日本トイレ探訪①
仕事か何かの関係で初対面の相手と話すのは気まずいものである。お互い友達でも親戚でもない上に、共通の話題は仕事のほかはないのだから、すぐに話が行き詰まって、バツの悪い沈黙が訪れる。天気の話などはほとんど役に立たない。というより、出た時点で会話は終わっているようなものだ。
こういうとき、話題を模索するのに、非常に無粋で乱暴な手段をとる人がいる。この手段は案外うまくいくことが多いようである。失敗した場合は、気まずさを増やすのだが。
「趣味とかあります?」 と率直に聞いてしまうのだ。
どうも私は聞かれると困ってしまう。映画、音楽鑑賞、読書くらいしか浮かばないからだ。あまりにもつまらない。もっと、サーフィンとか 釣りとか 天体観測とかちょっとアウトドアの方が良いように思える。しかし、筋金入りのインドア派の私は、いくら頭をひねっても、何も出てこない。悲しい人間なんです。つまらない人間なんです。
ところが、この間ついに 趣味 を思い出した。 趣味 とは言いがたい、むしろフェティシズム、嗜好というべきなのかもしれない。それが今日のタイトルである。
私は以前からきれいなトイレで用を足すのが好きだった。もちろん、海辺なんかの公衆トイレでも、我慢できるが、ホテルやデパートのきれいな所で用を足したときの満足感といったらない。
デパートに入ったら、たいてい一度はトイレへ行く。タイミングさえ合えば、なるべく 大 のほうが望ましい。ウォッシュレットは当然、便座の消毒剤がついている気遣いはなかなかうれしい。小さいタイルではなくて、大理石のようなつるつるした床が良い。匂いはないほうが良い。便座に座ると手の乾燥機はジェット級でないとだめだ。
いろいろと注文をあげればきりがない。大体新しい、きれいなところなら何でもよいのだが。
この間、銀座に新しくできたマルイに行ってきた。売り場はたいした物はなく、そんなに面白いとは思わなかった。安っぽかった。あまりにも込みすぎていたせいだろうか。
何はともあれ、トイレである。新築だから、標準的なできばえである。個室のつくりは案外ちゃちで、壁に何かをつけ間違えたのか、外したような跡があったりしたから、少し減点。結構込んでいて、いまいち落ち着けなかった。すいていて静かなことも重要だとわかった。
最近のお気に入りはTOHOシネマズなどのロビーにあるトイレである。黒を基調とした、おちついた色合いのタイルでよく掃除されている。かすかにポップコーンの匂いが漂ってくるのが、映画の雰囲気を盛り上げるのだ。
気づいたはいいが、初対面の人に 趣味はトイレです。 などと言えるはずもありません。沈黙が長引くだけです。仕事も確実に失敗します。
今日はこのあたりで。ときどき書いてみようと思います。がっかりしたトイレなんかの話も。
気まぐれ風
シェフの気まぐれ とはいい加減なことを言ってくれるものである。イタリアンやら安いフレンチ、洒落たい居酒屋なんかで目に付くフレーズである。そのたび、真面目にやれ、真面目に とか思ってしまう私は心の狭い人間です。
シェフの気まぐれは大概にしてもらえそうだが、大衆(むろん私もその一員)の気まぐれほど、どうにも直らない、悪質なものはない。ひとりひとりはそれなりのポリシーとか、良心にもとづいた倫理観 のようなものがあって、ある程度じぶんでコントロールできる。ところが、集団となるといとも簡単に、まったくの気まぐれでしか動かなくなるのである。ちょっとした そそのかし に ほいほい乗って、たやすく煽られてしまう。
マ・スメディアの気まぐれめ、と思う。まったく脱力してしまうほどの気分屋さんである。そいつと仲良くしているわれわれ大衆はなんと愚かな相槌上手なのだろう。なめられたものである。マ・スメディアの連中に、どれだけ 怒りっぽくて 忘れっぽくて 薄情で ドSで 無責任で 与しやすい馬鹿だと思われているのか想像するだけで腹が立ってくる。
ここ最近の格闘技関連の報道は、近年まれに見るハイ・スピード、天晴れ爽快感である。
亀田家のガラの悪い兄弟たちは、そう遠くない昔、テレビ界の寵児、ボクシング界の期待を背負っていた。大衆は彼らの漫画的な生い立ちと ルックス、赤面もののパフォーマンスと、低いIQとに熱狂したことを忘れている。
すでに内藤選手のいじめ体験のエピソードも忘れそうである。
朝青龍がモンゴルでサッカーをしていてもあまり話題にならなそうである。モンゴルのいかがわしい主治医の顔を思い出せない。
花田勝氏が離婚したとか騒いでいる。恵美子夫人の不倫相手とされるホスト顔の馬鹿の顔は覚えられない。
若貴がえらい訳の分からない喧嘩をしていたことを忘れている。
時津風親方のことももうすぐ忘れるだろう。
とにかく、忘れっぽいのだ。テレビや雑誌が悪いのだろうか?
