赤い人
今日、電車で赤い人を見た。
めがねをかけた青年。
度の強いめがねのせいか、
飲みすぎたせいか、
眼が歪んでいる。
息が荒い。
きょろきょろ落ち着かない。
痛いほど良く分かる。
大丈夫だよ、
電車、あってるよ、
そんなに変じゃないよ。
声をかけたくなる。
ふと 時計を見る
8時過ぎ。
彼をいとしく思った。
ラフ・アクチュアリー
笑うことで、がん が治るという。ほとんど迷信らしいが、どうやら、免疫がどうのというので、研究者たちはおおまじめである。
笑うことでがんは治るかどうか知らないが、笑いが世界を平和にするかどうかは分からないが、笑うと、少し生きやすくなる気がする。
これについては種類によらないのが笑いのすごいところだ。
苦笑い、愛想笑い、せせら笑いなど、一般に感じのよくない笑いも効果は十分である。
この間、この仮説を思ったのも、ある知人と話したためである。その人は仕事上の付き合いで、少しの時間、ふたりで話した。決して悪い人ではないし、寧ろ親切で、気が遣える人物である。
しかし、である。彼は私と話している間、一度も笑わなかった。相槌がへたくそなのか、それだけではない、笑わないのだ。別におかしい話をしなくても、自然と笑みはこぼれるものだと思う。無表情で、黙られると、話している甲斐がない。まったく。
反対に、へんにへらへらして、愛想が得意な奴もいる。彼の軽薄さをきらう人もあるかと思う。
しかし、想像してみると、やはり、私は圧倒的に へらへら派 である。地蔵に話しかけるのと、相槌ばっかり打っているクルクルパーと過ごすのならば、答えは明々白々なのである。
私は偏っているな、地蔵派のみなさん、ごめんなさい。
ギャング・オブ・アウトドア
秋晴れ、秋刀魚、バーベキュー、昼ビール。
私の賛成できるのは、3番目以外である。
私はどうも、バーベキュー、アウトドアが苦手である。休日に大人がみんなで遊ぶ、飲み食いするとなると、河原でバーベキュー、炭起こし、焼肉、昼ビール、秋なら秋刀魚、と相場が決まっている。
昼ビールと秋刀魚は大賛成なのだが、アウトドア、というのがいただけない。
何故か、惨めな気分になるのだ。というより、惨めな気分になりそうなのが怖くて いや というのが適当だろう。
炭がなかなか起こらない、もっとうちわで扇げ、ビールがまだ冷えていない、皿が足りない、買いに行かなきゃ、あ、私行きます、いや、僕も行くよ、いやいや、先輩は待っててください、炭もなくなりそうだ、じゃ、炭も、あ、あいつ遅れてきてタイミングいい、こっちの苦労も知らないで、あ、風が出てきた、シートが舞う、肉がじゃりつく、ビールやっぱ少しぬるいな、氷入れれば、ばか
とにかく落ち着かない。そして、いつもなにかがうまく行かない気がする。アウトドア好きの人種は、私には頑丈な意思の持ち主か、やせ我慢としか思えない。なんやかや、しているうちに雨が降ってきたりする。疲れている。
アウトドア派 と インドア派 がある。肉食動物と草食動物のような関係である。なんだか、肉食のほうが元気な感じだし、強い。ただ草を食べているだけで、肩身が狭いのは気のせいだろうか。だいたい、のんびり草を食んでいると、後ろから がぶり 食いつかれてしまうのが定番だ。いまいち、仲良くなれないのは、結局食われてしまうからなんだと思う。
そんなことを考えながら、落ち着いて、秋刀魚をひとり部屋で食う。静かなものだ。
インドア派もまた、やせ我慢しているのです。