令和7年(2025年)3月6日㈭

当ブログ毎度おなじみ、公休日の㈭です。

桜木町始発の京浜東北・根岸線に乗車

桜木町910発 大宮行き

乗車にはsuicaを使用。

今年もキュン♡パスは発売、現在利用期間中。
この日3月6日にも利用を検討しましたが……


冬の東北は寒い、電車は混む、2月3月は西日本方面に行く

などの理由で今年は不参加。結果的によかったのかも。しかし再び新幹線分離事故が起こるとは

※1年前に利用したキュン♡パス

956着の東京で下車。

中央線に乗り換え
中央線は4分程遅れ

定時では乗れないであろう

東京958発 快速 武蔵小金井行き

に乗車

定時では1020着の阿佐ヶ谷で下車

前回、阿佐ヶ谷で下車したのはいつであったであろうか。





阿佐ヶ谷駅南口にはデザインマンホール

「阿佐ヶ谷七夕まつり」のデザインマンホール

阿佐ヶ谷駅南口から0.4km

杉並区立産業商工会館へ

杉並区立産業商工会館ではマンホールカードを配布

頂きました。先ほど阿佐ヶ谷駅前で見た「阿佐ヶ谷七夕まつり」のマンホールカード

配布時間 午前9時~午後9時 

第3日曜日、年末年始(12月28日~1月3日)は休館

次に向かうのは阿佐ヶ谷商工会館から1.6km先の荻外莊公園

その途上にある杉並区立角川庭園 



※杉並区立角川庭園 

東京都杉並区荻窪にある区立の都市公園である。日本文学研究者で角川書店の創立者である角川源義の自邸を整備し、2009年(平成21年)5月10日に開園した。 
敷地内には、近代数奇屋造の邸宅が残されており、幻戯山房~すぎなみ詩歌館~と名付けられて、展示室、詩歌室、茶室として利用されている。

開園時間:9:00 - 17:00 

休園日:毎週水曜日、年末年始(12月28日 - 1月4日) 

入園料:無料 

公園というより人様の家に入ったような雰囲気



幻戯山房~すぎなみ詩歌館

1955年(昭和30年)築、旧角川源義宅。旧書斎が展示室とされて、角川源義にゆかりのある品や俳句などが展示されているほか、詩歌室、茶室が設けられている。2009年(平成21年)11月に、国の登録有形文化財に登録されている。 


団体の見学者が多くいたので中には入らず



荻外莊公園に到着

奥に見えるのは旧近衛文麿邸である荻外莊

荻外荘公園(てきがいそうこうえん)

東京都杉並区荻窪に所在する区立公園。近衛文麿の邸宅であった荻外荘の敷地を公園として整備した施設である。

旧邸宅は1927年(昭和2年)に伊東忠太の設計により大正天皇の侍医頭入沢達吉の邸宅「楓荻凹處」(ふうてきおつしょ)として創建された。
1937年(昭和12年)、近衛が入沢から購入、 1938年(昭和13年)には邸宅の北側に蔵と別棟が増築され、書斎と寝室は同年から1944年(昭和19年)頃に改修を受けている。
1937年(昭和12年)6月の第一次近衛内閣発足後は重要な話し合いや会議が開かれ、有名になった。「東亜新秩序」の建設を確認した1940年(昭和15年)7月19日の荻窪会談や、対米戦争の是非とその対応についてを協議した1941年(昭和16年)10月15日の荻外荘会談など、時には定例会合の五相会議までをも荻外荘で開いており、日中戦争初期から第二次世界大戦前夜の重要な国策の多くがここで決定された。
めることができる。 
第二大戦終戦後、1945年(昭和20年)12月16日に近衛荻外荘の書斎にて近衛は自決。近衛の死後に、吉田茂が荻外莊を借りて私邸代わりに住んでいた時期があった。
 1960年(昭和35年)に荻窪会談が開かれた応接室を含む木造平屋建ての約半分202m2が、東京都豊島区巣鴨にある天理教東京教務支庁の敷地内へ移築された。
永らく荻外荘に居住していた所有者で近衛文麿の次男である近衛通隆氏が2012年(平成24年)に死去すると、2014年(平成26年)に杉並区に買い取りが行われ、敷地6071.69m2[19]と木造平屋の邸宅409m2を取得、2015年(平成27年)3月に敷地の一部が荻外荘公園として整備・公開された。 
豊島区に移築された玄関・応接間部分の解体工事は2018年(平成30年)秋に着手され、それから数年に渡って移築復元工事が行われた。杉並区による移築復元は2024年(令和6年)に完了し、同年12月9日より一般公開が開始された。


荻外荘公園前の歩道にはデザインマンホール



「荻外荘」のデザインマンホール


昨年12月より公開されている荻外荘へ

荻外荘公園

開園時間 9:00〜17:00(最終入園16:30) 

休園日 水曜日、年末年始(12/29-1/1)

