令和6年(2024年)8月7日㈬


「令和6年8月上旬の旅」1日目は今夏4回目の青春18きっぷ使用、JR宝塚線(福知山線)に乗り篠山口に来ました。

日本100名城に選定されている篠山城跡を見たあとは再び篠山口駅へ。



篠山口駅は一部時間帯を除き改札口は無人、改札口コールセンターを呼び出し、カメラ付インターホンを通して青春18きっぷを掲示、改札を通ります。


*この記事の続きです

乗車するのは下り福知山線

2543M   篠山口1331発 福知山行き

223系5500番台F10編成2連


*福知山線 尼崎〜福知山 106.5kmは尼崎から58.4kmの篠山口を境に南側の都市近郊路線と、北側の地方幹線とに雰囲気が分かれ、日中は普通列車の運転系統も分離されている。篠山口駅以南は複線、以北は単線である。
東海道本線の大阪 - 尼崎間を含む大阪- 篠山口間はアーバンネットワークの路線の一つに数えられており、「JR宝塚線」の愛称が付けられている。阪急電鉄にも宝塚線があるため、混同を避けるために愛称に「JR」が付いている。
丹波大山〜下滝、車窓右には篠山川





 
下滝(1343発)

加古川線との接続駅、谷川(1348発)

谷川から加古川線に乗ったのは何時であろうか?
すっかり個人的備忘録と化した当ブログ過去記事を遡ると、11年前でした。

*2013年4月、加古川線を全線乗車
1356着の柏原で下車。

駅名は「かいばら」、所在地は兵庫県丹波市柏原町。「柏原」と表記される駅は当駅以外にも存在するが、読みはいずれも異なる。 

滋賀県:柏原駅(「かしわばら」) - JR東海東海道本線

 大阪府:柏原駅(「かしわら」) - JR西日本関西本線(大和路線) これらと区別するため、マルス発行の乗車券などでは当駅を「(福) 柏原」と表記されている

ほか、ICOCAの使用履歴については片仮名表記されている。
柏原には駅員がいました。青春18きっぷを提示して改札を通ります。

柏原駅駅舎は、1990年(平成2年)に開催された『国際花と緑の博覧会』において、会場内アクセス路線として運行されていた『ドリームエキスプレス』の「山の駅」の駅舎を、丹波の森構想に合致するものとして閉幕後に移築したもの。

駅を出て矢印の方向に進み

暑い!

駅から歩くこと0.9km

「かいばら一番館」。旧柏原支所庁舎、現在は無料休憩所や自習室として活用。

その隣に建つ

かいばら観光案内所、右端に見えるのは木の根橋

*かいばら観光案内所

営業時間 10:00~16:00 定休日 年末年始 / 毎週火曜日 (祝日の場合はその翌日休業)


かいばら観光案内所にて販売

黒井城跡の御城印
続日本100名城に選定されている黒井城

かいばら観光案内所にて配布

丹波市のマンホールカード

こちらも頂きました。
マンホールカードの座標軸は約6km先の氷上さくら公園内に設置、遠いので見に行くのはパス。

カラーではないが同デザインのマンホールがかしばら観光案内所のすぐ近く、柏原八幡宮鳥居前に設置されているとのこと

鳥居は修復工事中。


こちらは違うデザイン

木の根橋と大けやき

*木の根橋(きのねばし)

兵庫県丹波市柏原地域に存在する、川をまたいで伸びているケヤキの大木の根である

このケヤキは幹径6m、樹高22mで推定樹齢は1000年。その根の1本が幅8mの奥村川をまたいで、自然の橋を形成している。丹波市役所柏原支所の隣にあり、柏原地域のシンボルの一つとして住民に親しまれている。1970年(昭和45年)3月30日に兵庫県天然記念物として指定された。2004年、柏原町(当時)はこのケヤキをギネスブックに申請した。
柏原八幡宮へ向かいます。かいばら観光案内所の前に建つ鳥居は修復工事中。境内に入るには迂回しなければなりません。

柏原八幡宮(かいばらはちまんぐう)