一言に悪いとばかりもいえない。昔、小学校のとき、今思えば悪趣味な教師だったと思うが、怪談を得意とした人がいた。子供心に怖くて、怪談のあった日は決まって上級生たちもひとりで帰宅できなくなった。彼が決め台詞のように言っていたのが、「人間の脳は完全に使われてないんだ。だから忘れる。だけど、もし100%使えていたら、全部のことを覚えていて、怖いことも忘れないから生きていけないよ。」という感じの話だった。怖がらせておいてなんだ、と思うが、あんがい真理なのかもしれない。
昨日の友は今日の敵。昨日の敵は今日の友。地でそれがいけるのが大衆である。落とすことも多いが、きっかけによっては、その逆、挽回もありうるのである。
ほら、麻薬やってたのがばれた後でも、ほとぼりが冷めたら、しれっとカムバックしてる人おおいでしょ。ほんの少し、小さじ一杯分くらいの加減なのね。
だから、前向きにいきましょうよ。ね、亀田さんも時津風さんも。こうして私は気まぐれに流されていくのです。ワインの供にシェフの気まぐれピザを頬張ったりするのです。
ザ・コメディ・ムービー①
今日も仕事が早くあがれたので、焼きそばで焼酎を。
焼きそばは肉なしの貧乏フードであり旨いはずもないが、安い焼酎には良く似合う。
今日は映画のことを少し。
今日紹介するのは、『Xメン』シリーズとしたい。
これがコメディ?と思われる方も多いとは思うが、あれは近年まれに見る喜劇的大作である。きっと双璧をなすのは蜘蛛男であろう。1,2ともにテレビで見たが、なかなかの馬鹿っぷりである。
Xメンはなにが楽しいって、彼らの持つ能力の奇天烈さ加減である。ヒュージャックマンの傷の回復ぶり、ハル・ベリーの嵐、目からビームが出る奴もある。氷、炎あたりはちょっと夢があるし、青い女が色々に変化するのは純粋に面白いシーンである。車イスの爺さんが親玉でとんでもない超能力を持っているあたりは、漫画の王道であり、期待を裏切らない。なかにぞんざいな扱いを受けている、どうでもいい能力をもったミュータントもまた笑える。ハリセンボンみたいな悪端役、切れても切れても手が生えてくる雑魚、野獣みたいなのにいたっては意味が分からなかった。大群をなしたミュータントはいったいそれぞれが何の能力が有るのかわからないままに、やっつけられていた。
笑えるのは、イアン・マッケラン扮する悪の親玉マグニートーである。銀髪の彼は見事なダークサイドを演じていたが、映画が佳境に到ると あれ をかぶるのである。初めて見た時、あちゃー、というのが正直な反応だった。ご存知、へんてこ鉄兜である。プロフェッサーの念力への防御策はわかるが、あまりにカッコ悪い。それでいてむちゃくちゃ強いのだから手に負えない。
漫画ってのはなんでもありだ。それを商業的に映画化して、役者がふふんとせせら笑うことなく演じきり、公開すれば、大真面目になんちゃってヘビー&ダークな物語として議論を戦わせ、涙を流す連中がある。
こうした類の映画で面白いのは、大真面目な奇想天外が、たっぷりとかかった制作費によるゴージャスな映像、音に裏付けられて、へんに臨場感をもたらし、サーカスのような非日常感を味わわせてくれるためなのだろう。
馬鹿な映画は大好きである。ダイ・ハードやロッキー、007は私が語るにはおこがましい金字塔なのでいっさい触れないことにしている。
今日、ニュースで甚大な社会的制裁を食らった航空機パイロットは謹慎中見ておくべき作品たちだろう。搭乗前12時間というのは、海外滞在においてはあまりに酷な拘束である。果たして皆が遵守しているとは到底信じられない。心から同情する。露見した不運と、先天的な体質とに。