世の中、まだまだブラック企業はあります。

さて、どうやって辞めましょうか。

いきなりバックレる、というのを推奨する書き込みもネットの中にはありますが、裁判になることもありますし不利なのでやめておいた方がいいです。

それから、過剰な残業やパワハラセクハラなどの違法行為など、余程の事がなければ、辞めないことをオススメします。

また、辞める決断をしたなら、ある程度不可逆的な地点まで進んだなら、完遂しなければなりません。色々な人が動かなければならなくなるので、飲み屋のキャンセルとはワケが違います。

また、当ブログでは責任はとれませんので悪しからずご了承ください。

で、辞めたい場合ですが、まず、職場にて定義されている、辞めるときのルールを確認します。
もしないなら、法的に問題ない範囲で退職届を書き、最終勤務日の1か月前までに出しましょう。

有給休暇があるなら、それを消化するのも考えて、勤務の残日数を1か月は確保してあげるのがベターです。
人事部が新たに誰か入れなければならなくなるわけですし。

そして、上司に計画を通告し、この日に最終勤務となる。と告げましょう。人事部にも必ず計画を伝えた方が良いです。

これは、受け入れないと言われても受け入れてもらうしかないので、受け入れないと言われたら、適当に「実は辞めるに当たって知り合いの弁護士と相談している」とか言っておけば大抵の上司は「ヤベッ」となって黙るでしょう。

ベストなのが、次の仕事(限りなくホワイトな企業)を決めておくこと。もし無理なら、一旦実家に帰ってゆっくり地元の仕事を決めても良いでしょうね。
田舎は求人多数ですし、都会ほどギスギスしていません。職場のおばちゃんたちも優しい人が多いです(地域にもよるでしょうけど)。

円満退社すれば、退職金が出る会社なら、条件を満たしていれば退職金が入る場合もあるし、雇用保険も使えるでしょう。何も焦る必要はありません。ブラック企業で死ぬよりかは、田舎でゆっくり気楽に働いた方がまだましです。

また、円満退社すれば、かつての人脈を使える場合があります。とんでもない辞め方をしたら、かつての人脈から噂が広がり、再就職しても仕事がとれなくなる場合もありえます。

僕も取引先さんと話していると、前職場の名前が出てきて、改めて円満退社で良かったと思いました。

辞める時は多少波風が立つものですし、いちいち気にしないことです。ただ、相手方が明らかに非人道的で違法な事をして来たら、我慢できなくなった時点で然るべき所に相談すれば良いでしょう。

もちろん、絶対にこっちは法にふれてはいけません。辞めるとなったなら、頑張ってすべての手続きを自分で調べて完遂しましょう。辞めるんですから多少の覚悟は必要です。

もちろん、多少のすれ違いや多少の仲違いで辞めるのはもったいないです。ただ、理不尽な目に遭い、死にたいとか思ってしまっているなら辞めた方が良いです。
ブラックレベルの低いところで僕は以前働いていましたが、やはり80時間の残業が続いたりするとなかなか疲れたものでした。

よく知った人から聞くひどい会社では、最早社員は奴隷扱いです。今回はそこの話をします。

最低賃金すら守られず、わけあって残業代は固定。粉塵が舞い、分煙なし、休憩時間は30分以下。

労働開始が9時で、終了が25時~30時というものです。

続くわけもないのですが、辞めても他ではなかなか雇われない男性を中心に意図的に集めているようで、辞める人はいるものの、多くはないそうです。

しかも、社長はかなりの悪徳で、社長だけ給料をガッポリとっているのだそうです。もちろん、車も住まいも贅沢にやっているようです。

さらに、労基署の仕組みを悪用し、「あえて固定の残業代を支払っている」のだそうです。

どういうことかというと、基本的に労基署では、社員本人が駆け込まないとなかなか捜査できず、しかも給与所得の内訳がわかる証拠を持っていかないと、「最低賃金法違反か残業代の不払いかがわからず、対処しかねる」のだそうです。つまり、労基署に対処を依頼しなければならないのに、状況的に難しいわけです。

奴隷労働を強いることで、その時間分寝た方がましとすらも思わせているわけです。


ここまで理解した上で、気力も時間も奪い、奴隷労働させ、贅沢三昧している人間が、世の中にはいるのです。これが社会的に許されることでしょうか?

僕はそうは思いません。

そんな企業が、北海道に存在することを、とても恥ずかしく思います。
このブログは、至極適当な書き物として、コミュ主が生放送できない間埋めるためのものです。

独り言を呟く程度のものです。

また、ライターがコミュニティ内の誰かは明かしません。こういう画像を持った人が色々いるんだととらえてください。
賭け事やっている人がよく口にする言葉です。

ここから先は賭け事をやめさせたい人が身近にいる方向けの記事です。

彼らは、ハッキリ言ってトータルで負けていることが多いのですが、彼らの感覚では勝っているわけで、それは事実としてまず認めてあげなければなりません。

では、彼らはどういう認識なのでしょうか。

詰まるところ、彼らは賭け事の尺度のみで考えています。感覚的なもので、確かにトータルで勝っている人もいるでしょう。しかし、その「勝ち」は、トータルでかけた時間からみると、とてつもなく僅かなものです。

