令和6年(2024年)3月14日㈭


「令和6年3月中旬の旅」2日目の朝は兵庫県姫路市に来ました。姫路城を訪れた後は姫路市内を歩きます。



画像は上下の武家屋敷跡地にある城見台公園


城見台公園の近く、兵庫縣姫路護國神社にお参り
兵庫縣姫路護國神社(ひょうごけんひめじごこくじんじゃ)

兵庫県姫路市にある護国神社。兵庫県西部地区出身(播州・但馬地区十二市十五郡)の戦没者56988柱を祀る。姫路城の中曲輪内の敷地に当たる(現:姫路公園)。
 江戸時代は武家屋敷、明治時代に中曲輪が軍用地となってからは調馬場であった。 1893年(明治26年)より毎年、現鎮座地の近くに祭庭を設けて招魂祭が行われていたが、正式な社殿を造営して招魂社とすることとなり、1936年(昭和11年)に鎮座地を決定、1938年(昭和13年)に竣工・鎮座した。翌1939年(昭和14年)、制度改革により兵庫縣姫路護國神社となり、内務大臣指定護国神社となった。第二次世界大戦後のGHQ占領下は、「護国神社」の名称では軍国主義施設として廃止される虞があるとして、姫路城の別名の白鷺城に因んで「白鷺宮」と改称していた。独立後は元の社名に復した。

wikipediaより引用


頂いた御朱印です。

再び城見台公園の前へ、公園内には鯱瓦が展示。



兵庫縣姫路護國神社から0.3km、


播磨国総社 射楯兵主神社


画像は平成18年(2006年)再建、西参道に建つ総社御門
*射楯兵主神社(いたてひょうずじんじゃ)

兵庫県姫路市総社本町にある神社。播磨国総社で、播磨地域では濁らずに「そうしゃ」、「そうしゃさん」と呼ばれる。社格は、式内小社、県社。姫路城の中曲輪内に位置する。60年に1度の一ツ山大祭、20年に1度の三ツ山大祭が有名。

祭神 は射楯大神(五十猛尊) 兵主大神(伊和大神、大国主命) 

764年(天平宝字8年)飾磨郡伊和里水尾山(姫路市山野井町にある水尾神社)に兵主神を祭祀。 
787年(延暦6年) - 兵主神を飾磨郡国衙小野江の梛本(姫路市本町、現社殿地の北方、姫路医療センター・姫路東高校附近)に遷座。 『延喜式神名帳』に小社射楯兵主神社とあり、927年(延長5年)までに射楯神が合祀されている。 
1181年(養和元年) - 播磨国16郡174座の大小明神社を合祀し、播磨国総社・府中社と称する。 
1567年(永禄10年) - 黒田職隆の命により拝殿と御神門を修復。この際、屋根が板葺きから瓦葺きに葺き替えられた。 
1581年(天正9年) - 羽柴秀吉が姫路城を築城するのに伴い、現在地に遷座。 
1945年(昭和20年) - 姫路空襲により焼失。戦後まもなくして再建。 
2006年11月 - 西参道に総社御門を再建

wikipediaより引用


総社御門は昇殿参拝(無料)できます。中は撮影禁止

総社御門から先、西参道を歩き

射楯兵主神社境内へ





拝殿

頂いた御朱印です。


神門から境内の外へ

姫路駅は1.3km先
兵庫県指定文化財 石造鳥居

奥に見えるのは神門

射楯兵主神社 石造鳥居


慶安5年(1652)姫路城主榊原忠次により寄進。

姫路城総社門跡と石垣







石垣と土塁に沿った道を歩き








姫路駅姫路城口(北口)に来ました。時刻は12時過ぎ





ICカード(Suica)にて改札内へ

乗車するのは下り山陽本線・赤穂線直通


963M 姫路1305 発  播州赤穂行き


223系 V12編成 (近ホシ) 4連


姫路では入線前から乗車を待つ長い列、座席確保のため姫路での963Mの画像はありません。
姫路〜相生の車内は混雑、相生(1325発)から先は赤穂線。

播州赤穂1336着


赤穂線乗車も播州赤穂で下車するのも2年ぶり

*2022年3月22日㈫ 赤穂線全線乗車、赤穂城も訪れました。







隣には

1917M   播州赤穂1347発 岡山行き

が停車中

この列車には乗らず

改札へ



播州赤穂駅構内の観光情報センターでは赤穂城の御城印を販売

購入しました。

駅を出て1km先の赤穂城へ向かいます。