勝っていたとしても、人生のトータルでは負けなんです。

そこが賭け事にのめり込んでいる人と、そうでない人との感覚的な違いです。

そこに気付けなければ、賭け事をやめることはできないのだろうと思います。

もしそこを諦めているのであれば、せめて遊びの範囲として割りきって定額で遊んでもらうしか無いでしょう。

それすらできないとなると、精神科等の専門家への相談も視野に入ってくると思います。

ただ、大抵は貯金額が他の同期よりも圧倒的に少ないなどの具体的数値で明示されると、ハッとなると思います。
今、日本は不寛容な社会だと言われていますが、果たしてそうでしょうか。

僕は、確かに不寛容さはあると思います。ですが、今に始まったことではないと思います。

元々不寛容さはあって、たまたまSNSなどのツールで表面化しているだけだと思います。

元々パブリックな場にアクセスできる人がマスコミ関係者などに限られていた時代から、誰もが自由にSNSなどでアクセスできる時代になっただけでしょう。

もちろん、今の社会全体のモラルも良いとは言い切れないと思う部分もあります。そこまで寛容にならなくてもいいと思います。

巷でやっている不倫を煽るだけのドラマ、はっきり言ってモラルを感じません。

悪いことを美しいことであるかのように描くのは、本当にやめた方がいいと思います。

「ちょっと合わないから不倫するけどやっぱ旦那がいい!」という感じのストーリー、それは僕の価値観ではハッピーエンドじゃないです。

不倫というのはいわば(やった回数分)×(-1)×(夫婦の過ごしてきた時間)という裏切りです。

あと、たいていは職場などどこかでバレています。やめた方が良いです。

不倫は文化という言葉はなかなか僕には馴染みません。むしろ動物的本能を制御できていないわけですから、不倫は人類にとって退化です。

まあ、詰まるところ、メディアがインモラルを振り撒き、インモラルな人が少し目立っているというところではないか?

声をあげやすくなっただけではないか?と思うところです。

不寛容と良く言われますが、観点が違うような気がしています。
このシリーズは喜怒哀楽について色々と。

今回は楽。

楽しさというのは中々に難しいです。

いわば、受けとる側の期待値をポジティブに裏切らなければならない。

もちろん、世の中とは様々な生い立ちの様々な価値観の人が集まっているものです。
よって、複数名を笑わそうとすると、どうしても誰かマイナスな感情を持つ人が出る可能性は捨てきれません。

そこをどうするかは非常に難しいところです。

ただ、基本的に期待値を裏切らなければ、怒られないでしょう。

期待値を裏切らない程度のそこそこ楽しい話にとどめておくのが、仕事の飲み会などの席では無難かもしれません。
このシリーズは喜怒哀楽について色々と。

今回は喜。

人間は、どうしても何らかの期待値を持っています。ただ、それは主観的なものです。

この期待値の実現度は、知識や経験が少ないほど振れ幅が大きく、知識や経験が豊富なほど振れ幅は小さくなります。

基本的に実現すればポジティブな感情が発生し、実現しないか逆に失敗したらマイナスの感情が発生します。

過度な期待は、マイナスな感情を多くしてしまう結果となりますので、気を付けなければなりません。
今回の記事は、wertectの経験から申し上げます。

僕は、一度本気で死のうとしたことがあります。

子どもの頃でした。僕は学校でひどい目に遭っていたのです。

ある日、学校で殴る、蹴るなどされて帰って来た日、自分の部屋に戻るや、僕は自分の手首にカッターを突き立てていました。

死んだら楽になるんじゃないかと。

そんなことを考えていたら、親にご飯だと言われました。

でも、空想癖のある僕は、死んだらどうなるかをどんどん考えました。色々な想定が頭のなかをよぎりました。

死んだら、おいしいものがずっと永遠に食べられない。食いしん坊の僕には痛い話でした。

死んだら、楽しいことがなくなる。新しい映画も観れないかも。好きな映画はスターウォーズでした。

死んだら、海外旅行もできない。当時お金持ちの同級生連中は夏休みにハワイやグアムに行っていました。

当時の僕は、とりあえず生きることに決めました。

自分の部屋に戻った僕は、カッターを腕に峰打ちし、そのときの気持ちを忘れないことにしました。

ひどい目に遭ってきた僕は「奴ら」よりも幸せに生きることで復讐することにしました。

長いもんで、小学校から高校までひどい状況でしたが、僕はそれだけ綿密に計画をたてる事ができました。

大学は、まあそこそこの大学に行けました。

大学ではまだ僕はトゲのある人間不信の人でしたが、まわりの友人は僕に優しくしてくれました。

それまで自分のために生きてきた僕は、はじめて大学で、「自分のためにも誰かのためにも生きる」ということを学びました。今でも感謝しています。

生きていても何も良いことはないと思えることもあるかもしれませんが、逆に、死んでも「良いこと」はありません。

生きることを決意するとき、「生きていれば、いつか良いことがあるかもしれない」と思いました。

そして今、実感しているのは、本当に死ななくてよかったなということです。

簡単に死んではいけません。もし死にたいという方、あなたが死んだら、あなたの「過ごしてきた時間」が一気に喪失し、あなたの周囲の人の時間もまた歪曲します。

自分が生きていて楽しくなるようにするために、何をするべきか。
自分がたくさんの人に感謝されながら最期を迎えるために何をするべきかを考え、逆算して今どう無理なく生きるか考えれば、自ずと答えが出てくると思います。答えがでないなら、信頼できる複数の誰かに相談してみましょう。

うまい方なら、あなたの言葉の中から答えを拾い出してくれると思います。

ぜひ、生きていただきたいと僕は強く思うところです。