では、なぜ勝ちなのでしょうか。
それは、尺度を「賭け事のみ」で考えているからです。

普通、まともな生活をしようとしたなら、家事をキッチリやって、食事も自分で作り、必要な道具類も自分で購入・維持・メンテナンスします。

ところが、賭け事にのめり込んでいる人はそれをしません。

ご飯も買って済ませてしまう事が多く、仕事だけでなく広く知識を身に付ける時間は少なく、ほかの人よりも能力のバリエーションが少なくなってしまっています。

つまり、賭け事がトータルで勝っていたとしても、人生のトータルでは負けなんです。

そこが賭け事にのめり込んでいる人と、そうでない人との感覚的な違いです。

そこに気付けなければ、賭け事をやめることはできないのだろうと思います。

もしそこを諦めているのであれば、せめて遊びの範囲として割りきって定額で遊んでもらうしか無いでしょう。

それすらできないとなると、精神科等の専門家への相談も視野に入ってくると思います。

ただ、大抵は貯金額が他の同期よりも圧倒的に少ないなどの具体的数値で明示されると、ハッとなると思います。
今、日本は不寛容な社会だと言われていますが、果たしてそうでしょうか。

僕は、確かに不寛容さはあると思います。ですが、今に始まったことではないと思います。

元々不寛容さはあって、たまたまSNSなどのツールで表面化しているだけだと思います。

元々パブリックな場にアクセスできる人がマスコミ関係者などに限られていた時代から、誰もが自由にSNSなどでアクセスできる時代になっただけでしょう。

もちろん、今の社会全体のモラルも良いとは言い切れないと思う部分もあります。そこまで寛容にならなくてもいいと思います。

巷でやっている不倫を煽るだけのドラマ、はっきり言ってモラルを感じません。

悪いことを美しいことであるかのように描くのは、本当にやめた方がいいと思います。

「ちょっと合わないから不倫するけどやっぱ旦那がいい!」という感じのストーリー、それは僕の価値観ではハッピーエンドじゃないです。

不倫というのはいわば(やった回数分)×(-1)×(夫婦の過ごしてきた時間)という裏切りです。

あと、たいていは職場などどこかでバレています。やめた方が良いです。

不倫は文化という言葉はなかなか僕には馴染みません。むしろ動物的本能を制御できていないわけですから、不倫は人類にとって退化です。

まあ、詰まるところ、メディアがインモラルを振り撒き、インモラルな人が少し目立っているというところではないか?

声をあげやすくなっただけではないか?と思うところです。

不寛容と良く言われますが、観点が違うような気がしています。
このシリーズは喜怒哀楽について色々と。

今回は楽。

楽しさというのは中々に難しいです。

いわば、受けとる側の期待値をポジティブに裏切らなければならない。

もちろん、世の中とは様々な生い立ちの様々な価値観の人が集まっているものです。
よって、複数名を笑わそうとすると、どうしても誰かマイナスな感情を持つ人が出る可能性は捨てきれません。

