
令和6年(2024年)11月20日㈬
「令和6年11月中旬 の旅」1日目は佐賀県唐津市に来ました。
唐津市中心部から17km離れた名護屋城跡を訪れた後、再び戻って来ました。
昭和バス 21 名護屋城博物館前1441発 呼子・大手町(唐津BC)行き
は終点の大手町(唐津BC)1535着
この記事の続きです。

日没までに唐津市内を歩きます。

大手口(唐津BC)から300m,唐津神社へ

※社伝によれば、三韓征伐に際して航海の安全を住吉三神に祈願した神功皇后が、帰朝の後に報謝のため松浦の海浜に宝鏡を縣けて三神を祀ったのに起源を持ち、天平勝宝7歳(755年)に、時の領主であった神田宗次が神夢により海浜に赴くと、漂着してきた宝鏡入りの筺を得たので、神功皇后の捧げた鏡であろうと帝に奏聞したところ、9月29日に「唐津大明神」の称号を賜ったという。文治2年(1186年)、宗次の後裔を称する神田広(実は源久の5男)が社殿を造立して神田を寄進し、神田宗次の霊を合祀したという。慶長年中に寺沢氏が唐津城を築いて入部すると、同7年(1602年)(または11年(1606年))に当神社を再建、以後唐津藩主の祈願所と定められ、崇敬を受けた。 明治6年(1873年)に郷社に列し、これを機に現在の「唐津神社」に改称した。それ以前の神社の名前はわからない。昭和17年(1942年)県社に昇格、戦後は神社本庁に参加する。
wikipediaより引用

平日夕方、静かな境内




御朱印を頂きました。

唐津神社から1km先の唐津城へ向かいます。

唐津城へ向かう途中で見かけた
台座の上に建つ女性の像


奥村 五百子刀自

奥村 五百子(おくむら いおこ、1845‐ 1907)
幕末・明治期の社会運動家。愛国婦人会の創設者。
以下は銅像脇の案内板から引用
奥村五百子刀自
弘化二年(一八四五) 唐津市中町高徳寺に生る 父・左大臣二條冶高公の孫で増千 代と称し、九才の時京都より 高徳寺に養子に入り、十二世 奥村了寛となる勤皇の志が厚 く維新倒幕に活躍した。 母・小笠原藩士山田円太夫の娘で 浅子といい、非常に物やさし く、慈悲深く子女の教育に特 に熱心であった。 兄・十三世奥村円心父に劣らぬ勤 皇家で、国事に奔走した。 明治維新前国家動乱のさなか一九才のとき 父に代って男装し、長州に入り志士の間を奔 走、勤皇の国事に力を注ぐまた、国会運動、 旧松浦橋架設、唐津鉄道、港湾開発等に大き く貢献、明治三十年韓国の光州に渡り実業学 校開校、同三十三年南京で北清事変にあい感 ずるところあって帰国、ただちに上京、閑院 宮殿下、岩倉公爵夫人や陸海軍省や外務省に 出向いて時世を論ず翌三十四年には愛国婦人 会を創設、全国を駆け巡り世界屈指の婦人団 体を結成(婦人会員数は、明治末期に70万 昭和九年頃に二百数十万の大組織となった) するなど国際的な女丈夫といわれた。 六十二才の時健康すぐれず帰唐、明治四十 年二月七日京都大学病院で六十三才の生涯 を閉す。 銅像は昭和五年城内二ノ門広場(現ロータ リー)に建てられたが、大東亜戦争に供出、 戦後三十四年三月唐津市婦人連絡会の手で再 建された。墓所は市内中町高徳寺にある。

唐津城天守閣が見えてきました。



地下道を潜り

16時過ぎに唐津城へ、

唐津城で撮影した画像はコチラ

唐津城天守閣に設置されている続日本100名城スタンプを押しました。

唐津城の御城印を購入

五層五階の天守閣最上階からの眺め

夕陽に照らされた天守閣をあとにして

時刻は17時近く、


松浦川の河口付近に架かる城内橋

船入門跡

城内橋


平成4年(1992年)、二の丸跡に復元された時の太鼓

城内橋を渡りました。



松浦川水系の二級河川。読みは町田川(ちょうだがわ)に沿いの道を歩き

町田川沿いに建つ唐津城三ノ丸辰巳櫓、平成4年(1992年)に新築復元





唐津市の中心街に建つ旧唐津銀行本店

※旧唐津銀行本店
佐賀県唐津市にある伝統的建築物。辰野金吾記念館とも。
現在の佐賀銀行の前身の1つであった唐津銀行の本店として使用された建物。現在の建物は1910年(明治43年)に着工し、1912年(明治45年)に完成した。同行の頭取を務めていた大島小太郎が、唐津出身の辰野金吾に設計を依頼。辰野の監修のもと、弟子で清水満之助店(現在の清水建設)に入店していた田中実が実際の設計を手掛けた。 外壁には赤レンガ調タイルと白御影石が用いられ、他にもアーチ窓や御影石バルコニーなど「辰野様式」の外観の特徴を受け継いでいる[4]。1階に銀行カウンターを介して吹き抜けロビーと執務室があり、2階部分には応接室、会議室などを配置。貴賓室の天井や大理石製マントルピースなど品位のある意匠が各所に施されている。 1997年(平成9年)まで佐賀銀行の建物として使用されたのち、同年に唐津市へ寄贈された。その後保存修理期間を経て2011年(平成23年)より一般公開されている。この時、外装をはじめ照明器具・カーテン・絨毯などにもこだわり、創建当時の姿に近づける努力がなされた。現在は旧唐津銀行および唐津市の歴史や文化を紹介する常設展示が行われているほか、コンサートや展示会等のイベントが不定期で実施されている。 2002年(平成14年)に唐津市指定重要文化財に、また2017年(平成29年)には佐賀県指定重要文化財の指定を受けている。
wikipediaより引用

旧唐津銀行本店横には2名の人物像
右は辰野金吾
左は曽禰達三
※辰野 金吾 (1854- 1919)
唐津出身の建築家、工学博士。「日本近代建築の父」といわれ、日本銀行本店・東京駅等を設計した。
※曽禰 達蔵(1853年 - 1937)
唐津出身の建築家。慶應義塾図書館旧館 、旧鹿児島県庁舎本館(現・県政記念館)、 日本郵船神戸支店などを設計した。



時刻は17時を過ぎていますが入館可能でした。ありがたいことに無料。
旧唐津銀行本店
入館料 無料
開館時間 9時00分 - 18時00分
休館日 12月29日〜12月31日

館内での撮影は自由











旧唐津銀行本店を出ました。日が暮れた道を歩き

唐津駅へ


上り唐津線に乗車
