WE NEED COMEDYのブログ -6ページ目

ガススタ狂騒曲

どうしても信じがたい略語がある。それが、タイトルにある ガススタ である。これは、先の KY よりも一般に使われている。事実、幾度も若者たち――とくに私の ヤンキー と呼ぶような――が口にするのを聞いている。

「前に ガススタ でバイトしてたときにー」 「こないだ行った ガススタ ですげームカつくことがあってさー」

いかにも標準的な言葉として認知されているような自然さがある。


もちろん、ガソリンスタンドのことである。


まあ、それはいいとして、先日車を走らせていると、奇妙な光景に出くわした。ある国道沿いのガススタあたりで車の流れが悪い。レコード店で買い物をして買える途中だった。夕方の帰宅に重なったのか、少しいらいらしながら乗っていると、その原因がガススタ自体だと知る。


安くもないセルフスタンドに 行列 ができているのだ。ガススタへ入ろうとする車が列をなし、車道に出ようとする車で小さな渋滞が発生している。安いガススタというのはある。何がそんなに違うのか、同じ通りでも2円、3円違う。安いガススタは確かにこんでいることがある。私は、大して車を運転しないこともあり、安さにこだわらず、空いているところへ入る。

その日に限って、どのガススタも車でごちゃごちゃになっていた。


ふーむ、なんだろう。

不審に思って、3つ目の小渋滞を抜けたときにふと、気づく。真相と己の間抜けさに。


10月31日である。11月1日から、原油価格の高騰の煽りで、ガソリンが脅威の150円台に突入するのはトピックスである。なるほど、皆さん、満タンにしているのだろう。


私は自分の呑気さに少し驚いた。世間離れしているのだろうか。危機感を感じない。

ガソリンに関しては、自分があまり使わないから、痛みが分からない。タバコも吸わないから、高くなっても構わないと思う。ビールが高くなるのは、少しいやだが、事情があってのことだろうから、まあ、いいや、我々庶民の考えよりも深遠な理由があろう、みんなでちょっとずつ我慢しよう。なんて、甘いことをいつも言って、へらへらしている。


脇を見ると、血眼になって増税を非難するおじさんがいる。政治家を目の敵にするおじいさんもいる。


気弱な私は思う。非難を受ける人たちも、きっといろいろ言われて腹立っているのだろう。そんなら、お前らがやってみろ、妙案があるのなら言ってみろ、という人がいないのが不思議である。逆ギレする要素は揃っているはずだのに。私は、彼らの忍耐強さに驚くばかりの、呑気な一市民である。生まれつき、支配される側の人間なんだろうと思う。私の祖先は、尼子氏の田畑を耕す農民だった、らしい。

日本トイレ探訪②

今回は、私のトイレ遍歴を振り返ってみたいと思う。


私は物心ついた頃から今に到るまで、和式トイレの家に住んだことがない。祖父母の家も洋式だった。特に私は裕福な家というわけではないが、首都圏を出たことがないのが理由だろう。きっと由緒のある日本家屋ならば、離れかなんかに落としどころがあるのだと思っている。


私の家はアパート、マンションと集合住宅をいくつか引っ越して、現在のマンションに腰を落ち着けている。初めのアパートも洋式だった。あとのマンションもいずれも洋式だった。祖父母の家は都内のぼろ屋だが、私の記憶の限りではすでに洋式だった。トイレはいつもきれいに掃除されていて、おきまりのキンモクセイの匂いがきついくらいに香っていた。


ふとこうして振り返ってみると、私の清潔なトイレへの嗜好は、いくつかのトイレにまつわる嫌な思い出がトラウマとしてあるからだろう。


私は実は、小学生に上がってから、記憶のあるくらいの2、3年生くらいまで和式のトイレで用を足した経験がなかった、と思う。ひとりで、と付け足したほうが良いかもしれないが。

