こんにちは、すだようこです。
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これらの記事の続き↓
最初の①の記事で、
「こんなのでお金をもらえて最高〜♡」
をイメージする。
良い現実を引き寄せるために。
↓
とはいえ、
こんな条件、あり得ないんじゃ・・・
あっても私にはムリそう・・・
と、妥協してあまり気が乗らない案件に応募する
↓
立て続けに落ちる。
↓
口では就職したいと言いながら、
自分の気持ちに引っかかりがあることを自覚して、
自分の本当の願いは??と見ていく。
↓
こんなんでお金もらえて最高〜♡
のイメージングを楽しむ。
「良い現実を引き寄せるために」
っていう意識がチラつかないほど、体感覚の良さにどっぷり♡
っていうことを書いたんだけど、
仕事に対する引っかかりを一つひとつ見て、
頭と心が真っ直ぐ繋がるようにしていった後に気がついたのは、
現実をなんとかしてやろうと
体感覚を“手段”として使っていたこと。
こんなのでお金もらえて最後〜〜♡
って思いつつ、
ちゃんと体感覚大事にしてますよ、神様!!
これが正解ですよね??
っていう思考が
チラつく ⇄ 打ち消す
を頭では繰り返していて、
最高〜♡
・・・チラッ
最高〜♡
・・・チラッ
頭に血が昇ってる感覚。
昨日行ったホームセンターは、グリーンがいっぱいあった♡
家の中をグリーンでいっぱいにしたい♡
意識を向ける先が自分の内側でなく外側に向いた時、
自分っていう存在が
軽んじられてる感じがするんだよね。
自分を、人生の隅においやる感覚。
現実をうまくいかせるために自分がいる、みたいな。
主従が逆転してる感じ。
頭では一生懸命ルートを考えて、
知りうる限りの方法で最善の結果にしようと頑張ってるんだけどさ、
「現実をうまくいかせるために」
「理想を叶えるために」
その意識にこだわってること自体が
身体にとって不快なんだ。
だから、
体感覚は理想を叶える指針の一つではなく、
私(体感覚)=主
であって、
その順序なくしては現実創造もない
と改めて感じさせられたのでした。
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