そこをどうするかは非常に難しいところです。

ただ、基本的に期待値を裏切らなければ、怒られないでしょう。

期待値を裏切らない程度のそこそこ楽しい話にとどめておくのが、仕事の飲み会などの席では無難かもしれません。
このシリーズは喜怒哀楽について色々と。

今回は喜。

人間は、どうしても何らかの期待値を持っています。ただ、それは主観的なものです。

この期待値の実現度は、知識や経験が少ないほど振れ幅が大きく、知識や経験が豊富なほど振れ幅は小さくなります。

基本的に実現すればポジティブな感情が発生し、実現しないか逆に失敗したらマイナスの感情が発生します。

過度な期待は、マイナスな感情を多くしてしまう結果となりますので、気を付けなければなりません。
今回の記事は、wertectの経験から申し上げます。

僕は、一度本気で死のうとしたことがあります。

子どもの頃でした。僕は学校でひどい目に遭っていたのです。

ある日、学校で殴る、蹴るなどされて帰って来た日、自分の部屋に戻るや、僕は自分の手首にカッターを突き立てていました。

死んだら楽になるんじゃないかと。

そんなことを考えていたら、親にご飯だと言われました。

でも、空想癖のある僕は、死んだらどうなるかをどんどん考えました。色々な想定が頭のなかをよぎりました。

死んだら、おいしいものがずっと永遠に食べられない。食いしん坊の僕には痛い話でした。

死んだら、楽しいことがなくなる。新しい映画も観れないかも。好きな映画はスターウォーズでした。

死んだら、海外旅行もできない。当時お金持ちの同級生連中は夏休みにハワイやグアムに行っていました。

当時の僕は、とりあえず生きることに決めました。

自分の部屋に戻った僕は、カッターを腕に峰打ちし、そのときの気持ちを忘れないことにしました。

ひどい目に遭ってきた僕は「奴ら」よりも幸せに生きることで復讐することにしました。

長いもんで、小学校から高校までひどい状況でしたが、僕はそれだけ綿密に計画をたてる事ができました。

大学は、まあそこそこの大学に行けました。

大学ではまだ僕はトゲのある人間不信の人でしたが、まわりの友人は僕に優しくしてくれました。

それまで自分のために生きてきた僕は、はじめて大学で、「自分のためにも誰かのためにも生きる」ということを学びました。今でも感謝しています。

生きていても何も良いことはないと思えることもあるかもしれませんが、逆に、死んでも「良いこと」はありません。

生きることを決意するとき、「生きていれば、いつか良いことがあるかもしれない」と思いました。

そして今、実感しているのは、本当に死ななくてよかったなということです。

簡単に死んではいけません。もし死にたいという方、あなたが死んだら、あなたの「過ごしてきた時間」が一気に喪失し、あなたの周囲の人の時間もまた歪曲します。

自分が生きていて楽しくなるようにするために、何をするべきか。
自分がたくさんの人に感謝されながら最期を迎えるために何をするべきかを考え、逆算して今どう無理なく生きるか考えれば、自ずと答えが出てくると思います。答えがでないなら、信頼できる複数の誰かに相談してみましょう。

うまい方なら、あなたの言葉の中から答えを拾い出してくれると思います。

ぜひ、生きていただきたいと僕は強く思うところです。
このシリーズでは喜怒哀楽について色々と。

今回は哀。

世の中、普通に働いているだけでも、また、学校にいくだけでも、何かしらの集団にいてもいなくても、時に「死んだ方がまだましだ」と思えるほどの目に遭う事があると思います。

それは永遠に続くように思えることもあれば、一瞬だったりもしますが、悲哀とは中々に心に深く突き刺さるものですね。

実に悲しく、苦しく、喉奥に弱い毒が詰まって取れないかのようで、まるで水面の見えない深海にいるようだと感じるかもしれません。

ただ、それはあらゆる方法で乗り越えることができます。

・逃げる
本当に狂った状況にいるなら、逃げなければなりません。愛する人に継続的に理不尽な暴力を振るわれるとか、そういった状況にいるなら、信頼できる親類や友人のところに逃げてもいいのです。警察も最近は割と話を聞いてくれます。


・戦って勝つ
合法的な方法で勝つことが後々の事を考えてベストです。
学校や職場でイジメられている場合などは、証拠の保全がまずベストで、その上で、信頼できる冷静な人に相談すべきです。

関係者が問題から目を背けていることもあるため、まず全関係者が問題の根底を見つめることをしなければなりません。


・耐え抜く
これはオススメしません。人間の忍耐には限界があります。肉体か身体のどちらかが先に崩壊してしまいます。


【解決する】
人間関係は、ギアというより小さなトゲのついたゴムローラーの噛み合わせという感じです。
ガッチリ噛み合わないから別れるなんてそんなことやっていたら、誰とも付き合えないですし、丸くなりすぎたなら、突き刺されてばかり。
中々に難しいものです。

人間関係に問題のある空間では、たいてい言葉が少ないです。あまりにも言葉が少ないために思ってもいないような拡大解釈をお互いにしてしまうようになります。
そのうち、かつて友と思っていた者にも疑心暗鬼になり、新たにトゲを作り出して突き放してしまいます。

そこまでこじれる前に、リーダーはとにかくたくさんの言葉で誤解されないように話すことも大事です。また、他の人もきちんと雰囲気よく言葉を交わしましょう。これは一人ひとりの責任でもあります。

ただ、世の中にはトゲだらけの人はいます。これまで人生で恐ろしく深い闇にとらわれてしまった人ならば、トゲを持つことで人を遠ざけ、人を信じないことでしか自分を守れないという人もいるでしょう。

自分にとってどうしても合わない人はいますし、自分がどうしても好きになれない人はいると思います。それは気にしなくてもいいことです。

お互いに、削れる範囲でトゲを削り、トータルでまがりなりにそこそこ回れば、それでいいと思います。

一人ひとり多少なりとも少しずつ向き合えれば、カナシミが社会から少しずつ、少しずつ薄れていくのではないかと思うのです。
ここでは、僕の価値観いかんに関係なく、まわりの人から学んだことなどを中心に名前をふせ、僕なりの解釈で書いていきます。


さて今回は怒。

怒れることがあるとします。

真っ当なことでは怒っていないとき、冷静になると、自分の中にわずかばかり未熟な部分を見つけるきっかけだったりもします。

喧嘩の時は、まあたいていはお互い様。ただ、どちらかがクズというようなカテゴリーに入るような人の場合は、何かしらの対策が必要でしょうね。

いずれにせよ、まず究極的に冷静になることが必要。冷徹になるということではなく、冷静に。

優しさと厳しさを同時にもって向き合えば、たいていの人間とは付き合えます。

もちろん、自分にとって完全に相容れないというか、こっちに向き合う気がない人とは無理して付き合う必要はないです。

もちろん振り向かせて健全な付き合いをさせる道もあります。かなり強い人でないと耐えられないだけです。

wertectは強くないので、友達はそんなに多くありません(笑)。でも一人の人間が抱えきれる人間関係なんてそんなに多くないと思うし、深く狭くでいいと思うの。