WE NEED COMEDYのブログ -3ページ目

ファット・ボーイ・ネバー・ダイ

久しぶりに、いわゆる食べ放題の店へ行った。郊外にある、しゃぶしゃぶ食べ放題のチェーン店である。

私は初めてだったが、どうやら人気店らしい。8時をまわっているというのに、受付で名前を書いて、長いリストに加わらなければならなかった。


しゃぶしゃぶを食べ放題、すき焼きのコースもある。2500円くらいで、どちらかのコースが食べ放題である。肉、野菜、ごはん、さらにはサラダバーまでがおかわりし放題。すき焼きなら、なんと卵もおかわりし放題である。

なんと、お得な。腹いっぱいいただいたが、たいして食べれなかった。

繁盛するわけだ。


と、そうではない。この健康ブームのさなか、メタボリックシンドロームが叫ばれるさなか、である。


肉食べ放題、卵食べ放題、なんて、危険極まりない。みのもんたがだまっちゃいない。コレステロール、糖尿、高血圧、そして肥満。つまり、デブ。百貫デブ。


私の懸念どおり、デブが多い。肉だ、米だ、肉だ、おかわりしまくっている。合間にサラダバーでサラダにドレッシングをざぶりとかける。


不健康パラダイスである。


デブ家族。兄弟そっくりで、すごい勢いでむしゃむしゃやっている。

デブなガキ。ぱんぱんで肥っているばかりか、まったく可愛げがない。図々しくて、店員さんも困っている。将来が思いやられる。当然親もクルクルパーである。

喫煙席の面々はいつ心筋梗塞で倒れてもおかしくない。


あれはも少し問題になってもよさそうな習慣である。病院か製薬会社と結託しているとしか思えない、悪の巣窟である。訴える人はいないのじゃないかと勝手にひやひやした。


まあ、いいのですが、デブだとスマートには見えないから辞めておいたほうがいいと思いますよ、私は。デブに限って、やっぱり食べ方きたないし。気持ち悪くなります、意地汚い食べ方は。私も気をつけます。


ノー・モア・チャチャチャ

どうも、スポーツ放送はきらいである。特に、日本代表の放送である。テレビはエンターテイメントだから、視聴率至上主義だから仕方のないことかもしれないが、あんまり、である。


今日も予想にたがわず日本は惨敗している。そもそも日本が強いはずはないのに、テレビは、いろいろとあだ名をつけたり、秘密兵器だ何だと騒ぎ立てて、やっぱり負けている。選手たちがあまりに哀れでならない。彼ら自身も恥ずかしいんだろうと思う。

もっとそっとしておいてあげたら良いのに、と思う。あるいは、これくらい目立つんで満足しているひともいるのかもしれない。


まあ、私はスポーツは元からあんまり好きではないのでいいんですけど、なんか、一生懸命やっている人たちを、漫画みたいに扱うのは、応援しているようで、報いているようで、馬鹿にしているように思う。


これでは、亀田兄弟と大して変わらないではないか。亀田兄弟はどうやら強めだからまだましというものだ。さらに言うと、インチキっぷりは、かの超一流ショウ・ビジネス、プロレスリングと同じに見えてきてしまう。プリンセス・メグやら何やらのスパイクなどは、殆ど馬場のキックのようである。八百長が利かなければ、ただの老人の靴底であるのが悲しい。


まあ、悪態をついているようですが、もっと、スポーツは技とか力とかを競うもんで、そりゃあ、そいつが貧乏だとか、挫折したとか、母思いだとかのサブ情報があると応援し甲斐はあるけれど、スポーツ自体は、芸能界と違って、もっと地味なもんでもいいんじゃないのかな、とか思いました。

ザ・コメディ・ムービー④ ~ タワー・オブ・トウキョウ

つい先日、映画の趣味の変化を書いた。それでもやはり、どうもミーハーな映画、小説、ドラマの低俗さに吐き気は残っている。まあ、ただ、ひねくれているだけのことなので、あまり、気にしないでください。


食わず嫌い界では、私はなかなかのものだと思う。ああ、これは嫌いそうだな、となると、なかなか食べない、読まない、観ない。セカチュウ、冬ソナ、ボージョレ・ヌーボー、タイタニック、ナタデココ、ハリー・ポッター、くだらないに決まっている。と決め付けている。


というのは、いかん!とつねづね思っていて、ときどきは流行の、評判のものにも手を出してみるようにしている。

まあ、大体はがっかりしてしまうのだが。


「東京タワー」はその王者のようなところがある。リリー・フランキー氏の自伝的小説で、今世紀最大の感動作と評判の本である。何百万部売れている。誰もが感動するという。

ひねくれものの私がなかなか動かないのは当然である。リリー氏はサブカル界の最高峰に立つ超人だ。と私は思っている。その彼が書いた本ならつまらぬはずはないのだが、世間の喧騒に気圧されて敬遠していたのである。


ドラマ化、映画化、舞台化。まったく・・・と思うのもご理解いただきたい。


それが、昨日。日課のTSUTAYAパトロールをしていると、東京タワーのレンタルが始まっていた。暇だったし、ビールでも買って、気楽に観るか、ってなことで、新作レンタル515円。


早速プシュっと、再生。



結論から言うと、これが、いい。


簡単に言えば、僕とオカンの最期の日々を丁寧に描いた、傑作である。

第一はその丁寧さである。オダギリ・ジョー、樹木希林のすばらしいダンスである。

そしてその、地味さである。演出が、大ベストセラー、べたべたなストーリーの割りに抑えていてなかなか良かった。脚本が良かったのか、笑いもあり、静謐ともいえるクールなところもある。


キャストが豪華すぎるきらいはあって、こんな端役にこの人が、ってのが多かった。お約束の荒川良々もありました。反対に、松たか子が浮いていた。


すべてのマザコン、すなわち男の子に送る おとぎ話 だと思う。


誰もが、そういう風に思っている。母親、あるいは父親、との最期の対話はすべての人にドラマがある。そうに決まっている。ただ、リリー氏が、ひとより、少し波乱のある家庭環境で育ち、少し才能があって、少し表現が旨かっただけのことなのだ。


すべてのマザコンは自分と重ねて涙を流すのだ、女は母親の愛に共鳴するのだ。


ちょっと酔ったせいもあって、大絶賛となってしまいましたね。とはいえ、オダジョーがかっこよかったことに、この映画の成功はよっているのも事実かしら。


するってーと、速水もこみち君が、ただちょっと人気が出てしまったために、メディアにふりまわされた哀れなヴィクティムにしか見えないのです。ドラマはちらっと見た覚えがあるが、いま思えば、彼自身も辛かろうに、と同情してしまうわけですね。その他、調べると、大泉洋君、萩原聖人氏もその被害者の会なのだろうと思う。


光れば光るほど、その影は濃くなるのだなあ、なんてかっこつけてしまいますね。