
令和6年(2024年)9月5日㈭
「令和6年9月上旬の旅」2日目の青春18きっぷを使用し播但線に乗車、竹田に来ました。
229D 寺前1041発 和田山行き
※この記事の続きです。

竹田駅は「天空の城」と呼ばれる竹田城跡の最寄り駅。

竹田駅駅舎
※竹田駅
兵庫県朝来市和田山町竹田字中町西側にあるJR西日本)播但線の駅である。
単式ホーム2面2線を有する列車交換可能な地上駅。木造駅舎を備える。以前は単式・島式ホーム複合型2面3線を有していたが、現在では中央1線が外されて、2面2線となっている。1線スルーでは無くY字分岐配線で、ホームは上下線で別となっている。 開業当時からの重厚な造りの木造瓦葺き駅舎が、現役で使用されている。その駅舎は元々単式であった寺前方面行ホーム側にあり、反対側の和田山行ホームへは跨線橋で連絡している。豊岡駅管理の簡易委託駅で、窓口が設置されているが、早朝と夕方以降は無人となる。2021年3月13日よりICOCA等の交通系ICカードが使用可能となった。
wikipediaより引用

駅舎の背後に見えるのが標高353.7mの古城山(虎臥山)、その山頂付近に見える石垣が竹田城趾

竹田城
現在の兵庫県朝来市和田山町竹田にあった城(山城)。
縄張りが虎が臥せているように見えることから、別名虎臥城(とらふすじょう、こがじょう)。国の史跡に指定されている。また城下から遥か高く見上げる山の頂に位置し、しばしば円山川の川霧により霞むことから、「天空の城」や「日本のマチュピチュ]とも呼ばれる。雲海に浮かび上がる古城の累々たる石垣群の威容は、名物ともなっている。 東に立雲峡を望む標高353.7mの古城山(虎臥山)の山頂に築かれ、縄張りは南北約400m、東西約100m。天守台をほぼ中央に配置し、本丸、二の丸、三の丸、南二の丸が連郭式に配され、北千畳部と南千畳を双翼とし、天守台北西部に花屋敷と称する一郭がある。廃城から約400年を経ているが、石垣がほぼそのままの状態で残っており、現存する山城として日本屈指の規模となっている。
伝承によると嘉吉3年(1443年)に但馬守護山名宗全(持豊)によって築城され、太田垣光景が初代城主と言われる。
1600年(慶長5年)、最後の城主である斎村政広は関ヶ原の戦いでは西軍に属し敗戦。竹田城は廃城となった。
1943年(昭和18年)、「史蹟名勝天然紀念物保存法」に基づき、国の史跡に指定される。
2006年(平成18年)日本100名城に竹田城跡(56番)が選定される。
毎年1月4日 - 2月末日を除き、ほぼ通年で見学が可能である。ただし、時期により開城時間が異なる。また、悪天候時には入城規制が行われることがあるほか、冬季は開城時間及び閉山期間を変更する場合もあるため注意を要する。観覧料はは有料。



竹田駅から300m先、 情報館 天空の城 へ向かいます。


たけだ城下町交流館
旧造り酒屋をリノベーションした施設、観光案内所やレストラン、ホテルなどが設置。 情報館「天空の城」では、竹田城跡のジオラマや竹田城シアター、資料・各種パンフレットの展示や観光案内。 旧木村酒造場 ENはホテル、レストラン、カフェとして営業



たけだ城下町交流館の建物は旧木村酒造場

情報館 天空の城 にある観光案内所へ

情報館 天空の城
営業時間 午前9時から午後5時
休業日 無休


情報館 天空の城 に設置されている
日本100名城スタンプ 竹田城
を押しました。

竹田城の御城印3書類と

城カードを購入

情報館 天空の城に展示されている
「竹田城の石積み」の模型

竹田城のジオラマ




たけだ城下町交流館の裏手にある第三殿町を渡ると竹田城跡の登山口

常光寺


境内には
竹田城初代城主 太田垣光景 石塔(供養塔)

本堂脇の石段を登り

太田垣光景 供養塔

竹田駅の裏手に

竹田城最後の城主 赤松広秀供養塔の案内がありますが

宝樹寺の境内のようです。




竹田城の裏手、駅裏登山道に来ました。


竹田城跡は353.7mの古城山(虎臥山)の山頂、しかしこの日は30℃超えの猛暑。
登城は断念しました。熊も怖い!

100名城スタンプを押して御城印を購入しながら城跡を訪れないという「インチキ」をしてしまいました。

せめて?麓までは訪れよう。

いつか再訪を誓って?登山道をあとにします。




観音様か並ぶ坂道を登り

竹田城の遺構?石垣がありました。

竹田城最後の城主 赤松広秀公


赤松広秀公の墓から見た竹田城跡

法樹寺から0.3km
表米神社へ



表米神社
兵庫県朝来市和田山町竹田にある神社である。
表米宿禰命(日下部表米)を祀っている。表米は、丹後国の白井の浜に来襲した新羅の賊を討伐した武人とされる。創建年代は不明であるが、宝永年間に竹田城のある虎臥山東麓の現在地に遷座したと考えられている。本殿は三間社流造で千鳥破風を有している[3]。 表米宿禰命が格技を好んだとされるという言い伝えに基づいて、当社境内の参道横の小広場に相撲桟敷が設けられているのが特徴である。この相撲桟敷は半円形石積段型桟敷に分類され、同形式の相撲桟敷は、この神社の他には山口県の赤崎神社にしか存在していないことから歴史的価値が認められ、兵庫県の指定重要有形民俗文化財に指定された。 また、桟敷から見て、土俵を挟んだ向正面側には舞台もあり、能や歌舞伎なども演じられた可能性があると考えられている。
wikipediaより引用

石段を登り

左には

竹田城跡表米神社登山道




境内には土俵と

相撲桟敷



再び石段を下り

表米神社鳥居の先は播但線の踏切

竹田駅を発車する上り列車を撮影
230D 竹田1246発 寺前行き
車両はキハ41 2005
先ほど、寺前〜竹田で乗車した車両



再び竹田駅へ




231D 竹田1334発 和田山行き
が到着

車両はキハ41 2004


終点の和田山1340着

11年ぶりの播但線全区間乗車

