令和5年(2023年)12月27日㈬

2023年ラストの旅1日目は青春18きっぷを使用し東海道本線乗り継ぎです。横浜〜熱海〜浜松〜大垣〜米原〜安土のルートで安土に下車。

当ブログでは何度も行った「東海道本線乗り継ぎ」では通過する新快速の車窓から眺めるだけだった「安土」、「安土桃山時代」と日本史に名を残した地である「安土」、ようやく訪れる(下車する)ことができました。

安土駅南口に隣接、安土城の日本100名城スタンプが設置されている安土城城郭資料館に入館した後は南北自由通路を通り安土駅北口へ

時刻は13;40過ぎ
*この記事の続きです。
北口前には織田信長像

北口に描かれた安土城

*安土駅は2017年より橋上駅舎の使用が開始された。新駅舎は延床面積400m2の鉄骨造りで、南北を結ぶ長さ58mの自由通路が併設されいる、北口側は安土城の天守閣をイメージして朱色を配した八角形の塔を設け、安土山を展望できるようになっている。2019年(令和元年)に安土城が描かれた縦13 m、横4mのグラフィック用フィルムが駅舎の北口に設置された。


wikipediaより引用
信長像の指差す先は安土駅



駅前に設置されている安土城下町観光マップによると安土城跡までは1.9km、歩くにはちょっと遠い距離、城跡近くまで行く路線バスなどはなさそうです。

ならばタクシー?そんな贅沢はできません。もちろん歩いていきます。 

マップに記載された駅から1.2kmのセミナリヨ公園も訪れてみたい。

静かな安土の町を歩き

セミナリヨ公園に到着、石碑の後ろに見えるのは安土城跡の安土山


セミナリヨとは?

*セミナリヨ(ポルトガル語: seminário)

イエズス会によって日本に設置され、1580年から1614年の間に存在したイエズス会司祭・修道士育成のための初等教育機関(小神学校)のこと。

1579年に来日したイエズス会の巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノ神父は、日本人の司祭・修道士を育成することが日本布教の成功の鍵を握るとみて作られた教育機関がセミナリヨであった。ヴァリニャーノは織田信長の元を訪れ、新都市安土(現・滋賀県近江八幡市安土町)に土地を願い。城の隣のよい土地が与えられた。信長の協力が得られた理由は、信長は仏教僧達を心よく思っていなかったため、対抗手段としてキリスト教を保護していたからである。こうして1580年に完成したのが安土のセミナリヨであった。同じ時期、九州地区でも長崎の有馬(現・長崎県南島原市)に同じようにセミナリヨがつくられた。安土のセミナリヨは純和風建築三階建てで、客をもてなすための茶室が付属していた。信長は屋根の瓦に安土城と同じ青い瓦を使うよう命じ、イエズス会員たちはこれに感謝した。責任者となったニェッキ・ソルディ・オルガンティノ神父は入学者を集めるため、高山右近に依頼。彼はキリシタンである家臣の子弟8人を安土に送った。オルガンティノ神父がセミナリヨの目的について説明し希望者を募ると、彼らはそれに応えて入学を願った。その中には、後に長崎で殉教するパウロ三木や、元和の大殉教で死んだアントニオ三箇がいた。 安土では30人ほどの学生が住み込みで学んでいたが、本能寺の変の後で安土城と市街が焼けると、脱出せざるをえなくなった。その後、高槻に移転したが、1587年の豊臣秀吉の禁教令によって九州移転を余儀なくされた。セミナリヨは長崎、有馬、加津佐、天草などを転々としたが、1614年の徳川家康の禁教令によって閉鎖された。生徒たちのある者は潜伏し、ある者は勉学を続けるためにマカオやマニラへ逃れた。 セミナリヨで学び、後にイエズス会員となった多くの者も、厳しい迫害の中で殉教や国外追放という運命を辿った。

wikipediaより引用
セミナリヨ跡は住宅と田園に囲まれた場所にある小さな公園でした。




信長の時代は純和風建築三階建ての建物があったとのことですが、現在の公園内には建物はなく











セミナリヨ跡から安土城跡に向かう途中で見かけた白壁に囲まれた旧家、門前には解説板

登録有形文化財 東家住宅




解説板によると

東家は古くより豊浦冠者と名乗り、宇多源氏・佐々木氏の地を引く有力者として、中世以来この地を納めた豪族で江戸時代に庄屋を務めた家です。
東家には、大相撲が東西に分かれて相撲を取ることに関連する逸話があります。
当家の傅蔵近家と常楽寺の馬次郎が織田信長公の面前で竹を捻りあう力比べを披露し、両者の技量が したことに感嘆した信長公がそれぞれに、東姓と西姓を与えたとされ、東姓は 傅蔵近家が土俵の東側から上がったことに伝わります。(東家古文書より)

*東家住宅は、十八世紀後期の古式な形式を示す湖東地域の近世大型民家の好例で、主屋、土蔵、石垣が2015年に国の登録有形文化財に指定されました。(現在は非公開) 
安土山の麓が近づいてきました。時刻は14:15


安土城跡に向かう石段、安土城百々橋口(どどばしぐち)、この石段から安土城跡に向かうのか!