観覧料 一般300円







こちらは正門のようです。







入口へ




荻外荘公園受付ではマンホールカードを配布、頂きました。先ほど見たデザインのマンホールカード


荻外荘に入りました。









玄関







書斎



近衛文麿が自決した書斎





食堂



客間






























荻外荘を出て

荻窪駅へ

荻窪から東京メトロ丸ノ内線に乗り新宿へ

新宿から小田急に乗り小田原へ





今週も所要で訪れた小田原

日が暮れると雨が



東海道本線に乗り帰路に













令和6年(2024年)11月20日㈬


「令和6年11月中旬の旅」1日目は佐賀県唐津市に来ました。

名護屋城跡、唐津城跡を訪れた後、再び唐津駅へ。時刻は17時過ぎ、日没後です。

※この記事の続きです。



乗車するのは上り唐津線

唐津線内では交通系ICカードは使用できません。

佐賀までの乗車券、1130円を購入

乗車するのは

5848D  唐津1744発 佐賀行き

5848Dは始発の西唐津1732発、唐津では1735着1744発と9分の停車。

車両は

佐賀← キハ47 8157+キハ125‐2 唐津→

の2両編成

画像は先頭車、ロマンシング佐賀のラッピン車両、キハ47 8157、「大川内山号」


※2022年8月よりJR唐津線・筑肥線の全16車両が、オリジナルのデザインラッピング、「ロマ佐賀列車」として運行。

2両目のキハ125 2は「唐津城号」

派手なラッピング、空いてる2両のキハ125‐2に乗車。

唐津から唐津線に乗るのは9年ぶり

※2015年11月、唐津線全線乗車
2020年2月・唐津線・久保田〜山本を往復乗車



EX高尾の「個人的な全国鉄道完乗ルール」、既乗、路線でも前回乗車から10年以上経過したなら「乗り直す」

そろそろ10.年以上「末乗」になりそうな唐津線に乗車。


日没後の車窓、帰宅時間帯なので車内・車窓は撮影せず。

久保田(1853発)からは長崎本線、終点の佐賀1903着。





佐賀で下車するのも4年ぶり



この日の宿泊は佐賀駅から徒歩数分

ビジネスホテルサンシティ1号館
じゃらんで予約しました。

            

ビジネスホテルサンシティ1号館
チェックイン日時:2024年11月20日(水)
宿泊日数:1泊
チェックアウト日時:2024年11月21日(木)
部屋タイプ:【禁煙限定】軽食付 シングルルーム18㎡(11畳)
部屋数:1室
 
プラン名:<禁煙限定> 広い18㎡のお部屋!ビジネス・観光に最適☆軽食モーニング無料

 
料金明細
 
(1泊目)
(1部屋目)
5,500円(大人1名)
小計:5,500円
 
合計:5,500円(税込・サービス料込)
利用ポイント:0ポイント

ポイント・クーポン利用後:5,500円(税込)
支払料金:5,500円(税込・サービス料込)
支払方法:現地決済
 




泊まった部屋です。





窓からの眺め、佐賀駅が見えます。

佐賀駅周辺ではイルミネーション

2024サガ・ライトファンタジー 

佐賀市の中央大通り(シンボルロード約1.6km)を中心に、ライトアップ。 

期間 2024年10月4日(金)〜2025年1月13日(月・祝) 17:00~22:30 

佐賀大財店 松屋・松のや複合店へ
旅先で全国チェーン……

人通りの少ない佐賀中心部

ビジネスホテルサンシティ1号館から1.6km先、

佐賀バルーンミュージアムの前に来ました。
既に営業時間は過ぎていますが

入口前にはデザインマンホール

このデザインのマンホールカードは佐賀バルーンミュージアムにて配布、翌朝貰いに行こう。

再び宿へ戻ります。



令和6年(2024年)11月20日㈬


「令和6年11月中旬 の旅」1日目は佐賀県唐津市に来ました。


唐津市中心部から17km離れた名護屋城跡を訪れた後、再び戻って来ました。


昭和バス 21   名護屋城博物館前1441発 呼子・大手町(唐津BC)行き


は終点の大手町(唐津BC)1535着


この記事の続きです。
日没までに唐津市内を歩きます。

大手口(唐津BC)から300m,唐津神社へ

※社伝によれば、三韓征伐に際して航海の安全を住吉三神に祈願した神功皇后が、帰朝の後に報謝のため松浦の海浜に宝鏡を縣けて三神を祀ったのに起源を持ち、天平勝宝7歳(755年)に、時の領主であった神田宗次が神夢により海浜に赴くと、漂着してきた宝鏡入りの筺を得たので、神功皇后の捧げた鏡であろうと帝に奏聞したところ、9月29日に「唐津大明神」の称号を賜ったという。文治2年(1186年)、宗次の後裔を称する神田広(実は源久の5男)が社殿を造立して神田を寄進し、神田宗次の霊を合祀したという。慶長年中に寺沢氏が唐津城を築いて入部すると、同7年(1602年)(または11年(1606年))に当神社を再建、以後唐津藩主の祈願所と定められ、崇敬を受けた。 明治6年(1873年)に郷社に列し、これを機に現在の「唐津神社」に改称した。それ以前の神社の名前はわからない。昭和17年(1942年)県社に昇格、戦後は神社本庁に参加する。

wikipediaより引用
平日夕方、静かな境内







御朱印を頂きました。

唐津神社から1km先の唐津城へ向かいます。

唐津城へ向かう途中で見かけた

台座の上に建つ女性の像



奥村 五百子刀自

奥村 五百子(おくむら いおこ、1845‐ 1907)