ある日の授業中、どうしてもおなかが痛くなり、勇気を振り絞って、手を挙げた。そのくらいの世代では、学校で大をするだけでいじめれれることがあるので、かなりリスキーだったが、それに勝る切迫感があった。

私は、和式のトイレへ駆け込んだ。和式しかなかったのかどうかは、覚えていない。おそるおそるしゃがんだが、慣れない私はぺたんとふんぞり返らないように、水洗レバーのついている金属の支柱につかまってなんとか平衡を保った。

すかさずふんばった。

幼い私に、安堵(セーフ)と慄然(アウト)とが同時に襲ってきた。

ゆるい便はやや便器を逸れて、白いズックに飛沫が及んでいた。

私は泣きそうになりながら、洗面所でズックを洗ってハンカチで拭いた。その後の、匂いやしないか、濡れているズックを不審に思われないか、それ以前に大をしたことをからかわれたらどうしようか、小さい心はさらに縮み上がったのだった。


あと、強烈なのは ボットン便所 の思い出である。

小学生の上級生の時、友達と多摩川の河川敷に遊びに行った。自転車にのって、かごにボールとかラケットとかを乗せて出かけるのである。出先で、とくにアウトドアで便意を催すほどイベントを スリリング にするものはない。

異常なスリルのなかで、私は芝生の上に構えた簡易トイレへ駆け込む。

強烈な臭い。 ボットン は排泄物やらごみやらをそのまま溜めておくのだから、当然の結果である。

悪かったのは、興味本位で覗きこんだ ボットン の底である。

バナナの皮が黒くなって落ちていた。あまい腐敗臭が、まずいアクセントを加える。

吐いた。



私の清潔なトイレへの嗜好には、ボットン の寄与が大きいようである。思えば、バナナはあまり好きではない。


食前、食後に向かない話題で失礼しました。


仕事が暇だからって、焼酎を。

私はよっぽど暇なのでしょう。今日は特別だと信じてください。いちおう、汗をかいて自立した生活をしているのですよ。今日は少し書欲が亢進して、ちょっと書いています。仕事は季節ものに近いので、1試合3安打という猛打賞もあるのです。1ヶ月無安打もあり得るということです。ご了承ください。


恥ずかしい話をひとつ。ネット社会を鼻で笑っていた私が、ブログを書こうなんて思い立ったのは、ひとりの友達のせいである。そいつは、いかにもすかした奴で、学生時代よく飲んで悪態を付き合った仲だった。遅ればせながら知った、恙無いブログにちょっと取り残されたような寂しい気持ちがしたのである。


一言断っておきたいのは、ネットを軽蔑していたわけではないこと。友達の少なかった私は、現実社会とネット社会両方の、あらゆるストレートな謳歌を妬んでいたんだと思う。だからこそ、少し成長した私はようやく、ネット社会の門を叩くに到っている訳だ。まったく詰まらぬ話だ。聞きたくない人は×を押したらいい。なんと便利な社会だろう。人間にも右隅に×があるといい。


私はこの書き物を、読んでほしいという気持ちがない、わけではない。回りくどいが、 書く限り、誰かに読んでほしい とは思う。1週間経った。パソコンに疎いといって、パソコンをいじる奴があるが、私もその一員とは認める。しかし、アクセス解析とか、ランキングも見れない、興味がない、と言い切れるほど超人ではない。じっさい、押せるものは押す。猿でもできるのは嘘だが、私にはとりあえず押す知能はあった。


まあ、情けない順位である。20何万位というのは、およそ最下位であろう。しかし、私はその零細なランキングが楽しい。一日に数人しか見ていないという、確実なデータ。自分で押してしまっている分を抜くとほぼゼロである。


まったくの宣伝活動なしに、横目で興味を惹かれるものがあるのかどうか、実験だ。

単なる読まれる恐れのある日記として書いている。


誰も知らない。日記の一ページを、どこかの交差点に落としたような スリル である。匿名はきらいだが、ここで匿名性を利用するのは、私自身だったりする。私の右腕は嫌悪感でできている。