兵庫県丹波市柏原町にある神社。旧社格は県社。2021年(令和3年)に社名を旧来の「柏原八幡宮」へ変更し、今日に至る。境内には神社には珍しく三重塔が現存している。ひょうごの森百選、ひょうご風景百選に選ばれている。
舒明天皇の時代(629年 - 641年)に、出雲連が入船山の山頂(現・三重塔がある場所)に牛頭天王を祀ったのがそもそもの始まりであるとする。 万寿元年(1024年)に入船山の付近三か所から霊泉が湧いた。これを奇瑞として後一条天皇の勅命により京都の石清水八幡宮の分霊を入船山に祀り、「丹波国 柏原別宮」が成立し、当社は創建された。 貞和元年(1345年)、南北朝時代に荻野安芸守と足利氏の合戦に巻き込まれて創建当時の社殿が焼失するが、後に再建されている。応仁2年(1468年)に三重塔が建立される。 天正7年(1579年)に織田信長の命を受けて丹波国に攻め込んできた明智光秀によって社殿や三重塔が焼失する。 天正10年(1582年)に羽柴秀吉が黒井城主の堀尾吉晴に社殿の造営を命じ、天正13年(1585年)8月に現在の本殿と拝殿が竣工している。 文化12年(1815年)には数回の焼失と再建を経て、現在の三重塔が再建される。 1868年(明治元年)、神仏分離により神宮寺であった乗宝寺が独立し、当社にあった仏像や経典等を全て乗宝寺に移して文化財が破却されること無く円満に神仏分離がなされた。その際、廃仏毀釈により神社には不要として三重塔と鐘楼が破却されようとしていたが、なんとか三重塔は「八幡文庫」として、鐘楼は「時の鐘」として破却を免れている。 1873年(明治6年)に郷社に列せられ、1900年(明治33年)に県社に昇格する。 社殿(本殿及び拝殿)は1913年(大正2年)に古社寺保存法により特別保護建造物に指定され、1929年(昭和4年)に国宝保存法によって旧国宝に、1950年(昭和25年)には文化財保護法の施行により重要文化財に指定された。 1975年(昭和50年)、国庫補助事業として社殿の解体修理工事(拝殿半解体・本殿全解体、昭和50年1月から昭和51年9月)が行われた。 スダジイが覆い茂る柏原八幡山73ヘクタールは兵庫県の環境緑地保全地域に指定され、ひょうごの森百選やひょうご風景百選にも選ばれている。


裏手にある参道から境内へ





境内社の五社稲荷神社












三重塔(兵庫県指定有形文化財) 

文化12年(1815年)に再建。三間三重塔婆、本瓦葺、檜皮葺、総高23m。「八幡文庫」の額が掛けられている。なお、神社に塔が残っている事例は全国で18例のみであり極めて珍しい。 

本殿(重要文化財) 

天正13年(1585年)8月に羽柴秀吉が黒井城主の堀尾吉晴を奉行として再建。三間社流造。再建以来改造が繰り返されてはいるが、「権現造」の先駆けとなる建築様式として非常に貴重である。三間社流造、檜皮葺。 

拝殿(重要文化財) 

天正13年(1585年)に羽柴秀吉が堀尾吉晴を奉行として再建。入母屋造妻入、正面唐破風付き、檜皮葺。 














鐘楼 - 梵鐘(兵庫県指定有形文化財)

「厄除開運難逃れの鐘」と呼ばれる。康応元年(1389年)と天文12年(1542年)の2つの年号が刻まれているのが特徴。また康応元年銘の前に「丹波国氷上郡高山寺」と刻まれており、これは現・丹波市氷上町にある高山寺のことである。豊臣秀吉が大砲鋳造のために丹波国氷上郡内の鐘を柏原東奥藤ノ目に集めた際、そこに高山寺の鐘楼もあり、それがたまたま柏原八幡宮の社僧の目に触れ、特に優れた物だったため、秀吉に願い出て当社に寄進されたもの。





授与所にて御朱印を頂きました。

柏原八幡宮の近くに鎮座する織田神社



再び柏原駅へ



柏原での滞在時間は1時間、再び福知山線に乗車

2545M   柏原1504発 福知山行き