幕末・明治期の社会運動家。愛国婦人会の創設者。

以下は銅像脇の案内板から引用

奥村五百子刀自 

弘化二年(一八四五) 唐津市中町高徳寺に生る 父・左大臣二條冶高公の孫で増千 代と称し、九才の時京都より 高徳寺に養子に入り、十二世 奥村了寛となる勤皇の志が厚 く維新倒幕に活躍した。 母・小笠原藩士山田円太夫の娘で 浅子といい、非常に物やさし く、慈悲深く子女の教育に特 に熱心であった。 兄・十三世奥村円心父に劣らぬ勤 皇家で、国事に奔走した。 明治維新前国家動乱のさなか一九才のとき 父に代って男装し、長州に入り志士の間を奔 走、勤皇の国事に力を注ぐまた、国会運動、 旧松浦橋架設、唐津鉄道、港湾開発等に大き く貢献、明治三十年韓国の光州に渡り実業学 校開校、同三十三年南京で北清事変にあい感 ずるところあって帰国、ただちに上京、閑院 宮殿下、岩倉公爵夫人や陸海軍省や外務省に 出向いて時世を論ず翌三十四年には愛国婦人 会を創設、全国を駆け巡り世界屈指の婦人団 体を結成(婦人会員数は、明治末期に70万 昭和九年頃に二百数十万の大組織となった) するなど国際的な女丈夫といわれた。 六十二才の時健康すぐれず帰唐、明治四十 年二月七日京都大学病院で六十三才の生涯 を閉す。 銅像は昭和五年城内二ノ門広場(現ロータ リー)に建てられたが、大東亜戦争に供出、 戦後三十四年三月唐津市婦人連絡会の手で再 建された。墓所は市内中町高徳寺にある。 


唐津城天守閣が見えてきました。





地下道を潜り

16時過ぎに唐津城へ、

唐津城で撮影した画像はコチラ
唐津城天守閣に設置されている続日本100名城スタンプを押しました。

唐津城の御城印を購入

五層五階の天守閣最上階からの眺め

夕陽に照らされた天守閣をあとにして

時刻は17時近く、



松浦川の河口付近に架かる城内橋

船入門跡

城内橋



平成4年(1992年)、二の丸跡に復元された時の太鼓

城内橋を渡りました。






松浦川水系の二級河川。読みは町田川(ちょうだがわ)に沿いの道を歩き


町田川沿いに建つ唐津城三ノ丸辰巳櫓、平成4年(1992年)に新築復元









唐津市の中心街に建つ旧唐津銀行本店

※旧唐津銀行本店 

佐賀県唐津市にある伝統的建築物。辰野金吾記念館とも。 
現在の佐賀銀行の前身の1つであった唐津銀行の本店として使用された建物。現在の建物は1910年(明治43年)に着工し、1912年(明治45年)に完成した。同行の頭取を務めていた大島小太郎が、唐津出身の辰野金吾に設計を依頼。辰野の監修のもと、弟子で清水満之助店(現在の清水建設)に入店していた田中実が実際の設計を手掛けた。 外壁には赤レンガ調タイルと白御影石が用いられ、他にもアーチ窓や御影石バルコニーなど「辰野様式」の外観の特徴を受け継いでいる[4]。1階に銀行カウンターを介して吹き抜けロビーと執務室があり、2階部分には応接室、会議室などを配置。貴賓室の天井や大理石製マントルピースなど品位のある意匠が各所に施されている。 1997年(平成9年)まで佐賀銀行の建物として使用されたのち、同年に唐津市へ寄贈された。その後保存修理期間を経て2011年(平成23年)より一般公開されている。この時、外装をはじめ照明器具・カーテン・絨毯などにもこだわり、創建当時の姿に近づける努力がなされた。現在は旧唐津銀行および唐津市の歴史や文化を紹介する常設展示が行われているほか、コンサートや展示会等のイベントが不定期で実施されている。 2002年(平成14年)に唐津市指定重要文化財に、また2017年(平成29年)には佐賀県指定重要文化財の指定を受けている。

wikipediaより引用


旧唐津銀行本店横には2名の人物像

右は辰野金吾

左は曽禰達三

※辰野 金吾 (1854- 1919) 

唐津出身の建築家、工学博士。「日本近代建築の父」といわれ、日本銀行本店・東京駅等を設計した。

※曽禰 達蔵(1853年 - 1937)

唐津出身の建築家。慶應義塾図書館旧館 、旧鹿児島県庁舎本館(現・県政記念館)、 日本郵船神戸支店などを設計した。






時刻は17時を過ぎていますが入館可能でした。ありがたいことに無料。


旧唐津銀行本店


入館料  無料

開館時間 9時00分 - 18時00分 

休館日 12月29日〜12月31日


館内での撮影は自由





















旧唐津銀行本店を出ました。日が暮れた道を歩き

唐津駅へ



上り唐津線に乗車