と思いきや、百々橋口の石段は立入禁止でした。

安土城跡へは百々橋口から300m先の大手門入口より入山とのこと


百々橋口から大手門入口で撮影した画像はコチラ








14;30過ぎ、安土城跡の大手口に来ました。この先の安土山へ向かう道へは拝観料が必要.


安土城址拝観は、一般社団法人 安土山保勝会により維持運営を行われている。 2006年(平成18年)9月1日より入山には拝観料を徴収

拝観時間 年中無休 午前8時半~午後5時(入場受付最終4時) ※季節により変動あり。

*大手門入口から安土城本丸跡付近まで撮影した画像はコチラ



天主閣跡には15;01頃に到着


標高198mの安土山の山頂にある本丸跡付近から下山するまでの画像はコチラ



再び大手口を出たのは15;38頃、冬の日暮れは早い、暗くなる前に安土駅へ向かいます。

先ほど登った安土山を振り返りながら



田畑の道を進み





田畑の向こうを琵琶湖線の電車が通り過ぎていきます。

安土駅近くの東南寺

門前には解説板が設置

寺内には重要文化財の木造地蔵菩薩があるとのこと

東南寺本堂

再び安土駅へ、青春18きっぷの旅を再開







乗車するのは下り琵琶湖線

安土1620発 網干行き



803T   安土1620発 網干行き は10両編成

網干方の前6両は225系L7編成




次第に日は暮れていき

1705着の京都で下車、この日はここまで

夕暮れの駅前を出て



京都タワー、ヨドバシカメラの脇を通り過ぎ

東本願寺の脇を通り過ぎ

この日の宿泊はスーパーホテル・烏丸五条


スーパーホテル・烏丸五条は 2024年2月19日に閉館。

このホテルは2005年に初めて泊まって以来、18年間何度も利用しました。閉館は残念!今回が最後の宿泊です。


*2022年9月の旅、スーパーホテル・烏丸五条に宿泊


*2022年3月の旅 スーパーホテル・烏丸五条に宿泊


*2022年2月に宿泊した・スーパーホテル烏丸五条



スーパーホテル公式サイトで予約しました。


【チェックイン日】:2023年12月27日(水)
【チェックアウト日】:2023年12月28日(木)
【プラン名】:【全国旅行支援専用プラン】きょうと魅力再発見旅プロジェクト天然温泉&焼きたてパン朝食ビュッフェ付
【お部屋タイプ/宿泊人数】:【禁煙】お部屋タイプお任せ</br><font color=darkorange>【お部屋タイプは当日までのお楽しみ】</font>/1 名
【お部屋数】:1 室
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【全国旅行支援】
本人確認書類(居住地が確認できるもの)を当日ご提示ください。


【宿泊料金合計】:¥6,900(消費税:込)
    地域割割引額:-¥1,380    地域割適用後の金額:¥5,520    地域クーポン:¥2,000
【宿泊料金内訳】:2023年12月27日(水):¥6,900
 


泊まった部屋です。




全国旅行支援 きょうと魅力再発見旅プロジェクト


のクーポン2000円をゲット


窓の外は……

ホテルの近くのビル1Fに展示されている京都市電


やはり年末、全国旅行支援クーポンが使える飲食店はどこも並んでいます。

仕方なく?クーポンが使えるコンビニで弁当を購入……

京都まで来て夕食はコンビニ弁当でした。(泣)


2024年2月19日に閉館したスーパーホテル・京都烏丸五条の建物には3月から別のチェーンホテルがリブランドオープンしたとのこと。


新たにオープンしたチェーンホテルは残念ながら、私にとってあまり印象が良くない、ここ5年間は泊まっていません。



2019年7月、この時に泊まった小樽のチェーンホテル(現在は別の名称)のフロントの態度はあとにもこのさきにもないほど酷かった。


この笑顔のチェーンホテルSと、東急の路線名と同じ名称のホテル、この2つは泊まることを避けています。