
令和7年(2025年)11月7日㈮
珍しく休みの㈮、今週始めの連休中は出勤でした。
朝の通勤ラッシュが終わる頃、下り東海道本線に乗車。
1837E 大船907発 熱海行き
は 10分以上の遅延。車両点検の影響らしい

定時では1006着の熱海にら約9分遅れて到着。

この先の東海道本線はJR東海。ICカードでは連続して乗車できず
439M 熱海1032発 浜松行き

1045着の三島で下車

三島で下車するのは2年ぶりでした。
※2023年9月に訪れた三島

三島駅南口を出て

JR東海三島駅と伊豆箱根鉄道駿豆線三島駅の間にある
三島観光案内所へ

三島観光案内所で配布されている三島市のマンホールカードを頂きました。
配布時間 9:00 ~ 16:00

マンホールカードの現物を見に行きます。駅から徒歩10分ほど 白滝公園 の近く

白滝公園

ありました。


再び三島駅へ
伊豆箱根鉄道駿豆線に乗ります。
前回乗ったのは7年前、月日が経つのは早い。
2018年10月、伊豆箱根鉄道駿豆線に乗車

券売機にて購入
駿豆線一日乗り放題乗車券 旅助け 1,100円

乗車するのは
三島1132発 修善寺行き
車両は 1300系(元西武新101系)2202編成3連

1150着の韮山で下車。

韮山の所在地は静岡県伊豆の国市

※韮山駅
相対式ホーム2面2線を有する地上駅。駅舎は2番線ホームに面しており、1番線ホームとのアクセスには構内踏切を使用する。 現在は7時00分から8時30分までの間に限り集札を行う駅員が配置される。それ以外の時間帯は無人となる。 朝の7:15〜8:15までの時間、韮山高校の生徒のみ利用可能な東口がある。

この時間帯は駅員不在の駅舎

蛭ヶ小島、江川邸、韮山城跡 など伊豆の国市の史跡の最寄り

韮山高校の生徒のみ利用可能な韮山駅東口の近くにありました。

伊豆の国市のデザインマンホール。
このデザインのマンホールカードは伊豆長岡駅前の伊豆の国市観光案内所にて配布

史跡のある方向へ向かいますが


途中にもありました。同デザインのマンホール

富士山を眺めながら

源頼朝と北条政子の像が見えてきました。

※蛭ヶ小島(ひるがこじま)
源頼朝の流刑地と伝わる史跡。蛭ケ島ともいう。所在地は静岡県伊豆の国市。
平治の乱で敗れた源頼朝は1160年(永暦元年)に伊豆に配流され、のちに挙兵するまでの20年近くをこの地で過ごしたとされている。その間には北条政子と結婚している。 しかし、歴史的には「伊豆国に配流」と記録されるのみで、「蛭ヶ島」というのは後世の記述であり、真偽のほどは不明。発掘調査では弥生・古墳時代の遺構・遺物のみで、平安時代末期の遺構は確認されていない。『吾妻鏡』では頼朝の流刑地について「蛭島」とのみ記し、当地が比定地であるかは不明。
史跡は旧韮山町が「蛭ヶ島公園」として整備し、公園内には「蛭島碑記」の石碑のほか、富士山に向かって立つ頼朝と政子の像がある。 洪水等で変遷した狩野川の中洲の説や、湿田のなかに島状にある微高地であると考えられる。また、中洲の中でも小さい島であったことより、蛭ヶ小島と呼ばれるようになったとも考えられている。 「蛭ヶ島公園」として整備されている場所は、江戸時代に学者の秋山富南が「頼朝が配流となった蛭ヶ島はこの付近にあった」と推定し、これを記念する碑が田野の中に1790年に建てられた。この石碑は韮山代官の江川家の家臣が建立したものとされている。これが「蛭島碑記」で伊豆の国市指定有形文化財となっている。
wikipediaより引用

頼朝と政子が眺める富士山

公園内の休憩所「蛭ヶ島茶屋」



蛭ヶ島公園駐車場には茅葺き屋根の建物
伊豆の国市 歴史民俗資料館

江戸時代中期の農家の建物「上野家住宅」を移築したもので、静岡県の有形文化財に指定されており、内部には民具や農具などを展示している。

中に入りました。


韮山城跡へ向かいます。
韮山反射炉は7年前に訪れたので今回はパス



